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最近は参政党の選挙の演説がしばき隊に妨害されたり、チャーリー・カークが暗殺されたりして、社会をよくするための建設的な議論が行われなくなって社会が非合理的な方向に向かいつつあるような気がするので、合理性について考えることにした。●合理性とは何か合理性とは道理にかなった性質、あるいはむだなく能率的に行われるような物事の性質を意味する。生物は無駄なエネルギーを節約しようとして捕食活動や生殖活動以外の時は巣穴に隠れて寝ていたりして合理的な行動が生存本能になっているし、人類が作る社会もエネルギーや労働力が無尽蔵に使えるわけではないのでどこに労力や資本を振り分けるかの合理性が必要で、合理的なものは発展するし、非合理的なものは競争に負けて衰退するものである。●文明の合理性・暴力の合理性あらゆる生物は他の物から栄養を取りこんでいるけれど、植物みたいに棲息環境が固定されていると環境が変わった時に栄養がとれなくなって成長効率が悪い。なのでヒレや足や羽を使ってあちこち移動しながら暴力的に他の生物を捕食する動物が繁栄して進化して、植物プランクトンを食べる動物プランクトンが生まれて、植物を食べる草食動物も生まれて、草食動物を食べる肉食動物も生まれた。人間も生存本能として暴力性を持っていて、敵からの攻撃に対して怒りが起きてアドレナリンが出て戦闘態勢に入るようになっている。強い動物が群れのリーダーになるように、原始時代の人間も暴力で他人を支配してきた。誰でも殺されたり傷つけられたりするのは嫌なので、自分より強い相手に脅されたら従うようになる。そして集団の構成員が増えると群れの戦闘力が上がって、他の集団よりも強くなってますます勢力を拡大できるようになる。暴力は合理的であるがゆえに、初期の文明は暴力によって敵を排除したり支配したりすることで作られてきた。しかし暴力は復讐を引き起こすし、力が衰えたときに別の勢力によって暴力で地位を奪われるので、短期的な支配の手段としては合理的でも長期的な統治の手段としては合理的でなくて、暴力によってできて恐怖で支配された国は長続きしない。例えばメディアの将軍ハルパゴスは息子をアステュアゲス王に殺されて食べさせられたことを恨んで、キュロスの反乱に協力してメディアを裏切って滅亡に導いた。古代の中国では何かの王朝ができても圧政に耐えかねた民衆の蜂起で滅ぼされることを繰り返してきて、倫理観がなければ安定して統治できないということで儒教が発展した。チンギス・ハンは命令に従わない人を連帯責任で処刑することで恐怖を植え付けて命令に服従する戦闘集団を作り上げて他国を征服して巨大なモンゴル帝国を築いたけれど、統治が優れていたわけではなかったのでチンギス・ハンの死後はなんちゃらハン国に分裂して消滅している。・宗教の合理性人類が文字を発明して歴史を継承するようになると、暗殺された暴君の逸話とかが山ほどあって暴力では国家の統治が安定しないと理解するようになって、暴力に変わる仕組みを考えるようになる。そんで識字率が低くて文官が少なくて法律が未発達だった時代には宗教の戒律で価値観を統一することは統治の上で合理的だったので、宗教が発展していった。王や貴族は宗教施設に寄進して福祉を担わせることで国民の不満が直接統治者に向かないようにできるので、反乱が起きにくくなる。それゆえに古代ローマは最初は弾圧していたキリスト教の布教を認めたし、日本でも飛鳥時代に聖徳太子が中国から伝播した仏教を普及させて江戸時代には朱子学や陽明学として儒教も取り入れた。中世は金持ちの貴族しか教育を受けられなくて庶民の識字率が低かったものの、教会での説教や寺子屋などが庶民の教育を担うことで庶民の教育水準が上がる効果もあった。しかし宗教指導者が神の代理人として王よりも権力を持つのも問題で、中世のキリスト教の教皇は腐敗してモラルがなくなっていった。それにある程度文化が発展してくると宗教的価値観がボトルネックになって、聖書に基づいて地動説や進化論を否定して異端審問で優秀な学者を処刑したりしてそれ以上学問が発展しなくなって非合理的になる。宗教を持たない人や無神論者にとっては非合理そのものである。宗教と利益が結びついたときも宗教は暴力の正当化に使われて、原始的な暴力以上の残虐性を発揮して非合理的な戦争や殺戮が行われる。アメリカ人はアメリカ大陸が神によってアメリカ人に与えられたものだと解釈して先住民を虐殺して居留地に追いやって排除したし、スペイン人はキリスト教の布教と称して南米の先住民を虐殺して奴隷にしたし、ユダヤ人はエルサレムが神によってユダヤ人に与えられるものだと解釈してパレスチナ人を虐殺して土地を奪おうとしてハマスの誘拐と直接関係ない周辺の国まで攻撃している。