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年末年始いつもがっかりするのは、テレビでのネタが、ほとんどのお笑い系と時代劇の長時間ものとスポーツかなんかの振り返り特集である。これと言ってとりわけ見るものもないのだが、どれでもいいものも見だすと嵌るのだが飽きがすぐ来る。なんとも毎度かわり映えしないことだろうか!?多分紅白も見ないが、年始は毎度のレンタルDVDで映画を見ることとなるだろう。てなわけで、本年もつたないブログですが訪問を頂きブログ仲間に支えられブログを続けられたことにお礼を申し上げ皆さまのご多幸とご健康をお祈りし感謝の言葉といたします。来年もよろしくお願い申し上げます。
December 31, 2012
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反省は良いが後悔はしないというスタンスでいたいが後悔はいつもしてしまい、そこまでの悟りは出来ていない。話は変わるが今年は息子がついに海外駐在となり外交官として一歩を踏み出した。東京の本省勤務の時は合いに行くにも帰省するにも簡単だった。昔は考えられなかったことだが、今はスカイプという便利なものがあり連絡し合っているので顔も見られてそんなに寂しくはないと強がっている。1月下旬に一時帰国するというが楽しみである。娘も仕事で正月は帰省できないので夫婦2人の正月になる。今年の反省は、この仕事を11年やってきて日々の食には何とか不自由しなくなり、1人事務所で、子供も巣立って、年も企業なら定年まじかであるのでハングリー精神がなくなって顧問先の増加がなかったことかもしれない。まあ、減らなかったことだけ良しとしよう。社労士業も時代の需給バランスの変化とともに大きなうねりに飲み込まれようとしている。1、2号や給与計算業務は先細るだろうとマイナーなことを言うひともいるがこれは必ずしも正解とは考えない。ただ単に1、2号や給与計算業務だけで顧問契約するのであれば正解の範疇になるだろう。しかし、労使関係紛争予防の雇用管理アドバイザーを切り口にした営業等で付録が1、2号や給与計算業務であれば、顧問契約をとった場合の継続+顧問料の収入基盤になるだろう。営業スタンスをどちらを前面にして売りにするかである。あるいは、即独立弁護士との合同法律会計労務管理事務所というワンストップ事務所構想も選択肢に入るだろう(弁護士は税理士、社労士、行政書士の有資格者である。税理士事務所の税務事務処理はできるが所長以外に多くの資格のない人の事務所経営方法)。まあ、皆、時代のうねりをどう乗り越えるか考えているのだろうからヒントはこの辺にしておく。今の自分を励ます言葉として「反省はしても後悔はしないそして、いつでも今から」を心がけたい。いつもまとまりのことを書いてしまい失礼。
December 30, 2012
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もし宝くじの1等が当たったら横柄になるだろうな。1万円の顧問料でしのぎを削る世界から卒業できるだろうな。海千山千の手ごわい事業主と真っ向対決ができるだろうな。3%の配慮の欠如で責められても97%の理が言えるだろうな。世の中は顧客から金をもらってるから、客先に気に入られなければ顧問契約など継続は無理である。社労士バッチをとばした人たちは顧客に気に入られる為に無理をしたのだろう。需要のない世界でしのぎを削るのだが足元を見られてはいけない。食える社労士の理想と現実は乖離しすぎている。今、思い通りにならない難問を抱えては、夢を見ています。もし!?もし!?もし!?
