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最近は、『三体』の影響か、日本にも中華SFが流行っているように思う。といっても、『鋼鉄紅女』の著者、シーラン・ジェイ・ジャオは中国生まれではあるけれど5歳のころカナダに移住しているし、中国人作家ではないのだが、『鋼鉄紅女』は中国っぽい世界観なので、とりあえず中華SFということで話をすすめる。ネタバレもガンガンしているくので、その点了承ください。鋼鉄紅女 (ハヤカワ文庫SF) [ シーラン・ジェイ・ジャオ ]さて、『鋼鉄紅女』を一言でいえば、「女性主人公が巨大ロボに乗って巨大異星人と戦う」ということになる。巨大ロボといえば日本アニメでよく見るものであるが、著者は『新世紀エヴァンゲリオン』やら『進撃の巨人』といった日本のアニメを見ているそうなので、日本アニメの影響も入っているのだろう。そして主人公は武則天である。といっても、あの歴史上の女帝・武則天本人ではない。本作の仕掛けとして、登場人物名が中国の歴史上の人物から取られていて、武則天が姉のカタキとして命を狙ってるキャラとして楊広が、巨大ロボ朱雀のパイロットとして李世民が、また軍師として司馬懿や諸葛亮が出てくる。どことなく性格や出自がオリジナルとは似ている部分はあるが、特に関係はないというべきか。新世紀エヴァンゲリオン(5) 墓標 (Kadokawa Comics A) [ 貞本義行 ]総評として、面白いことは面白い。それは、本作が英国SF協会賞等、複数の賞をもらっていることからも分かるだろう。だが、巨大ロボアニメに慣れ切った日本人向けかと言うと、さほどの新奇性はなく、普通かもしれない。確かに、「女性主人公が巨大ロボに乗る」というのは珍しいかもしれない。ただ、女性主人公が巨大ロボのパイロットになるというのは、『クロスアンジュ』なんかがまさにそうだ。そして、本作に遅れる形にいなるが、『機動戦士ガンダム水星の魔女』も同じく女性主人公が巨大ロボに搭乗する。主人公ではないものの、『新世紀エヴァンゲリオン』の綾波レイやアスカも女性パイロットである。なので、「女性主人公が巨大ロボに乗る」というのはさほどの新奇性がない。クロスアンジュ 天使と竜の輪舞 Blu-ray BOX(初回生産限定版)【Blu-ray】 [ 水樹奈々 ]次に、「巨大ロボは男女のペアで搭乗しなければならない」という点である。しかも、女性側の霊圧が低い場合、死亡してしまう使い捨てになるので、楊広や李世民といった強い霊圧を持つエースパイロットは女性を使い捨てにしているというのだ。使い捨てにされず、生き残れる女性は作中でも朱元璋のパートナーである馬秀英や、楊堅のパートナーである独孤伽羅などに限定される。男女パートナー設定は少し珍しいかもしれないが、『コードギアス』なんかを見ていると主人公であるルルーシュは、パートナーのCCといっしょに巨大ロボに搭乗しているし、レンジャーものの特撮なんかだと5人で巨大ロボに乗っている。探せばもっとあるかもしれない。よって、「少女パイロット使い捨て」という部分はともかく、「巨大ロボに男女ペアで乗る」というのも、さほどの新奇性はない。世界観も、終盤にどんでん返しの真実が出てくるけれど、これもどこかで見たことはある。異星人だと思っていた怪物は、実はもともと主人公たちの星の原住民というべきものであり、人類こそが植民のため地球からやってきた侵略者だったというのだ。このへんも『猿の惑星』と似通っていて、さほどの新奇性を感じられないのかもしれない。先に新奇性を否定してしまったけれど、やはり外国人作家なので感性は大きく日本人と違っていて、そこに面白さはあったと思う。特に感じたのが主人公である武則天の強烈なフェニミズム思想であろうか。まず、武則天は親に纏足をされ、満足に走り回ったりできない。常時、足の痛みに耐えなければならないし、纏足をしていない異民族や、同じ漢族でも纏足をしていない馬秀英なんかをうらやんでいたりする。そして、先ほど僕が新奇性を否定しきれなかった「エースパイロットが少女パイロットを使い捨てにしている」という設定である。この点について、武則天は激しい怒りを感じている。いや、武則天の怒りは社会そのものである。弟は跡継ぎとして大事にされる一方、姉は死ぬと分かっていながら妾女パイロットとして親に売られてしまい、自身も親に使い捨ての妾女パイロットとして売られてしまう。そして、自分の母や祖母は、父だったり祖父なんかに隷属させられており、暴力を振るわれていても反抗すらできない。ある意味で纏足というのは、2019年ころに日本でもはやったKuToo運動(女性にハイヒールを強制することの是非)を思い出させる。武則天はこういった男性優位の社会に反抗し、普通は使い捨てになるところ、逆に巨大ロボ「九尾狐」のパイロット楊広を死なせて生き残り、「鉄寡婦」の異名を得る。そして、異民族の血を引き、父と兄弟を殺した「鉄魔」の李世民とコンビを組んで巨大ロボ「朱雀」に搭乗するのだ。最終的に、武則天は史上最高の霊圧を持つ伝説のパイロット、秦政と巨大ロボ「黄龍」に乗ってクーデターを起こすことになる。個人的に、秦政というキャラは非常に面白かった。この秦政は最強のキャラであったあのだが、花痘という病気になってしまい、治療法が見つかるまで200年以上も冬眠していたのだ。「いつか復活する英雄」というと、アーサー王を感じさせるよね。ある意味で、武則天が次々とパートナーである男性パイロットを乗り換えているのは、歴史上の武則天にもあった性的な奔放を表しているのかもしれない。実際、歴史上の楊広李世民なんかも、使い捨てにするように女性を扱っていたのかもしれない。それでも彼らは英雄である。それがゆえに、英雄でなくなるわけでもない。武則天も、女が同じことをしても問題はない。それでも彼女は英雄なのだ。…というか、作中で武則天の恋人である高易之が登場するが、キャラが弱いんだよ。なかなか武則天に釣り合う男がいないのだ。鋼鉄紅女 (ハヤカワ文庫SF) [ シーラン・ジェイ・ジャオ ]
2024.03.18
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足利尊氏を主役にした直木賞受賞作品、『極楽征夷大将軍』を読んだ。感想でも書いていこう。極楽征夷大将軍 [ 垣根 涼介 ]さて、戦国時代だの幕末がテーマの漫画だのドラマだのは数多くあるものだが、南北朝時代と言うとどうにも数が少なくなる。学生時代、吉川英治『私本太平記』を読んだけれど、さほど記憶には残っていない。群像劇で登場人物が多く、話の筋がややこしくてあまり頭に入っておらんのだ。また、最近になって山岡荘八の『新太平記』も読んだけれど、楠木正成が超カッコよく描かれているのはともかく、後醍醐天皇をやたらひいきに描写しており、なんかようわからんかった記憶がのこっている。私本太平記(一) (吉川英治歴史時代文庫 吉川英治歴史時代文庫 63) [ 吉川 英治 ]前置きはここまでにして『極楽征夷大将軍』の感想である。本作の主役は足利尊氏・・・のように見せて、実質的な主役は足利尊氏の弟である足利直義である。基本的に、本作は足利尊氏の弟である直義と、執事である高師直を語り手と言うか、視点にして描いている。地の文では直義と高師直がどう思ったのか、どう感じたのかはことこまかに描写がある一方で、尊氏の身上については地の文で直接的な描写はなく、あくまで直義と高師直の目を通して描かれている。この仕掛けは秀逸で、漫画『逃げ上手の若君』では「よう分からん」と言われている足利尊氏という人物について、振り回される周囲の人物の突っ込み、意見を交えながら掘り下げることができる。逃げ上手の若君 1 (ジャンプコミックス) [ 松井 優征 ]そんな本作で描かれる足利尊氏は、一言でいえば「人望はやたらあり、無意識に行う人心掌握にすぐれているけれど、中身のない人。」である。一昔前なら、「神輿は軽くてパーがいい」というやつだろうか。本作では、ときたま「尊氏は世間そのものである」というようにも言われていた。親族や周囲の家臣などから言われたら、ある程度自分の意見があっても、周囲に合わせた選択をするのだ。後醍醐天皇への裏切りなんかもそのように描写されていた。また、尊氏は「世間そのもの」であるからこそ、軍神とまで評される楠木正成や、新田義貞に勝利できたとも分析されている。たった1人の個人としてどれほど優れていたとしても、多数の人間から構成される世間の波には勝てないということだ。僕は読んでいて、足利尊氏を劉邦や劉備玄徳のように感じたものだ。尊氏は知恵のある方ではない。実務力に欠けるのでその方面は弟の直義や高師直に丸投げする。一方で、尊氏はその優れた人心掌握術で仲間を増やして幕府を開くまでいくというのである。中国史では劉備や劉邦のほか、趙匡胤などたまに目にするタイプの英雄であるが、あまり日本史では見ないタイプである。そんな本作のラストは、足利直義の死亡をもって事実上終了する。そこからあとは、ダイジェストで簡単に足利尊氏のその後が語られる。物足らないように思うかもしれないけれど、これでいいのである。あくまで本作は「直義の目から見た足利尊氏」を描く作品であり、直義が鎌倉で尊氏が京都にいるような場面では高師直が視点になったこともあったけれど、尊氏自身の視点から物語が進むことはなかった。だから、直義が死ねば作品は終了し、あとはダイジェストというのが完結の仕方として相応しい。最後に本作の良い点なのだが、メリハリのきいた構成である。直義か高師直を視点として固定しているため、尊氏のライバルたち、たとえば楠木正成や新田義貞の扱いはひどく簡単である。吉川英治の『私本太平記』なんかだと群像劇になっていたが、本作はそうしない。海音寺潮五郎が「史実ではないかもしれないが、桜井の別れは太平記を名作としている最高のシーンである」というようなことを言っていた「桜井の別れ」についてはそもそも描写がない。でも、それでいいのだ。群像劇にすれば、登場人物が増えすぎて話が分からなくなる。一方で、この構成だと、登場人物も数も少ないし、非常にすっきりとして読みやすい。良いシーンであろうが、尊氏と直接関係ないのならばカットする、そうしても面白さは損なわないという著者の自信と構成力を感じさせる。気が早いが、今年1番の作品だね。極楽征夷大将軍 [ 垣根 涼介 ]
2024.01.22
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RPGというのは、決まりきった約束事がある。モンスターを倒せば経験値とお金が得られるし、どれだけ瀕死の重傷を負っていても宿屋に一泊すれば全回復する、などと言ったルールだ。本作、『なぜ銅の剣しか売らないんですか?』はそういったRPGの約束事に突っ込みながら話をすすめるRPGパロディネタの小説になっている。なぜ銅の剣までしか売らないんですか? (実業之日本社文庫) [ エフ ]ところで、RPGの約束事については幼いころは不思議と思ったことはあれど、いつしか何の疑問も持たなずに受け入れるようになった。そんな小学生時代の僕は『魔法陣ぐグルグル』という作品に出合った。僕の見た限りだと、こういったRPGのルールをパロディ化したのは『魔法陣グルグル』が初めてだったように思う。現代だと、もうRPGをパロディ化したものはありふれたジャンルになってしまい、なろう系なんかそんな作品であふれているので新鮮な感じはしなくなったけれどもね…。魔法陣グルグル1巻【電子書籍】[ 衛藤ヒロユキ ]さて、本作の簡単なあらすじだ。主人公の商人・マルは勤務先の武器屋について疑問を持っていた。「なぜ、自分の村の武器屋は銅の剣までしか売っていないのか? もっと強い鋼の剣だとか、バスターソードを売ればもうかるのに・・・」と。そして、店主にもっといい武器を売ろうと進言しても、いつも拒絶されるのだ。作中世界では、武器もアイテムも、どの町でどれを売っていいのかが指定されており、また売値もどこであっても同じ値段になっている。疑問を持ちながら店主に従っていたマルであるが、ある日、弟が勇者に指名されてしまう。勇者は死亡率が極めて高い。なのに、弟には銅の剣までしか持たせられないのは理不尽である。安全に勇者の旅をさせるため、最初からもっと強い武器を与えられないのはなぜなのか?マルはこういったルールを作っている商人ギルドに疑問を持ち、なぜこんなルールがあるのか、これを撤廃させるため商人ギルドの本部を目指し旅に出るのだ。このあたり、RPGあるあるだ。RPGでは主人公は徐々にレベルアップしていき、武器やアイテムも先に進めば進むほどいいものが手に入るようになる。ゲームバランスというのがあって、初手から強い武器やアイテムが手に入ったりすると、ゲームとして面白くなくなってしまうからな…。最終的に、この世界では魔族と人間側で協定ができており、人間側は魔族という外の世界の敵を作ることで為政者に対する不満が向かないようにし、魔族は人間側の領土である程度踏み込めるようにする。そして、人間側の勇者というのは、人間側の不満のガス抜き的な要素があり、つまるところ人間と魔族の対立自体が八百長なのだと明かされるのだ…。僕の意見としては、この小説は単なるRPGパロディではなく、社会派小説になっているところに見どころがあると思う。商人ギルド本部を目指す主人公は、①花が投機の対象となっている町、②「まじめに働くなんて馬鹿」など労働者を煽る殴られ屋のいる町、③弱い魔族を奴隷にしている町、④快楽物質を含む植物を他の国に輸出している町、などを通過していく。これ、すべて元ネタがある。①は17世紀オランダであったチューリップ・バブルだし、②は炎上系Youtuber、たぶん「ゆたぼん」あたりだろう。そして③は現実の奴隷制度と低賃金労働者、④は阿片戦争である。けっこう、社会派なのだ。個人的には、RPGパロディよりもむしろ、現実世界であった出来事をファンタジー世界に落とし込んだ社会問題の方が面白いと感じた。ある意味で、RPGパロディのオチ、つまり魔族と人間が裏で手を組んでいるというのはありがちなネタだもんね…。それぞれの社会問題は色々と見どころもあるのだが、②の炎上系Youtuberの町が現代的なネタをファンタジー世界にうまく落とし込んでいてよかったと感じた。「まじめに働いているのに俺より稼げないなんで無能」、「まじめに働くなんて馬鹿」などと大衆を煽る子供を「殴られ屋」に設定するあたりの発想は驚かせられた。また、この「殴られ屋」ビジネスは街角でやっていたのだが、劇場を借りて行うほど規模が大きくなると、今度は劇場に広告を出している商人からのクレームが来て、劇場でのビジネスができなくなってしまうのだ。炎上系Youtuberの末路を見ているようである。その次あたりに良かったのが奴隷ネタだろうか。作中では、砂糖を奴隷が作っているが、砂糖精製というのは現実でも重労働で、機械化以前は奴隷なしでは成立しなかったというあたりも考証がしっかりしている。そして、奴隷解放が善意のみではなく、それによって利益を得るものがバックにいたというあたりも面白い。実際、アメリカの奴隷解放も、奴隷制によって大規模農業をしていた南部を弱体化させるため、さほど奴隷に依存していなかった北部が奴隷解放をすすめた、なんて話も聞いたことがあるからね。最終的に、奴隷は低賃金労働者へと姿を変えるのだが、利権は奴隷解放運動を扇動した奴隷保護団体的なところがしっかり持って行ってしまう。恐ろしいものよ…。ただ、炎上系以外のチューリップ・バブルの話、奴隷制度、阿片戦争はどれも世界史の話になってしまい、スケールが大きくなる一方、微妙に話が成立しにくくなってしまうように感じた。特にチューリップ・バブルの話について、主人公は「キメイラの翼」という「一度行ったことのある町に移動できる魔法のアイテム」、ドラクエでいう「キメラの翼」を使い、希少な「チュリップの花」が珍しくもなんともない外国から花を大量に流入させることで値崩れさせ、カラ売りの方法でひと財産作るのだ。この「キメイラの翼」はない方がよかったかもしれない。そんな、外国に行けばわりと簡単に手に入る花が高騰する、というのはないわけではないが、ちょっと想定しがたい。なんというか、「キメラの翼」はRPGをやる上では退屈な移動を省略するために必須なアイテムではあろうが、強力すぎるのだ。作中では「一度に4人くらいしか移動できない」という制限はあったが、それでも強すぎる。この「キメイラの翼」があれば、海の向こうから連れてこられた奴隷だっていつでも自分の国に帰れてしまうし、流通も僕たちの想像以上に大きく変わるだろう。たとえば、都心近くのベットタウンというのがなくなったりするだろうし、鉄道やバスなどという公共交通機関も大きく変わりそうだ。総評として、本作についてはRPGパロディネタよりも社会派な部分の方が面白かった。世界史や炎上系Youtuberなどで見たネタについて、主人公は機知と機転で商機につなげていく。amazonの感想を見てても、RPGパロディネタよりむしろ、世界史ネタを面白がっている人の方が多いようだね。なぜ銅の剣までしか売らないんですか? [ エフ ]
2023.10.25
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映画にもなるというので、小説『プロジェクト・ヘイル・メアリー』の感想でも書いていきたい。プロジェクト・ヘイル・メアリー 上あらすじとしては、だいたいこうだ。どういうわけだが、地球に届く太陽の出力が落ち始めた。最初は数パーセントの誤差程度のものだったが、指数関数的に太陽の出力は小さくなっていき、地球は氷河期に入り始めたのだ。調査の結果、アストロファージ(宇宙を食べる者)という、未知の地球外の微生物が太陽の力を吸収していることがわかった。アストロファージによる恒星の出力低下は宇宙規模で感染が広がっているが、地球人の観測できるところでたった1か所、12光年先のタウ・セチだけがアストロファージに感染していない。そこで、地球人はなぜタウ・セチだけがアストロファージに感染しないのか、調査のために主人公たちを宇宙船、ヘイル・メアリー号に乗せて旅立たせるのだ。なお、「ヘイル・メアリー」というのはアメフトで試合終了間際、一発逆転のラストチャンスで大きなパスをすることを言うそうな。まさに、宇宙船・ヘイル・メアリー号は絶滅まであと数十年というところで、人類が12光年先の星めがけて放出した最後の希望というべきだろう。見どころは数えきれないほどある。まず、恒星に感染し、食いつくしてしまう「アストロファージ」という未知の地球外生命体である。まさにウィルスみたいな大きさなのに、太陽の光を吸収し、爆発的に数を増やす。そして、アストロファージは膨大な力を溜め込むので、燃料として使えば光速に近い速度で飛ぶ宇宙船を作れたりする。本作はSFとして科学的な考証をしっかりしているようであるが、このアストロファージという地球外生命体の設定は見事と言いたい。そして、ミステリ要素である。冒頭、昏睡から覚めた主人公は記憶を失っており、気が付いたら病室っぽいところにいるわけだ。なぜ、主人公は昏睡し、記憶を失っていたのか、これがなぜなのか、序盤はまったく開示されない。主人公は、「やたら体が重く、物が落ちる速度が速い気がする」という事実からメジャーを何度も落としてストップウォッチで時間を計測し、明らかに重力が地球の1.5倍ほどあることに気が付くのだ。さらに、手元の糸で振り子を作り、この辺の計算過程は僕にはよく分からんが、自分のいる場所が巨大な遠心器の中であることなどを突き止め、最終的に自分がいる場所が巨大な宇宙船の中であるという結論にたどり着く。このあと、なぜタウ・セチだけがアストロファージに感染しないのか、についても複数の仮説を立てそれを検証し始めたりする。ある仮説を立てて実験をして適合すれば結論を、ダメなら別の仮説を検討するという作業、科学的ではあるのだけれど、記憶喪失の主人公を使うことでミステリのようにも見えますね。そして、最高の見どころが主人公と惑星エリドに住むエイリアン、ロッキーとの交流である。このロッキーは足がなくて腕が5本、硬い甲羅に覆われている蜘蛛みたいな生物なのだが、彼もまた、故郷の太陽が死に瀕していたので、タウ・セチの秘密を探るためやってきたのだ。主人公も、ロッキーも、過酷な宇宙の旅でタウ・セチに到着した時点で自分以外のクルーが全滅していたということもあり、徐々に絆を深めていく。科学の得意な主人公と、技術者として優秀なロッキーのコンビは見ていて最高のコンビだと思う。協力してタウ・セチの調査をするのだが、危機また危機の連続である。あわや生命の危機となった主人公を助けるため、ヘイル・メアリー号の大気に触れれば重傷を負ってしまうロッキーが命を懸けて主人公を助けてくれたロッキーの友情には泣きそうになったよ…。最終的に、主人公は徐々に記憶を戻していくのだが、もともと主人公は自分の意思でヘイル・メアリー号に載ったのではないことが明かされる。とにかく主人公はリスクを嫌い、恋愛でも学会でもリスクを避け続けたために、結婚もできず、学会でも大成できず、中学校で科学教師なんぞをしていたわけだ。結局、主人公は科学者として十分な能力がありながら、事故でクルーに欠員ができたということでヘイル・メアリー号に無理やり乗せられ、抵抗できなくするため昏睡状態で宇宙に旅立ったのだ。そんな何より自分の命を大切にする主人公がである、最後の最後、主人公は地球には小型ロケットでタウ・セチの秘密を知らせ、自分は二度と地球に帰らない覚悟を決めてロッキーを助けに行くシーンは胸が熱くなった。こうしてしまうと、主人公はもう地球に帰る燃料を使い果たしてしまうことになるし、ロッキーの星で地球人は生きられない。地球人にとってロッキーの星は灼熱地獄というべきものだし、食べ物もない。あれほど自分の命にこだわった主人公が、なんということだと目頭が熱くなった。ラストシーンは、いっきに16年後である。主人公はロッキーを助けに行ったことで、地球に帰る燃料をなくしてしまったものの、ロッキーの住む惑星エリドに主人公用の大気と温度を備えた特別区画を作ってもらい、永住することになる。そんなある日、すでに年老いた主人公のもとにロッキーが現れ、太陽がもとの明るさを取り戻したことを知らされるのだ。なお、エリドと太陽の距離は15光年くらいあるので、エリドで太陽がもとどおりになったのを観測するのに16年かかったわけだ。果たして地球はどうなったのか、それは作中で明らかにはされない。氷河期が近づいていたことで、地球環境は大幅に変わってしまったことだろう。だが、きっと大丈夫だったのだろう、と希望を持たせて終了である。総評として、とてもよかった。僕はこの前、『三体』という中国SFを読んだのだが、これが異星人との対立を描いていた。そして『三体』の作中では「暗黒森林理論」というのが提唱されており、それは「もし異星人を発見した場合、即座に滅ぼしてしまうのがベストである。もし、敵対的な異星人であれば自分の星が侵略されるか、滅ぼされる可能性があるのだから。」という殺伐とした世界観が提示されていた。一方で、この『プロジェクト・ヘイル・メアリー』の世界観はずいぶんと優しい。主人公とロッキーは、互いの容姿も、食べ物も、呼吸する大気の成分も違う。主人公はロッキーの星では生きられないし、逆にロッキーも地球では生きられない。それでも、主人公とロッキーの間にはかたい友情が芽生えていたし、科学知識に優れた主人公と、技術の専門家であるロッキーは最高の相棒だったといえる。なお、うがった見方をすれば、「ロッキーたち異星人は地球では生きられない」というのは、「ロッキーたち異星人には地球を侵略する価値がない」ということであり、その逆もまた真である。うまく利害の調整がされているといえるかもしれない。また、僕の中で宇宙をすくうヒーローと言えば、ドラゴンボールの悟空のように、暴力で解決するキャラが普通だった。暴力ではなくて科学で宇宙を救うというの、現実的にはともかく、フィクションで娯楽性を持たせて成立しているのはすごいことだと思うよ。プロジェクト・ヘイル・メアリー 下 [ アンディ・ウィアー ]
2023.10.05
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今年の芥川賞は市川沙央の『ハンチバック』となった。100ページくらいの薄めの本なので,気軽に読めるね。なお,内容は全く軽くないです。ネタバレもしながら感想を書いて行きます。ハンチバック [ 市川 沙央 ]作品と作家は分けて論じるべきであるとは思うけれど,本作は私小説的な,作者の自分語りがはいっているのでそうもいかない。著者は筋疾患に罹患しており,人工呼吸器と車いすを使っている障がい者である。症状は結構重たく,普通に「読書をする姿勢」を取ることすら難しいようで,こないだ見たテレビ特集によれば電子書籍なんかを使って読書はやってるみたい。もともとは,ライトノベルの投稿を何年もしていて,文学作品は本作が初めてだという。そして,『ハンチバック』の主人公について箇条書きすると,以下の通り。・年齢は40歳ぐらい(著者と同じ)・筋疾患を患っていて車いすと人工呼吸器を使っている(著者と同じ)・読書する姿勢を取るだけで困難(著者と同じ)・亡くなった両親は資産家で数億円を主人公に残している。(少なくとも著者の両親は生きている)・主人公は両親の残したグループホーム,障がい者施設に特別待遇で生活している(著者は施設暮らしではない)・主人公はネットでエロ記事なんかを書いて金を稼ぎ,寄付をしている。・主人公は健常者のように妊娠し,堕胎したいと夢見ている。主人公と著者に障害があったりして,重なるところは,色々重なる。ただ,主人公が数億円を持っている富豪だというの,たぶん著者は違うんじゃないかな…。そんな本作の最大の特徴は,性描写がかなり多いということである。1ページ目から,男がハプニングバーで性 行為をする描写が延々と,かなり濃密に描かれる。なんだこれは…と思ったところで,これが主人公が執筆していたネット記事だということが明かされるのだ。いわゆるコタツ記事というやつで,取材をすることなく,ネットの情報の切り貼りでページビューを目的に書かれるエロ記事ですね。俺も見たことがあるけど,文体が本当にそれっぽくて,著者がこの手のエロ記事を読み込んでいるのか,文体を模写する才能に恵まれているのか,判断に難しいところだ。そして,作中では延々と主人公の不平不満が語られている。健常者は普通に性 行為ができるのだが,それができない。仮に妊娠して出産したとしても子育てはできない。なので妊娠して堕胎をしたいと,分かったような,分からんようなことを延々と心理描写したり,SNSに投稿したりしている。ヤマ場としては,主人公がエロ記事や性的なことを投稿していることを,施設の男性職員にバレてしまうというところ。この男性職員,自称「弱者男性」というやつらしい。低賃金で,身長も160センチもない。一方,主人公は女性ながら165センチなので,この弱者男性職員よりは背が高いわけだ。なんとも,主人公の心理描写を見る限り,主人公はこの男性職員を見下している感がすごい。で,主人公はこの男性職員に対して,1億円を支払うのと引き換えに,精子を提供してもらう約束を取り付ける。ただ,実際に妊娠する前,口 淫をしてもらって口の中で射 精してもらったところ,主人公は誤嚥性肺炎で入院することになってしまう。退院した主人公であったが,男性職員はすでに退職しており,報酬として用意した1億円の小切手も持ち出されていなかった…というところでひとまずは終了である。はっきり言って,主人公に好感を持てるか,というとこれがかなり難しい。男性職員にも障がい者を見下す言動があるとはいえ,主人公もこの男性職員を「弱者男性」と見下しているわけだ。読書ができるのが当たり前である,とする健常者に対するルサンチマンは,僕も考えたことがなかったものも出し,傾聴に値するとは思う。ただ,共感は難しい。さらに共感を難しくしているのが,主人公の富豪設定である。何億円もの遺産を持っていて,親が主人公にグループホームを1つまるごと残すというあたり,一般読者と境遇が違いすぎる。どうせ主人公の障害について共感しにくいのだから,富豪でも何でもいいといえばいいのだけれど。それと,どうしても語らなければならないのが,最終章である。これは僕もネット上の意見を色々見たが,よく分からない。箇条書きすると,こうである。・突如場面と,語り手が変わり,主人公は一切登場しない。・新しい語り手は風俗店で勤務する女子大生。・女子大生は親が宗教に大金を使い,本人自身もホストに散在していて経済的に困窮している。・女子大生の兄は障害のある女性を殺害し,通帳を盗んで服役している。・女子大生は避妊せずに客と性 行為をしていて,妊娠するかもしれない。さて,女子高生は何なんだよ…となる。第一印象としては,主人公が男性職員に殺されてしまい,男性職員の妹が風俗嬢になっているということなのか,と思った。そして,主人公ができなかった妊娠をしようとしているのかな…?ただ,男性職員は通帳を盗まなくても精子を提供すれば1億もらえるんだから,どうも違うようにも思える。また,別の読み方としては,最後に登場した女子大生が,兄に殺された女性をもとに主人公の物語を執筆していたのではないかとも読める。要するによく分からんのである。総評としては,「よく分からない」ということになる。安易に答えを与えるのではなくて,「障がい者はこのように苦しんでいる。性欲もある」というのを考えさせることはできていると思う。ただ,読んでも爽快感はない。その辺は,直木賞に期待ですね。ハンチバック [ 市川 沙央 ]