宗教戦争は長期的な復讐の連鎖を生むし、若者の労働力が軍事力に奪われて戦争で生産施設が破壊されるので合理的でない。・民主制の合理性民主制は独裁と違って議会で議論して少数派の野党でも問題提起して多数派の政策が間違っているときに法律や政策を変えられる余地がある点は合理的と言える。法律は信教の自由がある中で宗教的価値観の影響を受けて制定されて、法の執行のためには警察や軍隊とかの制圧のための暴力が使われるので、宗教や暴力といった原始的パラダイムも憲法の下に内包してコントロールしていて、その点でも合理性がある。しかし国民の教育水準が低くて多数派がアホだと民主制が機能しなかったり、政治家が腐敗してクーデターが起きて軍隊の暴力をコントロールできなくなったりする問題があって、例えばアメリカ主導のアフガニスタンの民主化が失敗したように識字率が低くて高等教育を受けていない人たちに今日から国民が政策を自分で判断して投票しろといったところで政策の良し悪しを判断できなくて、アメリカの傀儡政権が作られて国民に支持されないままでアメリカがアフガニスタンから撤退したら民主制を維持するために戦う国民もいなくてタリバンに暴力で支配される宗教的軍事独裁国家に戻った。それに資本主義だとピケティが言うように株の配当金をもらう資本家の資本がどんどん増えていって、資本家が政治家に政治資金を提供して金持ちに有利になる法律を作る一方で賃労働をする大多数の労働者は貧困化していくので、次第に中間層が没落して大学に行けない貧困層が増えて教育水準が下がっていって議会や裁判での議論の質も落ちていく。それに宗教的価値観は議論をしたからといって変わるようなものではなくて、例えばアメリカのキリスト教福音派が中絶を殺人扱いしてレイプでの望まない妊娠に対してさえ中絶を認めないような場合は議会での議論では決着がつかなくて、宗教的価値観が異なる少数派の不満がいつまでも解消されなくなる。これは福音派とリベラルのどちらかが正しくてどちらかが間違っているという問題ではなくて、価値観が全く違うのだから違う自治体や国に住んでそれぞれ違う生き方をする以外に根本的な解決方法がない。つまりは民主制にしたら必ず合理的になるわけではなくて、教育水準や価値観の違いがボトルネックとなって非合理になって発展が阻害される。独裁国家は価値観の違いを無視して政策を実行できるので正しい政策をすれば一気に発展するし、毛沢東のスズメ駆除みたいな間違った政策をすれば一気に衰退するので、長期的に見たら民主制のほうが大失敗するリスクを少なくできるけれど、短期的に見たら民主制では新しいテクノロジーの普及やシステムの採用に関しては保守派が反対するので非合理的になりうる。だからこそ国民の教育水準を保って教養がある中間層が多数派になって国民がなるべく文化的に近い価値観を持つことが民主制を維持するうえで重要なのだけれど、ヨーロッパはこれに逆行して教育水準が低い中東やアフリカのイスラム教徒の移民を大量に受け入れて自ら民主制を崩壊させる道筋をたどっている。原理主義に近いイスラム教徒の移民が増えて多数派になれば中世の宗教的パラダイムまで文明のレベルが逆行して絵画や音楽や女性のファッションとかの文化が衰退するし、暴力や暗殺やテロによる言論弾圧を肯定する宗教原理主義者や共産主義者が多数派になれば暴力で支配する古代の原始的パラダイムまで文明のレベルが逆行して、いったん言論の自由が失われてしまうと議会制民主主義が機能しなくなって対立する人を暴力で強制的に排除するようになって暴動や私刑や内戦が起きる。先日暗殺されたチャーリー・カークは国家とはpeople、principles(原理、主義)、placeの3Pで、3つのうち1つが欠けると消え始めて、3つが欠けると存在しなくて、グローバリストはこの3つをすべて排除しようとしているのだと言っていた。リベラル派にはカークの暗殺を喜んでSNSではしゃいで特定されて職場にチクられて解雇されている人が少なからずいるけれど、カークはprove me wrong(論破してみろ)を掲げて公開討論をするのを売りにしていたので、カークの意見が間違っていると思うなら論破しまくればいいだけの話である。民主制の法治国家では信教の自由や言論の自由がある国民の代表が議会で議論して法律を制定して、国民はその法律に反したら罰せられると言うのが統治の規律になっているけれど、あいつは思想が違うから殺してもいいという考え方は魔女狩りと同じでレッテル貼りした相手に対して法律を無視した私刑と言論弾圧の肯定で、アメリカのリベラルのprinciplesはセイラム魔女裁判レベルにまで低下している。非合理的だけれど一貫した宗教的モラルがある福音派と、宗教的モラルを破壊して無秩序に導いてテロを肯定する新自由主義グローバリズムのリベラルのどっちがましかというというとモラルがあるほうがまだましなので、トランプは大統領選挙で圧勝して左翼のANTIFAをテロ組織に指定したりチャーリー・カークの追悼式に出席して「アメリカに神を取り戻す」と言ったりしてアメリカを統治するうえで必要不可欠なprinciplesを取り戻そうとしている。