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茂美はいつものようにお風呂に入り、お気に入りのピーターラビットのパジャマに着替え、そして自分の部屋に戻った。 あしたは、いよいよオペラ! 茂美はるんるん気分でいった。 今から楽しみが待ちきれない、という感じだった。 明日、日曜日の午後は、先輩である東園桔梗の凱旋公演が初台の「新国立劇場」で行われるのである。茂美たちおぺしゅうけんや有志のめんばー、それに加えて〈ザ・ホワイト・スノーズ〉も招待されているのである。 とにかく茂美は机の上の指定鞄から、プッチーニのオペラ《蝶々夫人》のCD、そして同じく《蝶々夫人》のDVDを大事そうに取り出した。 CDとDVDは、親友の外山桜が貸してくれたものだった。 茂美はCDとDVDを手にすると、いつものように枕元のライトを点灯し、それから部屋全体の明かりを消した。そしてベッドの夏布団にもぐりこむと、CDとDVDを交互に眺め、 えへへへへと笑う。 そして《蝶々夫人》のソリストやキャストの文字を読む。横文字だったけど、大丈夫だった。ちゃんと読むことができた。 指揮者はどちらも、ヘルベルト・フォン・カラヤンだった。 CDとDVDの蝶々夫人は、どちらもフレーニだった。しかしCDのピンカートンは、パヴァロッティ、そしてDVDのピンカートンは、ドミンゴだった。ただしオーケストラはどちらも、名門中の名門ウイーン・フィルハーモニーだった。ものすごく豪華だった。 外山桜は、どちらも最高よ!といっていた。それはそうである。外山桜は何度も何度も聴いたり、観ている宝物だった。外山桜は予習のつもりで茂美に貸してくれたのである。茂美はどちらかといえば、予習でCDを聴いたり、DVDを観るよりは、明日の本物の、しかも東園桔梗先輩の舞台を観てからにしようと思ったのである。 東園桔梗の美しい蝶々夫人をどんぐりまなこに焼き付けたかったからである。 茂美はCDの解説書を開いて読んだ。少なくとも物語りだけは、ちゃんと理解しておこうと思ったからである。しかし読み始めるとだんだんと睡魔が襲ってきた。 茂美は、ぐわー!とでかい欠伸をし、 うーあたいは、やっぱり、もう寝るよ、おやすみ、といいながら、CDとDVDを大事そうに枕元に置いてライトのスイッチをオフにした。部屋は完全に真っ暗になった。 茂美はすぐに眠り込んだのである。 おやすみなさい。また、明日。
2014年01月31日
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玉川上水駅前。 久しぶりに、名曲喫茶「アンダンテ」。 マスターの伴野四郎吉(とものしろうきち)は、いつものようにたんたんとコーヒーを入れる。流れるクラシック音楽は、プッチーニのオペラ《蝶々夫人》。ただしハイライト版であるが、オーケストラがゴージャスに響き渡る。 それでもソプラノの蝶々夫人の可憐な歌声が店内に響く。あまりにも有名な旋律にして美しさに溢れた音楽。プッチーニがいかに天才であったかがわかる楽曲である。 《ある晴れた日に》 蝶々夫人:イン・ファン(ソプラノ) ピンカートン:リチャード・トロクセル(テノール) スズキ:ニン・リャン シャープレス:リチャード・カウワン ゴロー:ジン・マ・ファン 指揮:ジエムズ・コンロン パリ管弦楽団・フランス放送合唱団 1994年録音盤CD 〈ミッテラン監督映画サウンドトラック〉 そして、いつもの常連がカウンター席に陣取る。みんなプッチーニのアリアにうっとりする。 うーむ、なんてうつくしんだ! もとちんがため息混じりにつぶやく。 もとちん、BOOKS「夜光堂」の店長、揮頭山元武(かざしやま・もとたけ)である。それに大学院教授の大給近増(おぎゅう・ちかます)と小料理屋「勧修寺」の女将勧修寺顕子(かじゅうじ・あきこ)が静かにコーヒーをすする。それぞれがお気に入りのコーヒーを飲みながら《蝶々夫人》を聴いていたのである。
2014年01月30日
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福島県喜多方市、山都町。 やまとまち。 そう、東京都の東大和市と同じやまとである。 喜多方市といえば、全国的に喜多方ラーメンが有名である。しかしラーメンだけではなく、蕎麦も旨い土地柄なのである。 「山都そば」(やまとそば)という。 飯豊連峰の麓、「山都」は古くから蕎麦の里である。標高400メートルを超え、気候、寒暖の差が激しい風土は、良質の蕎麦が育つ条件を満たしている。山都では、どこの家でも、ハレの日にはおもてなしに蕎麦を振る舞うのが慣わしであった。その美味しさが人びとの口コミで伝わり、自分たちの打つ蕎麦が、多くの人びとに喜ばれることに驚いた人たちが蕎麦による町おこしを始めたのである。現在も、蕎麦の栽培、貯蔵法、挽き方、そして茹で方と山都町、みんなで協力し、研鑽に務めているのが、山都そばである。さらに喜多方市山都町には、「そば伝承館」、飯豊とそばの里センターというそばの資料館があり、ここではそば打ち体験もできる、とのことだった。 俊介をはじめ、理科クラブとダンス部の面々は、飯豊蕎麦のおばさんからそう山都そばについて説明を受け、みんなは、大いに感心し、興味を覚えたのである。 とにかく蕎麦の話しを聞くと、益々旨い蕎麦が無性に食べたくなった。 蕎麦を打つのは、あばさんのだんなさん、ご主人だった。もちろん喜多方市山都町の出身だった。しかしおばさんは、地元東大和市の出身だった。どうやらご主人が、東大和に出てきて、こちらでおばさんと知り合って、結婚して氷川神社のすぐそば、蕎麦屋!を始めた、とのことだった。ちなみに結婚して、もう30年以上が経つそうである。 俊介は、ふーむ、こういう出会いもあるんだな!といたく感心していた。隣の葉室慶子は、うれしそうに、まあーなんてロマンチックなの!とにこにこにこと笑っていた。夢見る乙女である。船橋夏野も交野為康も萩原兼春も伊野波りえも石舞倫子も1年生の部員もみんな横目でじっと見ていた。 そうこうするうちに、どんどんと打ち立ての蕎麦が運ばれる。おばさんは慣れた手つきでてきぱきと蕎麦を運ぶ。見ていてとても気持ちの良いものだった。 やっぱり、蕎麦屋はこうでなくちゃ! 俊介はそう思った。 俊介たちみんなは豪華にも、 海老天ぷらざる蕎麦である。しかも大盛り! 俊介も船橋夏野も交野為康も萩原兼春も伊野波りえも石舞倫子も1年生の部員も、運ばれた蕎麦に目をやり、 おおー!と声を挙げ、両目がまんまるになる。 想像以上のボリュームだった。 すごかった。 四角いお盆に、丸いざるには大盛りの蕎麦。そして小降りの丸いざるには、大きな海老をはじめ、カボチャ、茄子、シシトウの天ぷらがからっと揚がっていた。熱々の天ぷらだった。蕎麦猪口には自家製のつゆがたっぷりと入っていた。薬味は、大根おろし、ネギの刻みとわさびである。 そして水無瀬道隆先生が注文したのは、鴨汁蕎麦の大盛りだった。これまた旨そうだった。鴨汁のなんともいえないかおりが漂う。水無瀬道隆先生はうれしそうに微笑む。 やはり四角いお盆に、丸いざるに大盛りの蕎麦があり、備前焼を思わせる器には、やはり熱々の鴨汁が入り、大きめの鴨肉、長ネギ、ゴボウ、三つ葉。そして大根おろしが添えてあった。水無瀬道隆先生は、海老天ぷらざる蕎麦も好物だが、とくにここの鴨汁蕎麦に目がないそうである。 全員分の蕎麦がそろうと、みんなそろって、 いただきまーす! と、いって旨そうな蕎麦を、つるつるつるとすすったのである。
2014年01月29日
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顧問の水無瀬道隆先生は、俊介たち理科クラブのメンバーとダンス部のメンバーを遊園地駅近く、氷川神社のそばにあるお店に案内した。 そこは蕎麦屋だった。 歴史を感じさせる店構えであった。白い暖簾がかかり、「飯豊蕎麦(いいでそば)」と書かれてた。 俊介たちみんなは、 いいでそば! と声を挙げた。 水無瀬道隆先生は、「飯豊は、福島県にあるんだ。良いところだ。飯豊の麓の喜多方市、山都町の蕎麦としてなかなか有名なんだよ」といった。 しかし俊介やみんなにとっては、初めて聞く場所だった。 俊介は、そーか、福島県の喜多方市か、とつぶやく。隣にいた葉室慶子は、わたしも知らなかったわ!という。親友の船橋夏野も交野為康も萩原兼春も、そーだね、おれたちも知らないよ、という。伊野波りえと石舞倫子は、日本地図で調べてみようか、といった。とにかく、 水無瀬道隆先生は、にこにこしながら、「どーだ、なかなか良い雰囲気だろう?せんせいは、ここの蕎麦が大好きなんだ!」と、いいながら最初に暖簾をくぐる。それに続いて俊介や理科クラブ、そしてダンス部のメンバーも続いた。 店内はけっこう広かった。テーブル席しかなかった。店のおばさんが、ぱっと明るい表情になり、 あらー、いっらっしゃーい、せんせい! と、甲高い声を挙げた。そして、 「まあーもしかして、学校の生徒さん?どーぞ、どーぞ、こちらにお座りくださいな!」 水無瀬道隆先生と俊介たちはそれぞれテーブル席に案内された。 俊介が店内を見渡すと、 「冷たい蕎麦のみ」 「手打ち蕎麦」 「蕎麦つゆ自家製 鰹・昆布だし」 と書かれた札が掛けられていた。みんなもお品書きを見ると、いわゆる温かい蕎麦はなかった。 もり蕎麦 並 大盛り ざる蕎麦 並 大盛り 鴨汁蕎麦 並 大盛り 野菜天ぷら蕎麦 並 大盛り 海老天ぷら蕎麦 並 大盛り 俊介をはじめ、みんなの両目はまんまるになる。喉が鳴る。ちょうどみんなはお腹が空いていた。どれも旨そうだった。 水無瀬道隆先生は、にこにこしながら、「みんな、遠慮するな。好きな蕎麦、大盛りでいいぞ!」と太っ腹である。 そういわれても、俊介や理科クラブの面々はなんとなく躊躇していた。がしかし、ダンス部のメンバーは揃って、 じゃあー海老天ぷら蕎麦、おおもり! と、堂々と遠慮なくいった。 俊介は両目を大きく開き、葉室慶子を見ると、 なんとなくお姉ちゃんみたいだな、とつぶやいた。それにならってみんなも海老天ぷら蕎麦、大盛りを注文したのである。
