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責任感があって、律儀で誠実。心は善に寄り添い、ポリシーを持って、表柔らかくとも内心に凛としたものを感じる。外見や学歴地位肩書、年齢性別、出処にかかわらず、信頼できる人というのは、そんなところで判断されます。又、心は強い自己利と保身に向かうことなく半分の他利を考えられる。感情は世の恐怖へも悠々と及ばせることができる。競争の学問より、大切なのは情操部分。情操は、他人の心の傷みを解り善悪の判断をつけ、世に必要とされる人間を創造することになるのです。苦楽を知り、経験による懐具合を持ち合わせ、此の世には、善と悪、歓びと悲しみが存在することを解りながら、尚、心は勇気をもって希望へと導かせることができる。世がどの様に変化し流れていこうと、人生の王道は不変なのです。ランキング参加中です。清き一票をポチッと宜しくお願いいたします。2011.3.11(金)14:46
2012年07月31日
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久し振りの土曜休日。自宅でのんびり過ごしています。今朝の一枚はカランコエのクイーンローズという品種。これも1000円しない。花は、なんてこうも、けなげに気持ちを潤してくれるのでしょう。音楽も花も、価値があるな・・人間も人的価値ある存在となりましょう。ランキング参加中です。清き一票をポチッと宜しくお願いいたします。2011.3.11(金)14:46
2012年07月28日
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梅雨明けて今日は早速猛暑。炎天下でパチリ。くっきりした夏風景はいいです。ランキング参加中です。清き一票をポチッと宜しくお願いいたします。2011.3.11(金)14:46
2012年07月25日
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善も悪も、心に内包しているのが人間だ。その人間が、生き物の頂点としての善を謳えば、それは驕りを孕むことになり、性悪説に立てば、それは解決の限界を見ることになるだろう。およそ、生き物にも心は存在する。産み落とした子には、餌を運び、育てながら、そこには本能的な親子と家族の間における愛情というものが存在する。それら下等動物とは違い、広く知能と思考を持つ人間が、生き物以上に愛情が深いかといえば、そうとも限らない。より高度な知能と思考を持つがゆえに、その感情は、人間に、一層深い愛とともに、悲しみや悩みをもたらすのだ。しかし、それこそが、人間が此の世に生きる上に課せられた、崇高で深遠なる修行の場であるのだろう。それにしても厄介なのは、この人間の思考というものだ。知恵も思考も、心が牽引している内はよいけれど、追い追い人間としての過信と、足るを知らない過ぎた欲望が暴走を始めることになる。動物達に、独りよがりの育児放棄やいじめ等ほとんど存在しないだろう。植物を含めた地上の生物は、最低限の我を生き、シンプルな共生は、必要以上に他への侵害をすることはない。人間社会において甚だ大変なのは、動物とは違う、知能と思考の多様性が及ぼす人間ならではの感情の部分だろう。人それぞれに考えが違い、価値観が違う。欲望の在り方も異なり、やがて社会とい枠の中で、力関係や軋轢を生み、生きる上で思い悩んだりもすることになるのだ。どの様な状況下においても、心豊かに善なる良心に従って生きる人もいれば、いつしか悪側に入ったり、はたまたグレーの波間を漂うを心地良いと考える人間もいる。知能は、前に進化発展し続けることによって人間としての生を満足させる。ある意味、それは当然であり、人間であり続ける限り良しとされるものではあるが、如何に進化した物や機械があろうと、それを司るのはあくまで心なのだ。その心において、進化発展してきた物と裏腹に、心はどこまで進化したのだろうか。いかに動物より発達した知能を持つとして、心は掴める程の脳の中を限りなくスパイラルしているように思えるのだ。此の世における人間社会が複雑なのは、例えば善と悪、若しくは対極するものを大雑把にスパッと分けたとして、分けられたその断面を見れば、またいくつもの断層に分けられているのだ。この重なる層こそが、人間の多様性に他ならない。この階層を上下しながら、波長に引き合い、対極に反応しながら、葛藤と成長を促されているのが人間。改めて此の世における生物に目を向けてみよう。草木や花は、律儀に誠実に我の生を生き、生き物は子へ家族に、本能的な愛情をやりながら、精一杯の一日を生きている。全ては足るを知った中に共生しているのだ。それらを考えれば、欲望、憎しみ、愛情、慈しみ・・人間は実に壮大なる修行の場を与えられたものだ。例えば、様々な研修会。テーマは同じその研修の場に、入れ替わり立ち替わりで研修生が入ってくるのと同じ様なものだろう。永遠に終わらないような葛藤の中のジレンマは、削ぎ落とすことによってこそ、真実を手に入れることができるだろう。・・・ランキング参加中です。清き一票をポチッと宜しくお願いいたします。2011.3.11(金)14:46
