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草加の爺(じじ)

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2026年02月27日
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熊野に向われる 道行文 切目の王子の示現
            戸津川に御到着

 かくては南都辺の御隠れ家は暫くも適い難ければ、則、般若寺を御出でありて、熊野の方へと落

ちさせ給う。

 御供の衆には、光林坊玄尊・赤松律師則祐・木寺相模・岡本三河房・武蔵坊・村上彦四郎・片岡

八郎・矢田彦七・平賀三郎・彼此以上の九人。

 宮を始め奉りて、御供の者までもが皆柿の衣に笈をかけて、頭巾を眉まで責めて、その中の年長

者を先達として作り立て、田舎山伏が熊野詣でをする體(てい)にぞ見せたのだ。

 この君、元から龍楼鳳闕(りゅうろうほうけつ、王宮と宮門。皇居)の内に人とならせられたの



わせたまわじと兼ねて御供の人々は心苦しく思いけるが、案に相違して何時習わせ給いし御事では

ないけれども、怪しげなる単皮(たび、皮製の足袋)・脚巾(はばき、脚絆)・草鞋(わらじ)を召して

少しも草臥れたる御気色もなく、社々(やしろやしろ)の奉幣、宿々(やどやど)の御勤め怠りなさら

ないので、路次に行き合いたる道者(仏道修行者)も勤修(ごんじゅ、修行)を積んだ先達も見咎める

事も無かった。

 由良の湊をも渡せば、沖を漕ぐ舟の梶を絶え浦の濵木綿(はまゆう)幾重とも知らぬ浪路に鳴く千

鳥、紀伊(き)の路の遠山目と少々(はるばると)、藤代の松の根を洗うようにかかる磯の浪、和歌

(わか)・吹上(ふきあげ)を外(他所)に見て、月に磨ける(月の光に照らし出されて美しい)玉津島

光も今はさらでだに、長汀曲浦(ちょうていきょくほ)の旅の路、心を砕く習いであうのに、雨を

含める孤村の樹、夕べを送る遠寺の鐘、哀れを催す時しもあれ、切り目の王子(五体王子神社。熊

野神社の末社の第一)に着いたのだ。



申させ給うたのは、南無帰命頂礼三所権現・満山護法・十万の眷属・八万の金剛童子、垂迹和光の

月明らかに、分段同居(ぶんだんどうご、人や畜などというように分断・区別ある世界で、かつ同

居土・凡夫と聖者が同じく居住する世界。即ち、この衆生界、娑婆)の闇を照らせば、逆臣(げき

しん)忽ちに滅んで、朝廷は再び輝く事を得させしめ給え。

 傳え承る、両所権現(熊野の本宮と新宮)は伊弉諾(いざなぎ)・伊弉冉(いざなみ)の應作(おうさ、



 我が君はその苗裔として、朝日が忽ちに浮雲の為に隠されて冥闇たり。あに、傷まざらんや。玄

鑒(げんかん)空しきに似たり(神仏の御照覧が今はないかの如くだ)。

 神もし神たらば、君はけだし君たらざらん。と、五体を大地に投じて一心に誠を致してぞ、祈り

申させ給う。丹誠(たんぜい)無二の御勤め、感応がどうしてないだろうと、神慮も暗に計られた。

 終夜(よもすがら)の礼拝に御窮屈があったので、御肘を曲げて枕として、しばらく御まどろみな

された御夢で、髷(びんずら)を結った童子が一人来りて、熊野三山の間は猶も人の心が不和であっ

て大儀がなり難い。これより十津川の方にお渡りなさえて時が至るのをお待ち候え。

 両所権現から案内者として付け参らせられ候えば、御道しるべを仕るべき候。と、申すと御覧ぜ

られた御夢は則ち醒めたのだ。

 これは権現の御告げであると頼もしく思召されたので、未明に御悦びの御幣を捧げて、やがて十

津河を尋ねて分け入らせ給いける。

 その道の程、三十余里の間には絶えて人里も無かったので、或いは高尾の雲に枕をそばだて、苔

の筵に袖を敷いて、或いは岩を漏れる水に渇を忍んで、くちたる橋に肝を消す。

 山路にはもともと雨は無くて、空翠(くうすい、深山の木立の翠の間に立ち籠める山気)山気が

湿り気をおび常に衣を潤す。

 向上と見上げれば、萬仭の青壁は劔に削り、直下と見下ろせば千丈の碧潭を藍に染めている。

 数日の間、このように険難を経させ給いて、御身もくたびれ果てなされて、流れる汗が水の如く

御足は欠け損じて草鞋は皆血に染まっている。

 御伴の人々も、その身は鉄石ではないので、皆飢え疲れ果ててはかばかしく歩く事も得ない。

が、宮の御腰を押し、御手を引いて道の程十三日で十津河に着かせ給いける。

        戸野兵衛 竹原八郎の 忠勤

 宮をば、とある辻堂(路傍に建ててある仏堂)の内に据え奉りて、御伴の人々は在家(田舎家)に行

きて、熊野参詣の山伏共が道に迷って来た由を言った所、在家の者共は哀れを垂れて、粟の飯、橡

の粥を取り出だして、その飢えを相扶けたのだ。

 宮にもこれらを進め参らせて、二三日は過ぎた。

 これでは結局どうしたらよいのか分からなかったので、光林坊玄尊、とある在家の、これはさも

あるべき人ならんと思しき所に行って、童部(わらんべ)がいたので家の主の名を問えば、これは竹

原八郎入道殿の甥で戸野の兵衛殿と申す人の許であると言ったので、さてはこれこそは弓矢を取っ

て去る者と聞き及ぶ者であるよ。

 如何にもして、これを頼みにしようと思ったので、門の中に入って事の様を見聞くと、内に病者

があると覚えて、哀れ、尊からん山伏が出現して欲しい物だ。祈らせ参らせんと、言う声がした。

 玄尊はすはや、究土偏なしの境(究竟)の事こそあれと思いければ、声を高らかに挙げて、是は三

重の瀧に七日打たれ、那智に千日籠って三十三か所の巡礼の為に、罷り出でたる山伏共、路を踏み

迷ってこの里に出でて候、一夜の宿を貸し一日の飢えをも休めたまえ、と言ったりければ、内より

怪しげなる下女が一人い出合い、これこそは、然るべき仏神の御計らいと覚え候。これの主の女房

が物の怪に病(やま)せ給い候。祈って治療して下さり給え、とと申したので、玄尊は、我等は夫

(ぶ、平の)山伏で候間、叶うまじ。あれに見え候辻堂に足を休めておられる先達こそは効験(こう

げん、祈祷の効き目)第一の人にて候。この様を申すならば仔細は候わじ、わけなく祈って下さろ

う。

 そう申すと、女は大いに喜んで、さらばその先達の御坊をこれへ入れ参らせ候え、と言って、悦

び合えることは限りもなし。

 玄尊は走り帰ってこの由を申しければ、宮を始め奉りてお供の人々も皆かの舘に入らせ給う。





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最終更新日  2026年02月27日 08時42分19秒
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