December 23, 2012
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昔の話であるが大学入学してから不安神経症と強度の不眠症になり、卒業後就職するなど無理だった。就職試験でも筆記は通っても面接では1企業を除い(遅くなって内定が来た)てすべて落された。それで、恥ずかしながら親戚のはからいで上場会社のメーカーへ縁故で入れてもらった。入社してから、人間関係の狭間に悩みながら6年ほどして国・県の補助金で運営される特殊法人へ転職した。退職理由は直属ではないが関係部門であった自己中毒の万年課長と合わなかったことである。私の上司も私が退職する1ヶ月ほど前に辞めていった。今、社労士の仕事をして気づいたことだが、退職するということは、あたりまえのことだが、その人にとってもっとも大切なことの1つを失うこと(定年は別だが)であると言うことである。当時28才で結婚もしていなくて親もとにいたので食うことには不自由してなかったので退職や転職することで職にしがみつくことや戸惑いもあまりなかった。その後に新しい職場になって気づいたことだが、また振出にもどって新しい人間関係を築くことで悩まなければならないことがあり、遅れて入社するハンディもあった。いわゆる世間知らずだったのである。だから、辞めるように追い込んだ人にも応報の裁きとして一緒に辞めろと追い込んでくれば良かった後悔している。立つ鳥跡濁さずとは、職場の人間関係のゴミ掃除をして自分自身も後悔しないようにすることだったと勝手に思っている。(そうでした、今に生きることが大切なのでしたね)逃避的に転職したら、何故か前職場の万年課長よりももっとひどい性格の自分中心に世界が回っているような人が待っていた。「生きがいの創造」飯田史彦著を読んで人は思い通りにならないことを学ぶためにこの世に生を受けて思い通りにならないからこそ人生が価値があると認識はしたがそうはいっても、それだけでは受け入れられなかった。自分の中に思い通りにしようと思いがあるから悩みが生まれるのだと小林正観さんの本を読んでホッとした。思いを投げかけなければ良いと言うことである。「悟り」 とは受け入れること。受け入れるためには3秒あればよい。1秒目、過去のすべてを受け入れること。2秒目、現在のすべてを受け入れること。3秒目、未来のすべてを受け入れること。(小林正観さんの言葉より)でしたね。悩み・苦しみというのは、実はその目の前の現象を否定し、受け入れないところから生じているのだということを。今も仕事で思いを投げかけ悩んでは落ち込み受け入れることを気づいてはホッとし一喜一憂の日々です。思いつきを並べてはまとまりのないことを書いてしまいました。
December 21, 2012
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全国連の社会保険労務士の懲戒処分事案を久しぶりに覗いてみた。平成24年11月27日 京都会 1平成24年11月24日 神奈川会 1 の2事案は前見た時にはなかったので追加されていた。海千山千の事業主の罠にはまった人には同情もするが京都の方は、あまりにも次元が違うのであきれた。社労士業では食えなかったのか?不景気で厳しい世の中になった。
December 17, 2012
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何度も政治課題になりながら、いつも先送りされてきた。年金改革、公務員改革、、、、、いままではそれでも通ってきたが、もう世間は許さない。今回の選挙は世論の集大成になってもらいたい。
December 15, 2012
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昨日は社保総合調査を受けた。僅かな顧問先の割には1つ年金事務所の管轄で6社とは多かったが事前に想定された通りの指摘で終ったのでほっとした。お土産をもらったところについて、自分なりの解答を事業主へ提案したが手ごわそうである。これから3、4年に1回はあるとのことで、良い勉強になった。
December 13, 2012
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仕事の結果を出せない時に、少しでも配慮に欠けたことで当方の責任を問い無理難題を押し付ける事業主がいる。そこは客先との取引が大きければ力関係で配慮不足の3分の理でも我慢するしかない。失う利益と忍耐・ストレスをいわゆる天秤にかけるということである。開業当初はどんなお客でも顧問先になって頂ければのスタンスで無我夢中で開拓したがまがりなりに3流資格でも一生の仕事にするために一線は踏み外せない。かぞえたわけでないが開業3年までの顧問先だと、3分の1が入れ替わっているだろう。自営業という自己責任であればこそお客を選ぶことができる自由もある。
December 12, 2012
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色んなことで頭がいっぱいになって小さなことのこだわりがやがて大きくなって心を蝕まれてしまう。人にこうあって欲しいと思うから思い通りにならないことが起こる。悩んでも仕方ないことである。人は変えられないから自分が変わるしかないことでどう変わるかは、人をそのまま認めてしまうことである。気にしない→気にならない(悟り)レベルへ気持ちを転換できでば良いのであるが、、、。人間関係に悩み学ぶためにこの世に生を受けて未来は魂が描いたシナリオ通りであり、なるようにしかならないしのだから楽しく学んでいこう。前回に引き続きまとまりのない同じようなことを書いてしまった。
December 9, 2012
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住宅ローンも無くアパートで1人暮らしなら良い顧客だけのこして、あとは辞めるだろうな。もし、宝くじでも当たったら横柄になるだろうな。もし?もし?もし?しかし現実は違う。飯田史彦さん曰く思い通りにならないからこそ人生は価値があるでしたね。さらに小林正観さん(故)曰く思いを投げかけるから思い通りにならないことが起こる。なら思いを投げかけず、現象をそのままみとめれば良い。我慢する→気にしない→気にならない現象をそのままみとめ気にならなければ良い。今日の自分を励ますためにまとまりのないことを書いてしまった。
December 6, 2012
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自伝を読むと家庭が貧乏だったことが多い。貧乏だったのに親もとの国立大学は別として有名私立大学を出ている人が多いことである。2部卒は別として、それも1部卒である。貧乏家庭で高額の学費はどうしたのだろうか?奨学金か?バイトか?私など今では大分へこんでしまったが家庭が田舎では裕福な方だったので学業は大学へ行けるような成績(大学を選ばなければの話だが)ではなかったが村では数少ない大卒者となった。
December 1, 2012
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