全25件 (25件中 1-25件目)
1
母校のグリークラブ創部80周年演奏会が箕面のホールで催された。以前からコーラスとは縁のない自分だが、クラスメイトN君が東京から参加するというので、久しぶりに逢おうと駆けつけた。 開演前に昼食を共にする。すっかり白髪になった彼、歌っていると元気でおられると皺の増えた顔で語る。 立ち見がでるほどの盛況、男性40数人がステージに立つ。平均年齢60前後とは思えぬ音量とハーモニーもあり、迫力はドルビートラック?なみですごい。日本民謡とモーツアルトのノクターンに魅せられた。都合で後半の黒人霊歌と「月光とピエロ」は聴かずに退出した。 なお、司会はナニワのアナウンサーこと、同窓の寺谷一紀氏であった。 ところで、来年10月には母校は別大学に統合されてしまう。同窓会やクラブのOB・OG会はもう新しい卒業生を受け入れることがなくなるし、対抗試合など現役への応援はなくなろう。文部省の圧力のままに歴史を閉じるのは、いかに個性があろうと小さな単科大学の宿命なのか。
2006年04月30日
コメント(0)
四天王寺の境内で23店が出店する青空古本市に出かけた。 4冊を掘り出した。50分で回ったから1店当り2分だが、目はしっかり獲物を追っている。 1.折々のうた(第七)大岡信 100円也 2.折々のうた(第十) 3.美酒と佳肴の歳時記―俳句はグルメのキーワード 4.村山??? 酩酊していて思えだせない 3,4は阪急電車で降りたときに座席に置き忘れたが、明日、見つかるだろうか? 特に3は酒と肴の俳句が沢山編纂されている。800円で手に入れた15年以上前の刊行物。絶対出たきてほしい。 なお、四天王寺の「極楽浄土の庭」に入り、心安らいだ。さらに、夜は元社員氏と梅田の天狗と立ち飲み屋で、4時間におよぶ久しぶりの痛飲。その後の帰宅時、慌てて電車から飛び降りての忘れ本だ。極楽(順境)と地獄(逆境)は紙一重。
2006年04月29日
コメント(0)
最近、知的財産権の問題、重要性が何かと取り上げられる。昨夜、久しぶりに1,000円の受講料を自払いして参加したセミナーが「商標の活用方法」で、大阪市の産業創造館が主催、講師は弁理士の方だ。以下、要点をいくつかメモしておこう。 ★あくまでも同じ商品分野(たとえば化粧品という分野)で類似の商標は認められないのが基本である。類似性とはも見た目(外観)・読み方(称呼)・一般的な印象(観念)が似ていること。★周知著名な「ソニー」や「パナソニック」は別の商品分野の商標にも使えない。「ホリエモン」という商標もこの周知性によって、別人から申請された件はすべて却下されたそうだ。★「おいしい牛乳」など普通の言葉の組み合わせは商標とは認められない。ただし、「明治おいしい牛乳」は認定されている。★社名、屋号など商号は法務省に届ければ使用権利が護られるが、他者がその商号を商標として特許庁に登録していると、自分の商品には使えなくなる。★「ドコモ」という商標の類似商標として認められないのは「ドクモ」「スーパードコモ」「どこも」のようなもの。★ある地方で昔から使っていた商標が、いざ他の都市に進出しようと思ったら、後発の別の業者がその商標を登録して使っていた。このようなことが起こるので、将来の見通しの中で、登録しておくことも大事。 さて、ハンドリングネームやペンネームというと何か便宜的、事務的な感じがするが、雅号は字の通り文筆家・画家・学者などが、本名以外につける風雅な名である。 この雅号は商品や役務(サービス)につける商標とは異なる次元のものであり、どこにも登録して所有権を持つことが出来ないのだ。 当然、ブログで同じハンドリングネームだからといって、侵害を訴ええることが出来ないので、不満な方もおられる。また、昔、いや現代でもときどき著名な文人の雅号を勝手に名乗って、あちこちで供応を受ける者まで現れる始末。 庵、亭、房、館、屋、楼など住処を表す単語を付したものが風雅というので、昔はよく見かけられたが、余輩の雅号もそれにあやかっている。自分がよほど有名にならない限り、この雅号は誰かに使われても文句が言えないのでちょっと不安だ。 ええい、それなら先を見越して「菓子」とか「茶飲料」「和風食品」の商標として余輩の「淀風庵」を登録しておこうか。 ―ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。淀みにうかぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたる例(ためし)なし。世の中にある、人と栖(すみか)と、またかくのごとし。―『方丈記』 ああ、最後は自己PRになってしもうた。