2012年07月24日
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小倉祇園太鼓の音が鳴り響く土曜日。友と懇親。大いに語り、愉しい夜を過ごしました。もうすぐ梅雨明け、本格的な夏の到来です。ランキング参加中です。清き一票をポチッと宜しくお願いいたします。2011.3.11(金)14:46
2012年07月23日
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小学生の頃、いじめられていた子をかばおうとしてボコボコにされたことがあります。弱いものいじめには我慢がなりません。大人になって、勤めた会社で、権力に擦り寄り保身ばかりの金魚の糞みたいのがいて、皆うんざりしていた。ある日、朝礼が終わった直後、大勢の前でそいつに噛み付いて・・またある時、部長の息子が同じ職場にいて、好き勝手していた。自分の立場を考えれば、逆に身内ほど、周りと同じは勿論のこと、親は厳しさをもって接しなければならない。で、余りに酷い、やりたい放題は目に余り、気が短かった私は、ある時、親の前でその子をぶん殴ったことがありました。若気の至りとはいえ、これは只の暴力。大反省している。また、ある時ある会社で、経営者の方針に、社内は不満だらけで皆ぶつぶつ言っていた。会社がある時期困難に陥った時、私は、私の給料を先に皆に回し、長い間、遅配を自ら申し出たことがあります。しかし、ぶつぶつ言いながらも、同僚も皆同じ類だった。私は、同僚に部下に言った。「なんだかんだ言っても、ちゃんと給料をもらい、あれこれよくもしてもらってるではないか」「そんなに、文句言うなら、あんた達が経営者になってみろ」「毎月末、責任をもって社員に給料の用意ができるのか?」って。同僚や部下にも社員としての義務と責任を言い、私は、経営方針、社員に扱い方に問題があると社長にも進言した。会社の体制をしっかりつくる為には、一年であろうと二年であろうと、給料の遅配など構わない。妻には悪いが。ある日、思い切り社長とバトルした時。周りは、見てみぬ振りだった。あれほど文句言っていた連中が、内心「よく代弁してくれた」と思いながら、誰も我が身可愛さで、知らぬ振りだ。誰か一人でも、一緒に会社をよくしていこうという者がいたなら、私はその会社を辞めなかっただろう。結局私は、辞めた。そんなことが数々あり、七度の転職、八度目にやむなく独立したのだ。つくづく組織は合わないと思った。此の世に、ずるさ、見てみぬ振り、無責任な中立、当たり障りなく、お代官様、いじめ、強い自己利的保身・・良心をもって考えれば疑問に思う事は数々存在する。しかし、その波に呑まれてはいけない。自分の良心判断は自分の手の中にもっていなければならない。で、おじさんは思うのです。これまで数々、いじめ問題はありました。教師も、校長も、教育委員会も、はたまた父兄にも多々責任はある。しかし、多くを見てきながら、同級生が当人をかばったという話もでてこない。同級生も、上級生も下級生も皆、傍観者ではなかったのか?善なる良心がなぜ結集できない。これでは、大人になっても、また傍観者と保身の輪にいることになるのだ。我が身可愛さだけの、個人主義。貴方達もまた今の大人になってしまうのだ。不甲斐ない大人ばかりとしても、貴方達までが遠巻きにしていたらいけない。皆で、「いじめられている友達をなんとかしよう」という気持ちになったら、おじさんは嬉しいな。大人も子供も我が良心に問おう。ランキング参加中です。清き一票をポチッと宜しくお願いいたします。2011.3.11(金)14:46
2012年07月22日
