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5月14日に栃木県上三川町で裕福な農家の親子が襲撃されて母親が数十回刺されて死亡する凄惨な強盗殺人事件が起きて、下見されたときに警察に通報しても事件を防ぐまでに至らなくて、犯人の未成年4人と指示役の竹前夫婦が逮捕されて、さらに上位の指示役の益田和彦容疑者は国外逃亡して指名手配された。2024年には北海道江別市で男子大学生が未成年を含む6人に2時間集団暴行されて金を奪われる強盗致死事件が起きて、いま裁判が行われている。闇バイトについて考えるという記事でも考えたけれど、強盗殺人がほいほい起きるような社会は問題だと思うので、また考えることにした。●強盗殺人はほぼ捕まるのでやるメリットがない割に合う犯罪はあってはいけないので、たいていの犯罪は罪に対して相応の罰があって割にあわないようになっている。強盗致死傷罪では「強盗が、人を負傷させたときは無期拘禁刑又は6年以上の拘禁刑に処し、死亡させたときは死刑または無期拘禁刑に処する」と規定されていて、犯行時に18歳未満だった者については「死刑をもって処断すべきときは、無期拘禁刑を科する」となっていて少年でも死刑相当の残忍な犯罪をした場合は二度と社会復帰できない。いくら強盗殺人で大金を奪ったところで金を使いきる前に逮捕されて、もし未成年であることを理由に有期刑になったとしても何年もゲームも旅行もデートもスポーツ観戦も何もできなくなるので若い人ほど割にあわないし、刑期を終えて出所したところで家族からは絶縁されて結婚もできなくて仕事もなくて友人もいなくて孤独な生涯を送ることになる。警察はいろいろ不祥事はあるけれど殺人事件に対してはけっこう優秀である。平成頃はまだ防犯カメラが普及していなかったりDNA検査の精度が荒くて犯人を特定しきれなくて世田谷一家殺害事件みたいな未解決事件があるけれど、最近はあちこちに防犯カメラや動体検知型のドライブレコーダーがあって証拠が残るし、高解像度の電子顕微鏡を使ったりして科学捜査も進歩している。犯人は目撃者を殺害して口封じすれば逃げきれると思って短絡的に殺害するのかもしれないけれど、逆に殺人だと捜査本部ができて県をまたいで本腰を入れて捜査するので、ただの窃盗事件として田舎の警察官が捜査するよりもかえって捕まりやすくなる。特に素人の犯罪は証拠を残しまくりなのですぐに犯人が特定される。強盗は靴を脱がないので室内に足跡が残って犯行グループの人数や足のサイズがわかるし、付近の監視カメラを確認して地域住民以外の不審な車を特定して車の所有者や逃亡ルートを把握して検問するし、犯人が車を乗り捨てても車内の指紋や毛髪や血液のDNAを検査して犯行の裏付けを取るし、電車で移動したら駅の防犯カメラで特定されるし、犯人に前科があれば犯行現場や凶器の指紋から犯人を特定できる。強盗犯は大金を手に入れられると思って強盗するのだろうけれど、強盗した金品を現金化するのも大変で、被害者のキャッシュカードを使ってATMで金を引き落としたらコンビニや銀行の防犯カメラに証拠が残るし、大量の現金は空港でチェックされるので国外には持ち出せないし、貴金属は古物商に売ると身分証明書の確認が必要なうえに強盗の証拠品として足がつくので換金しにくいし、資産家は不動産や株とかで資産を持っていて本人でないと現金化できないので資産を盗めなかったりする。栃木県の強盗殺人で指名手配された益田容疑者(48)は被害者に1億円の資産があるという情報を知って竹前夫婦に「1億40%」とメッセージを送って4千万円の報酬を渡すつもりだったようだけれど、農家の資産は農地や耕運機や倉庫や農業資材とかのすぐに換金できないものなので1億円を現金で自宅にタンス預金しているわけではないし、アラフィフにもなって資産と現金の違いを理解していないのは馬鹿すぎる。