2023.08.01
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『大名倒産』というタイトルはなかなかキャッチーだし,名前は知ってたような気がする。最近,実写映画化するというのでキャンペーンも打っていたので,読んでみた。大名倒産 上 (文春文庫) [ 浅田 次郎 ]あらすじとしては,大名の妾の子である四男,松平小四郎が,長男の急逝等の事情から,突如として丹生山(にぶやま)藩を継ぐことになってしまうのだ。そんな丹生山藩なのだが,石高は3万石しかないのに借金は25万両。毎年の利息だけで3両という危機的状況である。主人公はどうにかこうにか,丹生山藩の建て直しに奔走する,といういう物語になる。ここで裏事情としては,実は主人公の父親であり,前藩主の陰謀がある。なんと前藩主はもはや借金を返済できないことを悟ると,財産隠しの上,あえて不祥事を連発して幕府に改易,取り潰しをさせてしまおう,責任は藩主である主人公に取らせて切腹させ,自分と家臣は隠し財産を分配して余生を送ろう,主人公は妾の子だし愛情もさほどない・・・などと考えているのだ。見どころと言えば,実直な主人公の奔走ぶり,主人公に献身的な家臣や友人たち。そして,妾の子だからと事実上捨てられてしまった主人公と,育ての父の交情などであろう。参勤交代に多額の費用が掛かるというのならば,凄まじいまでの強行軍で領地まで駆け抜けて費用を節約したり,兄の結納金がなければ相手の親に誠心誠意頭を下げたりもする。そして,どことなくこの作品は現代を描いているようにも見えるのだ。幕末の藩主と同様に,現代日本も毎年多額の負債を垂れ流しており,毎年のように赤字である。主人公の父親である前藩主なんかは,見事に逃げ切りの世代であるが,若者は前世代の残した膨大な負債を解決しなければならない。なんとも身につまされる話ではある。一方で残念な所もある。登場人物に,神々が登場するところである。これが本作をつまらない小説にまでしてしまうのだ。上巻では貧乏神が登場する程度であるが,下巻になると貧乏神に加えて七福神かかなり前面で登場する。これら神々は人間には見えないが,陰ながら,丹生山藩の建て直しに協力してくれるのである。丹生山の名物である鮭を江戸で売るため,船の手配に協力してくれたりするし,最終的には上杉謙信の隠し金を主人公に与えたりもしている。私見だが,そんなふうに神々が出てきちゃうと,懸命に生きる人間たちというテーマがボヤけてしまうのだ。実際,下巻になると七福神にはそれぞれ細かな設定もされているのだけれど,その反面,下巻も半ばになると主人公たちの描写がかなり薄くなる。特にひどいのが上杉謙信の隠し金だ。たとえば,主人公たちが一発逆転を賭けて懸命に捜索した結果見つかったというのならばまだしも,七福神の力添えで財宝を発見した領民が献上するというのはどうだろう?もちろん,主人公たちが懸命に奔走したからこそ,神々が財宝を与えてくれたと言えばそれまでだが,隠し金の発見に主人公が何の努力もしていない。参勤交代費用を浮かせるために頭を使っていたとか,鮭を特産品として売り出すため運動をするとか,そういうので良かったんだよ…。大名倒産 下 (文春文庫) [ 浅田 次郎 ]なお,巻末のあとがきを見ていると著者もソロバンをはじきながら本作を書いたようである。どうにかして鮭の販売やらでなんとかできないかとやりつつ,どうしようもなかったのかもしれない。だからといって,安易に怪力乱神に頼るというのも興ざめである。余談だが,浅田次郎は『蒼穹の昴』も読んだけれど,こちらでも「龍玉」という,手に入れれば王になれるキーアイテムなんかが出てきてきていた。これも僕はあまり好きじゃなかったなぁ…。
2023.06.22
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僕はウルトラマン世代ではない。谷間世代というやつだろう,特番みたいなのは別として,毎週テレビでやっていたのは1980年のウルトラマン80の次は1996年のウルトラマンティガまでなかったのだ。もっとも,コロコロコミックやコミックボンボンでウルトラマンを扱ったSD漫画はあったし,ウルトラマンキッズなどアニメもあった。リアルタイムはなかったが,再放送はあったので,初代ウルトラマンは楽しみに見ていたものだ。ウルトラマンになった男 [ 円谷プロダクション ]さて,そんなわけで今回読んだ『ウルトラマンになった男』の感想を書いて行きたい。内容としては,初代ウルトラマンの中の人をした古谷敏の自伝になっている。見どころは色々とある。大きく3つくらい上げてみよう。第1に,特撮ヒーローがいなかった時代を描いていることである。著者は1943年生まれだというから,戦前の生まれである。ウルトラマンだって,仮面ライダーだってない。なお,ウルトラマンは1966年放映で仮面ライダーは1971年放映だから当然と言えば当然なのだが。そうすると,今のようにフォーマットが定まっているわけでもなく,ゼロから1を生み出す必要があるわけだ。著者も,「ウルトラマンをやってくれ」と言われても全く意味が分からないところから始まるのだし,「ウルトラマンは宇宙人なんだ。人間とは違うから,そのつもりで演技をしてくれ」など言われてもどうしようもないわけだな。とはいえ,著者も幼いころは鞍馬天狗の映画に夢中になっていたということもあり,要するにヒーローなんだと理解する過程は非常に良いです。第2に,ウルトラマンの裏話である。前傾になって腰を曲げたウルトラマン独特のファイティングポーズは,長身の著者をカメラに入れるために屈んでもらう必要があったこと,さらに西部劇のナイフを持った俳優の決闘シーンの影響だとか語られている。面白かったのは,ウルトラマンのスーツの下である。上半身は裸なのだが,下はパンツにするのか,全裸にするのかと試行錯誤して,最終的にビキニパンツになったりする。ノウハウが全くない時代,知恵を出しながら進んでいたのだな…。第3に,スーツアクターの地位に関する生々しい証言である。いま,僕は何気なく変身ヒーローの中の人のことをスーツアクター,と言っているが,本書ではスーツアクターという単語は一切出てこない。特撮ヒーローは「ぬいぐるみ」,など言われている。しかも,この「ぬいぐるみ」の中の人の地位は極端に低い。俳優の命である顔が出ないことから,地位は低かったようで,ウルトラマンの前身であるウルトラQなどの怪獣特撮でも,怪獣の中の人には控え室もシャワーも用意されておらず,喉が渇いた時の水も用意されていなかったという。普通に考えれば,密閉された「ぬいぐるみ」の中はかなり劣悪な環境だし,全身は汗まみれ。中に入れる時間はせいぜい20~30分だろうに,その配慮もないというのは,現在からすれば恐ろしいことだ。そして,著者もウルトラマンの中の人であることに対し,当時はさほどの愛着をもっていなかったようである。挫けそうになりつつも,たまたま通勤中,楽しそうにウルトラマンの話をする子供たちを見て思いとどまるシーンは感動的ではあるから,全く愛着がなかったとまではいわないので,ウルトラマンというスーパーヒーローに対する愛情はあれど,少なくとも当時は,スーツアクターという職業に対して誇りをもっていたようには感じられない。本書によると,著者はウルトラマンを演じながら,科学特捜隊を演じていた役者の制服が輝いて見えた,だの顔を出している役者への憧れを素直に述べている。さらに,ウルトラマンの放映後,ウルトラセブンのスーツアクターを打診されながらもこれを断り,ウルトラ警備隊のアマギ隊員役になってしまっている。結局,著者が演じた「ぬいぐるみ」はウルトラマンの1作だけである。僕は役者ではないから役者の気持ちはわからない。だが,現代ならば,高岩成二や岡元次郎のような大人気スーツアクターもいるし,顔を出して特撮番組の端役をやるよりも,スーツアクターの方がよほど人気があるのではなかろうか。そういう意味で,先駆者でもあった著者が1作だけしか特撮ヒーローを演じなかったというのは残念でならない。高岩成二をも超える,伝説のスーツアクターとなれた可能性があったというのに…。考えるにつけ,栄枯盛衰というもを感じさせられる。著者によれば,ウルトラマンの作成時期である1960年ころは映画俳優とテレビ俳優の地位には大きな差があったらしい。映画俳優たちは,「テレビなんて予算もないし,あんな小さな画面で演じてどうするの?」という風潮だったそうな。ところが,今や映画俳優とテレビ俳優なんていう区別はほとんどなく,どちらにも出演する俳優が多いだろう。最近の例だとYoutuberなんてそうだろう。ここ10年ほどで急激に台頭したが,見向きもされなかったYoutuberはいまやテレビに出演する芸能人を追い抜くことになるかもしれない。同じく,数十年前の弁護士と今の弁護士では収入も社会的地位も違う。こんなことは,どの業界でもあるのかもしれない。最後に残念だったところを1点だけ。本作は鞍馬天狗に憧れた著者の幼少期や,ウルトラマンを演じた時代,それからウルトラセブンでアマギ隊員を演じた時代についてはじっくりと語ってくれるものの,俳優を引退した経緯や,引退後にビンプロモーションを経営し,そして破産したことについては簡略化している。語るどころか,思い出すのも辛いことなのだろうと察するが,Wikipediaによればビンプロモーションも1971年から1991年まで,20年も経営しており,全盛期は3億円から4億円の年収があったという。このあたりの話も聞きたかったものである。ウルトラマンになった男【電子書籍】[ 円谷プロダクション ]
2023.03.16
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普通,僕は本を読むとき事前情報をある程度得てから読む。友人からの紹介だったり,どこかで読んだ書評だったりと。今回の『正欲』は一切の事前情報なしで読んだ。同じ著者の作品を読んでいると,クセとか傾向が分かるのだが,全くわからないで読んだからこそ楽しめたところもあるし,先が読めなかったところもあった。以下,重大な部分にもネタバレをしながら感想を書いて行く。なお,これは僕の自由な感想なので,著者の意図しているのとは違う受け止め方をしているものもあるかもしれないし,見当違いの考察をしている可能性もある。その点は理解していただきたい。正欲 [ 朝井 リョウ ]本作の構成としては,大きく3人の人物の視点を通しながら,主に性的嗜好を題材にしつつ「多様性とは何か」とテーマをするような感じである。タイトルの『正欲』は「社会的に正しいとされている性欲」みたいな意味なのかもしれない。視点になる3人の人物は以下のとおりである。①寺井啓喜 検察官。 性的嗜好は普通である。 学校に行かなくていい時代が来る,など言ってYoutuberになった不登校の息子について思い悩む。 Youtuberになった息子は特殊性癖を持つ者のリクエストを聞くものだから,水遊びをする動画などは水に興奮するタイプなど,マイノリティの性的搾取の対象になっていく。 ②桐生夏月 30歳女性。異性に性的関心を抱くことができないが,噴水などほとばしる水に性的興奮を感じる。 特殊な性的嗜好から結婚もできず,社会からの疎外感を感じている。 中盤,同じく異性ではなくて水に性的興奮を感じ,思い悩んでいた男性と結婚をする。③神戸八重子 大学生。男性に強い苦手意識を感じている。 容姿に多少のコンプレックスがあり,多様性をテーマにした学祭の実行委員をしてミスコン廃止などをする。 唯一自分が恐れを感じないイケメン男子学生に強い関心を持つ。 なお,このイケメン男子学生は同性愛者と思われていたが,実際は水に性的興奮を感じる人間であった。物語の根幹にかかわるのが,性的嗜好である。②の桐生夏月なんかは異性に性的関心を抱けないから結婚も恋愛もできない。それでも,人間関係を円滑にするため,特殊な性的嗜好を隠しつづけなければならないというのがかなり強いストレスになっている。③に出てくる男子学生なんかは,②の桐生夏月ほど社会への溶け込みが苦手のようで,異性にそっけなく対応したりするため,彼の場合は異性同性愛者と周囲に誤解されてしまっている。そんな水に興奮するタイプの人たちが集まっているのがYoutubeをはじめとする動画サイトである。僕なんかが何度も思わない噴水やら,水鉄砲や水風船早割り対決で遊ぶ子どもの動画で性的に興奮しているのだ。なお,この性的嗜好の悩みが読者に開示されるのは物語中盤以降であり,それまでは「なんか生きづらさで悩んでいるなぁ…」という描写がなされている。感覚的な話であるが,まず②の桐生夏月が水への倒錯的な性的関心を抱いていて,①の寺井検察官の息子の動画で性的関心を満たしていたという事情が開示されたあたりから,一気に物語が動いていく感じになる。こういった性的嗜好については,特殊すぎて何とも言えない。単なる同性愛くらいならば,色々と考えていることもある。特に今は多様性の時代だもの。同性愛者に理解のある態度をしておくのが,大人の対応だと言える。だが,フェチズムについて色々あるものの,「噴水だとか,水鉄砲から発射される水に興奮します」と言われてもどうとも言えない。そういう態度がマイノリティを傷つけるのかもしれないが,何ともいえない。作中,イケメン男子学生は「理解がありますというように,知った風な顔をして来る人間が一番苦手」と言っていたし,下手に関与をしない方がいいのかもしれない。3人の視点キャラは誰もが悩みをもっているが,このうちかなりうまく行っていたのは②の桐生夏月である。中盤,やはり水に性的興奮を感じる男性と,恋愛感情なしで結婚するところから大きく動くのだ。結婚した桐生夏月は「結婚したことによって,社会から結婚しろという圧力を感じることもなくなったし,すごく楽である」という趣旨の発言をしていたし,相手の男性もそれは同じである。この世には,「結婚して家庭をもって初めて1人前」という風潮はあるし,結婚していないというだけで批判されるというのはよくある。僕も晩婚だったからよくわかる。「早く結婚しろ」と説教してくる人間はどこにでもいるし,けっこう不快なのだ。そして,桐生夏月は①の寺井検事の息子の動画アカウントが凍結されてしまったことをきっかけに,夫と自ら見たい動画を作成しはじめる。1人では撮影できないものも,2人ならできるというわけであるが,この試みはかなりうまくいった。本作を読んでいても,ここが面白さというか,楽しさのピークだろうなぁ…。それと,僕も子を持つ法律家の父という立場だから,子供が不登校になった①の寺井検事には感情移入しちゃうな。恐らく,不登校のインフルエンサーYouTuberは「ゆたぼん」だろう。子どもができちゃうと,安易に笑ってみていられなくなるのだ。そして,ラストはかなり悲しい。自ら性的関心を満たす水の動画を撮影する楽しさ,満足感を知った桐生夏月と夫は,ネット上で仲間を募るのだ。これは自分たちが満足するためもあるが,社会から疎外され,孤独感を抱いているマイノリティとつながるためだ。実際,桐生夏月らは疎外感から自殺まで考えていた時期もあるので,そうしたつながりを作ることは,自分以外のマイノリティを救うことにもなる。その結果,③の神戸八重子が関心を抱いていたイケメン男子学生と,もう1人の人間が集まった。このとき,イケメン男子学生の心情描写はかなり心打たれるもので,ようやく同志というものが見つかったという喜びにあふれている。だが,このもう1人というのがクセ者で,水にも興奮するけれど小児性愛者でもあって,児童買春なんかもしていたのだ。そして,初めてのオフ会である。用事で参加できなかった桐生夏月を除く男3人,公園で水鉄砲や水風船などで動画撮影していたところ,男子小学生が来ちゃう。男3人で水遊びも怪しいものだから小学生とも水鉄砲で遊んだところ,濡れた服を脱ぐ男子小学生の写真など撮影してしまった。これがきっかけにもなり,オフ会参加者は児童ポル ノで逮捕されてしまう。その取り調べを①の寺井検事がするというところで物語は終わるのだ。まぁ,なんというか読後感はすごく悪い。せっかく,水に興奮するタイプのマイノリティは,社会から訴外され,誰も心を許せる者がいなかったのに,ようやく心の内を明かせる場所を手に入れたのだ。彼らは小児性愛者と違って,他人を傷つけたりするようなタイプの者ではない。これからは,細々と自分たちが満足できる水の動画を撮影して,社会に溶け込んで生きていく,それで終わっても良かったように思う。だが,著者はそれをしない。逮捕されたことだけでも悲しいが,児童ポルノ製造,所持で逮捕された彼らは,「どうせ分かってもらえない」とすべてをあきらめて,検察官の作ったストーリー,つまりは「私は小児性愛者なので,性的興奮を得るために水鉄砲で遊び,濡れた服を脱ぐ児童を撮影しました」という供述を強要され,身に覚えのない児童ポルノ製造の罪で有罪になるわけだ。つまり,刑事手続きのなかですら彼らは理解されない。普通ならば動機だとか,背景などは裏付け捜査されるのだろうが,彼らにはそれがない。全く理解されないのだ。なんとも悲しい。何の救いもない話だ。安易にネットで仲間を探し,ネット上のやり取りはあるけれどよく知らない小児性愛者なんかを仲間に入れたのがまずかったということになろうか。やりきれない。登場人物たちが性的マイノリティであることや,破滅的な最後を迎えることについて,伏線はけっこう張ってあったと思う。なので再読すれば新たな発見はあるだろう。でも,読後感がひどく悪いので,再読するかは疑問ですね…。最後に1つだけ,僕が法律家であるからしてしまう突っ込みをしたい。水風船だとか水鉄砲で服が濡れたからと言って,児童が服を脱いだ程度の物が児童ポル ノに該当するのか,相当疑わしいのだ。「児童ポル ノ」については,「児童買 春,児童ポル ノに係る行為等の処罰及び児童の保護に関する法律」の2条において明確に定義がされている。これを見ると,児童ポル ノとは概要で「①児童の性 行為を描写したもの,②他人が児童の性 器を触るか,児童が他人の性 器を触る行為を描写したもの,③衣服の全部または一部を着けない児童の姿」であって,性 欲を興奮させ又は刺激するもの,になる。①と②はありえないから,濡れた服を脱ぐ児童の写真は③でなければならないわけだが,「性 欲を興奮させ又は刺激」するかなぁ…。この「性 欲を興奮させ又は刺激する」は通常の一般人を基準に検討するはずだし,場所が公園であるという状況からすればせいぜい上半身裸くらい・・・,仮に下半身を露出したとしてもただちに児童ポル ノにはならないだろう。逮捕はなかろうし,仮に逮捕されても不起訴だろう。僕が弁護人になれば,恐らく無罪主張をするだろうと思うのだ…。正欲【電子書籍】[ 朝井リョウ ]
2023.02.08
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ヒットメーカー,池井戸潤の新作,『ハヤブサ消防団』を読んだので,感想など書いていきたい。池井戸潤といえば,銀行だのゼネコンだの,経済小説をよく執筆している印象ではあったけれど,もともとは子どもの頃からミステリを愛読していて,江戸川乱歩賞を受賞してデビューだから,もしかするとこういうのが著者の書きたい作品なのかもしれない。ハヤブサ消防団 [ 池井戸 潤 ]おおざっぱな感想だけれど,東京生活に疲れた主人公の独身ミステリ作家,三馬太郎が,亡き父親の故郷であるU県(恐らく信州あたり)のハヤブサ地区に引っ越すのだ。田舎暮らしを満喫する主人公だが,「地域の若い人はみんな入っているから」消防団への加入を求められる。そんな主人公は消防団を通じて気の合う友人もできて,田舎のグルメも楽しむのだが,消防団の活動もする中で連続放火事件にも関与していく…というのが大枠である。主人公の太郎は明智小五郎賞を取っているというのであるが,現実にある江戸川乱歩賞のようなものだろう。そうすると,主人公は若いころの著者の投影なのかもしれない。さて,消防団というと,都会の人には馴染みがないのかもしれないが,僕の住んでいる田舎だと,実際のところは半分青年団みたいなものである。ボランティア活動なんかにも参加させられるし,だいたい消防の訓練が終わったら気の合う仲間で酒など飲みに行く。まさに,主人公の加入している消防団もそのノリで,イベントがあれば駐車場整備のボランティアをしたり,変わったところだとツチノコ探しイベントに駆り出されたりするのだ。見どころは数多いものの,3つほどあげよう。1つは,やはり田舎の密な人間関係である。前述のとおり,主人公は消防団に加入したことによって,定期的に消防団員の勘助君などから「太郎君,飲みに行かへん?」など電話をもらい,馴染みの居酒屋に行ったりしてる。そこに行けば,見知った常連客がたむろしている,という図である。都会の人には,大学のサークル活動みたいなものといえばわかるだろうか。人間関係は緊密で,主人公は「太郎君」で友人は「勘助君」。その他,消防団長も「郁夫さん」という風に,苗字ではなくて名前予備がデフォである。僕も,一時期青年会議所に加入していたからなんとなく分かるが,こんな空気で懐かしさを感じたものだ。2つは,田舎グルメだろうか。物語の舞台であるU県は,おそらく信州だろうと思う。名物は「ケイチャン」(タレで味付けされた鶏)に「あぶらげ」(油揚げの方言)だもん。ケイチャンは岐阜で僕も食べたことがあるが,うまかった。酒のツマミに良い。合間合間で勘助君が「太郎君,イノシシ食べへん?」とか「太郎君,ハチノコ食べへん?」と言って主人公を誘い出してくれる。そして,池井戸潤作品ではさほどグルメ描写に力を入れていなかった印象であるが,本作ではしっかりと食事描写に力が入れられており,読んでてイノシシだのハチノコだのを食べたくなる。池波正太郎なんかもそうだけど,小説内の食事シーンは結構好きである。余談だが,主人公をよく誘ってくれる勘助君は,ちょっと抜けているところもあるけれど,僕は結構好きだよ。で,最後の3つ目が連続放火の犯人捜しである。なんといっても,主人公の住んでいる地区はやたら火災が多い。これが,連続放火事件ではないかということで主人公は調査を始めるのだが,火災にあった家が火災にあった後,太陽光発電の会社に土地を売っていることに気が付く。どうやら,火災にあった家というのは,もともと太陽光発電の会社に土地売却を求められていのを断っており,火災にあって金にこまったから土地を売ったらしいというのである。これを調査していくうち,主人公は謎の新興宗教の陰謀をも暴くことになる,というのである。この部分はミステリにもなっているし,仲間だと思っていた人が信者だった,信者だから敵かと思えば見方で,でもやっぱり敵のようだ…となっているので,ネタバレは避けたいので割愛する。時節柄,カルト宗教といえば統一教会を連想してしまうなぁ。総評として,見どころが多いとはいえ,詰め込みすぎじゃないのか,とは思う。見どころの1と2,つまり田舎の消防団での緊密な人間関係と,田舎グルメ描写を読んでいると,あたかも僕自身も田舎暮らしをしているような追体験ができた。これだけでも十分だったのではなかろうか。季節ごとの祭りだとか,グルメを書き,独身だった主人公も結婚させたり,子育てさせたりすれば,それだけでシリーズものとすることも可能だったろう。ところが,連続放火の犯人探しというサスペンス要素を入れてしまった。シリーズ化したとき,次は殺人事件だ,などとしてしまうのは,東京みたいな大都会ならともかく,人口の少ない田舎では治安が悪くなりすぎてあまりよろしくない。逆に言えば,見どころが多いので田舎スローライフものとも,ミステリとしても楽しめるのが良いだろう。なお,本作は2023年夏に実写化の予定だとか。これも楽しみであるな。ハヤブサ消防団 [ 池井戸 潤 ]
2023.01.31
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朝日新聞といえば,名作,『美味しんぼ』の主人公たちが所属している東西新聞のモデルとして有名である。リベラル中のリベラルということで,僕が学生のころからネット右翼層から激しいバッシングを受けていたものだ。それだけ,社会に与える影響力は大きいし,レベルは高いのだろう。タイトルが『朝日新聞政治部』というから,朝日新聞政治部でどんな取材が行われているものか,気になって手に取ってみた。朝日新聞政治部【電子書籍】[ 鮫島浩 ]さて,そんな内容であるが,『朝日新聞政治部』というタイトルは少し正確性を欠いているように思う。本作は朝日新聞政治部の歴史や活動を読み解くというよりも,著者である元朝日新聞記者・鮫島浩の半生記といった色が強い。京都大学在学中,企業の内定をもらいながらも,漠然と政治を扱いたいと朝日新聞に就職した著者であるが,地方記者から政治部へ移り,特別報道部で活躍し,新聞協会賞を受賞するほどに栄達をするのだ。しかし,誤報を1つやらかし,また著者に言わせれば誤報を出した後の危機管理にも失敗して朝日新聞をやめてしまうが,現在もフリーのジャーナリストとして権力と戦う,というのが大雑把な著者の半生である。著名な記者の半生だから,見どころは多い。若き地方記者時代,刑事ドラマ好きの警察署長の自宅にドラマ『古畑任三郎』のビデオを持って訪問し,いっしょにドラマ鑑賞をしつつも交流して情報提供を受ける様子など,『釣りバカ日誌』か何かを見ている気分になった。それでも大きな見どころを3つ挙げよう。1つ目の見どころは,序盤の政治家取材で見えてくる政治家の顔である。番記者として特定の政治家を1日中追いかけ,時には政治家と会食をし,情報提供をしてもらったり,逆に情報提供を行うのだ。今考えれば癒着っぽいから,現在もそんな取材をしているのかわからんが…。そして,著者が番記者として張り付いた政治家として菅直人だの古賀誠だの,大物政治家が続々登場するのだが,個人的に興味深かったのは竹中平蔵である。竹中平蔵といえば,小泉内閣で規制緩和の旗のもと,非正規労働者を増やしまくった政治家である。もちろん,政治家の評価が定まるには100年以上後のことになるだろうが,現時点では金持ち優遇の政策で一般の日本人を貧しくしたという気がする。ただ,著者によれば,当初の竹中平蔵は重要性が低いと見られており,番記者付きまとうほどの政治家ではなかった。そこを,著者が張り付いて取材をし,時にはファミレスで食事をしながら議論をしたというのだ。著者もこのあたり,竹中平蔵と付き合うことで彼に好意的な記事を書いたりもしたし,世論を竹中平蔵と小泉純一郎総理に有利に,逆に彼らと対抗する自民党内の「抵抗勢力」に不利に動かしていたのではなかろうか,と若干の反省めいたことをも口にしていた。まことに,政治の世界は恐ろしいところであるなぁ。。。そして,本書の2つ目の見どころは「特別報道チーム」,のちに部に昇格した「特別報道部」の発足と活躍である。著者によれば,朝日新聞は2006年,特別報道チームを発足した。ノルマもないし,紙面もないし,何をすべきか決まっていないというチームである。これれまでの,記者クラブに入っておいて受動的に公的機関から発表されるのを記事にするのではなく,自ら隠された事実を探し当てるというのが仕事で,数か月1本の記事を書かない場合もあるという,なんとも面白いチームである。最初の仕事として,「フィギュアスケートに八百長があるのではないか」と探ってみたところ,日本スケート連盟の会計不祥事に行きついてスクープを出したり,非正規労働者をつかった偽装請負問題や手抜き除染問題といった社会の耳目を集めるスクープを連発してくのだ。このあたり,著者の栄達ぶりは読んでいて楽しいものであるし,どのスクープも社会正義にかなうものばかりだ。一方で,僕はこうも考えた。「隠された事実を探し当てる」,これは良いことだとは思うけれど,週刊文春や新潮やらといった週刊誌の仕事ではなかろうかということである。実際に,特別報道チームには文春で仕事をした経験のある者も混じっていたというのである。もっとも,僕には「新聞のやるべきこと」と「週刊誌のやるべきこと」の違いを論理だてて説明はできないのだが。なお,本書を読んでいくと,台湾が修学旅行を誘致するため日本の教員を接待し,歓楽街まで行くところについてはさすがに公人でもない者の生々しい写真を使うのはどうか,と断念して写真は使わなかったというから,どこかにそんな線引きはあるのだろうけれど。そして,3つ目の,最後の見どころは「吉田調書」である。著者ら特別報道部は福島原発の吉田所長の残した「吉田調書」を手に入れるのだ。この「吉田調書」は極秘文書であるし,政府はひた隠しにして公表をしないでいた。この「吉田調書」を入手した特別報道部は,福島第一原発の事故の際,所長の「待機命令を無視して9割の職員が撤退した」と報じてしまう。これは大反響で,著者は新聞協会賞を受賞する。このあたり,著者もかなりうれしかったのか,このとき受け取った同僚たちのメールをいまも保管しているようだし,社屋内のコンビニ行ったときにどんな賞賛を受けたかまで,詳細に書き記している。文字通り,絶頂の時期だったんだろう。しかし,これが誤報,というか吉田調書を解釈すれば「所長が退避命令を出したけれど,それが十分に伝わらなかった結果9割の職員が撤退してしまった」が正確らしい。個人的にはある事実に対する評価の問題だろうから,うまくやれば良かったのにとは思うが,著者は失脚し,懲戒処分を受けて記者から知的財産部への異動を命じられてしまうのだ。。。弁護士的には,知財を扱う弁護士というとエリートっぽい印象なのだが著者によれば,朝日新聞の知的財産部は過去に懲戒処分を受けた者が多く,まさに左遷先だったらしい。だが,ここでネット記事のページビューを10倍に増やしてみたり,著者の有能さというのを感じられる。もっとも,著者はページビュー10倍を評価されないことや,朝日新聞と政治家との距離の置き方に幻滅し,最終的に退社し,フリージャーナリストになってしまうのだけれど。総評であるが,非常に読み物として面白かった。政治というのはニュース等で見るけれど,僕とは縁の遠い世界だし,新聞記者というのは自分の知らない世界だ。そんな世界でも,試行錯誤してどの分野でも時にある程度の成功をし,ときには大程度成功していく著者の姿には仕事をしていく上で参考になるところも多い。もちろん,逆に著者の失敗も,たとえば吉田調書で不適切な報道をしてしまった後にすぐさま訂正記事を出すなど危機管理のミスなども多いに参考になる。しかも,左遷先の知的財産部での経験を活かして,著者は現在TwitterやYoutubeなんかでも活躍中である。人生何があるかわからんもんだ。池井戸潤あたりに小説化してもらったあと,映画化・ドラマ化しても面白いかもしれないね。朝日新聞政治部 [ 鮫島 浩 ]
