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国民の誤解や憶測を招く恐れ と言う理由での情報公開の制限またチグハグナことをしている。拡散予測のスピーディーの情報公開が遅れたために避難者が強い汚染地域に移動した苦い経験はどこにいってしまったのだろう。8月29日、文部科学省が6月から7月にかけて、福島県を中心に2200余りの地点で測定した土に含まれる放射性物質の量などを基に作成した情報が一部しか出されていないで、マップ作製の委員会も非公開になった。理由は「測定対象地域の利益を害するおそれがある場合※ 検証が終わっていない生データなど未成熟な情報や事実関係の確認が不十分な情報などを公にすることにより、国民の誤解や憶測を招き、風評被害など不当に測定対象地域の方の間に混乱を生じさせるおそれがある場合 」といっている。http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/gijyutu/017/kaisai/1310297.htm私の住む里山も測定地点(家から歩いて20秒ほどの所)の一つになったが、まだ数値は教えてもらっていない。国民の誤解、混乱の名のもとに情報がまた操作されるのだろうか。情報隠しをすれば一層憶測を生み、風評は広がり拡大することは明らかだろう。一昨日の夜10時から1時間半にわたってNHKで 「ネットワークでつくる放射能汚染地図 3 子どもたちを被ばくから守るために」が 放映された。http://www.nhk.or.jp/etv21c/file/2011/0828.htmlこのような子どもたちの命と健康を守るために献身的に活動している心ある研究者や科学者たちは、まだまだ他にもたくさんおられる。政府は生のデーターを一刻も早く出してほしい。そうすれば国の機関に所属する委員だけでなく、幅広くさまざまな立場の学者や研究者が事実と真摯に向かいあって検討してくれるに違いない。国から出される一つの見解だけでなく、複数の意見の中から自分なりの判断をしたいと誰もが思っているのではないだろうか。
2011年08月30日
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ようやく出演した 児玉さん今朝のNHK 『 ニュース ふかよみ 』に児玉龍彦( 東京大学先端科学技術研究センター教授 ・東京大学アイソトープ総合センター長)が出た。ご覧になっただろうか。彼は2011年7月27日 の衆議院厚生労働委員会で「放射線の健康への影響」について参考人説明をした。http://www.youtube.com/watch?v=O9sTLQSZfwo&feature=player_embedded 僕の知る限りでは、この参考人説明の記事や報道はNHKはもとより全国紙の新聞で一切取り上げられてこなかった。今朝の登場が初めてだと思う。ただ、今回の『ふかよみ』は汚染された瓦礫等の処理についてだったので、参考人として述べた放射線の健康への影響についてはほとんど触れていなかったのは残念だ。彼の説明を観るまで低線量の体への影響は少なく、DNAが破壊されても修復する能力があるから心配することは殆どないという意見に安心していた。だがどうも、そうでないようだ。まだご覧になっていないなら是非観ていただきたい。彼の発言をかいつまんで言うと、これまでの疫学的に20年かかって解明されてきた低線量の放射線の健康への影響は、ゲノム科学の段階では、そんな時間を掛けずに遺伝子レベルの解析を通してシミュレーションして予測できる。今、大切なのは何が正しいという医学論争ではなく、危険に曝されている乳幼児や妊産婦のために政治家、科学者、企業が総力を挙げて、一刻も早く放射性物質の除染をすることだ。 これまでもマスメディアは、原発事故はどれほど危機的状況にあるか、放射性物質の汚染はどの程度、どこまで広がっているのか、放射線の健康への影響はどのくらいか等々にについて、一部の情報しか取り上げてこなかったように思う。たとえば健康に関して言えば、ここ福島県の健康アドバイザーである山下俊一氏などはNHKにも出て、地元紙にも何度も登場している。各地を講演して歩いて100ミリシーベルトまで心配ない言いきってきた。http://www.youtube.com/watch?v=j52u5bEMC-Y&feature=related やhttp://www.youtube.com/watch?v=Tj3oiukC8HA&feature=related 児玉氏と山下氏を比較して聞いてみると、危機感があまりに違うことがお分かりいただけると思う。実は、こうした真実一路の勇気ある専門家は児玉氏だけでない。これを機会に、そんな専門家を紹介していきたい。
2011年08月27日
