全20件 (20件中 1-20件目)
1
「人格攻撃にならない建設的な討論を!」 ベストセラーになった『環境問題はなぜウソがまかり通るのか』について私はかなり批判的に検討しました。まとまった内容については次のページです。 “しょう”のページへジャンプ ただ、アル・ゴア氏や武田邦彦氏に対するネット上の批判を見ていると、建設的な討論につながるものもありますが、「これは人格攻撃ではないか」と思えるものもままあります。空間を越えて建設的な討論を積み上げていく武器を私たちは持っているのですから、ぜひ、プラスに活用したいものですね。 堂々と批判的意見を提示していこう、という気持ちから私は、武田邦彦氏の著書に対する意見を公開する以前に、本人にメールでお伝えしたところ、下記のようなていねいなご返事をいただきました。 「ご丁寧なご批判をいただきまして、ありがとうございます。私の著作の方針は1) 自由闊達な議論と批判2) 日本人の誠をもった行動ですから、ご批判は大変、良いことと存じます。通して読みました感想ですが、ほとんど私と同じお考えと受け取りましたが、次の2点が少し違うかも知れません。1) 自分がある目的が正しいと思ったからといって(私は環境が大切で、森林もとても大切と思っています)、自分の目的にそった事実だけを示すのではなく、むしろ反対の事実を多く示して、それでも私は(ある理由で)これが正しいという生き方をとってきました。2) 環境に関することは「国民はバカだから危機を煽らないとムダをしたり、環境を壊す」というお考えの方が多いのですが、私は国民を信じています。たとえば私の本をお読みになって「環境なんか大切ではない」とご判断される方はそれはそれでその方のお考えであると思います。これまであまりにも間違った情報を多く与えられていたことこそ問題と思います。」 いかがでしょうか。武田氏は決して「反環境主義者」ではないのです。確かに、著書の内容には様々な疑問点はありましたが、一人ひとりが異論も受け止めつつ考えていくきっかけにすることが大切ではないでしょうか。〔追記〕 上記の記事の基本的姿勢「人格攻撃にならない建設的な討論を」ということについては大切なことだと今でも考えますが、その後『環境問題はなぜウソがまかり通るのか2』、『暴走する「地球温暖化」論』などを読む中で「武田氏の執筆姿勢には根本的な問題があるのではないか」と感じています。 つまり、上記メールの中身をそのまま受け止めれば「真実を伝えていくために執筆している」と読めるのですが、武田氏の著作は「事実をデータとしてきちんと確認していく」という基本的な姿勢さえも欠いていると判断せざるを得ないのです。 この記事を読んでくださった方は、安井至氏のHP「反偽善エコロジー」その1、その2 などもご参照いただければと思います。 ↑ランキング(日本ブログ村)はこちらです 教育問題に関する特集も含めてHPしょうのページに(yahoo geocitiesの終了に伴ってHPのアドレスを変更しています。)
2007.11.24
コメント(0)
「このシリーズ その15です」 武田氏の著書について「温暖化の記述」を中心に批判的に検討してきましたが、末尾で主張されていることについては賛成する立場で、教育環境やメディア環境について論じます。(敬体ではなく常体でまとめておきます) 鳥取県でもそのような実態(子どもたちをめぐる深刻なメディア環境等)への危機意識を背景に、県教育委員会を中心とする実行委員会主催の「メディアとの接し方フォーラム」の開催、小・中・高等学校PTAによる研修会、さらに中学校区単位の研修会などが、進められている。また、実際にいくつかの学校では中学生や高校生を対象とした講演なども開催されている。 PTA活動の重要な役割のひとつに研修会(子どもたちの教育や将来にかかわる重要なテーマについての研修会)の開催がある。 上記のような社会環境(情報メディアに関する)の共有と対応は当然重要なテーマとなるが、武田氏も挙げておられるような「人生や家庭にとって大切なことは何か」「食(あるいは食教育)の大切さ」「資源・エネルギー問題さらに環境問題(現状の中で次世代のために何ができるのか)」等も重要なテーマとなってくるのではないかと思う。 私自身、5歳の子どもの親であるが、地域や小学校区を基盤に多くの「大切な問題(社会環境・自然環境などに関する)や具体的行動」について意見交換しつつ、実りある取り組みを進めていくために微力を尽くしたいと考えている。 おそらくこのような問題意識において武田氏と私との決定的な対立点は無いのではないか、と考える。しかしながら、冒頭で述べたように氏の著作『環境問題はなぜウソがまかり通るのか』が、現在の問題を解決していこう、という人々の素朴な意思さえも混乱させ、環境問題(武田氏の主張する「石油を使う量を減らすこと」も含めて)の解決にマイナスの影響を及ぼすことを危惧するものである。 それは、同書に実践的な展望が示されていないからである。現実に、読後感想なども含めインターネットでいくつかの反応を検索してみると「結局節約しても無駄じゃないか」といった反応が複数あった。 「大切な問題(社会環境・自然環境などに関する)」をともに解決していくために力を尽くしていきたい。そして、今後、氏の著書をめぐる論議も未来を切り開いていく上で生産的なものとなっていくことを切に望むものである。 教育問題に関する特集も含めてHPしょうのページに(yahoo geocitiesの終了に伴ってHPのアドレスを変更しています。) ↑ランキング(日本ブログ村)はこちらです