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今日、広がる青空に浮かぶ白い雲を眺め山野に立つ私の頬を、草木をそよがせ風が撫でていったとして、遠く離れた同じ地球上でありながら、戦地に住む人等が、心のゆとりをもって同じ感情に浸ることができるでしょうか。紛争や貧困の中に生きる人々は、寝ても覚めても、終わらぬ不安に翻弄され続けています。生まれた端から希望のないその世界があることを、平和な世界に生きる我々の感情が、どこまで想像を及ばすことができるのでしょう。人々は、有り余るものに、手に入れる感動を忘れ、足るを知らない心は際限のない自己利へと向かい、勘違いの個人主義は、平等を謳いながら排他性を持った無関心へと流れて行っているかのようです。希望を持てない社会だからと言って、何を誰に求めようとしているのか。どんなに不満足としても、夜が明け陽が沈むまで、戦々恐々として生死を左右する一日を送ることもありません。しかし、貧困や紛争地に生きなければならない人達は、その日一日、生き延びることに神経を費やしているのです。生死の狭間は、悩むことさえ与えてくれません。束の間の安堵をもたらすのは、青空でもなく、頬を撫でてそよぐ風でもなく、暗い闇における一時かもしれないのです。彼等は、希望と絶望を境として、今日一日を絶望の淵に精一杯しがみつき生きています。対して我々は、その境目より堕ちることのない場所に脚を下ろしながら、希望の一歩を自ら踏み出すことなく絶望だとのたもうている。例えば、いじめる者も、あらゆる場面において他人事の無責任者も、その想像力に欠ける心を、世界中にある、緊張の場に一度晒してみたらよい。目先の受験勉強の手を休め、鳥瞰的に思考を巡らせてみればいい。はたまた、修学旅行にシリアでもどうだろう。自分なりの不変なる価値観を持って生きている私は、自由と平和の有難さを心より感じながら、今日一日を生きています。しかし、ほぼ毎日のように、意識せずとも世界のあらゆる場面が想像にチラチラと頭の中をよぎっていきます。私は、只の偽善者かもしれません。小心者の私は、戦争、殺戮、虐殺、貧困・・優に想像が及びその恐怖感情を抱くことができます。けれども、いかなる頭脳明晰、長けた才より、其処に想像が及ぶ小心者で良かったと思っています。その感情があれば、拳の加減も飛び降りる怖さも、容易に解ろうというもの。いくら勉強ができようと、心が育たなくてどうして世の役に立つ人間となれるでしょう。恵まれ過ぎ、甘えの構造が蔓延する日本 という国・・ランキング参加中です。清き一票をポチッと宜しくお願いいたします。2011.3.11(金)14:46
2012年07月21日
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日本は実に平和な国です。巡る四季の様に穏やかで、全てを奪われるような困難にも、再び手を取り合い笑顔で立ち上がる辛抱と忍耐の心。他国に比べても稀有な国民性は、誇りとともに、此の国に生まれて良かったと改めて思わせます。本来そうであるはず。殺伐となりゆくような現代社会をやや憂いながらも、テレビ画面に映し出される、悲しみの中でも決して折れることのない人々の顔に、一縷の希望を保つことができるのです。しかし、一旦世界に目を向けると、人間はなんと愚かで傲慢で冷酷なのだろうとも思うのです。その歴史において、悠久の時を経ながら、どれ程進歩したというのでしょうか。地球上に誕生して間もない頃、石で火を熾し、日の出に目覚め、その日を生きるだけの狩をし、家族の笑い声で過ごす一日を日没と共に終える。実に平和な空間は、やがて物に事に、欲する域を越えて延々と終わらない争いの歴史が刻まれてきたのです。人間は本来良心を持ち、根っからの悪人はいない。ごもっともであるが、その考えは、此の地球上に存在する全ての頂点に立つとする側からの驕りに他ならないと思うのです。人の心には、善も悪も存在する。完璧な善人はいない。あのキリストや釈迦であってもそうであり、だからこそ悩みの中に真実を見つけようと苦悶と葛藤をしたのです。しかしながら、悪側に立っては何も始まらない。やはりそこは、性善説に立ってこそ、この世においての、人間に与えられた、壮大なる探求の場となるのです。此の国にいては遠くの事として感ずる事もない殺戮、虐殺、そして時代錯誤的慣習等々。人間は、いかにこうも冷酷であり得るのか・・ランキング参加中です。清き一票をポチッと宜しくお願いいたします。2011.3.11(金)14:46
2012年07月20日
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人生において幸運をもたらし、社会において職場において必要とされる人間とは、誠実なる今一歩の努力ができる人でしょうか。知恵も生き様も、雑巾のもう一絞りの如く。その積み重ねの差は、やがて大きく人生路を分けて行くでしょう。如何なる時にも、安易に逃げず小手先に頼らない、明るく前を向いた勇気の一歩を踏み出だす誠実なる姿勢は、本人の価値を生み、人や事象に相応しき良縁を創るのです。ランキング参加中です。清き一票をポチッと宜しくお願いいたします。2011.3.11(金)14:46