2022.10.23
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『同志少女よ,敵を撃て』は本屋大賞にノミネートされたり,直木賞の候補になったりと,ずいぶんと評判がいいです。表紙もかわいい女の子が描かれているので,ラノベのようにジャケ買いした人も多いかもしれない。だが,内容はラノベとは全然違って凄惨なもんだわ。感想など書いていこう。同志少女よ、敵を撃て [ 逢坂 冬馬 ]ざっくりしたあらすじだが,舞台は第二次世界大戦中のヨーロッパ。いわゆる独ソ戦という,ソ連とドイツの戦闘を描いている。主人公の少女,セラフィマはドイツ兵に故郷の村を焼かれ,親を殺されてしまったのだ。セラフィマはもともと半猟半農で生計を立てていたため,銃がわりと得意だった。セラフィマは訓練期間中に同じく女狙撃兵たちと絆を深めた後,狙撃兵となってスターリングラードやら要塞都市ケーニスベルクで戦っていく,という内容になっている。見どころはいろいろあるんだけれど,リアルな戦争描写だろか。僕自身は戦争を経験したことがないから,あくまで「リアルっぽいと感じられる描写」というのが正しいのだろうけれど。戦争を扱っているという性質上,情け容赦なく主人公の戦友になった少女狙撃兵は死んでいく。また,主人公になにくれと優しくしてくれた軍人は逃亡したということで処刑されたりする。何の罪もない子どもが撃たれてしまったりもする。人が傷つくのは読んでいてつらいが,恐ろしいのは女性に対する戦時性暴力というの,つまり性 被害もしっかりと書き込んでいるところだ。セラフィマにも貞操の危機は何度もあったし,負けた国の女性というのはとにかく悲惨である。作中,ドイツ占領下のスターリングラードでセラフィマが出会ったサンドラという未亡人がいたんだけど,彼女はドイツ軍人と情を交わし,食料をもらったりしてる。作中言われたが,「売春とも,恋愛ともつかない関係」というのだ。それでいて,スターリングラードがソ連に解放されると,今度は裏切り者として迫害される。こういうことは,歴史上いくらでもあったんだろうし,嫌な話だけれども,今後もあるんだろう。そんなセラフィマは戦う理由として「女性を守る」というのをかかげていた。それはもちろん,故郷の村で射殺された母や,性的 暴行のすえに殺された幼馴染たちのような被害を出さないためである。だが,戦時性暴力というのは別にドイツに限ったわけではなくて,ソ連もやっているのだ。この辺に葛藤があり,単純な善悪二元論で世界ができていないところがある。結局セラフィマは,ドイツ女性に暴行をふるおうとしていたソ連兵士を射殺するなんてこともしていて,なんとも難しい。なお,陰惨なシーンばかりをピックアップしたが,もちろん心の温まる場面というのも多い。訓練学校時代,戦友たちと普通の女の子のように絆を深めていくシーンは青春ものとしても読めるし,ときたま訓練学校時代の女友達と冗談を言い合ったりするシーンは一服の清涼剤のようである。そして,最終的にセラフィマは実在の英雄,309人を射殺したという女軍人,リュドミラ・パブリチェンコから「戦後は趣味を作って,愛する人を持て。」と言われるのだが,紆余曲折の末にその2つともを手に入れた。こう書くと,普通のハッピーエンドのように思えるのだが,セラフィマの愛する人というのは女性だったりする。もともと,訓練学校時代から「ロシア人女性は友達同士でキスする」くらいの感覚でやっていたのだが,最後はこうなりましたか,と…。そういえば,序盤からセラフィマには「将来の結婚相手」みたいな男の子がいたというのに,全然興味なさそうだったもんね…。また,セラフィマの戦友の狙撃兵の女の子も,「お互いの家族はみんな死んでしまったし,戦後は,同期の女性と2人で暮らしたい。女戦友といっしょにパン工場で普通に働きたい」とか言ってた。この辺にも片鱗はある。多様性の時代だもの,僕はこういうのもいいと思うよ。ネタバレだけど,結果的にセラフィマの訓練学校の女狙撃兵は,どうやら誰1人として男とは結婚しておらず,女2人で暮らすというのが2組いるという感じ。この点については,「戦後は男の軍人は英雄とされたが,セラフィマのように100近い敵兵を殺した女狙撃兵は恐れられ,社会になじめなかった」というのようなことが地の分で語られていた。なんというか,この小説というのは色々な楽しみができると思うよ。リアリティあふれる戦争シーンを読みたい,という人も,少女たちの青春ものを楽しみたいという人も,いわゆる百合好きな人も満足させられるようになっている。これらの要素を1冊に詰め込んで,その全てで高いクオリティを維持しているというのは驚愕すべきことだし,著者の構成力には舌を巻く。ただ,時期が良くなかったかなぁ…。本書の発売日は2021年11月なのだが,2022年2月からはロシアのウクライナ侵攻が始まってしまった。前述のように,本書ではナチスドイツばかりを悪玉に描くのではなく,ソ連赤軍が行っている蛮行も描いているので,ただちに本書の価値が下がるわけではないが,ソ連・ロシアを主役サイドにした小説はマーケティング的に今の時期はやりづらかろう。同志少女よ、敵を撃て【電子書籍】[ 逢坂 冬
2022.09.20
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最近は,燃える「fire」というではなくて,経済的自立をしたうえでの早期退職というのがはやりである。一度しかない人生,労働に時間を使うよりも,好きなことをして過ごしたい。そのためには,投資をしようという論法だろうか。個人的には,仕事をして稼ぐ方のが安定だと思うのだが,投資の本を読んでみようと厚切りジェイソンの本を手に取った。ジェイソン流 お金の増やし方 [ 厚切りジェイソン ]内容であるが,おおざっぱに箇条書きするとこんな感じになるだろう。①投資をしないのは損である。②投資する元手を増やすため,節約して生活を切り詰めるべきである。③手元に3か月分の生活費を現金として残し,それ以上は投資に回すべきである。④投資をするのなら投資信託をすべきである。⑤投資信託はアメリカのインデックスファンドを買うべきである。少し,内容に踏み込んでみると,著者によれば投資をしないでいるというのは最大の損である。投資を始めるのに今日が最高の日であり,明日は今日より少し劣る日だ,というのだ。著者のスタンスとして,ディトレーディングではなくて長期保有で投資をするやり方を取るのであるから,投資の時間は1日でも長いほどいい,ということだろう。実際に,厚切りジェイソンはすでに残りの人生をお金に困ることなく生活できるだけの資金を作ったが,それは長期保有の投資によるというのだ。彼の場合は15年ほど,コツコツとお金を作っている。投資というと,怖いイメージがどうしてもあるのだが,どことなく保守的である。で,「残りの人生困ることないほどお金を持っている」と豪語する厚切りジェイソンの私生活を見ると,これがかなり質素である。「投資のために生活を切り詰めろ」というのだが,コンビニでコーヒーを買うことすらせず,業務スーパーでインスタントコーヒーをまとめ買いしたりと,10キロくらいの移動なら電車を使わずに歩いたり,買い物のときコツコツとポイントを貯めたりしている。そこまで,しなきゃいけないものかと思うのである。僕はとてもマネできないよ。結局,fireといっても人によって必要な金額は変わってくるもので,これはなんとも言えない。かなりの節約生活をするのなら,必要資金は小さくなる。もっとも,著者は言葉を変えて何度も,「財産が十分にあることで,精神的な安定が得られる」と言っているので,贅沢よりも精神的に満たされる方が大事なのかもしれない。ここまでが投資の心構えであって,実際の投資術の話である。緊急の生活費のため,3か月分の生活費分の現金を残して投資信託を買え,というのである。投資信託というのは,要するに個別で株を買うのではなくて,投資のプロに運用してもらうというやり方である。そんな投資信託の中で,著者は実際に株価を予想することは難しいから,市場と連動して価格が上がるインデックスファンドを推奨し,特に経済的な成長が見込めるアメリカへの投資を進めている。いま,アメリカは好景気のようであるから,投資信託も成長しているのだろう。一方で,著者は個別株はリスクが高いから手を出さない。FXやコモディティもやらない。ここまで読んでの感想だが,著者は「このやり方をすれば,投資は簡単である」と述べている。しかし,反論もある。まず,著者は長期保有投資をすすめている。いま,アメリカ株が右肩上がりでも,今後10年とか20年とかを考えると,その辺はわからない。短期のディトレーディングならばともかく,長期で勝負をかけるのならば臨機応変とまではいかないけれど,たまにやり方を買えたりする必要はあるのかもしれない。なお,著者はデータ分析が趣味らしく,暇さえあればエクセルを開いて市場の動きを分析したり,株価のシュミレーションをしたりしている。本書はその努力があって著者がたどり着いた極意の,表面的な部分をまとめたのがこの本であるから,素人が素直にマネをして実践するのはかなり厳しいだろう。おそらく,著者ならば市場の変化に対応できたとしても,本書を読んだだけで基礎的なリテラシーのない者は,本書の極意を墨守して失敗しそうである。個人的に,「3か月分の生活費分の現金を残して投資する」ですらかなりハードルが高い。最後に雑感を。fireをするためには,25倍ルールというのがあって,これは投資で年4%の利益を上げられると仮定して,年間支出の25倍の資金があれば残りの人生は安泰であるというものである。仮に年間300万円を使うというのであれば,必要な資金は7500万円である。これは,そこらのサラリーマンが簡単に届く金額ではない。個人的に知りたいのは,月1~2万くらいの小遣いを稼ぐ方法である。ただ,この25倍ルールを適用して小遣い稼ぎに必要な金額を計算すると,月1万円が欲しいなら年間12万円だから,この25倍である300万円を投資に回して年4%を稼げばいい。仮に月2万円欲しいならなら600万円。逆算すると,たかだか30万円くらい投資につぎ込んだとしても,年利4%なら月1000円にしかならん。こう考えると,虎の子の貯金から300万円程度を危険にさらして得られるのがようやく月1万円となると,投資で小遣いを稼ぐのもかなり大変なような気がする。ジェイソン流お金の増やし方【電子書籍】[ 厚切りジェイソン ]
2022.05.10
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東京創元社から出ている乱歩シリーズを,第1巻から読んでみようと,まずは『孤島の鬼』から読んでみた。普通,この手の全集物で第1巻はかなり大切なものである。きっと,期待にたがうものだろうと思ったが,推理小説としてはまずまずというところ。ただ,やっぱり変態文学としては水準以上ですね。特に,乱歩が生きていたころにポリコレという概念はさほどなかったのだろう。おいおい書いているが,いろいろヤバい。ミステリなのだけど,容赦なくネタバレをしていくので,その点についてご注意ください。孤島の鬼【電子書籍】[ 江戸川乱歩 ]大まかななあらすじだけど,婚約者を突然殺害された主人公がその犯人を求め,ついには孤島・岩屋島で婚約者殺害の真相を探りつつ,財宝探しまでするという内容になっている。感覚的に,この物語は前半の殺人事件の推理小説と,後半の岩屋島での冒険パートになるのかな。まず,推理小説部分だけど,正直そんな大したことはないと思う。2つの殺人事件が起こり,1つは密室殺人,2つは衆人看視の中の突然死という,いずれも人間業とは思えない殺人事件が使われるのだが…。正直,そのトリックはさほどの物ではないと思う。いずれも,子どもを使ったトリックであった。密室の壺の中に子どもが隠れていたのと,衆人看視の中,誰もマークしてなかった子どもが刃物でブスリとやったという,その程度の話である。なので,ミステリとしてはさほどのことはない。むしろ,江戸川乱歩の真骨頂は変態文学である。この作品では,ホモセクシャルと奇形児の2つを扱っている。ホモセクシャルについて,主人公を学生時代から何くれと気にかけてくれるイケメン医師がいるのだ。この彼は,ホモセクシャルであって,主人公に対して好意を抱いている。終盤,岩屋島での冒険中,洞窟の中で迷い,出られなくなった時のイケメンのセリフがこうだ。どうだろうか…?正直言って,僕は「このイケメンはこれまでさんざん主人公のことを助けてくれたんだから,愛を受け入れてやっていいじゃない?」とまで思ったものだ。おそらく,その系統の女子にはこのイケメンはどストライクだったようで,『孤島の鬼』はコミカライズもされているようだ。さすがに現代の漫画だと,後述の奇形について「かたわ者」だの差別用語は使えなくなっているようだけど。なお,このイケメンは幼児期,クル病で奇形の養母から性的虐待を受けたがため,女がダメになったという設定だけど,LGBTって,そんな後天的になるものだろうか。そのあたりは専門家にまかせよう。江戸川乱歩傑作集 孤島の鬼【電子書籍】[ 長田ノオト ]次に,奇形である。これはいまなら完全にポリコレでダメだろうと思う。まず,ヒロインはシャムの双子みたいな,結束双子の秀ちゃんである。この結束双子,男女で腰のあたりから癒着しており,男の方は醜く,女の方は美しい。多様性の時代だから,別に結束双子がヒロインでもいい気がするのだが,前述のイケメン医師の前では今一つ魅力が伝わらない。そして,事件黒幕はクル病の患者である。この男は,このイケメン医師の養父である。この養父,健常者をうらみ,「不具者製造」というのを思い立った。子供を首だけ出る箱の中に入れて成長を止めて一寸法師を作り,赤子どうしの皮をはいで癒着させてシャムの双子みたいなのを人為的に作ったりとかする。最終的に,日本中から健常者をなくして,かたわ者(原文まま)の不具者の国にしようとしたのだ。身の毛がよだつほど恐ろしいものではあるが,ちまちま外科手術で不具者を作っているあたり,計画実行までの気が長すぎますね…。当時は,放射能とかダイオキシンみたいな人間の生殖に左右する毒物が見つかっていなかったのが幸いしたというべきか。はっきり言って,平凡な前半の推理小説部は退屈である。しかし,後半はエログロが相まって,おどろおどろしい魅力がある。当時としてはどうか知らんが,現在の高度に発展したミステリ業界を基準にすれば前半は凡庸な推理小説であり,後半の不具者が大量にいる岩屋島の冒険にこそ面白さがあるというべきだ。最後に,余談を。この小説の主人公,あまりの恐怖体験から若くして白髪になっているが,これは復讐をテーマにした黒岩涙香の『白髪鬼』の影響だろう。同じく,岩屋島での財宝探しであるが,これも黒岩涙香の『巌窟王』だろう。作中,巌窟王も岩窟伯爵と書いて(いわやじまはくしゃく)とルビを振らせていたから。主人公の,婚約者を殺された復讐と真相解明をモチベーションにしている姿もまた『白髪鬼』や『巌窟王』に通じるものがある。僕が気が付かなかっただけで,こういう遊びはいろいろ入っているのかもしれないね。孤島の鬼【電子書籍】[ 江戸川乱歩 ]
2022.03.15
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漫画の『モンテ・クリスト伯』,アニメの『巌窟王』に続いて,黒岩涙香の巌窟王を読了したので感想など書いていく。巌窟王 1 引きさかれた愛の鎖【電子書籍】[ 久保田千太郎 ]本来的には,楽天市場から商品を探すべきなのだがないので,amazonのリンクを張っておくから,こっちで商品を探してほしい(商品リンク)。上の商品はあくまで漫画版であって,黒岩涙香のではないです。自分語りからすると,僕が『モンテクリスト伯』を読んだのは,大学1年か2年。たしか,翻案というのにはじめて触れたのが,この数年後じゃなかったか。現代ですらそうなのだが,明治の時代の読者たちは,外国人の名前というのがなかなか頭に入らない。なので,黒岩涙香は登場人物の名前を日本人風に改めている。主人公のエドモン・ダンテスことモンテクリスト伯爵は,団友太郎(だん・ともたろう)こと岩窟伯爵(いわやじまはくしゃく),ファリア神父は梁谷(はりや)神父という具合だ。黒岩涙香の描く翻案小説の世界は,日本でも外国でもない,独特の世界観がそこにある。当世風にいえば,異世界みたいな感じだろうか。こういった名前の変換例でいえば,ユージェニーが「夕蝉」,船乗りシンドバッドが「船乗り新八」になっており,黒岩涙香の言語感覚には舌を巻く。本家と比べて色々語りたいところはあるけれど,2点ほど良かった点をあげたい。まずは冗長な描写のカットがされていて,逆に読み安いところは利点だろうか。本家の『モンテクリスト伯』は岩波文庫で全7巻という大長編なのに対し,黒岩涙香の『巌窟王』はハードカバーで上下2冊。かなり分厚い本だから分冊したとしても,たぶん本家の半分くらいにまとまっているのではなかろうか。次に,主人公である岩窟伯爵の心理描写である。本家の『モンテクリスト伯』において,主人公であるモンテクリスト伯爵の心理描写は,シャトーディフの脱獄を果たしたあたりからほとんどされなくなる。というか,本家の物語構成としては,主人公エドモン・ダンテスが唐突に姿を消し,入れ替わりにモンテクリスト伯爵が登場することになっている。作中ではモンテクリスト伯爵は謎の男として描かれておりつつも,散りばめられたヒントから読者としては,モンテクリスト伯爵の立ち回り方を見ていて,「この男,エドモン・ダンテスでは・・・?」と疑いながら読み進むことになる。なので,モンテクリスト伯爵の心理描写というのは地の文でやることができず,作中ではモンテクリスト伯爵の立ち振る舞いからその感情を推し量るということになっていた。そこは,文豪・アレクサンドル・デュマのすごいところで,具体的な心理描写がなくても,モンテクリスト伯爵が声に詰まったり,沈黙したりするだけで,読者はモンテクリスト伯爵の激情を察することができる。逆に,恩人の破産の危機を救う謎の男(主人公)の行動を見れば,心理描写がなくても主人公の真心というのは十分に分かろうというものだ。しかし,黒岩涙香はそうしなかった。主人公・団友太郎が岩窟伯爵であることは作中では秘密にするが,読者に対しては秘密にしない。なので,懇切丁寧に岩窟伯爵が仇敵の前で激情を押さえつけている心の動きだとか,その苦しみが描かれている。個人的には黒岩涙香の方がよかったかな,と思うところはある。特に,モンテクリスト伯爵は恩人の息子であるモレル大尉に対し,自分の息子にするような愛情を見せるのだが,原作の描写はあっさりしている。これが物足りなかった。一方で,巌窟王では,恩人の息子との交流が十分以上に描写されていて,主人公の恩人の息子に対する深い愛情が伝わってきたのである。総評として,巌窟王が当時の日本でもベストセラーになったのは納得できる。作品テーマとなる復讐だが,江戸時代まで日本には復讐という文化が普通に存在したのだし,受け入れやすかったのだろう。しかも,登場人物の行動原理には,原作にはなかった忠義だとか孝道といった東洋的価値観から説明がされていたりして,いかにも日本人の好みそうな展開も多い。これが絶版だったというのは,本当にもったいないなぁ・・・。
2022.02.17
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子どもの頃に読んだ作家を、大人になって読むとずいぶん印象が違う、なんてことはよくあることだ。手塚治虫、梶原一騎、藤子不二雄のような大作家は、子ども向けの無害な作品を執筆しているかと思えば、毒の塊みたいな作品を作ったりしている。こういう相反する二面性というのを、最近は江戸川乱歩に感じている。少年探偵団みたいな子ども向けの作品を書く一方で、大人向けの猟奇的、変態的な作品を多数出しているわけだから。今回は、『屋根裏の散歩者』の感想を書いていきたい。ミステリなのだけれど、ネタバレもしていきたい。屋根裏の散歩者/指環【電子書籍】[ 江戸川乱歩 ]あらすじなのだけれど、この作品は明智小五郎シリーズの第5作である。短編なので読みやすい。視点は探偵の明智小五郎ではなくて、学校を出てから定職にも就かず、親の仕送りで生きている無職の郷だ三郎である。彼は飽きっぽくて、酒にも女にも楽しめないのだが、どういうわけか犯罪行為に興味を持ち、ぎりぎりで犯罪にならないような悪戯なんかをしたりしているのだ。そんな彼のお気に入りは、下宿の天井裏から他人のプライバシーをのぞき込むことである。ある日、主人公は天井裏の節穴と、寝ている者の口が一直線になったとき、糸をたらし、糸を伝って毒薬を口に流し込むことで完全犯罪ができるのではないか、と思い立つ。それをそのとおり実行するのだけれど、かすかな手がかりから、明智小五郎に見破られてしまう、という内容になっている。はっきり言って、トリック自体はさほどのものではない。そもそも、このやり方で人を殺すことができるのか疑問である。そんな都合よく、節穴と寝ている者の口が一直線で動かない状況があるか疑問だし、天井裏を歩き回っている者がいたらなにか気配はしないものか。Wikipediaを見ても、「作中の塩酸モルヒネは致死量ではない」などの指摘はあるようだ。それでもこの小説が面白いのは、主人公・郷田三郎について、架空の人物とは思えない、血の通った人間ではないかと錯覚させるほどの描写である。たとえば、彼が熱中していた「犯罪のまねごと」はこうだ。どうだろうか?僕は正直、似たようなことをやった覚えはある。もちろん、いまはこんなことしないけれど、小・中学校のころはいろいろやった。大学生の頃、ドライブ中に悪友が「あのパトカーを尾行して、どこまで行けるかやってみようぜ!」という言葉に乗せられてパトカーを追いかけてみたことがあるが、まるでスパイか何かになったような気分になって楽しかったものだ。現代に生きる我々だと、Youtuberが似たようなことやっているだろう。そのほか、主人公は「押し入れで寝ること」に軽い興奮を覚えているが、これも僕はやったことがある。もっとも、僕が押し入れで寝たのは、こっそり隠れる快感と言うよりも、押し入れを寝床にしている「ドラえもん」に憧れてだけど。たぶん、誰もが似たようなことをしていた時期というのはあるのではなかろうか。この「犯罪に憧れる主人公」というのは、まさに著者の江戸川乱歩の投影なんだろう。実際に、江戸川乱歩自身も屋根裏を歩き回っていて、その経験がこの小説になったと言う。どうりて、描写にも力が入っているはずである。ゆえに、多少トリックが荒くても、それが大きく作品の評価を下げることにはなるまい。犯人役に強い共感を誘われる1作であった。一方で、探偵役の明智小五郎は、正直言ってさほど目立つものではない。名前のあるモブくらいのもの。物語を完全犯罪ではなく、犯人の自供で終わらせるための舞台装置以上のものではなかった。この辺、個性を発揮せずにはいられないシャーロック・ホームズなんかとは違うものだなぁ・・・。屋根裏の散歩者/指環【電子書籍】[ 江戸川乱歩 ]
2022.01.07