2007.11.22
コメント(0)
「このシリーズ その14です」 武田氏の著書について「温暖化の記述」を中心に批判的に検討してきましたが、末尾で主張されていることについては賛成する立場で、教育環境やメディア環境について論じます。(敬体ではなく常体でまとめておきます) 武田氏が218頁で示しているように、子どもたちの意識は確実に変わってきている。これは、地域共同体の力(地域の教育力)が弱まった、というだけでは説明できないであろう。 背景には一体何があるのか。根本的には、「さまざまな有害情報や問題のあるメディアから子どもたちを守っていこう」という大人たちの意識や協力体制が弱かったことが挙げられる。 1980年代から氾濫していったテレクラ、手っ取り早く「ナンパ」する道具として普及したポケベル、さらに最近ではインターネットに接続できる携帯電話(「先進国」で唯一)を普及させ、中学生や高校生にも好き勝手に使用させてきたことが大きな問題ではないかと思う。 さまざまな情報メディアの問題点や危険性について、大人たちがしっかりした論議をすることなく、それらの普及を野放しにしてきたことが決定的であったと考えられる。 携帯インターネットを使って、子どもたちが有害情報にアクセスあるいは発信し、それらを背景に犯罪行為をどんどん引き起こしている実態については「ねちずん村」のホームページを参照されたい。そこにはいわゆる「学校裏サイト」(中・高生自身が管理し、現実に誹謗・中傷や有害情報の発信源となっているサイト)の実態など詳しく載っている。 アクセス数のランクを競って貼り付けられるわいせつ画像、個人を的にした誹謗中傷、そして学校裏サイトの周辺に貼り付けられた出会い系サイト、援助交際の体験の投稿など、何でもありの状況の中で子どもたちの感覚が麻痺していると考えられる。 われわれは、「携帯インターネット」というきわめて強力なメディアを与えながら、子どもたちに好き勝手に使わせた結果生まれている実態について認識を共有すること、それに対する学校ぐるみ地域ぐるみの対応を具体化していくことが必要だろう。 教育問題に関する特集も含めてHPしょうのページに(yahoo geocitiesの終了に伴ってHPのアドレスを変更しています。) ↑ランキング(日本ブログ村)はこちらです
2007.11.21
コメント(0)
「このシリーズ その13です」 武田氏の著書について「温暖化の記述」を中心に批判的に検討してきましたが、末尾で主張されていることについては賛成する立場で、教育環境やメディア環境について論じます。(敬体ではなく常体でまとめておきます) 213頁「安全神話の崩壊と体感治安の悪化」、217頁「失われつつある日本人の美点」で主張されている内容についても、ほぼ賛成できる。 武田氏は215頁で各国の殺人発生率の一覧表を示しつつ、「殺人発生率や窃盗率を数字で比較した場合、日本は世界でも最低レベルになっている」ことを確認する。「それほどすばらしい環境」を支えてきたものは何だったのか、について私見を述べてみたい。 以前は、地域共同体の力(地域の教育力)がそれを支えてきたと考えられるが、多くの論者も指摘するようにその力は相当に弱まっている。それでは現在の日本における「犯罪発生率の低さ」を支えているものは何であるのか。手前味噌ではあるが、学校教育の果たしている役割は大きいと考えている。1、「日本の学校では、児童会・生徒会行事などをはじめとする“特別活動”が重視され、そこでさまざまな子どもたちが活躍し周りから評価される機会が作られていること」2、「一緒に成長する、クラスが成長するといった視点が日本の学校教育の中にあること」3、「高校進学率が98%で2%の退学を差し引いても90%以上の子どもが、高校教育を受けて卒業していくこと」などは、一部論者から「もっと評価されていい」と指摘されている。 事実、高校卒業者が90%以上という数値は欧米の80%前後と比較しても際立って高い。(背景には、1・2のような日本の教育の特徴があると考えられる。) 結果として「厳しい家庭環境で育ってきた子どもたち」も含めて、「自分は見捨てられなかった」という意識が形成され、犯罪発生率を抑えているという面もあるのではないだろうか。(もちろん学校なんてとんでもなかった、と思う人もいるだろうが・・・) ところが、武田氏が218頁で示しているように、子どもたちの意識は確実に変わってきている。これは、地域共同体の力(地域の教育力)が弱まった、というだけでは説明できないであろう。背景には一体何があるのか。 (続く) 教育問題に関する特集も含めてHPしょうのページに(yahoo geocitiesの終了に伴ってHPのアドレスを変更しています。) ↑ランキング(日本ブログ村)はこちらです
2007.11.20
コメント(0)