2012年07月18日
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時々相談にのってさしあげているお客様が、朝一番に花を持参で来社されました。有難うございます。今日も良い縁が回っています。有り難いかな、ほぼ100%がご紹介による私の仕事です。あっちを見ても、こっちを見ても、責任者不在の世の中です。私は、高校生の時、昼時間や放課後、ゆすりたかりの連中に捕まっていたことがありました。タバコ代、よこせだのなんだの。ボスの周りには必ず金魚の糞のような連中が。いつにおいても、社会においても、見て見ぬ振りの輩も多い。言いなりにならなかった私に、彼らは執拗でしたね。今、彼らに会ったら、もちろんぼこぼこにしてやりますよ。(^.^)ついでに訊いてやりましょう。「おい!どんな人生だったんだ?社会に、職場に、周りに支持され、責任ある仕事してきたのか?」取り巻いていた連中には「会社でも、上に保身で、下には無責任なだけのいい上司じゃなかったのか?」「社費はしこたま使っても自腹をきって部下に奢ったことないだろう」「いつまでたっても自己利ばかりだったのか?」って。(^^♪しかし、私の頃は、気合が入っていた先生も多かった。生徒を殴っていたりもして、しかしそれは決して暴力のようなものでもなかった。保護者がしゃしゃり出るようなこともなく、不甲斐ない教師も校長もいなかったように思います。拳骨の一発や二発いいではないか。大切なのは、そこに愛情が介在しているかどうかのこと。何かが勘違いの、歯車が狂った世の中になってきています。政治世界にも、拳骨の一発や二発欲しいところです。ランキング参加中です。清き一票をポチッと宜しくお願いいたします。2011.3.11(金)14:46
2012年07月16日
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私の仕事は、ほぼ100%がご紹介によるもの。嬉しい限りです。これといって、飛び切りの才や能力等を持たない私が、数々の良縁に恵まれて生かされてきました。唯一持つとすれば、人生における大切なものを解っていること。そして人が判ること。付き合うには、明るく前向きな人と付き合いましょう。全てにマイナス思考、後ろ向き、否定的、愚痴っぽい、じめっとしている・・この様な、覇気なく、後ろ向きなオーラに包まれた人と交わっていると、こちらの運まで削がれてしまいます。周りを見れば、互いに慰めあい、傷の舐め合い的に、同じような人が集まっています。良質な「気」に包まれた人は、如何なる時にも、自ら人生を好転させていくオーラに包まれています。此のような人達と交われば、雪だるま式に、益々幸運が丸く円を描いていきます。何事も、誰の所為でもなく、全ては自らの為せること。ランキング参加中です。清き一票をポチッと宜しくお願いいたします。2011.3.11(金)14:46
2012年07月15日
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昨夜はJazz好きな仲間とライブハウスへ。私は初めての、アルトサックス登根陽子さん。パワフルで最高の夜でした。なんと彼女は妊娠八ヶ月とか。これを最後に出産準備に入り暫くお休み。その夜に会えてラッキーでした。しかし、身重の身体で・・お腹の赤ちゃん、どんな感じでいるのでしょう。誕生、そしてその子の成長が楽しみだな・・。ランキング参加中です。清き一票をポチッと宜しくお願いいたします。2011.3.11(金)14:46
2012年07月14日
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昨日は、博多夏の風物詩、追い山笠を見物しながらのビール会に参加。よびりんさんの社長室を提供していただいて、素晴らしき仲間と、昼から夜までワイワイ愉しく過ごしてきました。室内は、友の笑い声と良い気が充満して最高の日でした。ランキング参加中です。清き一票をポチッと宜しくお願いいたします。2011.3.11(金)14:46
2012年07月13日
