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暖かくなりましたね。その温度に比例したわけではないでしょうが、2月に入ってから図書館に受入する図書の数が急に増えました。この原因の1つは、12月に某元俳優が書いて賞を取った色々噂がある小説が発売されたことがあります。普通、12月はクリスマスがあるのでそこそこ出版される本が多いのですが、この本が発売されるためこの時期に本を出しても影に隠れて売れないと思った各出版社が新刊本の出版を差し控え、正月はお休みですので1月の中旬まで新刊本が出回らない状況になっていたのです。そこで、1月の中旬から本を買い漁っていたら、2月の図書購入費が確実に10万円を超えそうな状況と相成ったわけです。私の勤める高校は幸い、校長先生や事務の理解があるので、この不況の世の中、年間の図書購入費(備品購入費ともいいます)が100万円もあるので、赤字になることはないのですが、12月、1月の購入費が5万円以下だったのが急に跳ね上がると色々書類の上で面倒なことになるので、また事務からお小言をいただきそうです。ちなみに、学校図書館の予算というのは文科省の基準があり、私の勤める高校では、高校での1クラスあたりの年間の基準予算69,096円に3学年、24クラス分をかけた金額、1,658,304円が本来の予算なのですが、雑誌や新聞の購入費と消耗品費との兼ね合いで切りのいい100万円を毎年要望している次第です。でも、他の高校ではクラス数が私のいる高校より多いのに100万円以下で運営しているところもあり、これから先、予算は色々と厳しいものがありそうです。不況になると文教関連の予算を削るのは日本のお役所の悪い癖ですが、将来を担う生徒や地域の生涯学習の面から考えて、図書館などの予算はなるべく削らないでいただきたいものです。とくに図書館などは本が本棚にいっぱい詰まっていればもう本を購入しなくていいや、的な発想を役人も議員もするので、困りものです。本は次から次へと発行されていますし、情報もどんどん更新されていきます。ですので、ある程度予算がないと図書館の血肉である図書などの情報媒体の更新がされなくなり、図書館が流行の本とただの古い資料が置いてあるだけの無料貸本屋になってしまいます。利用者に的確な資料提供とレファレンスを行うために、学校図書館としては文科省の基準の予算の最低7割は確保してほしいものです。小難しい話をしてしまいましたが今日は昨日、書店の外商さんが持って来てくれた本の中から、武田いさみ著『【送料無料】世界史をつくった海賊』(筑摩書房、2011年2月)を紹介したいと思います。この本、毎回のことながら名古屋の三省堂高島屋店で平置きされていたのを手にとって購入を決めたのですが、最初、著者名を見て女の人が書いたのかな、と思って著者紹介を見てみたら獨協大学の教授で海賊の世界史や国際テロを研究されている男の方だったので、名前で何事も判断してはいけないな、と自戒した次第であります。さてこの本、内容はといいますと題を読んだとおり、海賊がどのようにして世界史を動かしたのかについて書かれています。海賊、といいますとパイレーツ・オブ・カリビアンのように大航海時代のアウトローな集団や、最近、新聞などニュースで取り上げられることの多いアフリカ・ソマリア沖の海賊を思い浮かべる方が多いと思います。しかし、ここで取り上げられている海賊は、海賊にして海賊にあらざる奇妙な存在なのです。そもそも海賊行為とは、公海又はその上空などいずれの国の管轄権にも服さない場所にある船舶、航空機、人または財産に対して行われる、私有の船舶又は航空機の乗組員又は旅客による、私的目的のために行うすべての不法な暴力行為、抑留又は略奪行為、及びそのような行為を煽動又は故意に助長するすべての行為と国連海洋法条約で規定されています。でも、この条約ができたのは1984年でごく最近のことです。この本で取り上げられている海賊は、16世紀のヨーロッパ、とくにイギリス(本来、この時代ならばイングランドなのですが)の海賊なのです。当然、16世紀には国際法も存在せず、公海と領海の定義すらありませんでした。その時代のイギリスの海賊とはどのような存在だったのでしょうか。まず、16世紀のイギリス、と言いますかイングランドの国際状況を確認してみましょう。この時代、イングランドはヨーロッパの貧しい二流国でした。当時の一流国はスペインやポルトガルでした。また、スペインからの独立運動を行っていたオランダ(ネーデルランド)も海洋進出を開始し、17世紀には世界経済の覇者へと躍り出ます。その様な中、イギリスは羊毛や毛織物といった輸出品しかなく、人口も約400万人を超えるぐらい。スペインは人口1000万人、不倶戴天の天敵、フランスは1600万人、おまけにヘンリー8世がイギリス国教会を作ったため新教国(プロテスタント)になったイギリスは、周囲の旧教国(カトリック)のスペインやフランスと対立していて孤立無援の状況でした。