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母が他界して1ヶ月。初めての月命日を迎えました。 あっという間だったような長かったような…。 息を引き取った時刻に手を合わせました。 生前「お葬式も戒名もお墓もいらない」と言っていた母。 その言葉に甘えてしまい、俗名のままで葬儀を済ませてしまっていたのですが、どうしても心に引っ掛かるものがあり、納骨を予定しているお寺さんにお願いして、遅ればせながら戒名(法名)を授かることが出来ました。 『釋和敬清淑信女位 』佛弟子になり、和を以て心よりつつしみうやまい、清らかで穏やかな人という意味だそうです。 母は新しいもうひとつの名前を気に入ってくれたかな(o^_^o) 昨日は実家の整理も済ませ、母の荷物の全てが運び出された時、久しぶりに涙が溢れてきました。
2010年02月28日
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お久しぶりです(^-^;日記を更新出来ないでいるうちに、何だか春めいてきたりもして…。 ここ最近のゆうたんとママは、体調万全♪とはなかなかいきませんが、ゆうたんは学校に登校出来る程度で落ち着いているし、ママも通院しつつも、日常生活に支障が出ない程度で過ごせています(*^_^*) 明後日は母の初めての月命日。 あれからもう1ヶ月が経とうとしているなんて…。 この1ヶ月の間に、母の訃報に際してお心遣いを頂いた方々へのお礼をしたり、役所の手続きや電気・水道・ガス・NHKへ利用停止の連絡。 実家の解約手続き。 葬儀社や病院への支払い。 遺品整理代行業者との打合せ。 実家の片付け。 携帯電話の解約。 墓所探しなどてんこ盛りの毎日でした(^-^; 週始めに墓所の契約を済ませ、明日は実家の明け渡し(天国へのお引っ越し)というところまでこぎつけました(^-^)v まだ納骨という大切なイベントが残ってはいますが、明日で少し一段落って感じです。
2010年02月26日
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天気予報には雪マークもあった東京。 朝から空気が冷えきっています。 深夜1:30。急にグズグズ言いながら目覚めたゆうたん。 カラダの熱さが気になり検温すると38.3度。 吸引すると粘度の強い痰と鼻水がエンドレスで引けてきます。 すっかり病人モードになってしまったゆうたん。 愚図るゆうたんを抱っこして部屋の中をうろうろしたり、水分を注入したり…。 1時間程そんな事を繰り返した後で添い寝をすると、何とか朝まで眠ってくれました。 ばあちゃんが亡くなる前日からの、ゆうたんにとっては有り得ない強行軍の日々だったので、もしかしたら疲れが今になって出てきているのかもしれません。 ママも数年ぶりに口唇ヘルペスが出来たり、膀○炎にもなっちゃったし(^-^; 日曜日までお家でのんびり過ごして、月曜日からは登校出来ると良いなぁ♪ ☆画像はゆうたんが授業で作ったハート形のチョコレートと、超キュートな笑顔のメッセージカード♪疲れたカラダと心が癒やされました(^_-)
2010年02月11日
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早いもので、母が亡くなって初七日も過ぎました。 あの悲しくも慌ただしかった日々が遠ざかってゆきます。 母との2人きりの夜を過ごした翌日、スペースの問題で自宅での納棺が難しいという事で、葬儀社さんの施設で納棺をしてもらい、安置してもらう事になりました。 納棺にはママと、母の長年の友人が立ち会いました。 納棺の際、母が自ら毛糸で作った手編みの巾着袋に、祖父母や亡くなった親族の写真や、戒名を書いてあった板切れ、御守りを入れました。 母はゆうたんをとても可愛がってくれていたので、母が大事にしていたゆうたんの写真も持たせようとしたら、無知とは怖ろしいもので、生きていく人の写真は入れてはいけないと…。 ちょっと切なかったです。 納棺が終わり、この日はママもパパの実家で過ごさせてもらい、パパの実家から直接斎場に行くことになりました。 殆どの時間を、独りで緊張感を持ちながら過ごしていたので、ゆうたんやパパの顔を見たらとてもホッとしました。 