草加の爺の親世代へ対するボヤキ

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草加の爺(じじ)

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2012年08月18日
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何だか謎々の様なタイトルになりました。今回は


自分、自己と言うものが如何に厄介な代物かと言う問題を


少し考えて見ます。自分は頭が悪い、だから「何々する事は無理な注文だ」。


私は70歳に近い年寄りだ、したがって「これこれの事は土台高嶺の花。潔く



諦めるのが賢明と言うもの」。小生は元来が三日坊主で、根気よく一つの事を



続けるのは不可能。あれもしたい、これも試してみたいと、心の中で



思ってみるだけで、何も手に付かない……。以上の様に、私・草加の爺を


材料にして、サンプルを提示してみましたが、誰しも大同小異、似たような



傾向がおありだと思いますがいかがでしょう。私が今回問題にしたいことは







私たちの意欲を殺いだり、邪魔したりと、大きな可能性を育てる為の障害に



なっていると、普通には考えられているのですが、それに異を唱えるのが



主要なテーマであります。実は、私たちを狭い枠の中に閉じ込めて



自由に、また伸び伸びと行動させない一番の制約が、実は自分自身なのだが



私たちの殆どがその事実に気付いていない。あるいは、気付こうと



する努力を怠っている。以前に私は、私たちのこのような心の状態を



「精神的な習慣病」の典型例として取り上げた事がある。出来ない理由として



私たちが列挙する諸事情こそ、取りも直さず、可能であり出来る根拠となり


得る理由なのです。ただ、面倒だったり、迂闊だったり、視野が狭かったり



色々な理由で、「より楽な」根拠を、出来ない、ないし困難な根拠として



妄信しているだけ。本当に、それだけの事。私達は子供の頃、色々な夢や







泡のように跡形もなく消え去って行く。それは仕方のないことと、力なく



諦めているお人好のあなた、諦めるのは早計に過ぎませんか?根拠が



薄弱すぎてはいませんか。もう一度、初心に返って、無邪気に、脳天気に



猪突猛進してみようではありませんか。案外、案ずるより産むが易しということだって



あるのですから。自身の限りない可能性に過大に期待して、頑張ってみて下さい。











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最終更新日  2012年08月18日 13時40分18秒
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