principlesが異なっていて法律よりもイスラム法を優先するイスラム教徒の移民が大量にくるとどうなるかはヨーロッパがすでに実証している。ロンドンでは9月14日に「Unite the Kingdom」という反移民デモが行われて、メディアは10万人以上が参加したと報道しているけれどYouTubeのコメント欄では参加者は300万人だと言われていて、デモを矮小化しようとするメディアが批判されていて、実際の人数は不明だけれどそれだけ反移民感情が高まっているのだろう。イギリスは移民が増えすぎてEUを離脱したけれどいまさら反移民デモをしたところでもはや手遅れで新生児の名前でムハンマドが一番多くなっていて、トランプみたいな強硬手段を取らないといずれイスラム教徒が自治を求めて独立運動が起きてアイルランドみたいに紛争の火種になるだろうし、既にロンドンの人口の35%が移民なのでこのまま移民が増えれば50年後や100年後には独立してロンドスタン共和国になっているかもしれない。移民を入れたがるグローバリストと原理主義に近いイスラム教徒の移民というコンボが西側の民主制法治国家の崩壊の端緒となる。●経済の合理性資本主義が出現して以来、経済力が軍事力につながるので世界各国が経済的合理性を追求するようになって富国強兵して植民地や労働者とかから搾取して、利益を最大化するために人権や健康とかの他の重要な部分が犠牲になってきた。労働力目当てで発展途上国から大量の移民を入れるのもそうで、企業が儲かる代わりに規律や道徳とかが犠牲になっている。人間は経済的合理性のために生きているわけではなくて幸福になるために生きているし、アーミッシュみたいに伝統的な非効率なやり方で生きる自由もあるけれど、国としてはある程度の経済合理性がないと自国の産業やインフラや福祉を維持することが不可能になってQOLが低下して国民が幸福でなくなるので、どこで線引きするかが重要になる。経済は暴力性も内包していて、動物が自然界で弱肉強食で弱い生物を捕食して直接エネルギーの授受をしているのに対して、企業は貨幣の授受をして競合する弱い企業を淘汰してシェアを奪ったりして合理的に成長していく。淘汰された企業の従業員は失業して収入を失って犯罪をしたりすると治安維持のためのコストがかかって社会全体としては非合理的になるので、政府は単に市場原理に任せて企業のやりたい放題にするのでなくて最低賃金や失業保険や生活保護とかの社会保障もセットにして労働者を保護する必要があって、外貨を稼げる企業を育てる一方で失業者を再就職させて福祉に依存させないようにして企業の淘汰と労働力の供給の循環をさせる必要もある。発展途上国が発展しないのには相応の理由があって、政治家や官僚や警察や裁判官みたいに直接物を生産しない人のモラルが低くて賄賂が横行して事業の許認可に賄賂を要求してビジネスの効率が悪くなったり、国民が高等教育を受けていなくて単純労働しかできなくて生産性が上がらなかったり、インドで誘拐した子供の目を潰して乞食させたり南米で強盗殺人が多発したりするみたいに生産力を減らすやり方で金を得ようとしたり、電線や水道の金属部品とかの窃盗が多発してインフラの維持コストが高くなったりする。つまりは教育水準とモラルが経済成長のボトルネックになっているので、この逆をやって、高等教育を受けさせて、まじめにちゃんと働くと豊かになるというインセンティブを与えて労働意欲を高めて、信賞必罰で不正した人を罰してモラルを高めれば経済活動が合理的に行われて生産力が増えて経済成長していく。キリスト教ではカトリックは労働を神から与えられた罰ととらえて金貸しも禁止してユダヤ人を差別していたけれど、中世のプロテスタントは働いた対価を得るのは良いことだと解釈を変えて勤勉な労働者が生まれて、ユダヤ人に金を借りて株式企業に投資して資本効率を高めて合理的な経済活動をしたので欧米は他の国に先んじて工業化を進めて近代化して経済成長した。イスラム教の国でも世俗化して合理的になっている国は産業が育って経済成長している。例えばUAEは単にアブダビで石油が産出されるから儲かっているわけではなくて、ビジネスに有利な法律が整備されていて外国企業への優遇制度があって絶対君主制の元で契約が確実に履行されるのでドバイに非イスラム教徒の世界中の富裕層や実業家が集まってきて金融業が成長してイスラム教の国家の中でも例外的な発展を遂げている。UAEの隣のサウジアラビアは元々保守的だったものの、徐々にイスラム教を世俗化して女性が男性と同じ職場で働けるようにしたりしてオイルマネーでの投資に頼らない産業を育てて経済を成長させようとしている。