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キリスト教というと、「愛の宗教」みたいな宣伝戦略がされているが、実際に世界史を見てみれば案外とそうではない。漫画『ヘルシング』では「異端審問と異教弾圧で屍山血海を築いてきた最強の世界宗教」と言っていたが、まあ実際そうである。本書、『仁義なきキリスト教史』は、キリスト教の布教の歴史をやくざの抗争史にたとえて説明するものだ。仁義なきキリスト教史【電子書籍】[ 架神恭介 ]まず、目次を引用するとこのとおりである。第1章 やくざイエス第2章 やくざイエスの死第3章 初期やくざ教会第4章 パウロー極道の伝道師たち第5章 ローマ帝国に忍び寄るやくざの影第6章 実録・叙任権やくざ闘争第7章 第四回十字軍第8章 極道ルターの宗教改革終章 インタビュー・ウィズ・やくざおまけ 出エジプトー若頭モーセの苦闘このように、本書ではキリスト教は初期はユダヤ組の二次団体でしかなかったのに、徐々に勢力を拡大し、ほかの宗教を弾圧して世界宗教になっていく様子を描いている。僕は弁護士会でやくざ対策なんかもやったこともあり、やくざの歴史を勉強したことがあるのだけれど、やくざの歴史というのはすごく面白い。日本の戦国時代と似たようなところがあるといっても間違いではないと思う。抗争を繰り返す中、山口組の三代目・田岡一雄がわずか33人の組員しかいない零細団体から、1万人を超える超巨大やくざに拡大していくのだ。この勢力の拡大を布教と置き換えれば、まさに共通することもあるだろう。山口組概論 ーー最強組織はなぜ成立したのか【電子書籍】[ 猪野健治 ]また、特徴的なのがその笑いを誘う文体である。ゲラゲラと、腹を抱えながら読んだ。やくざが出てきて殺すところとか、神と対面したキャラが胃液をはきながらのたうち回る描写なんか、ちょっと前に流行した『ニンジャスレイヤー』と文体というか雰囲気が似ている。といっても、人間というものは刺激にたちまち慣れてしまうもので、5ページも読み進めれば飽きてしまってあまり笑えなくなるのだけれど。ニンジャスレイヤー(1) 〜マシン・オブ・ヴェンジェンス〜【電子書籍】[ ブラッドレー・ボンド+フィリップ・N・モーゼズ ]残念なところと言えば、キリスト教史の全体を扱えない関係上、かなり重要なところが割愛されているところ。特に、キリストの復活というのはかなり重要なテーマだと思うのだが、第2章でキリストが十字架にかけられて処刑されると、一気に時間は飛び、ペテロたちの使途伝道の話になる。キリストの復活というのはいったいどうだったのか、是非とも著者の目から説明してほしかった。イエスの復活は、使徒たちが権威付けのためでっち上げたのか、実際にあったのか、勘違いなのか、著者の頭の中では気になるところである。ちなみに、第4章ではパウロを扱っているところ、パウロが天からキリストの声を聞いて回心したところについて、どうにもパウロの妄想みたいに扱われている。そういえば、本書では第1章の時点でキリストは青年になって布教活動をやっているところから始まるのだが、処女懐胎で生まれたのか托卵の結果生まれたのか、キリストの妻だったという説もあるマグダラのマリアとの関係はどうなのかについても説明がないな。ちと残念である。個人的に、キリスト教初期を扱った4章くらいまでは面白いのだが、それ以降は微妙な感じになる。そもそも、本書は小説というやり方でキリスト教史を説明しているところ、物事を説明するのならば小説という体裁をとるよりも、普通に学術書の方がよい。一方で、小説という体裁を取るのであれば、イエスの活動から第二次世界大戦直前までという約2000年もの期間を断片的に説明するには紙幅が足らないし、構成上の問題も生じている。また、キリスト教とやくざに似ているところがあるので説明の便宜にはなれど、すべてをやくざで説明するのは無理があるところもあると感じた。批判的なことを書いたけれど、個人的には文庫本のおまけ、「出エジプトー若頭モーセの苦闘」は最高に面白かった。先ほど、「笑いを誘う文体であるが、慣れてしまう」と書いたのを撤回したい。この最終章だけは刺激に慣れることができず、笑い続けながら読んだ。この出エジプトについては、ほかの章がキリストが誕生した後の新約聖書後の時代を扱っているのに、この章だけは旧約聖書の時代を扱っている。また、ヤハウェ組の組長、ヤハウェが大活躍する。ドスを舐めながらエジプト中の長子を殺害してみたり、お供え物の香料が気にくわないとモーセの甥っ子を殺してみたりする。ヤハウェの機嫌が悪くなるたび、モーセがなだめに回るのだが、まぁ、本当に面白い。このヤハウェ組長はイエス・キリストの時代には大人しくなって半分隠居したみたいなものだったのだが、全盛期の恐ろしさ、理不尽さを嫌というほど痛感できたよ。特に、この文庫本おまけの出エジプトは『ニンジャスレイヤー』っぽさが強いように感じた。バイオレンスで派手な感じは、他の章にはなかったからだ。前述したが、本書はあくまで小説である。物事を順序立てて説明するのならば新書の1冊でも読んだ方が理解はできるだろう。そのため、ある程度以上、キリスト教と世界史についての教養が必要になるというのが読者を選ぶ。仁義なきキリスト教史【電子書籍】[ 架神恭介 ]
2022.01.04
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大デュマの傑作,『モンテクリスト伯』はリライト版がいくつか作られている。SFの『虎よ,虎よ!』なんかもそうだし,黒岩涙香の『巌窟王』なんかは筆頭で,もしかすると日本国内に限定すれば『巌窟王』の方が本家より有名かもしれない。この江戸川乱歩の『白髪鬼』も『モンテ・クリスト伯』のリライトである。正確に言えば,『モンテ・クリスト伯』のリライトであるマリー・コレリの『ヴェンデッタ』を翻案した黒岩涙香の『白髪鬼』をさらに改編したのが江戸川乱歩の『白髪鬼』であるから,本作は『モンテクリスト伯』の曾孫くらいの立ち位置になるだろうか・・・。白髪鬼【電子書籍】[ 江戸川 乱歩 ]内容なのだけれど,『モンテ・クリスト伯』と同様,復讐をテーマにした作品になっている。親友に陥れられて生き埋めにされた主人公は恐怖のため白髪になってしまったが,偶然に地下で海賊の財宝を発見し,大金持ちになるのだ。そして莫大な財力で自分を陥れた親友と,その親友と姦通していた妻に対して復讐をするというのだけれど・・・。僕は,どうしても先に読んだ『モンテ・クリスト伯』と比べてしまうが,大きく以下のような違いがある。まず,白髪鬼が生き埋めにされたのはせいぜい5日程度である。一方でモンテ・クリスト伯は無実の罪で14年を監獄で過ごしてから脱獄し,さらに9年の準備期間を使ったから,23年もの時間を使ったことになる。この生き埋め期間について,主人公は『ダンテス(モンテクリスト伯)と違って,こっちは飢餓の恐怖があるから,俺の方がツライ』と言っていたが,どんなものだろう。また,復讐の相手としても『白髪鬼』が対決したのは無職で財産もない親友と元妻にすぎない。一方で『モンテ・クリスト伯』は,主人公が投獄されていた14年のうち,敵がどいつもこいつも立身出世している。田舎の漁師は陸軍中将に,会計士は大銀行家に,ヒラ検事は検事総長になっている。要するに,どうしても『白髪鬼』は『モンテ・クリスト伯』と比べてかなりスケールが小さい。23年もかけて復讐を行ったモンテ・クリスト伯を熟成しきったワインとするのならば,白髪鬼はせいぜい1年くらいの物語なので熟成具合が足りないボジョレーヌーボーみたいなものか。もっとも,復讐をやり遂げる前に良心の呵責から断念したモンテ・クリスト伯に対し,やりきった白髪鬼を比べると,この点に限って言えば白髪鬼が勝っているだろうか。モンテ・クリスト伯 1【電子書籍】[ アレクサンドル・デュマ ]ただし,分量が大きく違い,『モンテ・クリスト伯』は岩波文庫で7冊という大長編なのに対して『白髪鬼』は文庫本1冊にも満たない。気軽に,簡単に読めるだろう。さらに,江戸川乱歩版の『白髪鬼』の良い点としては,江戸川乱歩の行間からにじみ出る変態性ですかね・・・。たとえば,主人公がまだ幸せだったころ,新妻といっしょに風呂に入ってイチャイチャするシーンだとか,妻が姦通するシーンはなんとも変態チックだ。私生活では女遊びの限りを尽くした大デュマも,江戸川乱歩の変態文学には一歩も二歩も譲ることになるだろう。なお,ついでに言うと,角川文庫版の『白髪鬼』にはさらに『盗難』,『一枚の切符』,『人でなしの恋』,『恐怖王』の4つの短編が収録されている。このうち,僕がもっとも気に入っているのは『人でなしの恋』だろうか。ミステリー要素も含んでいるのでネタバレは避けたいが,これは変態にしか書けない内容になっている。いや,ネタ自体はさほどではないかもしれないが,話の運び方,言葉の選び方,描写の仕方など,小説に必要な全ての要素が変態としか言いようがない。15年くらい前,本田透がラノベでこの『人でなしの恋』を題材にラノベを1本書いており,僕は結構好きだった。暇な人は是非呼んで欲しい。イマジン秘蹟 2.人でなしの恋【電子書籍】[ 本田 透 ]本田透はここ10年くらい作品を出さずに沈黙したままだが,いつか復活して欲しいものだ。ペンネームを変えて活動している説もあるけれど,真実なのかどうなのか・・・。白髪鬼【電子書籍】[ 江戸川 乱歩 ]
2021.12.24
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日本三大奇書,といえば読者を発狂させるという夢野久作の『ドグラ・マグラ』がその筆頭ではあるまいか。正直僕は上巻の半分くらいで挫折して漫画で読んだのだが,他の作品も読んでみるべか,と『犬神博士』に手を出した。表紙もなんかラノベっぽくて手に取りやすいから。犬神博士 アニメカバー版【電子書籍】[ 夢野 久作 ]さて,あらすじなのだが,本作は犬神博士こと大神二瓶(おおかみ・にへい)のインタビューを速記にして新聞記事にするというので,犬神博士が7歳くらいの思い出を語るという体裁になっている。どうも犬神博士は髪や髭も延び放題,夏でも冬でもマント姿でゴミ箱をかき回してる乞食っぽい爺さんのようなのだが,若いころはどうも神童だったっぽい。本人の語るところによれば,日清戦争の直前,7歳くらいのころは旅芸人の夫婦といっしょに,女物の振り袖でわいせつな踊りを踊って生計を立てていた。それが,「踊りのうまい女の子がいる」と福岡で話題になる。やがて,本人としてはそんな気ではなかったのだが,親孝行で,恩義も忠義もわきまえている「見どころのある子ども」として福岡県知事の目にもとまることになる。やがて炭鉱の経営権を巡る福岡県知事と右翼団体・玄洋社との争いにも中心人物として巻き込まれていくことになるのだ。見どころとしては,幼いころの犬神博士の暴れっぷりだろう。彼は,大人を馬鹿にしているところがあって,まるで「クレヨンしんちゃん」みたいな感じだろうか。お礼を言うときも,「尾張が遠うございます」,つまり「九州から行くと名古屋が遠い」という冗談を言っているだけで,「おありがとうございます」と聞こえるかもしれないけれど,大人が勘違いしているだけなのである。また,幼いころの犬神博士はバクチにはめっぽう強い。ツキの流れを感知するとか,博才があるというより,イカサマを見破ったり,仕掛けたりするのは天才的で,花札の裏面の小さなキズや汚れをもとに表面を覚えたり,転がし加減を工夫して自由にサイコロの目を出したりもできる。こういう神通力めいた力があるから,主人公は将来的に「犬神博士」と呼ばれるようになるのだろう。感想として,推理小説では全然ないね。てっきり,『ドグラ・マグラ』の作者だから推理小説だと思ったんだけれども。ただ,幼い主人公が手ぬぐいで襲いかかってくるヤクザの顔をはたいたところ,タイミングと当たり所の良さで一撃で昏倒させるシーンがあるのだが,これが「幻術」とか「ドグラ・マグラ」と呼ばれていた。幼く,無学で,常識もなく,なんらの権力も持っていない主人公が,親はもちろん,ヤクザの親分だとか福岡県知事やらを手玉に取るというのはひどく楽しい。ただ,残念なところは作品が途中で打ち切り終了になっているところだ。物語はいよいよ,右翼団体と福岡県知事との抗争が激化したところ,主人公がいた家が火事になり,主人公が避難したところで唐突に終了。調べたところ,新聞連載だったんだけれども,掲載している新聞自体が廃刊になったからのようだ。なお,右翼団体・玄洋社は実在の団体で,著者の父親も関係者だったようだ。そんな玄洋社の社長・楢山到については実在の人物ではないようだが。気になるところは多々あれど,打ち切りじゃ仕方ないというところ。もっとも,これほど才気煥発な子どもが,大人になると犬神博士またの名をキチガイ博士になってしまうというのはどういうことなのか,気になるところだ。犬神博士 アニメカバー版【電子書籍】[ 夢野 久作 ]
2021.12.13
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鬼平を演じた中村吉右衛門が2021年11月28日に亡くなった。あんまり僕はドラマは見ないし,鬼平も活字で読んでる派なのだが,しんみりは来る。鬼平犯科帳のプロトタイプでも読んでみるかと,15年ぶりくらいに短編集『にっぽん怪盗伝』を読み返したので感想を書いていく。にっぽん怪盗伝 新装版【電子書籍】[ 池波 正太郎 ]まずは,収録短編と簡単なあらすじはこのとおりである。江戸怪盗記・・・・プロト鬼平。本編にもある実在の怪盗・葵小僧の話。白浪看板・・・・・プロト鬼平。夜兎の角右衛門と盗人三か条の話。四度目の女房・・・盗人をしながら大工をしてる男の話。市松小僧始末・・・連作短編。掏摸の夫・市松小僧と剣術使いの女房の話。喧嘩あんま・・・・連作短編。市松小僧と生き別れたあんまの兄の話。ねずみの糞・・・・連作短編。市松小僧の浮気の話。熊五郎の顔・・・・伝説の雲霧仁左衛門の部下,熊五郎と未亡人の話。鬼坊主の女・・・・実在の怪盗・鬼坊主清吉の辞世の句の話。金太郎蕎麦・・・・鬼坊主から20両もらった私娼が蕎麦屋を立ち上げる話。正月四日の客・・・年1回だけ真田蕎麦を食べに来る奇妙な客と,蕎麦屋の話。おしろい猫・・・・浮気すると猫の額に白粉を塗って警告する話。さざ浪伝兵衛・・・盗人・伝兵衛が過去に殺した男の亡霊に会う話。ざっと12もの短編が収録されているところ,1つ1つ話していくとキリがない。このうち,1と2のプロト鬼平の話と,4~6の市松小僧の短編,それから8の鬼坊主清吉の3つの話をしていきたい。まず,目玉は鬼平のプロトタイプといえる『江戸怪盗記』と『白浪看板』である。ぞもそも,鬼平犯科帳の連載開始は1967年。『江戸怪盗記』は1964年に,『白浪看板』は1965年に発表されているから,著者の方で熟成させていた鬼平像をテストケースとして描いたのだろう。なお,本作では「鬼平」という通称は一切出てこないし,鬼平こと長谷川平蔵はあくまで「名前のあるモブ」くらいのもので,あくまで主役は盗賊だちである。別に,盗賊を引っ捕らえた役人は誰でもいいのである。厳しいながらも人情のある鬼平,という人物はまだ描けていないといえる。注目すべきは,鬼平でよく出てくる盗人3か条,つまり「殺さず,犯さず,盗まれて難儀するものに手を出さない」というのは『白浪看板』ですでに出てきているところだろう。この3か条,鬼平でもたびたび出てくるのだが,工夫としては素晴らしいものと思う。「盗人」という犯罪者を主人公としても,読者から嫌悪感を抱かれないようにするには,この3か条は必須であったといえるだろう。実際,『鬼平犯科帳』というシリーズは,事実上は盗賊たちをこそ主人公としていて描くもので,鬼平こと長谷川平蔵はあくまで舞台装置にすぎないと思っている。3か条をまもる「本格」の盗賊たちは,悪人であることは間違いないけれど,魅力があるのである。ところで,僕は前々から,この2つの短編が『鬼平犯科帳』というシリーズに入っていないのは不思議だったのだが,出版社が違うからでしょうな。『鬼平犯科帳』は文藝春秋社,本作は新潮社だもの。鬼平犯科帳(一)【電子書籍】[ 池波正太郎 ]次に,掏摸の市松小僧を主役とした3つの連作短編である。この作品,週刊朝日別冊,推理ストーリー,小説現代とバラバラな雑誌に収録されている。恐らくであるが,池波正太郎の最大の持ち味は,連作短編にあると思う。「鬼平犯科帳」,「剣客商売」,「仕掛人・藤枝梅安」という3大シリーズというものがある。一方で,長編小説はさほど振わない。時期的に市松小僧の連作短編は,著者の初期の方の作品である。色々と模索していたのかもしれない。のちに大ヒットした「鬼平犯科帳」と違って,僕の知る限り,市松小僧の話はこれ以降は書かれていないようだ。掏摸の夫と,剣術使いの女房というのはアイディアとしては良かったのかもしれないが,ヒットしなかったのかもしれない。僕自身も,女房一筋というわけでもなくて3作目で浮気なんかしちゃう市松小僧の好感度はあんまり高くない。最後に,鬼坊主清吉の話である。この鬼坊主清吉は調べたら実在の人物で,小説同様,処刑の前に堂々と辞世の句を詠んだという。池波正太郎は,無教養な鬼坊主が辞世の句を作ったという背後について描いたのだ。僕は,この作品を小説で読んだ後,時期は覚えていないのだが,さいとうたかおの漫画版「鬼平犯科帳」で読んだ記憶がある。それだと,この小説だと辞世の句を作ったのは貧乏浪人になっていたけれど,漫画版だと鬼平になってた。しかも,辞世の句の意味を色々と解説してくれていた。一方で,この小説だと辞世の句の解説がないので,無教養な僕には歌に込められた意味を味わえなかったのが残念であった。この漫画版を見るにつけ,正直言って,物語の完成度は漫画版の方が上かもしれないし,改変としては良い改変だったろう。ドラマ版の鬼平でもこの鬼坊主の話はあるようだが,たぶん改変があるんだろう。そうすると,短編の方はひと味足らないように感じたわ。にっぽん怪盗伝 新装版【電子書籍】[ 池波 正太郎 ]
2021.12.08
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このあいだ20年の積ん読してた短編小説集『賊将』を解消した僕だけど,このたびやっぱり10年くらい積んでた『幽霊塔』を読み切った。この作品についての自分語りなどしながら可能書いていく。なお,『幽霊塔』はミステリなのだけれど,オチもラストも結末も,容赦なくネタバレをしていく。幽霊塔【電子書籍】[ 黒岩涙香 ]『幽霊塔』を知ったのは大学生のころだと思う。たしか,当時の僕はアレクサンドル・デュマの小説にはまっており,黒岩涙香の『巌窟王』に興味を持ち,その流れで同じく黒岩涙香の『白髪鬼』や『幽霊塔』に興味をもった。ただ,文語調の小説はなかなか読めないので,当時は諦めたはずだ。時代が最近になって,kindleで無料版のを手に入れたけれど,たしか3章くらいで力尽きた。その後の話なんだけど,漫画化の乃木坂太郎先生が,本作のリメイク版として2012年から2014年にかけて『幽麗塔』という作品を執筆している。こっちの漫画は読みやすいので読んでいたが,本家の方はしばらく放置していた。聴く読書オーディブルを使ったとはいえ,聴き終わったので『幽麗塔』も含めて感想書いていく。幽麗塔(1)【電子書籍】[ 乃木坂太郎 ]まず,舞台なのだが,イギリスっぽい日本である。本作は翻案というやつで,ただ文章を日本語にするだけではなくて,登場人物を日本人に,その他文化風俗も日本にしている。それがなんとも言えない独特の世界観を作り出していて,僕は結構好きだよ。まず,あらすじなのだけど,けっこう複雑である。大きく,①莫大な財宝が隠されている幽霊塔の秘密,②謎の怪美人・松谷秀子の秘密,③8年前に幽霊塔で行われた殺人事件の秘密,など,様々な秘密がある。さらに,密室から突然消えた主人公の元婚約者だの,その元婚約者の失踪と同時に発見された女の首無し死体の謎だの,細かな謎を数えるとキリがない。前半は,その世界観と古めかしい文体に慣れるのが大変だったが,終盤,怒濤のように謎解きがされるのは爽快感があった。主人公もミステリなのに頭よりも腕力の方が自慢というキャラで,何かあると腕力を誇ったりする。謎解きも,幽霊塔のギミックだけは主人公が暗号を解読したものの,だいたいの謎は主人公が思索の結果として真実に到達すると言うより,ヒントをもとに足で稼ぐことが多かった。また,主人公はヒロインの怪美人・松谷秀子を無実と信じて動き回るのだが,根拠としては「彼女が美人だから」という一点に由来しているのが楽しい。個人的に気に入ったのが,主人公の恋敵となる弁護士・権田時介だ。本作が一人称小説ということから,この男は「どことなく嫌な奴」なのだが,どこか義侠心に厚いところがある。中盤は「かなり嫌な奴」に成り下がったが,ラストでその義侠心を発揮するところは感動した。めっちゃいい奴じゃないか,と。しかし,どうしても明治の作品だから古い。前述の,「密室から消えた主人公の元婚約者」について,これは「密室に隠し通路があった」というやり方で解決している。これは,「ノックスの十戒」の3番目に明確に反している。それが作品を損なうわけではないにせよ,近代のミステリでは許されんだろう。同様に,ヒロインである怪美人・松谷秀子の正体については,終盤で8年前に幽霊塔で行われた殺人事件の犯人として獄死したとされていた人物であることが発覚する。整形手術で顔を変えていたんだね。この整形手術というの,恐らくはこの時代だと科学の最先端だったんだろう。いのミステリで「整形手術で顔を変えて別人になっていた」というのがトリックというか,謎の核心であったというのはなかなか成立しないだろう。なお,この作品の中の整形手術については,髪の色についても単に染めるだけではなく,薬品を頭皮に塗って,永久に変色させるという技術が使われていて,令和の整形手術すら凌ぐ技術になっている。最後に,乃木坂太郎の漫画版『幽麗塔』(以下「乃木坂版」)との比較をしよう。乃木坂版では,やはり幽霊塔に隠された財宝探しが1つのテーマになっているが,LGBTやマイノリティの性愛がかなり大きなテーマになっている。また,本家にあった「整形手術で他人に成り代わる」というアイディアを改変したのか,「男装または女装によって性別を偽る」だとか「脳移植によって他人に成り代わる」という工夫がされていた。幽麗塔(9)【電子書籍】[ 乃木坂太郎 ]これら工夫を良いとみるか,悪いとみるかは微妙なところだ。「幽霊塔の財宝」というギミックは使っているものの,別に「幽霊塔」のリメイクと名乗らなくても,普通に1つの作品として成立しているように思う。本家の主人公は情熱的で活動的だったのに対し,乃木坂版の主人公は暗い性格である。たとえるならば,『西遊記』をアレンジして生まれた『ドラゴンボール』くらい関連性は薄い。それはそれ,これはこれで楽しむべきなのだろうなぁ。黒岩涙香全集 5作品(幽霊塔、無惨 ほか)【電子書籍】[ 黒岩涙香(Kuroiwa Ruikou) ]
2021.11.30
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僕は池波正太郎信者である。中学生のころから池波正太郎を読んでいるので,池波暦は20年を超える。そんな僕が,最も好きな作品は何かと言えば,短編集『賊将』に収録されている『秘図』と,この『秘図』を長編化した『おとこの秘図』である。昼は謹厳実直なサムライみたいな顔をしていながら,セックスレスな妻に悩みつつ,それを発散させるため夜はこっそりエロ絵を描く。描きためたエロ絵を隠すのに苦労している主人公を見ると,昭和生まれの僕としては強い共感に襲われる。このあたり,デジタル世代の令和生まれには分るまい。僕は,この2作が鬼平よりも剣客商売よりも好きである。久しぶりに再読したので感想を書いていこう。おとこの秘図(下)(新潮文庫)【電子書籍】[ 池波正太郎 ]作品背景を調べるために池波正太郎の公式サイトを見ると,『秘図』は1959年,『おとこの秘図』は1976年発表と言うことになっている。主人公は,実在する火付盗賊改,つまり盗賊対策にあたる特殊警察の長官である徳山五兵衛秀栄である。鬼平こと長谷川平蔵の先輩格だ。この五兵衛については,史実なのかどうなのか分らんが,池波正太郎が「夜はこっそりエロ絵を描いている」大胆な人物設計をしている。五兵衛や鬼平は「人間というのはいいことしながら,悪いこともするものだ」という人間観を語っているが,「昼は盗賊の捕縛をやり,家庭内では謹厳実直。でもセックスレスに悩み,旗本という身分があるから風俗にも行けず,孤独にエロ絵を描いている」という光と闇が同居する主人公はまさに著者の人間観の表れと言えよう。長編『おとこの秘図』だと,主人公は必死でエロ絵を描いていることを隠そうとするし,自分が急死したあと,家族が隠し持っていたエロ絵を発見してしまえば,「たちまち自分を尊敬していた家来や妻が自分を軽蔑するかもしれない・・・」という恐怖心から,中盤,徳川吉宗に命令で危険な任務に行く際にエロを全て処分したりしている。それでも,またエロ絵を描き始め,死の直前に絵を焼いてから死亡する。このあたり,昭和生まれの男たちにはよくわかることではあるまいか。こういう共感できる部分があるからこそ,僕は鬼平よりも五兵衛の方に感情移入しながら読みやすかった。どうしても鬼平犯科帳を読むとき,鬼平よりもその部下たちの方に視点が行ってしまうんだよね。賊将【電子書籍】[ 池波 正太郎 ](「秘図」が収録されている短編集)で,短編の『秘図』と長編『おとこの秘図』の違いであるが,文学性というか作品のテーマ性でいえば短編の『秘図』の方が優れていると言える。短編の『秘図』を焼酎なりウイスキーの原液とするならば,長編『おとこの秘図』は水割りとかソーダ割りみたいなものだ。短編は老齢になった五兵衛と盗賊・日本左衛門の対決を表面としつつ,裏面でエロ絵の作成を語る感じである。表と裏がはっきりしていて分りやすいし,僕なら30分,読書に慣れていない人でも1時間もあれば読み終わるだろう。一方で長編は,少年期の五兵衛と忠臣蔵の話,父親との確執,徳川吉宗の秘密任務など,やってることが多いのだ。裏面は主人公の性的な欲求でいいとして,表面が盛りだくさん。僕は1週間で上中下の3冊を読み切ったが,読書に慣れていない人では全3冊を読み切るのに1か月はかかるかもしれない。実際,ネットでレビューを見ていたら,「修業時代の少年期は剣客商売,盗賊と戦い始める中年期は鬼平で,池波正太郎の集大成である」とあった。確かに,そういう読み方もできるだろう。ただ,こういう読み方になってしまうのは,表面の方にばかり気を取られるからであって,裏面の主人公とエロ絵の方をあまり重視してないとも思える。そういう意味で,テーマ性がくっきり出ている短編のがいいかもしれない。もっとも,文学性とかテーマ性はともかく,娯楽性は長編の『おとこの秘図』だろうか。幼い主人公が赤穂浪士の討ち入りに心を震わせたり,中年期の主人公が吉宗の秘密任務に赴くシーンもある。紙幅も十分あるわけだからキャラ付けはしっかりしており,特に短編には登場しなかった家臣,小沼治作はいいキャラであって非常に好きである。なお,著者の執筆時の年齢を見ると,『秘図』の時点で30半ばくらい,『おとこの秘図』の時点で50代となっている。老齢になりながらも,主人公が小沼治作とともに「いまどき若い者はだらしがないのう」とやりとりするシーンは長編執筆時の著者の心ばえが反映されているのかもしれない。また,エロ絵の執筆についても,単に模写していたころから創造の段階に進み,現実世界では女っ気のない自分の部下に女を抱かせてみたりなど,絵の世界では自分の思い通りになる楽しさを知るシーンは心に響く。結論は,長編も短編もどちらも読め,とこういうことになる。表と裏,昼と夜を切り替える主人公というテーマ性は変わらないものの,父親との確執については大きく変更されており,短編では「理解のある主人公の父」だったのに長編では「主人公を廃嫡しようとする陰険な父」になっていたりする。ところで雑談だが,もし五兵衛が現代に生きていたらどうだったろうか。彼は1人きりでエロ絵を描いていたが,ネットのある現代ならばTwitterあたりで神絵師として活躍できていたかもしれない。そういうことを考えると,楽しくなってくるよね。おとこの秘図(上)(新潮文庫)【電子書籍】[ 池波正太郎 ]
2021.11.17