2006年04月28日
コメント(0)
ある友の花街学の勧めもあって、単身で島原の旧花街に足を踏み入れた。 大門と旧置屋と旧揚屋の1軒ずつが残っているだけだが、幕末には西郷、龍馬、桂、久坂など尊王の志士や新撰組の隊士が宴会をあげた揚屋の角屋(すみや)は重要文化財として江戸時代の華やかな名残りを留めている。 この角屋は蕪村、宗祇なども出入りし、島原俳壇の拠点でもあり文人墨客も集って句首を詠み、茶席を設け、そして酒の宴会を楽しんだ高級料亭、英語で言えばエレガンス・レストランであったのだ。 その際に置屋から太夫や芸妓を招いたりして俳句や歌舞音曲を楽しむわけだが、決して吉原のように男が遊ぶ遊郭ではない。夫婦も宴会に参加できるほど開放的で、牢屋のような格子もなく、したがって逃げたさから放火がたびたびあった吉原とは異なる。 たまたま予約なしで2階の部屋に揚がらせてもらえたが、当時の建築・工芸の粋を集めて各部屋とも天井、欄間、襖などのデザインに変化をもたせて造作されているのは、たとえ燭台、行灯の油煙で煤けているとしても、見ものだ。 島原の角屋の塵はなつかしや 元禄の塵 享保の塵(吉井勇) 蕪村の「紅白梅図屏風」は枯れた感じが出ており惹きつけられるが、一方で新撰組隊士による刀の切り傷が柱に残っていたりの生々しさもある。 庭には遅咲きの関山や普賢象の桜がたわわに大輪を咲かせていた。一晩遊ぶと現在にして20万円ほど費やしたというが、一瞬ではあれ、大尽の気分を味わえた。 この後、歩いて壬生寺に向かい、2時間ほど壬生大念仏狂言を見る。セリフがない無言劇で有名だが、勧善懲悪、因果応報という面から念仏の教えを庶民に広めた宗教劇といえるものだ。 今回で3度目だが、「土蜘蛛」という蜘蛛の糸を投げるので見ものの演目を初めて見ることが出来た。前の観客席にいたので、蜘蛛男が投げた厄除けになる糸と、財布に入れておくとお金がたまる糸の芯(鉛玉)の部分も掴み取ることができたのは幸いだ。 ゴールデンウイークに好いことがある予感が…。
2006年04月27日
コメント(0)
藤本義一氏の『掌の酒』を古本で買って読んでいる。酒がらみの“エッセイ風私小説風短編小説”といえるものだ。義一っつぁんの大阪弁文体を真似て感想やらを記してみよう。 章立てからして花の章に始まり、鳥、風、月、星、雪と花鳥風月の世界で酒の風情を醸し出してまんなあ。物語はちゅうと氏が見聞した事柄を酒にからませながら創り上げたもんだす。 元々『たる』という酒誌に連載されたもんで、ほとんどの章は酒飲みながら2、3時間で書き上げはったものでおます。そやさかい物語の展開が飄逸、文体が軽妙酒脱で、読むものを飽きさせん面白味があるんや、ほんまに。 それに、「文の肴」というコラムが編み込まれてますんや。日本酒、ビール、洋酒などの銘柄について薀蓄のあるエピソードを交えながら紹介するもんで、これひょっとして協賛金をメーカーから貰ろうとるなら、算用高い編集企画でんな。コラムだけまとめたら、そら一冊の「酒銘柄読本」にもなりえまっせ。 当書で義一っつぁんは、なんで酒飲むねんと聞かれたら、空間、時間、人間(ジンカン)の三つのカンを満たすためやと、語ってはります。なるほど、上手い見方やなあ、これ一番、印象に残る言葉やおまへんやろか。 ところで、ある章では、「人肌燗」とは英語でどない言うのか、「Human skin …」かなあ、そやけど味気のう即物的やなあなんてこと書かれてた。最近、外人さんに日本酒の人気が出てるそうでもあるし、わては物好きにも「mixi翻訳」とうコミュニティに質問を投げかけてみましたんや。 親切なある方から、“Sake warmed to body temperature”と辞書に出てるでとの回答をすぐ頂きました。“Luke warm”(なまぬるい)ではどないでっかとのご意見もくれはりました。 