世俗化したイスラム教は異教徒の信教の自由も認めていてイスラム教の価値観で相手を裁こうとしないし、サウジアラビアで偶像崇拝を禁止するどころか日本のアニメが人気なように外国との取引でもトラブルは起きにくい。イスラム教徒を労働力目的の移民として受け入れる場合は世俗化の度合いを考慮しないと失敗する。近代は宗教を否定してより合理的な科学に基づく政策をして、宗教の戒律が変えられないのと違って法治国家では状況に応じて法律を変えられるので、科学が引き起こす新しい問題も法律で規制したりして調整してきた。そうすると今度は宗教の戒律は変更できないので相対的に非合理的なものとなって否定されて廃れて無神論者が増えていく。ところが発展途上国のイスラム教徒が経典の非合理的な部分を否定するプロセスを経ずに先進国に移民してきた場合、宗教的な非合理性まで輸入することになって非効率になる。UAEみたいに外資を受け入れている国のイスラム教徒は異教徒には違う価値観があるのだと理解して宗教を相対化できるけれど、アフガニスタンやパキスタンとかの原理主義に近くて外資があまり進出しない国のイスラム教徒はイスラム教を絶対視して他のやり方を認めないので摩擦が起きて効率が悪くなる。毎日何度も礼拝するのでは工場の稼働率は落ちるし、礼拝の時間や場所の融通が利かなくて道路を占拠して礼拝を始めるのでは交通が妨げられるし、学校給食やレストランとかでハラル認証を要求されてイスラム教徒用に特別な食材管理や調理をしないといけないのでは調理の効率が悪いし、女性に教育を受けさせずに働かせないのでは高度人材も増えないし、避妊しないで子だくさんなので教育水準が低い子供だらけになって失業率も上がるし、イスラム教は豊かな人が貧しい人に喜捨する文化なのでプロ乞食として生計を立てて働こうとしない人もいて福祉の負担も増える。スペインは中世にイベリア半島をイスラム教に征服されてからレコンキスタで国土を取り返してキリスト教純化政策をしてユダヤ人を追放した歴史があるけれど、その割には保守的でなくて移民受け入れに前向きで、社会保障制度の維持や高齢化の負担の軽減のために25万人の外国人労働者が必要なので今後3年間で最大30万人の不法移民を合法化するつもりだそうな。ちゃんと働いて自立している不法移民を選別して合法化するならいいけれど、移民が働かないで福祉に依存する場合は狸の皮算用に終わってかえって社会保障制度の崩壊につながるので、シンガポールみたいに働けなくなった移民を強制帰国させることもセットでやらないと移民を労働力として合理的に運用できないだろう。そもそもビザを取らずに不法移民としてやってくる人は法律を守る意識がないので、法治国家に受け入れるのはかなりリスキーな政策である。経済合理性のためだけに移民を入れて、企業は儲かっても犯罪が多発して行政コストがかかって国民の幸福度が下がるのは非合理的である。移民を推進するグローバリストやリベラルは世界中の国を移民まみれにすることを目指さずに、どこかの島を買い取って国境も関税もない誰でも出入り自由で移住したら即選挙権がもらえる超リベラル国家を作って、そこで理想の国作りを試してみればいい。リベラルの主張通りに犯罪者の人権が尊重される国家ができたら犯罪者だらけになって大失敗すると思う。・感情の合理性弱肉強食の自然界では天敵に遭遇した時の一瞬の判断の遅れが生死を分けるので、戦うか逃げるかを瞬時に判断する感情が本能として残った。例えば暗い場所では不安を感じて身を縮めて敵に備えて、足元から蛇がにゅっと出てきたら恐怖を感じて瞬時に飛びのいたり、子供が蛇に襲われそうになったら怒りを感じて攻撃して追い払おうとしたり、苦いものを口に入れたら毒かどうかわからなくても嫌いだと判断してすぐに吐き出す。原始時代では感情で即座に判断するのが合理的だったけれど、文明が進歩して社会が複雑になってくるにつれて損得の計算とかが必要になって、感情的な判断が間違うことが多くて合理的でなくなってくる。例えば感情任せで欲しいものをカードローンで買うと一時的に楽しくても後で返済できなくなって自己破産するし、感情任せでやけ食いでストレスを発散しようとして塩分や糖分が多いものを食べすぎると後で生活習慣病になるし、感情任せで嫌いな人を誹謗中傷したり殴ったりすると一時的にすっきりしても後で刑事事件になる。感情は一時的なもので長続きしないので、進学や就職や引っ越しや投資や結婚とかは一時の感情で判断せずに長期的な計画を立ててよく考えて理性的に判断する必要がある。感情が害をもたらしうるとしても人間から感情をなくすことはできないので、仏教が感情に執着しないように説いたり、アンガーマネジメントで怒りを制御したりして、感情に振り回されないようにする後天的な思想や訓練が必要になる。政治的な判断も感情に基づくと非合理的になりうる。