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思わせぶりなチラシ創業50周年記念セールと銘打っている。これじゃぁ、チラシにある商品は安いに違いないと思ってしまう。ところがどっこい。パソコンで調べたら… 今、草刈払機が2台ある。一台は前の此処の持ち主が置いて行ってくれた背負い型のもので性能が良く今でも立派に使える。ところが重い!2時間も刈っていたら老骨の肩に食い込んでくる。数年前に軽めの手で持って使えるものを購入したが、今一つ調子が悪い。そこで前々から機会があったら買おうと手ぐすね引いて待っていたら、このチラシが舞い込んできた。値段も手ごろだし、ヨシッ 買おう! でも同じ23ccのエンジンでもピンキリで色々ある。型番を確認した。どのくらい安いんだろうかとインターネットで調べたら うぬぬ!! そこでは定価の表示をしているじゃないか!!よくよく読んだらチラシの、このコーナーには安いとは一言も書いてはない。でもなぁ メインのタイトルが50周年記念セールだもん。やっぱセコイよなぁ! とはいえ、それだけ不景気だということ、止むにやまれぬことだったのかもしれない。そうそう、わざわざインターネットで調べる自分が一番セコかったのかもしれない。
2011年08月25日
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朗読とトーク いのちの言の葉木村まさ子さんと村上信夫さんの二人による詩の朗読とトークの会があった。何篇かの詩が朗読された。言葉を大切にしてる二人のいのちに 思いを馳せる 言の葉にゆったり耳をかたむけたら澄んだ声 穏やかな声が 心に届き優しい言の葉 あたたかい言の葉がこころに つもったしっかりといのちの 言の葉を受けとめましたありがとう ジーンズの後ろポケットにしまっていたらクシャクシャになってしまった
2011年08月22日
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団塊の世代のみんさん 旅先に東北の地を!東北にはたくさんの温泉地がある。だけど、あの地震以来、東北の温泉地は閑古鳥が鳴いているという。小さい子をもつ家族連れが二の足を踏んでしまうのは分かる。残念なのは旅好きで時間的にも金銭的にも少し余裕のある高齢者たちの足までが遠のいてしまっている。復旧、復興の道のりは長くて険しい。持続的な支援が必要だ。団塊の世代の人たちが、旅先に東北の地に足を向けてくれたらありがたいなぁ。近いのに 遠ガった温泉! 先月から近県の温泉と古刹巡りを始めた。最初が世界文化遺産となった中尊寺だった。今回は宮城県でも南に位置する、福島から近い蔵王町の遠刈田(とおがった)温泉と、隣の角田市の高蔵寺(国指定重要文化財)、丸森町の斎理屋敷を訪れる小さな旅をした。お盆で交通が滞る前、義父のお墓まりの帰りに連れ合いと遠刈田温泉に寄って一晩泊った。ホテルからは蔵王が一望でき、緑の裾野が広がっている。その中腹から麓にかけてスキー場のロープウェイが見える。冬場はきっとあたり一面、真っ白な雪に一変して蔵王名物の神秘な樹氷が見られるにちがいない。江戸時代初期に開湯して湯治場として賑わってきたというだけあって、効能は神経痛からリウマチ、胃腸病、婦人病、慢性皮膚病と幅広く高齢者予備軍としては頼もしい温泉だ。 (携帯電話の写真、しかも湯けむりで本人同様ボケてるのでアシカラズ)旅の楽しみは料理と酒。普段は宮城の牛タンや牛肉を使った料理がメインなのだが、この時期丁度牛肉が汚染で集荷されてなかったので海の幸が中心でアワビから鯛、マグロ、甘エビ、ホタテ等の刺身にアユの塩焼き、豚肉を使った料理等々盛りだくさんで、別注文した冷酒生酒「蔵王」とともに満喫した。酒を飲めない連れ合いも、おかずとウナギの釜めしに箸が進んで満足してくれた。 食い気と飲むのに忙しく何品か撮り忘れました金色堂と同じ時代に建立された 高蔵寺高蔵寺の阿弥陀堂は中尊寺金色堂と同じ平安時代に建立されたと伝えられている。金色堂が金箔に覆われ鉄筋コンクリートの建物に保護されているのに対して、こちらは野晒しのままで、長い時を雨風にさらされてきた風姿がここかしこにうかがえて、僕には魅力的に思えた。実は、旅の目的は丸森町の斎理屋敷だった。そこに向かう道すがら、偶然、国の重要文化財指定の看板が目に入り、20メートルほど戻って観に行ったものだった。旅と言うのは、こうした偶然の出会いがあるから楽しい。 ここには、もうひとつ国の重要文化財に指定されている旧佐藤家住宅が隣接してある。パンフレットに寄れば江戸時代中ごろ建てられた仙台藩領の中規模農家の典型的な建物だという。 さて、肝心の丸森町の斎理屋敷だが、到着したのが昼過ぎで腹が空き、運転疲れもあって足早に見て回り、写真も撮れなかったので紹介はまたの機会に。教訓として、小さな旅は2か所くらいを巡るのがいいのかも。
2011年08月20日