ほんとは、酒の燗は温度差でもっていくつもに分類されてるんです。 日向燗:30度前後、人肌燗:35度前後、ぬる燗:40度前後、上燗:45度前後、熱燗:50度前後、飛切燗:55度前後。微妙でんなあ。 冷酒かて、雪冷え:5度前後、花冷え:10度前後、涼冷え:15度前後と分かれてるんや。 ま、そやけども、なんでんなあ、外国人にボディ・テンパラチュアと言うたかて、日本酒の微妙な滋味や人肌恋しさの情感が伝わるかちゅうと、ちょっとちゃうと思うな。ここは、ずばり“Hitohada-kan”という言葉を定着させるんが一番やろと思いまんな。 ということで、今夜は人肌の燗で飲もうと思ってチンした、ところがHot boild sakeになってしもたがな。ええ加減やなあ。
2006年04月25日
コメント(1)
掉尾を飾るに相応しいのが仁和寺の御室桜、花曇で散り始めたところであったが、当寺で初めて観桜できて感激。 有明という品種が中心で幹が真っ直ぐ伸びずに地面からたわわに広がるので、目近に花を一杯見られる、まさに桜の園に迷い込んだという感じ。それだけ芳香を一杯感じることが出来、このような花との一体感や充足感は他の桜の名所では味わえない。 今春は例年以上に桜を満喫できた、ありがたいことだ。先人の歌などで締めくくろう。 さまざまの事思ひ出すさくらかな(芭蕉) 浅みどり のべの霞はつつめども こぼれて匂ふ 花さくらかな(菅原道真)
2006年04月22日
コメント(0)
いよいよ遅咲きの仁和寺・御室桜も満開との情報、しかし雨空で出かけるのを見送る。風も強いので、「花に嵐」で気忙しく散ってしまうのではないかと気がかりだ。 コノサカヅキヲ受ケテクレ (勧君金屈巵) ドウゾナミナミツガシテオクレ(満酌不須辞) ハナニアラシノタトヘモアルゾ(花発多風雨) 「サヨナラ」ダケガ人生ダ (人生足別離) ~井伏鱒二訳「勧酒」より~ でも、桜花の散り方も、人生と同じようにさまざまだ。「見事散りましょ…」と男らしく散っていく形も好きだが、静かに思わせぶりに散っていく態もあり、この女性的な散り方にはいとおしく名残惜しく風情を感じる。 ひさかたの光のどけき春の日に静心なく花の散るらむ(紀友則)
2006年04月21日
コメント(0)
20度の気温で暖かい天候なので、初めて京都の岩清水八幡宮に行こうということになった。 京阪線で八幡市で下車、ケーブルで男山山上に登る。8世紀に建立された神社で、伊勢神宮に次いで天皇や上皇の参拝が多かったようだ。朝鮮に出兵した神功皇后と応神天皇が祀られている。 山桜や藪椿が幹を伸ばし、見上げるほど高くの枝に花を咲かせているのはさすが。他の高木に負けずに陽光を求めて伸び上がっているのだ。これも天命のなせる業だ。 本殿は八幡造りという奥ゆかしいもので、大きなクスノキが境内や参道に見られた。 展望台からは淀川に合流する桂川、宇治川、木津川が望めるが、比叡山や嵐山の方は黄砂のせいで見えない。帰りは裏参道の急階段で下山した。 二つ京よりの中書島駅で降りるとそこは酒の伏見である。20蔵がこの界隈に分散している。駅から近い黄桜の記念館に立ち寄ると、庭園には黄桜という品種の桜が満開であった。黄桜の広告でお馴染みのカッパの漫画にちなみ併設されているカッパ資料館を見学する。 宇治川派流の濠川沿いには柳が青やいでおり、立ち並ぶ月桂冠の蔵並みが一層情緒を増していた。 写真:黄桜酒造の庭に咲く黄桜
2006年04月18日
コメント(0)
近くの地酒店で買った新潟魚沼の純米地酒「緑川」もちびちびと今夜で飲み干した。1晩1合の割りとは少々慎まし過ぎる。 さて、最近、予防医学、代替医療、生活習慣病、健康日本21運動、アンチエイジング、健康長寿、食育、サプリメント…これら健康キーワードをよく見聞きする。医者だけに頼らずに自ら生活習慣を改め、良い健康法を取り入れることが大切なのだ。 これに関連して、最近、正しい健康や栄養、サプリメントについて指導ができるアドバイザーの育成を厚労省が推奨、支援している。 ちょっと調べただけで、健康管理士、栄養情報担当者、食品保健指導士、生活習慣病予防士サプリメントアドバイザー、サプリメント指導士、サプリメント管理士などがある。通信講座 もあるので、これらの資格取得者が増えてきている。 この中の「生活習慣病予防士」の教育を主宰する団体の会長が、「健康法は朝の気功に夜の酒、そして旬を食す」と語っているチラシを拝見した。 なるほど、この大地から自然のエネルギーを頂戴するという生活のリズムや大らかさが良いのだ。もちろん養生訓だから、深酌、飽食、夜更かしはできるだけ慎むべし。