「このシリーズの12です」 批判的検討をしてきましたが、最後の部分については賛同できる点がいくつもあります 205頁「農業の衰退と自国で生産されたものを食べないことによる弊害」で主張されている内容、206頁「身土不二的な暮らしの大切さ」(身土不二…自分の足で歩ける3里から4里範囲の地域の食材を食べることがもっとも健康によいという考え方)、「食料自給率を高めることの必要性」や208頁の「工業収益の一部を農林業や漁業に還流すべき」という主張については、ほぼ全面的に賛同できます。 「身土不二」という言葉に象徴される「古来の生活様式や知恵」に学ぶことも大切でしょう。ただその場合、経済や社会の構造が大きく変わってしまっている現在、農業政策等で成果を挙げている他国(EU諸国など)の取り組みにも謙虚に学ぶべきでしょう。 教育問題に関する特集も含めてHPしょうのページに(yahoo geocitiesの終了に伴ってHPのアドレスを変更しています。) ↑ランキング(日本ブログ村)はこちらです
2007.11.19
コメント(0)
「このシリーズ その11です」第4章「ちり紙交換屋は街からなぜいなくなったのか」に関して「森林資源破壊の元凶にされてしまった紙」 170頁 171~172頁の記述の中で武田氏は「日本人が使っている紙の原料のほとんどは先進国の森林から採られたものであり、守らなければならない開発途上国の森林からではないのだ」として紙のリサイクルが実にバカらしいことであり、さらには「環境運動が環境を破壊している」と断じています。ここでは、1、紙のリサイクルと森林破壊は無関係なのか、2、環境運動が環境を破壊しているのか、3、紙のリサイクルは二酸化炭素の削減につながらないのか、の3点において述べてみます。1、紙のリサイクルは森林保護とは無関係なのか? これについては、 『環境問題はなぜウソがまかり通るのか』の問題点 で栗岡氏がわかりやすく指摘しておられますが、一部引用させていただきます。 「紙のリサイクルと熱帯雨林や開発途上国の森林は関係がない」(171頁)と同書はいいきっている。「熱帯雨林を守りたいのに北方の先進国から来る紙の原料を節約しても、熱帯雨林の減少は止められないのは当たり前なのである」(173頁)というのがその根拠。 だが、これはまったくの誤りだ。量販店に山積みされている真っ白なバージンパルプ100%のインドネシア製のコピー用紙は熱帯林と密接な関係にある。 日本で作られる紙の原料にしても、「北方の先進国から来る」ものばかりではない。バージンパルプの原料である木材チップには広葉樹と針葉樹があるが、 針葉樹チップのほぼ倍の消費量である広葉樹チップの輸入先は、オーストラリア34%、南ア24%、チリ16%、ベトナム6%、ブラジル5%、ウルグアイ3%、その他11%(2006年、財務省通関統計)である。 オーストラリアは先進国だが森林破壊が深刻。JATAN(熱帯林行動ネットワーク)やグリーンピースなどのHPでも破壊の様子が取り上げられている。 上記の引用部分だけでも、同書の誤りは明らかでしょう。2、環境運動が環境を破壊しているのか? 現在、 多くの製紙会社が熱帯ないしは温帯(主に開発途上国)で植林活動を行っています。このような活動の背景には「環境運動」があると思われますが、森林の成長の早い地域で計画的に植林・伐採を行いパルプの原料を確保する活動は、環境にとってマイナスになるとは言えません。 輸送や製紙の過程で二酸化炭素を出すことは避けられないですが、バクテリアの分解等による二酸化炭素の発生はなく、植林された木々の生育過程では当然二酸化炭素を吸収します。「環境運動が環境を破壊している」と言う主張は破綻しているといわなければなりません。 ただ、計画的に植林・伐採が行われてきた北欧の人工林が無駄に捨てられているというのは問題でしょう。建材やパルプも含めて国内や近隣の国々で適度に活用していくことが望まれます。3、紙のリサイクルは二酸化炭素の削減につながらないのか? 「環境白書」によれば、古紙リサイクルの場合75%のエネルギーが節減できるということです。紙のリサイクルが“エネルギー節減”につながることは間違いないようです。また、北欧などの遠隔地から輸送するエネルギーも節減できます。二酸化炭素の排出を抑制するという点では、古紙リサイクルも立派に「環境配慮活動」となっているのです。 ついでに言うと「チリ紙交換車」は、私の町にも結構頻繁に回ってきています。「お金になりますか?」と業者の方に質問したところ、「食べていくには困りません」とのことでした。「環境運動」を背景に再生紙の需要が増えたためでしょうか。 教育問題に関する特集も含めてHPしょうのページに(yahoo geocitiesの終了に伴ってHPのアドレスを変更しています。) ↑ランキング(日本ブログ村)はこちらです
2007.11.19
コメント(2)
