草加の爺の親世代へ対するボヤキ

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2020年02月22日
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前回の続き、生きて在る事は、無条件に素晴らしいという事実を、もう少し追求してみたい。

 世の中は広い。様々な変人奇人が驚く程に大勢いて、私などを驚かす。私も変人奇人の部類に属する者

と自認して、窃かに恥じ入ったりしているのだが、世の中には想像を絶した「ユニーク」な考えや思想を

信奉して憚らない、不届き至極の大馬鹿者が後を絶たないようで、私の如き善人でさえ「悪魔」の存在を

否定し切れない。

 と言うのも、今世の中を騒がしている 狂人 が、故なく弱い立場に立たされている人々を、最悪の仕

打ちで痛めつけ、散々な目に遭わせた上に、盗人猛々しいとは甘っちょろい表現で、殺人鬼猛々しいばか

りでなく、一片の反省の色も見せない態度。

 命の平等と、無条件に尊いと信じ、それ故に死刑断然反対を声高に叫びたい私でさえ、この最悪の碌で



人」の範疇には入らないのだから、何の躊躇をもせずに、即死刑に処すべきと、判定する。

 悪魔を成敗すのには議論も、審議も必要ではない。人間であるか、質の悪い悪魔なのかは、その者の為

出かした仕業そのものを見ればよい。その悪魔たる行為には歴然たる悪魔の極印が押されている。その辺

にいる悪党の部類とは截然たる区別が、誰にでも明確に見て取れるから。

 そのような悪魔に、真人間に相応しい情けをかけたり、情状を酌量する余計な手間は要らないのだ。

 そもそも、この世に存在する物で意味のない物などはない。あれは無駄だとか、これは無意味だなどと

口から出るにまかせて放言する者は、自らがその無駄や無意味の代表だと、証明しているに等しく、その

放言によって自己の悪魔性を保証しているようなものだ。

 悪魔の話はこれくらいにしておきたいのだが、それでは悪魔のこの世に於ける存在価値は何か、と問わ

れたら何としようか。深く考える必要など何もない。善性をくっきりと、鮮明に際立たせる為に、言わば

善的な万物の背景として、本来なら無用の代表である物を、神は敢えて存在させているに過ぎない。自分



切り直せば宜しい。ただそれだけのこと。謂わば、便宜のため、善男善女への重宝な杖として利用すれば

事足りる。その程度の、ゴミクズにも足りぬもの。

 善性の金、銀、宝石、その他美しく、魅惑に満ちた存在をこの上もなく際立たせる、添え物的な極端に

自主的な存在価値を欠いた絶対無意味の在り方。

 そうした意味合いから、悪魔的な物は真空に喩えるのがピッタリするであろうか。善の欠如によって、



ともなろうか。

 夢の中で実に美しい風景に出会った。絵心などまるでない私が、思わず知らずうっとり見蕩れてしま

い、これはどうしても絵に描かなくてはならないと決心したほど。デッサンから始まって、この緑一色に

彩られた早春の色彩を、この絶妙なグラデーションを、私に果たして描き切れるものであろうかと、逡巡

する内心の声も聞こえているのだが、それでも尚且つ描かずにはいられない、強い衝動は身内から去らな

い。すると、どうした加減か、この美しい景色に翳りが現れ、たちまち黒雲に包まれ出し、その上にポツ

リポツリと雨までが降り出し、たちまち豪雨が襲うという恐ろしい場面にと変じて、目が覚めた。

 月に叢雲、花に風と昔の人は言ったけれど、それどころの話ではない。それにしても、あの絶妙に美し

かった景色の様子は細部に至るまで詳細に覚えているのだから、実に妙である。

 大半の夢は細部は愚か、大筋ですら直ぐに記憶から消え去っていると言うのに。それにしても、あの美

しさを描出するのは、人間業では不可能であろうから、この世に類まれな絶景は、私の記憶の中だけに存

在する儚い幻の如き物と変じてしまった。してみると、この夢は、私の人生の象徴として夢の中で夢見た

蜃気楼なのであろう。何であっても、有難い話ではあります。

 この夢を今の時点で私に神が与えてくださったに就いては、それ相応の意味合いが有るに相違ない。そ

れは私に私の閲して来た人生を与えられた神の意思と同様に、実に有難く、勿体無いものとして、謹んで

感謝すると共に、私に出来る事で某かの為残しがあるとすれば、悔いの残らないように熟慮して、即断行

せよ、との御諭なのであろうか。美しい景色に見とれている間に、暗雲が立ち罩るのが世の中というも

の、くれぐれも油断の無いようにせよとの、念には念を入れた実に用意周到な御配慮があっての事と、取

り敢えずは受け止め、これからも残された時間、エンジョイするとともに、為残しや無念が残らないよう

に臨機応変の注意を怠らないように、精々注意して「この世の花見を致す」ことにしたいと考えるもの

であります。

 遂に行く 道とは兼ねて 聞きしかど 昨日今日とは 思わざりを  という在原業平の名文句を今更

ながらに思い出して、遂に行く道に備えた日頃の備えを、忘れないように心しよう。とかく人間は、惰性

と習慣とに流されて、夢現の間に日常を過ごしてしまう傾向がある。一分、一秒でさえ、人生という「名

画」を構成している、非常に貴重な瞬間なのだから。粛々と、さりげなく、そして油断なく過ごしたいも

のである。





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最終更新日  2020年02月22日 18時36分51秒
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