2006年04月18日
コメント(0)
久しぶりに陽光が射してきて、そうだ嵐山に行こうと思い立ったのが3時。 阪急嵐山駅に着いたとたんに雨が降り始めた。コンビニで折り畳み傘を購入。風雨が激しくなり、花も激しく吹雪くなか、蜘蛛の子を散らすように人々は走り出した。この際と、早々に喫茶店で休む。 雨がほぼ上がったが、流れが激しくなる保津川を眺め、散った桜花を踏みしめながら小倉山麓の天竜寺周りと塔頭・宝厳院の庭を観て帰る。若いペアや台湾人が名残り花との撮影に余念がなかった。 あぁ、今春も嵐山に来れて、未練を残さずにすむ。 嵐山 一天にわかに 花吹雪 にわか雨 傘淡紅の 花模様 名残り花 そうはやすやす 散らぬげな 花嵐 花じゅうたんに 花の傘
2006年04月16日
コメント(0)
淀風庵は名ばかり、物置のような部屋にてパソコンに向かい合っている。窓際には洗濯物やバッグ類がぶら下がり、本棚や衣類のハンガー、そして畳には布団が敷いてある。 「明窓浄机」(めいそうじょうき)という言葉があるようだ。明るい窓と清潔な机。転じて、学問をするのに適した明るく清らかな書斎(大辞泉より)、とは縁遠い。 しかし、サンルームに広々とした机という明るく綺麗さっぱりした環境は、慣れないから逆に落ち着かなくなり、不便なことだろう。 ときどき家内の整理人が勝手に手入れすることがあるが、メモがどこかに消えていたり、出さねばならぬクラス会の返信葉書が本の中に混じりこんでいることがあって、困る次第。
2006年04月15日
コメント(2)
今日はあるご僧侶から有り難くも「悟りを得るための 五つの力」を教えていただいた。 信仰上の悟りを得るために釈迦が説いた教えであり、 深い意味は解らない。しかし、この五つの努めは我々の 仕事、生活において功徳というか現世利益を得るために 欠かせない心行であるように思える。 なにかと心穏やかならざることの多い余輩、座右の言葉 として、毎日、暗誦、黙念してみることに する。 明らかな智慧が湧き出んことを願う。 悟りを得るための五つの力 信じること。 努めること。 思慮深い心を保つこと。 心を統一すること。 明らかな智慧を持つこと。 『仏教聖典』より
2006年04月14日
コメント(1)
花曇りのなか、大阪造幣局の桜の通り抜けに出かけた。全長560mの桜並木に363本123品種が勢揃いで、桜のファッションショーか展覧会のようなものだ。 毎年100万人ほどが観桜に訪れる。バスツアーで遠方からの団体客や外人客も増えているようだ。平日午後で曇り空なので人出はさほどではなく、ゆっくり鑑賞できた。 全体的には5分咲きということで、今週末が豪華絢爛のピークとなろう。なお、今年の桜は主催者によって「大手毬」が選ばれていた。 まぁ人生も、この通り抜けのようなものではなかろうか。誰しも多かれ少なかれ、また大輪であれ小花であれ、また八重であれ枝垂れであれ、それぞれ舞台で花を咲かせて、通り過ぎていく。早咲きの桜もあれば、遅桜もある。風雨によって短い命を散らす桜もありだ。 さらに、楊貴妃のように豊満な生を授かる花もあり、笹部桜のように伸びやかに育つものもあるし、緋桜のような派手な顕示タイプもある。千里香や万里香のように馥郁とした色香ただようのもあるといった具合に、人の容姿や性格にあてはめると、桜いろいろ、人生いろいろといったところで、花の鑑賞も面白くなろう。 楊貴妃に逢えて老いらく花の道(拙句) 命あるかぎり参らん花アーチ
2006年04月13日
コメント(1)