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随分以前より、あらゆる場面における責任者の答弁がなんとも心許無い。先ずは心がない。無機質、能面の様で、伝わるものが何もない。まるで他人事とも思える抑揚のない言葉の羅列は、世における、殺伐として自己利に傾いた心の蔓延を感じさせて、未来への希望さへ喪失させるようだ。改めて言うまでもなく、学歴や肩書き等とは比例せずに精神の崇高さというものは所在する。波紋を描くことのできない思考は、およそ、自己保身に終始して、事の大事さや、自己をさて置いての責任ある行動には及ばない。情操なくして目先の競争の勉学は、決して、志を持った人間が育つことなく、希望ある未来を生むことはないだろう。困らない程の金を持った政治家や権力者の心が、今日を精一杯生きる民の心情を推し量ることなど到底できない。真の人を育てよ。ランキング参加中です。清き一票をポチッと宜しくお願いいたします。2011.3.11(金)14:46
2012年07月12日
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連日忙しくさせてもらっています。今日も生憎の天気ですが、朝からいろいろ良い人達と触れ合いながら、心は晴々状態。いよいよ明日は、博多追い山笠を見物しながらのビール会に参加。平日ですが、休暇をとって、仲間と昼間からワイワイ楽しく過ごしてきます。やはり私は、明るい青空の下が好きですね。写真は、撮る人の心象風景が反映されるようです。ランキング参加中です。清き一票をポチッと宜しくお願いいたします。2011.3.11(金)14:46
2012年07月11日
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昨日、三十年来の付き合いとなる方からこう言われました。「貴方は、会う度に柔和になられている」「昔は、いかにもかっちりとしたサラリーマン風だった」「そうですか、確かに、昔は、撮る写真はどれも、きっ!と前を直視した姿が多いですね」「何かに、負けずに立ち向かうんだ。といった気負いを持ったような・・」「他の人にもよく言われるのですよ」『若い時の写真より今の方がずっと素敵です』と。「そう思わせるとするなら、おそらくそれは、数々の経験によるものではないでしょうか」避けるばかりの人生では何も始まらない。困難にもめげず、陰日なたなく歩む道に、経験という糧の花は咲くのだ。昔と変わらぬ、故郷の清潔なる風景はいい。この風土が私を育ててくれた。ランキング参加中です。清き一票をポチッと宜しくお願いいたします。2011.3.11(金)14:46
2012年07月09日
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久し振りに晴れ間が広がった日曜日。急遽思い立ち故郷へ。真っ先に、門下生達により建立された松陰先生の墓前に手を合わす。そしていつも通り、直ぐ傍の誕生地にて、遠望市街を眺めながら弁当を。この日は少し贅沢して、HottoMottoのステーキ弁当。落ち着く風景、落ち着く場所。小高い山を真っ直ぐ下れば、松下村塾発祥の地である玉木文之進旧宅が。此処で、ボランティアガイドさんと話しながらしばし寛ぐ。松陰神社とは違って、此の場所を知る人や訪れる人は少ない。しかし、先日、NHKが取材に来たのだとか。NHKBS「歴史館」で八月にその模様が放送されるとのこと。女性ボランティアガイドさんに写真を撮ってもらった。「シャッターが下りません」「おかしいですね・・」iPadで撮るのに不慣れなガイドさんに何度も教えながら、ようやく撮れた。ガイドさん、サンキューです。寝そべってピースする私に、「幼少の松陰先生が学ばれ、あの乃木希典さんが寄宿されたこの部屋で、そうしておられるお宅様は、まるで怠け者の門下生の様でございます」(^.^)「しかし、見れば徳のあるお顔をされています」←決して私が言ったのではありません。(*^_^*)いや~良い気分の休日だ・・故郷風景は、清潔で実にいい。ランキング参加中です。清き一票をポチッと宜しくお願いいたします。2011.3.11(金)14:46
2012年07月09日
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小社における取引の七割が旧客と紹介客によるもの。これまで社員にも恵まれて来た。これもこちらから特段募集するでもなく、紹介や、ある日突然、向こうから「雇って欲しいと」やって来た。妻とも巡り会わせによって縁を得た。妻は、逃げようとしたが、この時ばかりは、私が懇願して止めた。私は一切覚えていない。此の世において、天は、私の周りに数々のサポーターをちりばめてくれた。歩む沿道にも応援者がいた。未熟さ満々なれど、唯一無二の、この私の性質に生まれた有難き人生。そして人の縁。私はその分、何かしら世に人に、受けた恩を還元する役目を担っているのだろう。久し振りに青空が広がっている。ああ・・どうしようかな。今から松陰先生に会いに行こうかな。ランキング参加中です。清き一票をポチッと宜しくお願いいたします。2011.3.11(金)14:46