「このシリーズの10です」(目的はウソを暴くことではなく建設的な問題提起です)第5章「環境問題を弄ぶ人たち」に関して「石油が枯渇すれば地球温暖化は自動的に解消する」 武田氏が、末尾(209頁)に述べられている「石油が枯渇すれば地球温暖化は自動的に解消する」というのは明らかな間違いであり、そのことは武田氏自身もよく理解しておられるはずです。 化石燃料はもちろん石油だけではありません。古生代に1億年以上かけて植物の体に蓄積されたエネルギーは石炭となって地下に埋まっています。石炭は現在、世界の1次エネルギー消費の約3割を占めているが、確認埋蔵量は熱量換算で比較しても石油の3倍以上、可採年数は約200年です。(古生代石炭紀の環境の中で膨大な量の植物が繁茂したことを考えると、未確認の埋蔵量も石油をはるかに上回ると思われます。) さらに、石炭をそのまま燃やすだけではなく(エネルギーを使って)液化・ガス化した後に、石油と同じようにどんどん使われるとすれば、この百年・二百年で引き起こされる急激な変化は大きな問題をもたらすでしょう。「石油を使う量を減らすことだ。それぐらいは言い訳せずに子孫のためにやりたいものである」(200頁)という点については大賛成ですが、石炭についても当然考慮する必要があるでしょう。 教育問題に関する特集も含めてHPしょうのページに(yahoo geocitiesの終了に伴ってHPのアドレスを変更しています。) ↑ランキング(日本ブログ村)はこちらです
2007.11.18
コメント(0)
「このシリーズの9(後半)です」(目的はウソを暴くことではなく建設的な問題提起です)「地球温暖化よりも大切なこと」について 武田氏は54頁に具体的なデータを示しつつ、一人当たりの資源消費量が日本の2倍であることをもって、「ドイツに学ぶ必要はない」という趣旨のことを述べておられますが、「ドイツの取り組み(農業政策等)を全く評価できない、」とは言われないのではないでしょうか。 私の想像ですが、日本において一人当たりの資源消費量が少ないのは二度のオイルショックを経て、資源を海外に頼る日本企業が徹底的に省エネルギーや生産の効率化に努めたからではないか、と思います。 電化製品の効率化や乗用車の低燃費化なども早い段階で進んでいます。 ただし、そのような「企業努力」の一方で「生活仕方の問い直し」はなかなか進まず、家庭でのエネルギー消費量は少なくないのです。資源消費量が少ないにもかかわらず一人当たりの二酸化炭素排出量がドイツと変わらない(ドイツ2.66トンに対して日本2.64トン『世界国勢図絵』2006、2007年版)のはそのためではないでしょうか。 劣等意識に凝り固まる必要はないのですが、「学ぶべきは学ぶ」という姿勢のほうがより生産的でしょう。 教育問題に関する特集も含めてHPしょうのページに(yahoo geocitiesの終了に伴ってHPのアドレスを変更しています。) ↑ランキング(日本ブログ村)はこちらです
2007.11.17
コメント(0)
「このシリーズの9(中)です」(目的はウソを暴くことではなく建設的な問題提起です)「地球温暖化よりも大切なこと」について 二酸化炭素削減の「数値目標」をたてて取り組みを進めていくことと、武田氏の言う「人生にとって大切なこと」は両立不可能なのでしょうか。私は両立可能ではないか、と考えるのです。 環境保全や二酸化炭素削減を目指して真剣に取り組んでいるNPOは、全国で数千は存在するといわれます。活動の中心になっている人たちの多くが共有していると思われる考え方は、いわゆる「スローライフ」の大切さですね。 「環境運動」を行う多くの人たちは、「そもそも人生や生活にとって大切なことは何か」という原点に立ち返りつつ「自然との関わり方」や「生活仕方」の見直しを進めているようです。武田氏の信用しないマスコミがらみではあるが、『NHK地球だい好き 環境新時代』(日本放送出版協会)のなかに具体的な取り組みが数多く紹介されています。 私自身も、今は自家用車をほとんど使わず、暑い夏にはなるべく扇風機を用い冷房をつける場合にも設定温度は29℃から30℃、水を含んだ生ごみは庭に浅く埋める等々、できることは取り組んでおり二酸化炭素排出量は一般家庭の3分の2程度かもしれない、と思います。しかし、子どもと一緒にバスを待ったり家庭菜園を作ったり、JRのなかで本を読んだりと、以前よりもゆったりした気分で生活していますよ。 高い数値目標をあげて取り組むことと、いわゆるスローライフが両立するかどうかは、EU諸国、特にドイツの事例が参考になるでしょう。ドイツでは「古いものに価値がある」ということでおもちゃや古着を販売するフリーマーケットは大人気、海外旅行よりも国内旅行が奨励されグリーンツーリズムが盛んです。 また、農業政策ですが「(ドイツの)州政府はあらゆる方法で農村を支援し、八〇年代の始めには現在のEU(ヨーロッパ連合)の農業政策に先駆けて、環境保全型の農業経営に補償金を支払う制度を実施した。このような背景から(…)EC理事会は八九年バイエルン州から提出されていた「田園景観維持計画」を採択した。」ということです。 (『ドイツの分かち合い原理による日本再生論』 関口博之著 より) 1990年比で20%近くの二酸化炭素削減に成功しているドイツの現状から、目標数値にとらわれてあくせく振り回される生活とは別の「豊かさ」を感じるのは私だけではないでしょう。 教育問題に関する特集も含めてHPしょうのページに(yahoo geocitiesの終了に伴ってHPのアドレスを変更しています。) ↑ランキング(日本ブログ村)はこちらです
2007.11.17
コメント(0)