さらに、旧教国のスコットランドの女王メアリーを利用してそれらの旧教国が間接的にイギリス(イングランド)を支配しようと狙っていたのです。このような国際環境化におかれたイギリスは、国家の存亡をかけて富国強兵へと突き進まざる得ませんでした。そして、富国強兵を進めるため手っ取り早く海外進出をする方法として国を挙げて海賊行為をすることにしたのです。つまり、スペインやポルトガルが植民地などから本国へ運ぶ交易品、南米の銀、カリブ海の砂糖、東インドからの香辛料を積んだ船を襲撃して、その商品をロンドンや当時のヨーロッパ経済の中心地、アントワープで売却して利益を得ようとしたのです。こうして16世紀、エリザベス女王の下で、海賊と国家事業とが密接に結びついて、具体的には、海賊シンジケートへの出資(女王本人が大口出資者だった)により、イギリスの財政状態は急改善します。ところが、たまらないのは海賊に襲われるスペインです。こうした海賊行為とスコットランド女王メアリーの処刑などが重なって、スペインとの戦争状態、無敵艦隊との戦闘が代表的ですが、に発展していくのです。ここで活躍するのが、かの有名なフランシス・ドレークです。彼は、海賊の活躍を語る上で不可欠な存在でしょう。彼ら海賊が年間を通して強風の吹き荒れるドーバー海峡やイギリス海峡の特性を捉え、巧みにゲリラ戦法を用いてスペイン無敵艦隊を打ち破ったり、スペイン本国を急襲したりしてスペインに打撃をあたえていきました。ところが海賊として有名なドレークは、西回りで世界周航を成功させるという偉業を成し遂げた冒険者でもありました。また、奴隷貿易に関わっていたり、世界周航中には海賊行為で得た資金で香辛料を買うという交易者としての側面もみせます。この辺りの事は、杉浦昭典著『【送料無料】海賊キャプテン・ドレーク』(講談社、2010年4月)に詳しいので、参考にしてください。16世紀の海賊は、冒険者でもあり交易者であり、そして状況に応じて海賊にもなるという存在でした。彼らは、海賊行為で得た資金を使ってアフリカの奴隷貿易や東インド会社の設立を行い、国家の存亡の時には海軍に協力して戦いました。こうして、大英帝国の基礎が海賊によって作られていく過程を本書は分かりやすく解説しています。また、先にも述べた香辛料やコーヒー、紅茶がイギリスにもたらされることで、貴族、そして市民社会に大きな影響が与えられた経緯も本書では詳細に描かれています。当然、それらの商品の貿易を担っていたのは海賊でした。このように、16世紀のイギリスがいかに一流国家へと発展していったのかを海賊を軸に、その謎を解き明かし世界史の中に位置づけ、歴史的意義を捉えなおすというのが本書の趣旨のようです。世界史を楽しく学びたい、復習したい、という人やイギリス史に関心を持つ人におすすめの1冊だと思います。
2011年02月25日
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今日は、私の学校のマラソン大会でした。生徒と引率&監督の先生方はバスに乗ってマラソンコースのある近くの、と言っても片道50分ある公園まで出かけました。私はといいますと、学校に残って留守番です。遅刻者を図書館で監督するためでしたが、誰も遅刻してこなかったので、のんびりと書架整理と蔵書点検の準備をしていました。幸い、今日は風もなく暖かい陽気だったので、マラソンの監督も楽だったようです。そんなこんなで、今日も、前回の続き、モーリーン・サワ文、ビル・スレイヴィン絵、宮木陽子訳、小谷正子訳『【送料無料】本と図書館の歴史 ラクダの移動図書館から電子書籍まで』(西村書店、2010年12月)の第2章、「破壊と崩壊の暗黒時代」の紹介と解説の後半部分を書いていきたいと思います。 前回、最初の部分でアレクサンドリアでのイスラム教徒の暴挙の言い伝えを紹介しましたが、このお話に歴史家が疑問を持ったのは、イスラム諸国では学問や書物が大切に思われていたからです。預言者ムハンマドも全ての信徒に学問に励み、コーランを覚える手段として写本を薦めたほどです。その結果、キリスト教徒よりイスラム教徒のほうが読み書きが出来るようになったと考えられています。イスラム教徒はコーランを芸術作品としても高く評価していたので、イスラム世界の中心地、バグダッドではカリグラファー(西洋における書家)やイラストレーターが多く集まる場所となり、これらの人々が作った写本は、美しさの点では西ヨーロッパの彩色写の他に並ぶものがないほど素晴らしいものでした。イスラム教徒が最盛期を迎えたときには、スペインからはるか中国国境まで及ぶ大帝国を築きます。そして、イスラム教の布教とともに各地に図書館を作りました。南スペインのコルドバには50万冊もの蔵書を備えた図書館があったといわれています。こうした図書館が移動する場合は、蔵書の輸送だけでも6ヶ月はかかったでしょう。