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小生は脳幹梗塞を経験した。
一時は過去のことを思い出すのに時間が掛かった。
全く新しい経験ばかりが現れる生活では
新鮮なのだが疲れてしまう。
★
現在、我々は暦のように、
1日、1週間、1ケ月、1ケ年と時を刻み、
季節が1年毎に巡る、
ほぼ規則的な生活を送っていられる。
比較的平穏な生活として、
変化を感じながらも送れるのだろう。
★
呆けが感じるのは、
現在の地球の宇宙軌道が
暦となって現れていることである。
如何に宗教が否定しても
この地球の宇宙軌道は何十億年もの間だに
同一であったとは誰が証明できるのだろうか。
1つの大陸が5大陸になったり、
地上の生物が消えたり、
いろんな事が起こっているのに
同じ軌道で居られるはずはないと
呆け頭は感じるのである。
巨大隕石の仕業は生物の誕生、死滅、再生でもあるかも・・・
現代人はグレゴリオ暦(太陽暦)により
時を刻んでいるが、地球軌道(自転公転)における太陽との
関係で有効な暦であろう。
マヤ暦、ユリウス暦、グレゴリオ暦と変遷してきた。
マヤ長期暦での5200年=2012.12.20が
暦の終了=人類滅亡の到来時点と騒がれた。
幸いにして、地球は巨大隕石衝突もなく無事に
この日を通過できている。
★
地球や他の惑星にぶつかる隕石数の凄まじさや、
大きさがまちまちであること、
隕石の来る方向があらゆる角度であることから、
地球の宇宙軌道も喧嘩ゴマのようにあちこちに
シフトした可能性だってあるかも知れない。
★
現代に残る遺跡の秘密はかなり解明されているが、
今の地球の宇宙軌道でない時代の遺跡がこの世に
残っているかも知れない。
呆けの小生には、マチュピチュ遺跡や、ナスカ地上絵などに
宇宙との繋がりが残されているかも知れないと想像する。
★
宗教という信心だけで、つまりは、
この世の安定を祈りで守ろうとする気持ちは
人間にとって必要かも知れない。
しかし、心が精神的な宗教に逃れても、
実体的な隕石襲来は待ってはくれない。
呆けの小生は、よく車に乗るが、
動力のガソリンは何なのだろう。
ガソリンは原油から抽出されるが、
原油は化石燃料である。
地球の隕石衝突などで死滅した動植物が
化石燃料となっているのである。
石炭なども隕石衝突や大陸(=プレート)移動で
圧縮された痕跡を 示しているのだろう。
鉱物資源なども隕石がもたらしたものが多いらしい。
隕石衝突は地球の生物には怖いものではあるが、
素晴らしい鉱物、エネルギーなどをもたらしてくれている。
生物体の原型そのものが、
隕石によりもたらされたものであろう。
★
だから人類は、
「アポロ計画」や「はやぶさ」、「はやぶさ2」などの
他の惑星へのロケット飛行、
隕石への着地実験などに胸躍らせるのであろう。
★
困ったことが起こっている。
「イスラム国」が
解明されていない遺跡群も破壊しつつあるようだ。
解明されている遺跡といっても、
未解明のものを含んでいるかもしれない。
イスラム教( 教主ムハンマド 570年頃~632年 )、
キリスト教( 教主キリスト BC4年頃~AD28年頃 )よりも
古い時代の遺跡こそ、
現代地球の宇宙軌道でない軌道を解明する
鍵が潜んでいるかも知れない。
それほどに大事な地球の古代痕跡を抹殺するのは
勿体ない話ではなかろうか。
★
呆けの小生には、
人類にとって、地球誕生の真実と、
その変遷の真実を確認し、
隕石衝突を回避し、
新たな天体への移住計画を構築することが
必須であると思う。
この試みを射程から外すような
「イスラム国」の蛮行には
ユネスコでなくても憤りを感じる。
★
「イスラム国」が破壊したイラクの遺跡・文化遺産
遺跡・文化遺産 |
成立時期・内容 |
破壊時期 |
備考 |
---|---|---|---|
みどりの教会 |
北部ティクリートにある 7世紀建造 のキリスト教の教会。東方典礼アッシリア教会が管理、サダム・フセイン政権が修復した「みどりの教会」。 |
2014.9 |
此処に先立ち、7月には旧約聖書の預言者ヨナの墓(イスラム・キリスト・ユダヤ教共の聖地)が破壊され、ティクリート中心部のイスラム教聖地「アル・アルバイン」モスクも狙われた。 |
ニムルド遺跡 |
古代アッシリア王国の重要な古代遺跡で、カルフと呼ばれた都市(=旧約聖書ではカラフ)にあり古代遺跡は狩人の英雄・強力な王の名を冠してニムルド遺跡という。都は BC13世紀からBC 710年 まで存続し、BC612年に新バビロニアやメディア王国に陥落した。絶頂期はBC9世紀のアッシュールナツィルバル2世の代で、都には数万人が暮らした。 |
2015.3 |
人頭有翼獣の石像、攻城兵器などの浮き彫り、黒色オベリスク、翼を持つ日輪の浮き彫りなどが有名 |
ハトラ遺跡 |
BC3世紀ころ、セレウコス朝の支配下にあったカスピ海東部平原にアルケサス朝パルチア王国が勃興し、その騎馬遊牧民族は BC2世紀 ころにメソポタミアに進出し、セレウコス朝の大部分の領土を支配下に置いてミトラダテス1世は大王と称した。ミトラダテス2世の統治時(BC123-BC88)に最盛期を迎え、その死後は内紛に乗じたローマ帝国侵攻との戦いが100年以上も続き、和議で小康状態を保つ。サーサーン朝ペルシャにより陥落される。 |
2015.3 |
パルティアの建造物は、オリエント様式とギリシャ・ローマ様式の融合。後のサーサーン朝ペルシャに受け継がれている。 |
ホルサバード (コルサバード)遺跡 |
BC8世紀 に新アッシリア王国の最盛期を築いたサルゴン2世が造営した首都の遺構。厚さが25mの城壁に7つの城門がある巨大遺跡で、メソポタミア文明の宗教観を象徴する「人頭有翼獣像」が多く出土したことで知られる。 |
2015.3 |
またまた、呆け老人の戯言であり、
ご放念願いたい。
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