2014年01月28日
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大きな樹木の間だから野鳥たちのにぎやかな囀りが聞こえる。 雑木林が美しい。 空気が澄んでいる。 東大和のシンボルともいえる大きな湖、多摩湖(村山貯水池)がある。狭山丘陵の谷をせきとめて造られた人造湖である。湖の特徴は真ん中に堰堤をはさんで上貯水池と下貯水池に分かれている。 また、東京都民の水瓶として多摩川の水を貯水しており、浄水場へ水を送るための特徴ある姿の取水塔もある。風光明媚な場所、さらに野鳥や水鳥が多く生息する緑豊かな場所でもある。休日には多くの家族連れやジョギング、ウオーキング、さらには今はやりのクロス・バイク、もしくはロード・バイクにまたがり、多摩湖に沿って整備されている多摩湖自転車道を颯爽と走る人も多い。 多摩湖は大正5年(1916年)に着工したが、しかし工事は人力が主であったため、昭和2年(1927年)の完成まで、10年以上の歳月がかかっている。建設当時、谷沿いには7つの集落があった。人びとは田畑を耕し、のどかに生活を営んでいたが、貯水池を建設するにあたり、住み慣れた土地からの移転を余儀なくされている。 俊介をはじめ、理科クラブの親友たち、船橋夏野(ふなはし・なつの)、交野為康(かたの・ためやす)、萩原兼春(はぎわら・かねはる)、そしてダンス部の葉室慶子(はむろ・けいこ)、伊野波りえ(いのは・りえ)、石舞倫子(うまい・みちこ)、そして顧問の水無瀬道隆(みなせ・みちたか)先生は、都立狭山公園の、男性指導員から、多摩湖について説明を受けていた。 俊介たち理科クラブがいるのは、狭山公園の管理事務所の前、そこには木製の机と椅子があり、そこに腰掛けながら指導員の方の話しを聞いていたのである。俊介たちの周りには緑がたくさんあり、大きな樹木もたくさんあった。直接、日光を避けることができた。加えて冷たいソフトドリンクも飲みながら、喉の渇きを癒しながらじっくりと指導員の説明を聞く。ちなみに俊介の隣には、ちゃっかりと葉室慶子が座っていた。親友たちは誰も文句はいわなかった。というよりすでに暗黙の了解という趣だった。 俊介たちの手元には、狭山丘陵の資料や、「狭山丘陵絵図」(さやまきゅうりょうえず)という見事なイラストで描かれたものもあった。このイラスト絵図を描いた人は、都立野山北・六道山公園の副所長、女性が描いたものだった。絵図の大きさは、A3であった。しかしオリジナルの絵図は管理事務所の壁に掲示され、それはとても大きなものだった。 俊介も葉室慶子も船橋夏野も交野為康も萩原兼春も伊野波りえも石舞倫子も、そして水無瀬道隆先生もイラストを食い入るように見る。 俊介は、あまりのタッチの見事さ、色彩の美しさ、そして絵図のやさしさに、ほおーと感嘆の息をもらす。ダンス部の女の子たちも、きれーい!という。俊介の親友たちも、これはすごい!という。イラストを描いた女性の方の心が宿っていた。 男性の指導員がその絵図を説明する。 「狭山丘陵絵図というのは、狭山丘陵の自然を愛し、はぐくみ、それを守ってきた人びとと、今も関わりを持ちつづける人びとの物語を、一枚の絵にしたものです。数十万年もの昔から、この丘陵は、人びとの暮らしを支え続けてきました。ここでは今も、たくさんの生き物が生命をつなぎ、たくさんの人が文化を伝承しながら、生きる姿があります。自然と人、人と人をつなぐ場所として、新しい時代を迎えています。そんな緑豊かな島の絵図なのです」 男性の指導員はそういって、穏やかに笑みを浮かべた。 俊介や理科部のメンバー、そしてダンス部のメンバーは、 雑木林、湖、畑、田んぼ、坂に、団地に、神社仏閣、狭山丘陵の自然を守らなければ、とみんなそう思ったのである。
2014年01月27日
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カフェルームで、パリの魅惑のスーツの試食会は無事に終わった。 茂美や外山桜、豊岡美園、三室戸志乃、鷹司房子、正親町三条さゆり、広幡陽子、神足左織、西堅綾花、忠蔵院恭子、慈門院正美、五大院信代たち1年生、そして2年生3年生の先輩方も、スイーツ、ケーキ、そしてエクレアを美味しくいただき、大満足だった。入れ立ての紅茶も旨かった。 茂美は、げっぷをし、「もう、ほんとうにうまかったよ!」と満足そうにいった。 料理部の部長赤錆紀子は、わざわざ茂美のところにやってきて、「しげみ、おまえは、ほんとうにおそろしいやつだ!」といいながら、突然、後ろから茂美を羽交い締めにした。 羽交い締めにされた茂美は両目が点になり、げげげげげー!といった。 外山桜は笑いながら、「あら、しげみさん、ほっぺたにチョコレートがついているわよ!」といった。豊岡美園も三室戸志乃も茂美のほっぺをまじまじと見ると、確かにとろける魅惑のチョコレートがうっすらとついていた。 茂美はあわててほっぺに手をやると確かにチョコレートがついてきた。 茂美はいつものように、えへへへへと笑ってごまかす。 どうやらこれは、茂美がでかい口を開けて、ラ・メゾン・デュ・ショコラのエクレアをほうばったときについたものだった。 三室戸志乃は、「しげみ、あんた、ベイビーあかちゃんみたいだよ」といった。その言葉に他の親友たちは笑う。 とにかく茂美たちおぺしゅうけんと有志のメンバーは、たくさんのケーキを試食させてもらったお礼に、総出で後片付けを手伝うことにした。食べるだけ食べて、後は知らんぷりはできないのである。 したがって、大人数で厨房の後片付け、食器洗いから道具の片付け、最後の清掃に到るまで、部長の井草温子の号令いか、おぺしゅうけんのメンバーが中心となってやった。だから、あっという間に厨房は、ぴっかぴかになった。これには料理部のメンバーたちも感謝したし、OGの先輩たちも喜んだのである。 それから茂美と親友たちは、OGの田嘉里如子と銭司幹美、そして教来石彬子のところに行き、お礼を述べ、さらに茂美は、「あのー今度、本格的に日本料理を教えてくれますか?もっと日本料理について勉強したいと思います」と、遠慮なくお願いした。 その言葉に田嘉里如子は、「そーか、しげみ、いいだろう。あんただけじゃなくみんなに、もちろん料理部を含めて、本格的な日本料理を伝授しよう」と応えてくれたのである。 銭司幹美は、「本格的日本料理というのは、本膳料理、精進料理、そして茶懐石をいうんだよ。しげみ、しってるのか?」と、いった。 茂美は首を横に振り、「くわしくは、わかりません」とこたえた。 教来石彬子も、「最初の本膳料理というのは、室町時代に形式が整った由緒ある日本料理のことなんだよ。儀礼を重んじ、華やかで豪華なのが特徴なんだよ。この本膳料理を簡略化したものを、袱紗(ふくさ)料理というんだよ。これはぜひ、しげみ、あんたや他のみんなにも勉強してもらいたものなんだ」と、いった。 茂美や親友たちみんなは、うーむ、と大きくうなずく。 また、田嘉里如子も、「そして、精進料理は、鎌倉時代に発展した仏教の禅宗の影響が非常に大きく、今日の会席料理の前身ともいえるものなんだ」といい、さらに、 銭司幹美は、「茶懐石とうのは、文字通り、茶の湯の催事にともする料理で、濃茶をおいしく飲むための、軽い食事というところかな。とにかくだ、この茶懐石も禅宗の影響を強く受けているため、質素なものを旨としているんだ」と専門的に説明を加えた。 これにも茂美や親友たちも、またもやおおきく、うーむ、とうなずいた。 その先輩方の言葉に茂美はいたく本膳料理、精進料理、そして茶懐石の料理に興味を持った。日本料理といえども、どこか非常に歴史・学問的なものを茂美は強く感じたのである。
2014年01月26日
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茂美が第二音楽室を出ると、一緒に外山桜、豊岡美園、三室戸志乃をはじめ、1年生の親友たちのみならず、2年生3年生の先輩方、有志の先輩方も後につづいた。 みんな、どどどどどと駆けていた。 もちろん先頭を切って行くのは茂美である。豊岡美園と三室戸志乃は、 おい、しげみ!家庭科室かカフェルームか?とかけながら聞く。 茂美は鼻をくんくんさせ、カフェルームだよ!と断言した。迷うことはなかった。カフェルームの方から、甘いスイーツのかおりが漂ってきていたのである。 先頭の茂美がカフェルームの手前まで来ると、突然に止まり、いきなり両手を横にぴっとのばした。茂美以下後ろの1年生の親友たち、2年生3年生の先輩方は、どどどどと急停車する! 部長の井草温子が、 おい、しげみ、なんでいきなりとまるんだ! と、両目をまんまるにしていった。 すると茂美は右手の人差し指を口にあてながら、後ろを振り向くと、 「いぐさせんぱい、みなさん、みんな、お静かに!なんか、いつもの雰囲気と違う感じがするんです。あたいの直感ですが」と真剣な眼差しで、いった。 「しげみ、それって、もしかしたら、スイーツがない、ということか?」豊岡美園が心配そうに聞く。 外山桜は、そんなの、いやーん!という。 「そうじゃないよ。確かにスイーツ、ケーキをつくっているよ。間違いない。この匂いから、いろんなケーキをつくっているし、もしかしたらエクレアもあるかも」と茂美は冷静にいった。 その言葉にみんなは、 エクレアー! と、表情を大きくし、声を挙げた。おぺしゅうけんと有志のメンバーの期待は一気に高まる! しかし茂美はふたたび、 しずかにしてください! といった。そして、 「ここからカフェルームには、ゆっくりと静かに行きます。声を出さずに、そろりといきます」茂美はそう振り向きながらいった。1年生の親友たちも先輩方も大きく無言でうなずいた。 いっぽう。 カフェルームの調理室、厨房では待望のスイーツができあがっていた。 