2012年07月08日
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営業に向いているかいないのか。一般的には、社交的であるとか喋り上手で積極的であるとか、逆に、内気で消極的で他人との交わりが苦手、弁も立たない、等々で判断されます。しかしそれは、およそ他人の評価によるものではなく、自己判断されたものであるようです。営業というものは、積極性や、他人との交わりにも臆することのない性格が優位に立つことも確かにあるでしょう。しかしながら、それとは逆の人間が、全く営業に向いていないということもないのです。強引な押し売り的、あるいは売切り的な営業職はともかく、真の営業というものは、個々に断片的に完結するものでもないからです。真の商売というものは、連続性をもって成り立っている。正々堂々と看板を掲げて行う商売であるなら、会社も個人もリピターというものを抜きにして語ることはできません。積極的営業的センスに加え、人柄としての好さがあるにこしたことはないでしょうが、例えそうでなくても、繊細さがあれば、対峙する相手の、今現在の気持ちを慮り推し量ることもできるでしょう。それはそれで美徳として、その人なりの営業はできるものです。うさぎと亀ではないけれど、周りとは違った自分なりの丁寧さと手間隙を惜しまない誠実さ。本当の出来る営業というのは、ダントツの売り上げを上げる人間より、リピーターの多い営業とよくいいます。正にその通りで、いかに紹介が多いいかは、十分な信頼判断となります。目立たなくとも、コツコツ努力も誠意も積み上げることのできる人。このような人は、その誠実さが相手に伝わり、信頼を得るものです。個々の取引に想いを乗せることができる。会社の方針になくとも、客に礼状の一枚も出す。目先のことでなく、見返りを思わず、時に無駄なようでも自分の労と時間を提供できる。出来上がったマニュアルよりも、柔軟性をもった思考と対応、そして気付き、思いやり。積極的な人材募集もしていないのに、小社に問い合わせしてくる人が時々います。経験者であったりなかったり。私が観るに、経験者であることによる採用の優位性は、ほとんど意味を持ちません。いくら有名校を出ようと一流企業に勤めていようと、はたまた、他所でどれだけ売り上げを上げるトップセールスマンであったとして、そのようなことより大切なものがあります。一過性でなく、連続性をもったその個人の誠実さ。かえって未経験者の方が、いい場合が多い。その人次第で、可能性は無限大に、発展的展開は望めるのです。以前、小社の社員が、直接の客でもない家主さんから、いつものように呼び出しを受け、何時間も帰ってこなかった。その老婦人は、目が悪く、日暮れても気がつかない。世間話に付き合いながら、帰るに帰れず、すっかり日が落ち相手の顔の判別もつかなくなっても相手をしていたのです。やがて帰ってきた女子社員から事情を聞いた私は、「でかした!」と言いました。これら数々、最も大切な部分を共有できること。採用に当たっては、どのような才能より、人物を選択するに間違いはないのです。先ずは自分自身の良さを、自分自身で認めてあげることです。他人は他人。うさぎになれなければ、徹底的に亀になればいいのです。一歩を前に踏み出す誰でもない自分という亀に。私など、ラッシュアワーにおける電車の席取り光景では、いつも後塵を拝すような人間です。回り道もしてきました。他人は絶対に、こんな割の合わないことなどしないだろう。ということも多々ありました。で、歩いてきた道程の一歩が正に踏み固めてきた一歩ですから、私にとってはどれも無駄なく記憶に留まるものばかり。大切なのは、いつの時代においても、その他大勢の中に埋没しないこと。とっておきの個の輝きを灯し続ければ、その光を必要とする誰かもまたいるに違いないのです。ランキング参加中です。清き一票をポチッと宜しくお願いいたします。2011.3.11(金)14:46
2012年07月07日
