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「蘭亭叙」 中国の王義之が自らも神助があったとする書跡である。これの臨書を一年以上学んで、やっと一幅を書き上げてみて、未だ未熟の域を出ないことを痛感したところです。賞状技法書士の資格はありますが、これの字体は、楷書に近い行書なので、「蘭亭叙」の字体とは、明らかに異なり、自分の書の幅が広くなったように感じます。年齢的にも、筆を持つ指先が安定しないのですが、これも、日々の鍛錬のお陰で、維持できているようです。書は私の大切な趣味ですが、総てが独学で我流のため、今一歩が足りないように思います。ただ、書道は限りなく奥深く、その流れに乗ると留まることのできない、興味と喜びが湧き上がり、筆が踊ります。こんな時は、時間と生命力が欲しくなります。また、自分で己の無能力が腹立たしく、筆を折りたくなる時もあります。これも人生なのかと思いながらの毎日です。筆、墨、紙の選択も最近少し感じるようになり、墨色や筆の走り具合なども大きな楽しみです。正に自画自賛の境地です。最近、和紙封筒の宛名書きを400枚ほどさせて頂きましたが、賞状の字体と違う、書体で納めましたところ、喜んでもらい、小さな自信ができました。どうもわが身のことばかりで赤面の至りです。
2011年07月24日
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「想像力の衰退」大谷武三郎氏のコラムより「想像性が希薄なひとは、思いやり、優しさ、他をいたわる心などの温情や慈愛、義理人情にも希薄である。また理解力や連鎖的に起こりうることえの予知能力にも欠ける。さらに創造性は皆無である。チョッとした事に気が付かない人や、体系的に思いを巡らすことができない人が目立つ。家庭や学校で想像力を育てさせない状態が原因で、普通の簡単なことすら考えても分からない人が目立つ。また、エアガンで猫や小鳥などの小動物を撃つなど、その行為に何の痛痒も感じない虐待を面白がるのは、自然の環境を肌で認識する機会を与えられなかった結果なのか、相手の痛みを想像する気持ちを持ち合わせてない。創意工夫、周りの空気を読むなど、対人的協調性が欠如している人物になり自己で精神の向上はかり、進歩してゆく事ができない人間となり、限りなく人間から遠ざかって行くようだ」 と論じられている。正に私たち高齢者を含めて、人間らしくない、反逆的人物が目につくことが多いのは嘆かわしいことである。「なでしこジャパン」の女性達や、日本人として誇ることの出来る、優秀な若者たちも多いことも、嬉しいことに違いないがどうしてこんなに、人間格差ができたのか考えさせられる今日です。
2011年07月20日
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「迷いの人生」この歳まで生きてきてやはり、反省と心の迷いの多い人生であり、どのように自分を決着付けたらよいのかと?家族関係、対人関係、経済問題など、何一つこれでよいという納得できるものはありません。自分では、健康管理、自身のビジュアル観、清潔感などには、充分に配慮して、面接者に不快感を与えないように心がけているつもりだが、これはあくまでも自己判断の域をでないが、問題なのは言葉ではないかと、思う、これも、「自己中」的思考や、「強圧的」でなく、また「変にへりくだったり」ような態度に過ぎず、ノーマルでナチュラルな姿勢を堅持したと考えているが、これも自己の判断の域を出ない。若いころは、他人の批判より、自己主張を強く前面に出し、些か強引とも見えるほど自信に満ちた態度であった と、自戒してるが、それが一度失敗してしまった者は 誰から見ても反省と萎縮の姿勢であったと思う。それからは、日夜 般若心経三昧の自己リセットに切り替えたのですが、 そんな程度のことで、人生が好転するはずもなく、何時も社会の底辺を歩く貧しい生活に耐えねばならない境遇を過ごして来ました。「奢る平家は久しからず」の喩え道理自分を葬りさることもかなわず、ただ、ひたすら風雨に耐え忍ぶ忍従の生活しか許されない環境でした。こんな生活の中でも、少し与えられたのは、人を見る目、自己制御、不断の努力、という人間力かもしれません。「以って銘ずべし」なのでしょう。
2011年07月14日
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「ストレステスト」日本の福島第一原発事故から表に出てきた言葉。先進各国は既存の原発の再点検にこの「ストレステスト」の実施をどれほどの内容でするのかを模索しているようです。日本でも「ストレステスト」という言葉が先行して、その調査内容の具体案はこれからのようです。想定外をすべて想定内にする安全基準のハードルアップの設定を考えるようですが、先ずは、その検討委員会の皆さんの「ストレステスト」をしなければならないのでは、と思います。現内閣の要人達も当然この検査を受けるべきで、本気でストレスを感じて欲しいものです。誰の為の政治をしているのかも、自覚できてないのでは国は滅亡することを認識しているのかと疑いたくなります。大阪でも、知事と市長が、防災認識について対当意見を言いあっていますが、防災は、気がついたときに、対策を考えるのが当然で、市民の不安の大きい時、熱いときが、防災設備を実行するのに最大のチャンスと思います。特に、その危険性を強く感じている地域や団地などは、声を高くして自治体に協力を要請するべきと考えます。こんな時こそ、住民同士の連携と防災意識を高めて、素人なりの「ストレステスト」のやり方を討議することが、何時発生するかわからない災害への対策や準備、心構えになると思います。国も地方もそのための予算を準備するのが当然ないでしょうか。