例えばヒトラーは大衆の理性ではなく感情に訴えかけて扇動してファシズム体制を築いたし、欧州難民危機は密航しようとして溺れたシリア人の子供がかわいそうだからという一時的な感情に流されて難民を短期間に大量に受け入れて犯罪が多発して大混乱を引き起こしている。政治家はいったん選ばれると任期が終わるまで数年間政治家で居続けるし、政策を変えるのにも法案を審議して実行するまで時間がかかるので、感情任せで政治家を選んだり政策を支持したりしてはいけない。●芸術の合理性 ヘーゲルが現実的なものはすべて合理的であるという命題を提示したけれど、逆に考えてみると、非現実的なものは何らかの理由で非合理的なので実現不可能だと言える。芸術は頭の中に着想があるだけだと芸術作品とはみなされないし空想にふけるだけでは何の生産性もないけれど、作品として現実世界に具現化できるのであれば何かしらの合理性や労力をかけて作品を作る必然性があるものと言える。どの国にも神話や民話や民謡や伝統芸能があるように、古代に生産活動と直結しない芸術的な活動をしていたのは統治者を権威付けしたり集団の結束を高めたりする合理性があったからだろう。キリスト教だと宗教画を通じて文字を読めない人にキリスト教を布教して聖歌で神を称えたりしたので絵や音楽が発展していって、芸術の価値を高めることで宗教の価値も高めて価値観の布教に利用した。仏教は仏像を崇拝の対象にすることで彫刻が発展していって価値観の布教に利用した。労働者は田植えや船漕ぎやタタラ製鉄とかで歌を歌うことでテンポを合わせて作業効率を高める合理性があった。指輪やネックレスや高級腕時計とかの宝飾品は平時は地位を誇示して周囲を従えやすくする合理性があったし、戦争が起きて避難するときに財産を持ち運びやすくする合理性があった。近代の芸術は他の作品と似ていて個性がないと価値がなくなるので、新しい芸術の創作が難しくなっている。一般的に工業製品は原料を大量に購入してコストを下げて製造工程を機械化して品質を均質化してなるべく生産効率を上げて大量生産するほうが儲かるけれど、芸術に関しては生産数が多くなるほど希少価値がなくなっていくので、合理的に効率よく生産すればよいといものではない。他の誰もやっていないことや他の人が真似できないことをやって芸術作品に付加価値をつけるには、時間をかけて超絶技巧を身に付けることに挑戦したり、採算を度外視して材料費をかけたり、偶然性に頼ったりして、非合理的になることが必要になる。芸術は役に立たないと言われることもあるけれど、芸術作品を鑑賞する人が実用性以外の感性のインスピレーションを得られるという点では社会にとって有用なものである。昆虫が遺伝子に組み込まれた本能に沿った合理的な行動しかしないのに対して、人間は意図的に非合理的な行動ができる点が人間の強みで、実用性がない芸術作品を作ることは短期的には非合理的に見えても人間の発展の可能性を模索することで長期的に見たら合理的な行動となる。例えば効率だけ重視して皆が同じ人民服を着て同じ間取りの公営住宅に住んで毎日同じ食事を配給されたら衣食住には困らなくてもそれで幸福になれるわけではなくて、芸術があるからこそデザイナーや建築家や料理人の美的感覚が育って、好みの服を着てライフスタイルに合う間取りの家に住んで記念日におしゃれな飲食店で豪奢な食事をして価値観が違う個々人の幸福を最大化できるようになる。女性のおしゃれなファッションは冬にへそを出して寒かったりヒールが高くて歩きにくかったり着け爪が長くて物を掴みにくかったりして実用面では非合理的でも、他の人と違う服装をして目立って配偶者を見つけやすくなると言う点では合理的である。街づくりだと交通の便や建設費だけ考えて合理的に画一的な街並みにすると魅力がなくなって人が来なくなるので、逆説的に短期的には非合理的でも建築家がこだわった変なデザインのビルや怪しい個人店が並ぶ小道とかのその街にしかない刺激やセレンディピティがあると長期的に見て魅力があって人が集まる合理的な街になる。文明のパラダイムはフィクションにも関連している。例えばアクション映画の主人公が敵を暴力で倒して問題解決するだけなら原始的レベルで、暴力で解決するのは良い事なのだろうかと善悪の価値観を考えて相手を説得するようになったら中世的道徳レベルに進歩して、主人公が壊した車やビルの損害賠償請求をされたり悪党の遺族に訴えられたりして弁護士を雇って法廷闘争するようになったら現代的理性レベルの物語になって、フィクションの中で個人や社会の在り方や問題解決の方法が模索されている。リオタールは「大きな物語」が失われてポストモダンになったと言ったけれど、いま世界で起きている問題は大きな物語である。プーチンがスラブ民族の独立を維持するためにNATO拡大を拒絶してウクライナに侵攻したり、イスラエルは世界中から批判されようがパレスチナを侵攻して確固たる宗教国家を作ろうとしたり、パレスチナが国家承認を求めて民族による自治を維持しようとしたり、トランプがリベラルを批判してアメリカに神を取り戻そうとしたりしている。