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夏が終わろうというこの時期になっって、とうとう体調を崩した。先週のアタマから今週金曜までの平均睡眠時間は、1時間半ほどか……、2時間はない。計算外のことが重なり、スケジュールが大幅に狂う。もともと時間の管理が苦手なので、「なおらんなぁ」と諦めてはいるが、ここまで体調を崩してしまうとさらにスケジュールが狂ってしまう。ラグビーシーズン開幕の時期なので、さらに忙しくなりそうだ。9月の中旬まではこのままか。とにかく元気になれ。
2009年08月30日
夏が終わろうとしている。あの日以来、なかなか日記が書けないでいたところ、電話やメールで元気を出せよ、といろいろな方から声を掛けてもらった。そして昨夜も、懐かしい友人から、毎日楽しみにしているんだ。と電話をもらった。やっと書けるようになった。復活。来年1月に本を出します!
2009年08月30日
夏がまた行ってしまいます。毎年のことですが、この時期になると思い出すことがあります。あの夏から32年、いろいろあったはずなのに、思い出すのはあの夏だけ。でも、今年の夏も忘れられない夏になりそうです。
2009年08月30日
石塚武生さんの告別式のあと、上田昭夫さんとともに火葬の場へ参りました。大きくて立派なお骨は、一番大きな骨壷にも納まりきれないほどでした。炎のタックルマン 石塚武生さん安らかに。ご冥福をお祈り申し上げます。しばらくこの日記もお休みします。
2009年08月10日

炎のタックルマン石塚武生さんが天に召されました。8月6日のことです。ストイックにラグビー道=人の道を究めようとしていた方です。常に元日本代表キャプテンという誇りを胸に、己の生き方は、天に恥じないだろうか?と生きる姿勢を自身に問うていらっしゃいました。もちろんそれは、生徒指導にも生かされ、彼らの未来を見据え、「生きる力」を培おうと心をくだいておられました。石塚さんには先週の金曜日にお会いしたばかり。ご自分はお酒を飲まないのに、私のグラスのビールを気にして、「おかわりしなよ」と気遣うような方です。帰りは「つくば駅」まで送ってくださり、菅平合宿明けに常総学院に伺う約束をしました。なのに、残念でなりません。共著で本を書き始めたところでした。私も天に恥じないよう、必ず石塚さんとの約束は守ります。石塚さんは、私が高校でラグビーを始めたときに一番最初に憧れたプレーヤーだったのです。どうか、お心やすらかに……ご冥福をお祈り申し上げます。
2009年08月06日

石塚武生さん、炎のタックルマンとして名を馳せた昭和の名ラガーマンです。現在は常総学院の先生です。私は石塚さんから、「最後の最後に女神が後押しをしてくれるチームというのは……」とよく教えていただきました。それは私の仕事においても通じるものです。ここでは具体的には記しませんが、ラグビーにはグラウンドの外も中もない。ということです。常に自身を律し、ストイックなまでに自分を追い込む。人の嫌がることを率先して行なう。それも「やってやる」という気持ちを持たず、そのものになりきるくらいに没頭する。挨拶や礼に始まる「人の道」を貫くなど、儒教でいうところの「仁義礼智信」に当たるものです。石塚さんご自身は、仁義礼智信という言葉は使われませんが、あるとき「まさしくその通り」と。教育は生きる力を養うこと。いつか教え子たちが、私の言葉をわかってくれる日が来る。そんな石塚さんです。
2009年08月06日
蟹谷勉著「死に至るノーサイド」(朝日文芸文庫)を読んだ。この物語は、早稲田OBの加藤広野(実名は別)氏が、戦前のオーストラリア代表ワラビーズに日本人(日系人)ラガーがいたという新聞記事を読んだことに始まる。その名は、イデ・ウィンストン・フィリップ・ジェイムズ(1914~1944)「ブロウ」という愛称で呼ばれ、愛され、尊敬された。彼はオーストラリア代表ワラビーズの一員として、ニュージーランド代表オールブラックスと2度対戦、その後、イングランド遠征メンバーにも選出された。だが、イングランドに到着したその日、第2時世界大戦が始まったのである。彼らは試合をすることなく、ワラビーズのジャージを身につけ、トゥイッケナム競技場で集合写真だけを撮り帰国した。だが、その彼を待っていたものは、日本人である父、井手秀一郎の日本人収容所への収監であった。一代で財を成した井手氏の財産は没収。井出氏は40年前に帰化していたにもかかわらず、妻がオーストラリア人であるにもかかわらず……歴史は井手一族を魔の淵へと引きずり込んだ。