しかし、イスラム世界で最大の図書館は「知恵の館」と呼ばれたバグダッドの図書館です。830年頃に建てられた「知恵の館」は研究センターでもあり、翻訳学校でもありました。ここにはヨーロッパやイスラム諸国、アフリカから学者や研究者が押し寄せました。蔵書の多くはコーランやイスラム教に関するものですが、数学や歴史、医学や哲学などの重要な書物もありました。また館内には、蔵書の保管や分類をする司書、新たに手に入れたギリシャ語やラテン語の書物をアラビア語に翻訳する学者、書き写す写字生、綴じて本にする製本係などがおり、購入する本を探すエージェントまで雇っていました。このような人びとを雇っていたのがカリフ(イスラム国家の指導者)です。カリフは、書き言葉を大切に思っていました。そのため、書物の取引が盛んになり、800年代の終わりには、バグダッドでは書籍商が100人はいました。ここで、話を本の売買へと移したいと思います。前回書いたとおり、当時の本は高価な羊皮紙に修道院の修道士たちが中心となって1冊ずつ書き写していました。当然、本の値段は高価なものとなり、写本は回を重ねるごとに誤字脱字、書き間違いなどがかさなり不正確なものとなっていきました。また、ギリシャ語などからラテン語への翻訳では、当然、翻訳ミスもあったでしょう。このように、同じ内容の本でも全く価値が異なった時代が中世でした。その時代の書物の取引の様子を描いたのが、私も愛読している支倉凍砂さんの『【送料無料】狼と香辛料(14)』(アスキーメディアワークス、2010年2月)です。 簡単にあらすじだけ書きますと、前巻での活躍で銀細工師フランに北の地図を作ってもらえることになったロレンス達は、これでホロとホロの故郷ヨイツまで行けると思ったのも束の間、再訪したレノスの町で禁書にまつわる思惑に翻弄されることになります。どうやらその禁書には、ヨイツを窮地に陥れる技術が記されているらしく・・・、と言った展開です。ここで出てくる禁書とは、教会が所有を禁じている異教の神の教えが記された本や、禁制の技術が記されたりした本などのことを指します。で、その本の内容をロレンスが書籍商のル・ロワから聞き出すと、それは灼熱の砂漠の国の言葉で書かれた鉱山の採掘技術に関するものでした。このような知識を記した本は、時に革命的な状況を生じさせることもあり、極めて高価な値段で取引されるのです。そんな感じで、本を巡る商売の冒険が繰り広げられるのですが、これは本文を読んでみてください。このように、書籍商は場合によっては学者たちより本に関する知識を溜め込んでいた場合があったのです。これも、「暗黒の中世」の側面ですね。一方、バグダッドの他に強力な権力を握っていたのは、東ローマ帝国、ビザンツ帝国です。その首都、コンスタンティノープルはバグダッドと同じ、文化の一大中心地でした。ローマの法規や法則を編纂したユスティニアヌス法典は、500年代に東ローマで作られたもので、ほぼ1000年にわたるローマ法規について取り上げ、説明と解釈がなされたもので、この後、多くの国々の法律の基礎となり、ローマ人が西洋文明に貢献した最高のものの1つと考えられえています。そのコンスタンティノープルは、壮大なアヤ・ソフィア大聖堂が建てられ、帝国図書館など重要な3つの図書館が建設されました。この帝国図書館は4世紀初頭に、古代ローマ帝国ではじめてのキリスト教皇帝、コンスタンティヌス大帝によって作られたものです。1453年にコンスタンティノープルがトルコ軍に占領されるまで1000年以上も存続しました。しかし、歴史の様々な場面で、ドイツ人、スラブ人、ペルシャ人、イスラム教徒、セルビア人に支配され、運命を迎えることになります。図書館が帝国と共に最期を迎えるのは、1200年代に西ヨーロッパからキリスト教の貴族や騎士が第4回十字軍としてコンスタンティノープルに到達したときです。町は侵略され、図書館の本はほとんど捨てられるか、価値のわかるイタリアの商人に売り飛ばされてしまいました。ビザンツ帝国は1435年についに一度だけトルコ人に支配されていますが、既に帝国は弱体化していたので、滅亡はそれほど一大事ではありませんでした。トルコ人たちは、数館しか残っていなかった帝国図書館の蔵書を、十字軍がしたように売り飛ばしてしまったので、その後100年間、ギリシャ語の書物の取引が盛んだったといわれています。一方、そのころイスラム教の大きな図書館も大半が火災や洪水、度重なる宗派対立の犠牲となっていました。それにとどめを刺したのが1258年のモンゴルの襲来です。バグダッドに侵攻したモンゴル軍は、1週間もたたないうちに、全ての図書館を破壊したといわれています。こうした破壊や崩壊もありましたが、東西の交流が促進されたこと、とくに十字軍の侵攻の2世紀の間には、利点がいくつか発生しました。その1つは、十字軍に加わった人びとがビザンツ帝国の領土や聖地に留まっている間に、西ヨーロッパでは失われていた手書きの写本や思想に触れる機会があったこと。