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「原発の是非論」私どもには判らない問題ですが、確かに今回の福島第一原発での事故は、日本だけの問題ではなくなりました。それぞれの国によって、その対応の違いは当然ありますが、当事国の日本は力在る大国におもねることなく自国の将来も含めて、世界の範となる「原発対策」を実行ししなければなりません。その結論は「廃止」なのかそれとも、今回の事故で知りえた多くのデーターや実績と経験は、今後の改善策として、安全であり、安心できる「最良の原発」を造ることができるのではないでしょうか。とすれば、「原発」肯定論になりますが、それが正しいのかどうかは、自分だけでは、判定できる能力はありません。また、今回の事故でどのように判断しても「原発」は危険であり、安全な装置にはなりえないと、結論されるならば、これも否定はできません。すべては、国の主導による、見識者の判断に任せるほかに、今後の大勢の決しようがありません。国民として言えることは、絶対に自分たちの利得をもとにした強圧的採決だけはしないと約束してほしいものです。人類を含む、地球上の生物、植物すべての生存にかけて正しい結論を期待したいと思います。
2011年06月27日
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「日本を創る」 震災と文明 フォロワーシップ (東北からの提言)”任せきらない市民社会” 哲学者 鷲田清一氏 東京で水がなくなり、ペットボトルが届くのを待つだけだという。おかしいですよね。川にいっぱい水があるのに、それが一番、象徴的でね。これまで不思議に思わなかったけど当たり前でないことが、二次災害の中で露出したわけです。食べること、排泄物の処理、出産、子育て、教育、看護、介護、みとり、紛争解決。・・・・そういう人間が生きるうえで絶対に必要な「いのちの世話」をわれわれは行政や 民間のサービスに「委託する」というお任せの構造でずっとやってきた。近代以降ね、それまでは家族と地域社会でやったことを。震災でその利便性が裏返しになって、戻った地点は原始生活以下。そのときの我々の姿は、クレーマーですよ。行政が頼りない。情けない政局には、なにも「もう任せられない。自分たちでやる」とも言えない無能力者である。それは震災で生じたのではなく、これまでずっと抱えていながらみんなが「見て見ぬふり」してきた問題でしょ。「市民社会」「民主主義」と言いながら、いかに未成熟で無能力だったか。原発にしても、その安全性に疑問を投げかける事故や警告もいっぱいあったのに、殆どの人が目をつぶって耳を貸さなかった。おかしくなったのは「明日は今日より良くなる」と言う感覚、基本的に明治以降ずっと持ち続けていたからです。「縮小する」と言う知恵を、一度も蓄えてこなかった。右肩上がりの幻想とお任せの構造によって、われわれが近代の、150年かかって喪失してきたものを取り戻すのは大変なことです。でもやらないとどうしょうもない。 鳩山政権が出した「新しい公共」という考え方は間違ってないと思う。政党が「大事なことは政党にまかせるな」と言ってるんですよ。自分たちで考えてくれって。ものすごいパラドックスでしょ。でも「公」のことはみんなで相談して責任を取る気概のことを、シチズンシップと言うんです。本来、誰も社会全部の責任なんて、しょいきれない。でも、公共のことは誰かがやらないといけないから交代でやる。それが市民社会というものです。大事なのは任せきりにしないこと。今は先頭に立てないけど、後ろでちゃんと全体を見てて、リーダーに「ここが手薄かも」「ちょっと行き過ぎかな」とアドバイスできる。いざとなれば自分が出てゆくーそれを「フォロワーシップ」って呼んでるけど、これからはリーダーシップよりも大事なことだと思う。そういうフォロワーが30人に一人いれば、すごい力になると思う。梅棹忠夫先生の言葉に「請われれば一差し舞える人物になれ」普段は後ろに下がっているけど、いざ頼まれたら一差し舞える、それがフォロワーシップ。 私も実に同感しました。
2011年06月25日
