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本日は都合により、お休み致します。 たいへん申し訳ありません。 みなさま。おやすみなさい。 東伏見の手前味噌
2014年05月31日
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椅子に腰かけていた女の子たちみんなは、席を立ち、多梢恵のどどどどと側にやってきた。そしてシスター・アグネスと共に取り囲んだ。 シスター・アグネスは多梢恵にひとりひとりを紹介する。紹介された女の子たちも自己紹介と年齢をいう。 はーい、テレサよ。20歳。ここの一番の年長者ね。長い事、お世話になっているの。わからないこと、何でも聞いてね。 マルチェッラ、18歳、よろしくね!あなた、とし、いくつ? イラーリ、わたしは16歳、子ども扱いしないでね! パオラ、わたしは15歳、イラーリに同じく! わたしは、ベルナデッタ、13歳、あとでヴァイオリン見せてね。それ、高いの? あたい、マチルダだよ。5歳!だけど、子どもじゃないよ! と、誰かさんのように可愛らしくいった。周りの女の子たちは笑う。マチルダ、あんた、まだ子供だよ! 両頬をふくらませ、すねるマチルダであった。 モニカ、7歳!わたしはお菓子が大好き! ローザ、8歳!わたしはジェラートが大好き! わたしは、フランチェスカよ。10歳、まだ若いんだから。 アデーレ、12歳。あなた日本人?じゃあ、フジヤマね! エレナ、15歳よ。日本の食べ物はなにが美味しいの?やっぱり、スキヤキ! わたしは、カタリナ、16歳。あなた、ヴァイオリン上手なの?あとで聴かせてよ。 などとそれぞれ好きなようにいった。 多梢恵は、正直に年齢をいった。すると女の子たちは、 うっそー!ほんとー? 日本人の女性ってみんな若く見えるの? まだ、独身? 髪の毛、黒いけど染めているの? なんか、やせてるね! ね、ね、ね、あたいは、マチルダよ。今度一緒にベッドで、うさぎさんのお話聞かせてよ。 なんで結婚しないの?好きなひといないんだ。ふーん、つまんない。 などと多梢恵は、女の子たちから好きなだけ、洗礼を受けたのである。シスター・アグネスや他のシスターたちも笑っていた。 いやはやである。
2014年05月30日
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多梢恵がシスター・アグネスと一緒に入ると、女の子たちは一斉にヴァイオリン・ケースを抱えた日本人女性に目をやったのである。そして女の子たちは視線をヴァイオリン・ケースにやった。瞬時に、若い日本人女性を演奏家と理解したのである。 シスター・アグネスは、「紹介したいひとがいるので、みんな席についてちょうだい!厨房にいる、みんなもよ!」と、声を挙げた。 修道院長の声に、厨房にいた年長者のテレサも、「みんな、いそいで席について!」と声を挙げた。そしてシスター・アンナも、シスター・クラウディアもシスター・ヴェロニカも、そしてシスター・ソフィアも一緒になって女の子たちを席に着かせようと声を掛けた。 さらに厨房の窓から、料理人のシメオンとサラも、興味深そうに多梢恵をじろじろと見ていたのである。 作業を終えた女の子たちはつぎつぎと食卓の椅子、自分の指定席に腰を下ろした。身体を横に向けたり、顔を後ろにするなど、お行儀のわるいことは一切なかった。みんなきちんと正面に身体を向けて、座っていた。 女の子たちの瞳はきらきらと輝いていた。 シスター・アグネスは笑みを浮かべ、「お嬢様方、お仕事の所、たいへん失礼いたしました。折角のお昼休みに入るけど、少しの時間、わたしにいただけるかしら?」と、ユーモアを交えて、いった。 女の子たちは、 院長様、だいじょうぶ! OKだよ! いいよ! などと、口々にいった。 シスター・アグネスは大袈裟に、 ありがとう! と、表情豊かに、いった。もちろんイタリア語である。そのやりとり、様子に多梢恵は微笑む。それと同時に日本にいたときの、教師と生徒ととのやりとりの違いに、改めて感心していたのである。 やっぱり、イタリアだわ! そう思ったのである。 シスター・アグネスは「みんなに紹介したい人がいるの。わかるわね!」といった。 女の子たちは、声をそろえて、 ヴァイオリン! と、声を挙げた。「その通りよ。みんなが、待ちに待った音楽、ヴァイオリンの先生よ。今日からみんなと一緒に、アンサンブルをすることになった、おおこずえさんよ。彼女は、聖チェチリア音楽院の学生でもあるの。そこでヴァイオリンを専攻しているの。だから、みんなにヴァイオリンを教え、レッスンをし、そしていずれは一緒に演奏会を開くのよ!」と、いった。 多梢恵は満面の笑みを浮かべ、 チャオ!(こんにちわ!) と、右手を挙げて、明るくあいさつした。 女の子たちは、 いえー! ブラボー! 歓声を挙げた。 そしてシスター・アグネス、そして他のシスターたちも歓声を挙げた。さらに料理人のシメオンとサラも声を挙げた。 いえー! ブラボー! まったくの、あまりのイタリア的の歓迎だったのである。