「このシリーズの9(前半)です」(目的はウソを暴くことではなく建設的な問題提起です)「地球温暖化よりも大切なこと」について 「地球の気候が急変すれば気象災害も起こるし、南の国ではマラリアも増える。水位の低いところや(…)水面ぎりぎりの所は水浸しになる。(…)原因は日本やアメリカを中心とする先進国の人たちの無制限なエネルギーの使用だ。」(164~165頁) 上記のような主張はいたってもっともだと思われますが、その後一つの結論として武田氏は次のように述べます。「少しでも得しよう、お金をもうけようとしたりせず、人生にもっと大切なこと-家族、友達、ゆったりした時間-そんなことを大切にしていれば、地球温暖化は自然消滅する。“二酸化炭素の排出量の目標”などをつくってしかめっ面をしていると、この問題は解決しない。」(166頁) 述べたいことの趣旨は想像できます。「人々が強い危機感(地球環境問題に関する)に追い詰められて心の余裕を失い、数値目標達成に振り回されるようなことになれば、結局、人として生きていくうえで大切なものを見失ってしまうことになる。人生にもっと大切なこと-家族、友達、ゆったりした時間-そんなことを大切にしていくことで、地球環境問題は消滅していくのだ。」ということでしょう。 なるほど、強い危機意識を背景に自分自身も周りの人も追い詰めてしまうような、一部の環境運動家を私も知っています。また、私自身も『ニューズウィーク(日本版)』(平成19年2月7日号)の主張に触れて、正直「あせり」を感じていた面もあるので自戒したいと思います。 しかしながら、そもそも二酸化炭素削減の「数値目標」をたてて取り組みを進めていくことと、武田氏の言う「人生にとって大切なこと」は両立不可能なのでしょうか。私は両立可能ではないか、と考えるのです。 (9の中に続く) 教育問題に関する特集も含めてHPしょうのページに(yahoo geocitiesの終了に伴ってHPのアドレスを変更しています。) ↑ランキング(日本ブログ村)はこちらです
2007.11.16
コメント(0)
「このシリーズの8 後半」です(目的はウソを暴くことではなく建設的な問題提起です)「京都議定書くらいでは地球温暖化を防げない」 156頁 前半で述べたとおり、上記の点は取り立てていう必要もない「常識」でしょう。 EUが算出したシミュレーションによると、大気中に含まれるCO2の量(現在は380ppm)を、約450ppmで安定させることができれば、50%の確率で2度上昇を回避できます。そのためには(大きな悪影響を回避するためには)CO2の排出量を1990年水準の半分(50%削減)にする必要があるというのです。 当然、京都議定書などはひとつのステップに過ぎないわけですが、その後もにらみながらEU諸国は二酸化炭素の削減の実績を挙げています。それが充分だと言い切れないまでも、私としてはそのような提言や姿勢を支持するものです。(ただ、日本が全く実績を挙げていないのは残念なことであり、このままでは国際的な信用も失ってしまう、という武田氏の指摘はそのとおりでしょう。) 根本的には、例えば(1)リュースびんを用いた商品の税率を極端に下げ、自販機で販売される缶(ましてやペットボトル)など無駄が多く大量生産・大量消費につながるような製品の税率を上げる、(2)公共交通機関や自転車で通勤する人が優遇され、マイカー通勤者が炭素税など多額の負担を負うようにする、(3)第1次産業の振興に適切な形で公的予算を支出し、農産物や木材の「地産地消」を進めていくなど、「心がけ」や「掛け声」に終わらせない改革を進めていくことが必要だと思います。 教育問題に関する特集も含めてHPしょうのページに(yahoo geocitiesの終了に伴ってHPのアドレスを変更しています。) ↑ランキング(日本ブログ村)はこちらです
2007.11.15
コメント(0)
「このシリーズの8 前半」です(目的はウソを暴くことではなく建設的な問題提起です)「京都議定書くらいでは地球温暖化を防げない」 156頁 そのとおりですが、「京都議定書で地球温暖化を防げる」といった嘘をつく科学者や政府関係者が横行しているならともかく、とりたてて強調する必要もないことでしょう。 2012年以降の削減の枠組みが国際的に論議されつつあることからしても、上記のような誤解についてはそれほど心配される必要はないと思います。 EUは独自の試算により産業革命開始時から2℃を越えて温度上昇が生じると、大きな悪影響が発生すると判断しています。また『ニューズウィーク(日本版)』(平成19年2月7日号)は、2℃以上の気温上昇が生じれば、永久凍土の氷解→二酸化炭素の大気への放出→温暖化・氷解の加速という悪循環によって重大な影響が生ずる、という趣旨のことを述べています。「(グリーンランドの)氷床の融解が一定以上進むと、太陽光を反射する氷の冷却作用が弱まる。その一方、黒っぽく露出した地面や海水が、熱を吸収するようになる。すると凍土に閉じ込められていた二酸化炭素が大気中に放出され、極地の温暖化を加速する。氷は自己増殖的に解け始め、それがさらに地球の温暖化を促進させるという悪循環に陥る」というわけです。 教育問題に関する特集も含めてHPしょうのページに(yahoo geocitiesの終了に伴ってHPのアドレスを変更しています。) ↑ランキング(日本ブログ村)はこちらです
2007.11.15
コメント(0)