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悦びや満足感の持ち方は、人それぞれです。私の場合・・「いいな~」「嬉しいな」「いいことにまた出遭った」「ついてる!」・・こんなことをいつも言っているものですから、周りからは、何か大きな仕事をしたのではないか。儲かっていそうだな・・なんて思われたりしているようです。昔から、ノックアウト寸前、顔で笑って心で泣いて、なんてこと多々ありましたが、こんな調子ですから、周囲の目は一貫して「なんだかよさそうだね」「儲かっていそうだね」の評価。その日、スカッとした青空が広がっていれば「いいな~」店員の親切な一言と笑顔に「なんだか嬉しいな。ラッキー」心綺麗な良い人に出会ったら「いや~良い縁に巡り会えた」(^.^)いい音楽を聴いて、爽やかな自然に触れ合って「いいな、いいな」を連発。実に安上がりの満足感を得るのです。日々仕事においても、儲かる仕事、儲けさせてくれる人間と知り合った。等が意識に先行することはありません。というよりほとんど考えていない。ついでに、経営のこともほとんど考えていないかも。他愛ない私の「悦び」「嬉しさ」「平和感」。それら小さな事の出遭い(出愛)に満足し、得した気分になりながら、気がつけば、なんとなく生かされてきたということでしょうか。今日がだめでも明日に希望は途絶えない。その人の心に相応しい心の人に出会うことができる。私の確信するところです。私は、物質的財産はないけれど、そのような、輝く小さな幸せを沢山持っているのです。ランキング参加中です。清き一票をポチッと宜しくお願いいたします。2011.3.11(金)14:46
2012年07月06日
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今日は朝からフルに動きました。「いろいろあったとして一喜一憂することなどない。」「良いこともあれば嫌なこともあるのが人生」「嫌なことはさっと流すことだよ」「見てよ、私なんかどんなことがあっても、めげずにコツコツと前を向いて生きているだろ?」「雨の後には青空もまた広がる」「今日、他人と嫌なことがあっても、明日又良い人との出会いもある」「急に土砂降りになったとして驚くことはない。事象も人の縁もどんでん返しはあるもの」「想定内とすれば、少々なことにはびくともしない」「私を見てごらん。何となく目の前に次々と縁がやってくるだろ?」「これ、どうしてか、私には、よ~く解るんだ」「全ては私のせい」爆 爆「信じる我が不変の道を行っているだけ。そのエネルギーが、相応しき良縁を次々と引き込むんだ」「うまくいかなかったとすれば、それは誰のせいでもない。自分自身が呼んだものだ」「真実を観る目を持とうよ。良い人と付き合おうよ。信頼できる人・ものを判断できる心眼を持てば、結果オーライ」「他人は他人。心振り回されるべからず」「仕事も人生も、王道を行こうよ」週一のミーティング・・「今日、ちょっと忙しいんよ」「言いたいことはそれだけ」「じゃあ、出掛けてくるよ・・」で・・朝から夕方迄、芋づる式に良い人ばかりに遭遇した。いや~私の言ったこと、本当だった。爆 爆こんな日は、明らからに天に愛されているのが解るのです。心清んで、デロンギヒーターの様に、いい感じの温もりに包まれて、そですね、そんな時、観る人が見れば、きっと全身がキラキラ輝いているに違いないのです。(*^^*)ランキング参加中です。清き一票をポチッと宜しくお願いいたします。2011.3.11(金)14:46
2012年07月04日
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年賀状は毎年溜まり続け、名刺も日毎に増えていきます。私の場合、年賀状は、一年経てば全てシュレッダーにかけることにしています。名刺も二三ヶ月に一度、見直し、必要性に応じてどんどんシュレッダーにかけます。だからといって、私に何の感情もなく冷徹ということではありません。気持ちを込めてその都度整理していくということ。必要か必要でないかを瞬時に判断します。いつかまた会うかも・・必要かも・・そのような類は、積もるばかりです。そのようなものは、先ず今後も必要性はない。万一必要性が出ればその時はその時。もちろん、大切で必要と思われる人も、別の形に留めての整理です。仕事も人生も、そして人の縁も、定期的に棚卸しが必要かと。私は、人の縁にも後を振り向きません。過去は過去。去るものは負わず、来るものは拒まず。しかし、例え相手に泥を被せられるようなことがあったとして、相手に反省があれば許すスタンス。けれども縁の選択もしていく。歳重ねると、一層に、時と人の縁を無駄にしたくないと考えるようになります。誠実なる人との縁。どんどん棚卸ししていきます。誠実なる人との縁に、精一杯の誠実を返しながら・・これに尽きます。死する時、決して子供に分厚い写真アルバムを残さないように。子供は迷惑です。親の思い出等、改めて見ることはしないでしょう。遺影用外数枚あれば上等。家族全員で写った思い出写真がればCDにでも焼いておく。その他、山ほどの家財も高級家具も、処分に大変な苦労をさせることになります。身軽が一番かと。物より思い出。記憶に留まる豊かさを。ランキング参加中です。清き一票をポチッと宜しくお願いいたします。2011.3.11(金)14:46