OGの田嘉里如子や銭司幹美、教来石彬子の指示で、〈料理部〉の面々は試食の準備をする。1年生の塩生但子と青具あきらは、美味しい紅茶を入れる。 「ところでさ、なんで、きょうは窓という窓にケーテン、してるんだ?暑さ対策か?」と田嘉里如子が聞いた。 部長の赤錆紀子は、えへへへへと笑いながら、 「たかざとせんぱい、それもありますが、きょうはパリの魅惑のスイーツをつくる、ということで、邪魔がはいらないように、つまり、くいじの張った、おぺしゅうけんの連中に見つからないように、ゴージャスで美味しいケーキを試食、いただこうと考えました!」と、いった。 田嘉里如子は顔をしかめると、 「そんな、けちな、ちんけな根性でどうする。だいじょうぶだよ。おぺしゅうけんのメンバーたちは、今頃、創立130周年記念コンサートの猛練習でそれどころじゃないよ。だれも来てないよ!」と、いって、試しに広く長いカウンター前のカーテンをばっと開けた。 その言葉通り、カフェルームの中には、テーブル席には、だれもいなかったし、おぺしゅうけんのメンバーもいなかったし、茂美の姿もなかったのである。 田嘉里如子は、赤錆紀子や部員たちの方を振りむき、右手の親指をカフェルームにやる仕草をし、 ほらね、だれもいないだろう? と、いった。 赤錆紀子たち部員は、だれもいないカフェルームを見渡すと、 そうだね、考えすぎだったね! と互いの顔を見合った。安堵した。そしてにこにこしながら、広く長いカウンターにできたてほやほやのパリの魅惑のたくさんのたくさんのスイーツ、ケーキ、そしてチョコレートがたっぷりかかったエクレアをお盆に載せて並べた。 実に旨そうだった。 くどいがよだれがおちそうだった。 ところが、そのケーキを運びながら黒羽稔美、安居錦子、塩生但子、そして青具あきらが試しに首をぐっと伸ばすと、カウンターの下に、死角のところに、 茂美、豊岡美園、三室戸志乃、鷹司房子、正親町三条さゆり、広幡陽子、神足左織、西堅綾花、忠蔵院恭子、慈門院正美、五大院信代、そして2年生3年生の先輩方が重なるように所狭しと固まっていたのである! 茂美たちみんなは、料理部のメンバーと目があうと、えへへへへと静かに笑った。 目と目があった黒羽稔美、安居錦子、塩生但子、青具あきらは逆毛立ちしたかのように、 ぎゃああああー! と叫んだのである。
2014年01月25日
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カフェルームの調理室、厨房の窓はすべてカーテンで閉じられた。もちろん厨房内はエアコンがばっちりと効いている。 ところで、〈料理部〉のメンバーだけで、パリの魅惑的なスイーツづくりをするのか、とおもいきや、いやいやOGの管理栄養士兼調理師の、田嘉里如子(たかざと・ゆきこ)、教来石彬子(きょらいし・あやこ)、そして銭司幹美(ぜず・もとみ)がちゃんと調理指導につくのである。 スイーツの甘い、香ばしいかおりが外に漏れないように充分に注意する。対策はばっちりだった。 厨房のオーブンは大活躍である。 OGの先輩方の指示、号令のもとに、部長の赤錆紀子をはじめ、黒羽稔美、安居錦子、佐八遙、塩生但子、青具あきらたち部員はレシピにしたがってケーキ、エクレアをつくる。 甘いバターやクリームのかおり、チョコレートのなんといえないゴージャスなかおりが部員たちの鼻孔をくすぐる。 うーん、たまらない! そう部員たちみんなはいう。 できたてのスイーツの試食が待ちきれない。 ダロワイヨのオペラは、オペラ座で観劇中にヒントを得たというケーキである。劇場の舞台を模したシンプルなルックスのチョコレートは、コーヒー風味のスポンジとチョコ味のバタークリーム、そしてガナッシュ、カカオの風味が持ち味の高級スイーツである。世の中にこんなに気品溢れるチョコレート・ケーキがあるのだろうか! 赤錆紀子、安居錦子、佐八遙、塩生但子、青具あきらの両目がらんらんと輝く。 ストレールのアリババ。このケーキのレシピが作られた当時、昔はフランス貴族向けの高価な、高価な菓子だったブリオッシュを、ラム酒のシロップにたっぷりと浸した、大人のケーキでもある。それを女子高校生がつくるのである。大丈夫か? ま、ラム酒はあくまでもケーキづくりに使うので、当然、顧問の世木億美(せき・かずみ)先生の許可を得てるし、ちゃんとOGの先輩方もいるからOK!ということである。そういう管理のもとに〈料理部〉は活動する。とにかくだ、そういやってラム酒漬けのアリババができるのである。 女子高校生のお嬢様方には、ちょっぴりな大人のリッチな味! うーん、こんなの、たべちゃいけなーい! 赤錆紀子、安居錦子、佐八遙、塩生但子、青具あきらの口からよだれがおちそう。 そして、次に、ジュラール・ミュロの、カシス! このケーキは、濃厚なカシスムースの中に、シナモン風味のリンゴの角切りが収まる。そして飾りとしてのフルーツ、スライスしたメロン、レッド・ベリーが輝く。さっぱりとほんのりとした上品な甘さがお嬢様方にぴったり! うーよだれがでそう! 赤錆紀子がいう。ほかのみんなもつられていう。OGの田嘉里如子は、おい!ちゃんと手を動かせ!と注意する。 みんなは、はーい!、と返事する。 そして次に、アンジェリーナのモンブラン。 世の中にこんなに美味なモンブラン・ケーキがあるのか!というぐらい感動する奇跡のケーキである。風味抜群の栗ペーストの中には甘さを抑えた生クリームがたっぷり。そしてベースのメレンゲも軽やかである。ちなみにモンブランは、茂美の大、大、大好物である。 いっぽう。 第二音楽室のおぺしゅうけんは、猛練習が終わり、休憩に入っていた。 茂美はタオルで顔の汗をぬぐうと、突然に鼻を、 くんくんくんくんとさせ、そして突然に立ち上がった! 隣にいた同じオーボエ奏者で3年の箕作極子(みつくり・きわこ)は、「おい、しげみ、どうしたんだ?」と両目をまんまるにしていった。 茂美はさらに鼻をくんくんくんさせ、「みつくりせんぱい、においます!」とどんぐりまなこをまんまるにしていった。「なにが、におうんだ?」箕作極子が目を点にしていう。気が付くと茂美の側に外山桜、豊岡美園、三室戸志乃がよってきた。 茂美は、「これは、スイーツだよ、まちがいないよ!」といった。 その言葉に外山桜、豊岡美園、三室戸志乃は、 うおおおーほんとか! と声を挙げた。豊岡美園は、まるで、わんこうだな、しげみは、といったのである。
2014年01月24日
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白雪学園高校。 カフェルームの調理室。 大きいプラスチックの箱、3段に重ねてある容器の一番上のところに白い布がかけられていた。 白衣姿の〈料理部〉の部長赤錆紀子(あかさび・きこ)は、部員たち黒羽稔美(くれは・としみ)、安居錦子(あご・きんこ)、佐八遙(そうち・はるか)、塩生但子(しおなす・ただこ)、そして青具あきら(あおく・あきら)たちに訓辞をたれる。「いいか、しょくん!今月のわれわれ料理部の目指す目標は、パリのスイーツ、つまり、パリのカルチェ・ラタンの名店「ブラッスリー・バルザール」のような豪華で、優雅で、上品なスイーツを目指すのだ!」 すかさず黒羽稔美が質問する。「あのーあかさびせんぱい、ブラッスリー・バルザール、て、なんですか?」 その言葉に他の部員たちも大きくなんどもうなずく。「え、みんなしらんのか?」 赤錆紀子の両目がまんまるにひらく。「カルチェ・ラタン、つまりだ。パリのソルボンヌ大学のすぐそばにある有名なカフェなんだよ。とくに名だたる哲学者や有名人が愛したカフェとして有名なんだ。サルトル、シモーヌ・ド・ボーヴォワール、アルベール・カミュ、そしてミッテラン元大統領、ジャンポール・ゴルティエ、さらにマドンナだ!」と赤錆紀子は口を三角にとがらせていった。 黒羽稔美をはじめ、みんなは、ふーん、という反応だった。いまいちだった。 赤錆紀子は頭を抱える。しかし気を取り直し、「とにかくだ。その名店カフェに負けないスイーツをわれわれはつくる!」と宣言した。 黒羽稔美がさらに質問する。「で、なにをつくるんですか?」 赤錆紀子は腕組みし、にやりと笑う。「パリならではの本格的スイーツだ」 そして赤錆紀子は具体的なスイーツを挙げ、みんなにそのカラー写真を見せる。 1)ダロワイヨのオペラ 2)ストレールノアリババ 3)ジュラール・ミュロのカシス 4)アンジエリーナのモンブラン そして5)エクレア!特にラメゾンデュ・ショコラのもの! 赤錆紀子は、みんなを見渡し、3段のプラスチックの容器の上の白い布を、ばっととると、 スイーツ、ケーキの材料、小麦粉、グラニュー糖、生卵、牛乳、バター、イチゴ、オレンジなどのフルーツ、ブラック・チョコレートなどの大量の旨そうな材料が姿を現した! 部員たちは一斉に、 うわー!と歓声を挙げ、両目をまんまるにする。今にもよだれがおちそうだった。たまらなかった。 赤錆紀子は身を乗りだし、声をぐっと落とした。部員たちも同じように身を乗り出し、腰をかがめた。 赤錆紀子は両目をぐりぐり回しながら、 「いいか!これは、ないみつにやる。まかりまちがっても、おぺしゅうけんの連中に見つからないように、極秘にやる。とっぷしーくれっとじゃ。できたて、みんなで、たべようぜ!」とつぶやいた。 部員たちは、突然に右腕を上に突き上げ、 おおー! といきなりでかい声を挙げた。 しいいー! 赤錆紀子が右指の人差し指を口にあてる。そして、「スイーツの香ばしい薫かおり、においがまかり間違っても、おぺしゅうけんの連中のいる第二音楽室に届かないようにする。製作もわからないようにやる!」と、付け加えていった。 他の部員たちは、声をほんとうにひくくして、 おおー!、と極めて小さくいった。 いっぽう。 第二音楽室では、噂のおぺしゅうけん、オペラ・宗教音楽研究部と有志のメンバーは、一生懸命にモーツアルトのオペラ《魔笛》を練習していた。茂美も懸命にオーボエを吹いていたのである。 つづきは明日!