宗教的・民族的伝統に回帰して新自由主義グローバリズムの欺瞞から救済されることが大きな物語としてポストモダンの終焉になりうるのじゃなかろうか。今は純文学は『推し、燃ゆ』や『コンビニ人間』みたいな多種多様な生きにくい個人の「小さな物語」を中心に書いているけれど、そこに社会批判が欠落していて主人公と属性が近い一部の読者には刺さっても普遍性がなくてその先の広がりがないので、個人の生きにくさの原因となっている社会にも目を向けるべきである。文学が読者の価値観や思想に影響を与えて社会を変える力を持つようになれば、合理的なものとして社会に受け入れられて発展していくだろう。●まとめ個人の権利と国家の統治は対立するもので、ある程度個人の権利が侵害されないと国家は統治できない。民主制がちゃんと機能しているうちに、社会的合理性のために個人の権利が侵害される場合にどこで折り合いをつけるのかをよく議論するべきだろう。「社会などというものはない」というサッチャーの言葉は新型コロナパンデミックで否定されて、個人主義で個々人がただ自分の権利を主張するのでなく、誰と一緒に生きてどういう社会をどういう手段で作るのかを考えるフェーズに入っている。特に移民への対処を間違うと国家を崩壊させうるので、アフリカのホームタウン問題みたいに地元の理解を得ずに一方的に政府が移民を推進するのでなくて、移民を推進するにしろ拒否するにしろ議論を尽くしたうえで決定するべきである。
2025.09.25
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最近は経済産業省の若手官僚が100ページくらいあるデジタル経済レポートを書いていて、広義のデジタル赤字は2035年までに最大45兆円に達する可能性があるそうな。あとGoogle検索も超絶劣化していて情報が探しにくくなっていて、あまり役に立たないのに他に代替になる国産検索エンジンがなくてデジタル赤字につながるのはよくない。このゆゆしき問題を放置するとさらに大きなゆゆゆゆししきき問問題題になりかねないので、これについて素人なりに考えることにした。●Google検索の超絶劣化とAIの問題「〇〇とは」みたいなビッグワードでの検索はSEOが機能しているのかそれなりに役に立つ検索結果を表示することもあるけれど、「〇〇が△△のときの□□」みたいに細部の情報を探しているときは完全一致検索(検索ワードを""で囲む)や検索除外(-をつける)をしないと関係ない結果ばかり表示するし、完全一致検索や検索除外をしても関係ない結果が紛れ込むことがある。例えば高次脳機能について調べようと思って[高次脳機能とは]というクエリで検索すると高次脳機能障害についての情報ばかり表示するし、[高次脳機能とは -障害]で検索すると今度は「高次脳機能障がい」の情報を表示して検索アルゴリズムがユーザーの検索意図を理解していなくて、["高次脳機能とは"]の完全一致検索でようやく目当ての検索結果が出てくる。広告収入を目的にしていない学術研究とかはSEOをやらないので、ますます見つけにくくなる。新しい情報も表示しなくなっていて、Fortniteのアップデートで実装された技能自販機について検索したら、検索結果のトップにGameWithの2023年の古い記事を表示して、検索結果の2番目に表示された生成AIは技能自販機はないと断言した。YouTube内を検索したら普通に技能自販機の動画が出てきたのでそれを検索結果に出せばいいだろうに、Google検索が同じGoogleのサービスであるYouTubeとさえ連動していなくて使い物にならない。ちなみにBingで完全一位検索しても技能自販機の情報が出てこなかった。サーバー上に膨大な有益な情報があったとしても検索できなければ存在しないようなものだし、特定の情報を見つけるために何度も検索ワードを変えて検索しないといけないのでは時間がかかって効率も悪い。Google検索の劣化はGoogleも認めているようで、アメリカ司法省(DOJ)との裁判でGoogleの弁護団から提出された文書に「事実として、今日、オープンwebはすでに急速に衰退しており、原告(DOJ)の事業分割案は、その衰退を加速させるだけだろう。そして現在、オープンWebのディスプレイ広告収入に依存しているパブリッシャー(Webサイト運営者)に損害を与えることになる」と書いてあったそうな。GIGAZINEの記事によるとGoogle検索が超絶劣化したのは責任者が変わったのが原因なようで、黎明期から「ユーザーに最適な情報を届ける」という理念でパンダアップデートやペンギンアップデートなどをやってきたベン・ゴームズ氏が2020年に解任されて、後任のプラバカール・ラガヴァン氏が広告収入の成長を最優先する方針になったのが原因のようである。