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簡単そうで 奥が深~い一つ一つの工程がなかなか難しい。今回は、目の前の「よーこばっぱ」先生の動作をじっくりと観察しながら、見よう見真似で塩水の加減、混ぜ方、手押しの感じ、踏む要領、形の整え方、延ばし方とやってみた。大分良い感じだ。少しは板についてきた(かな?)。 右上の一心不乱なdonjoyo今回は延ばし加減(厚さ)と切る幅が課題として残った。先生に何ミリ位の幅が適当でしょうねぇと伺うと、手打ちのだいご味と言うか妙味は太くても好し、細くとも好しと言われてしまった。うーん…しかし、なるほど、確かに。どうも学校教育の長年の慣れで量だと何グラムとか、何カップとか、寸法だと何ミリとついつい考えてしまうクセがついてしまっている。先生としては何ミリと言えなくもないだろうが、この太さの違いによる歯ごたえを感じ取ってほしいという意味だろう。何ミリ位と言ってしまったら、その先がない。そのちょっとした微妙さを味わうことが手打ちの妙味なんだろう。今回、「よーこばっぱ」は桑の葉を乾燥させ粉にしたものを混ぜたうどんを打ってくれた。ほんのスプーン一杯ほどの少量なのに、こねるうちに全体が薄緑になり、かま揚げしたものは淡いグリーンをしていて涼しげで夏場にピッたし、うめぇかったぁ!さて、今回の副レシピはお好み焼き。水に溶かした小麦粉(うす目)の中に、いろんな野菜、豚肉を細めに切って混ぜて焼き、紅ショウガと、青のり、最後に鰹節をのせてソースをかける。そのカリッ、サクッとした歯触りとソースの香りは最高!冷蔵庫の野菜や残り物を処分するのにもってこい。お好み焼き好きには堪えられません。
2011年08月17日
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最初は 『 小川の辺 』から原作が藤沢周平だと、どうしても観たくなる。しかも主演が『 山桜 』で好演した東山紀之となると居ても立ってもいられない。そそくさと映画館に足が向いてしまった。戌井朔之助(東山紀之)は主君の命により藩政を批判して脱藩した妹の夫である藩士を討ちにいく。二人は藩で1,2を争う剣術の使い手。しかも妹も朔之助と共に幼くして父から剣術の指導を受けた腕前を持つ。夫を討てば妹は刃向かい剣を交えることになるかもしれない。その危険を回避したいと願って、幼いころから妹に想いを寄せていた若党が付き従って道中を共にする。終に小川の辺の小屋に密かに隠れていた二人を見出す。主君の命に従い敢然と立ち合う凛々しさ、討ち果たした後に妹と剣を交わし心惑う様子、さらには若党の押し殺すような気配、そしてラスト...。見ごたえがあった。 次は 『星守る犬』 で涙して熟年離婚が世間でかまびすしくなって久しい。大体にして原因は無口と言うか、感謝の気持ちがありながら言葉に表現できない、不器用な夫に原因があるようだ。この映画も、そんな男が主人公である。相談されても「好きなよう(いいよう)にしたら いいんじゃないの」と答えてしまう。決して悪気があってのことじゃない。そんな、頼りのない、主体性のない男を西田敏之が好演している。熟年離婚の末路も寂しそうだが、映画の男も犬との逃避行の末、キャンプ場で死後半年経って白骨体として、犬の遺体と共に発見される。行路死亡人として対応にあたった役所の若い職員が、車中で死んだこの男の人生に強く興味を持ち、持ち物だったと思われるレシートを頼りに、男の最期を辿る旅に出る...。旅の途中で出くわす人たちとのエピソードが温かく悲しい。主人思いの犬のしぐさが優しく愛おしい。そしてあまりに淋しくつらいラストだった。西田の巧さは言うに及ばないが、何よりも驚いたのは犬の名演技だ。 31日に 『 アレクセイと泉 』 立ち止まり 考えるこの映画、福島の原発事故に押しつぶされそうになって暮らす身には、ふと立ち止まって、もう一度自分の置かれている状態を見つめ、考え直してみる機会になった気がする。チェルノブイリ原発の爆発事故で被災したベルルーシの小さな村ブルシチェのドキュメンタリーだ。原発から100数十キロの村で、森からも畑からも、採取されたキノコからも放射性物質が検出される。多くの人が避難する中、村の高齢者たちの多くが生まれ育った土地に残ることを選択した。その中に一人の青年アレクセイがいた。この村には人々の生活に欠かせない水を与えてくれる泉がある。村中が汚染されているのに、この泉からは放射性物質は検出されなかった。水は大地を100年かけて浸透して命の水を湧き出す。映画は、村の人々の電力に依存しない、薪を割って燃料にして、泉の水を汲み、育てた小麦とジャガイモを主食に、野菜を作り、豊かな自然の中で営々と暮らしている、その姿を坦々と映しながら、「この百年、人間は何の豊かさ求めてきたのだろう。豊かさとは何なんだろう」と暗黙に語りかける。今回は、上映後、監督の本橋成一さんから、この映画の製作の動機について話しを聞くことができた。汚染された地にとどまっていた人を取材した時に 『 何処へ出て行けって言うんだい 人間が汚してしまった土地なんだろう 』 この言葉が耳から離れなかったという。本橋さんが言いたかったのは、汚染された地に留まれと言いたかったのでは勿論ない。原子力発電によって生み出された電気を何の疑いもなく享受してきた私たち自身が、まぎれもなくいた事実から目をそらさず、逃げ出さないでいてほしいと言いたかったのだろう。それは "人間が"という言葉で全てを一括りにすることで"危険はない”と慢心して原発を推し進めてきた人たちを免罪してしまうことではない。これまでの原発に依存した電力大量消費の在り方に、一人ひとりが無関心であってはならないと警鐘を鳴らしたかったに違いない。
2011年08月01日
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