2014年01月23日
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まるで本当の星空を見ているようだ、俊介はそう心の中でつぶやく。 壮大な星空が眼前に迫っていた。 俊介の親友船橋夏野も交野為康も萩原兼春も、そしてダンス部の葉室慶子も伊野波りえも石舞倫子も星空の美しさに息を呑む。まるで投影会ということを忘れてしまう。 顧問の水無瀬道隆先生や理科クラブ、そしてダンス部のみんなが見上げているのは、「9月の星空」だった。不思議なことに、ドーム内の空気もなんとなく自然の夜空の澄んでいる空気を思わせるものがあった。 ドームのほぼ中心、いわゆる「天頂」のところに夏の大三角、アルタイル(わし座)、ベガ(こと座)、そしてデネブ(はくちょう座)があった。女性職員の解説もあって、すぐに見つかり、わかった。 葉室慶子の瞳も伊野波りえの瞳も石舞倫子の瞳も輝く。 そして理科クラブの俊介も船橋夏野も交野為康も萩原兼春も1年生部員たちの瞳も輝く。 俊介は、天頂から「西」の方に目をやると、 ラスアルハゲ、へびつかい座、ラスアルゲティ、ヘルクレス座、かんむり座、うしかい座 が確認することが出来た。 さらに「南」に視線を移すと、 みずがめ座、やぎ座、フォーマルハウト、みなみのうお座、つる座、 が見えた。 そして、「東」に目をやると、 秋の四辺形、ペガスス座、アンドロメダ座、アンドロメンダ銀河、カシオペア座、カペラ、アルゴル、ペルセウス座、おひつじ座などが輝いていた。 続いて最後に「北」を見ると、 北極星、ケフェウス座、りゅう座、こぐま座、北斗七星、おおくま座などを認めることが出来た。 女性職員が惑星について説明する。「水星は、太陽に近くて見えません。金星は、夕方、西の空低くに見えます。火星は、明け方、東の空に見えます。それがかに座です。そして、木星も明け方、東の空に見えます。それがふたご座です。また、土星は、上旬は夕方、西の空に低く見えます」 その言葉にしたがって、俊介や理科クラブやダンス部のみんなは視線を移動するのであった。 俊介は、 本当に宇宙、て、ものすごいんだな、すごいよ!と改めてそう思い、深いため息を同時に吐いたのである。
2014年01月22日
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顧問の水無瀬道隆先生を先導に、理科クラブのメンバーとダンス部のメンバーが、東大和市立郷土博物館に到着した。玉川上水二中から徒歩で約30分ほどかかった。 東大和市立郷土博物館は、狭山丘陵の中腹にある。近くには多摩湖があり、その周囲には多摩湖自転車道も整備され、緑豊かな所にあった。 俊介たちは、午後3時からの「プラネタリウム投影会」に間に合うようにやってきたのである。水無瀬道隆先生、俊介、船橋夏野、交野為康、萩原兼春、1年生の部員たち、それにダンス部の葉室慶子、伊野波りえ、石舞倫子が後からつづいた。 水無瀬道隆先生はプラネタリウム投影会担当の女性職員の方にあいさつした。それにならって、俊介以下理科部のメンバーとダンス部のメンバーもみんなできちんと、あいさつした。水無瀬道隆先生は、事前にきちんと連絡してあったので、女性職員は、いろいろと準備をしていたのである。 部長の俊介は、女性の職員から、東大和市立郷土博物館のパンフレットをはじめ、郷土博物館だより「光と風」、それと「9月の星だより」を人数分いただき、それをみんなにそれぞれ配布した。 みんなが手にした「9月の星だより」は、A4の用紙に両面印刷されていて、女性職員の手作りになるものであるが、「9月の星空」、つまり星図は丁寧に細かく描かれていた。また、「9月のこよみ」をはじめ、星の解説もわかりやすく詳しく記入されていた。さらに難しい漢字には、中学生はもちろん、小学生にもわかるように、ルビがふってあった。実に心のこもったものだった。 「9月の星だより」の表頁には、 〈地球からみる月の模様〉~うさぎのもちつき~ と書かれていた。葉室慶子や伊野波りえ、石舞倫子は、 おもしろそー! と両目を輝かせた。 「アイソン彗星」については、直接書かれていなかったが、プラネタリウム投影会の中で紹介、解説される、ということだった。プラネタリウム投影機は「G1014si」と呼ばれるものだった。 俊介がプリントに両目をやると、 「9月の星空から」 夏の大三角がみやすいですね。夏の大三角の左下あたりで、逆三角に並んだ星の並びをさがしてみっましょう。ベガ(こと座)からアルタイ(わし座)の方向へ線を延ばした先です。とてもやぎの姿にはみえませんが、星占いにも登場するやぎ座があります。 と書かれていた。俊介は、うーむ、そーか、とつぶやくと、葉室慶子が首を伸ばしてのぞく。そして、「としすけくん、とても楽しみだわ!」といったのである。 プラネタリウム投影会の案内があり、水無瀬道隆先生をはじめ、俊介たち理科クラブ、ダンス部の面々は一般の人たちに混じって、直径14メートルのドーム、プラネタリウム(映像学習室)の中につぎつぎと入っていったのである。
2014年01月21日
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土曜日の午後の天気は曇りだった。気温は少しむっとする。 理科クラブの部長、2年の高松俊介は、部員の船橋夏野(ふなはし・なつの)、交野為康(かたの・ためやす)、萩原兼春(はぎわら・かねはる)、それに1年生の部員たちを連れて郊外で活動するのである。もちろん顧問の水無瀬道隆(みなせ・みちたか)先生も引率教員として同行する。決して生徒たちだけでは郊外での活動はさせないのである。 船橋夏野と交野為康、そして萩原兼春は、首を伸ばして後ろを振り向く。それにならって1年生の後輩部員たちも後ろを見る。 女子中学生が3人、ぞろぞろと後からくっついて来ている 理科クラブには、本来女子部員はいない。ならば理科クラブの後ろからくっついてきているのは? 交野為康はため息混じりに、「まったく、ダンス部は、午後練習ないのかよ!」といった。その言葉に苦笑いする俊介や船橋夏野、萩原兼春だった。顧問の水無瀬道隆先生は、にこにこしながら、 おーい、ダンス部! と、ぱたぱたと手招きする。 その合図に、ダンス部の女子、葉室慶子(はむろ・けいこ)や伊野波りえ(いのは・りえ)、そして石舞倫子(うまい・みちこ)は両目をまんまるにし、表情を大きくして、理科クラブ、そして水無瀬道隆先生の所に駆けて、どどどとやってきた。 代表して葉室慶子が、 みなせせんせい!よろしくお願いします! と、良く聞こえる声でいい、3人揃って、 よろしくお願いします! と、明るく元気にあいさつした。水無瀬道隆先生は、わかった、わかった、といった。 3人の女子は、理科クラブのメンバーと並んで歩く。 葉室慶子は俊介と並ぶと、えへへへへと笑い、「としすけくん、よろしくね!」と、首を傾げていった。 俊介も、にこりとし、「うん、けいこちゃん。今日は遠くまで歩くことになるけど、人数が多いほど楽しいよ」といった。「きょうはどこにいくの?」葉室慶子が聞く。「うん、これから郷土博物館に行って、プラネタリウムを鑑賞するんだ。まだ少し先の話しなんだけど、11月になると、地球軌道よりも太陽に最も近づく、アイソン彗星というのがあるんだけど、それを観に行くんだよ。プラネタリウムの秋番組のひとつなんだけど、アイソン彗星は、シリウス、つまり、おおいぬ座1等星のおよそ100倍の明るさの彗星なんだよ。本当は11月の星空なんだけど、9月の今からいろいろと星空の観察の予習ということかな。アイソン彗星は、12月初旬かた中旬頃が一番の見頃、地球に最も接近してくるんだよ」俊介は、わかりやすく説明した。「うわーすてき!なんかロマンチックじゃない!」葉室慶子はそういって表情をぱっと明るくした。「今後は、星空観察会、月や秋の星を観察しよう、ということと、12月には、年忘れクリスマス投影会というのも企画されているんだよ」だんだんと俊介の表情も大きくなる。「としすけくん、て、やっぱり、科学者タイプなのね!」と葉室慶子はうれしそうにいった。「そうかなー」 俊介は葉室慶子の言葉にまんざらでもない、表情を浮かべたのである。 俊介も葉室慶子も理科クラブもダンス部も、みんな青春まっしぐらであった。
2014年01月20日
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茂美には枕元のライトがいつもより明るく感じられた。遠藤周作の『イエスの生涯』(新潮文庫)、気が付いたらあっというまに読んでしまっていた。茂美が読み始めた時は、ちょっと難しいかなと思ったのだが、ぐいぐいと読むことが出来たのである。 文庫本の中に書かれていた、 幸いなるかな 心貧しき人 天国はかれらのものなればなり 幸いなるかな 柔和な人 かれらは地をうべければなり 幸いなるかな 泣く人 かれらは慰めらるべけれなり 幸いなるかな 心きよき人 かれらは神を見奉るべければなり という聖書の言葉に改めて強く印象が残ったのである。これまで学校で、聖書についていろいろな話しを聞いてきたし、文庫本に書かれていた聖書の言葉ももちろん知ってはいたが、茂美は、なにかとても新鮮な感じがしたのである。茂美は「心貧しき人」というのは、決して心根が卑しく、どうしようもない人間という意味じゃなく、いろんな災難や不幸に見舞われて、悲しみに満ちている人間のことを表現している、ということは知っていた。これは白雪学園高校で、宗教の時間にちゃんと教えてもらっていたからである。 イエス様というのはたいへんな使命を帯びて、この世にやってきて、そして十字架にかけられたのか。 茂美は大きく息を吐いた。と同時にこれだけのことを書いた、遠藤周作にもたいへん興味を覚えた。茂美は文庫本の巻末にある、「解説」のところにどんぐりまなこをやる。下のほうに、井上洋治と書かれていた。解説を書いた人の名前である。しかし茂美は、 いのうえようじ、て、だれなんだろう? と、つぶやいた。茂美は井上洋治という人を知らなかった。そして、今度インターネットで検索してみよう、と思ったのである。とにかく、その解説によれば、『イエスの生涯』は、遠藤周作が50歳の時に執筆され、しかも英語、イタリア語、中国語にも翻訳され、海外にも広い読書層を獲得し、昭和53年には国際的文学賞「ダグ・ハマーショルド賞」を受賞している、ということだった。 茂美はおもわず、ほおーと息を漏らし、すごい作家だったんだ!とつぶやいた。昭和53年といえば、当然、茂美は生まれていなかったし、俊夫と尚美もまだ結婚していなかったのである。なんかにかすごく歴史を感じたのである。このとき、茂美はまだ遠藤周作という作家の本当のすごさ、というものを知らなかった。そして、後に文化勲章を受賞したことやノーベル文学賞の候補になったことも茂美は知らなかったのである。 茂美はさらに巻末にある遠藤周作の作品を眺めてみた。 『白い人・黄色い人』芥川賞受賞 『海と毒薬』毎日出版文化賞・新潮社文学賞受賞 『沈黙』谷崎潤一郎賞受賞 『キリストの誕生』読売文学賞受賞 などたくさんのラインナップがあった。どれも茂美の興味をそそるものであった。しかし茂美は大きな欠伸をし、やばいよ、そろそろねないと!とつぶやいて、枕元のライトを、 ぱち、とオフにした。 おやすみなさい。 また、あした!
2014年01月19日