赤穂藩・浅野内匠頭は35歳の春に(元禄14年3月14日、現在の4月下旬)切腹したが、その辞世の句はよく知られている。 風さそふ 花よりも猶 我はまた 春の名残を いかにとかせん 時代が下るが、倒幕に立ち上がった主要な長州藩志士はいずれも和歌を嗜んだ。なかでも、高杉晋作は「西へ行く 人を慕うて 東行く 我が心をば 神や知るらん」と詠っているように、西行を慕って雅号を東行と称したほどである。 そして、志士を奮い立たせた観念は、武士(もののふ)や丈夫(ますらお)は潔く花と散ることを厭わぬものであり、いたずらに生き長らえることを恥じるというものであった。実際に大義のために若くして花と散った志士が多い。 なお一方、新撰組の近藤勇や土方歳三も歌を詠んでいるが、どうみても未熟である。長州藩・高杉晋作(享年29) いまさらに 何をかいはむ 遅桜 故郷の風に 散るぞうれしき 散り行きし 花に色香は おとれとも 同し心の 散る桜花長州藩・久坂玄瑞(享年25) はかなくも 浮世の人のあだ桜 いづくの野辺に ちらんものかは 香を千世に 留めぬるとも 武士の あだなる花の 跡ぞ悲しき 桜花 手折りかざゝむ 武士の 鎧のうへに いろ香をみせて長州藩・木戸孝允(桂小五郎、享年44) 世の中は 桜も月も なみだかな長州藩・品川弥二郎(享年68) 雪と消え 花と散りても 後の世に 残るは人の 誠なりけり長州藩・吉田松陰(享年29、酒は弱かった) 吾頬は 桜色にぞなりにけり 春来にけると 人や見る覧(らん)土佐藩・坂本龍馬(享年31) 咲いた 桜になぜ 駒つなぐ 駒が勇めば 花が散る
2006年04月12日
コメント(0)
句会や吟行に参加したことはないが、数年前、○樹という俳句サークルの師範の方に添削 してもらった経験がある。なるほど俳句はこう作るのかと、句作の原点を教えていただいた。これがなかったら、今以上に自己満足に過ぎない句作、いや苦作に陥っていたに違いない。 ただ、添削される先生は、多くの弟子の生活や価値観をよく知るわけでないので、弟子の拙句を見て先生自身の体験を動員してどう感じ取られるのか大変なことだと感じた。 初心者だと短文で伝えきるには、語彙が不足し、適格な表現力、作法において未熟だからなおさらなんだが。 状況を誤解されて添削されると、自分の句ではなくなってしまう違和感も時々あった。例えば、田舎駅が旅岬に直されると、句は素晴らしく情緒が醸されるが、先生の創作になってしまう。 それと、一般的でない古風な語を駆使すれば深みのある句になり、特にレベルの高い方にはその感覚が共有でき、また技巧が評価される、しかし、素人には伝わらない。 逆に、分かりやすい言葉によると平板でありきたりの表現になりやすく専門家には評価されない。勉強不足を棚に上げて、この両方の兼ね合いが難しいなあと感じている次第。 もう一点は、流派によって表現の掟が違うこと。 「時間をまたがない」「直接、感情表現をしない」「二句一章」「旧かな遣い」「擬人化しない」 「新しいカタカナ語」などである。 だけど結局、思いが湧き出たときに句を詠み楽しむ、原則を外れることがあっても、自分らしさが醸しだされる、これが原点だと独断している。
2006年04月11日
コメント(0)
今日は雨風も強く、女人は散りゆく桜へ哀しみを感じると話すが、余輩とて物の哀れというか、哀惜の情がそこはかとなく湧いてしまう。 つい先ごろまでは、 「青丹よし奈良の都は咲く花の薫ふがごとく今盛りなり」(万葉集・小野老)「いにしへの奈良の都の八重桜けふ九重ににほひぬるかな」(小倉百人一首・伊勢大輔)であったのが、この頃は、 「明日ありと思う心のあだ桜夜半に嵐の吹かぬものかは」(親鸞)であり、 「はなさそふ嵐の庭の雪ならでふりゆくものはわが身なりけり」(小倉百人一首・入道前太政大臣) 「花の色はうつりにけりないたづらにわが身世にふるながめせしまに」(小倉百人一首・小野小町) といった儚い風情である。 さて、桜の歌といえば、西行法師を忘れてはならない。 西行は平清盛と同年齢で、出自は武門の誉れ高き家系で北面の武士である。23歳で突然出家し京都周辺で草庵生活を営む。30歳の頃には同属の秀衡の本拠、陸奥(みちのく)へと行脚する。帰京後に高野山や大峰山で修行、そして京に住む。51歳で四国に巡礼の旅をした後、伊勢二見浦に草庵を構えるが、69歳時に再び陸奥へと旅立ち、河内国弘川寺で73歳(1190年)の生涯を閉じた。 西行の全歌に現れる歌枕は33国にわたり、まさに漂白の歌人といわれる所以である。