全3件 (3件中 1-3件目)
1
前々回は、リスクを敢えてとる生き方を選択しなければならないときがあるのではないか、ということを書きました。今森田健(もりけん)さんのブログでは、このリスクという言葉さえぶっ飛んでしまうような「賭博」的生き方が宮本武蔵の話しに沿って展開されています。彼は自分のHPで「人類はすべからず賭博師だ」と言っています。いきなり賭博師と聞いて驚く方も多いと思いますが、賭博的生き方というのは、ギャンブル漬けの無謀な人生という意味では勿論ありません。彼が賭博と言う言葉を使っている背景には、彼の著書や、彼のHPを追いかけていかないと説明できない部分があるので割愛しますが、人類はすべからず賭博師という意味は、人の人生というものはどう転ぶかわからない、つまり先がまったく読めないで、得体の知れない何かに自分を委ねていかなければいけない、という意味で、人生は賭博(賭け)と言っているのです。ただし、人類はすべて賭博師だ、だから人はすべて賭博師として生きている、ということではありません。もともとは賭博的な生き方を選ばされている私たちではありますが、その賭博に乗るか乗らないかは、その人次第でもあります。先はまったくわからない、だから今までの自分の体験や人からの教えで安全とされるところだけを選択していく、という生き方を取る人もいます。何だかわからないけれど、何か面白そうなことがある、と感じたらそれに乗っていく、という人もいます。また、自分なりに信条を持って、その信条に沿った生き方だけを選択する人もいます。要するに、本質は賭博的とはいえ、その舵取りによっては、安全な生き方もできるわけで、実際ほとんどの人がそういった生き方をしています。しかし、そうやって社会が良しと認めてきた生き方、あるいは自分が納得してきたはずの生き方が、突然そうではなくなるという可能性もあります。自分が拠り所としてきたものが突然崩れてしまったり、人に裏切られたり・・という予想外の出来事に翻弄されるときもあります。そんなとき、本当に自分にとってこれだ、といえる生き方は何なのでしょうか。自分の人生の中で賭博師が要求されるというのは、多分そういった局面かもしれません。
June 18, 2006
コメント(1)
生きる・・ときには突き上げる感情や思いに忠実に、リスクもいとわないで進む、そんなイメージを持って前回は「生きる」ことを表現しました。そこには、人のためでもない、社会や世の中を良くするためでもない、でも何かが突き上げてくるそれにしたがう、という構図があります。その突き上げてくるものとは何なのでしょうか。私にとってそれは熱き思い、とか熱情という種類のものとは違います。まして、理想とか夢といったものでもありません。それは・・何というか、「知りたい」という気持ちです。この先自分の行く手に何があるのか、ただひたすらそれを知りたいのです。私はスポーツ観戦とか推理小説はあまり好きではありません。どうしてか、というと、答えがわからないものをひたすら見るとか、読み進むのが辛いのです。さっさと結論を知りたい、という気持ちが強すぎるので、スポーツでいえば、好きなチームが勝ったあとの総集編を見るほうがいいのです(爆)。推理小説も、面倒くさくなると最後を読んでしまいます。あのダビンチコードは友人に借りて約一晩で3冊を読破してしまいました。先を知りたい一心で(爆)。とにかく先を知りたい、そして知ったらどうするって、そのときはそのときで、またその先が知りたくなります。これはまるで子供のようではありますが、私にとって何かを始めるということは、先を知りたくて始めるのです。知りたくて先へ先へ・・でもそれは空を飛ぶというか、浮遊していることが大事なような気がします。どこかでどしっと落ち着いてしまったり、ここだ、と定位置を決め込んでしまうと、今度はそこに居心地のよさを追求しようとしていろいろな欲が出てしまい、現実とのギャップに悩まされることになります。知ろうと積極的になることは大事です。しかし、知ろうとして突然視界が開けたとき、まるで夢のような世界が開けたとき、そこに長居するのは危険です。浦島太郎は龍宮城に長居をしすぎて戻れなくなりました。きりのいいところで戻ることも大事です。
June 13, 2006
コメント(2)
リスクという言葉は最近よく使われています。リスク・マネジメントと言う言葉も経営の分野では定着しています。リスクは勿論少ないに越したことはありません。しかし、ある程度のリスクが伴うところには、ビジネスチャンスや利益が一定のレベルを超えて存在することも事実です。このリスクということを、自分の人生で考えてみたいと思います。まったくリスクのない人生を送ること、これは言ってみれば安全第一、冒険のない人生です。人生のリスクとは、自分の健康や財政状態が何らかの形で損害を受けること、自分の周りの環境が今よりも悪い状態になってしまう事になると思います。誰だって、今の生活のレベルが落ちたり、自分自身の健康や精神状態が危機に瀕してしまうような状態を望みません。しかし、そういったことをあえて無視して、やってみたい、と思うことが、訪れるときがもしあったら・・・それは素敵な事だと思います。リスクをとる、といっても必ずしも自分の生活すべてが崩壊したり、立ち直れないほどの打撃を受けるというところまでは通常は無いと思います。ただ、少しだけ周りの人が、「あの人ってこんな人だったのね・・」という、世間体とか常識を超えてしまった結果になったりする程度のことはあると思います。人によっては、人から見た自分の評価をとても気にする人がいます。そういう人にとっては、常識や倫理に外れたことを行うことは、大変なリスクになるでしょう。しかし・・しょせん人は一人で生まれて一人で死んでいきます。周りの人たちは勿論大事ですが、周りの人ばかりを気にして、自分が自分らしく生きていけるのでしょうか。時には、突き上げてくる感情や思い、やりたいこと、そういったことにぶつかっていくことも大事なのではないか、と思います。リスクを取ることを真剣に選択するような状況にきたら、それを避けて一体なんぼの人生なんだろう・・とふと考えました。
June 6, 2006
コメント(0)
全3件 (3件中 1-3件目)
1