『環境問題はなぜウソがまかり通るのか』の誤り その7 後半「地球温暖化はどの程度危険なのか」 151頁 また、武田氏は「数メートルの海水面の上昇」という主張は非科学的と断定するが、必ずしも断定できない根拠をIPCC第4次報告から抜き出しておきます。1、「古気候に関する情報によって、(・・・)長期間にわたり、現在よりもかなり温暖だった最後の時期(約125,000年前)には、極域の氷の減少により4~6mの海面水位の上昇がもたらされた。」2、「氷床コアのデータによれば、その期間における極域の平均気温は、地球の公転軌道の違いにより現在より3~5℃高かったことが示されている。」3,「グリーンランドの氷床や北極の他の氷雪域の観測された海面水位上昇への寄与は多くとも4m程度である可能性が高い。南極からの寄与もあった可能性がある。」4,「最近の観測結果が示唆する氷河に関係した力学的な過程によって、昇温によって氷床の脆弱性は増加し、将来の海面水位上昇がもたらされる可能性がある。しかし、(…)その規模についての一致した見解は得られていない。(・・・)これらの効果についての理解が非常に限られているため、起こりやすさを評価したり、最良の見積もりや海面水位の上限を示すことは不可能である。」 以上のことから読み取れることは、(1)今世紀の温度上昇に伴う「極域の自然な氷解」の結果生じる海面上昇の規模がIPCC報告では最大59cm」との予測が存在するにしても、「力学的な氷床の脆弱化と氷の流出」については厳密な予測が不可能であるということ、(2)125,000年前の古気候に関する情報から類推して、極地の3~5℃の温度上昇が4~6mの海面水位の上昇につながることもありうる、ということです。〔ちなみにIPCC第4次報告書によると、現在のエネルギー浪費型の経済活動や生活を転換できなかった場合、今世紀末に気温は4度前後上昇する(最悪6.4度の上昇)ということです。〕 (以上 7の後半) 教育問題に関する特集も含めてHPしょうのページに(yahoo geocitiesの終了に伴ってHPのアドレスを変更しています。) ↑ランキング(日本ブログ村)はこちらです
2007.11.14
コメント(0)
『環境問題はなぜウソがまかり通るのか』の誤り その7 前半「地球温暖化はどの程度危険なのか」 151頁 映画『不都合な真実』で映示されていたグラフからは現在の二酸化炭素濃度が過去65万年の中で異常に突出していることが読み取れました。 しかし、武田氏のいわれるように、シダ植物の全盛時代であった「古生代石炭紀」の二酸化炭素濃度ははるかに大きく、平均気温35度という高温期にどんどん光合成を行いながら巨大な植物が繁茂したのでしょう。事態を冷静に把握するためにはより大きなスケールで地球の歩みを振り返ることが必要だ、という主張は理解できます。 ただ、「地球の空気の中にある二酸化炭素を2億年かけて植物の体に移し、それを200年で戻そうとしているのである。(…)そのスピードが速すぎ、その量があまりに巨大すぎるというのが地球温暖化問題の本質である(武田氏)」とすれば、そのスピードをいかにして緩和するか、ということは重要な問題ではないのでしょうか? また153頁には「騒がれている地球温暖化というのは現在の15度が最大で17度になるぐらい」とありますが、そのように断定する根拠は? おそらくIPCC第4次報告の前に著書を発行されたのでしょう。「報告」によると2度上昇以内というのは、現在のエネルギー浪費型の経済活動や生活を転換できた場合の数値で、転換できなかった場合は4度前後上昇する(最悪6.4度)ということです。 「あまりに変化が急速であるため1度2度であっても問題だ」とする武田氏のことですから「今世紀末に4度上昇」の悪影響を否定されることはないでしょう。 確かに4度上昇という予測は大き過ぎる、という見方も当然あるでしょう。しかし「永久凍土の溶解に伴う二酸化炭素の大気中への放出」(実際に観測されている)などを考えれば、「不安をあおるために誇張された数字だ」などと断定することはできません。(以上 7の前半) 教育問題に関する特集も含めてHPしょうのページに(yahoo geocitiesの終了に伴ってHPのアドレスを変更しています。) ↑ランキング(日本ブログ村)はこちらです
2007.11.14
コメント(0)
『環境問題はなぜウソがまかり通るのか』の誤り その6「新幹線を使えば飛行機よりも二酸化炭素の発生量が十分の一になる?」で武田氏が述べておられる「鉄道網整備には多大なエネルギーを消費している」という指摘はその通りでしょう。 しかし、鉄道網の整備されている現時点で、時間的な条件等に問題がない場合どのような交通機関(車、飛行機、鉄道)を用いるのがよりよいか。地下鉄網が整備されている首都圏での通勤に、車と電車のどちらを用いるのがいいのか、無駄な二酸化炭素の放出をこれ以上増やさないためには自明ではないでしょうか。 この本を通読して感じるのは、どうするのがより良いか?(よりましか?)という視点が示されないため、シニシズム(冷笑主義)に陥る危険性が大きいのではないか、ということです。 また、著書全体として「おまえら全くわかっていない。」といった優越感を伴ったメッセージを感じるのは私だけでしょうか。最悪の場合、「何をやっても無意味だよ」という風潮が広がりかねないことを危惧するものです。 ウソを暴くことだけに力を注ぐのではなく「どうすればいいか」という実践的な展望を示してほしいものですね。時間のある方は “しょう”のページへジャンプ ↑ランキング(日本ブログ村)はこちらです