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高松家の夕餉はすっかり千枚漬けなど漬け物の話題で盛り上がった。茂美は、「そうか来月になれば、創立130周年記念やコンサートなどあって、忙しいけど、千枚漬けが食べられるのか。楽しみだよ!」と思ったのである。それと同時に父親が千枚漬けについて詳しく説明してくれたので、ただ食べるだけではなく、千枚漬けの作り方やその由来を知ることができたのである。 茂美はいつものようにお風呂に入り、さっぱりとし、お気に入りのピーターラビットのパジャマに着替え、そしてキッチンに行き、冷蔵庫からぎんぎんに冷えた麦茶を取り出し、それを旨そうにぐびぐびと飲んで、自分の部屋に戻った。 茂美は明日の授業、時間割を確認し、指定鞄に教科書、ノート、問題集など必要なものをどんどん入れた。そして明日の用意をしながらも、「やっぱり、もっと日本の伝統料理のことを、もっと勉強する必要があるよ」茂美はそう正直に思ったのである。父親の話もおもしろく勉強になったが、やはり自分でもいろいろ調べてみたり、いろんな人にも聞きたいなとも考えた。したがって、今度学校で〈料理部〉の先輩方やみんなと一緒に勉強したり、日本料理を作る楽しみも出てきた。さらにOGで、栄養管理士、調理師である田嘉里如子(たかざと・ゆきこ)や銭司幹美(ぜず・もとみ)、そして教来石彬子(きょらいし・あやこ)たちからも本格的に日本料理を学びたいなとも思ったのである。 茂美は明日の用意を終えると、いつものように夜寝る前の読書をする為に、読みかけの文庫本を何冊か机の上から、ベッドの枕元に持ってきた。そして枕元のライトを点け、そしていつものように部屋の明かりを消した。枕元だけがほんのりと明るくなった。これは茂美がもっともリラックスできる自分だけの空間、世界であった。 茂美はベッドの上で両手両足を大の字にぐっと伸ばし、うーん!とうなった。それから夏布団の中に潜り込み、腹ばいになった。茂美が手にし、広げた文庫本は、 遠藤周作の『イエスの生涯』(新潮文庫)だった。 もちろん文庫本は「古本ビッテ」で、105円で購入したものである。一応茂美はカトリック系の白雪学園高校に通っているので、もう少しキリスト教のことを勉強したいと思って買ったのである。茂美はカトリック作家である遠藤周作の名前は聞いたことがあったが、しかし本を読むのは今回が初めてだった。茂美は文庫本『イエスの生涯』裏表紙を見ると、 英雄的でもなく、美しくもなく、人びとの誤解と嘲りのなかで死んでいったイエス。 裏切られ、見棄てられ、犬の死よりもさらにみじめに斃(たお)れたイエス。 彼はなぜ十字架の上で殺されなければならなかったのか? 幼くしてカトリックの洗礼を受け、神なき国の信徒として長年苦しんできた著者が、 過去に書かれたあらゆる「イエス伝」をふまえて甦らせたイエスの〈生〉の真実。 と書かれていた。茂美は、うーむ、とうなったのである。
2014年01月18日
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なぜか賞味期限、または消費期限の話しから、たくあん、漬け物の話しに展開していた。 俊夫はたくあんについてのうんちくをたれていた。その話しに茂美も俊介も尚美も充分におもしろさを感じていた。 理科少年の俊介はいよいよ漬け物の話しに益々興味関心がわき起こっていた。「じゃあ、お父さん、高松家のご先祖様が食べた漬け物、つまり、京都の漬け物はどうなの?例えば、千枚漬けなんか有名だけど」と俊介が質問した。やはり、なんとなく学者肌を感じさせるものだった。 俊夫はうれしそうにぐっと胸をそらし、「やっと、われわれ高松家の、ご先祖様たちが活躍した京都の話しになったか。そうこなくちゃ、きちんと高松家の歴史をはじめ、ご先祖様のいた京都の歴史や食文化についても語り継ぐ、伝承しないといけないからね!」と、両目を輝かせていった。 尚美と茂美は互いに顔を合わせ、 お父さんの話、長くなるかも、 そーね、 と互いにつぶやいた。 しかしそんなつぶやきに動じる俊夫ではなかった!とにかく、「うむ、いまとしちゃんから千枚漬けについてのすばらしい質問があった。じつわな。千枚漬けというものは、かつては乳酸発酵漬け物だったんだよ。荒漬けで水がでてきた、かぶに昆布と少しのみりんで本漬けをしたんだ。それでだいたい2週間ぐらいすると、昆布の粘りがでて熟成するんだよ」俊夫が説明する。 その言葉に俊介も茂美も尚美も、 へえーと声を出す。「ところがだ。これには問題があるんだ。つまり、この発酵のやり方だと、確かに風味はよくなるんだけど、かぶの見た目がいまいちになる。つまり、美しい白色が黄色に変色してしまうんだよ。それに製造の日数が掛かりすぎるという難点もあった。ごほん!したがって、現在では、かなり省力化された酢漬けのやり方が主流となっているんだよ。千枚漬けは、薄切りにしたかぶをたくさん漬けることから、そう名付けられたんだよ。ま、京都らしい漬け物で、こりゃ食べたら旨い!」 俊夫の言葉に、茂美も俊介も尚美も、 うん!と大きくうなずく。 俊夫は満足そうに笑い、言葉をつなげる。「ただしだ、すぐきと並んで今では珍しい季節感のある食べ物なので、だいたい10月から3月頃まで売れれば終わりという店は多い。千枚漬けのルーツ、はじまりは、新京極、つまり修学旅行でなじみ深いと思うんだけど、その新京極にある漬け物の老舗の、ご先祖様が慶応元年、1865年にだ、京の御所の大膳寮の、料理方として聖護院かぶを使った漬け物を供したものが、最初だといわれているんだ。ようするに聖護院は、鹿ヶ谷、岡崎、吉田町とともに京野菜の発祥の場所なんだよ」 茂美も俊介も尚美も両目を大きく広げ、 ほおーと感嘆の声を挙げ、 お父さん、すごーい! と茂美と俊介がいった。 俊夫は、えへへへへと笑う。 さらに尚美は重要な質問する。「あなた、千枚漬けになるかぶをどのようにして、漬け物にするの?」 俊夫はいつしか腕組みし、「うむ、さすがはお母さんだ。なかなかするどい質問をする。千枚漬けは、かぶの皮むきから始まるんだ。かぶは、すぐきもそうなんだけど、皮が固いんですぐにむくことになっている。昔は、普通はもちろん手むきで、それから鉋(かんな)で薄切りする。そして、薄切りしたものを少しずつずらしながら重ねて、食塩で荒漬けし、翌日、作業は本漬けに移すんだよ。かつては、発酵法のやり方で本漬けしていたものを、今では、荒漬けのかぶに食酢、みりん、砂糖、少量の食塩を使って昆布と一緒に本漬けをする。だいたい5日ぐらいで完成するんだよ。そして、それを今度は小さな樽に移し、赤唐辛子、昆布、壬生菜(みぶな)を配して出荷するんだよ。ま、切り壬生菜を千枚漬けでくるくる巻いたりすると、見た目はとても良いよね!」と、説明し、大根のみそ漬けを口にほうばり、旨そうにぽりぽりぽりと食べた。 茂美も俊介も尚美も、俊夫の説明にいたく感動していた。と同時に家族のみんなは急に千枚漬けが無性に食べたくなった。 俊夫は、茂美や俊介や尚美の反応に、にっと笑い。 千枚漬けははやくても10月だよー! といったのである。
2014年01月17日
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俊夫は大根のみそ漬けをぽりぽりぽり食べながら、「お父さんは、最近は、食事は漬け物とご飯とおみそ汁があれば、それで充分だね」といった。 俊介は、少し意外な表情になり、「え、お父さん、そうなの?うーん、確かに毎日ご馳走を食べると飽きるかもしれないけど、だからといって毎日、漬け物とみそ汁とご飯だけじゃ物足りないと思うよ。今日みたいに牛肉を食べたり、お魚を食べたいときだってあるよ」といった。 その言葉に大きくうなずく姉の茂美だった。「あたいは、もっといろんなご馳走やデザート食べたいよ」と茂美は正直にいった。 俊夫は慌てて、「あ、ごめんごめん。もちろん、育ち盛り、成長過程にある俊介や茂美はちゃんとお肉もお魚もいろんなものをどんどん食べていいし、食べなきゃいけないんだよ。デザートもどんどん食べていい。お父さんの表現、言い方が悪かったね。ほら、今の時代、外で食べたいと思えば、いろんな便利なシステムがあって、外食できるし、コンビニもあるし、スーパーも充実している。それはそれでとても良いことだと思う。しかし例えば、食品など賞味期限切れ、ということがあるだろう?それが近くずくと値段が下がり、ま、割引になるのはいいとして、売れ残ったものや、まさに賞味期限が過ぎてしまうと平気で食べ物を捨ててしまうということに、お父さんはだんだんと疑問がふくらんできてしまっているんだよ」と俊夫は少し真面目な顔をしていった。「うーん、それは確かにそうだけど・・・でも、スーパーなんかではたいがいの人たちは、新しい日付の、賞味期限間ものものを買う傾向にあるんじゃない?」俊介がいった。「そうだよ、あたいなんかも、やっぱり、日付の新しいものというか、そういうものを選ぶけどね」と茂美がつづいた。「そーね、お母さんもやっぱりスーパーに行けば、ついつい手前に並んでいる商品よりは、奥の商品を選んでしまう傾向にあるわね」尚美もそういって、苦笑いする。「ま、それをみんな一律に、いけない、というのもちょっと酷かもしれないね。やっぱり、消費者はみんなどうしても新鮮なものを求めるからね。大根のみそ漬けを食べていて、ついついお父さんの子供時代を想い出したんで、なんかこういう話しになっているんだけど。例えば、今日は大根のみそ漬けだけど、お父さんは、たくあんも大好物で、みんな知ってると思うけど。それでね、今のたくあんは昔のたくあんと随分ちがうんだよ。茂美も俊介も知らないと思うけど」俊夫は娘と息子の顔を見た。「お父さんの子供時代のたくあん、て、どんなものだったの?」茂美は大根のみそ漬けを旨そうにぽりぽり食べながら聞く。俊介も興味深そうに父親を見る。「うん、お父さんの子供時代は、いわゆる昔の昭和40年代なんだけど、その当時のたくあんは、樽の中に糠漬けされていて、店頭の対面販売で1本ずつ取り出して包装紙、つまり新聞紙なんだけど、それにくるんで売ってくれたんだよ。もちろん賞味期限なんていうもんはないし、ビニールに入っていない。加えて今みたいな表示は一切ない。とにかく誰もそんなこと気にしなかったんだよ。だから家に持ち帰って、すぐに食べてしまうことが多かったからね」俊夫は遠くの昔を思い出すようにいった。 母親の尚美はくすくす笑い出していた。 茂美も俊介も父親の話しにいつになく新鮮なものを感じていた。俊夫の話はまだつづくのであった。
2014年01月16日
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ぽりぽりぽりぽり!と快音がダイニングに響く。 茂美は大根のみそ漬けを旨そうに食べる。清水焼の皿に山盛りの大根のみそ漬けがのかっている。この漬け物は、先日俊夫が、職場の同僚、信夫山寿季(しのぶやま・ながすえ)先生の畑から大量に大根を仕入れてきたものである。 とにかく高松家の夕餉である。俊夫と尚美、そして俊介もいつものように家族みんな揃って食事をする。最近は仕事が忙しく俊夫がいなかったり、尚美がいない時もあるし、茂美が遅くに帰宅する時もある。場合によってはみんなが揃って食事ができるのであれば、食事の時間を後にずらすこともある。とにかく高松家の基本は家族みんな揃って食事をすることに変わりはない。「今日は、東園桔梗先輩がすばらしい歌声を披露してくれたんだよ。ほんとうにすごかったよ」茂美はどんぐりまなこをまんまるにしていった。そしてご飯を口に入れ、両頬をふくらませた。「ミラノ・スカラ座の専属歌手とはそういうものなのよ」尚美は炒めた黒毛和牛を旨そうに食べる。「なにせ世界最高峰の歌劇場だからね。ヴェルディやプッチーニなどの名だたるオペラ作曲の作品が初演されている由緒正しきオペラ・ハウスだからね」俊夫も黒毛和牛を旨そうに食べる。 俊介も黒毛和牛に箸をそろりと伸ばそうとしたが、 突然に素早く茂美が箸を黒毛和牛にのばし、むんずと肉の塊をつかんだ。そして、 えへへへへと笑い、でかい口を開けて黒毛和牛をもぐもぐもぐ食べた。俊介は横目でじろりと姉を見た。しかし姉の茂美は何食わぬ表情で、「ほら、としすけ!大根のみそ漬け、まだ、いっぱいあるよ!」といった。 まったく! 俊介はそうつぶやくと大根のみそ漬けに箸をやり、口に運びぽりぽりぽりと快音を響かせたのである。 やれやれである。
2014年01月15日
