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常盤新平さんの直木賞受賞作、『遠いアメリカ』という小説を読みましたので、心覚えをつけておきましょう。 これは、おそらく常盤さんの自伝的小説と言っていいのだと思いますが、大学を卒業し、大学院に進学するも、学業に興味が持てずに脱落、それでいていつの日かアーウィン・ショーの『夏服を着た女たち』のような小説を翻訳する翻訳家になりたいというおぼろげな野心と、果たして本当に翻訳家になれるのかという不安との間に揺れる若者・重吉の生活を描いた連作短篇。 重吉は(作者の常盤さんと同じく)仙台出身で、元下級役人として38年間の宮仕えの後、今は会計士のような仕事をしている父親のすねをかじって、東京で大学・大学院にまで進学させてもらっている。が、その大学院も最近はすっかりさぼり勝ちで、学費滞納で除籍になりつつあることは、父親には言い出せないんですな。そういう負い目があるせいもあり、また文学に理解がない上、学費を払ってやっている以上、せめて大学教授にでもなれ、などと言ってくる典型的な田舎者の父親に対しては、鬱陶しいという思いしか抱けないわけ。 といって、自分の好きな道をまっすぐ突き進んで、無理解な父親を見返してやるほどの実力も自信もなければ、見通しもない。まあ、要するにフラフラしているわけです。 で、フラフラしているんだけど、一丁前に椙枝という、女優志望の劇団員の彼女がいる。重吉が私淑する翻訳家の遠山が劇団と多少関係があり、その遠山から椙枝を紹介されたのだが、この椙枝の存在が重吉にとって希望であると同時に、多少は重荷でもあるというところがある。重荷というのは、この先彼女と結婚し、彼女を養っていくだけの甲斐性が自分にあるかどうか、自信が持てないから。 ただ、アメリカの小説、それも、偉大な小説家の小説より、知る人ぞ知るマイナーな小説家の小説を見つけ出して読んだり訳したりすることにはやりがいを感じ、そういうものを通じて、遠いアメリカという国のことを、遠いなりにもっと知りたいという、彼なりの野望は、やはり確固としてある。 とまあ、大学は出たけれど、まだ何者でもない、野心はあるけど、自信はない、彼女はいるけど、結婚までいくかどうか分からない、父親とは気が合わないけれど、その世話になるしかない、そんなモラトリアムな状態にある若者の揺れる心情と日々の生活を描いた小説でございます。作中、サリンジャーの『ライ麦畑』の話題も出るのだけれど、ある意味、これは常盤さんが書いた『ライ麦畑』と言ったらほめ過ぎですか? でも、この小説、結構いいです。 私が「この小説、結構いいな」と思うのは、小説としてのリアリティがあるところ。自伝的小説ということもあって、作中人物の行動に無理がないというか、こういう状況に置かれていたら、人はこういう風に考えたり、こういう風に行動するよなと思えるので、主人公に共感しやすいわけ。 でまた、重吉は、父親に対して反抗的になったり、田舎者の母親を疎んじたりするところもあるのだけれど、父親に対しても母親に対しても、心の奥底では両者を理解していて、彼らなりの愛情に対して、重吉も重吉なりの愛情で返しているところもとてもいい。親子の関係性って、結局、こういうもんなんじゃないの、というところがあるのよ。 あと主人公の重吉がアメリカ小説の翻訳家志望で、だけど貧しいので、ハードカバーの新刊本は買えず、アメリカの安いペーパーバックばっかり買っているんだけど、そうした重吉のペーパーバック愛がとてもいい。私のように、アメリカン・ペーパーバック研究者の目から見ても、重吉のアメリカン・ペーパーバックに対する理解は、非常に正確です。たとえば「ヘミングウェイだってフォークナーだって、ペーパーバック本としてはエロ小説家の扱いだ」という趣旨のことを重吉が言うシーンがあるのですが、これなんか、本当にその通りです。よく分かっていらっしゃる。 でまたね、椙枝という恋人の描写がとてもよくて、魅力的な若い女性として、上手に描かれているのよ。重吉にはもったいないくらいの人。でまた、小説の最後で、重吉が翻訳家としての第一歩を踏み出すことに成功し、椙枝とも結婚できそうな感じになってくるところもとても気持ちがいい。 まあ、翻訳家/エッセイストの最初の小説ということで、あまり期待しないで読み始めたのですが、実際に読んでみたら、結構面白かった。一人の若者のケーススタディとして、なかなかなものになっております。 ということで、本書を読んで、小説家・常盤新平のお手並みを見ることができました。上出来。教授のおすすめ、です。これこれ! ↓【中古】 遠いアメリカ / 常盤 新平 / 講談社 [単行本]【メール便送料無料】【最短翌日配達対応】遠いアメリカ (P+D BOOKS) [ 常盤 新平 ]
December 2, 2024
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来年1月末に出る新著の再校の校正が終わり、今日の午前中、クロネコヤマトさんにゲラを託しました。 「校正おそるべし」とはよく言ったもので、初校の段階で著者校正のみならず出版社の校正(2名態勢)も受けているはずなのに、まだ修正すべき点が次々と出て来るのよね~。 誤字脱字もあったし、記載の統一(ポジティブか、ポジティヴか、とか)も一部揺れていたし、内容的な誤りも一か所あった。あと微妙なところで、福沢諭吉に触れた文章の中で、福沢のことを「明治維新の立役者」なんて書いてしまっていたところがあったり。「文明開化の立役者」に直しておきましたけどね。 見直せば見直すほど修正点が出て来るもので、もう一度、もう一度、と見直すんですけれども、なにせ380ページくらいある本なので、通しで見直すにも相当な時間がかかってしまう。どこかで無理やり終わらせないと、永遠に終わらないのよ。だから、ひょっとしたらまだ直すべきところがあったかもしれないけれども、思い切って校了ということにしました。キリがないからね。 しかし、まあこれで再校が終わったので、とりあえずワタクシの手は離れたということになります。 で、思い出すんだけれども、この本の初校が出たのが10月の頭で、その頃、母の具合が悪く、帰省して連日お見舞いに行っていたわけよ。で、夜、母が入院している個室で、眠っている母の脇で、初校を直していたわけ。時々、母の呼吸がしばらく止まったりして、つながっている機械が危険を察知してピーピー鳴って、看護師さんたちが飛んできたりして。そんな中で初校に朱を入れていた。 たかだか2か月前のことなんだけれども、そんな日々のことが遠いことのように思える。その時はまだ、母も生きていたわけだから。 そうやって校正作業をした本が、近い将来、世に出る。そう考えると、多少なりとも感慨があります。 自分が書いた本は、どれも皆、思い入れがあるものだけれども、今回の本は、そんな母との思い出込みのものだから、世に出たらそれなりに評価してもらいたいものですなあ。 さて、しかし、そうノンビリもしていられない。もう既に、3月末に出る予定の新書本の初校が手元に届いておりますので、そちらの校正も始めなければ。しかも、それプラス、卒論指導もしなくてはいけない。この時期、先生稼業もなかなか忙しいねえ。 まあ、これが「師走」ってことなのかな。
December 1, 2024
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