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昨日に、「マホメット&シャルルマーニュ」の英訳本が飾り棚に並んでいるのを見て、面白く思い買ったら、後で本屋の主人に睨まれたと書いた。
実は、その本屋には、当時、店に似つかわしくないほどの妙齢の美人店員がいて、本よりもその人の姿を、学生ながらも見たいと思って、ちょいちょい覗いたものだった。
女店員は知らなかったが、店の主人(かなりの上品なおばあちゃんであった)の方は「まさかこのような本を買う人はいまいし、依頼した大先生に見えるように飾り棚に置いてあげよう。」と、タカをくくっていたらしい。
お金がなさそうな学生が、かなり高い本をさっさと買っていったものだから、後で慌てて女店員を怒り、大先生には、「その本は直ぐに再注文したから」と、謝ったようなのだ。
当時でも日本橋の「丸善」まで行ったところで直ぐに買える代物ではないようだった。
学生の私がそのような高価な本を次々と買えたのは、親父が、「自分は、師範(学校)の時に本を買うのに苦労したから、お前には手紙さえ寄越せば本代くらい送金してやろう。」と、言ってくれており、「本代」としてかなりの無駄遣いをしていたからに外ならない。
件の女主人から、本の前で「立ちんぼ」をしていると、「はたき」で足元を良くハタかれたことを覚えている。
たしか、大学通りの「銀杏書房」という本屋であったと思うが、いまは見あたらない。
また、「本屋」から「世界遺産で紹介されている修道院の図書館(スイス、オーストリアなど)」を想起するが、ゲルマン民族の大移動で人々が本を読めない、文字を書けない(文盲の)混乱状態がヨーロッパでしばらく続いたようである。
言語や宗教、生活様式がまるで違う民族が共生せざるを得ない「カオス・暗黒時代」がながく続いたものの、立派に文化的芸術的に再生(ルネッサンス)できたのは、「隔離された大修道院の大図書館」が混乱期にも生き残り、庶民への布教活動の中で、「文化・芸術再生のエネルギー」を育んだのではあるまいか。
小生でも、本を読んでいるときは「大学の図書館」が一番理解し易い雰囲気を与えてくれた。
学生の頃にたくさんの洋書を買ったものだが、中身を読んでいないものもたくさんあった。
勤めだして、結婚して、所帯をもつようになると、社宅住まいで部屋が狭くなり、「蔵書」は、「紙の虫」以外に、「空間占有」で問題化した。
家内からは、「一年も読まない本は、二度と読まないでしょう」と、「断・捨・離」を説諭される。
「この使えない数坪はもしお金に換えたらいくらすると思うの?」と言われれば、返す言葉に詰まってしまう。
たしかに、狭くなった自宅では、ご主人様のスペースは家族のためのスペースに譲らないといけないし、図書館に行けば本はあるのだから。
このような経過から、いまでは、和書、洋書はほとんど無くなったので、図書館か、手っ取り早くはWEBに依存せざるを得ない。
10年前は、WEBにはなにもなかったが、いまは、良識のある人々が懸命にWEBの充実に加わっており、参考となる情報、まったく利用価値のないものも、ふんだんにある。
ただ、玄人(史実を知る人)、素人(史実を知りたい人);性格の正しい人(史実に基づく情報を伝えることの好きな人)、性格の正しくない人(わざと誤った情報を流して楽しむ人);いろいろだから、取捨選択する本人の才量・感度を高める意外に方法はない。
「大修道院の大図書館」のような役割をWEBが果たすにはまだまだ時間がかかるだろう。
おっと、著作権も関係する。ここにも経済的で複雑な問題がありそうである。
WEBを参考にしたと言えば、COPY PAPER と教授達には言われるだろうが、見当をつけられるくらいのDATAはWEBには備わりつつあるので、今後もWEBの厄介になるつもりである。
とくに小生の呆け頭には、WEBは「有効!」よりも「技あり!」の判定だ。
著作権問題があるので「一本!」とはいかない。
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