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僕がはじめて『近藤勇白書』を手にしたのは,たしか高校の図書室だったと思う。冒頭を少し読んで,近藤の弱さにちょっと落胆して本棚に戻した。そんな記憶がある。なので,本書を手に取ってから,読了まで20年以上をかけたわけだが,感想を書いていこう。近藤勇白書【電子書籍】[ 池波 正太郎 ]本書はタイトルの通り,近藤勇を主人公にした歴史小説である。Wikipediaで本書の発売時期を見ると1969年である。池波正太郎は先行して1964年に『幕末新選組』を発表しており,同年に司馬遼太郎が『燃えよ剣』を出している。時期的に,『近藤勇白書』が出た時期は,司馬遼太郎が『燃えよ剣』をヒットさせた時期以降になろうか。ある意味で,土方歳三を主人公とした『燃えよ剣』に対し,『近藤勇白書』は近藤勇を主人公にした,まるで兄弟のような作品といえるかもしれない。さて,内容なのだが,冒頭が面白くないのである。近藤勇はすでに試衛館の主になっているのだが,剣術の方があまり強くない。手強い道場破りがやってくると,近隣の協力関係にある道場から強い剣士を呼びよせ,道場破りと戦ってもらうというのをやっている。これが常態化しているわけだから,近藤の妻は冷ややかな対応をするし,高校時代の僕も読む気が失せた。ただ,このあとの展開は非常に良かったのだ。ある日,道場破りにやってきた男は本当に強く,竹刀での試合では永倉新八と沖田総司までが破れてしまう。そこで,近藤は協力先の道場から助っ人を呼んでなんとかするのだが,後日,その道場破りが路上で近藤に因縁を付けてくるのだ。そこで,近藤は真剣で立ち会うのだが,なんと道場破りの男を一蹴してしまうのだ。これは新選組の,というか天然理心流の評価でたまに言われる「実戦派であるがゆえ,竹刀での試合は弱いけれど真剣ならば恐ろしく強い」というやつだ。読んでいた僕は爽快感に包まれた。チャンバラ小説を読むとき,僕は主人公になった気持ちで読むわけだから,僕に成り代わってバッタバッタと活躍して欲しいのだ。弱いとつまらんのである。これ以降,近藤の妻も唐突に近藤への態度を改めるのだが,僕も近藤に対する態度を改めて,読んでいくことになる。余談だが,この「実戦派だから竹刀での試合には弱いけれど真剣ならば恐ろしく強い」って,なんかうだつの上がらない社会人の心をとらえるような気がしませんかね。こう,「俺は別にダメ男じゃないんだ。実力を発揮する場所がないだけなんだ」という感じでね。しかし,本当に僕が本書を楽しんで読んだのは中盤くらいまでだろうか・・・。栄達して行くに従い,近藤は徐々に威張ってくるようになる。作者は,永倉新八と原田左之介の口を使い,「俺たちは同志であって,近藤の部下ではない。それなのに,なんだあの偉そうな態度は・・・」と言わせるのである。もちろん,近藤にも言い分があるだろう。アットホームだったころの試衛館のころとは規模が違うしメンバーが違う。いつまでも昔の気分でいる永倉たちの方にも問題があるようにも思うのだが,どうも著者は永倉たちの方に共感しているように描かれている。思えば,著者は本書以前に永倉新八を主役にした『幕末新選組』を書いているわけで,どうしても近藤に反感を持つ永倉の視点から抜け出せなかったのかもしれない。最終的に,近藤はさらし首になってしまうのだ。このあたり,最後まで戦って死んだ『燃えよ剣』の土方とはずいぶん違う。というか,『燃えよ剣』では土方の内面がこれでもかと描かれているから共感もできたが,どうも池波正太郎の『近藤勇白書』や『幕末新選組』だと土方は陰険な感じがあまり好きになれんのだ。総評として,どうしても先に『燃えよ剣』を読んでしまうと,あまり本書は楽しめないかもしれない。近藤よりむしろ,永倉新八ファンかもしれんな。『幕末新選組』と同様,永倉新八は「亡くなった弟と似ている」という理由で芹沢鴨から目をかけられるなど,いい話が多いから。レジェンド歴史時代小説 近藤勇白書(下)【電子書籍】[ 池波正太郎 ]
2021.11.13
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私事だけど,2021年の10月9日,もともと飛蚊症がひどかった左目が見えなくなった。それで手術を受け自宅療養中にふと思い立ったのが20年ほど読もうと思って放置していた積ん読本の解消である。それが今回読んだ池波正太郎の短編小説集,『賊将』である。賊将【電子書籍】[ 池波 正太郎 ]奥付を見ると,初版は1999年12月の発売となっている。もともと,初出は1964年らしいのだが,僕が買ってもらったのは1999年に出た角川判である。思いおこせばこの本が新刊本として新聞広告に載っていたころ,祖母が中学生の僕にこの文庫本を買ってくれたのである。ただ,この本,なんだかんだで20年も積みっぱなしになっていたわけだ。約20年というのは積ん読解消としては僕の中で最長記録だし,たぶん,僕の残り人生を考えてこれ以上の記録は出せまい。では,なぜ読み切るのに20年かかったのかといえば,冒頭に収録されている中編小説『応仁の乱』がつまらなかったから,これに尽きる。何がどうつまらないか,説明することは困難である。応仁の乱という,あんまり馴染みのない時代が良くなかったのかもしれないし,主人公の足利義政が何を考えているか分らんと言うのもあったのかもしれない。とにもかくにも,つまらなくて読み切れなかったのである。僕は,池波正太郎信者であるが,無批判にすべての作品を受け入れるわけではない。ところで,海音寺潮五郎はアンチ池波正太郎であり,直木賞の選考をしていたころからボロクソに池波正太郎をけなしていたという。ネットの海を見ていると,海音寺潮五郎はこの『応仁の乱』に対して「よく調べているが,やるなら長編でやるか,いくつかの短編に分割すべきだ」と評したというが,僕もそう思う。なんとか読み終えた物の,「つまんなかった」以上の感想はなにもない。このように『応仁の乱』を読めなかったが,それでも中学生の僕は短編集『賊将』を捨てなかった。なぜかといえば,収録されているほかの小説は普通に面白いからだ。その中で2つ,語りたい作品がある。1つは,表題作の短編小説『賊将』である。これは,人斬り半次郎こと中村半次郎(維新後は桐野利秋)を主人公に,幕末から西南戦争までを描く短編小説である。なにがいいといえば,主人公の半次郎のキャラがいい。下級武士という,虐げられた出自から「いまに見ちょれ!」と日々剣術の稽古にいそしみつつ,内職なんかもこなして母や弟たちを養う貧困生活から自慢の剣術で陸軍少将まで登り詰めるのだ。典型的な薩摩隼人のように血の気が多いものの,どことなく可愛げもある。僕はすぐにこの中村半次郎が好きになってしまった。なお,この中村半次郎は史実の人物であるし,さらに池波正太郎は長編小説『人斬り半次郎』を執筆していて,二度おいしい。人斬り半次郎 幕末編【電子書籍】[ 池波 正太郎 ]2つは,『秘図』である。これは,火付盗賊改・徳山五兵衛秀栄を主役とした短編小説である。鬼平犯科帳のような,捕物帖というやつで,主人公の役人が盗賊と戦う話である。この作品の最大の特徴は,やはり主人公の五兵衛である。彼は昼間は謹厳実直な旗本であるものの,夜になるとこっそりエロ画を鑑賞したり,自ら描いたりしているというのだ。たぶん,このは設定は池波正太郎の創作であろうが,先ほどの中村半次郎と同様,愛嬌というものを感じさせる。五兵衛は最終的に,秘図をどうしても処分することができず,死の間際,手文庫ごと家臣に焼かせてしまう。男の悲哀を感じる。いまの電子化の時代は知らんが,昭和・平成の男の子なら,エッチな本なんかを家の中に隠し持っていたものだ。外では真面目そうな顔してながら,どうしても秘図を捨てられない。夜にエロ絵を描くのをやめられないという五兵衛に僕は強い共感を覚えた。ここには池波正太郎の「人間はいいことをしつつ,悪いこともする」みたいな哲学の結晶とも言え,僕は鬼平よりも,剣客商売よりも『秘図』が好きである。なお,「秘図」もやっぱり『おとこの秘図』として長編小説化されている。こちらも面白いことは面白いのだが,短編の『秘図』の方がテーマ性とかは上かもしれない。おとこの秘図(上)(新潮文庫)【電子書籍】[ 池波正太郎 ]最後に総評である。短編小説集『賊将』については,のち長編小説化されている『賊将』と『おとこの秘図』が収録されている時点で2つも傑作が載っているからお買い得と言えよう。直木賞を撮る直前の,若々しい池波正太郎の力も感じる。巻頭の中編『応仁の乱』だけ飛ばして読んでも,値段以上のモトは取れると思うよ。賊将【電子書籍】[ 池波 正太郎 ]
2021.11.09
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色々と仕事が忙しかったり,私事ですが体調不良で入院してたりして1月くらい『蒼穹の昴』の感想を書けないでいた。忘れているところもあるけれど,書評というより感想くらいなら記憶でなんとかできるだろう。蒼穹の昴(1)【電子書籍】[ 浅田次郎 ]あらすじだけれど,清朝の光緒年間を舞台に,士大夫の梁文秀,宦官の李春雲らを主要人物として動乱の清朝を描くということになる。まず1巻は梁文秀の出世物語になる。次男坊の不良息子として親からさほどの期待を掛けられてこなかったのだが,科挙で一発逆転,主席合格を果たして順調に出世していくのだ。科挙の描写にいては,僕も司法試験を受験したことがあるのだが,読んでて胃が痛くなった。司法試験でも受験中に泣き出す奴がいたとかそういうのはいたが,科挙だと発狂するのだとか,死んでしまったりする老受験生までいる。Twitter上の友人と話していて思ったのだが,やはり物語の主人公に感情移入して楽しむというというのは誰しもやっていると思う。喧嘩の強い主人公やら,異性からモテまくる主人公なんかそうだ。こういう,現実世界の自分ができないような立身出世をしていく主人公というのは一定層の人気は出るのだろう。僕も,読んでいて自分が出世して偉くなっていくような感覚になり,1巻は楽しめた。2巻は主人公が交替し,宦官の李春雲になる。この李春雲は貧乏な生まれで,科挙を受験するだけの教育費もない。なので自ら性器を切り取って宦官となるのだ。そして西太后のお気に入りになって,これまた順調に出世していく。僕が一番楽しんだのはこの2巻だろう。たしか,2日ほどで読破した。だが,3巻以降はぐっとつまらなくなる。物語の視点となる人物には前述の2人に加え,西太后や中国在住のジャーナリスト,岡圭之介になる。この岡圭之介は続編にも出てくるのだが,個人的には,延々と世界情勢を語り続ける彼のことはあまり好きではなかった。特に感情移入できる要素もないからね。同様に,西太后や光緒帝についても僕はあまり好きになれない。あまりに美化しすぎている気がする。この小説の不満点というか,納得できないところについては,西太后と龍玉である。なんでも,龍玉という宝石を持っている者が天子となり,龍玉を持っていないのであれば,李自成のように一時的に皇帝になってもダメだというのだ。この小説の世界観では,乾隆帝が龍玉をどこかに隠蔽してしまったため,清朝は徐々に滅びに向かっていると言うことになっている。この龍玉の設定については納得できない。この設定は本当に必要だろうか。たとえば,作中ではいつでも清に成り代わる力を持っていた李鴻章がそうしなかった理由なんかを,彼が龍玉を手に入れられなかったことで説明していた。恐らく,史実の李鴻章にインタビューすれば,「えっ,龍玉なんか知らんし。俺が天下を取らなかった理由は・・・」と,別の理由を説明してくれるのではなかろうか。龍玉を持ち込んだことにより,李鴻章や西太后といった天下に近い位置にいた人物のキャラ付けが史実とはずいぶん変わってしまったのではなかろうか。また,乾隆帝が龍玉をどこかに隠した動機面がよく分らない。終盤で,西洋のような民主的な国造りを是としたという趣旨の説明があったけれど,仮にも清の皇帝がそんなことを考えるだろうか。普通なら,自分の王朝が永遠に続くことを願うのではなかろうか。この点は西太后もそうなのだが,やたら清の王族たちは聖人君子となっている。意外とそんなもんではなかったろうと思うのだが。総評として,個人的にはさほどかなぁ・・・。物語の根幹になる龍玉について納得できないところが結構大きいのかな。蒼穹の昴(4)【電子書籍】[ 浅田次郎 ]
2021.11.04
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8月末から9月末にかけて,浅田次郎の『中原の虹』を読んだ。期待外れの所もあるし,感想としてはやや辛口だけれど,自分語りも含めて書いていこう。中原の虹(1)【電子書籍】[ 浅田次郎 ]僕が浅田次郎の名前をはじめて見たのはいつのころか,覚えていない。高校の図書館で『シェエラザード』を見て,アラビアンナイトを期待して裏表紙のあらすじを見たら全然関係なくて書架に戻したような気がする。また,ロースクールのころ,民法の教科書を読んでいたらコラムで『鉄道屋』に対して「いい話風にしているけれど,法的にそれでいいのだろうか?」と突っ込みをいれたのをなんとなく覚えている。あとは時期を覚えていないけれど,たぶん学生のころ,『天切り松』を読んで,「あんま面白くないなぁ」と1冊で読むのをやめた。で,今回の『中原の虹』だ。本当は『蒼穹の昴』を読みたかった。ところが,図書館で1巻が借りられてて,とりあえず「どうやら続編らしいけど,読んでも大丈夫だろう」とこちらを手に取ったのだ。さて,おおざっぱなあらすじだけれど,『中原の虹』は張作霖を主要人物として,20世紀初頭の崩壊寸前の清代を描くと,そんな感じだろう。あえて張作霖を「主人公」ではなくて「主要人物」としたけれど,どうにも張作霖は主人公っぽくはないからだ。張作霖の内面の描写がほとんどないこともあって,彼が何を考えているのかいまひとつよく分らない。一方で,西太后やら袁世凱なんかはこれでもか,と内面描写がされていて,「この事件のとき,袁世凱はどんな気持ちだったのか」とか,「どうして西太后はこんな決断をしたのか」という点についてくどいくらい説明がされている。しかも,張作霖についてはどういう生い立ちをしたのか,なぜ馬賊になったのか,趣味はなんのか,どういう恋をしたのか,という部分の描写や説明がほぼない。Wikipediaを見たところ,張作霖の少年時代はよく分ってないらしいけれど,それならば著者の方でうまいこと創作話をいれて欲しかったように思う。人物について色々思うところもあるけれど,とりあえず登場人物から西太后のことを書こうと思う。西太后は全4巻のうち2巻のラストで死んでしまうので,だいたい物語の半分くらいで退場するのだけれど,かなり重要な人物だったと思う。西太后について浅田次郎はかなり同情的なようである。西太后は箇条書きにすると,こう考えているのだ。①このままだと清,というか中原は西洋人の植民地にされてしまう。②誰か,天命を持った人物が立ち上がってこの国をまとめてもらう必要がある。③そんな天命を持った人物が立ち上がるため,あえて自身の悪名を広げよう。④そして,中原を支配するのは満州族である必要はない。なんとも論理がよく分らない。時節柄,間違いなく理解できるのは①のみである。②について,既存の清王朝があるのだから,普通に善政を敷けば良い。③については支離滅裂である。中国人のヘイトを自分に向けたところでそんなうまくことが運ぶとは思えない。特に清は征服王朝だし,内紛で国力が弱ったところに列強が漁夫の利を狙って攻めてくることだって十分ありえるのだ。④について,自分の民族より一地域の平穏を願うのはちと無理があろう。袁世凱についてもそうだが,どうも著者は権力者をかなり美化して描いているように思う。「狂人のマネとて大路を走らば,即ち狂人なり。悪人のマネとて人を殺さば,悪人なり」とはよく言った物で,権力を持った王が暴君のマネをするのならば,動機がどうであれそれは暴君だろう。西太后擁護論としてもちとおかしいように思う。なお,物語を陳腐にしているのが,「龍玉」というものである。天命の象徴であって,この龍玉を手に入れたものが天下を取るそうである。ただし,天命のない者が龍玉を手に入れると,五体がバラバラになって死ぬ。作中では,創成期,太祖ヌルハチやタンタイジ時代の清についてを,ヌルハチの次男・ダイシャンの視点を通じて,清の順治帝が龍玉を得るまでのいきさつを描いている。逆に言えば,ヌルハチ,ホンタイジらは天命がなかったせいか,それとも龍玉を手に入れられなかったのか,満州地方を統治していたけれど山海関を超えなかった,中原に侵入してはこなかったのだという。しかし,清王朝に代々伝えられてきた龍玉は乾隆帝以後,龍玉はどこかに失われてしまい,清は天命を失ってしまい,滅びに向かって進み始めたのだ,という。ここは,本当によく分らない。話を見ていると,順治帝以後は康煕帝,雍正帝,乾隆帝と龍玉は代々伝わってきているようだが,世襲でいいだろうか。また,明の崇禎帝のように,龍玉を持っていようと滅びるときは滅びるようなのだが,そりゃどうなのかと。『十二国記』を思わせるこの設定,いらなかったんじゃないの,と思わせるところがある。勝った者が天命を持っていた者で,負けた者が天命を持っていなかった,これでいいのだろうと思うよ。たぶん,張作霖については,東三省の王となる分にはよかったけれど,天命を持っていないのに中原に侵入したから爆殺され,五体がバラバラになって死んだ,ということなのかもしれない。そんなこんなで,僕の中で『中原の虹』は比較的評価は低めである。結末が,張作霖が爆殺されるところではなくて,1920年くらいに山海関を超えるところで終わってしまう。張作霖は1928年に死去しており,下り坂になるものの張作霖の人生はまだまだ続くと言う意味でも,そこまでやって欲しかったように思う。なお,この物語は『蒼穹の昴』の続編なので,先にそちらを読んだ方がいいだろう。前作から引き続き登場する人物がかなりいるのだけれど,そちらを知らないことには楽しめないかもしれない。中原の虹(4)【電子書籍】[ 浅田次郎 ]
2021.09.27
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僕はかれこれ20年近くはアーサー王伝説のファンをやっている。推しメンは時期によって違うものの,ここ10年くらいはガウェイン卿である。そんなガウェインを主役にした海外小説『五月の鷹』がクラウドファンディングで復活させるという話がTwitterでまわってきたのが2020年10月。即座に出資してみたところ,手元に来たのが2021年9月。約1年越しで感慨深い。五月の鷹 [ アン・ローレンス ](どうせまた絶版だろうか,即座にポチって欲しい)内容の前にちょっとだけガウェインについて語りたい。マロリーの『アーサー王の死』なんかを読んでいると,これはアーサー王や円卓の騎士の物語を集めてまとめたものになるところ,冒険をすすめる主人公格の騎士がところどころ入れ替わる。そんななか,ガウェインが主役級の活躍をする物語はほぼないと言っていい。冒険をすれば,たいてい失敗するのだ。ガウェインを主役とした有名な物語,つまり「ガウェイン卿と緑の騎士」だの「ガウェイン卿の結婚」だのは『アーサー王の死』には収録されていないのだ。そんなわけで,僕はてっきり『五月の鷹』を,ガウェインを主役とした,雄々しい冒険の物語だと10年以上は勝手に想像をしていた。さて,肝心の『五月の鷹』の内容であるけれど,これは「ガウェイン卿の結婚」を原典としたリライトになる。濡れ衣を着せられたガウェインが,自分の潔白を証明する神明裁判の課題として,「全ての女性が望んでいるものは何か?」という謎を1年かけて探す,というのである。もとの「ガウェイン卿の結婚」だと冤罪云々という話はないので,この点がアレンジと言えるだろか。また,「ガウェイン卿の結婚」をそのままやるのではなくて,ちょっと魔女っぽいガウェインの妹やら,マロリー版ではさして目立っていなかった女性キャラに焦点が当てられているように思う。見どころとしては,「全ての女性が望むもの」の答えを求めてガウェインが放浪していた1年間,ガウェインは何人もの女性と交流していくところなのかな。ガウェインは名前を隠していても,とにかくモテる。行く先々でそんな雰囲気になるのだが,別にそれは騎士として優れた腕前を持っているというのではなく,礼儀正しさやマナーのよさであったりするあたり,人柄が出てるように思う。結末としても,「ガウェイン卿の結婚」とだいたい同じ流れである。老婆に謎の答えを教えてもらったガウェインは見事に潔白を証明し,それから美女と結婚までするというハッピーエンドである。色々と気になることもあるのだが,まず思い浮かぶのは,「ランスロットはどこにいたのだ?」という話である。アーサー王の円卓において,第1の騎士はランスロットである。そんな彼が全く登場しない。トリスタンも,ラモラックも出てこない。活躍が許されていたのは,ガウェインの弟たち,つまりガヘリス,アグラヴエイン,ギャレスの3人と,従兄弟という設定になっているユーウェイン,パーシヴァルと,その他血縁以外ではケイ,ベティヴィアくらいであろうか。このあたりは,あくまで槍試合だの戦争をテーマに据えていないのだから,あえて円卓の騎士たちを出す必要はなかった,ということなのかもしれない。また,物語冒頭でガウェインは「雪原で血を吐いて死んでいるカラス」を見て,「雪のように白い肌,血のように赤いくちびる,カラスの羽のような黒髪の美女」を想像し,結末でまさにそんな容姿の美女と結婚するのだけれど,はたして「雪原で死んでいるカラス」から美女を想像するというのは,日本人には馴染みのない感覚だ。同様に,「雪原で死んでいるカラス」から美女を連想するというのは童話『白雪姫』でも見られるし,円卓の騎士で見ればパーシヴァルなんかも同じことをしている。それでも,やっぱり妙な感じはするなぁ。あと,どうしてもガウェインの結婚相手については,どうしても唐突感があるのよね。ポッと出てきた美女が登場するのはどうだろう,と思う。総評として,『五月の鷹』はあんまり男の子向けじゃないかもしれない。ガウェインが槍試合だの戦争で腕前を発揮すると言うことはない。バトルシーンがないので,そこは微妙だろう。よく語られている,「午前中は力が3倍になる」という特異体質が語られるわけでもない。ただ,女性向けならずいぶん違うかもしれない。つらつら考えてみるに,ガウェインの冒険で著名な2つ,つまり「緑の騎士」も「ガウェイン卿の結婚」も,どちらもガウェインは主人公としてその武勇で敵を打ち負かしているわけではない。「緑の騎士」では首斬りゲームに参加するという勇気や,相手との約束を守る誠実さ,それでいて命を惜しむ人間的な弱さを見せたりもする。また,「ガウェイン卿の結婚」ではアーサー王のため老婆と結婚するという自己犠牲と忠誠心,そして女性への献身を見せてくれる。どうやら,ガウェインという人物は,その武勇よりもその精神性にこそ卓越性があるようだ。ふと,僕は『五月の鷹』を読んでいて,そう感じた。逆に言えば,平然と主の妻と素知らぬ顔で不貞したり,不貞現場を押さえられたからと逆ギレして円卓を崩壊さているような奴は,どれだけ実力があってもクズなんですよ。どこの誰とは言わんが・・・。五月の鷹 [ アン・ローレンス ]
2021.09.09
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最近だとテレビゲームはeスポーツというようになり,テレビゲームも市民権を得ているように思う。ちょっと前だとゲーム脳がどうだとか,ひどく言われていたことからすれば隔世の感だ。そんなわけで,今回は『東大卒プロゲーマー』を読んでみた。東大卒プロゲーマー 論理は結局、情熱にかなわない【電子書籍】[ ときど ]ところで,最近の僕が愛読している漫画に『ゲーミングお嬢様』という格闘ゲームを題材にした漫画がある。そのなかには東台印飛紀子(とうだいいん・ときこ)というキャラが登場するのだ。このキャラが出たとき,Twitterで「ときどが女体化してる!」みたいなつぶやきを目にすることがあった。ゲーミングお嬢様 2【電子書籍】[ 大@nani ]僕は知らなかったのだが,「ときど」という芸名,というかゲームネームで活躍しているプロゲーマーがいるという。しかも,そのプロゲーマーは東大卒だという。ネットには断片的な情報があるものの,ウィキペディアなんかは分量が少なく,格闘ゲーム専門家のサイトなんかは専門用語が多くて意味が分らない。なので,本人が書いた新書を読んでみたのだ。さて,内容なのだが著者,ときどの半生を描いたものになる。おおざっぱに,小学生くらいのゲームを始めたころから,中学高校,大学と進学していき,プロゲーマーになって活躍を始めたころまで。本書が出たのは2014年だから,まだeスポーツという言葉もなく,YouTuberなんかもいなかったころのなので,これまた時代の流れを感じさせる。色々と感じさせられるのは,著者のもの考え方というか,ゲーム哲学である。著者はゲームをする際,基礎を固めてしまってからは延々とキャラ対策をしつづけるのである。どのキャラクターはどういう動きをして,どう立ち回るか,というやり方になる。そして,著者はゲームをやる場合,最強のキャラを好んで使う。ストリートファイターなら豪鬼だ。勝つためには,これが最も効率が良い。さらに,対戦相手のクセや行動パターンを徹底的に分析する。ここまでやって勝負をするというのだ。これを著者は勉強にも応用していたようで,著者が言うには東大試験についてはあくまで東大に合格するためだけの勉強をしたそうだ。つまり,東大の過去問をやり,模擬試験があり,合格判定がAだのBだの出るのを見ながら勉強したというのだ。なので,著者が言うには,東大に合格はしたが,他の私大には合格できなかったろうというのだ。なんと合理的なことか。漫画『ドラゴン桜』でもやっていたことそのままである。まさに試験対策のプロフェッショナルといえよう。ドラゴン桜 超合本版(1)【電子書籍】[ 三田紀房 ]特に心に残ったのが,著者がゲームでも研究でもやっていた「効率の良いしらみつぶし」論である。格闘ゲームならある技への対策ができるようになれば,その技と似た技にも似たようなやり方で対策ができるのではないかと仮説を立てて,解決策を見つけていくというのだ。バイオマテリアルの研究ならば先行研究から予測を立てて,結果を左右する要因である温度,濃度,微粒子サイズの1つを変えて延々と実験を繰り返すというのだ。地味であるし,びっくりするくらいつまらない話である。もっと簡単に強くなれたりはしないかと思うものだが,ローマは1日にしてならず,継続は力なりというのを感じるわ。僕は将棋棋士の本も何冊か読んでいるけれど,どうも著者のやり方と似ているような気がするのだ。もちろん,将棋も格闘ゲームもどちらもゲームであるのだから,定跡を研究し,延々と試行錯誤をするというのが似通って当然なのかもしれないけれど。素直に尊敬してしまう。プロゲーマーの未来はどうなっているのか注目してきたいものだ。東大卒プロゲーマー 論理は結局、情熱にかなわない【電子書籍】[ ときど ]
2021.07.20
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司馬遼太郎も昭和を代表する歴史小説家なので数多くの名作を生み出す一方,駄作や微妙な作品も数多く作っている。たぶん,この『播磨灘物語』は駄作とまでは言えないものの,微妙な作品というべきところかなぁ。新装版 播磨灘物語(1)【電子書籍】[ 司馬遼太郎 ]簡単なあらすじとして,本作は黒田官兵衛を主人公とした長編歴史小説になる。文庫本で全4巻。『竜馬がゆく』や『坂の上の雲』が全8巻,『翔ぶが如く』が全7巻というのに比べたら短いが,だいたい2~3巻くらいで終わらせる司馬遼太郎としては全4巻というのは長いというべきだ。さて,内容なのだが,黒田官兵衛の祖父の世代から始まる。もちろん,祖父の世代や父の世代は比較的にあっさりと,第1巻の中ほどで終わり,主人公としては官兵衛である。そんな官兵衛の人生についても濃淡があり,秀吉の中国大返しから天王山の戦いまではゆっくりと描きつつも,光秀が死んだ後は唐突にダイジェストになって終わる。苦言を2つばかり呈するが,1つは構成上のことだ。もともと,僕は司馬遼太郎の構成力には疑問を持っていて,新聞連載だったからと言われれば仕方ないが,重複する描写や説明が多かったりする。どうしても司馬遼太郎の長編だとそういうところが出てきてしまい,個人的には短編の方が好きなのである。後書きを見てみると,「ふりかえってみると,最初から別に大それた主題を設定して書いたわけではなく,戦国末期の時代の点景としての黒田官兵衛という人物がかねて好きで,好きなままに書いてきただけに,いま町角で,その人物と別れて家にもどった,という実感である」(4巻,講談社文庫新装版,362頁「あとがき」より)こう見ると,あんまり構成を考えて書いていたわけではないようだ。個人的には,関ヶ原の戦いとき,官兵衛が九州でした活躍なんかも書いてくれて良いと思うのだけれど。もう1点の苦言としては,あまり読んでて熱くなる場面なんかがなかったところ。司馬遼太郎の作品にはどこか魔力があって,たとえば『竜馬がゆく』だとか『燃えよ剣』なんかを読んでいると,名もなき若者でしかない主人公が,「俺は天下のために役立つ男になりたい」と怪気炎を揚げたりする。もう,読んでいるこっちまで「俺もなにかできるのではないか?」と思わせられるのだが,『播磨灘物語』にはそれがない。言ってしまえば,黒田官兵衛という男について,司馬遼太郎が無欲で恬淡な人物として捉えているからそういう描写がなかったのかもしれない。唯一あるとすれば,官兵衛が荒木村重により土牢に幽閉されてしまったところくらいか。なお,このとき竹中半兵衛が命をかけて官兵衛の子どもを助けてくれるシーンがあり,熱い友情を感じさせるのだけれど,伏線めいたものが全くないのでなんか燃えない。もっとこう,創作でいいから桃園で酒飲みながら義兄弟の契りを交わしたとか,逆に半兵衛の失策を官兵衛が助けた話を入れておいて欲しかった。新装版 播磨灘物語(1) (講談社文庫) [ 司馬 遼太郎 ]