2011年07月07日
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「無償の奉仕」これが心に何の含みもなくできれば立派。一番身近な「無償の奉仕」は家族ではないだろうか。親が子供に尽くす行為と気持ちはすべて愛故に出来る事と思います。この気持ちは、夫に対するものとは、同じ無償の奉仕でも妻の立場が、親の立場に変わり、その内容の重さは明らかに大きな差があります。そのことに夫がきずくのは夫の権威がなくなった時からですね。即ち愛の対象から外されており、「有償の対応」になっております。そうでないご夫婦もたくさん居られるでしょうが、これも本音と建前があり、真実を知ることもできません。他人様に「無償の奉仕」が出来るかと言えば、常識的にはノーでしょう。「社会的奉仕」はどうかとなれば、多少の含みをもって行動する人はあるように思います。ただ、形から入るのではなく「奉仕」の現場に行けば、「滅私」の精神で没入される人が多いことも事実でしょう。今回の某復興大臣のような、自分の立場の認識も欠如した者も、目的は「国が奉仕」をどんな方針でやるかを、現場の人々に説明するべきを、自分が国の変わりにしてやると勘違いをしているようです。その原因を作ったのも、政権与党の内閣です。心構えも、準備も対策も、打ち合わせされてないことが、明らかです。無放任な指示命令ではないかと感じます。政治は実行されてないと判断するしかないような現実です。高額の報酬を手にしながら、塗炭の苦しみを国民に強いているのです。こんな国政を許していて、われわれの将来はあるのでしょうか、心配です。
2011年07月05日
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「知恵と勇気の目を」ある新聞のコラムに掲載された、京都の桑田さんという三十三才の公務員の方の記事ですが、 これほどの、正見と正思を持たれた人物が居られることに、心から感銘いたしました。概略を記します。「映画の「スターウォーズ」を観られてそのストーリーに触発されたようです、善悪を分別する知恵や、正義にのっとって勇気を行動に転化する力がなければ、民主主義も絶対の善ではない、例えば、今の政権与党である民主党は、失敗に継ぐ失敗で、経済破綻、隣国の脅威、天災の対処の不適切さ、原発の対応の失敗など、国民は厳しい批判の目で見ているが、首相や内閣は自己保身と延命策に 汲々としているばかりで、批判を謙虚に受け止めてないばかりか、所詮、国民は「大衆迎合主義」で自己判断し、正しく意見できることは殆ど出来ないと見られている。また、政治家も立候補したとき、当選したときの気概は、政治家の森の中に入ると、気持ちの衰退、結果平等、自分本位、怠惰、国家権力の増大に親近性を帯びてしまっている。権威、権力の乱用になれば、暗黒の未来になるでしょう。それだけに、選挙は、大衆の雰囲気に流されず、マスコミの一面的報道に惑わされず、何が、誰が本当の政治家なのかを見抜ける力を養いたいものです」と喝破されています。大変国民としては荷の重いことですが、日頃から、あらゆる報道に関心を持ち、その内容を自分なりに咀嚼できる力を付けることが「桑田」さんの訴えられる「知恵と勇気の目」の気持ちではないかと思います。
2011年07月04日
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「清潔度の認識」年齢が違い、生活環境が違えば当然変わる。そもそも、清潔度とは対人的より、個人的な感覚ではないだろうか、最近テレビでも何かと「清潔度」の話題が多いがこれも、生活が豊かな故と思える。戦前、戦中、戦後、そして現代と生活の欲求が向上してきたからなのか、必需品がどこの家庭でも充実してきたので、あまたの洗剤メーカーが過剰に宣伝するためか、防臭,防カビ、除菌の製品と洗剤が便利を通り越して、強圧的にも感じるほどである。それに、同調するがごとく、家事などをうっかり手伝うなどすると、あれこれとうるさいこと甚だしい。確かに戦前という時代は、地球環境も比較にならないほど、「清潔」であったと思われる。だから、殆どが真水での洗いで「清潔」としたものです。しかし、防臭、防カビ、などは生活臭として、容認していたのでそれを少しでも改善するのは、ただ、掃除と洗濯 だけでした。徹底した掃除のやり方は、素手でどんな所も磨き上げたものです。それが、精神教育にもなり、人に対する礼儀や慮りの気持ちを身に付けさせられたと思います。率先垂範する姿勢と、物を大切にすることや、作業手順の規律や、細部を見逃さない気配りなどを体で覚えたものです。こんな教育は、今では特殊な分野の団体でしか受けることはできないのが実情です。最近よく見る「消費期限、賞味期限」なども時代の流れの象徴の一つですね、少しでも日にちが過ぎると即捨てる、何の抵抗も感じないようです。この違和感は時代錯誤の人間であるためなのでしょうか。 いまや、地球上は雑菌の蔓延した、いろんな物に汚染された環境の中で生活しているようですね。当然私も、「几帳面と清潔は欠かせない」 時代の人間です。だからと言うて、自分で何もしない、小言だけをいう人の「清潔感」に同調する気はありません。
2011年07月02日
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