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2曲目が終わり、やはり東園桔梗は大きな拍手に包まれた。 「さて、本日の3曲目は、フランツ・シューベルトの歌曲をおおくりします。〈9つの歌曲〉の中から、《音楽に寄せて》D547です。作曲は1817年にされたものです。作詞は、フランツ・フォン・ショーバーのものです。やさしい芸術よ、で歌い始まるこの歌曲は、まさにタイトル通り、芸術、そして音楽に心から感謝するものとなっています。私が、高校3年間、白雪学園で音楽を学ぶことができたことは本当に口ではいいあらわせないほど幸せなことでした。きっと、将来生徒のみなさんの中にも、本格的に音楽の道に進む人もいることと思います。音楽や芸術は、かならずや私たちを豊に成長させてくれます。そう信じて日々の学園生活を送ってください」 東園桔梗は満面の笑みを浮かべて、そう全体に語りかけた。 そのメッセージに茂美はもちろん、親友たちも3年生2年生の先輩方も大いにうなずくものがあった。 八幡八五郎景時先生は、テンポ良く歯切れの良いリズムを刻む。そのふくよかで、少し哀愁を帯び、心に染みいるようなピアノの、シューベルトの旋律が第二音楽室に響き渡る。いつしか〈ザ・ホワイト・スノーズ〉のメンバーたちも第二音楽室の後ろで聴いていた。 フランツ・シューベルト《音楽に寄せて》D547(1817年);ドイツ語 やさしい芸術よ、何と数多くの灰色の時、 人生に容赦なくわずらわされたときに、 私の心に火をつけて暖かい愛情を感じさせ、 よりよい別の世界に運んでくれたことでしょう! あなたの竪琴から流れ出るため息が、 あなたの甘く清らかな音階が しばしば私によりよい時の天国を開いてくれました、 やさしい芸術よ、私はそれをあなたに感謝いたします! 東園桔梗は、ドイツ語で高らかにシューベルトを歌いきった。東園桔梗の顔はきらきらと輝いていた。 そのあまりの見事さ、美しさに茂美の小さな胸は感動で震えていた。 なんてすばらしい演奏なんだよ! なんて美しい音楽なんだよ! なんて音楽の力はすごいんだよ! 茂美はそう何度も心の中で声を挙げた。そして、いまにもどんぐりまなこから涙がこぼれそうになったのである。
2014年01月14日
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大きな拍手が鳴りやんだ後、東園桔梗は静かに語り出す。 「みなさん、ありがとうございます。次の2曲目はみなさんよくご存じの、アイルランドの民謡を歌います。《ザ・サリー・ガーデン(柳の庭園を横切って)》です」というと、 茂美と外山桜は互いに顔を合わせ、両目を大きく開いた。 さらに茂美は豊岡美園や三室戸志乃とも視線を交わし、 ザ・サリー・ガーデン! と、つぶやいた。茂美も外山桜も、そして豊岡美園も三室戸志乃も大好きなイギリスの歌だった。東園桔梗は言葉をつづける。 「よくイギリス民謡と紹介されることがありますが、正式には、アイルランド民謡です。これはアイルランドの代表的詩人、ノーベル文学賞を受賞した、ウイリアム・バトラー・イェイツが、スライスゴーのベリソディアという村で農業を営む、ある年老いた女性が時々ひとりで思い出しながら歌った3行の不完全な古い歌を、もう一度整理し、そしてアレンジして完成させたアイルランド民謡なのです。歌は、一緒に柳の庭園を歩いた少女を追想しながら、彼女は愛と人生をゆっくりと受け入れるようにと伝えたのに、自分、つまり男性は、若く愚かだったので、その少女の言葉を素直に受け入れることが出来なかったことを後悔して涙する歌なのです。お聴きください」東園桔梗はそう言い終えると、ピアノ伴奏の八幡八五郎景時先生に目をやった。 八幡八五郎景時先生は、軽くうなずくと、穏やかであるがしっかりとしたタッチでピアノを響かせる。 《ザ・サリー・ガーデン》(アイルランド民謡:ウイリアム・バトラー・イェイツ詩)英語 サリー・ガーデンの近くで 私は愛しいあの人と出会いました、 彼女はサリー・ガーデンの横を通り過ぎました その小さな雪のような白い足で。 彼女は私に愛を急がずに、と頼みました、 木々に木の葉が生い茂るように育もうと。 でも若く、愚かだった私は、 彼女の言葉を素直に聞き入れられなかったのです。 川の畔の野原に 私は愛しいあの人と立っていました、 そして私が寄せた肩に その雪のように白い手を載せました。 彼女は私に生き急がないでと頼みました、 草が川縁に生い茂るようにゆっくりと。 でも若く、愚かだった私は、 今では悲しみの涙を流すばかり。 茂美はうっとりしながらも、こんなにも素敵に歌われる、心に染みいる《ザ・サリー・ガーデン》を聴いたことはなかった。そして、益々この歌が大好きになったのである。
2014年01月13日
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休憩、そして歓談が終わると「交流会&歓迎会」の第二部が始まる。 司会のマイクを握る井草温子が、「みなさん、お静かにお願いします!」といった。 そのアナウンスに第二音楽室は静かになる。 いよいよ東園桔梗がみんなの前で歌を披露する時がやってきた。 茂美をはじめ、1年生の親友たち、3年生や2年生の先輩方も期待に胸がふくらむ。 東園桔梗は白いブラウスに濃紺のスカートという清楚な出で立ちで現れた。華やかなオペラ歌手という印象はまったくなかった。そしてピアノ伴奏は八幡八五郎景時先生が務める。久しぶりの師弟との共演ということである。八幡八五郎景時先生はブレザーにネクタイ姿である。これも特に形式張ったものではなかった。どちらかといえば、普段どおりということである。それでも八幡八五郎景時先生は、持参した少し使いふるした楽譜をピアノの楽譜だいの所に乗せた。 茂美も外山桜も豊岡美園も三室戸志乃も胸のところで手を合わせ、息を呑んで演奏を待つ。 八幡八五郎景時先生が東園桔梗に両目をやると、 東園桔梗は大きくうなずき、 Les Roses D'ISPAHAN イスファハンのばら、 と全体を見渡していった。 茂美のどんぐりまなこがまんまるになり、 あ、フォーレだよ! とつぶやいた。隣の外山桜も豊岡美園も三室戸志乃もこくりとする。 ガブリエル・フォーレ《イスファハンのばら》作品39-4(ルコンド・ドリール詞)〈1曲目〉フランス語。 ガブリエル・フォーレの典雅な穏やかなピアノの旋律がつむぎだされる。そして東園桔梗はゆっくりと静かに歌い出す。 苔に蔽われたイスファハンのばらも、 ムスルのジャスミンも、オレンジの花も、 おお、白いレイラよ、おまえの軽やかな息吹ほど、 さわやかな薫りを持たぬ、甘い匂いを持たぬ。 あまえの唇は珊瑚、軽やかなおまえの笑いは、あふれ出る 泉の音よりよく響く、もっと甘美な声で響く、 オレンジの木をゆする、晴れやかな風よりも、 苔の巣のふちで歌う鳥よちも、よく響く。 東園桔梗は両手を胸の下のところで組む。 そして東園桔梗はなんの力みもないのに、そのソプラノの透明感ある美しい響きは第二音楽室全体に響き渡る。 加えてフランス語の発音も完璧だった。 フランス語の日野友子先生は腕組みしながらも、うーむ、とうなる。 ピアノ伴奏の八幡八五郎景時先生は、少し笑みを浮かべるかのように、ピアノの鍵盤を、自然に優雅にあやつる。その音色は、あたかも騎士のエスコートを思い浮かべさせるもであった。 第二音楽室からは、ため息とも思えるものがもれ出る。 そして茂美も口を半分あけ、うっとりと東園桔梗を見つめ、フォーレの世界に浸るのであった。
2014年01月12日
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東園桔梗を迎えての「交流会&歓迎会」第1部が終わり、しばし歓談のタイムといなった。 もちろん演奏が終了した茂美たちおぺしゅうけんのメンバーは、どどどどとテーブル席に戻った。 茂美もようやく美味しいサンドイッチやスコーン、ロール・ケーキにぱくつくことができた。茂美は両頬をぱんぱんにふくらませる。隣の外山桜も豊岡美園も三室戸志乃も同じように両頬をすくらませる。もちろん3年生や2年生の先輩方も〈料理部〉の作ったお菓子をほうばる。 さらに〈料理部〉の面々がたくさんのお菓子やサンドイッチを作って、ふたたび第二音楽室に戻ってきた。 「おーし!たくさん作ってきたから、遠慮なく食べな!」部長の赤錆紀子がいった。 部員の安居錦子や黒羽稔美、佐八遙、塩生但子、青具あきらたちはワゴン台の手作りのお菓子やサンドイッチを配った。第二音楽室はまたわいわいがやがやと賑やかな雰囲気に包まれた。 このとき八幡八五郎景時先生と東園桔梗は一緒に3年生2年生の順に回っていた。八幡八五郎景時先生は東園桔梗におぺしゅうけんの後輩たちを正式に紹介するためである。 東園桔梗はそれぞれ3年生や2年生の先輩方と交流した後、茂美たち1年生の所にやってきた。 茂美たち1年生は慌ててお菓子やサンドイッチを食べるのを止め、全員起立した。 茂美は緊張していた。 もちろん他の親友たちも緊張する。 八幡八五郎景時先生はにこやかに、そして順番に、 神足左織さん、西堅綾花さん、忠蔵院恭子さん、慈門院正美さん、五大院信代さん、そして、鷹司房子さん、正親町三条さゆりさん、広幡陽子さん、豊岡美園さん、三室戸志乃さん、ソプラノの外山桜さん、そして高松茂美さんです、とそれぞれを丁寧に紹介したのである。なぜか、茂美は一番最後に紹介された。 東園桔梗は、ひとりひとりの名前を呼びながら、よろしくね!とあいさつをし、握手した。そして、最後の茂美にも、 あなたが高松さん、よろしくね!と、東園桔梗は笑みを浮かべながら、茂美と握手した。握手は思った以上にしっかりと握られた。そして東園桔梗の手はとてもあたたかいものだった。 茂美はうれしさと照れながらも、両頬をピンク色に染め、 ひがしぞのせんぱい、よろしくおねがいします! と元気にこたえ、いつものように、 えへへへへと笑ったのである。
2014年01月11日
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指揮者井草温子の側に、外山桜が立つ。そして井草温子の右手が素早く振られる。 東園桔梗は、あどけなくかわいらしい外山桜に注目する。 弦楽八重奏は、ゆったりと穏やか、そしてエレガンスな旋律を奏でる。 《ぼくの恋人》シャンソン;フランス語 〈コーラス〉+〈弦楽八重奏〉+〈ソプラノ〉:外山桜 ぼくの恋人は柵のなか 小さな可愛い庭のなか バラとスズランが育ち タチアオイも生い茂る庭のなか。 可憐で美しいフランス語が第二音楽室に響く。学年主任の日野友子先生が両目をまんまるにする。 まあー本格的なフランス語、シャンソンなのね! フランス語の教師である日野友子先生は、そう声を挙げた。 庭はこの上なく美しく心地よく ありとあらゆる花がいっぱい咲き乱れ ここにいると最高に幸せ 昼だって夜だって。 〈ソプラノ〉:外山桜 ナイチンゲールの歌声ほど 甘く麗しいものはない 夜から明け方までさえずり それに飽きるとひと休み。 外山桜は、美しいソプラノをふるわせる。それが第二音楽室に響き渡った。 東園桔梗は驚きの表情になった。 まあーなんてすばらしい声なの! 隣のマネージャーの岩作アンリも唖然とした表情をし、とても高校1年生とは思えない、とうなった。 〈コーラス〉 ぼくはいつか彼女が摘むところを見た 緑の野に咲くスミレの花を 今までに見たなかで最高にきれいな花を ぼくの好きなうっとりする花。 〈ソプラノ〉:外山桜+〈コーラス〉 ぼくの恋人よ、甘いバラの花よ。 井草温子は、右手をぐっと握り、それと同時に弦楽八重奏の優雅な調べが閉じられた。 第二音楽室はやんやの拍手が起こった。 東園桔梗も岩作アンリも椅子から立ち上がり、感激の趣で拍手を送ったのである。 外山桜はエレガントにお辞儀をしたのである。
2014年01月10日