2007.11.14
コメント(0)
『環境問題はなぜウソがまかり通るのか』の誤り その5「科学的知見に反する現代のおとぎ話」(145頁)「(水素を使った燃料電池なるものがもてはやされているが)水の中に含まれる水素を使おうとしたら…水素と同じ量の二酸化炭素が出る。」(私のコメント) それは、そのとおりでしょう。いかなる方法で水素を得るにしても、エネルギーが必要なことは確かです。しかし、たとえば「天然ガスから水素を取り出す」という方法を用いた場合、環境負荷の軽減(二酸化炭素の削減)につながらないかどうかは、きちんと数値を出して検証すべきではないでしょうか。 例えば、東京ガスの燃料電池コージェネレーションのエネルギー効率が71%、大阪ガス製(ガスエンジンを用いたコージェネレーション)のエネルギー効率が85%となっていることを見れば、天然ガスを直接用いるほうがエネルギーの活用という面では効率的なようです(結果として、使用エネルギーの節減については優れている) ただ、最終的に活用されるエネルギーの量と排出される二酸化炭素量はイコールとはいえないでしょう。燃料電池の場合エネルギーと水しか発生させない過程も含んでいるのですから。 ただ、いずれの機種を使用するにしても、通常の家庭用電気温水器と比べて大幅な二酸化炭素の削減にはなるようです。老朽化した温水器に換えて家庭用コージェネレーション(燃料電池のものも含めて)を購入することは、有力な選択肢となるでしょう。 教育問題に関する特集も含めてHPしょうのページに(yahoo geocitiesの終了に伴ってHPのアドレスを変更しています。) ↑ランキング(日本ブログ村)はこちらです
2007.11.13
コメント(0)
ベストセラーになった『環境問題はなぜウソがまかり通るのか』の誤り その4 この本を読んでいったい私はどうすりゃいいの、と思った人… 一緒に考えてみませんか? このシリーズ その4です。 「形だけの環境改善を我々は望んでいるわけではない」(143頁) 表題を見ればそのとおりです。しかし、すべて十把ひとからげにして「形だけ」だと断定することにいかなる意味があるのでしょうか。たとえば、次のような記述-「つまり、本気でやる気がなく、ただ言っているだけなのだ。」「(誰も環境なんかよくしようと思っていませんよ、と発言した)その先生は政府や専門家、マスコミの本音をお話になり、自治体の職員は庶民の感情をそのまま言ったともうけとめられるであろう」 これなどは武田氏の憶測、まして、全員の本音がそうであるというのはまったく不確かな憶測に過ぎません。武田氏は、森林や環境を本気で保全しようとする自治体や各種団体(NPOだけでなく公的機関の職員も)の活動、それを支持する報道機関の人々の姿勢をもう少し調べ確認してはどうでしょうか。(例えば、鳥取島根両県には「森林保全の必要性について報道するだけでなく、実行委員会の中心となって森林保全活動を推進し、社員が汗を流している地元の新聞社」も存在します。) ちなみにわが鳥取県でも導入した「森林環境保全税」は、長期的には木材の地産池消を目指したものです(県産材を用いて家を立てた場合には60万円の助成がなされています)が、たとえすぐに県産材の活用がうまくいかなくても、しっかり間伐や手入れをすることで長期にわたって生き生き成長する森林を育てることは、二酸化炭素の排出(増加)のスピードを大幅に遅らせることができるでしょう。 確かに、国の動きは鈍いと感じられる面はあります。片山前知事や橋本高知県知事を含めて複数の人たちが地方からの問題提起・発信の重要性を強調しています。 教育問題に関する特集も含めてHPしょうのページに(yahoo geocitiesの終了に伴ってHPのアドレスを変更しています。) ↑ランキング(日本ブログ村)はこちらです
2007.11.11
コメント(0)
ベストセラーになった『環境問題はなぜウソがまかり通るのか』の誤り その3 この本を読んでいったい私はどうすりゃいいの、と思った人… 一緒に考えてみませんか? このシリーズ その3です。 「森林が二酸化炭素を吸収してくれるという論理の破綻」(139頁) ここでの武田氏の主張を要約すれば、「成長の過程で木が吸収した二酸化炭素は、最終的に分解される時点で同じ量の二酸化炭素を出す→したがって木は二酸化炭素を吸収しない」ということで「理論的には」そのとおりだともいえます。しかし、間違いなく成長過程で二酸化炭素を吸収するわけですから、現時点で二酸化炭素の増加を軽減するためにできることはいくつもあるはずです。1,現在荒れている人工林を間伐によって手入れし、できるだけ長期にわたって生き生きと森林が成長していくように管理する。2,地元の森林を計画的に活用し、計画的に植林を行う。(熱帯材が破壊され減少する中、地元の森林の活用は政策として具体化していく必要があります。これが進めば海外から輸入する木材の量が減少し、輸送に必要となるエネルギーや排出される二酸化炭素も減少します。) アル・ゴア氏は『不都合な真実』の中で、森林の保全政策を進めている国とそうでない国の現実の植生を映像で示していましたが、森林の破壊や乱伐をやめて長期にわたって森が生き生きと成長していくような政策をとることは、現時点での二酸化炭素排出量を減らすことにつながるはずです。