2012年07月03日
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先日観た映画「八日目の蝉」は、心に余韻の良い作品でした。この作品で主演を務めたのが、女優永作博美さん。映画、TVによく登場されているようです。女優のなかでは、飛び切りの美人の部類に入るわけではなく、どちらかというと可愛いタイプになるのでしょう。際立つことはないけれど、何故か存在感があります。不思議と魅力を持ち、存在感がないようで存在感がある。その存在感というのは、彼女の長けた演技力に他ならず、それはおそらく、将来においても此の世界で必要とされ続けることでしょう。もちろん、それは彼女自身の、俳優との真摯な対峙と精進に因るものに違いありません。彼女の女優人生は、彼女自身によって担保されている。一時をもてはやされながら、やがて消えていくタレントや俳優というのは数知れません。主演でも脇役でも、「この人がいることによって作品を膨らませることができ、いなければ広がりをもてない」「この人によって良い作品ができた」そう周りに思わせ、必要とされる存在にならなければなりません。ひとそれぞれ個性があります。他人とは違う自分です。昨今においては、若い人に、良くも悪くも平均的な真面目さと能力を持ちながら、半面、画一的で個性の乏しさを感じることが多々あります。若さ等、やがて瞬く間に後方に流れていきます。その他大勢の中に埋没するのか、それとも、「我」の存在を構築して、時代の流れにも必要とされる人間であり続けるのか。怠惰は、やがて、ただのおじさん、ただのおばさん、ただの大人になって、愚痴ばかりの、つまらない人生を引き摺り続けることになります。自分自身を極めることに余念なくして、永作博美さんの今日はないのだと思います。彼女の此の先は、おそらく安泰でしょう。女優として個が活きた必要存在ですから。隣の芝生を青く見、他人を比較対象し続けながら、気付けば自分自身を棄て、一片の魅力を持たないその他大勢の中に居続けることになる。人生においての主役は自分自身ということをよく理解し、誰とも比較しない「我」を育て上げることです。自分の人生は、自らの意思と行動によって担保していくものです。希望の一歩踏み出すか踏み出さないか。全ては自らの手中に存在しているのです。ランキング参加中です。清き一票をポチッと宜しくお願いいたします。2011.3.11(金)14:46
2012年07月02日
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不動産を探されているお客様にいろいろ物件を紹介する際、必ず最後に「先生」が登場されることがあります。で、「土地の相が悪い」「現在地からこの方角はいけない」「今年の転居は止めてじっとしていたほうがいい」・・等々で中断する場合があります。その様な、先生がついておられるお客様については、「先ず先生にご相談ください」と丁重に申して、こちらからは積極的に動きません。売却も購入も、その様なケースがあります。で、私は、「物件もさることながら、担当するのが私で宜しいのでしょうか?」「是非、先生に一度お尋ねされてみてください」(^.^)しかし、いまだかって、「あの方に頼んだらいい」と言われて首尾よく取引できたことはあっても、一度も、私が悪いと言われた事がありません。爆迷っておられるお客様には、時々調子に乗って、「私が先生を観て上げましょう」なんて冗談まじりに言う場合もあります。^^;先生依存されている方の傾向は永遠と物件を探し求めらておられることが多々あるようです。振り返って、私の人生の転換期は、独立したのも事務所を移転したのも、気がつけば、殺界の時期でした。突発的八度の転職も、今は時期が悪いなどと考える暇などあるはずもありません。殺界だから、独立はしないでおこう。移転は止めておこう。そんなことを考えていたら、現在の私はないでしょう。機会は、自ら判断するものです。占い云々の類は、うまく活用はしても全てを委ねて流されてはいけません。先ずは自己確立し、困難にも希望を棄てることなく一歩を踏み出す勇気と、真摯な本人の姿があってはじめて、天はそっと進む道すがらに幸運の種を蒔いてくれるのです。他力本願では、いつまでたっても幸運が我に宿ることはありません。ランキング参加中です。清き一票をポチッと宜しくお願いいたします。2011.3.11(金)14:46
2012年07月01日
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