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第二音楽室はすっかりと明るい雰囲気に包まれていた。 ドイツ民謡の《緑の森の小鳥》の余韻がまだ残っていた。 第二音楽室につめかけた生徒たちや先生方も、そして深堀静子校長先生も飛田給敦子教頭先生も、美味しそうにスコーンを食べ、ロイヤルミルクティを飲む。おぺしゅうけんの生演奏を聴きながらの、ちょっとした優雅なアフタヌーンティーという趣だった。 東園桔梗も久しぶりに母校での、茂美たち後輩たちの演奏を愉しんでいた。そして、かつての自分も今日と同じように音楽にのめり込んでいた高校時代を懐かしく想いだしていた。そして東園桔梗は隣にいるマネージャーの岩作アンリと、高校時代の話しに花が咲いていた。 ちょうどその時、八幡八五郎景時先生が楽譜を手にしながら東園桔梗の側にやってきて、なにやら2人で打ち合わせを始め、東園桔梗も楽譜を八幡八五郎景時先生と一緒に見る。 八幡八五郎景時先生の言葉に、東園桔梗は何度も大きくうなずいた。 おぺしゅうけんの歓迎のための演奏の後、いよいよ東園桔梗が生演奏するのである。その様子をコーラスの所にいた、茂美や外山桜、正親町三条さゆり、神足左織、西堅綾花、忠蔵院恭子、慈門院正美、そして五大院信代たちは、じっと見ていたのである。 茂美も外山桜も、 ああーはやく、ききょうせんぱいの歌を聴きたいよ!とか、 ああーすごく、楽しみだわ!とか、 胸を高鳴らせていたのである。 部長の井草温子は、第二音楽室を見渡し、そして目で同じ3年の二荒昌江に合図を送った。 それを受けてヴァイオリンの二荒昌江が大きくうなずき、やおら椅子から立ち上がりチューニングの為の音を出しはじめた。 それに合わせて、やはりヴァイオリンの豊岡美園、鷹司房子、ヴィオラの福羽舞子、溶目稔子、さらに、チェロの東松原みどり、綾田町淑恵、そして今度はピアノ演奏する三室戸志乃も、音を合わせていた。 らあああああああああああー というチューニングの響きが音楽室を包む。 その様子に和気藹々と懇談していた第二音楽室はだんだんと静かになっていった。八幡八五郎景時先生も東園桔梗の側から離れた。東園桔梗と岩作アンリは、ふたたび後輩たちに目をやったのである。 指揮はそのまま井草温子が務める。そして井草温子は両手をすっと挙げた。 これからいよいよ、おぺしゅうけんの3曲目の演奏が始まるのである。
2014年01月09日
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1曲目の《ロッホ・ローモンド》が終わると、東園桔梗は胸がいっぱいになっていた。 「なんて、すばらしいの!」 東園桔梗はそう声を挙げ、隣にいたマネージャーの岩作アンリ(やさご・あんり)を見た。岩作アンリはそれに応えるかのように、笑みを浮かべた。 「ききょう、あなたの後輩たちの努力、そして先生の指導の賜物ね。今のあなたがあるのがよくわかるわね」と、岩作アンリはそういって、うなずいた。 「2曲目がはじまるわね!」東園桔梗は後輩たちの演奏に両目を輝かせる。 ピアノ伴奏だった部長の井草温子は、今度は指揮者として、おぺしゅうけんの前に立った。そして指揮を務めた生田みずほは、コーラスの中に入った。 井草温子はおぺしゅうけんを見渡し両手を構え、素早く右手を振った。弦楽八重奏は、明るい旋律を奏でる。 《緑の森の小鳥》(ドイツ民謡)ドイツ語: 〈コーラス〉+〈弦楽八重奏〉 緑の森の小鳥が 結婚したいと考えた フィデラララ、フィデラララ、フィデラララ うたつぐみが花婿さん 花嫁さんはくろうたどり フィデラララ、フィデラララ、フィデラララ ひばり、ひばりは 花嫁を教会に フィデラララ、フィデラララ、フィデラララ やましぎ、やましぎは 牧師を務めた フィデラララ、フィデラララ、フィデラララ しじゅうから、しじゅうからは 「キリエ」と歌う フィデラララ、フィデラララ、フィデラララ かもとあひるは 音楽隊 フィデラララ、フィデラララ、フィデラララ 長い尾のくじゃくは ファースト・ダンスを花嫁と フィデラララ、フィデラララ、フィデラララ れんじゃく、れんじゃくは ブライズメイドのコーラスを歌った フィデラララ、フィデラララ、フィデラララ しちめんちょうは しちめんちょうは 長い顔をさらに伸ばした フィデラララ、フィデラララ、フィデラララ 花嫁の母はふくろうだった 彼女は別れを告げて、ほうほうと鳴いた フィデラララ、フィデラララ、フィデラララ 小さなふぃんち ふぃんちは 花嫁花婿を結婚の間に導いた わしみみずく わしみみずくは 日除けを下ろす フィデラララ、フィデラララ、フィデラララ こうもり こうもりは 花嫁の靴下を脱がせる フィデラララ、フィデラララ、フィデラララ めんどりさん めんどりさんは みんなにお休みのキスをする フィデラララ、フィデラララ、フィデラララ 若者のおんどりは 若者のおんどりは 「お休み」と鳴き 部屋のドアが閉められる フィデラララ、フィデラララ、フィデラララ 緑の森の小鳥が 結婚したいと考えた フィデラララ、フィデラララ、フィデラララ お休み! いつのまにか第二音楽室は手拍子が起こっていた。東園桔梗も岩作アンリも他の先生方もみんな手拍子をしたのである。 茂美たちおぺしゅうけんの、明るく、陽気なドイツ語が第二音楽室に響いたのである。
2014年01月08日
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おぺしゅうけんの弦楽八重奏のメンバーは、 ヴァイオリン:3年二荒昌江(ふたら・まさえ)、1年豊岡美園、1年鷹司房子 ヴィオラ:2年福羽舞子(ふくば・まいこ)、2年溶目稔子(うてめ・としこ) チェロ:2年東松原みどり(ひがしまつばら・みどり)、2年綾田町淑恵(おいでんまち・すみえ) そしてピアノは、3年部長井草温子、メッゾ・ソプラノは、3年薬師藤子(やくし・ふじこ)、〈コーラス〉は茂美たち1年2年3年の部員たちがずらりと並び、スタンバイした。 指揮は、2年の生田みずほ(いくた・みずほ)で、メッゾ・ソプラノの薬師藤子の隣に立つ。第二音楽室の私語は止み、しーん!となった。 東園桔梗は、まだあどけない顔の制服姿の後輩たちをまぶしそうに見つめていた。それと同時に、かつての同じように白雪学園の制服を着ていた、自分の姿と重なっていた。その東園桔梗の様子を、八幡八五郎景時先生も穏やかな表情で見つめる。八幡八五郎景時先生は、やはり、かつての女子高校生だった東園桔梗の姿をダブらせていたのである。 指揮者の生田みずほは、両手を挙げ、構える。そして、視線でピアノ伴奏の井草温子と弦楽八重奏のメンバーに送ると、 ピアノと弦楽の哀愁を帯びた旋律が流れ出した。それはゆったりと穏やかな響きであった。 《ロッホ・ローモンド》(スコットランド民謡) 〈メッゾ・ソプラノ〉;薬師藤子 向こうに見える美しい崖と丘 太陽は明るい光を、ロッホ・ローモンドに注いでいる でも心から愛した君と僕は、二度とあそこには行かないだろう 美しいロッホ・ローモンドの崖には 〈コーラス〉 君は上の道を、僕は下の道をとり 君より先にスコットランドに着くだろう でも僕は心から愛した人に、二度と会うことはないだろう 美しいロッホ・ローモンドの崖では 〈メッゾ・ソプラノ〉;薬師藤子 私たちが別れを告げたのは、向こうの渓谷の陰 ベン・ローモンドの険しい崖の上 ハイランドの丘が深紫色の光に包まれ 黄昏の中を月が昇っていた 〈コーラス〉 君は上の道を、僕は下の道をとり 君より先にスコットランドに着くだろう でも僕は心から愛した人に、二度と会うことはないだろう 美しいロッホ・ローモンドの崖では 〈メッゾ・ソプラノ〉;薬師藤子 小鳥は歌い、野の花は咲きそろう 太陽の光を浴びて、水面は静かに眠る でも傷ついた心は、二度と春を迎えることはない 会うことで生まれた悲しみは、薄らぐかもしれないが 〈コーラス〉 君は上の道を、僕は下の道をとり 君より先にスコットランドに着くだろう でも僕は心から愛した人に、二度と会うことはないだろう 美しいロッホ・ローモンドの崖では 第二音楽室は、スコットランド民謡のハーモニーに包まれたのである。
2014年01月07日
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第二音楽室。 額縁のバッハの肖像画は威厳をもってみんなを見下ろす。 東園桔梗はマイクを手にし、大勢の生徒や先生方の前に立った。 第二音楽室は静かだった。 茂美や親友たち、おぺしゅうけんのみんなは真剣な眼差しを東園桔梗にそそいでいた。「きょうは、たくさんのみなさんに集まっていただき、そして、交流会と歓迎会を開いていただき、感謝しております。私が白雪学園でお世話になったのかなり大昔の話しですが、しかし本校で学んだことはたくさんありました。とても充実した高校生活を送ることができたのも、先生方や同級生、友人たち、そして回りのみなさんのおかげと思っております。私が音楽の道へ進む大きな転換となったのは、やはり、オペラ・宗教音楽研究部に入り、活動したことが大きかったと思います。顧問の八幡八五郎景時先生を中心に、当時は今よりずっと少ない人数で活動していましたし、他の部活から見ると、とても地味で目立たない存在だったと思います。それでも八幡八五郎景時先生、そして先輩方や同級生、後輩たちと限られた人数であっても、とても内容のある充実した音楽活動ができたと思います。そのような状況にあって、音楽とは何か、歌うということは何か、演奏するとは何か、ということを学びました。そうです。私や、当時の仲間たちは、八幡八五郎景時先生に徹底的に指導を受け、そのことが今日の私をかたち、基礎をつくったともいえるかもしれません。そして、大学進学は、八幡八五郎景時先生の母校でもある聖アウグスチヌ音楽大学の声楽科へ迷わずに決めたのです」と、東園桔梗はたんたんと語る。 茂美のどんぐりまなこは、東園桔梗に釘付けとなっていた。それは他の親友たちも同じだった。 「こうして見渡してみますと、現在のオペラ・宗教音楽研究部は、とくに1年生のみなさんがたくさん入部され、それに加えて有志のメンバーのみなさんが、オペラ・宗教音楽研究部のために、一緒に活動してくれていることに、私は深い感動を覚えています。さすが、われらが顧問八幡八五郎景時先生だけはある、とそう強く思っています。もちろん他の先生方やみなさんの協力、応援があって今日に至っていると思います。それにどうでしょう。料理部のみなさんが、私を歓迎してくれるために、手作りのクッキーやスコーン、そしてサンドイッチなどを準備してくれました。当時の私たちにとっては、あり得ないことでしたから。なんともうらやましい限りです。料理部のみなさん、ほんとうにありがとうございます」 東園桔梗は、白衣を着た〈料理部〉の面々の方に身体を向け、感謝の気持ちを述べ、頭を下げたのである。これには音楽室の隅にいた赤錆紀子をはじめ〈料理部〉の面々も突然のことに慌て、そろって頭をぺこりと下げたのである。 「きょうは、みなさんの演奏を聴くことができるということで、非常に楽しみにしてやって参りました。みなさんの演奏の後、私の演奏も聴いていただければと思います。そして、来年の夏、みなさんは、ローマのヴァチカン、サン・ピエトロ大聖堂で記念コンサートを行うという、ビッグニュースも聞きました。これもたいへん喜ばしく、光栄のあることだと思います。私も陰ながら、みなさんのお手伝い、協力ができればと考えております。今日は、短い時間ではありますが、みなさんと一緒に交流会を愉しみたいと思います。ほんとうにありがとうございました」と、東園桔梗が満面の笑顔であいさつすると、 第二音楽室の茂美たちや大勢の生徒たち、先生方からたくさんの、われんばかりの拍手が起こったのである。 司会の井草温子は、東園桔梗が椅子に座るのを見届けると、「それでは、みなさん!料理部の、てづくりのお菓子やサンドイッチなどを食べながら、第1部に参りたいと思います。まず、第1部は、東園桔梗先輩の歓迎の気持ちを込めて、われわれおぺしゅうけんの演奏をお届けします!」といった。 茂美は思わずサンドイッチにそろりと左手を伸ばすと、電光石火のごとく、 ばし!と豊岡美園に手をはたかれ、「ばかもん!サンドイッチ、クッキー、スコーン、ロール・ケーキ、たべんのは、演奏が終わってからじゃ!」 とおこられたのである。 茂美は左手をひっこめ、 すんません・・・ と上目遣いに豊岡美園を見て、つぶやいたのである。