独居老人が殺されたら犯行が発覚するまで時間がかかるだろうけれど、実業家はたいてい警備会社と契約しているので不法侵入者がいたらすぐに通報されるし、警備会社と契約していなくても殺された翌日に会社に出勤しなかったり連絡がとれなくなったりすることですぐに犯行が発覚して捜査が始まるので、犯人は国外逃亡したり貴金属を現金化したり凶器とかの証拠を隠滅したりする十分な時間もない。仮に東南アジアとかの犯罪捜査がゆるい国に逃亡したところで強盗殺人事件には控訴時効がないので指名手配されて全国に顔写真が出回って逃げ続けることになって、いずれ逃亡資金が尽きて逮捕されて日本に送還されるかそのまま外国で野垂れ死ぬみじめな人生になる。●どうすれば強盗殺人を防げるのか個人的な防犯対策も必要だけれど、殺意満々の犯罪組織に狙われたら個人で防ぐのは難しい。いくら家を頑丈にして窓に格子をつけたりガラスに防犯フィルムを貼ったりしても、バールやバーナーとかで格子をこじ開けたりする相手を完全には防げない。だもんで犯人が犯行を思いとどまるようにする必要がある。・厳罰化スウェーデンでは少年法の整備が不十分で罰が軽いので、ギャングが未成年をヒットマンとして雇ってライバルのギャングを手榴弾で暗殺している。未成年は殺人をしてもたいした罪にならないうえに金をもらえることが犯罪のインセンティブになってしまっている。子供だけの犯罪なら手榴弾を調達できないので凶悪化しないし、大人だけの犯罪なら殺人や殺人未遂の刑罰が重くて割にあわないのでやらないけれど、子供と大人が組み合わさって創発特性が現れることで刑罰が軽い殺人ができるようになって未成年の凶悪犯罪が起きるようになる。日本では未成年が殺人してもどうせ死刑にならないからとたかをくくって殺人をする人がいて、光市母子殺害事件の犯人みたいに更生の可能性がない極悪人もいる。凶悪な犯罪には死刑も含めた厳罰化も必要だろうけれど、少年犯罪を厳罰化したところでアホな未成年は法律を知らないし逮捕された人のニュースも見ないのであまり抑止にならない。じゃあどうすればいいかというと、アホな未成年を実行役に使う側を厳罰に処せばよい。暴力団は暴対法ができたことで組員が犯罪をすると組長まで使用者責任を問われることになって、地上げのための放火殺人や敵対する組長の暗殺とかをすると組が潰れるので割に合わない凶悪犯罪はやらなくなった。それと同様にトクリュウの指示役の罰則を厳しくすることで、未成年が強盗殺人の実行犯として使い捨てにされることを減らせるだろう。例えば犯罪勧誘罪みたいな刑罰を新設して、実際に犯罪が行われなくても犯罪をさせる目的で勧誘した時点で犯罪として立件できるようにすればよいと思う。未成年の家出少女を善意で家に泊めるだけでも誘拐罪になるのに、未成年を騙したり脅したりして犯罪に引き込むのが罪にならないのはおかしいだろう。強盗の準備段階の刑罰としては強盗予備罪や凶器準備集合罪とかがあるけれど、それだと強盗直前に運よく警察官が通りがかって不審者に職質したときとかでないと逮捕できないし、指示役やリクルーターが表に出てこなくて実行犯を使い捨てにするトクリュウに対しては抑止として不十分である。未成年が闇バイトで騙されて個人情報を握られて犯罪をさせられそうになってこれはやばいぞと気づいたらすぐにSNSとかの証拠のスクリーンショットを取って警察にチクって逮捕できるようにすれば、もっと早い段階で犯行を止めて未成年を保護してリクルーターを突き止められる可能性がある。寄せ集めの実行犯に強い絆はないので、脅されて嫌々従っている気弱な人が逃げやすいようにして保護するのが大事である。そんで未成年に指示をして実際に犯罪をさせた場合は指示役やリクルーターがいなければそもそも犯罪が起きなかったのだから、指示役やリクルーターを主犯として実行犯以上の刑罰になるようにするべきである。「言う通りにしないと家族を殺すぞ」と脅しても、脅迫罪は2年以下の懲役もしくは30万円以下の罰金にしかならないし、刑が軽いのでは抑止にならない。リクルーターも死刑になるようになれば、テンパって過剰に暴力を振るって殺人するアホを実行犯にするメリットがなくなるので、アホを使い捨てにするずさんな計画の強盗殺人が減るだろう。