その夜、パパと今までの事やこれからの事を泣きながら話し、ママはかなり気持ちがスッキリとしました。 翌日、お別れの日の朝は早く、ゆうたんに注入をしながら喪服に着替え化粧。 バタバタと移動をして、9時前には斎場に到着しました。 9時過ぎ、母を乗せたベンツの霊柩車が到着しました。 お別れ室に移動して、棺の中に花を入れます。 ゆうたんはパパに抱っこされながら、花に囲まれて眠るばあちゃんをジッと見つめていました。 周りの大人たちに、「ばあちゃんにバイバイだよ」と云われてもただパパにしがみついているだけ。 でも最後にみんなで棺に手を添えて蓋を閉める時、ゆうたんもスッと手を伸ばし声を出しました。 前々日からのばあちゃんの様子や周りの大人たちの様子で、ゆうたんなりにばあちゃんとの別れを感じているようでした。 炉の中に棺が消えていき時、ただただ泣きながら手を合わせ、「お母さんありがとう」と叫ぶことしか出来なかったママ。 そんな様子を間近で見ていたゆうたん。 義母曰わく、ゆうたんは今まで見たこともない表情でママの背中を見つめ、手を伸ばし触れようとしていたそうです。 そして、その日の午後、ママは小さくなった母を抱きかかえて、久しぶりの自宅に帰ってきました。 元気になって春にはゆうたんに会いに来ると言っていた我が家。 カタチは違ってしまったけれど、ゆうたんの賑やかな声が絶え間なくある我が家に連れて帰ってこられて良かったです。 朝晩、お線香やろうそくに火を灯したり、お水やお茶やお供え物をしたり、花を飾ったり…。 母に手を合わせて、「今日も私達を見守っていて下さい」 そして、「何も心配しないで安心して下さい」と話し掛けています。 ゆうたんには、どうやらばあちゃんの姿が見えているようで、何とも穏やかな笑顔を向けたり、話しかけているような時が多々あります。 6年という長い間、顎下腺癌と肺転移に苦しんだ母。 2回の大手術と10回の抗がん剤治療を繰り返してきました。 半年程前から精神的にも辛い毎日を過ごしました。 ホスピスに入院してからも、決して穏やかな毎日とはいかず、亡くなる数日前からは見ているのも辛い状況でした。 でも、神様は苦しんだ分だけ、母に安らかな最期をプレゼントしてくれた気がしています。
2010年02月07日
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ホスピスでの最期は、本当に静かで優しい時間でした。医療機器のモニターなどの冷たい音もなく、病室にいる4人のうち、ただ母の息づかいだけが聴こえないだけ。ホスピスに入院してちょうど1ヶ月の旅立ちでした。主治医の先生が、「お母様、本当によくがんばりましたね」と、穏やかな声で言ってくださいました。母が息を引き取った瞬間から、ママは喪主という初めての立場にもなりました。葬儀社への連絡、病院の事務手続き。そして、母の荷物の整理。お願いした葬儀社が病院からすぐの場所だった事もあり、担当者の方がすぐに打ち合わせに来てくださり、その間に母は看護師さん達の手によって体を綺麗にしてもらい、、パジャマから母らしい洋服に着替えさせてもらい、綺麗にお化粧を施してもらっていました。何年かぶりで見るお化粧をした母の顔。痛みや苦しさで眉間にシワをよせていた表情はもうありません。亡くなってから3時間後、主治医の先生をはじめ緩和ケア病棟の看護師さん達、とても親身なフォローをして頂いた医療相談室のソーシャルワーカーさんに見送られての退院となりました。暗い霊安室や地下の駐車場からの退院ではなかった事が、とても嬉しく感じ、また有り難かったです。ママは母と一緒にずっと帰りたがっていた実家へ。体調面やストレス面で無理をさせたくなったい事もあり、ゆうたんはパパと一緒にパパの実家に行ってもらいました。病院から実家までの道の途中、母が6年間に渡って手術や抗がん剤治療で入退院を繰り返していた大学病院の横を通り過ぎました。何とも切ない気持ちになり涙が溢れました。自宅に帰宅。やっと母を自分のお布団に寝かせてあげる事が出来ました。葬儀は密葬。お線香の香りとろうそくの炎が灯る中、最後の母娘二人だけの夜を過ごしました。つづく…。
2010年02月02日
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