草加の爺の親世代へ対するボヤキ

草加の爺の親世代へ対するボヤキ

PR

×

プロフィール

草加の爺(じじ)

草加の爺(じじ)

サイド自由欄

カレンダー

フリーページ

2015年12月08日
XML
カテゴリ: カテゴリ未分類





           第 二十七 回 目





  人間のうちには孤独と諦念と瞑想と自意識にふける 純粋に個人的な面 と、他人を支配し、その存在を左右し、ある

いは英雄をみとめてこれに讃仰をささげ臣従せんとする 集団的側面 と、この二つがある。


 民衆は、民衆の最下層は、常に 支配し支配される慾望 に燃えてをり、孤独と諦念と自己認識の純粋なる愛の宗教の他

に、集団的な自我に応ずる別の宗教を探し求めてゐる。そこで、アポカリプスがその歪曲された集団的自我の呻吟にこ

たえ、挫かれ抑圧されたるものの復讐的な夢を正当化することとなった。ロレンスがぼく達現代人に提出した問ひはか

うである ― 現代人は果たして他者を愛しうるか、個人と個人とは如何にして結びつきえようか。彼の答へは勿論否

定的である。個人は、クリスト教徒は、つひに他者を愛し得ない。試みに、女を、隣人を愛してみよ。僕たちが肌と肌

とをぢかに押し付ける様にして互いに愛し合はうとするならば、そのむくつけき努力のうちに次第に洗われ露出してく



るがいい。僕たちは底の底まで絞り取られ、自分の我意が惨めにも踏みにじられる危険に出会ひ、やがて最後には相手

に対する反撥と憎悪とのみが残留し、愛情はどこへやら消滅してしまふ。


 抑圧された我意は、歪んだ権力欲へと噴出口を求めるのである。トルストイの悲劇を現代はまだそのありのままの

姿において見てゐない。トルストイは依然として愛他思想に自己を犠牲とした英雄として眺められてゐる。我意を我意

として認めよ。この世に純粋な個人といふようなものは存在しない、仏陀のやうに塵網を去って山中に隠れる以外に

は。


 現代人は、総じてあらゆる結びつきに反抗してゐる ― 宇宙、世界、人類、国家、家族、これらすべてに従属する

ことに反抗し、個人の独立を主張する。断片が、自律性を強要し、その不完全性を、あくまで統一體として強弁するの

だ。結果の不幸は、火を見るよりもあきらかである。何よりもアポカリプスがそれを証明する。ロレンスの脳裡にあっ

た理想人間像は、今やあきらかである。人間は太陽系の一部であり、カオスから飛び散って出現したものとして、太陽

や地球の一部であり、胴体は大地と同じ断片であり、血は海水と交流する。「現代人は愛しうるか アポカリプス論」




更に、彼・ロレンスが『チャタレイ婦人の恋人』の終末で到達した救ひは、もはや激しい情熱ではなく、「あたたか

い心」「やさしい心」であったことを想ひ起こすがよい。アポカリプスの裏口から、ゆがめられた権力意識が新約のう

ちに忍びこんできたのとまったく逆に、かれの異教讃歌を通じて、イエスの愛の訓へがひそかにみづからを主張してゐ

るのである。 ぼくたちは、純粋なる個人といふものがありえぬ以上、たんなる断片にすぎぬ集団的自我といふもの

は、直接たがひにたがひを愛しえない。なぜなら、愛はそのまへに自立性を前提とする。が、断片には自立性はない。



れを求め、そして失敗した。自立性はうちに求めるべきではない。個人の外部に、宇宙の有機性そのもののうちに、求

められねばならぬ。ぼくたちは有機体としての宇宙の自立性に参与することによって、みづからの自立性を獲得し、他

我を愛することができるであろう ― とも。








お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2015年12月08日 05時11分51秒
コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: