りぃ-子’s SCRAP BOOK

りぃ-子’s SCRAP BOOK

2016.12.08
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カテゴリ: 人生ケセラセラ
素顔で突然出現するから、どういうつもりかと思ったけど、
ご本人自身がご苦労されてきたのですね。
納得しました。

どこにあるか私は良くしらないのですが、近くにも児童養護施設があるとは聞きます。
でも正直評判が・・・
批判的な話を良く聞きます。
何かを勝手に持っていってしまったとか、だまされたとか、嘘をついたとか・・・
もちろん極一部の子どもでしょう、その割合が近所の子達とそんなに変わるのかどうかがわかりません。

でも、そういう事があったなら、余計足りない思いをくんであげたいという気持ちがする・・・


「親がすべきなのに、ずるい」という声も。(多分放棄して楽してる親がずるいという意味なんだろう)
少しでも恵まれているのは、納得がいかないと感じることがあるようだ。

親が無責任だったり、死んでしまったり、育児能力に欠けるのは、その子どもの責任ではないのに。

難しい。でも、
確かに子育ては苦労があるけど、でも放棄したら得られない楽しさ、喜びもあるはずだけどね?
ずるくないから放棄しないのではなく、放棄したくないからしないだけ。

前橋市在住の会社員、河村正剛(まさたけ)さん(43)。「子供たちは虐待されるために生まれてきたんじゃない。抱きしめられるために生まれてきたんだ。涙を流すためじゃなく、周りの人を笑顔にするために生まれてきたんだ。この思いを胸に活動を続けていきたいと思います」とあいさつ

されたそう。

親が責任を果たしても、やむを得ず果たせなくとも、どの子もある程度幸せな毎日を送る権利があると思う。
親が放棄したから、最低限で我慢しろ、むしろ、ありがたく思えって考えの人が意外といるのかな。
まるで、「小公女」か「フランダースの犬」の大人たち?

でも、こっちの方がいいと思うな。「ハイジ」「あしながおじさん」「赤毛のアン」・・・親が居なくても、誰かが居て支えてくれる。


全てが満ち足りる事は、どの家庭でもありえないけど。
でも、平均に近い感じで満たされた方が、貴重な人材が心豊かに育つんじゃないかな。

少なくとも、心が栄養失調にならないように。

施設の子の悪口を耳にする度、私にほんのちょっとでも何ができないかと、以前からなんとなく気にはなっていた。
ただ、無責任にその時限りの気楽な関わりでもいいのかと不安で。

自分がちゃんと関わって、何か少しでも力になれるのかどうか・・・まず自信が無いし。

多分、そういう人多いのでは。

わずかな募金でも、少しは役に立つだろうか?


そういえば、ハリー・ポッター・・・
ハリーは親を亡くしても、親の愛に命を守られ、周りの人から親の愛を伝えられた。

トム・リドルは親の愛を知らずに育った。

同じように高い能力を持ちながら、彼らの違いはここにあったのではないかと思う。






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最終更新日  2016.12.08 23:52:33
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