そして、最初はバグダッドで、その後はコンスタンティノープルで、書物の取引が行われるようになり、多くの貴重な写本がヨーロッパに戻ってきたことです。今日知られているギリシャ語の書物の75パーセントは、ギリシャ語の原本ではなく、ビザンツ帝国の書物から書き写した、あるいは訳したものだといわれています。こうして、異なる文化圏で書物や思想が行きかうことで、ヨーロッパ人が長らく忘れていた古典の扉が開かれることになったのです。この意味で、ビザンツ帝国の崩壊は、かつての素晴らしい文明の悲しい終わりであり、文化が進展する時代の1つの幕開けでもありました。いわゆる、ルネッサンスの始まりです。こんな感じで、第2章「破壊と崩壊の暗黒時代」は終幕します。次の第3章「印刷機がもたらした黄金時代」についても、後々、長々とした紹介と解説を行いたいと思いますが、今回はこのくらいでこの本の紹介について、一旦終わりにしたいと思います。
2011年02月16日
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昨日は、大変な目にあいました・・・。3時ぐらいから雪が降り始め、終業の5時には車の上は雪で覆いかぶさっているという状態だったのですが、ラジオの交通情報では高速は通行止めになってないし、学校の前の道も雪が積もっていないので、大丈夫だろう、と思って車で帰ったのが運の尽き・・・。雪は途中で止んだのですが、なれない雪で車がのろのろとしか動かない!私の車はスバルのインプレッサで4輪駆動なので多少はノーマルタイヤでも雪道には強いのですが(そのため、スタッドレスを履いたスバルの車は、雪道で調子にのって事故を起こしやすいのですが・・・)、他の車はそうでもないのでおかっなびっくりの運転でスピードが出ず、片道1時間半で帰るところがなんと4時間、夜の9時にようやく我が家にたどり着くという、心身に負担が掛かる結果と相成りました。こんなことなら、宿直員さんもいるのだし、学校に車を置いて、電車で帰れば良かったです。そんな状況だったので、昨日更新する予定だった前回の続き、モーリーン・サワ文、ビル・スレイヴィン絵、宮木陽子訳、小谷正子訳『【送料無料】本と図書館の歴史 ラクダの移動図書館から電子書籍まで』(西村書店、2010年12月)の紹介と解説が書けませんでした。そこで今日、こうして更新となった次第です。前回は、古代ギリシャ・ローマ時代までの図書館の歴史について長々と書いてしまいました。そのため、大半が本文からの引用でちょっと面白くなかったかもしれません。そこで、今回は色々工夫して紹介していきたいと思います。さて、前回が第1章の「古代図書館の誕生」の紹介でした。今回は、第2章の「破壊と崩壊の暗黒時代」となります。前回の最後で「ローマ帝国は不幸にも西暦200年代に衰退し始め、476年に崩壊します。その結果、ヨーロッパでは文明が衰え、ギリシャ・ローマ時代に生まれた学問の多くは失われてしまいます。読み書きする人も少なくなり、学問が軽んじられ、ほかの多くの文化施設同様、図書館も姿を消し始めます。「暗黒時代」の到来です。」と書きました。ではその実態はどのようなものだったのでしょうか。642年、エジプトはイスラム教徒に占領されます。その時、イスラムの新しい統治者に対して、アレクサンドリアの住人が、アレクサンドリアで2番目に大きなセラピウム図書館にある何千もの巻子本についての対応を尋ねたところ、返ってきた返事は「巻子本に書いてあることが『神の経典』(=コーラン)と一致するなら、必要ない。異を唱えるなら望ましくない。よって廃棄せよ」という、とんでもないものでした。その結果、巻子本はアレクサンドリアの何千もの公共浴場の燃料とされてしまったのです。と、いう話は現在ではデマであると歴史家は考えていますが、セラピウム図書館のような図書館の多くがこの時代に破壊されたことは事実です。こうした図書館の数は数百に及んだと考えられています。このように当時、西ヨーロッパ中の図書館が破壊されたり、設備が取り除かれたりしました。なぜ、このような状況になったのでしょうか。その理由はローマ帝国が崩壊し始めたとき、もはや図書館を維持する資金もなければ、利用する人もいなかったからです。ある図書館は、侵攻軍に破壊され、ある図書館は管理を怠ったため使用できなくなりました。さらに強力な新興宗教、キリスト教が勢力を増してきて、そのキリスト教の指導者は、古代ギリシャやローマの異教の文学を保存することに関心がなかったため、図書館を崩壊から救う努力をしませんでした。その代わりに、当時、ヨーロッパ中に出現し始めた教会や修道院に、自分たちの図書館を作り始めたのです。こうした図書館に書物を備えるために、修道士たちは日々、写本づくりに励みました。学問も文化もあまり高く評価されていなかった時代に、こうした修道士たちが書物の消失を守っていたのです。