りぃ-子’s SCRAP BOOK

りぃ-子’s SCRAP BOOK

2023.02.25
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カテゴリ: 暮らしというもの



一般的には18歳で線引きし、それ以下の若い子供が、家族の介護や家事を毎日の日課として当たり前に負担していることをいう。

しかし、18歳を過ぎて大学生になろうが、就職しようが、
家族が今までのままであれば、彼・彼女の生活はそのまま続いていくのだから、
20歳でも同じ負担。
又、状態が続けば30代、40代、50代と続いていく事も珍しくないそうだ。

確かに・・・
老人介護であれば、残りの年数もある程度は決まっているだろうけど、
恐ろしい事に近年平均寿命が100歳とか、120歳とかにまで伸びるとか言う話さえ聞くものね。




何より印象的だったのは、
そういう生活を続けていると、自分は我慢する習慣がついてしまうこと。

幼い頃から自然と家族の手助けをしながら、
必要に応じて対応して成長してきたので、自覚無く負担するようになっている。

他の家族が優先で、自分は我慢していることが当たり前すぎて、
我慢していることに気が付かずに生きている。

自分優先にすることが、心無い事のように感じるようだ。
大学進学など、いろいろな希望を、周りも本人も気づかぬ間に諦める場面が多くなる。
自分だけが楽しんでしまっていいのかという戸惑い。

介護が亡くなった後も、ずっと自分を優先できずに生きていく過ごし方しか知らないのだという。


TVのCMで「一人で抱え込まなくてもいいんだよ、誰かを頼っていいのだ」と声をかける場面があるが、


同じヤングケアラーの立場の子供でも、個々に感じ方は様々だそうで、
そう呼ばれてやっと自分のやってきたことが認められたと思う子供もいれば、
自分がやりたくて家族の為にできる事をしているだけなのに、そんな風に周りに言われたくないという子供もいる。

今まで子供に負担がかからない制度を作らないと、とか、
そういう具体的な負担軽減の事しか考えなかったけれど、

「家族のケアをしてきた事を、認めて欲しい」
という声が多い。


「同情」から入らず、静かに話を聞いてほしい
ひとりの時間が欲しい

大人の声がプレッシャーになる事も多いそう。
「お母さんを助けて偉いね、お母さんは本当に大変なのだから支えてあげてね」とか、つい言ってしまう人が多いらしい。

学校の先生もいろいろな人がいるから、
例えばおじいちゃんの世話をしていて遅刻した時、「言い訳するな、お母さんは何をやってるんだ」と決めつけたり、宿題をする時間が無くても、「言い訳するな」と叱ったり。

相談してみても、偏見でひどい言葉を言われることも・・・

安心できる環境を作ってほしい
勇気を出して相談したことを、褒めてほしい

自分が相談したせいで相手を悩ませることが気がかり

家庭のプライバシーを他人に言っていいものか、母や家族の気持ちを傷つけないか気になる。
又その事を言いふらされたりしないか不安

又、友達に話して妙な空気になる事も、隠すこともモヤモヤが残ることだったそうだ。

悲しい時、辛い時、気づいてほしい、
逃げ道を作ってほしい



想像だけではまるで何もわからなかったことが、少しだけでも分かった事が、今回の収穫。
否定されずに話したいという気持ちを、上手くくみ上げる能力が私にあるだろうか…
と考えると自信が無くて、
それならば初めから関わらない方が良いのではないか…
みたいな気もしてしまう。


でも、まるで知らないままよりは、こうして少しでも理解したいと思う事とは
いずれ多少なりとも違いができるはずだから、
今後も機会があれば知っていきたいと思う。





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最終更新日  2023.02.25 18:56:40
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