2021.04.26
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『国盗り物語』は前後編に分かれていて,前編は斎藤道三,後編は織田信長である。これは本書読む前から聞いていたことであったし,前編は確かにその通りだった。ところが,後編は本当に信長編だったのだろうか。国盗り物語(三)(新潮文庫)【電子書籍】[ 司馬遼太郎 ]まず,『国盗り物語』の後編を読んでいると,冒頭は信長が登場するので一方で,前編の主人公だった斎藤道三がちょいちょい存在感をアピールしてくる。ただし,もはや斎藤道三は「主人公力」とでも言うべきか,世界の中心に位置し,どんな逆境をもはねのける主人公補正を失ってしまっている。前編では,土岐頼芸の実子である斎藤義竜をうまく利用していたのだが,後編ではめっきりそれが裏目に出てしまい,自らを滅ぼす形になる。毒をもって美濃を取ったマムシが,自らの毒で滅びるようでもの悲しくはあるなあ。ただ,言うならばこの『国盗り物語』は,光秀がお万阿に道三の死を伝えに行くシーンで終わっても良かったかもしれない。で,後編の主人公とされている信長であるが,意外や,これが影が薄い。Wikipediaを見ると,本作は信長と光秀のダブル主人公ということになっているが,光秀が主役と言って差し支えないのではなかろうか。作中,司馬遼太郎はこう書いている。妙なものだ。筆者はこのところ光秀に夢中になりすぎているようである。人情で,ついつい孤剣の光秀に憐憫がかかりすぎたのでであろう。(『国盗り物語』3巻,「半兵衛」の冒頭より)僕は,司馬遼太郎について,魂を揺さぶるとしかいいようのない描写をする魔力を感じるところではあるが,長編小説の構成力には問題があると思っている。恐らくは,本作は普通に信長を主役に書いていたのに,話がわき道にそれて気がつけば光秀編になってしまったというのが本当のところじゃないかなぁ・・・。光秀については,武芸者として野試合をする「六角斬り」だとか,古今集や新古今集に出てくる松が枯れ果てていたので移植したという「唐崎の松」だの,前述した斎藤道三の亡き妻,お万阿との交流だの情緒的なエピソードが多く,著者の愛情を感じるところなのだ。総評として,『国盗り物語』は斎藤道三編は文句なく名作であるが,信長編になると主役が途中で変わってしまうと言う構成上の問題点がある。斎藤道三編と信長編の途中,光秀がお万阿に道三の死を報告するまででが面白いところで,それ以降はちょっと落ちるのかもしれない。最後に蛇足をば。僕は司馬遼太郎はスカト口趣味があるのではないかと思っており,たまにTwitterでもそんな話をしている。それなのに,竹中半兵衛が斎藤義竜に小便をかけられたことで怒り,稲葉山城を奪ったという逸話は入っていないようだ。本作で,というか司馬史観では,半兵衛の舅である安藤守就が義竜に諫言したところ,扇子で頭を叩かれ,謹慎させられたことを動機にしている。ス力トロ好きの司馬先生としては珍しいことである。こうして小便のせいで反逆したとされる半兵衛に対し,司馬史観では小便で出世した人物がいる。秀吉である。『国盗り物語』の信長編の序盤,「猿の話」は若き日の信長と秀吉との交流を描くのだが,ここで信長は門の上から外を見下ろしているうち,秀吉の猿面を目みて「矢も楯もたまらずなにかしてやりたくなり」,小便を引っかけたというのである。秀吉は激怒し,梯子を駆け上がるのだが,そこにいたのは信長だった。「殿様でも許せませぬぞ」と激怒する秀吉に信長は謝罪の気持ちもあって「明日から俺の草履をとれ」と小者から出世させたという話。これは『祖父物語』に出展があるといういうが,どうも僕の中の秀吉像と違う。秀吉なら内心で激怒しつつも,信長にそれをぶつけるかなぁ,と。逆に,それだからこそ信長もびっくりして出世させたのかもしれないけれども。国盗り物語(四)(新潮文庫)【電子書籍】[ 司馬遼太郎 ]
2021.04.01
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『国盗り物語』といえば司馬遼太郎の代表作なのだろう。前編は斎藤道三が,後編は織田信長が主人公だという話は大学時代の友人経由で聞いていたのだけれど,「俺はそんな斎藤道三好きじゃないし・・・」とこれまで読んでなかった。ただ,『中退アフロ田中』を再読していたら,ロボが読んでいたこともあり,まあ読んでみるかと手に取ったわけだ。国盗り物語(一)(新潮文庫)【電子書籍】[ 司馬遼太郎 ]感想としては,やっぱり筆が乗っているときの司馬遼太郎作品は格別ですね。このブログでもたまに感想を書いてはいるし,つまらなかったためにブログで書かなかったものもあるのだが,面白いときはとことん面白い。司馬遼太郎の筆にはふしぎな力があって,読んでいて血が熱くなるし,俺にだって何か世の中を動かすことができるんじゃなかろうか,と思わせる何かがある。そういう意味で,この『国盗り物語』はまさにそういう魅力がある。内容としては,若き日の斎藤道三,つまり松波庄九郎が油売りの後家さんに取り入って油売りの店主になる。そこから美濃の国で活躍をし,ついに守護・土岐頼芸を放逐して美濃の国を手に入れるところまで。見どころは色々多いものの,斎藤道三は兵法,武術も強い。当初は槍の試合なんかもしているし,ずいぶん盛り上がる。個人的に好きなところは色恋関係になってしまうが,油屋の未亡人,お万阿かな。本作では,道三は美濃で国盗りをしつつも京都で油屋の店主として二足のわらじを履き続けているのだが,要所で油屋の財産を用いてみたり,油屋に帰ってきたりしている。若いころの道三は,僧侶の修行をしていたから男色の経験はあったものの,女を知らなかったのでまじまじとお万阿の「ののさま」を眺めてみたり,女を知るため遊女のところに行くなど,なかなか心温まる話が見られる。終盤,お万阿が誘拐されたときにカチコミかける道三はまさしくヒーローのようだったし,お万阿を助けた後,乱暴されていたお万阿を気遣って,狐の死骸を集めてきて,「お前は狐に騙されたのだ。狐は人を騙せても犯すことはできん」と言葉をかけてやるあたり心優しさを感じる。そういえば,僕に『国盗り物語』を紹介してくれた大学時代の友だちは,少年時代に本作の濡れ場で興奮していたということだけど,まぁ,中学生くらいならばわからんこともない。僕だって,中学時代は『竜馬がゆく』の濡れ場で興奮していたからな・・・。すでに30代となった僕は別に性的な興奮はなしないけれど,司馬遼太郎は幼女趣味とかあるよなぁ,と思うときはある。また,見どころのもう1つとして,道三の長男の斎藤義竜である。史実だと,たくさんの子どもがいた道三だけれど,本作では尺の都合か,義竜と濃姫くらいしか出てこない。そして,この義竜は道三の子ではなく,守護である土地頼芸の子どもだということになっている。経緯として,土岐頼芸の妾,深芳野に惚れてもらい受けたのであるが,この時点で深芳野の腹の中には土岐頼芸の子どもがいたのだ。頭の切れる道三なのに,どういうわけかそんな事実に気がつく様子もなく義竜を可愛がっているように描写されていたのだ。この点,土岐頼芸なんかは托卵されていると気がついていない様子の道三を影で笑っていたのだが,終盤でいっきょにひっくり返る。道三は義竜が頼芸の子だということは知っていたのだ。知っていた上で,土岐頼芸を放逐しつつ,血統にこだわる美濃の世論に配慮して義竜を跡継ぎにするというのだ。このあたり,なかなか恐ろしいところはあったなぁ。もっとも,史実を見ると道三は最終的に義竜に滅ぼされるわけだし,『国盗り物語』前編の時点では道三が義竜を可愛がる描写はされていたものの,心理描写はなかったので後編でどうなるかは分らんが。国盗り物語 1 斎藤道三 前 (新潮文庫 新潮文庫) [ 司馬 遼太郎 ]
2021.03.16
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僕はかねがね,「100年後にはどこの大学の文学部でも梶原一騎を研究している学者がいるようになるだろう」と予言しているほどの梶原信者である。このたび『梶原一騎正伝』という,いかにも梶原一騎の研究書のような書籍が出たので買って読んでみた。いかにも自信満々なタイトルに対し内容は・・・といったところだが,思うところを書いていきたい。純情 梶原一騎正伝 [ 小島 一志 ]まず,著者の小島一志氏について。この方の執筆スタイルの問題なのだが,ノンフィクションというには台詞や人物の心情が再現ドラマのように描かれている。たとえば,こうだ。(「第2章アントニオ猪木監禁」,「伏線そして偶然と必然」より)アントニオ猪木監禁事件のときの梶原一騎の心情がありありと描かれているが,梶原一騎に取材したのでなければ,著者の想像ですよね・・・?「朝樹は葉巻に火をつけ,空になったグラスにウイスキーを注いだ」とか,誰がそんな昔のことを覚えていたのかと。もちろん,この件について著者は関係者に取材している。ただ,取材対象は監禁事件を起こした梶原一騎や極真空手の添野義二,その他反社会的勢力と言われる者ばかりで肝心の猪木の証言は全くとっていない。この描写は,果たしてどれほど事実を反映しているのかなぁ・・・。ほぼ全編がこんな再現ドラマで作られており,冒頭では梶原一騎が逮捕される直前,実母との会話なんかが,これも梶原一騎か実母しか知らないであろう事実を,会話や当時の心情が描かれている。こういう再現ドラマは非常に情緒的で,傲岸な梶原一騎と,震えているアントニオ猪木が目に浮かんでくるようである。読み物として面白いことまでは否定しないものの,これが小説だというのならばそんなものかと思うが,ノンフィクションという看板で売り出すのは違うのではなかろうか。また,取材対象の偏りにも多少の不満がある。個人的にどうかと思うのが,『あしたのジョー』の作画を担当したちばてつやの証言が全く収録されていないことである。(「第3章 高森朝樹から梶原一騎へ」,「噂の高森三兄弟」より)梶原一騎の代表作は,『あしたのジョー』,『巨人の星』,『空手バカ一代』など数多いものの,最高傑作は『あしたのジョー』というのが研究者のほぼ一致した見解だ。梶原一騎については漫画原作者,格闘技のプロモーター,極真空手の幹部など様々な肩書きがあるとして,『あしたのジョー』について,現在も存命であるちばてつやの証言がないというのは,漫画原作者としての梶原一騎を何も描けないというのと同じである。ちばてつやですらこうであるから,他の漫画家の話はほとんど全く収録されていない。実際のところ,本書では梶原一騎の漫画原作者としての要素をほとんど描いていない。作品と作者は別だ,というのも1つの真理である。ただ,梶原一騎は漫画のキャラクターを通じて自分の思想や理想を代弁させていた,という見方がされている。たとえば,『あしたのジョー』でジョーが少年院で受けたリンチだとか,最終的にジョーが少年院のボスになるところは著者の経歴そのままだったとか,『巨人の星』の星一徹はマイホームパパを嫌う梶原一騎の理想像だとか。そういう,梶原一騎の人生を通じて作品を論じて見せたり,作品を通じて梶原一騎の思想を研究するというのを僕は求めていたのだが,あんまそういうのはない。では,漫画家としての梶原一騎を描く代わりに著者は本書で何を描いているかと言えば,梶原一騎と極真空手の内情だとか,アントニオ猪木監禁事件だとか,暴行傷害事件での逮捕だとか,そういう業界の闇みたいなところが中心である。ここで,著者はもともと空手雑誌の編集者をしていたという経歴があることから,空手関係者の証言は多数集められてはいる。といっても,極真空手については分裂に次ぐ分裂の結果,仲の良い流派だとか,険悪な派閥がある。著者の人脈の問題と言えばそれまでだけれど,士道館の館長・添野義二の証言は何度も出てくるのだが,さすがに偏りすぎだろう。添野館長は基本的に梶原一騎を擁護する立場であり,批判的な証言は掲載されていないから,そういう意味で信用性は微妙だ。また,梶原一騎と対立する派閥の意見も聞いたりすべきだろう。特に,著者は梶原一騎の妻であった高森篤子氏へは激しく嫌悪しているようで,以下のように論じている。まさに罵詈雑言である。(本書終章,「母と妻による二つの墓」より。)さすがに言い過ぎではあるまいか?とても中立的な立場とはいえないため,内容にはかなりの疑義がある。恐らく,梶原一騎の妻,高森篤子氏が本書を読めば逆の感想を抱く可能性が高い。また,本書では梶原一騎はADHDだったのではないか,在日朝鮮人だったのではないか,色々な疑惑を紹介している。特に在日朝鮮人説には客観的な資料がなく,著者も官報など確認できていないのに,なぜこの説を紹介しなければならなかったのかよく分らない。最後に,気になるのが本書では梶原一騎の親族からの証言について,兄弟である真樹日佐夫などの証言は多数掲載されているものの,息子さんたちの証言が全く掲載されていないことである。Twitterで梶原一騎の息子さんのアカウントがあるので見てみても,本書が発売されたというのに全く何の言及もされていない。恐らく,息子さんたちへの取材はしてないのか,できていないんだろうなぁ・・・。純情ー梶原一騎正伝ー【電子書籍】[ 小島一志 ]
2021.03.01
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僕が池波正太郎に触れたのは中学生のころだった。このころの僕は,むさぼるように池波正太郎作品を読んだが,それでも『幕末新選組』を読むことはしなかった。なんといっても,新選組ならば司馬遼太郎の『燃えよ剣』,『新選組血風録』がある。今となっては笑い話だろうが,中学生くらいの僕にとって,歴史小説というのは娯楽であるとともに歴史の学ぶために読むという側面があった。そうすると,もはや司馬遼太郎作品で新選組を学んだ以上,別に本作を読まなくても良い,そう思ったのかもしれない。幕末新選組 新装版 【電子書籍】[ 池波正太郎 ]あらすじとして,新選組の2番隊組長,永倉新八を主役にし,その生涯を描くものである。生涯,といっても晩年は全体の1割にも満たず,ほぼ新選組をメインにしているのだが。読んでいて思ったのが,僕の中の新選組とずいぶんと違う点である。恐らくであるが,僕以外の現代に生きる日本人は,だいたい司馬遼太郎の影響を受けているのだと思う。年表だとか,事実の羅列でしかない歴史の教科書で新選組を好きになるなんてことはあまりないだろうから,たいていは何かの作品に触れるはずだ。で,その「何かの作品」というのは,たいてい司馬遼太郎か,その影響を受けた作品なのだろう。ところが,『幕末新撰組』はあまりそんなふうではない。作品の発表時期を見ると,司馬遼太郎の上記2作品も,『幕末新撰組』も昭和30年代の作品である。どちらかがどちらの影響を受けるということはあまりないだろう。そんなわけもあってか,土方歳三はどこか陰気な印象を受けるし,沖田総司なんてほぼ登場しない。どうも司馬遼太郎作品とはイメージが若干ズレるのだ。さて,永倉新八以外で印象に残っているのは誰だと言えば,芹沢鴨,近藤勇だろうか。特に芹沢鴨だが,司馬遼太郎作品なんかでは暴君的な立ち位置として描かれていることが多いように思う。『幕末新選組』でも,もちろんそういうところも描かれているが,亡き弟に似ている永倉新八を可愛がるという,人間くさいところが描かれている。そういえば,芹沢鴨も永倉新八も,ともに神道無念流の剣術を修めていたっけ。2人のつながりを強くするため,永倉新八が芹沢鴨に似ているという設定を池波正太郎が付け加えたのか,それとも史実なのかはわからんが。読み終わってから,どうしても司馬遼太郎と比べてしまわずにはいられないのだが,どうしても『幕末新選組』は『燃えよ剣』だとか『新選組血風録』に及ばないというところだ。司馬遼太郎の作品だと生き生きと,個性的に描かれている登場人物がなのだが,あまり池波正太郎はそう感じない。もともと池波正太郎の作品というのは,どこか淡々としている。たとえるなら,池波正太郎の作品には,読者を泣かせたり,人生の指針を与えるというところはあるが,司馬遼太郎のように読者の感情に強く働きかけ,その血を熱くさせるというのはあまりない。新選組のような,歴史の中で一瞬だけ閃光のように輝き,消えていったものを描くには,司馬遼太郎の方が向いていたのだろう。幕末新選組 新装版 【電子書籍】[ 池波正太郎 ]
2020.11.18
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百田尚樹といえば,毀誉褒貶が激しく,ベストセラーを連発している作家ではあるが同時に裁判沙汰になった事件もある方でTwitterでは有名人である。かの文豪,アレクサンドル・デュマなんかも私生活は滅茶苦茶で裁判沙汰にはなっているわけなので,百田先生の評価は後世の歴史家に委ねるとして,『地上最強の男~世界ヘビー級チャンピオン列伝』の感想を書いていこう。地上最強の男 世界ヘビー級チャンピオン列伝 [ 百田 尚樹 ]僕が本書を手に取ったきっかけは,書店でタイトルを見てである。なんとも訴求力あるタイトルではないか。僕も含めて,男として生まれたからには,誰だって一度は世界最強を夢見る。そうじゃない男なんかいない,と板垣恵介先生が刃牙の口を使って語っていますが,そのとおりである。これは手に取るしかないよね・・・。(板垣恵介『グラップラー刃牙』秋田書店より)さて,内容なのだけど,世界最強の男の代名詞,ボクシングヘビー級チャンピオンの事跡を紹介するというものだ。時期的には初代ヘビー級チャンピオン,ジョン・L・サリバンからモハメド・アリまでのチャンピオンの紹介になる。著者自身も,現代では総合格闘技の発達により,「もはやボクシングヘビー級チャンピオンが最強ではない」ということだ。この辺は,「いや,現代でもボクシングヘビー級チャンピオンが最強だ」という人もいるかも知れないが,そういうことにして話を進めていく。ところで,本書は「チャンピオン列伝」と銘打っていながら,厳密には列伝形式(伝記を書き連ねたもの)にはなっていない。編年体で,おおよそ時系列に沿って語られているし,全25章のうち,1章を使ってもらえるチャンピオンもいれば,第12章から15章の4章を与えられたジョー・ルイスみたいなのものいる。しかし,注目すべきはモハメド・アリだろう。彼は第20章から25章まで,6章を通じて主人公としての立場にある。ヘビー級チャンピオンの中にも,1度も防衛に成功していない者がいる反面,ジョー・ルイスのように25回もの防衛をし,11年間も王者であり続けた者もいるから軽重がでるのは当然なのだろうけれど。特に,著者はリアルタイムでモハメド・アリの試合を見ていたようで,思い入れの深さもあるのだろう。とてもチャンピオン全員の話をするわけにはいかないのだが,人種差別論について触れていきたい。ボクシングヘビー級チャンピオンには黒人が非常に多い。しかし,初代の黒人チャンピオンが登場するまでは,カラーラインと呼ばれる人種差別的な,事実上は白人チャンピオンが強力な黒人挑戦者を拒否する制度のためなかなか実現をしなかった。そして,黒人ボクサーはリングの上だけでなく,リング外も人種差別と偏見とも向き合わなければならなかった。向き合う,というのは戦った者もいるし,そうしなかった者もいる,ということだ。著者もこの人種差別の問題には感心があるようで,終章でジャック・ジョンソン,ジョー・ルイス,モハメド・アリの3人についてこう述べている。「筆者は敢えて断言する。この3人のチャンピオンこそが,アメリカにおける黒人の地位を変える存在であった,と。スポーツの一ジャンルに過ぎないボクシングのチャンピオンが,アメリカ社会を動かしたのだ。それは彼らが「地上最強の男」であったからだと,筆者は思う(本書498頁)黒人として初代チャンピオンになったジャック・ジョンソンの白人に牙をむく人生は破天荒で憧れるものがある。一方で,黒人でありながらアメリカ代表としてナチス側とされるのボクサーと戦い,勝利したジョー・ルイスの人生は色々考えさせられる。しかし,僕がこの3人の中で最高だと思うのは,モハメド・アリである。社会運動としては,個人的に白人社会に喧嘩をうったジャック・ジョンソンよりも上だろう。そして,そんなアリを雄々しく描く百田尚樹について,ネット上ではレイシスト,差別主義者,極右という評価がついて回るが,本書に限定すれば,そんなことはなさそうである。ただ,モハメド・アリのトラッシュトークはどうかな・・・。わりと対戦相手を侮辱しまくっているが,かつての亀田兄弟を思わせて,現代では最高のスポーツマンなのだが,現役の頃は結構嫌われていたろうな・・・。色々と思うところもあるが欠点として,歴代のチャンピオンの事跡を1冊にまとめたせいで1人1人が薄い。どちらかといえば,淡々と事実を書き連ねるものである。それだけでも,体中の血が熱くなるが,もの足らないのである。満足できないのである。チャンピオンの人生は波瀾万丈でどれだけ強いチャンピオンもいつか負けてリングを去る・・・というのは無常観にあふれており,事実を書き連ねるだけで非常に興味深いものだ。時間があれば,百田先生にはジョー・ルイスやモハメド・アリの伝記小説を1本書いてくれい,と思うところはある。一方で,事実の提示であるが,『日本国紀』で引用がなかったというのに懲りたのか,出典をいちいち表記していくのであって,著者の見解はさほど多くはない。八百長と言われているタイトルマッチの試合をどう見る,とかそんな感じがやけに多いが,その程度である。そういう意味では,取材内容をまとめたものに近く,百田節というか著者の個性や見解が書かれているのはまとめや終章あたりになる。そのへんは少し不満かもしれない。事実もいいが,もっと著者の見解や,好みを書いて欲しかったからだ。最後に少しがっかりした話を。格闘家といえばストイックに強さを求める者かと思えばそうでもないようだ。戦って負けるリスクをやるのが嫌で戦わないチャンピオンのなんと多いことか。もっと,こう,血に飢えるというか,範馬勇次郎のように水より,酸素より闘争を求めるというのはやはりフィクションなのだな,と・・・。本当,刃牙で得た知識が修正されていくような気がする・・・。地上最強の男 世界ヘビー級チャンピオン列伝 [ 百田 尚樹 ]
2020.07.08
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定期的に,僕の中で古代ローマブームが来るのだけど,そんななかなんとなく手に取ってみた『奴隷のしつけ方』。新書サイズのころも書店で見ていたと思うのだけど,自己啓発書とかビジネス書かと思い敬遠していたが,これは自己啓発書でもビジネス書でもなく,古代ローマ文化本だなぁ。奴隷のしつけ方 (ちくま文庫 ふー53-1) [ マルクス・シドニウス・ファルクス ]内容なのだけど,古代ローマの貴族,「マルクス・シドニウス・ファルクスが書いた」という設定のローマ時代の奴隷に対する文化だとか,小話を集めた書籍になっている。言うならば,『魁!男塾』には民明書房とか太公望書林とか,架空の書籍を引用する形で嘘くさい歴史話にリアリティを与える,という技法がされていたが,まさに本書もそういう趣向になっている。素直に,翻訳したというジェリー・トナーが執筆したというより,古代ローマの貴族が書いたとする方が箔がつくだろう。そういえば,最近は『忍者スレイヤー』なんかも架空の・・・・・・。さて,内容なのだけど,古代ローマの貴族がどうやって奴隷を使っていたのかを解説している。何がすごいかと言えば,奴隷に関する小話には,大カトーだとかセネカだとかの著作から,奴隷に関する記述が出典になっており,そうであるからリアリティに富んでいるというところ。まるで,本当に古代ローマの貴族が執筆した書籍であるかのようだ。一方で,「古代ローマ貴族の奴隷マネジメント術は現代の経営者にも役立つこと間違いなし!」とあるのはさすがに無理があるかな・・・。奴隷にも報酬を与えた方が働かせやすいとか,まあ現代の労働者を扱うために役立つものがあるとはいえ,現代とはずいぶん違うので,なんともいえないだろう。個人的には,奴隷に関する小話集として楽しんだ。中でももっとも興味深いのが,キリスト教に関する記述である。著者とされているマルクスもキリスト教が嫌いのようで,けっこうボロクソ言ってくれる。「キリスト教徒は慈悲とか施しとかいうけれど,奴隷に対する扱いは我々と変わらない」とか,「キリスト教の教皇,カリストゥスも元は奴隷で人をだます悪党だ」だとか,けっこう酷い。そういえば,塩野七生の『ローマ人の物語』なんかを読んでいると,「塩野先生はキリスト教がお嫌いなんだなぁ」と思うけれど,本書の著者もキリスト教があんまり好きじゃないのかも知れない。まぁ,古代ローマ関係の文化や遺跡を破壊しまくったりとか,古代ローマの専門家としてはあんまキリスト教好きじゃないんだろうなぁ。奴隷のしつけ方 (ちくま文庫 ふー53-1) [ マルクス・シドニウス・ファルクス ]
2020.06.02
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僕が「幸福の科学」という宗教団体のことを知ったのはいるのころだったか。大学2年くらいのころ,たぶん2004年前後くらいには,友人が「幸福の科学」にハマっていたのを一歩引いた目で見ていたから,このころにはネットか何かで知ったように思う。 『金田一少年の事件簿』でおなじみのさとうふみや先生が布教のための漫画を書いたり,政党まで作って国政に出たり話題に事欠かなかった。そんな幸福の科学の教祖,大川隆法の長男がYoutuberになったという話は聞いていたけれど,書籍を出したというので買って読んでみた。動画と違って,書籍だと目次で内容を拾い読みできるし,何より僕のような活字を読むのに慣れた人間だと,動画見るより早い。だいたい動画1本1時間とかとても見ることはできないよ。 幸福の科学との訣別 私の父は大川隆法だった【電子書籍】[ 宏洋 ] さて,本書の内容に入る前に,著者の経歴をざっと見ると,著者は教祖,大川隆法の長男である。幼少期は教団の後継者となるべく教育を受けていたが,本人曰く「受験に失敗したこと」から後継者をはずされ,ついには教団から離れたというのだ。 この手の暴露本というのはとにかく情報の精度が問題になりがちで,どの程度真実が書いてあるのかが極めてわかりにくい。著者の誤解もあるだろうし,嘘を書く場合もあるだろうし,あえてある事実を書かないことで読者を誤解させるなんてこともありえる。 特に,著者は幸福の科学アンチであるのだから,幸福の科学側としては色々言いたいこともあるだろう。 まず,著者は幸福の科学の教祖,大川隆法の霊能力を全く認めていない。 これは僕の個人的な感覚だが,幸福の科学という宗教は,かなり教祖である大川隆法の霊能力に寄るところが大きいと思う。特に「霊言」とかいって,歴史上の偉人の霊を呼び出してイタコのように喋ってみたり,さらには今生きている人間の守護霊を呼び出してみたりもする。 これを著者は全く認めない。エピソードとして,東日本大震災を予見できなかったことや,野田総理が「解散総選挙をやる」と発言していて,ニュース報道までされていたのを大川隆法が見逃したため,霊言の際には野田総理の霊に,「解散総選挙はしない」と喋らせたという話が紹介されている(本書32頁)。 このあたりの霊能力関係は,どうにもわからんのでパスである。 気になるのは,家庭環境である。 著者は,父・大川隆法のことを「大川隆法」と記載しているが,同じように母親についても「きょう子さん」と書いていたりする。 どうやら,大川隆法の方針で,子どもたちの前で一人称として「パパ」を使っているようだが,子どもたちには自分のことを「先生」とか「総裁」と呼ばせているそうなのだ(本書71頁)。著者も,親子の情というのが薄いようなことを書いているが,なかなかすごい家庭ではある。 あと,勉強部屋に監視カメラがあったとか,教育係の秘書にポケモンのゲームを破壊されたとか,このあたりは,たぶん,事実なんだろうなぁ,と思う。 そして,政治活動の話。 この部分を読むと,著者は2009年の選挙の際,大川隆法を諭し,説得したという話が書かれているが,これはどうなんだろう。 著者は1989年生まれ。ちょうど20歳くらいのころだ。そんな若さで,教団の行く末なんか相談されたりするものか,また教祖である父にこれほど意見をできるものか。 気になる脱会の話なのだが,ここはいまひとつよく分からない。 著者は教団を抜けてみたりするものの,映画作成が好きらしく,教団の映画事業があると戻ったりもしている。タレントとの結婚にしても,著者は「教団から強制された」としており,逆に教団は「著者の希望があった」としている。 また,Wikipediaをざっと見ていると,著者が教団でセクハラ・パワハラをしただとか書かれているが,本書にはそのあたりの事情が触れられておらず,よく分からない。 双方の主張が食い違うのであれば,真偽の判定は困難である。 まぁ,「こんな主張もあるよ」と軽い読み物として楽しむにはちょうどいい厚さだ。 このあたりは,後世の歴史家に任せようか,と思う次第だ。国政にもうってでた,平成の宗教としてはトップクラスの宗教だ。恐らく,100年もして,利害関係者が絶えた頃,客観的な歴史家が何事か論じてくれるだろう。 幸福の科学との訣別 私の父は大川隆法だった [ 宏洋 ]