そんでただでさえタイパ重視の若者が劣化したGoogle検索を使わなくなってSNS内で検索するようになって検索のシェアも若干落ちているそうな。さらにGoogleはAIが直接検索に答える仕組みにシフトしようとしているので、これからGoogle検索のアルゴリズムが改善する見込みがない。一般ユーザーは検索でもAIでも答えがわかればいいじゃんと思うだろうけれど、学術研究とかで引用するにはいつの誰による情報なのかソースなのか確認して一言一句正確に引用するのが重要なので、ソースを表示しないタイプのAIでは検索の代替手段にならない。生成AIはハルシネーション(嘘を事実のように提示する応答)を起こすので、ソースを表示するタイプのAIでも勝手に言い換えて間違った情報を広める可能性もあるし、ソースがAIの応答と全然関係ない内容の場合もある。なのでAIがあれば検索がいらなくなるわけではない。TBS CROSS DIGのYouTubeの動画だと「グーグル検索の60%がクリックされない」そうで、AIが直接検索に対する答えを表示するとユーザーがページを訪問しなくなって広告収入はなくなるし、SEOが無駄になりつつある。それだけでなくてジャーナリストやフリーランスライターとかが苦労して取材した記事を勝手に使われて掲載元のサイトには広告収入が入らないこともありうるので、AIによる情報の窃盗にも対処する必要がある。・コンテンツビジネスへの影響クリエイターにとっては良い作品を作るかどうかよりも、まず検索結果に表示されるかどうかのほうが収益への影響が大きい。凝ったコンテンツをSNS上にアップロードしても検索結果に表示されなくてほとんど認知されない場合もある一方で、平凡なコンテンツでもなんかのきっかけで検索のアルゴリズムに適応してバズって有名になることもある。それゆえに自営業者たるクリエイターは広告の手段としてSEOの知識も持つに越したことはないけれど、Google検索自体が劣化すると一生懸命SEO対策しても無駄になる。Googleはまとめサイトとかのコピペ中心のコンテンツやAIの自動生成コンテンツは一応排除する方針のようだけれど、方針通りにアルゴリズムが機能していない。生成AIで手軽に文章や画像や動画を生成できるようになったことでAIスロップと呼ばれる低品質なコンテンツがあふれるようになって、GoogleがTikTokのショート動画とかのAIで生成されたコンテンツを検索結果の上位に出してくるので、結局はAIでコンテンツを大量生産して視聴数を増やすのが今の状況に適応したコンテンツビジネスのやり方になっていて、悪貨が良貨を駆逐する状態になっている。●日本はアメリカのサービスに依存するのをやめるべきデジタル経済リポートによるとデジタル関連収支は著作権等使用料、通信サービス、コンピュータサービス、情報サービス、経営・コンサルティングサービスの5項目を指していて、2024年の支払いは10.8兆円、受け取りは3.95兆円で、6.85兆円の赤字になっている。そんで悲観シナリオだと2035年にはモノを含めたソフトウェア・データ市場の赤字が45兆円まで拡大する可能性がある。例えば経営・コンサルティングサービスの収支赤字はインターネット広告関連の支払額とほとんど同じ変動をしていて、日本企業がGoogle広告やFacebbokを使って広告を出稿するとデジタル赤字になる。著作権等使用料にはWindows、Android、iOSとかのOSの使用料がかかっていて、国産のパソコンやスマホを買ってもデジタル赤字につながる。関税について考えるという記事でも考えたけれど、コンテンツやサービスのようなモノとしての形がないものには関税がかからないので、関税では外資系IT企業の影響力をコントロールできないし、かといって中国みたいな独裁国家でないとアクセス遮断とかの措置も取りにくい。ドイツはGoogleとかのオンラインプラットフォームが利益が大きいわりに税金を払わなくて投資も少なくて社会に還元しないということで10%の課税を検討しているそうだけれど、こういう外資狙い撃ちの課税は正当化しにくい。ネパールはフェイクニュース、ヘイトスピーチ、オンライン詐欺に対処するという名目でYouTubeやFacebookとかのソーシャルメディア禁止措置をとったけれど、これはソーシャルメディア上で政治家の汚職疑惑を告発するキャンペーンがされていた最中での禁止措置だったので単なる娯楽の規制でなくて言論弾圧の一種で、反発した若者が暴徒化して19死者が出て放火されたりしてオリ首相が禁止を撤回して辞任する事態になっている。詐欺を防ぐにしても全面的な規制でなくて技術的に対応するべきである。外資系ITを規制でどうにかしようとするのでなくて、まず自国でITインフラを整備するのが筋だろう。