武田氏の述べ方は、森林保全政策に意味がないかのような誤解を与えます。 極端な話、「地球上の森林すべてが火事や乱伐によって壊滅したとしても、それまで森林が吸収した二酸化炭素を放出するだけだから二酸化炭素の量は変わらない」と理論上は言えるわけですが、そのような言説は有害無益でしょう。森林を壊滅させるのと、長期にわたって生き生き成長する森林を育て増やしていくのと、どちらが地球環境の急激な変化を抑制できるのか? あまりにも自明ではないでしょうか。 教育問題に関する特集も含めてHPしょうのページに(yahoo geocitiesの終了に伴ってHPのアドレスを変更しています。) ↑ランキング(日本ブログ村)はこちらです
2007.11.10
コメント(1)
ベストセラーになった『環境問題はなぜウソがまかり通るのか』の誤り その2 この本を読んでいったい私はどうすりゃいいの、と思った人… 一緒に考えてみませんか? このシリーズ その2です。 「節電すると石油の消費量が増える?」(136頁) ここで武田氏が述べている趣旨は、「節電をしてもあまったお金を銀行に預ければ、それが民間企業への融資等に使われた上に、後々自分で引き出して使うことになるので、結果として石油の消費量が増える→したがって節電すれば石油の消費量が増える」というものでした。 この件についてのコメントの後半です。 エネルギー等、節約に努めても生み出されたお金がどのように使われるのかを考える必要があります。この点で確かに武田氏の主張はもっともなのです。 しかし、経済原則のもう一つの面に目を向けていないのではないか、という疑問がわきます。それは、需要がなければ供給は増やせないということです。 つまり、多くの消費者が「できるだけ質素な生活に努め、不要なものは買わない」という消費行動をとれば、民間企業は仮に多くのお金が銀行にあったとしてもその資金を使って設備投資⇒生産拡大をどんどん進めていくわけにはいきません。 逆に、多少高価でも地元産の(旬の)安心できる農産物を買う、という消費行動をとれば地域の農業を支え・発展させていくために役立ちます。結局、考えるべきことは自分のお金をどのように使い、どのような消費行動をとるかであり、やり方によっては環境を良くするためにしっかりと寄与できるわけです。 教育問題に関する特集も含めてHPしょうのページに(yahoo geocitiesの終了に伴ってHPのアドレスを変更しています。) ↑ランキング(日本ブログ村)はこちらです
2007.11.09
コメント(0)
ベストセラーになった『環境問題はなぜウソがまかり通るのか』の誤り この本を読んでいったい私はどうすりゃいいの、と思った人… 一緒に考えてみませんか? 武田邦彦氏は、134頁で温暖化の本質について次のように述べる。 「石炭や石油は何億年という長い時間をかけてつくられてきた。それを今の人類は200年で使い尽くすと言われている。例えば、2億年かけてつくられたものを200年で使うとすると、その倍率は100万倍である。 地球の空気の中にある二酸化炭素を2億年かけて植物の体に移し、それを200年で戻そうとしているのである。やっていること自体は問題ないが、そのスピードが速すぎ、その量があまりに巨大すぎるというのが地球温暖化問題の本質である。」 上の記述はまったく妥当な見解であり問題も明確である。しかし、この後の展開の中で論述の力点は「問題をいかにして解決(あるいは軽減)するか」という方向ではなく「すでに流通している情報のウソや疑わしい点を暴く」ところに置かれてしまっている。 その結果、まったく妥当な問題の把握から出発しているにもかかわらず、問題の解決や軽減にマイナスの影響を発揮しているように見える部分が多々ある。 「節電すると石油の消費量が増える?」 (136頁) ここで武田氏が述べている趣旨は、「節電をしてもあまったお金を銀行に預ければ、それが民間企業への融資等に使われた上に、後々自分で引き出して使うことになるので、結果として石油の消費量が増える→したがって節電すれば石油の消費量が増える」というものである。 確かに、ゴア氏も指摘するように「貯金するにせよ投資するにせよ自分のお金がどのように使われるか、きちんと理解して対応していくことが必要だ」とはいえるだろう。 しかし「問題の解決(軽減)のために、二酸化炭素の排出を可能な限り減らす」という立場に立てば、むしろこの主張から何をすればいいのかが見えてくる。 質素な生活をし、余ったお金は(しっかりと調査・確認をした上で)自分が支持できる団体(例えば、持続可能な農業を軌道に乗せるべく日々奮闘している団体、それらの活動をコーディネートしている団体、NPOや企業も含めて環境への配慮を真剣に進めている団体)に投資・融資・寄付などをすればよいのである。 教育問題に関する特集も含めてHPしょうのページに(yahoo geocitiesの終了に伴ってHPのアドレスを変更しています。) ↑ランキング(日本ブログ村)はこちらです
2007.11.06
コメント(0)
全20件 (20件中 1-20件目)
1