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2015年12月31日
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         第 三十一 回 目






  そこで、都会っ子の私が 田舎 に憧れるのは良いとして、世界中の人々に日本の、東北の、辺鄙な町に関心を持

ってもらい、足を運んでもらう。それがこれからのプロジェクトの目的でありますが、そんな現代の錬金術のような芸

当が如何にしたら、可能になるのか?可能どころか、私はその実現を固く信じて疑わないのでありますが、それはどの

様な手段に依って一体全体、齎されるのでありましょう。いや、こんな気違い染みた 大言壮語 を事も無げに放言す

る老い耄れを、如何にしたら信用できるのでありましょうか?取敢えず、細工は流々、仕上げを御覧じろ!と、今は申

し上げるに留めておきましょうか…。





 ここで又々突然ながら、古典を引き合いに出したいと考えました。「太平記」(たいへいき)は日本の歴史文学の中で

は最長の作品とされるだけでなく、この太平記の文章修辞は和漢混淆文の極致に達したものであり、世に言うところの



368年頃までの50年間)を書く軍記物語。特に私が大好きなのは 楠木 正成(くすのき まさしげ)の超人的な活

躍振りであります。彼は鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての武将であり、建武の新政の立役者として足利尊氏らと

ともに活躍した。尊氏の反抗後は南朝側の軍の一翼を担い、湊川の戦いで尊氏の軍に破れて、自害している。私は自分

の息子に「正成」の名前を付けているように、大の楠木正成ファンでありますが、皇国史観とかその他の思想や歴史観

などとは一切切り離した立場におり、純粋にフィクションとしての、古典としての文章を鑑賞して楽しいのでありまし

て、その他の興味は全く持っておりません。その範疇で物申せば、武将の中の武将であり、偉大なる英雄であると無条

件で尊敬しておりますよ。彼の様に痛快な活躍が出来たならどんなにか愉快だろうと、胸をわくわくさせながら夢中で

読み耽ったことを、つい昨日のことのように思い出しますね、はい、熱中しました、子供の様に。軍略に抜群に長けた

天才であり、人柄も誠実そのもの。私は、出来れば彼の爪の垢を煎じて飲みたいと切望してもいますよ、本当のとこ

ろ。ですから、私が 人類史上の難題 に対処するに当たり、師として仰ぎ見ているのは「太平記」が活写していると

ころの偉大なる軍略を縦横無尽に駆使した、戦略家・楠木正成なのでありまして、かてて加えて 神仏 のご加護があ







因みに、道行文の代表的な文章を少しご紹介いたしましょうか。巻第五の大塔宮熊野落事(おうとうのみやくまのお

ちのこと)から―


 此の君、もとより龍楼鳳闕(りゅうろう・ほうけつ、王宮と宮門、皇居のこと)の内に人とならせ給(たま)いて、

華軒香車(かけん・きょうしゃ、立派な車)のほか出でさせ給わぬ御事(おんこと)なれば、御歩行(ごほこう)の長

途(ちょうど)は定めて叶わせ給わじと、御伴(とも)の人々兼ねては心苦しく思いけるに、案(あん)に相違して、



じ)を召して、少しもくたびれたる御気色(きしょく)もなく、社々(やしろやしろ)の奉幣(ほうへい、御幣を捧げ

ること)、宿々(やどやど)の御勤(つと)めお懈(おこた)らせ給わざりければ、路次(ろし)に行逢(ゆきあ)い

ける道者(どうしゃ、仏道修行者)も、勤修(ごんじゅ、修行)を積める先達(せんだち)も見とがむる事も無かりけ

り。









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最終更新日  2015年12月31日 07時33分56秒
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