身代金目的の誘拐や銀行強盗は昭和には何回か起きたけれど成功率が低いので現代では起きないように、強盗殺人も成功率が低くて刑罰が重くなれば、金銭目的の犯罪をするにしても詐欺や窃盗や恐喝とかの人命を奪わない犯罪にシフトしていくと思う。あと親が直接犯罪に関わっていないにしても、強盗殺人をするような倫理観のない子供を育てた責任は問われるべきである。未成年の犯罪については本人が損害賠償を払う金を持っていないので親の賠償責任も強化して強制的に持ち家やアルファードとかの財産を処分したり給与を差し押さえたりして被害者救済に充てるようにすれば、DQN親でも子供に殺人だけはするなと諭すようになるかもしれない。・犯罪をしないようにする教育本来は倫理観は家庭で教えるべきだけれど、犯罪をする未成年の親もDQNだったり、育児放棄していたりして、家庭に問題があるので平気で強盗殺人するような倫理観が欠如した子供になる。だったら学校で倫理観を教えるしかない。学校で微分積分の問題を解けるようになるよりも犯罪をしない大人に育てることのほうが重要だけれど、学校のカリキュラムでは受験に関係ない学習は軽視されていて、学校での倫理教育も不十分である。それに中学生や高校生になると不良仲間と絡むようになって学校をさぼったり不登校になったり教師や親に反抗したりするので、大人の忠告が届きにくくなっている。となると不良化する前の素直な小学生のうちに倫理観を教えておかないと手遅れになる。子供の時に暴力で他人に言うことを聞かせるのを成功体験としてとらえてしまうと、思春期に体が大きくなっていくにつれて暴力がエスカレートしていって、逮捕されるまで歯止めが効かなくなる。栃木県の強盗殺人では少年の1人が別の少年をボコボコに殴って従わせていたそうだけれど、こういう暴力が常態化して不良仲間への共感性さえないサイコパスは未成年とはいえこれから更生する可能性は低いし、反省したふりをして減刑されたらそれを成功体験としてとらえて次の犯罪はばれないようにもっとうまくやろうと考えるので、無期拘禁刑にして獄中死するまで社会から隔離するほかないだろう。学校の授業以外でどうやって倫理観を教えるかというと、例えばホームルームで担任が時事ニュースを取り上げて、前科がつくとアルバイトでさえ不採用になってろくな就職先がなくなって生涯賃金が大幅に減って今まで努力してきたことが報われなくなることを教えたり、殺人をすると家族の就職や結婚に影響が出たりすることを教えれば、ニュースを見ないアホでも犯罪は割にあわないとわかるだろう。トクリュウのリクルートの手口を教えて闇バイトの求人に騙されないようにする必要もある。例えば東京都の「どっちが闇バイト? クイズでわかる “危険な求人情報”の見分け方 」だと段ボールを運ぶだけで1件5万円で簡単に楽に稼げるという求人がある。別に人を雇わなくても運送会社に千円くらい払って段ボールを運べばいいだけなので5万円を払う必要がないし、なぜ企業が千円でなくわざわざ5万円を払って人を雇う必要があるのか、企業はそんなに高い人件費を払ってどうやって利益を出しているのかを考えればおかしさに気付くだろう。現役高校生250人のうちで闇バイトクイズ3問の全問正解者は23%しかいなくて、77%が闇バイトだとわからなかったそうな。今時の若者は視点を変えて相手側の立場で考える能力低いのかもしれない。闇バイト求人のおかしさは原価率や販売管理費や利益率とかを考えればわかるだろうし、数学もxとyがどうしたこうしたという抽象的な問題だけ解くのでなくて現実に応用できる文章問題を出すほうがよい。小中学生の社会見学では刑務所で受刑者の話を聞いて反面教師にするとか、裁判所に行って刑事事件の裁判を傍聴するとかして、犯罪について考える機会があるとよいかもしれない。
2026.05.28
