草加の爺の親世代へ対するボヤキ

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草加の爺(じじ)

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2026年04月02日
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ここで時を打つ皷の声を聞けば、夜はまだ五更(午前四時から六時までを五更と言う)その初め

(四時頃)である。

 この道の案内者を仕った男は、甲斐甲斐しく湊中を走り回って、伯耆の国に漕ぎ戻る商人の舟が

有ったのを、兎角に語らいて、主上を屋形の中に乗せ参らせ、その後で暇を申して止まったのだ。

 この男は実にただ人にはあらずして、君御一統(天下を平定する)の御時に、尤も忠賞あるべしと

国中を尋ねられたのだが、我こそはそれにて候と申す者は遂に現れ出なかったのだ。

       佐々木清高の追跡 危難を遁れて 名和湊に御着

 夜も既に明けたので、舟人は纜(ともづな)を解いて順風に帆を揚げて、湊の外に漕ぎ出した。

 船頭は主上の御有様を見奉りて、ただ人にては渡らせ賜わじとや思ったのか、館の前に畏まって



あらばそれに随いて、御舟の梶をば仕り候べし。と、申して、実に他事もなげな気色である。

 忠顯朝臣はこの言葉を聞き給いて、隠しては中々に悪しかるべしと思われたのであろうか、この

船頭を近くに呼び寄せて、これ程に推し当てられては何をか隠すべき。屋形の中に御座あるのは日

本国の主(あるじ)、忝くも十善の君にて入らせ給う。

 汝らも定めて聞き及んでいるであろうが、去年より隠岐判官の舘に押し込められて御座有られた

が忠顯が盗み出だし参らせたのだ。

 出雲・伯耆の間に何処であっても適当と思われる泊りに、急いで御舟を着けて降ろし参らせよ。

御運が開けたならば、必ず汝らを侍に申しなさせて、所領一所の主となさせるであろう。と、仰せ

られければ船頭は実に悦ばし気なる気色にて、取り舵(船主を左に向ける時の梶の切り方」・面梶

(右に向けるときの梶の取り方)を取り合わせて、片帆(帆を片法に寄せて斜めに風を受ける事)

にかけてぞ馳せたのだ。



雲・伯耆を指して馳せ来る。

 筑紫舟(九州方面に航海する舟)か商人舟(あきんどが用いて商品を運搬する舟)かとみれど、そ

うではなくて隠岐判官清高が主上を追い奉る舟である。

 船頭はこれを見て、かくては叶い候まじ、此処に御隠れ候え、と申して主上と忠顯朝臣を船底に

御座所を移し参らせて、その上にあひ物(塩魚類の総称)と言って干した魚が入った俵を積みて、



押したのだ。

 さるほどに追っ手の舟一艘、御座舟(主上の居ます舟)に追いついて、屋形の中に乗り移り、こ

こかしこと探したが、見出だし奉らず。

 さては、この舟には召されなかったようだ。もしや、怪しい舟は通らなかったか、と問いける

に、船頭は、今夜の子(ね」の刻(午後十二時)ばかりに千波(ちぶり)湊を出で候つる舟にこそ

京上臈と思しくて、冠とやらん着た人と、立て烏帽子を着た人と、二人を乗せ給いける。その船は

今は五六里も先立ち候つらん、と申しければ、さては疑いも無き事である、早く舟を押せ、と言っ

て帆を引き梶を直せば、この舟はやがて隔たったのだ。

 いまはこうと心安く覚えて、跡の浪路を顧みれば、又、一里ばかり下がって追っ手の舟が百余艘

が御座船を目に掛けて、鳥が飛ぶかのように追いかけた。

 船頭はこれを見て、帆の下に櫓を立て、万里を一時に渡ろうと声を帆に挙げて(帆を高く上げる

ように声を張り上げて)押したけれども、時節に風が弛(たゆ)み塩向けて(潮の流れが舟の進む方

向と逆に流れて)御舟は更に進まない。水手・舵取りはどうしようかと慌て騒いでいる間に、主上

は船を底から御出でなされて、膚の御守りから仏舎利を一粒取出させ給いて、御畳紙の上に乗せて

浪の上にぞ浮かべられた。

 龍神がこれにぞ納受なされたのか、海上は俄かに風が変わって御座船を東に送り、追っ手の舟を

西に吹き戻した。

 さてこそ主上は虎口の難を御遁れ有りて、御舟は伯耆の国名和湊に倒着したのだ。

         勅使を 名和長年に派遣 長年の決意
          主上を奉戴して 船上山に籠る

 六条少将忠顯朝臣ただ一人が先ず船から下り給いて、この辺には如何なる者か弓矢を執って人に

知られているかと問いなされたところ、道行く人が立ちやすらいて、この辺には名和又太郎長年と

申す者が、その身は指して名のある武士で候わねども、家が冨み一族が広くして心嵩(こころが

さ、思慮に富む事)有る者で候、とぞ語ったのだ。

 忠顯朝臣はよくよくその仔細を尋ね聞いて、やがて勅使を立てて仰せられけるのは、主所は隠岐

判官の舘を御遁れ有って今この湊に御座有る。長年の武勇を兼ねて上聞に達せし間、御頼み有るべ

き由を仰せ出でられける。御依頼に応じるか否か、速やかに勅答申すべし、と仰せられたのだ。

名和又太郎は折節に一族共を呼び集めて酒を飲んでいたのだが、この由を聞いて案じ煩いたる気色

であり、兎も角申し得ざるのを、舎弟の小太郎左衛門尉長重が進み出て、申しけるは、古より今に

至るまで人が望む所は名と利とのふたつでありまする。我等は忝くも十善の君に頼まれ参らせて、

屍(壁ね)を軍門に曝すとも名を後代に残さん事は生前(しょうぜん)の思い出で、死後の名誉足るべ

し。ただ一筋に思い定めさせ給うより外の義あるべしとも存じ候わず、と申しければ、又太郎を始

めとして一座に候ける一族共の二十余人、皆がこの義に同じたのだ。

 さらばやがて合戦の用意候べし。定めて追っ手も跡から懸かって候らん。長年は主上の御迎えに

参ってただに船上山に入れ参らせん。かたがたは直ぐに出発して、船上(ふねのうえ)に御参候べ

し。と、言い捨てて、鎧を一縮して(鎧を着ること)走り出た。一族の五人も腹巻を取って投げかけ

投げかけして皆が高紐(たかしぼ)を締めて、共に御迎えにぞ参じたのだ。

 俄かの事で御輿なども無かったので、長重が着ていた鎧の上に荒薦を巻いて、主上を負い参らせ

鳥が飛ぶが如くに舟上(ふなのうえ、船上山の上にある家)に入れ奉る。

 長年は近辺の在家(田舎の家)に人を廻して、思う事があって、舟上に兵粮を上げる事がある。我

が倉の内にある所の米穀を、一荷を持って運び来らん者には銭を五百づつ取らすべし。と、触れた

りける間、十方から人夫が五六千人が出で来たりて、我劣らじと持ち送ったのだ。





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最終更新日  2026年04月02日 18時58分58秒
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