多くの修道士が書き写したのは聖書やその他の宗教書でしたが、中には古代ギリシャ・ローマ時代から伝わる書物を写し取り、後世の人々のために保存した人もいました。このブログでも紹介したことのある『修道女フィデルマ』シリーズの中でもピーター・トレメインの『【送料無料】修道女フィデルマの叡智』(東京創元社、2009年6月)の中の章「ホロフェネスの幕舎」では、修道院から借り出されたオリゲネス(2~3世紀のアレキサンドリアの神学者でキリスト教神学校の校長)が書いた『ヘクサプラ』(『旧約聖書』のヘブライ語の本文と、それをギリシャ文字で音訳したもの。その他、4種類のギリシャ語の翻訳、部分によっては6・7種、を対照させて6欄に並べて記した六欄対照版の大著)が事件の展開の中で重要な役割を果たしています。この本は、フィデルマが活躍する時代の3百年前に書かれたものです。なお、この時代のアイルランドでは、書籍は本棚に並べるのではなく、1冊、あるいは数冊ずつ皮製の専用鞄に収めて壁の木釘に吊り下げるという収蔵法をとっていたそうです。興味深いですね。こうして、修道士たちが手で書き写した巻子本は、とても貴重なものでした(その後、現在私たちが使用している形態の「本」が写字生によって開発されます。これにより、木製の表紙により羊皮紙が擦り切れなくなり、羊皮紙の両面に文字が記入でき、ページをめくるだけで探したい項目を見つけることができるようになりました)。そこで、いわゆる彩色写本(どんなものかはフランソワ・イシェ著、蔵持不三也訳 『【送料無料】絵解き中世のヨーロッパ』(原書房、2003年12月)をみてください)が有名になるのは、鮮やかな絵の具や金箔を用いて、手作業で念入りに色づけされているだけではありません。1つの作品を作るのに、気が遠くなるほどの時間がかかり、さらに、材料の羊皮紙も高価で、1冊の本を作るのに何十頭もの動物、子牛や子ヤギの皮が必要だったのです。ところが、修道士たちは色付けには細心の注意を払っても、肝心の文字を書き写すことにはそれほど熱心とは限りませんでした。作業に厭きるからなのか、知識がないのからか、いずれにせよ写本がいい加減だったり、間違いだらけといった事が度々ありました。これは、修道士たちがおかれていた環境、暗く(部屋が明るいと貴重な書物が損なわれるため)寒くてじめじめした部屋で1日6時間も7時間も働かなくてはならなかったのです。このような状況下では、修道士の多少の不注意は許されることでしょう。ところで、修道院の写字室はどこも、主に自分の所で所蔵する書物を作っていました。また、他の図書館や修道院から書物を借りてきては、それを書き写し、蔵書に加えました。今日の相互貸借の初期の形です。また、必要な書物を得るために、修道士がはるか遠く、例えば、イングランドの修道院長が書物を探してローマに旅する、ということが日常的に行われていました。そして、修道士たちの多くは様々な書体で書き写すようになります。今日のほんの装丁者が何千もの異なる書体から、それぞれの本に合った書体を選ぶように、修道士も書物によって特定の書体を使うようになったのです。また、読みやすくするため、単語の最初の文字以外は小文字にしたり、スペースを入れたり、セミコロンやピリオドなどの句読点を使用するようになります。これ以前は、句読点なしで書物は大文字で書かれていたそうです。こうして西ヨーロッパでは、修道院が集めた写本のおかげで、多くの重要な作品が守られました。その一方、西ヨーロッパが原始的な社会へと逆行していた頃、ビザンツ帝国やアラブ諸国、中国では素晴らしい絵画や壮大な建造物、重要な文学作品が作られていたのです。という感じで、第2章の「破壊と崩壊の暗黒時代」の前半部分、ヨーロッパの状況を紹介してみました。それにしても、現在のわれわれの感覚からすると、写本の内容が誤字脱字だらけというのは考えられないことですよね。今の我々はコピー機やスキャナーがあって本当に良かったですね。そんなわけで、次回は後半部分の西ヨーロッパ以外の地域について紹介していきたいと思います。
2011年02月15日
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寒さも和らいだらと思ったら、また寒くなるようですね。やれやれです、。ところで、私の勤めている高校の学校図書館では今、3年生の担任や3年生の教科を主に持っていた先生方が、本を借りにやって来ます。その理由は、3年生が自宅学習に入り、成績入力や卒業に関する諸作業にひと段落ついて、暇ができたからです。そこで、忙しくて本が読めなかったこれまでの分を取り戻すかのように、本を借りて読んでいます。東野圭吾や宮部みゆきなどが人気作で、よく借りていかれますね。ところが、生徒の貸出は、前回書いたように伸び悩んでいるのが現状。今年度は、年度当初に些か飛ばしすぎて、この時期になって図書館の活動に少々息切れ、或いはマンネリ化が出てきたのではないかと愚考しています。