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2012年12月12日
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  8 生命について、特に「遊び」の意義

          その五

 良寛のエピソードで有名なのが、子供たちとの関係です。


一緒に「手まり」を突いて遊んだり、かくれんぼに興じて、


日の暮れるのも忘れた―、と言った内容ですね。ここから自然に浮かんでくる


どこか牧歌的とでも称すべき暢気で柔和、とても平和で、毎日を楽しみ


生きることや生活自体をひたすらエンジョイする術を体得した


達人・仙人の様なイメージがある。また一方では、実に厳格・峻烈とでも


形容すべき内面の、孤独でストイックな高い精神性。恐らくは





両極端の著しくかけ離れて見える、まさにこの点に良寛和尚の


人間としての、書家としての限りない魅力の秘密が隠されているのではないでしょうか。


 ここで、唐突のようですが、「謎の人物、イエス・キリスト」について


話題を転じる事を、どうかお許し下さい。



 人類の歴史の上でも、指折りの有名人であるイエス・キリストに


対して、敢て「謎の」と形容詞を付けたわけは、単純です。長い間、


この私にとって深い謎に包まれたこの偉人は、実は専門的な研究者たちに


とってさえ、謎の人物であり、その全部が究明されつくしているわけでは


ないようです。クリスチャンでもなんでもない、一人の門外漢にしか


過ぎない私にとっても、イエス・キリストと呼ばれる人間の在り方が、


不思議なほどの魅力を持って、私のこれまでの人生の様々な局面において





 カイザルのものはカイザルへ、と言ったイエスは地上を支配する


権力者を志向してはいませんが、明らかに天国・神の国の王者である事を


強く自認しています。魂・心・精神の世界の王にして偉大なる支配者たる


イエス・キリストの、あの余りにも無残で悲惨な「人間」としての最後は


一体なんとしたことなのでしょうか?勿論、人類全体の罪を一身に





復活が用意されてはいますが――。それにしても、と以前の私はいぶかしく


感じずにはいられませんでした、実際の話が、事実。


 キリスト論を展開するのが狙いではありません。ここではキリストが何よりも


傑出した詩人だったことに注目していただきたいのですね。


 「栄華を極めたあのソロモン王ですら、野の百合が身にまとうことを


許された程の豪華な衣装を、その身に付けたことがない」―、うろ覚えですので


正確な表現ではないかもしれませんが、その比喩の意表をついた卓抜さ


巧さは、余りにも非凡。そのほか数多くの名文句が、イエスの口から


語られますが、みなさんが良くご存知の通りです、はい。



 人々の心を浄化する芸術の中でも、ドラマの中の名セリフとしての


詩は、あまたの芸術中もっとも尊重されるべき、霊妙・不可思議なる


効果を我々にもたらします。そして、イエスの短い一生は、余りにも


劇的、ドラマティックに過ぎるではありませんか……・










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最終更新日  2012年12月12日 10時54分07秒
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