そして、後の時代の宗祇、芭蕉、良寛、一茶、井月、放哉、山頭火、若山牧水、吉井勇などへと漂白詩人の系譜は連なるのである。 ところで西行の生涯における詠作は「山家集」などにみる3,129首であるが、そのうち桜にちなんだ和歌は約270首である。この時代から花といえば一般に桜をさすようになったというが、西行ほど花にかけての思いはが強い歌人は少ないであろう。 以下は西行が詠んだ桜の歌のいくつかだが、上三首は桜の精気に癒される喜びを詠いながら、中三首では散りゆく花への哀惜の念は痛ましいほどであり、それは儚い無常の人生を桜の命になぞらえる仏教的思念の反映でもあり、近しい人との決別、そして恋しい人の老残の哀しみを想い起させるものがある。 下三首となると、満開の桜とともに往生したいという辞世の歌ともいえるものである。「願はくは花のしたにて春死なむ…」のごとく2月16日(現在新暦では3月の終わりから4月上旬)に73歳で西行は往生することになる。が西行が死して後もこの桜の儚さや潔さへの哀悼の歌は後々の日本人の桜への観念に影響を与え続けることになるのだ。 たぐひなき 思ひいではの 桜かな 薄紅の 花の匂ひは(31歳陸奥で) 木のもとに すみけるあとを 見つるかな 那智の高嶺の 花を尋ねて 吉野山 こずゑの花を 見し日より 心は身にも 添はずなりき ながむとて 花にもいたく 馴れぬれば 散る別れこそ 悲しかりけれ 吉野山 やがて出でじと 思ふ身を 花散りなばと 人や待つらむ 春風の 花を散らすと 見る夢は 覚めても胸の 騒ぐなりけり 願はくは 花のしたにて 春死なむ そのきさらぎの 望月のころ 仏には 桜の花を たてまつれ わが後の世を 人とぶらはば
2006年04月11日
コメント(0)
渡辺淳一の書『キッスキッスキッス』ではないが、昨日の牝馬による阪神桜花賞においてキストゥヘヴンが優勝、アドマイヤキッスが2着となり、キス&キッスのワンツーショットで決まった。 おかげで、桜シーズンの一環として参加した余輩のヒラメキが当り、天からほんの少し配当という恵みを授かった。 かつての万馬券師としては 「目出度さも中位なりおらが春」といったところだが。 それにしても、「天国へのキッス」とは、そんな小説でもあったのかと検索したら松田聖子の歌に同名のものがあったことが判った。深い意味でもあるのだろうか。
2006年04月10日
コメント(1)
講演会の後、5時前に天満橋から大川沿いに桜並木を満喫。対岸の桜ノ宮公園のほうにも渡ったが、この時間帯騒がしい酒宴がなく、落ち着いた気分で散策できた。 建築家・安藤忠雄さんらの呼びかけで『桜の会 平成の通り抜け』プロジェクトが出来ているが、昨年植樹したまだか細い桜を目にすることが出来た。1本1本にプレートが掛けてあり、1口1万円の寄贈者の名前や社名が30名(社)ほど刻まれていた。夫婦と思わしき連名が多かった。 なお、スーパードライを鯛ちくわ(計313円)を肴に飲んだだけで、約1時間半の花見は終わった。アンチエージング講演会の後だけに極めて健康的なひと時であった。
2006年04月09日
コメント(2)
オールコーポレーション主催の「予防医学&アンチエージング」(抗加齢)の講演会が堂島ビルで開かれた。講師は沖縄糸満市で介護老人施設を併営する医療法人の理事長でアンチエージング専門医・平良茂先生。 パワーポイントを使ってとんとん拍子に有益な話が繰り出されるので眠る間もない。老化は生活習慣で防げるものという。いつまでも若々しく美しく健康長寿でありたいのは誰もの願いだから、要点をメモしておこう。●アンチエージングのライフスタイル 7時間睡眠、プラス志向、禁煙、食べ過ぎない(猿の実験で証明済み)、にこにこぺースの運動(笑って話せる状態)、水を飲む(解毒)、抗酸化の野菜・果物を摂る●食育のABC A:アクセル(良い食事でプラスへ) B:ブレーキ(タバコ、水道水などを控える) C:コミュニケーション(健康に役立つ知識を得る)●生活習慣でブレーキすべきこと(活性酸素を発生させない) 肥満、過食、喫煙、大酒、ストレス、運動不足、有害金属(水道水など)、無感動、無趣味、無恋愛 ●14大栄養素 蛋白質、脂肪、糖質、ビタミン、ミネラル、食物繊維、抗酸化物、水、空気、雰囲気、アミノ酸、SOD酵素、大豆たんぱく、糖鎖栄養素●アンチエージング心構え 1.野菜・果物・魚 2.発芽玄米 3.タバコを吸わない(副流煙も) 4.良い水 5.EPAや抗酸化サプリメント 6.サプリメントドクターと知り合う 7.サプリメント関係の資格を取る 8.大豆たんぱく質 9.SOD酵素 活性酸素が老化を促進するので発生させる生活習慣を正し、SOD酵素や大豆たんぱく、野菜などの抗酸化物質を摂取することが大切ということになる。