Google検索が超絶劣化していることは日本のIT企業にはチャンスになりうる。アメリカだとAIの発達でエンジニアが不要になって解雇されたり新卒が就職に苦労したりしているそうだし、トランプがハーバード大学の留学生を追い出そうとしたりしているけれど、これもIT後進国の日本にとっては優秀なエンジニアを雇うチャンスである。デジタル経済レポートの46ページに「日本企業が実行すべきソフトウェアチョーキング戦略は、汎用OSとしてドミナントデザインが築かれ、かつ初期投資が膨大に必要なOS領域ではなく、新規参集も比較的容易で、開発コストと収穫逓増のバランスが取れたミドルウェアの領域であるといえる。」と書いてあるけれど、国産OSの開発は無理にしてもLinuxを中心にするのじゃだめなのだろうか。パソコンのOSのサポート期限が切れてもLinuxやLibreOfficeを入れたらブラウジングや書類作成程度しかしないライトユーザー向けなら十分使えるし、リユースの推進という点でもLinuxの普及は公益にかなうものである。ETAXのダウンロード版ソフトがWindowsにしか対応していないので私は仕方なくWindowsを使っているけれど、政府がデジタル赤字を解消するつもりならLinuxにも対応してほしい。ブラウザも広告を一切表示しない国産ブラウザを開発して、変な広告を表示したらまずいような教育用タブレットや役所用の標準ブラウザに指定すればよいと思う。そんでロボット型検索エンジンからディレクトリ型検索エンジンに回帰して信用できるサイトだけ表示するようにすれば広告収入がなくてもディレクトリの登録料とかでブラウザの利益は出せるのじゃなかろうか。Googleのロボット型検索エンジンはフィッシング詐欺サイトを検索結果の上部に表示することがしばしばあって、これからAIを悪用したフィッシング詐欺サイトや投資詐欺広告の乱造が予想される一方でGoogle検索が劣化していって詐欺の脅威が増していくと思われるので、詐欺防止の観点からいまこそディレクトリ型検索エンジンをやる理由になると思う。Yahooのディレクトリ型検索はAIが出てくる以前の2018年に終了したけれど、今はAIが使えるのでAIチャットボットを併用してディレクトリ型検索に登録してある信頼性が高いデータベースの中から情報を抽出したり商品やサービスを提案したりするとかの今の技術だからこそやれるアップグレード版のディレクトリ型検索が作れると思うし、そしたらロボット型検索エンジンが有象無象の低品質なコンテンツをクロールして取り込んで生成AIがハルシネーションを起こすのと違ってディレクトリ型検索だからこそより精度が高い情報を検索できるだろうし、Googleが取りこぼしているITに疎くてサイトの信頼性を自分で判断できない日本人の高齢者層や若年層の検索シェアを取れると思う。あとFacebookが2016年のアメリカの大統領選挙の時にタイムラインで情報操作していたようなことが日本でも行われる可能性があるので、選挙に外資系のSNSを使うのもあまりよくない。ブログ系はテキストや写真が中心でデータ量が少なくてあまりサーバー代がかからないので楽天やAmebaとかいろいろな日本のIT企業がブログサービスを提供しているけれど、動画はデータ量が多くてサーバー代がかかるせいかニコニコ動画くらいしか国産のサービスがないし、ニコニコ動画にしてもサーバー増強に投資せずにニコニコ超会議で浪費したりエンジニアの給料をけちってランサムウェアの被害にあったりして運営がよくないのでもうちょっとましになってほしい。通販だとVISAとMastercardの規制が理由で駿河屋がアダルト商品の取り扱いをやめるそうで、こうした外国資本による規制が間接的に日本の二次創作文化やクリエイターの収入にも影響するので、国産の決済手段も普及させるほうがよい。日本のITはどこの会社の支払いサービスも機能にたいして違いがないのに自社で囲い込もうとして規格を統一しなくて、〇〇ペイが乱立したり、交通系ICカードが乱立したりして、効率化するのがITの意義なのに全体としてシステムが複雑になって非効率になる本末転倒なことをやっている。もうマイナンバーカードを作って銀行口座と紐づけているのだから最大限に活用して、例えばマイナペイやマイナタッチ決済とかを開発してそれで支払いをして決済データを会計ソフトと連動させて確定申告に使えるようにするとか、公共交通機関はマイナ系支払方法を義務付けるとか、国が介入して全国で統一の規格を作る方が効率が良くなると思う。というわけで日本のIT企業にはがんばってGoogleに変わるサービスを作ってほしいものである。
2025.09.11
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