と言っても、ネタは出し切ったし・・・。来年度は、もっと緩急をつけた図書館活動の計画を練らねばならないと、年間反省を書きながら思った次第です。さて、そんな反省を踏まえて来年度の新入生、図書館オリエンテーションで活用しようと購入したのが、モーリーン・サワ文、ビル・スレイヴィン絵、宮木陽子訳、小谷正子訳『【送料無料】本と図書館の歴史 ラクダの移動図書館から電子書籍まで』(西村書店、2010年12月)です。では、この『【送料無料】本と図書館の歴史 ラクダの移動図書館から電子書籍まで』の内容紹介と解説に入っていきましょう。まず、この本の作者のモーリン・サワさんなのですが、この人、図書館司書なのです。カナダ・ハミルトン公共図書館の公共サービス、および地域振興担当責任者で、カナダ児童書司書協会会長という立派な経歴をお持ちの司書さんなのです。そんな方が書いた、本と図書館の歴史とは一体どのようなものなのか、読む前から興味深々で表紙めくりました。さて、この本なのですが、大きく分けて5つのパートに分かれます。第1章が「古代図書館の誕生」、第2章が「破壊と崩壊の暗黒時代」、第3章が「印刷機がもたらした黄金時代」、第4章「新大陸へ」、そして第5章、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」となっています。そして、最後に「インターネットで調べてみよう」という、インターネットで家にいながら世界中の図書館のことを調べられることができるので、その中から優れた図書館、大英図書館やアメリカ議会図書館、日本の国立国会図書館などのサイトを紹介した部分に分かれています。それでは、第1章から紹介&解説を進めていきましょう。第1章の「古代図書館の誕生」では、かの有名な古代エジプトのアレクサンドリア図書館が取り上げられています。アレクサンドリア図書館が最も古い図書館ではないのですが、まぁ、皆さん承知の通り最も有名な古代の図書館であることは疑いないところでしょう。この図書館に、エジプトの支配者たちは、本、今の本とは違って巻子本(かんすほん、つまり巻物)をアテネ等の重要都市から借りてきては、写字生に書き写させ、図書館に所蔵しました。また、アレクサンドリアに寄港する船を拘束・臨検し、巻子本があると押収して書き写すという事までしました。そして、その書き写した間違いだらけの写本を持ち主に返却して、原本はしっかり図書館に収蔵するということまでして蔵書を増やし、その数はやがて40万冊にもなりました。こうして、当時の知られた本を収蔵することができたアレキサンドリア図書館は、様々な学者や研究者が利用することになり、その結果、優れた研究成果が生み出されていくこととなります。勿論、古代にもアレクサンドリアだけではなく、他にも図書館はありました。紀元前1700年には、ハンムラビ王がボルッシパ図書館を作っています。この図書館に所蔵されていたのは、粘土や石の書字版で、その中で、最も有名なのが「ハンムラビ法典」です。これらは、もろいパピルス紙ではなく石版に刻まれていたため何世紀も記録が残されてきました。また、古代ギリシャにはアリストテレスの図書館がありました。これは、ギリシャ世界で最も知られた初期の図書館です。この図書館では、学生が誰でも手軽に利用できるように、アリストテレス哲学学校の中にあったと考えられています。そして、アリストテレスの死後も、長期間、その規模や重要性が書き記されるほど大きな図書館でした。また、アリストテレスはエジプトの王たちに、書物を集めて分類する方法を教えました。当時の巻子本は、今日の本と違って書名や著者名を記す背表紙がありませんでした。そこで、アリストテレスはなんらかの巻子本を系統立てて分類する方法を考案したのです。その内容は、現在に伝わっていませんが。このようにして発展してきた図書館は、ローマ時代にも受け継がれます。ローマ時代初期の図書館は、アリストテレスの図書館のように個人の蔵書によるものです。作家や哲学者、知識人は大抵が多くの書物を所蔵していました。個人の蔵書はステイタス・シンボルだったので、友人や同僚には自由に利用させました。しかし、このような図書館に関しては、戦争や天災によって図書館そのものが消失したため、当時の記述などの間接的情報でしか知ることは出来ません。ところが、考古学というのは素晴らしいもので、なんと当時の図書館が発掘されたのです。これはかの有名なユリウス・カエサルの義父、ルキウス・カルプルニウス・ピソという人物が所有していたものです。ピソは、ヘルクラネウムという町に住んでいたのですが、彼の死後、西暦79年にベスビオ火山の噴火によってピソの住んでいた大邸宅もろとも図書館が深さ30mの泥や溶岩の下に埋没してしまいます。ところが、そのおかげで自然災害や風化から守られ、1700年の半ばになって発見されます。そこからは、様々な遺物ともに木製の書棚と本箱が発見され、その中に何とパピルス紙の巻子本が1800冊もあったのです。