2020.05.17
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以前から書店で目にはしていたが,友達がネットでレビューを書いていたので,「俺も読んでみるべ」と思って読んでみた。これがずいぶん面白い。僕の中で,今年読んだ本の中でトップクラスに入る。言うて,2年くらい前の本なんで今更感はあるんだけど。バッタを倒しにアフリカへ [ 前野ウルド浩太郎 ]簡単なあらすじとしては,まさに現代のファーブル昆虫記。ポスドク,つまり駆け出しの研究者である著者が業績を求め,また人類の発展のため,バッタによる蝗害に苦しむアフリカで研究し,一発逆転のアフリカンドリームをもくろむという痛快エッセイである。インテリ層が執筆しているのだから固い文章なのかと思いきや,ラノベでも読んでいるじゃないかと思うくらい文章が砕けていて,昆虫に詳しくない僕でも気軽に読むことができる。さて,バッタというと日本的には仮面ライダーのモチーフになった,ぴょんぴょん飛ぶ虫くらいの感覚だが,バッタって聖書を読んでると黙示録的な災害にもなっているという恐ろしいものである。僕が愛読している手塚治虫の漫画『火の鳥・鳳凰編』とか『シュマリ』なんかでも,空を真っ黒に埋め尽くす大量のバッタが田畑だけにとどまらず,草木までもを食い尽くしていき,バッタが飛び去った後には草一本も残らない。民衆は飢餓に苦しむ…というのは何度か描写されていた。現代日本では見られなくなった蝗害だが,これに苦しむ人々は現実にいるし,研究もさほど進んではいない。だからこそ,実績もない若手研究者の著者が人生をかけて挑むことで世界が変わる可能性がある。ひいては著者の就職ができるかもしれない,という内容である。見どころを見ていくと,これがずいぶん多い。バッタに対する著者の思いなんか読んでいて非常に面白いし,アフリカでの生活ぶり,文化の違いも面白い。また,現地で登場するアフリカ人たちとの交流も良い。ただ,僕はポスドク,若手研究者の悲哀というところに共感し,身につまされた。僕も大学に通っていたことがあるのだが,やはり研究者というのになるのはイバラの道である。研究が大好きです,というのではなれない。能力があろうが,ポストがあかなければそもそも教授にはなれないわけだ。高学歴を持ちながら,その高い学識を活用できる仕事に就く,というのは本当に困難なことである。まして,30歳ころまで薄給だとか無給で延々と大学で研究をつづけながら教授になれない,なんてことが現実にあり得るわけだ。僕は弁護士という仕事をしているのだけど,1日10時間の勉強をしている時期なんかもあった。恐ろしいのが,別に1日10時間どころか12時間勉強しても合格する保証というのは全くないのである。ポスドクの悲哀を見ていると,司法試験の受験生時代を感じる。いや,年間2000人くらい合格する司法試験に比べれば,ポスドクの方がよほど苦しかろう。日本はもう少し,研究者を増やしてもいいのかもしれないね。また,著者の研究に対する姿勢というわけでもないが,スタッフに現地では高価なヤギをプレゼントしたし,子どもに小銭を与えてバッタを捕まえて来させる,だとか随所に人の使い方のうまさというものを感じる。近いうちに,またバッタに関する研究で活躍してほしいものだ。バッタを倒しにアフリカへ【電子書籍】[ 前野ウルド浩太郎 ]
2019.10.08
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田中芳樹の『風よ,万里を翔けよ』を読んだものだから,同じ主人公を題材にしたディズニーアニメも見たいなぁ,という気持ちになった。ただ,僕はほとんどテレビを見ないので,アニメ映画を見るのもけっこうつらい。じゃ,小説版だということで図書館で借りてきて読んでみた。ムーラン (ディズニーアニメ小説版) [ カシ・イースト・デュボウスキー ]田中芳樹の『風よ,万里を翔けよ』も『ムーラン』も,扱っているのは老いた父親の代わりに娘が兵隊として戦場に行く,という話である。ところが,田中芳樹の『風よ,万里を翔けよ』の方は歴史背景を延々と描いていて,「別に男装の女の子を主人公にする必要がないのでは…。」という内容だったので,同じテーマをディズニーがどう料理するのか,そのあたりを見てみたいと思った。内容的に興味深いのが,このムーランという時代背景が全然わからない,というところである。舞台は中国っぽい。ところが,皇帝の名前が出てくることも,国の名前が出てくることもない。一応,ムーランの伝説は隋唐のあたりであるはずなのだが,本作でムーランたちのいる中原に攻めてくる異民族はフン族ということになっている。フン族が活動的だったのは漢の時代だとは思うので,時代的には全く整合しない。なお,見る人が見れば登場人物の服装を見ればいつの時代かというのも大体特定できるのだろうけど,僕にはそのあたりの知識がないので,何とも言えない。あとがきを見るとこの『ムーラン』はディズニーが東洋を手掛けた最初の作品だという。そうはいっても,時代考証くらいできただろう。たぶん,あえて外したんだろうと思う。ムーランの時代にフン族という,明らかに違う時代の要素が出てくると,もうその辺は気にならなくなる。というか,ムーランには守り神の守護竜というファンタジー的なのが出てきたりするので,歴史ものというよりファンタジーものとしてみた方が妥当だろう。昨日感想を書いた『風よ,万里を翔けよ』はガチガチに時代考証をした硬派な作品であったが,この『ムーラン』は対照的に,時代考証を避けてムーランという女の子を最大限描くところに力を入れているのだろう。思うに,ディズニー映画は女の子を対象としているのだろう。視聴者となるべき女の子はさほど歴史に興味もないだろうから,別に時代考証というのはさほど重要じゃないのかもしれない。むしろ,女の子らしく振舞いたいけどうまくいかずムーランが悩む様子だとか,女であることを隠して従軍しなきゃならない苦悩だとか,恋の話だとか,そのあたりに重点を置いている。当然と言えば当然なんだけど。あと,ムーランのビジュアルなんだけど,あんま可愛らしくないですね…。髪を下ろしているとそれなりなんだけど,男装していると女性にはあんま見えん。これが日本のアニメとかだと,美少女が男装したところで,「男物の服を着てる美少女」にしか見えないのだけど,この辺をしっかりやるのがアメリカ映画なんだな,と思うところだ。
2019.10.03
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日本において、中国歴史小説だとか漫画というと三国志と史記の時代あたりに集中してて、ほかの時代というのはあんまないのではなかろうか。 そんな風潮に一石を投じたい、と著者である田中芳樹が考えたかどうか、彼が執筆した長編の中国歴史小説第1作が『風よ、万里を翔けよ』である。 風よ、万里を翔けよ新装版 (中公文庫) [ 田中芳樹 ] 僕はなんだかんだで、田中芳樹ファンなんだけど、あんま歴史小説家としてはそんな面白いもんだとは思っていない。何作か読んだけど、銀河英雄伝説とかアルスラーン戦記みたいなファンタジー系の明らかに面白いからだ。ただ、『風よ、万里を翔けよ』はTwitter経由で知り合った友人にかなり何度か勧められたので、とりあえず読んでみることにしたのである。 自分語りはこのくらいにしておいて、肝心の内容である。 ディズニーアニメで、『ムーラン』ってのがあったけれど、本作は同じテーマを扱ってる。老いた父の代わりに、主人公である花木蘭娘が男装して兵役につくという物語だ。 ただ、このテーマ的なものはかなり薄い。なぜかと言うと、主人公の花木蘭がほぼ空気と言っていいほど存在感がないからである。 じゃ、誰に存在感があるのかといえば、それは隋の皇帝である煬帝であり、隋の忠臣である張須陀であり、沈光なんかである。 はっきり言ってしまえば、この物語は煬帝が失政により国を傾けて、ついに滅びていくさまを描くことに紙幅のほとんどを費やしており、別に主役の花木蘭が存在しなくても普通に物語は成立するのである。 不満点として、せっかく主人公を花木蘭という男装の麗人にしたのだから、普通に「中国版ベルサイユのばら」みたいや展開をやればいいのである。 つまり、男装に悩むヒロインだったり、そんなヒロインに惚れる男たちが何人も登場したり、色々あって男女が絆を深めたり、ってやつである。 本書にはそんな展開がほぼない。花木蘭は素性を隠さなきゃならんという事情はあるにせよ、別に彼女の性別は本命の相手には最後にネタばらしするまで判明することはなく、ヒロインに惚れるほかの男たちが恋の鞘当てをすることもなく、淡々と物語は進んでいく。一応、主人公にとって大きな見せ場としては、中盤で女装して皇后に近づき、諫言しようとしたシーンだろう。ここでちょっとした色恋がらみのイベントがあるにせよ、見せ場というか男装の麗人を使うに意味のあるシーンはこことラストのネタばらしくらいのものだ。 ヒロインの重要な仕事は、歴史に名を残す名将の下で、ひたすら歴史に残る出来事を読者とともに傍観することだと言っても過言ではない。なんといっても、著者には「脚色はいいが、歴史のねじ曲げはダメ」という心情があるため、歴史上の人物ではない木蘭が出来ることは傍観だけである。 序盤、僕はこの物語を読んでいると、「これって、隋唐演義の焼き直ししゃん?」と思ったものである。ただ、後書きなんかを読むと本書は田中芳樹の中国歴史長編小説の第1作であり、著者が『隋唐演義』の翻訳をしたのはこのあとだという。 なので、順序としてはむしろ『隋唐演義』の方が本書で調べた成果を流用した作品になってるんだろうな。 後書きなんかを見ていても、「史実を脚色はしたが、史実をねじ曲げるようなことは一切していないつもりです」と述べていて、歴史に忠実な姿勢は分かる。 ただ、それと面白さは別だろう、と思うのである。なんかキャラがいきいきとしてない。やるならこれ、隋の滅亡していく様を大胆にカットして、木蘭の色恋に絞って短編にまとめた方が良かったのではないか、と思うのだ。 風よ、万里を翔けよ 新装版
2019.10.02
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僕もブログデビューしてはや9か月くらい。某ニュースサイトから「無償で転載させてくれ」との依頼くらいは来るようになりましが,いまだ弱小ブログです。ただ,そんなブログ界も奥が深く,ヒットを飛ばせば書籍化なんてことがあるのですが,今回紹介する『昼休み,またピンサロに走り出していた』なんかは風俗体験談ブログが大ヒットして書籍化したという,ブログ界における巨人ともいう作品である。昼休み、またピンクサロンに走り出していた [ 素童 ]内容については,ようするに著者である素童(素人童貞)さんの風俗体験談だとか,風俗や性に関する思いをまとめたものである。風俗体験談なんぞそんなネットにいくらでも転がっているが,それが書籍化するというのは著者の並外れた文章力に秘訣がある。なんと著者は奨学金を借りながら風俗に通わなければならない,という金銭的な事情から,ピンサロレポートサイトに体験記を投稿しまくって毎月1万円の謝金をもらう常連だったという(「風俗レポを書けば救われる」より)。僕なんぞ,「お金に困ってるなら,風俗いかなきゃいいじゃん…」と思ってしまうのだが,そらまぁ色々あるのだろう。なまじ,著者は大学で哲学なんぞを勉強していたせいか,文章がどことなく衒学的であるのが気になるが,慣れればそんなもんである。ただ,この書籍の最大の見どころは,巻末に「延長サービス」としてついているデリヘル店の「お店からの紹介文」を分析するというコーナーである。このコーナーの何が凄いかというと,文章解析ソフトを駆使して170店舗のデリヘル店でランキング3位以内の女の子と,ランキング外から任意の3人の女の子の紹介文を解析し,出てくる単語や文章に差を見出すというもの。ざっと1020人分,28万文字を分析したという。せっかく大学まで出た優秀な頭脳を,最高にゲスなことに費やしているように思えるが,僕はこういう全力で馬鹿をやっている人のことは好きである。このあたりの内容には立ち入らないが,確かにランキング入りするデリヘル嬢と,そうでないデリヘル嬢についてはお店からの紹介文に明らかに有意な差があることが示されている。僕にとっては使いどころのない知識ではあるが,こういう研究は非常に面白い。僕としては,文章解析ソフトまで使って解析するのならば,ネットでよくクリックされる広告とそうでない広告文を解析するだとか,そういうことに使えばよいのに…と思うけれど,そんなんじゃないのだろう。一応,著者である素童さんのブログでだいたいの記事を読むことはできると思うけれど,とりあえず買っておいてもいいじゃないかな。この手のブログは収益化すると過去の記事が読めなくなるかもしれないから。あと,買うなら電子版のほうがいいだろう。万一,突然死をした後に,この書籍が家の中で見つかると,遺族は何とも言えない気持ちになるかもしれないから。昼休み、またピンクサロンに走り出していた【電子書籍】[ 素童 ]
2019.09.23
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シャーロック・ホームズシリーズの最終巻である『シャーロック・ホームズの事件簿』を読んだ。感想を書く。 シャーロック・ホームズの事件簿 【新版】【電子書籍】[ アーサー・コナン・ドイル ] まず、タイトルからして突っ込みがある。なんや、このそっけないタイトルは? また、この一個前の短編集のタイトルが『シャーロック・ホームズ最後の挨拶』になっていて、あまり最終巻らしくない。 色々と思うのが、コナン・ドイルはホームズシリーズをやめたかったんだなぁ、ということだ。 たとえば、著者は前書きで、「盛りを過ぎた歌手が何度もさよなら公演を繰り返すようなことはやりたくない」と宣言している。のみならず、ホームズが引退したことを作中で何度か強調し、物語もホームズの引退後にワトソンが発表したのだ、という形式のものもある。 さて、ではそれほどにやめたかったホームズシリーズの作品の質はどうだろう。 見ていくと、本作には12本の短編が掲載されている。読んでいくと、たしかにホームズというか、著者の盛りは過ぎているのかもしれないと思わせる作品なんかもある。 なんだかんだ、ドイルはホームズを主役とした54もの短編と6本の長編を発表しているからネタ切れもありうるだろうが、『3人のガリデブ』なんかは過去作の『赤毛連盟』と同工異曲だ。 いや、『3人のガリデブ』はトリックこそ使い古したものだけど、ラストの乱闘シーン、ワトソンに銃弾を撃ち込んだ犯人にホームズが激怒するという、2人の絆を思わせる貴重なシーンがあるからそこは評価できる。 一方で、『這う男』みたいな科学的考えてどうなんだ、という作品もある。また、『ライオンのたてがみ』は事件ではなくて事故だったたいう形の話だが、「なぜ地元警察がこの手の海の事故を見破れないのか?」みたいなものもある。 欠点をあげつらってもつまらないので、良かった点を見ていく。 ホームズシリーズは基本的にワトソンの一人称で描かれているが、今回はホームズ視点の一人称作品が2つある。『ライオンのたてがみ』と『白面の男』た。 これを読むと、ホームズの思考過程がよくわかってくる。ホームズ語録に「あり得ないものを排除して、最後に残ったものは、いかにもあり得なさそうでも真実だ」もいうのがあるが、『白面の男』ではまさしく3つの仮説を立て、1つづつ消していって真実にたどり着いている。 これはずいぶんと興味深い。探偵はなかなか結論を言わぬものだが、たしかに消去法で考えていくと、聞き手の混乱を招くから最後まで話さない、というのもある意味で納得はできた。 また、著者は晩年はオカルトに傾倒していたらしいが、吸血鬼を扱った『サセックスの吸血鬼』だとか、実在の事件をモデルにした『ソア橋』みたく、新しい試みもかなりされているところである。 結局、なんだかんだ言いながら、僕はホームズものを全巻読んだことになる。 当初は「カビの生えた古典」くらいに思っていたが、まさか全巻読むことになろうとは。100年という時間、国を超えてまで読み継がれている作品の凄さという凄味を感じる。きっと100後も残るのだろう。そんな力を感じさせる。
2019.06.30
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色々とほかの本に浮気もしていたけれど,相変わらず読み進めていたホームズシリーズの4つ目の短編集,『シャーロック・ホームズ最後の挨拶』読んだ。感想を書いていく。シャーロック・ホームズ最後の挨拶 【新訳版】【電子書籍】[ アーサー・コナン・ドイル ]前書きによると,「現在,ホームズは探偵を引退して田舎で養蜂をしている」と説明されていたり,タイトルに『最後の挨拶』とつけているところから見ると,著者のコナン・ドイルはもうホームズものをやめたかったんだなぁ,と思うところである。8つの短編が収録されているが,全ての感想を書くことはしないが,長くなるので感想は2つに絞し,ホームズの愛国的な態度について触れたい。1つは,『悪魔の足』だ。コーンウォールで起きた不可解な変死事件にホームズが挑むのだか,これは偶然だけど僕も読んでいてトリックはすぐ分かった。読者としては,トリックが見事だとかそういうのより前に,自分が考えたトリックどおりに話が進むと気持ちがいいものだ。見どころは,煙を使ったトリックだろうとアタリをつけたホームズが,実際にワトソンと実験して死にかけるシーン。いや,それで人が死んでるんだから危険だというのは予測できるじゃないか,馬鹿じゃないの,と思えてしまった。2つ目には『最後の挨拶』だ。これが異色の作品になっている。形式的なところだが,ホームズ・シリーズは基本的にワトソンの一人称で書かれていて,2部構成の長編についてだけ三人称となっているのだけど,この作品は短編なのに三人称になっている。初見のときは一人称小説だと思って読み始めるわけだから,「あれ,この作品って視点どうなってるんだっけ?」みたいな感じで混乱して冒頭まで戻ったりした。そして,物語の舞台は第一次世界大戦直前。解説によれば,ラストでホームズとワトソンが「最後になるかもしれないから」と会話するのはイギリスがドイツに宣戦布告する2日前だという。非常に国際色が強い,スパイ小説みたいな作品ということになっている。ちょうどいい機会なので,ちょっとホームズと国家について考えたことを書き出してみる。昔の僕は,ホームズが警察を小馬鹿にするシーンなんかもあるから,反権力的なところがあるようにも思ってた。また,ホームズは私立探偵にすぎないから,別に公務員でもないし,貴族でもない。しかし,本質的にホームズはかなり権力よりの人物であって,おそらく政治的には相当保守派だろうと思うのだ。例えば,短編1作目『ボヘミアの醜聞』なんかはまさにボヘミア国王のスキャンダルをホームズがもみ消す話だし,この話に限らず,意外とホームズの依頼者には王国貴族が多い。本作に収録されている短編だけに限っても,『ブルースパティントン設計書』なんかはイギリスが国家機密にしていた潜水艦の設計図が盗まれたので政府がホームズに解決を依頼するものだし,このほかにもホームズはいくつかイギリス政府から事件を受けたりもしてきた。たんなるスキャンダル解決ならともかく,この手のスパイ活動みたいなのはそこらの探偵の職域を超えているように思うのだ。ところで,著者のコナンドイルの経歴を見ると,生まれは平民だけどナイト,つまり貴族に叙せられている。これは文学的な評価が認められたというより,どうやらボーア戦争でイギリス軍が行った残虐行為を擁護したという,プロパガンダが国に評価されたからだ。イギリス軍隊が民間人の家を焼いた点なんかも,「ゲリラ戦法をとったボーア人が悪い」とか「イギリス軍の婦女子への性的暴行も仕方ない」みたいな論調でイギリスを弁護し,世論に働きかけたそうな。言うなら,国家の御用作家となったわけだ。現代日本でもコピペで歴史修正主義的な日本通史を書いた作家もいるがいつの時代にも御用学者はいるものなのだな。著者がこうして愛国者なわけだから,著者の分身であるホームズも愛国的なところがあるのだろう。国から仕事を受け,紛失した機密文書の捜索だとかスキャンダルもみ消しをやるわけだが,たまには政府の不正をあばくとか,そういうのがあってもいいと思うの。愛国者といえば,何が何だろうと自国の悪口は許さないという人が多いけど,自国がより良くなるために,間違っているところは糾弾し,正すよう働きかけるというのも一つのやり方だと思うのだ。たとえば,首相がお友達の施設に国有地を不当に安く売り払った案件の調査をするとか,消えた年金を調査するとか,そういう反権力的な探偵がいてもいいと思うのだ。
2019.06.20
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このあいだ新潟に行ってきり,漫画『軍神ちゃんとよばないで』の影響もあって,上杉謙信を主人公とした小説『天と地と』を10年ぶりくらいに再読した。感想を書いていく。天と地と 上 (文春文庫) [ 海音寺 潮五郎 ]著者は史伝シリーズなどで信頼と実績の海音寺潮五郎。1969年,ちょうど今から50年前の大河ドラマにもなって,そのロケのために春日山が整備されただとか,色々いわくのある作品である。現代に生きる僕たちにはあまり想像ができないが,著者によると明治以前は長篠の戦だとかあのあたりよりも,川中島の戦いの方が知名度が高かったという。なぜかといえば,『甲陽軍鑑』という武田信玄の軍学書が江戸時代においては軍学のテキストになっており,川中島の戦いはこの『甲陽軍鑑』で取り扱っていたからだという。そして,普通ならば『甲陽軍鑑』をもとに,武田信玄側から物語が作られていたそうなのだけど,著者が上杉謙信の方に惚れ込んでしまい,本書が作成されたらしい。そんなわけで,色々と上杉謙信への愛があふれる作品になっている。内容を見ていくと,上杉謙信が生まれるところから,第4次川中島の戦いのところまで終わり。つまり,上杉謙信が死ぬところまでを描くわけでもない。よくある漫画の死亡フラグよろしく,「この戦いが終わったら,結婚しよう…!」と幼いころから何度もすれ違いをしてきた娘と約束を取り交わし,戦場から帰ってきたら娘の方が病死していて終了という,なんとも物足らない結末になっている。結末の時点の上杉謙信はせいぜい30代前半でしかないから,これからもっと色々とやるべきこともあったはずなんだけどね。そこは残念なところ。ざっとあらすじを見ていくとこうだ。まず,前半の上杉謙信の幼年期である。上杉謙信は父親に嫌われており,乳母役の松江に可愛がられて成長することになる。このころの見どころは,戦場でも活躍する松江の活躍っぷりということになる。また,事実上の主役は上杉謙信の父である長尾為影とか,猛将の柿崎景家になるのだが,忍者の服部玄鬼だとか,周辺のキャラがかなり生き生きと描かれていて,結構面白い。中盤は上杉謙信とその兄,晴景の対立を描いている。父とも折り合いの悪かった上杉謙信だが,父の跡継ぎの晴景ともやはりうまくいかない。結局,上杉謙信は兄と争い,兄を強制的に隠居させて当主になるわけだ。このあたり,父親を追放して当主になった武田信玄と対照的に描かれている。それでいて,妹婿である諏訪氏を滅ぼした上,その諏訪氏の娘を愛妾にした武田信玄について謙信が激しい嫌悪感を吐露するところが見どころかもしれない。そして終盤になると武田信玄との川中島の戦いになる。なんだかんだ,川中島の戦いは5回くらいやっているのだけど,物語のラストである第4次川中島で終わり。前述したように,恋人が死んで終わりである。序盤から中盤にかけては忍者である服部玄鬼が出てきたり,兄である晴景を惑わせる妖婦・藤紫といった架空っぽいキャラが活躍していて面白いのだが,戦場に行ったりすると淡々と戦っているだけになりがちである。海音寺潮五郎は史伝シリーズみたく,歴史に忠実に作品を作ろうと努力されているようで,たとえば山本勘助は非実在説を取っているため,小説の中には登場しない。小説なんだから,面白くなるように作ればよく,山本勘助はいた方がいいと思うのだけどね。じゃあ,史実に反することはしないのかといえば,そうではないようで,実在が疑われている鬼小島弥太郎が普通に活躍しているし,上杉謙信の乳母である松江なんかも大活躍している。たぶん,上杉謙信の恋人だった乃美も実在じゃないと思う。それでいて,ハイライトである第4次川中島の戦いにおいて,武田軍に突撃した上杉謙信の刀を,武田信玄が軍配で受け止めるシーンは普通に描かれている。これは架空っぽいのだが,海音寺潮五郎はこういったことがあったと「心から信じている」そうである。この辺は,理屈を通り越した愛情だわな。天と地と 下 (文春文庫) [ 海音寺 潮五郎 ]
2019.06.04
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シャーロック・ホームズの長編4作目、『恐怖の谷』を読んだ。感想書いていく。 恐怖の谷【電子書籍】[ コナン・ドイル ] あらすじとして、2部構成になっている。第1部でホームズの挑む殺人事件が語られ、第2部で事件の動機だとか背景が語られる。 ホームズの長編にはよくあるパターンである。 まずは第1部だが、ホームズのもとに怪しげな暗号文が届くのだ。これを解読すると、バールストンにいるダグラスという男に危険が迫っているというので、ホームズはワトソンとともにダグラス救出に向かう。ところが、ホームズが到着したときには、ダグラスは殺されてしまっていたのだ。 これについては、被害者であるダグラスの顔が潰れているので、分かる人にはある程度推理はできるのかもしれない。ちなみに、この手のトリックは作中の地名から「バールストン・トリック」と言われるトリックになるとのこと。比較的に、よく見るといえばよく見るトリックなのかもしれない。 さて、次は第2部である。ホームズの長編ものにはありがちなのだが、正直言って第2部の動機編の方が面白いと感じた。 こちらの物語の舞台は第1部から遡って開拓時代のアメリカ。 「自由民団」という、会員の相互扶助を目的とする団体が、いつしかヴァーミッサという土地では暴力団のような役割をするようになっていた。自由民団ヴァーミッサ支部の者たちは市民たちから財貨を搾取したり、支部に反対するものに殺し屋を送り込んだりして、暴力で町を支配するようになっていたのだ。この町を舞台に流れ者のジャック・マクマードという男が奮闘するというものだ。 ネタバレをしていまうと、第2部の主役であるジャック・マクマードという男こそ、第1部において殺されたというダグラスなのだ。彼は、第2部で自由民団ヴァーミッサ支部を壊滅させることに成功するが、それで恨みを買い、第1部の時点で名を変えていたたいうのだ。 いや、さらに言うとこのジャック・マクマードのダグラスの正体は、自由民団に対抗するために雇われた凄腕の探偵なのである。このあたりは読者には隠されており、ジャック・マクマードとダグラスが同一人物といあたりまでは予測していたが、作中でほのめかされている探偵であるとまでは考えていなかったので、正体バラしのシーンは少し震えた。 さらに調べると、この第2部は実際の事件をモデルにしているとのこと。詳しくは、Wikipediaで『恐怖の谷』を検索してほしい。 ならず者に支配されている町を探偵が解放するだなんて、西部劇のような話だ。しかも、それをやったのがガンマンではなくてバーディ・エドワーズという探偵だというから、事実は小説より奇なり、といったところ。 ただ、結末は少し後味が悪い。 時系列的に、この『恐怖の谷』はホームズの宿敵であるモリアーティ教授がまだ暗躍していたころであり、彼が背後から糸を引いていたというのだ。そのため、ハッピーエンドっぽくはない。 僕としては明示されていない以上、「海に落ちて死亡したという彼」については、モリアーティに殺害されたのではなく、死んだことにして逃亡したのだと思いたいところ。 さて、これでホームズの長編は全て読み切ったことになる。 こうしてみると、『緋色の研究』、『四つの署名』、『パスカーヴィルの犬』、『恐怖の谷』の全てで殺人事件を扱っているのに気がつく。まだ、『パスカーヴィルの犬』以外の作品は2部構成になっている。 感想として、どの事件も短編で充分じゃないかな、という気がしないでもない。連続殺人というわけでもなく、せいぜい1人くらいしか死なないので、長編使わなくても話は成立するのだ。たぶん、ホームズの短編が56あるのに、長編が4作しかないというのは、読者が短編をより好んだからなのかもしれない。何より、短編は読みやすいからね。 ただ、動機を解明する2部の存在は無視できない。『緋色の研究』の2部なんて下手に犯人側に感情移入しちゃったせいで読むのが辛いという現象が起きちゃったし、『恐怖の谷』も事実をもとにしただけの迫力というか凄みがあった。 日本ではコナン・ドイルといえばホームズなのだが、動機解明編を読んでいると、それ以外も充分に面白い小説を書くじゃないか、と思うのだ。