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「上から目線」という言葉を最近聞きますが、どうかと思います。よく使われるTPOの、意味合いが判りませんが、「お前は、上から目線で、俺に物言うのか」と言ったような、ことでしょうか。「高圧的、上司の部下への命令、社会的立場を利した威厳を持たせる態度と言葉」等を真似た発言を言うのでしょうか。極端な言い方をすれば、「何かをしてほしい、それは嫌だ」と言えば、これも、上から目線の態度になるのか?「何となくふてぶてしい態度」をするのも見方によれば、上から目線、になるのではないだろうか。どうも、歳を取ると、物事を皮肉るような考えになりやすいが、不理解なのも、事実である。しかし、判断に苦しんでいます。このような、新語が多い、最近では、親子同士で感情の亀裂が生まれやすく、困ったことです。時代の流れは何時の世代も、同じような錯誤があるのでしょうね。 言葉は、人の死生をも揺るがす。といわれますが、不仲ですんでいる間はまだよいのですが、これが、離婚、離別、など家庭の崩壊に関わるとなると、重大問題です。以外に、最近の家庭では多い問題ではないでしょうか。
2011年06月22日
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「ルールと役所判断」それに携わる関係者が間違っているのではなく、そのルールを決め、指示する立場の人に判断と柔軟性がないことと、国の決めた方針があまりにも、通り一片に過ぎるのではないかと思われる。 今回も東日本大震災の被災地で、生活保護の打ち切りが、福島県南相馬市で150世帯が、いわき市で2世帯が、その対象になったようです。その理由が 東電の補償金や、全国から寄せられた義援金を受け取ったから、「収入」があると認定されたからだそうです。また、宮城、福島の弁護士会の調べによると、避難所生活には住居費がかからないのでとかで、生活保護費を打ち消されたそうです。自治体では、支給された額を調べ、家電購入、住宅補修、等生活再建費用を除き6ヶ月間の生活手持ち資金があれば、打ち切りをしてるようです。それを使い果たせばまた、申請をすれば復活しますとの、話のようです。 被災者は、あらゆる被災条件がありそれぞれの人々により生活環境も条件も違うはずです。各地方自治体の財政が苦しいのは判りますがそれを、国が援助する、緊急予算ではないかと考えます。本当に被災地援助を考えているのなら、これこそ多少のばら撒きと言われても、断固実行するべきではないかと、痛感します。
2011年06月21日
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「確立と嘘」今日ラジオを聞いてると、最近の東電の原発事故の問題から、それを発表する「東電、政府、マスコミ」のそれぞれが、確立の予想と、想定外の進展に、つい、「嘘」を言いたくないが、前言をつくろうための言い訳が事実と反する説明になりそれの追求に耐えられず、また、苦しい嘘を言わねばならないようです。 天気予報も「確立と予想」の組み立てなので、結果として「嘘」の情報になることもあるようです。でも、これも最近は随分と確立の精度は高くなったと言われてます。将来のことを聞かれたら当然、現状の状況をベースに、関係者と協議の上で、推定し、確立的判断を建てなければなりません。しかし、それはどこまでも、予想以上のものではないのです。だから、間違うのは仕方がないと彼らは思うのでしょう。ただ、今回の事故に対して現地の人々も絶対間違いのないことを、求めているのではなく、東電と政府に求めているのは、誠実さなのではないでしょうか、自分たちの過ちを何かに転嫁したり被害にあった人達や、現場で危険にさらされながら働いている人達に心からの謝意や慮りが、真実として伝われば、これほど批判的ニュースにはならないと思います。これに類する事件は多いけれど、それに対する責任者の姿勢が問われる事件が後を絶たないのは悲しいことです。真っ先に頭を丸坊主に剃ったり、土下座したりする、パホーマンスを見せるのも、まだ、被害者は苦笑いをしながらでも、許せるのではないでしょうか。これに真心が付いておればと思う次第です。
2011年06月14日