2014年01月06日
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茂美たち1年生をはじめ、2年生3年生総出でテーブルと椅子を並べた。もちろん本日のゲストである東園桔梗の席もちゃんと用意された。 うちうちの小さい「交流会&歓迎会」のつもりだったが、しかし第二音楽室にはどんどん他の生徒や深堀静子校長先生をはじめ、他の先生たちもぞくぞくとやってきた。 こんなことなら「マリアホール」か「カフェルーム」にすればよかったよ、と茂美はつぶやいたが、しかし仕方ない。本日は第二音楽室で「交流会&歓迎会」をやるのである。そして、 ピアノの側には、弦楽演奏をするためのちょっとしたステージが作られた。編成は、ヴァイオリン3、ヴィオラ2、チェロ2+ピアノというものであたかも弦楽八重奏のようなものだった。これは大先輩の東園桔梗の歓迎の気持ちを込めて、おぺしゅうけんのメンバーが中心となって演奏する。それ以外の茂美たちメンバーはコーラスとして演奏を披露するのである。 さらにである。 それから白衣を着た〈料理部〉のおなじみの面々、つまり部長の3年赤錆紀子(あかさび・きこ)をはじめ、同じく白衣を着た3年黒羽稔美(くれは・としみ)、2年安居錦子(あご・きんこ)、同じく2年佐八遙(そうち・はるか)、そして1年の塩生但子(しおなす・ただこ)と青具あきら(あおく・あきら)たちは、つぎつぎと、焼きたてのクッキーやらスコーンやらロール・ケーキやら、さらに生ハムや野菜のサンドイッチも第二音楽室に運んできた。軽食とはいえ、さすが本格的なものを〈料理部〉は作ってきたのである。 ちょっとしたイギリスふうの〈アフタヌーンティ〉である。 〈料理部〉はどんなときも手を抜かない! それが信条である。 この内容に茂美たちおぺしゅうけんや先輩方も驚きと喜びの歓声を挙げた。もちろん茂美も外山桜も豊岡美園も三室戸志乃も、 うおーうまそー! おいしそー! と両目をまんまるにした。 茂美も外山桜も旨そうなロール・ケーキやスコーン、そしてサンドイッチに両目が釘付けとなる。 さらに茂美は、あたいたちが演奏してると、ロール・ケーキやスコーンやサンドイッチ、食べられるかな、と今から心配していた。茂美の頭の中は、もちろん東園桔梗先輩との交流会&歓迎会のこともあったが、目の前に登場した美味しそうなロール・ケーキやスコーンやサンドイッチのことも非常に気がかり、心配なのである。 仕方ない。ねっからの食いしん坊だから。 さらに〈料理部〉の面々は、ワゴンにロイヤルミルクティやミルクコーヒーなどの飲み物を運んできた。はじめは赤錆紀子は、うちうちでこじんまりとやるからと、おぺしゅうけんの部長の井草温子から聞いていたのだが、いざ、蓋を開けるとたくさんの仲間や先生たちが第二音楽室に押しかけてびっくりぎょうてんしたのである。 しかし赤錆紀子は、部員たちにどんどん作ることを命じたのである。こんなこともあろうかとあらかじめ食材はたくさん注文していたのである。 とにかく第二音楽室は、満員状態ながらもなんとか「交流会&歓迎会」の準備ができた。顧問の八幡八五郎景時先生は井草温子に、キュー、つまり合図を送った。 司会の井草温子が、マイクを手にしながら、「さて、これよりわたしたちの大先輩である東園桔梗さんをお迎えします。みなさん盛大な拍手をどうぞ!」といった。 第二音楽室は大きな拍手につつまれた。 そして東園桔梗とマネージャーの岩作アンリが姿を見せると、 さらに拍手は大きくなり、歓声も挙がったのである。
2014年01月05日
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白雪学園高校体育館は、盛大な拍手がわき起こっていた。茂美や1年生の親友たちも両手が赤くなるほど、さかんに拍手をした。 午後は体育館で全校生徒、そして教職員を対象に、東園桔梗の特別講演会は行われた。 テーマは、 「私の音楽の歩み―イタリア・ミラノに留学して」 であった。東園桔梗は母校である白雪学園高校を卒業すると、聖アウグスチヌ音楽大学・声楽科に進学し、やがてイタリアはミラノ音楽院に留学し、ミラノ・スカラ座でデビューするまでの音楽人生の歩みを茂美たち全校生徒に語ったのである。 おぺしゅうけんの部長井草温子は生徒代表をして、部活の大先輩でもある東園桔梗に花束を渡した。花束は季節の花々を見事にアレンジしてあった。 花束を手にした東園桔梗は、喜びの笑みを浮かべ、ありがとうございます!と礼を述べた。花束をアレンジしたのは、華道部の顧問日野友子先生だった。日野友子先生にとっても東園桔梗は自慢の教え子だったのである。とにかく、 体育館の拍手はさらに大きく鳴り響く。 大きな歓声も挙がった。 演台から降りた東園桔梗は、深堀静子校長先生の後につづいて体育館を後にした。そしてその後を追うかのようにマネージャーの岩作アンリもつづいたのである。 「うーん、ほうとうに良かったよ!」茂美が興奮気味にいうと、隣の外山桜も、 「ききょうせんぱい、ほんとうにすごいわ!」とつづいた。豊岡美園も三室戸志乃も、 「やっぱり、イタリアは、ミラノに留学するだけでもたいへんなのに、実力が認められて、プロのオペラ歌手になるんだからすごいよ!」豊岡美園はそういった。 「後でさ、ききょうせんぱいにいろんなことを聞こうよ!」切れ長の両目を大きく開いて、三室戸志乃もそういった。その言葉に、茂美も外山桜も豊岡美園も、 うん! と大きくうなずいた。 東園桔梗は応接室でしばらく休憩した後、いよいよ想い出の第二音楽室、おぺしゅうけんの後輩たち、茂美たちと交流会をするのである。 茂美たち1年生はもちろん3年生2年生、そして有志のメンバーたちみんなは、急いで第二音楽室に戻り、交流会の準備をする。準備とはいっても大袈裟なものではない。ソフトドリンクやクッキーなどのお菓子をつまみながら、東園桔梗と楽しい催しをする。もちりん歓迎の音楽も披露する。 さらに東園桔梗の生演奏も聴くことができるし、もしかしたら特別レッスンもあるかもしれない。 茂美の小さな胸がどんどんどんと高鳴っていたのである。
2014年01月04日
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1台の黒塗りのセダンが白雪学園高校の正門前に停車した。車の中から東園桔梗とマネージャーの岩作アンリ(やさご・あんり)が降りた。東園桔梗はシックなスーツを着ていた。 そして正面玄関には、八幡八五郎景時先生をはじめ、深堀静子校長先生、飛田給敦子教頭先生、裏松俊光先生、竹屋晴資先生、竹生渥頼先生、さらに日野友子先生、小笠原長子先生、長船武美先生たちがずらりと並んでいた。そして、生徒を代表して、おぺしゅうけんの部長井草温子と副部長の生田みずほがいた。 正面玄関の奥、ホワイエには、茂美たち1年生をはじめ、おぺしゅうけんの部員と有志のメンバーたち、そして他の生徒たちも鈴なりになって、東園桔梗の到着を首を伸ばして待っていた。 茂美も外山桜も豊岡美園も三室戸志乃も他の親友たちみんなも、 ああーどきどきするよ、 はやく、あいたいよ! そう口々にいいながら瞳を輝かせていた。「ききょうさん、お帰りなさい。よく来てくださいました。今日の日を待ちかねていましたよ」と、八幡八五郎景時先生は満面の笑みを浮かべて東園桔梗を出迎えた。「八幡八五郎景時先生、おひさしぶりです!とてもお会いしたかったです」東園桔梗も満面の笑みを返す。 そして、深堀静子校長先生、飛田給敦子教頭先生も、「ひがしぞのさん、お元気そうで、なによりです」と言葉を掛けた。 ミラノ・スカラ座の歌手、東園桔梗がホワイエに姿を現すと、 きゃー! ききょうせんぱーい! 東園桔梗せんぱーい! わあー! という生徒たちの大歓声があがり、出迎えの拍手が一斉にわき起こった。ホワイエは騒然となった。 茂美は、東園桔梗の華やかにして優雅でスタイリッシュな姿に、そして本物のプロのオペラ歌手を目の当たりにしてすっかりと心を奪われていた。 うおおー!なんてすてきなんだよー! 茂美はどんぐりまなこをまんまるにして、声を挙げたのである。
2014年01月03日
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「ききょう!あんた、すごいじゃなーい!」そう声を挙げたのは、聖アウグスチヌ音楽大学の時の同級生、親友の大谷光子(おおたに・みつこ)だった。大谷光子は久しぶりに親友の姿を見て、声を挙げたのである。 「おかえりーききょう!」 「ミラノ、スカラ座!」 一緒にいた鷲尾徳子(わしお・とくこ)と玉松修子(たままつ・しゅうこ)も親友の訪問に喜び、同じように声を挙げた。東園桔梗も親友たちと再会し、心から喜んでいた。 東園桔梗は、親友たちと再会の場所に、母校、聖アウグスチヌ音楽大学を選んだ。想い出深いキャンパスだった。 4人は互いに手を取り合った。 「凱旋公演なんて、夢みたいよ!」東園桔梗は高揚していった。 「なんたって世界の、天下のミラノ・スカラ座だからね」大谷光子がつづく。 「プッチーニの蝶々夫人とヴェルディのレクイエムか、わたしも出演したいよ!」鷲尾徳子もいう。 「しかしこれからが本当の勝負じゃない!」玉松修子が冷静にいう。 「たしかに、しゅうこのいうとおりよ。あんまり浮かれてばかりいられないわね。とても厳しいわ」東園桔梗が自分に言い聞かせるようにいう。 「うん、とにかく、わたしたちが、ききょう、あんたの一番の協力者だから、なんかあったらなんでもいいな」大谷光子がいう。 「そうだよ、わたしたちがついてるからね」鷲尾徳子と玉松修子もつづく。 「みつこ、しゅうこ、とくこ、ありがとう」東園桔梗は親友たちの顔を見つめていったのである。
2014年01月02日
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迎春 平成26年 元旦 玉川上水富士は見事な日本晴れであった。高松家の玄関前には、立派な「門松」が飾ってあった。 高松家全員が、きちんと着物を着て、正座する。 高松家の家紋「唐花」が入いる羽織袴姿の俊夫ははじめに代表して皆様にごあいさつ申し上げる。「みなさま、明けましておめでとうございます。昨年は、たいへんお世話になり、そして拙い物語を読んでくださり、作者、東伏見の手前味噌に成り代わり、あつく御礼申し上げます!」 次にやはり着物姿の尚美が、「今年も高松家一丸となって、物語を盛り上げるよう努力精進して参ります!」 振り袖姿の茂美は、「今年も音楽に歌に、オペラに、そしてバッハのカンタータにと、あ、イタリアはローマ、ヴァチカンに、と、あたいをはじめ、白雪学園高校のおぺしゅうけん、あ、オペラ宗教音楽部一同、がんばって物語を盛り上げる所存であります!う、げっぷー」 ちょっと正月の餅を食べ過ぎた茂美であった。 やはり高松家の家紋「唐花」の入った羽織袴姿の俊介も、「今年はいいよいよ物語は大きく動き出します。たぶん、おそらく。とにかく今年も高松家をはじめ、物語に登場する者たち一同、がんばって参りたいと思います!」 そして、高松家一同、両手をつき、深々と、 なにとぞ、今年もよろしくお願い申し上げます! と、皆様に心から新年のごあいさつ申し上げるのである。
2014年01月01日
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