2019.05.25
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シャーロック・ホームズの子孫が活躍する海外ラノベ,『女子高生探偵シャーロット・ホームズの帰還』を読んだ。つらつらと思うところを書いていきたい。(1巻感想は2019年5月8日の日記)女子高生探偵シャーロット・ホームズの帰還 〈消えた八月〉事件 上【電子書籍】[ ブリタニー・カヴァッラーロ ]内容としては,冬休み期間中のシャーロットと,ジェイミー・ワトソンが様々な事件に巻き込まれていくというものだ。まず,シャーロットのおじであるレアンダー・ホームズが謎の失踪をし,シャーロットの母・エマ・ホームズへの毒殺未遂事件が起きる。失踪した叔父を探すことになるシャーロットたちだが,絵画の贋作事件だとか,モリアーティ家とホームズ家の確執が語られたりする。個人的な感想としては,色々なものを詰め込み過ぎなのかなと。叔父を探すとか,母親の毒殺未遂だけでいいではないかと。これに加え絵画の贋作事件だとかを同時並行で進めていくため,読み手としては「今何の話してたっけ…?」みたいな感覚に陥る。メインはおそらく,この贋作事件なんじゃないかな。実は,僕は本家のホームズシリーズにしても長編よりも短編の方が好きだったりする。というか,トリックを見せるというミステリをやる場合,長編よりも短編でサクサク読める方がいいと思うんだけど。今回の見どころとしては,前回はシャーロットとジェイミー・ワトソンのコンビで事件にあたっていたけど,今回はモリアーティ教授の子孫,オーガスト・モリアーティを入れてトリオでの行動をしているところだろうか。上巻表紙,金髪のイケメンがそうだろう。モリアーティ教授といえばシャーロック・ホームズの宿敵的なキャラであったのだけど,この作品の世界観だとホームズ家とモリアーティ家はずっと対立をしている。オーガスト・モリアーティはそれに心を痛め,両家の和解をさせたがっているキャラだ。個人的に,たいていの会社が3代も持たないというのに,5代も探偵だとか犯罪者の一族が続いているというのはラノベっぽいと思うし,そもそも代々犯罪者の一族って何だよと思うところはある。そんなオーガスト・モリアーティなんだけど,これがずいぶんな好青年である。作品が基本的にワトソンの一人称で書かれているため,かつてシャーロットが憧れていたオーガスト・モリアーティは「ちょっと嫌な奴」というように描かれてはいるものの,さほど悪印象はない。むしろ,かつて自分を破滅させたシャーロットに対する言動を見る限り,オーガストは聖人じゃないかという印象すら持つ。むしろホームズ家の方が悪人が多いんじゃないのかな。モリアーティ家ももちろん贋作事件で犯罪をしていることは間違いないにせよ,ホームズ家もずいぶんと悪い人たちが多いのではないかと思う。終盤になって明らかになるのだが,ホームズ家の財政状況は極めて悪化しており,屋敷を失う寸前だったりする。なんとも世知辛い話だ。そして難点を言えば,あんま推理小説という感じではないのかな。登場人物はほとんどホームズ家かモリアーティ家の人間なので,「犯人あて」というのがあまり成立しない。また,贋作事件の解決にはかなりの大金をつぎ込むことによって解決しているのだが,これにはオーガスト・モリアーティが終盤にこう苦言を呈している。「単純にまずい探偵仕事だったというだけだ。シャーロット,きみはこの事件をきわめてずさんに解決している。金と借り物の力によってね(第13章)。」これはかなり的を射ている。最後にタイトルの話。この『シャーロット・ホームズの帰還』なんだけど,英語版のタイトルは『The Last of August』。タイトルとしては贋作事件で問題になった「消えた8月」(ラスト・オブ・オーガスト)からとっているのだろう。ところで,今回3人組で事件解決にあたった彼の名前はオーガスト・モリアーティだ。たぶんダブルミーニングというやつだろう。完全なネタバレなのだけど,オーガストはこの巻以降の再登場はない。あとがきによるとあと1冊は出るらしいのだ。ここまで来たら最後まで読もう。日本語訳が出たらだけどね。女子高生探偵シャーロット・ホームズの帰還 〈消えた八月〉事件 下【電子書籍】[ ブリタニー・カヴァッラーロ ]
2019.05.15
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偉人の女体化といえば日本人の専売特許だと思ってたが、最近はアメリカ人もやってるというのがこの『シャーロット・ホームズの冒険』である。 この作品世界ではホームズたちは実在するという扱いになっているが、ヒロインのシャーロットは、あのシャーロック・ホームズの子孫であり、同じくジョン・ワトソンの子孫であるジェームズ・ワトソンといっしょにシェリングフォード高校で起きた殺人事件に挑むのだ。 まるで、日本のラノベみたいだけど、アメリカ人もこういうの書くのね。 女子高生探偵シャーロット・ホームズの冒険(上) (竹書房文庫) [ ブリタニー・ガヴァッラーロ ] 主役であるシャーロットの造形なのだが、16歳の少女で、日本の武道であるバリツ(原典にもあるが著者がブジュツを誤記したらしい)の達人で、あとで説明するけど、正直言って悪魔みたいな性格をしている。でも、容姿はそれなり以上に可愛いはずである。 また、シャーロック・ホームズも麻薬をやるクセがあったけど、このシャーロットもヘロインだとかオキシコドンなどのドラックをやってる。16歳なんだから、ちょいやりすぎではないかと思うが、原典ファン的には「まぁ、シャーロックもやってたし、欠点ごと愛そう。仕方ないね」という気持ちになる。 普段はツンツンしているのだけど、たまに演技派になって、ノリノリでワトソンのガールフレンド役をやってくれたりする。普段の悪魔みたいなシャーロットを知っていると超絶に気持ち悪いんだけど、そこがいいと思う人はいるのだろう。 色々思うことがあるけど、まずはいい点からあげていきたい。 まず、この作品については原点であるシャーロック・ホームズへの深い愛情が感じられる。 たとえば、主人公たちはシェリングフォード高校に通っているが、この「シェリングフォード」というのはシャーロックの企画段階の名前である。そして、シャーロットにはマイロという兄がいるけど、これはシャーロックの兄、マイクロフトから借用したのだろう。 また、ワトソンの子孫は「ジェームズ」という名前だけど、これは作中でワトソンの妻が誤植なのかコナン・ドイルのミスなのか不明だが、なぜか本名の「ジョン」ではなくて「ジェームズ」と呼ぶシーンが1回だけあるという、マニアックなとこから来ているのだろう。そしてシャーロットとワトソンがたまり場にしている研究室は442号室なのだが、これもホームズの事務所が「ベイカー街221B」を倍にしたのだろう、と色々と考える余地がある。 さて、ここからがネタバレを含め、よくない点というか、人を選ぶ点だ。まず、マイルドなところから。 なんと言っても、シャーロットの性格が悪魔じみている。物語開始の16歳で麻薬をやってるが、実際は12歳のときから麻薬はやってる。で、14歳のとき、家庭教師に来たモリアーティ教授の子孫、オーガスタ・モリアーティに惚れたものの、相手の態度がそっけないというので彼を破滅させようと思い立つ。そこでシャーロットは自分が使う麻薬を彼に購入させ、その情報を警察に売り、オーガスタを逮捕させるという鬼畜な行動に出ている。 可哀想に、未成年に麻薬を売ったという前科もついて、オーガスタのキャリアの人生は破滅してしまうのである。 この辺までは、「シャーロックもADHD説があるくらいの変人だし、その欠点ごと愛そう」という上級シャーロキアンもいることだろう。 ここまでが前提。以下、完全なネタバレに入るので、読みたくない人は飛ばして欲しい。 さて、オーガスタがこのように破滅したものだから、これを恨みに思う人がいた。 この人はシャーロットのことを恨み、色々と画策をして、ある男子生徒をうまく使い、薬物でバッドトリップしてるシャーロットをレイプさせてしまう。さらに、ある人はこのレイプ犯を殺害したうえでシャーロットに不利な状況を作り、シャーロットを殺人罪で服役させようと企むのだ。 ちなみに、犯人の動機部分は最後の方に明かされるが、主人公の片割れであるワトソンがシェリングフォード高校に転入した時点でシャーロットがレイプされるところまでは終わって、早々にこの事実はワトソンにも開示される。 なので、ワトソンは想いを寄せるシャーロットをレイプしたもう一回殺したいような奴を殺した真犯人を探すという、全然楽しくない推理に協力しなきゃならないのである。 うーん、なんとも事件の背景が重いなぁ…。 ちなみに、ワトソンの両親は離婚済みなのだが、父親と再婚した義母は初対面のシャーロットに対し、「あなたたち、もうセックスはしたの?」とか聞いてしまう。 ワトソンも、義母は変わり者だなぁ、みたいな感覚なんだけど、変わり者すぎるだろう。男だったらセクハラだぞ。この辺、外国はずいぶんと日本とは価値観がちがうなぁ、と思う。 こんな殺伐とした世界観だけど、僕の楽しみはシャーロットの兄、マイロである。 だってコイツ、超有能な人物みたいな前評判だったクセに、初対面のワトソンは「オタクっぽい」と外見を評していて、シャーロットから「兄さん、椅子の下に蛇がいるわよ」と言われると飛び上がって驚くという可愛さがある。 このマイロがシャーロットのことを「ロッティ」と愛称で呼ぶシーンなんか、ワトソンと僕は「えっ!? ロッティだって?」みたいな反応をしてしまった。 次もあるみたいだし、まあ読んでいこうかな。 女子高生探偵 シャーロット・ホームズの冒険 下【電子書籍】[ ブリタニー・カヴァッラーロ ]
2019.05.08
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シャーロック・ホームズの長編2作目,『4つの署名』を読んだ。長編の1作目,『緋色の研究』がホームズとワトソンの出逢いを描いた話だとすれば,この『4つの署名』はワトソンとメアリー・モースタン嬢との出会いを描く形になるのかな。四つの署名【電子書籍】[ コナン・ドイル ]内容的には,メアリーが依頼者となってホームズ事務所を訪問するところから始まる。なんでもメアリーのもとには6年前から年1回,真珠が送られてくるようになったというのだ。この真珠の送り主のところにいくと,メアリーの父親にまつわる因縁だとか,死体のそばに残された「4人の署名」が残されていたりするのだ。『緋色の研究』でもそうだったけど,動機関係はかなり過去にさかのぼらなければならない。そうだから,ワトソンの眼を通している読者的にはここを見破るというのはむつかしい。むしろ推理よりもホームズの麻薬癖のほうに驚く。まず冒頭からコカインやろうしてワトソンに苦い顔をされる。そして,事件を解決したものの,手柄はすべて警察が持って行ったあと,「僕にはこれがあるさ」と言って麻薬をやるのだ。当時の文化が分からないから何とも言えないが,現代人的にはちょっと引いてしまう。また,今作のヒロインであるメアリー・モースタンであるが,最終的にワトソンと結婚することになる。このメアリーは短編集『ホームズの冒険』に収録される短編でたまに出てくる。が,このメアリーは短編集3作目『ホー0ムズの帰還』に収録されている『空家の冒険』までには死んだか離婚したかしている。作者のドイル的にワトソンを独身にしておいた方が話を作りやすかったのか,ワトソンに歪んだ愛情を持っているホームズが手を下したとかないよな,と邪推してしまうところもある。メアリーがいなくなったという点,先行研究がどうなっているのか気になるところである。
2019.04.26
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作者が「ホームズをもう書きたくない」ということでホームズは殺されてしまうのだけど,そんなホームズは大人の事情で見事復活したことは有名だろう。今回は,そんなホームズ復活回を含め,以下の13本の短編が収録されている。ホームズの生還【電子書籍】[ コナン・ドイル ]・空家の怪事・ノーウッドの土建屋・ひとり自転車を走らせる女・プライアリ学院・踊り人形・ブラック・ピーター殺し・奸族ミルヴァ―トン・3人の学生・6個のナポレオン・金縁の鼻眼鏡・スリー・クォーターの失踪・アビ農場の屋敷・第二のしみ正直,この『ホームズの生還』に収録されている短編は傑作揃いである。てっきり,コナン・ドイルはホームズものに辟易していたはずだから手抜きをしているのかと思えば,決してそうではない。小説の質はそのままだ。ちなみに,原稿料の方は短編1本につき4000ドル。今の日本円で3000万円ほどらしい。全ての短編について語ると冗長になるので,3つくらいにしぼって感想を書く。1つ目が,「空家の怪事」。ホームズが見事復活する話であるにもかかわらず,タイトルがそっけない。もっとふさわしいタイトルはなかったのかと思わないでもない。語られる内容はモリアーティ教授の残党とホームズの頭脳戦であって,推理小説というよりもサスペンスものになるのかな。推理小説としては,内容的にはさほど語ることはないがやはりホームズの復活に触れないわけにはいかないから取り上げた。2つ目が,「奸族ミルヴァートン』。これは異色作で,ロンドンで1番悪い奴と評判のミルヴァートンとホームズの対決が描かれる。ミルヴァートンは他人のスキャンダルを握り,これをネタに恐喝を繰り返している悪漢なのだが,彼に対してホームズはどうするかというと,屋敷に忍び込み,手紙類を盗み取ろうとするのだ。なので,今回はホームズが犯罪に手を染めてしまうという意味でも異色だ。また,ホームズはミルヴァートンの屋敷に忍び込む下準備として,彼の屋敷で働く女中と恋仲になり,婚約までして情報を聞き出したりしている。女性には紳士的でありつつ,恋人を作らないという女嫌いな傾向があるホームズとしてはかなりキャラが違うように思う。ただ,あんまり恋を楽しむというか,職務上嫌々やってたようだけど,わずか数日で婚約までというホームズの手の早さには驚嘆する。そして最後のオチであるが,色々あって,ホームズとワトソンはミルヴァートンの屋敷からの帰り,警察に追いかけられ,ワトソンなんかあやうく逮捕されるところまで追いつめられるのだ。が,翌日にレストレード警部がホームズの事務所にやって来て,「2人組の強盗」の捜査依頼をするところは笑える。ホームズも犯人の人相を聞いたうえで,「ほう,まるでワトソン君そっくりな犯人だね」とぬけぬけと答えてみたりしたうえ,「ミルヴァートンは悪人だから」と断るのだが,ちょっとコメディが入ってる。ゴーストライターを疑うほど,この作品は傾向が違うように見える。3番目は「踊り人形」。これも有名作品だろう。たしか,大学でギリシア悲劇の講義を受けた際,教授がロゼッタ石の話か暗号解析かの話をする際,この「踊り人形」でホームズのやった解析方法を話ていたのを覚えている。子どもの落書きみたいに見える棒人形の暗号だが,ホームズは「英語で最も出てくる文字はE。なのでこのもっとも出てくる人形はEと仮定する。そして…」と解析していくのだ。暗号解析としては,オーソドックスなのかもしれないが,やはり面白い。結構長くなっちゃったが,最後に「6個のナポレオン」だけ。この短編のトリックは,わりと早い段階でも僕も気が付いた。そういうの気が付くと楽しい。また,カンニングを題材にした「3人の学生」だとか,「スリー・クォーターの失踪」なんかも見どころがあったな。
2019.04.24
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司馬遼太郎の小説『花神』を読んだので感想を書いていく。主人公は幕末に活躍した大村益次郎(村田蔵六)だ。経歴としては,もともと町医者をしていたが,蘭学の隆盛に合わせてオランダ語を勉強し,蘭医となる。外国語ができるということで,西洋化する維新軍で腕を振るい,維新の十傑にも名を連ねている。花神(上)(新潮文庫)【電子書籍】[ 司馬遼太郎 ]見どころは…,と色々考えてみるが,どうも地味である。正直,蒸気船を作ったり,緒方洪庵のもとで蘭学の修行をしていたころの方が鳥羽伏見の戦いや彰義隊との戦いよりも面白い。一応,ヒロインとしてシーボルトの娘のイネが出てくるものの,さほどの交流もない感じ。なお,大村益次郎にもアスペルガー症候群だった説もあって変人に描かれている。そうはいっても,魅力のある変人と違って,そこまで魅力を感じないのだけどね。ちょっと見どころという感じではないが,海江田信義(有村俊斎)への描写が面白い。司馬遼太郎は小説の中でたまに歴史上の人物を激しく好悪の情を見せるところがある。たとえば『坂の上の雲』の乃木希典なんかを無能と激しく非難し,人間のクズのような書きぶりをしている。で,海江田も司馬遼太郎の筆誅を受けているのだ。大村益次郎を暗殺の黒幕だったといわんばかりの書きぶりなのはさほど気にならないが,「中年以降,そのメッキが剥げて海江田はただの男になってしまった」,「実際の海江田は西郷の秘書程度の能しかなく,しかも性格が狷介なために他藩との調整役に任ずるほどのこともできない。」(下巻「江戸城」より)とさんざんである。こういった人物にももちろん,歴史に名を遺すだけの功績はあるはずなんだけどね。それにしても,主役が地味なのは否めない。たとえば,ほかの司馬遼太郎の小説の主人公,『竜馬がゆく』の坂本竜馬には華があった。先進的な発想を持っていて,派手だし,剣術の達人である。『燃えよ剣』の土方歳三は百姓の出身ながら,新選組副長として武士よりも武士らしく戦って死んだという魅力のある人物だ。また,思想面でも竜馬は日本のために何かしたいという思いが強く描かれていたし,土方も新選組に対する熱い思いがあった。大村益次郎には一応程度,攘夷の思想があったように描かれているが,その程度である。僕たちの今思い描く新選組,特に沖田総司なんかほぼ司馬遼太郎の創作だというし,もっと大村益次郎を魅力的に描けたろうに,と思わないでもない。『花神』だけを取り出せば,十分に面白い作品なんだろうけど,同じ幕末ものに坂本龍馬,土方歳三がいて,そちらが人気を博したのがこの『花神』の悲しいところなのかもしれない。竜馬や新選組はいまでも小説,漫画,ゲームなんかでいくらでも扱われているのに,大村益次郎はあんまそういうのがないからな…。文庫版だと全3巻と長いので,大村益次郎を主役とした短編『鬼謀の人』あたりを読んだ方が手ごろだろう。この短編『鬼謀の人』は新潮社の『人斬り以蔵』に収録されている。こちらの方が短くまとまっていて,お勧めできるかな。人斬り以蔵(新潮文庫)【電子書籍】[ 司馬遼太郎 ]
2019.04.19
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ホームズの短編もの第2巻,『ホームズの回想』を読んだので感想を書いていく。 ホームズの回想【電子書籍】[ コナン・ドイル ] ところで,僕はTwitterもやっているんだけど,前回のホームズとワトソンの関係についてのツイートがなぜかバズって,連動して前回の日記も異常に閲覧数が増えた。 ホームズがADHD説が受けたのかもしれないし,腐女子に受けたのかもしれない。 さて,この2巻の裏話なんだけど,当時のコナン・ドイルはホームズを書くのを嫌がっていて,「1000ポンドくれるんなら,もう12作の短編を書いてもいい」と吹っ掛けたそうな。短編1本あたり80ポンド強くらいの計算になる。 貨幣価値が分からんと比較もできないが,ホームズが初登場する長編は格安の25ポンドで,短編集1巻に収録されてる短編は35ポンドで買ってもらえたという。 まぁ,3倍くらいの吹っ掛けである。それでも出版社がお金をくれたというのだから面白い。 さて,内容だけど1巻と同様,12本または11の短編が収録されている。1つは,不倫をテーマにしたから版によっては削除されたとか。 全ての短編の感想を書くのも大変なので,3つにしぼろう。 1つが,『グロリア・スコット号事件』だ。 これはホームズがワトソンの前で,学生の頃に扱った最初の事件について語るという内容で,ホームズの1人称で構成されている。 内容的にも色々あるんだけど,僕が驚いたのは「あのホームズが大学時代に1人だけ友達がいた」という点だ。ワトソンに感情移入して,「俺こそがホームズの唯一の友達」と歪んだ感情を持っていたのに,裏切られたような気持ちだ…。 ちなみに,その大学時代の友人とやらも,ホームズ以外に友達がいない人であり,そのことがホームズとの絆を強めたというから,ホームズの友達になることがいかに難しいのか考えさせられる。 2つが『ギリシア語通訳』。 シャーロック・ホームズの兄にして,弟以上の推理力を持つマイクロフトが登場する。 ただ,兄のマイクロフトも明らかに変人である。 この『ギリシア語通訳』の話は小学生のころ読んでて記憶もわりとしっかり残っているのだけど,大人になってから読むとマイクロフトの変人っぷりがヤバい。 3つが,『最後の事件』。 言わずと知れた,ホームズが宿敵モリアーティ教授との対決である。 この話は,推理小説とはとてもいえないだろう。モリアーティとの頭脳戦もあるが,何かトリックがあるというわけでもない。 有名な話であるが,ホームズはモリアーティとともに滝壺に落ちていき,帰らぬ人となるのである。 前述の裏話と合わせて考えても,コナン・ドイルがホームズをもう書きたくなかったんだろうな,と感じさせられるラストになっている。 こんな風に,3倍の原稿料をもらってでも書きたくないという理由で殺されてしまったホームズであるが,皆さんもご存じのとおり,熱烈な読者の声を受け復活することになる。たぶん,その話はまた今度書くことにする。
2019.04.13
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シャーロック・ホームズがワトソンと出会う,ホームズもの第1作品,『緋色の研究』を読んだ。思いつくまま感想など書いていく。緋色の研究 【新訳版】【電子書籍】[ アーサー・コナン・ドイル ]まずはホームズとワトソンの関係性について。『シャーロック・ホームズの冒険』に収録されている『オレンジの種5つ』でホームズにはワトソン以外に友人はいない,という悲しすぎる発言をするのだけど,そんなホームズとワトソンの出逢いについてが語られる。出逢いは,2人とも金がなかったので,ルームシェアの相手を探していて,それで同居するということになるという散文的なものだ。この時点でホームズはかなりの変人に書かれていて,仲介してくれたワトソンの知人もあまり乗り気ではない。ワトソンは,のちのちの作品でも出てくるように「好奇心が強い」という性格であり,初対面で奇妙な化学実験をしたりするホームズをどこか面白がって,いったんホームズと別れた後,仲介してくれた知人に対し,こう言っている。「こいつは愉快だ。君にはおおいに感謝しなきゃ。ああいう人物に引き合わせてくれたことをさ。ほら,だれだかも言っているじゃないか。人間にふさわしい研究対象は人間である,って」(第1部1節終盤)。なので,ワトソンとしては奇妙な振る舞いをするホームズとの相性は抜群によかったのだろう。一方,ホームズは同居相手は誰でもいいのかと言えばそうではなかっただろう。なにせ,ほとんど友達もいないという偏屈で,現代医学の観点からすればADHDだったのではないかと言われるホームズさんである。ワトソンがかなり気に入った,としか考えられないのだ。初対面のとき,奇妙な化学実験をするホームズに対し,ワトソンは一応は対応してあげている。小説なので文章しか読んでいないが,きっとホームズはオタク特有の早口だっただろう。なのに,特に拒絶もせず,煙草をやるかとか,犬はどうだというふうに同居の話が進められていく。さらに,ワトソンがホームズを褒めるシーンがある。面白いので,ちょっと引用する。そう聞いて,連れ(ホームズ)はほんのり頬を上気させた。今の私(ワトソン)の言葉と,それを口にした時の私の口調,それがうれしかったのだろう。私もすでに気づいていたが,このホームズ,自分の推理術を称賛されると,まるで美貌を褒められた小娘よろしく,はにかんでしまうのだ(1部4節序盤より)。ワトソンの,ホームズの操縦方法というか,ホームズの人となりをよく分かっていることが分かる描写だ。おそらく,ホームズのことだから,これまでの人生においてろくに理解者はいなかっただろう。前述したが,ADHD説もあるわけだし,推理をしてもその態度は非常に傲慢だろうから,この時期のレストレード警部あたりはホームズの推理力を頼りにして依頼はしてくるものの,あまりホームズという人間を好きではなさそうだ。読んでいて,はしばしからホームズのワトソンに対する好意というのは非常に強く感じる。たぶん,ワトソンがホームズを好いている以上に,ホームズの方がワトソンを好きだろうと思うのだ。そんなわけで,僕の中ではワトソン株の方がホームズ株より上がっている。前置きはここまで。そろそろ事件の内容に入るが,警察の依頼を受け,殺人事件にホームズが挑むというものだ。被害者のそばには,血で「RACHE」(ドイツ語で復讐)と書かれているのだ。これが,タイトルにもなっている「緋色」というわけになる。事件については,さほどトリックがどうのということはないのではないか。さほど複雑ではない。ただ,最近のミステリのようなクローズド・サークルというわけではなく,犯人がどこにいるかわからないところ,みごとに居場所を突き止めて逮捕させる,というところにホームズの推理力なんかが発揮される形になっている。いや,でも正直,なんで犯人がのこのことホームズの家に来て,逮捕されてしまうのかと思わないでもないのだけど。また,特徴的なのは2部構成になっていて,第1部で緋色の殺人事件が語られて,2部で唐突にアメリカ編が始まるところ。いったい,これはどういうことなのだろう,と思いながらも読み進めると,なんと犯人の名前だとか,被害者の名前が出てくるのだ。徐々に,これは過去の話をして動機の説明をしているんだな,と分かって来るものの,読んでいてかなり辛い。アメリカ編ではルーシーという女の子が出てくるんだけど,この子が孤児になり,優しいおじさんに引き取られ,年頃になって結婚の話も出てくるのだ。読者的には,この「優しいおじさん」の気持ちになって物語を読んでいるわけだが,この「優しいおじさん」こそ犯人なのだ。どう考えても,この「優しいおじさん」が犯人になるためにはもう,予想がつくのだ。かなり辛い。
2019.04.08
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