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「謙虚に生きる」少し恥ずかしいタイトルながら人間の生き様は人それぞれですが、自分だけの世界は以外に少ないというか、ないのではないかと思う。孤独と言うのも、自分が言うのであり、自分が求めているのではないかと言える。人間関係は他人と色んな係わり合いがあって生きているのが本来の姿です。それは、必ずしも友好的な関係ばかりではなく、いや、非友好の方が多いのでしょうが、いずれにしても、誰かとかかわりがあるから、不満も出るのでしょう。不思議なほど人間は愚痴が多く、生活の中の習性のように口をついて出てきます。時には、精神異常かと思えるほど、ひつこく、口汚く、非常識なことまでを、相手にぶつけるのは、想定以上です。これでは、融和はありません。話し合うはじめの言葉を、互いが「謙虚」に話せば、相手を慮っていれば、好意的であれば、多分、穏やかな対話ができる筈なのですが、すでに気持ちが敵対しているのですからできないのでしょう。日々のストレスはこんなところから蓄積され、互いに病に倒れるまで、いや、死ぬまでこの争いは続くように思います。こんな人生を求めているはずはないのに、心の底に澱のように溜め様としているのです。実に馬鹿馬鹿しい人生です。 「謙虚」にあわせて「感謝」があります。そんな気持ちを大切すれば、どれほど気持ちの良い生活ができるのかと思います。難しいことでは無いはずです。
2011年06月13日
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「唯我独尊」=この世で、自分ほど偉い者はいないとうぬぼれること。最近大阪、府議会の過半数を占める、維新の会代表である、橋下知事がマスコミの中から、批判されるなかでの、言葉がこの「唯我独尊」であると皮肉られている。多くの大阪市民からは、若い弁護士知事として、今までの府政を委ねるのには大変期待できると、賛意を得てきたが、その、民意をかりての強行施政が目に付きだしたといえる。ただ、政治の改革は八方美人的な円満方針では、議会の強硬派に牛耳られ、今の民主党のような 骨なし政治になりかねない。思い切った改革をするには、多少独善的といわれても民意は応援してくれると、自認しているようですが、確かにその通りだと思います。「唯我独尊」であることは、あまり感心しませんが彼は、独断をしているとは見えません、「君が代起立条例」は論議すれば、少し行き過ぎと思えるふしもありますが、元来自国の尊厳を教育者が子供たちの前で明らかな批判行為で見せる方が問題ありと、私も思います。知事の姿勢は若さに似ず、強い愛国心と道徳を重んじる、また、職権を利得に考えるような、為政者や役人、官僚を排除したいとしたする、行政は民意に沿った方針として今後も賛成の票を投じることは間違いないと信じます。「唯我独尊」はそれができる立場でないと、出来ないことです。彼の想いは、こんな小さなことで満足するような人物ではないと思います。大阪府政だけでなく、日本の真の復活を期している有能者であると期待しています。
2011年06月11日
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「喜寿の悩み」人間七十七歳にもなって、未だわが道に迷う。もうすぐ七十八歳に なろうとしているが、人間として、親として、家族として、自分の人となりはこれで良いのかと疑問に思うことが多い。 最近の自分の生き様を見ていると、協調性、同調性、対話力、融通性、があまりなく、何時も、批判、不満、不愉快、無口、逃避と、全く可愛さのない、老人である。これでは、誰もが近寄らないのは当たり前である。ただ、本人はそれで良いとは考えず、前向きになりたいと、努力はしているが、老醜といえる年齢は怨讐とも思える、戦中の貧しい時代を忘れることが出来ず、無駄のない節約、規律のある行動、「不言実行」の精神などを、いまだに尊重していることが、時代の錯誤に繋がっているのかも知れない。それに、この歳になって何故と思えるほど、毎日の家事全般をこなしているのも、心底には、「やることは、やっている」の気持ちが強いのも否定できない、しかし、これも、出来る体力があり、気持ちがあることは、自分が恵まれていると思えば、他人には言えないことである。それもこれも、含めて、自分自身がもっと楽しめないのかが判らない。自他共に喜ぶ、七十七歳の「喜寿」とは思えないのは、心が貧弱なのか、向けばのない気持ちをブログにぶつけているようで恥ずかしい思いです。
2011年06月05日
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