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最近は小泉今日子の武道館のライブで開演30分前にDJの高木完が俳優の佐藤慶が憲法9条を朗読した音源のミックスを流したり、会場で放出された銀テープに「戦争反対!!平和な世界希望!!」と書かれていたことで賛否があって、もう小泉今日子のライブに行かないとXに投稿した人もいたようである。サカナクションのボーカルの山口一郎がYouTubeでミュージシャンの政治的発言について「みんなの気持ちを代弁することがミュージシャンの仕事。今、この現状でたとえば自分が思ってることを言うよ。俺は戦争なんてなくなったらいいなと思うわけよ。でも、どうやったらなくなるかなんてわからない。だって知識もないしさ。自分が持ってる浅い知識で、“こう思うんだよね”みたいに言うのもさ、そんな責任感ないことできないじゃない。危ういじゃん。知識ないからさ。感情論で話せないよ」と見解を述べたら賛否あったようである。というわけでこれについて徒然なるままに考えにけり。●クリエイターが思想を持つことの是非私は政治的思想であれ宗教的思想であれ芸術表現と作者の思想は不可分だと思うし、宮崎駿や大江健三郎とかも創作の根底に思想があったからこそ良い作品ができたと思う。フォーク歌手が反戦ソングを歌うのもいいし、ヘヴィーメタルバンドが死ね死ねと歌うのもいいし、レゲエ歌手がマリファナを礼賛する歌を歌うのもいいし、キリスト教徒がキリストやマリアを称える宗教歌を歌うのもいい。基本的人権に思想の自由、表現の自由、信教の自由が保障されてるのだから、法律の範囲内で何でも自由に主張すればよい。サカナクションの山口一郎のように知識がなくて責任を持てないことは主張しないと言う慎重な態度を取るのも自由だし、グラミー賞の授賞式で政治的な事を言いたがる歌手みたいに浅い知識で無責任に感情的な主張をするのも自由だし、誰かの主張を批判するのも自由である。信仰の告白を強制すると信教の自由に違反するように、ミュージシャンなら反戦ソングを歌えと迫るのはよくない。何を言うか言わないかは個々人が決めればいいし、他人が態度の表明を強制するものではない。そもそもクリエイターに政治の専門家としての意見を求めているわけではないし、専門外のことについて何か変な意見を言ったところでそれで既存の作品の質が変わるものでもない。アイドルも自由に主張すればよい。アイドルは思想を表に出すなという人がいるのはアイドル差別で、アイドルの恋愛に反発する人がいるのと同じでアイドルを人格を持った人間として認めていなくて理想を演じる偶像でいてほしいということなのだろう。小泉今日子は60歳のようで若いアイドルみたいにぶりっ子して恋愛ソングばかり歌うような年でもないし、人生経験を経て社会について何かしらの意見はあるだろうし、既に知名度が高くて社会的に成功していて事務所から独立したのでこれから大衆に媚びて愛想を振りまいてファンを増やすよりはファンを減らしてでも自分のやりたいことをやる段階に入っているのだろう。ミュージシャンの政治思想に対して批判が多いのは鑑賞する側が過剰に反応しすぎだと思う。政治観や宗教観や芸術観や経済観や恋愛観や人生観とかのあらゆる点で自分と全く同じ意見の人はいないだろうし、多面的な人物像を見ずにどこか一点で意見が違うからといって認知的不協和を起こして作品の鑑賞をしないのはもったいない。自分と意見が違う人の作品を鑑賞したからといって自分の思想が汚染されて変わるわけではないのだから、キリスト教徒でない人もゴスペルやレクイエムを聴いてみるといいし、イスラム教徒でない人もスーフィズムの音楽を聴いてみるといいし、ロシアのウクライナ侵攻に反対する人もロシア民謡を聴いてみるといいし、イスラエルのガザでの虐殺を批判する人もクレズマーとかのユダヤ人の音楽を聴いてみるといいし、イラン政府によるデモ隊虐殺や女性の弾圧を批判する人もイランの伝統音楽を聴いてみるといい。自分と違うものほど新しい刺激や発見があるものである。フィクションや芸術作品は現実世界を抽象化して相対化する役割があって、世界中の自分と異なる人たちの作品を観察すると美しい部分も愚かな部分も見えてくるだろうし、その観察がより良い人間になるにはどうすればよいか、より良い社会を作るにはどうすればよいかという実社会への還元につながっていく。