現在、これらの巻子本の多くはナポリの国立考古学研究所に展示され、とくに傷みの激しいもの、中には完全に炭化して判読不明なものもあるそうですが、について、研究者がデジタル映像技術を用いて判読しようとしているそうです。このピソの図書館は個人の所有でしたが、義理の息子のカエサルは図書館をより多くの人に利用してもらいたいと考え、暗殺される紀元前44年の少し前に、大きな図書館を2館作り、一般に公開する計画を発表します。1つはギリシャ語の、もう1つはラテン語の書物を所蔵するためでした。この計画は、カエサルの死後に一旦中断しますが、紀元前39年には、ローマで最初の公共図書館が誕生します。この図書館の驚くべきことは、今日の我々が利用する公共図書館と同様に、専門書よりも文学書が主な蔵書だったという点です。読書は、ローマ市民がゆったりとくつろいで、時間をつぶすためのものでした。ローマの公共図書館の多くが都市の公共浴場に設置されていることからもそれが窺えます。当時の公共浴場は現在のコミュニティセンターのような場所で、運動室やゲーム室、ミニコンサート室など、市民のストレスを解消するのに必要なものが何でもそろっていたのです。このように、カエサルの時代に始まった、庶民に図書館を利用させるという発想は、これまでにない新しいものでした。古代世界で、知識の探求がいかに大切に思われていたのかを示すものでしょう。しかし、ローマ帝国は不幸にも西暦200年代に衰退し始め、476年に崩壊します。その結果、ヨーロッパでは文明が衰え、ギリシャ・ローマ時代に生まれた学問の多くは失われてしまいます。読み書きする人も少なくなり、学問が軽んじられ、ほかの多くの文化施設同様、図書館も姿を消し始めます。「暗黒時代」の到来です。このような感じで、各章ごとに詳しく本と図書館の歴史がわかりやすく解説されたこの本は、「図書館は何ぞや」という質問に答えるのに最適な本だと思います。とくに挿絵がすべてカラーで見やすく、本文のほかに記憶媒体である紙や本、活版印刷などの豆知識が紹介されているところも魅力です。という感じで、今日は第1章の紹介をしてみましたが、どうにもまだ、この本を紹介したいという欲求が収まらないので、次もこの本について書いていきたいと思います。
2011年02月10日
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2月に入って、寒さが少し和らいだように感じます。しかし、朝の寒さは相変わらずで、露天に駐車している私の愛車のインプレッサちゃんのフロントガラスには霜がびっしりと凍り付いているので、毎朝、ぬるま湯をかけるというひと手間をしてから学校へと出勤しています。そして、学校へ着けば一桁の気温の司書室が待っているので、ガスストーブに火をいれ、ポットのお湯を交換してから湯を沸かすという作業を、外套を羽織ったまま行わなければなりません。そんな日々が続いているのですが、2月に入って3年生は自宅学習になって、図書館は少し寂しくなりました。まぁ、自宅学習と言っても進路の決まっている生徒は生徒指導部の許可を受けて来る学生生活のためにバイトに精を出している子が多いのですが。しかし、直近の問題は、1・2年生しかいなくなった学校でいかにして貸出を増やすかという事です。とりあえず、ポスターを各教室に掲示して、リクエスト本を残った予算と格闘しながら発注して、さらに図書委員を奮起させてなんとか貸出を増やそうと努力している今日この頃です。このように仕事に励んでいる合間に読んだ本が、ランドール・ササキ著『【送料無料】沈没船が教える世界史』(メディアファクトリー、2010年12月)です。この本の著者、ランドール・ササキ先生は、水中考古学者です。水中考古学、というと耳慣れない人がいるかもしれませんが、ようするに、難破船や海底に沈んだ財宝、さらに海底に沈んだまま長期間経ったと考えられる都市の遺跡などを調査する学問のことです。この学問は、本当につい最近になってから活動が開始された学術分野です。そもそも、1940年代にスキューバ(自給式水中呼吸装置)が発明されるまで、深海の難破船はほとんど手つかずの状態でした。それまで海中の遺物は、地中海のトルコやギリシャで海綿(スポンジ)を採取していたスポンジダイバーたちが、海底に沈んだゴミとして、陶器などは自分たちで使用し、青銅などの金属品は溶かして再利用するなどしてました。ところが、1900年にギリシャのアンティキティラ島の近海で、ほぼ等身大のダビデ像を思わせるような青銅製の人物像が発見されてから、水中考古学の歴史が動き始めます。この紀元前60~70年ごろに作られたと推定された青銅像の発見に興味を抱いた考古学者たちは、スポンジダイバーを雇って周辺の海域を捜索します。その結果、青銅像を乗せていた沈没船が海底に存在する可能性が高いと判断した考古学者は、初めてダイバーを使った沈没船の発掘に踏み切ったのです。