2006年04月09日
コメント(0)
昨日は新入三人を誘っての7時過ぎからの夜宴であったが、今宵は5時からの桜下独酌となった。 場所は西宮・夙川沿いで、阪急夙川駅で降りて2kmはあろうかという長い桜堤を北に向かって歩き、苦楽園口駅から電車で夙川駅に戻るというコースとなった。 当地の桜については、桜守として知られる笹部信太郎博士が管理指導を行なった結果、約1,600本の染井吉野が両岸に見事に咲き続けているのである。 また、この夙川の伏流水が西宮の宮水として湧きいずり、灘の酒に使われているのだから、酒飲みにはありがたい川と言わねばならない。 途中のベンチでコンビニの寿司弁当(348円)を肴に丹波の純米吟醸生酒「小鼓」300ml(549円)を飲食。昨今、デパートで3千円以上もする料亭の高級な花見弁当が売れるというから、それに比べれば質素この上ない。 しかし、大阪落語「貧乏花見」という演目においては、長屋の住民が花見にカマボコの代りに釜底のおこげ、卵焼きの代りにたくあんといった具合に家の残り物のオカズを持ち寄って、酒はなくても「茶か盛り」でドンチャン騒ぎし、「ゲンがええで、酒柱が立ったがな」など貧乏を笑い飛ばす。これに比べれば、余輩の桜下独酌は贅沢三昧だ。 暮れゆくにまかせて独酌花の下 川の辺を辿れど尽きぬ花や宴 花明かりコンビニ弁当純米酒
2006年04月08日
コメント(0)
願わくば花の下にて春死なん その如月の望月の頃 平安時代の出家法師、西行は2月15日釈迦入滅の満月の頃、桜の花の下で死にたいものだと、辞世の歌を詠んだ。 そして自らの死を予言するかのように、1190年2月16日に世を去った。 4月8日は釈迦の誕生日にあたるが、昨日は女人と平安神宮、清水寺、円山公園、祗園白川の桜を堪能し、宵には崇禅寺で仕事仲間と夜桜を楽しんだ。単細胞と思われようが、まさに待ちに待った至福のときである。 上からや下から見ても桜かな(拙句) 我が骨は桜吹雪と散らまほし(同) 写真:平安神宮神苑の枝垂れ桜
2006年04月07日
コメント(2)
同学で職場を一時同じくした大阪の友が私立大学を退官した。商社マン、広告会社でコピーライター、中小企業診断士、募集に自ら応募しての大学教授(10年)の道を歩んだ闊達なM君。 広告論、消費者行動論を教えつつ、バックパッカーとしてインド、エジプト、タクラマカン、インドネシア、長江などをバスや鉄道で精力的に駆け巡り、その都度レポートを送ってきてくれた。学生にも「可愛い子には旅させよ」と自分の足で歩きまわる旅を奨めていたようだが、リスクを冒しても「可愛い自分には旅させよ」の精神でもあったと思う。好奇心の強さと物怖じしない性格に加えて、酒は飲めないが健啖で雄弁であることがバイタルな旅を可能にしたといえる。 そうかと思えば、広末涼子の大フアンであり、そのサイトまで作っているが、さぞかし学生達からは冷やかされたことだろう。 先日、ラオスから元気に旅してる様子を伝えるメールが入っていたが、一昨日にはなんと「マンガ家宣言」なるハガキが彼から届いた。 若い頃、彼の川西の自宅を訪ねたとき、手塚治虫のマンガがずらりと棚に並んでいたのを思い出す。そして、今、定年を迎えて、子供の頃の念願であったマンガ家の道を歩もうとしているのだ。 ビンボー旅行の体験を活かして、ヒロスエの変身も登場するマンガを描くそうだから、題材にも事欠かないし、新しいジャンルを切り開くものと大いに期待している。 日野原重明氏が、引退後はそれまでの仕事に関わることを捨てて、若い頃にやれなかったことなどを始めることが、生涯青春につながると話されていたが、まさにM君はそのような方向に歩みだしたといえる。 マンガみたいな授業家から、マンガ家への転進宣言、やったね!!