●表現手法の是非クリエイターが思想を持つこと自体は問題ではなくて、どう作品に思想を織り込むかという点が問題である。例えば宮崎駿は国際政治の専門家ではないし、イスラエルと周辺のイスラム教の国との戦争をどう止めるのかについて聞いても答えられないだろうけれど、フィクションの中では反戦思想を展開できる。『風の谷のナウシカ』ではナウシカは城がトルメキアに襲われて父親が殺されたときはユパ様に止められるまでトルメキア兵をみんなぶっ殺すくらいの好戦性を見せた一方で、トルメキアの脆い飛行船がペジテのアスベルのガンシップに襲われたときに「やめて、もう殺さないで」と言って銃口に生身を晒して攻撃を躊躇させている。ナウシカ自身も殺人をしているし、妹を殺されたアスベルの復讐も受け入れているし、作品全体としては殺人を批判するというよりもトルメキアの他国への侵略や巨神兵という巨大な軍事力の利用方法を批判している。この辺が宮崎駿らしい展開で、武器を持つことや戦うこと自体は否定していないのでエンタメ作品として見せ場ができる。『紅の豚』では豚は殺しをやらないけれど、かといって殺しをやる他の空賊たちや戦争で死んだ仲間を批判的に描くわけでもないし、豚の戦闘機にも一応機銃はついていて戦闘機という兵器も否定しているわけではないのでエンタメ作品として見せ場ができる。宮崎駿が左翼的な思想を持っているにしても作品の面白さを損なわないから高評価されるし、もし映画のテーマソングに憲法の朗読を混ぜたり、登場人物に「戦争反対!!平和な世界希望!!」という安直なセリフを言わせたりしたら作品が台無しになって批判されただろう。フェミニストが「男が産めるのうんこだけ」と歌う自由もあるし、オウム真理教の信者が「ショーコーショーコーショコショコショーコー」と歌う自由もあるし、幸福の科学が布教用のアニメを作る自由もあるけれど、作品として完成度が低いものは相応に批判される。何かを表現するための作品でなく、思想のプロパガンダのために作った作品は表現が目的でなくて手段になってしまっているのでたいてい完成度が低くなる。小泉今日子のコンサートでDJが憲法9条の朗読の音源をただ流したり銀テープに「戦争反対!!平和な世界希望!!」と書いたりするのでは安直で表現として面白くないし、音楽的パフォーマンスというよりは思想を押し付ける政治的パフォーマンスとして受け取られたので批判が多くなったのだろう。歌手が反戦を主張するなら自分で反戦ソングを作詞作曲するのが筋だし、せめて反戦ソングのカバーを歌うくらいすればいいし、やり方が中途半端である。戦争に対して現実的な対応を求められる政治家や軍事評論家と違ってクリエイターは好き勝手に理想を言えるのが強みなのだから、中途半端なのはよくない。やるなら反戦ライブと銘打ってペンライトの代わりにゲバ棒を振り回してアジ演説をして徹底的にやればよい。あるいはプロとしてファンを喜ばせることに徹するなら政治や宗教とかの価値観が別れやすいものは表に出さないでアイドルとしての小泉今日子像を保っておくべきで、興行として見れば中途半端なやり方でファンを幻滅させたり反感を招いたりするくらいならやらないほうがよい。ピクサーのチーフ・クリエイティブ・オフィサーのピート・ドクターが「親子で話し合う準備ができていないテーマについて、無理に扱いたくないのです。私たちは映画を作っているのであり、何億ドルもかけてセラピーを行っているわけではありません」と言って今後はLGBTQのテーマを取り扱わない方針にしたように、思想が強い作品は客はわざわざ金を払ってまで見ようとしない。興味がない人を振り向かせることができるくらいすばらしい作品を作れるなら思想を前面に出すのはよいけれど、うわべだけの浅い主張しかできないなら何も言わないほうがましである。
2026.05.11
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