そして、スポンジダイバーたちは沈没船を発見、様々な遺物を持ち帰ります。その中には古代ギリシャの重要な遺物が含まれていたのですが、その内容は本書を読んでみてください。しかし、このアンティキティラ沈没船からは多種多様な遺物が発見されましたが、沈没船の大きさや乗組員、どこから来たの船なのかといったことなどは解明されませんでした。この理由は、考古学者が船の上から指示を出して、スポンジダイバーたちに異物を回収させ、彼らの話からおおまかな回収位置を記録しただけの調査にすぎなかったのです。このため、この世界初の沈没船の発掘では、世界に例を見ない遺物の発見と、当時未知の世界であった「海底に眠る遺跡の発掘」という偉業を成し遂げたのですが、発掘を担ったダイバーたちが近海域で見つけたローマ時代の鉛の錨を溶かして、ダイビング・ウェイトに使っていた、といった考古学上の無知から来る弊害も明らかになりました。考古学とは、遺物の出土状況や出土位置を正確に記録して、そこから昔の生活や様子を再構築する学問です。発掘の対象が水中にあってもそれは同じで、遺物が船のどの位置から発見されたか、またどのような状態で発見されたかによって遺跡の解釈は異なってきます。その意味で、アンテキィティラ島の発掘は遺物にしか価値を見出さず、沈没船に残る歴史を読み解くことができなかったと言う点で、水中考古学の黎明期にあったと言えるでしょう。ところが、先に述べたスキューバ・ダイビングが1950年代に一般に広まると、世界各地で沈没船が発見されるようになります。しかしそれは、心無いダイバーたちの手によって沈没船が荒らされ、遺物がブラックマーケットに売られるという状況を引き起こします。そこで、考古学者が自ら海に潜り調査をすれば良い、という考えが生まれ、筆者の恩師でもある米国テキサスT&M大学のジョージ・バス博士が実行に移します。彼は、「水中考古学の父」と呼ばれ、沈没船の発掘と調査の学問を打ち立て、世界で初めて水中考古学専門のプログラムを前述のテキサスT&M大学に設立した人物です。スポンジ漁が低迷した1950年代後半、アメリカ人ジャーナリストのピーター・スロックモートンはスポンジダイバーたちのドキュメンタリー映画を撮影するために、トルコ南部を訪れ、ダイバーたちにインタビューを行いました。その際、彼らの貧しい家で見かけた古代ギリシャ・ローマ時代の遺物がどこで手に入れたかを、彼は調査し始めます。幸い、経験豊かなスキューバ・ダイバーであったスロックモートンは、スポンジダイバーと共に海に潜り、多くの沈没船の位置を特定、それぞれの簡単な記録を残します。そして、これらの沈没船に考古学調査が行われていないことに疑問を持った彼は、本格的な考古学調査を行おうと、考古学者のパートナーを探します。そこで紹介されたのが、アメリカでの考古学の権威であるペンシルバニア大学で青銅器時代の交易を研究していた26歳の大学院生、ジョージ・バスだったのです。彼は、なぜ考古学者たちが自ら水中に潜って調査を行わないのかを疑問に思い、水中でも陸上の遺跡と同様に同じレベルでの発掘ができると信じて、調査に赴くことを決めます。こうしてバスは「考古学者が全ての作業を水中で行うこと」に重点を置き、1960年にトルコ西南部で青銅器時代のものと推測される沈没船の調査を始めるのですが、ここから先は本書を読んでみてください。このように、本書は水中考古学の入門書ですが、本書のタイトルが表している通り、世界史の理解を深めるのにも最適の一冊だと思います。バス博士が手がけた水中考古学の出発点となるケープ・ゲラドニャの沈没船、胡椒を大量に積んだポルトガルのペッパーレック、スペインのサン・ディエゴ号、オランダのバタヴィア号、イギリスのメリー・ローズ号、海賊の町ポートロイヤル、鷹島・ベトナムのモンゴル艦隊・・・、その他多くの沈没船が本書で取り上げられてますが、沈没船が語りかける物語は歴史をありありとよみがえらせてくれます。沈没船をみていくことで、これほど時代の流れがよく分かるとは驚きでした。水中考古学の世界を一般の方にわかりやすく紹介することを目指した、と著者も書いていますがそのとおりで、本書は非常に読みやすいです。そして、内容も濃いです。沈没船の発掘成果が最新のものも含め、これでもかというほどふんだんに盛り込まれているのですから。さらに、水中考古学の「いろは」となる沈没船発掘マニュアルも簡潔にまとめられていて、近年問題となっている水中文化遺産としての側面にもきちんと触れられています。水中考古学の入門書として申し分のない1冊であり、歴史好きの方はもちろんのこと、現役の高校生にもぜひお勧めしたい1冊だと感じました。本書を読んで沈没船、水中考古学の魅力に惹かれないものはいないだろうな、と思いました。
2011年02月03日
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