だが、ブロウはオーストラリア軍に入隊。父の祖国である日本と戦った。その後、オーストラリア人捕虜として日本に運ばれる途中、アメリカ軍の攻撃を受け、オーストラリア人捕虜の仲間とともに海に沈んだのである。日本では炭鉱労務者として働かされる予定だった。生き残って故国に送還されたオーストラリア兵の一人が、ブロウの最後を次のように語った。「やっとのことでわたしは、救命ボートに這い上がった。海水につかっているブロウを見付けたので、泳いでこっちへこいと叫んだ。ボートにはまだ乗れる余地があったのだ。ブロウは叫び返した。まだ仲間が何人か傷ついているんだ、いましばらく奴らのところにいてやりたいんだ、と。わたしたちは海の上を漂っていた。二度とブロウを見ることはなかった」※これには2説あり。 詰め込み過ぎの救命ボートに乗るのを拒否したというものである。詳しくは8月7日(金)アップのフジテレビスポーツコラム第155回「ラグビーナビゲート」で。「死に至るノーサイド」は、加藤氏が当時の関係者に直接会いながら、ブロウの足跡を辿るというストーリーである。ラグビーを題材としながらも懸命に生きた人々の命の重さや尊さ、儚さ、生きる姿勢を通し、改めて現代に生きる我々自身の姿勢を考えさせられる作品である。読後、しばし私から言葉が消えた。なお、このブロウについては、現在、映画「君はノーサイドの笛を聞いたか」が各地で公開されております。ぜひこの尊い日系人の足跡に触れてみてください。私は8月7日横浜に行こうと思っています。
2009年08月05日
私はいま「日本の曖昧力」(PHP新書)を読んでいます。この著者は呉善花(お・そんふぁ)という韓国の方なのですが、アジア文化への見識、さらに日本文化に対しての探究心と観察力、及び洞察力には脱帽するばかりです。ここでは内容に触れませんが、日本と日本文化に対する考え方が変わってくるかもしれませんよ。縄文時代好きの私には、然もありなん……と感動ひとしお、たまらん一冊になりました。久しくここまでの良書には出合っておりません。いい夏になりそうです。感謝、感激です。
2009年08月04日
ラグビーとビールの相性はすこぶるいい関係にある。練習後、試合後のビールは格別で、そいつが楽しみでラグビーをやっていたようなもの。自分がやらない分、今ではその楽しみも半減。しかし、やはり関係はいいままだ。この季節は、トライネイションズを見ながら深夜に独りでビールを飲むのが楽しい。一杯のビールのあとは、サントリーの「角瓶」に繋ぐ。よくつまみに拘る人もいるけど、私はなんでも美味く飲める。その「角瓶」もロックで一杯だけ。9月になり、シーズンに入れば楽しさは増す。待ち遠しい。いまが一番苦しいときだ。ラグビーシーズンまで、あと1ヶ月。夏の背中が見えた頃、ラグビーが始まる。
2009年08月03日
2019年のラグビーワールドカップ。いいニュースだ。まず、いちファンとしては目出度いの一語に尽きる。でも10年は長いなぁ~(笑)。その頃にはもっと人気があって、競技人口も多くなっていて、エキサイティングになっていることだろう。さて、私の仕事としては?はは!当然よくなっているでしょう。絶対ですよ。絶対。私にとってもチャンスの10年にしなければね。ではでは。
2009年08月03日
私は月刊誌『ウェッジ』の「あの負けがあってこそ」のコーナーを書かせていただいております。これは様々な競技のトッププレーヤーにインタビューし、競技人生のターニングポイントとなった敗戦を軸に、どのように負けを克服し、人間的に成長したか、ご本人の述懐を主に綴ったものです。人はインパクトある敗戦、怪我もそうでしょう。また厳しさによる挫折などを経験することによって、直視したくないほど弱い自分と向き合い、それを克服しようとする強い自分が目覚め、一人の自分のなかにいる強さと弱さを知るのです。弱さを持った自分を知り、踏まえた上で強くなってゆく。その過程で人は磨かれ、成長し美しくなってゆく。これはトッププレーヤーに限りません。人は誰でもそのプロセスが必要だと思います。だから負け続けているとしても、自分が弱過ぎると思っていても今がどんなに無様であってもいいのです。未来の自分がどうなっていたいのか、数年後にどんな自分になっていたいのか、逞しく湧き出す想像力をエネルギーに、「今」この瞬間を必死に生き、それを追い求めるのです。「今」たくさんの汗をかくことです。間違いなく、それが創造力となります。
2009年08月03日
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