2006年04月07日
コメント(0)
昼間に立ち寄った大阪ビジネスパークのツイン 21ビル。虫が知らせるというか、たしか一昨年、 このビルで古本市をやってたな~、とフロアを覗 いたらずばり開催中で今日が初日であった。 30程の棚から掘り当てたのが6冊で総額2, 500円也。 1.滋酔郎俳句館(江国滋、朝日文庫) 2.酒を愛する男の酒(矢口純、新潮文庫) 3.写真・俳人一茶(小林計一郎、角川文庫) 4.酒博士の本(布川弥太郎、地球社) 5.掌の酒(藤本義一、たる出版) 6.お酒の事典―吟醸酒を極める(成美堂出版) 3を除けば全て酒の書であり、酒をこよなく愛 し、酒にどっぽり浸かりつつ軽妙洒脱な文章を書 く作者になるものばかりだ。 江国は闘病日記『おい癌め酌みかはそうぜ秋の 酒』を書いて亡くなるが、「墓洗ふ代りに酒をそ そげかし」という句を遺しているほどであり、俳 号からして滋酔郎である。 藤本義一の書は短編集であるが、深夜に酒を飲 みながら2,3時間で原稿8枚を書いたものが半 数であると彼は語っている。そして、終章には川 島雄三監督との酒の交遊が書かれているが、監督 の死後25年経って墓碑にボトルの酒をかけたと 締めているあたり、江国の遺言句と符合するのは 奇妙かつ驚きである。 矢口純は婦人誌の編集長であったが、仕事を通 して知り合った作家などとのお酒の交遊録のよう なのが当書である。氏は酒品のよい芸術家との交 遊と謳っているが、同じ東京人の江国も酒品方正 のあることを自慢しつつ嘆いているあたり、面白 い。 まだ、各書とも読み込んでいないが、楽しみが また出来た。そして、江国の酒を詠んだ俳句がか なり収載されているので、これをまた編纂することにしよう。
2006年04月06日
コメント(0)
いよいよ大リーグも開幕。初戦で松井秀と城島がホームランを打つなど日本選手の活躍が目立ちます。 B、O型に次いで、別ブログのhiroxさんがA型、AB型両チームの選手名簿を作ってくれました。一部、勝手に入れ替えて掲出します。 A型は走力、守備力はかなりのものだが、AB型は打力がどうも。 【A型チーム】 岡田彰布監督(原辰徳コーチ) 1(中)赤星憲広 (緒方孝市) 2(遊)西岡剛 (中島裕之) 3(一)小笠原道大(木元邦之) 4(捕)城島健司 (里崎智也) 5(三)今岡誠 (立浪和義) 6(指)金城龍彦 (阿部慎之助) 7(右)SHINJO (嶋重宣) 8(左)青木宣親 (清水隆行) 9(二)荒木雅博 (種田仁) 先発:渡辺俊介 中継:五十嵐亮太 先発:杉内俊哉 中継:石井弘寿 先発:清水直行 中継:藤川球児 先発:藤井秀悟 中継:菊地原毅 先発:石川雅規 抑え:三瀬幸司 先発:ダルビッシュ 抑え:馬原孝浩 【AB型チーム】 1(中)葛城育郎 (竜太郎) 2(左)前田智徳 (志田宗大) 3(一)吉岡雄二 (浅井樹) 4(三)小久保裕紀(新井良太) 5(指)村田修一6(右)GG佐藤 (亀井義行) 7(二)森野将彦 (飯田哲也) 8(捕)中嶋聡 (藤井彰人) 9(遊)秀太 (森本学) 先発:岩隈久志 中継:真田裕貴 先発:山本昌 中継:歌藤達夫 先発:能見篤史 中継:松本輝 先発:桑田真澄 抑え:久保田智之 先発:松岡健一 抑え:岩瀬仁紀 中継:三井浩二 抑え:大塚晶則
2006年04月04日
コメント(0)
大阪はうっとうしい天気、家にいるしかない。 家人が食用にかってきた花菜が、明るく可憐に小さな花弁を開いた。瓶に氷を入れると一層活き活きしてくるようだ。 イエローは今年のラッキーカラーではないが、菜の花は4月1日の誕生花で財産を意味するらしい。エイプリルフールでなければ好いが。 菜の花がしあわせそうに黄色して(細身綾子) 菜の花を辿りて司馬の棲家あり (淀風庵)
2006年04月02日
コメント(1)
全25件 (25件中 1-25件目)
1