2014年05月29日
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翌日、多梢恵はヴァイオリン・ケースを抱えて、〈嘆きの聖母女子救護院・孤児院〉に再びやってきた。 天気は最高だった。 いわゆるイタリア・ローマ晴れだった。 多梢恵は大きく息を吸ってはいた。 そして救護院・孤児院の門を、颯爽とくぐった。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 一方、食堂では、子どもたちは丁度昼食を終え、食後の祈りを唱えていた。 そして祈りを唱え終わると、 アーメン! と大きな声が食堂内に響き、子どもたちは右手で十字を切った。 シスター・アンナはいつものように、「では、みんなでちゃんと、いつものように後片付けするのよ。今日の食器洗いの当番はだれ?テレサ、ちゃんと指示するのよ!」といった。 テレサと呼ばれたのは、子どもたちの一番の年長者で、リーダー格の20歳の女性だった。もう立派な女性である。 テレサは、 マルチェッラ! イラーリ! パオラ!ベルナデッタ!マチルダ! と名前を呼び、両手でぱん!ぱん!とたたいた。 マルチェッラは、18歳、イラーリは16歳、パオラは15歳、ベルナデッタは13歳、そしてマチルダは、まだ5歳だった。それぞれが返事をすると、急いで厨房の所に行き、自分やみんなの分の食器を洗い、ちゃんと布巾で拭いて食器棚に収めるのである。年齢の、大きな女の子は、必ず小さな、幼い女の子の面倒を看るのである。ちなみに名前の呼ばれなかった、 モニカ(7歳)、ローザ(8歳)、フランチェスカ(10歳)、アデーレ(12歳)、エレナ(15歳)、そしてカタリナ(16歳)たちは、やはり布巾でそれぞれ手分けして食卓、テーブルを拭くのである。やはり、カタリナとエレナは、小さな女の子の面倒を見ながら、指示をするのである。 みんなで助け合って、協力しあってやるのである。 嘆きの聖母女子救護院・孤児院では、子どもたちの自立を促すためにも、日常生活の自分たちの身の回りをできるだけ、自分たちでするように、できるように方針を立てていたのである。これはやがてここから出て、社会の一員として就職する時に、きちんとできるようにするためである。 たとえ、救護院・孤児院の女の子たちであっても、一般のローマの女の子たちとなんら変わることなく接し、特別扱いしないのである。これは女の子ひとりひとりに、生きることの意味と、人間としての尊厳、そしてやがて人のためや社会のため、あるいはカトリック教会のために貢献できるように働きかけるためである。それと、やがて結婚し、子どもが出来た場合は、ちゃんと母親として育児、子育て、家庭内のことを切り盛りできるように、との修道院側の配慮でもある。 ヴァイオリン・ケースを抱えた多梢恵は修道院長のシスター・アグネスと一緒に食堂に入ると、 愛らしい女の子たちがそれぞれテーブルを拭いていたり、椅子をちゃんと直していた。 その様子に多梢恵は表情を大きくし、「まあーなんて、みんな立派にお手伝いしているの!」と声を挙げた。 と同時に食堂にいた女の子たちは一斉に、東洋の、日本の若い女性を見たのである。
2014年05月28日
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修道院長のシスター・アグネスは、美味しそうにミルクティを飲むと、カップをテーブルにそっと置いた。 多梢恵は、当初よりは緊張感も薄れて、なんとなくリラックスしていた。それはシスター・アグネスの人柄もあったが、やはり美味しいミルクティとエクレアが功を奏していたのである。 シスター・アグネスは多梢恵をまっすぐ見ると、上品に微笑み、「こずえさん、あなたを当施設に迎え入れることにします。どうか子どもたちに、音楽を、クラシックを教えてください」といった。 多梢恵は背筋を伸ばし、「院長様、どうかよろしくお願いいたします!」といって、頭を深く下げた。 シスター・アグネスは少し苦笑いをし、「院長様なんて呼ばないで。シスター・アグネスでいいわ」といった。「そんな!そのようなわけにはいきません!」多梢恵は表情を大きくして、いった。「あなたの高校の恩師である、はちごろうとわたしは、学生時代からの友人でしたから、こうして、はちごろうが推薦してくれたお嬢さんと一緒にいるなんて、不思議というか、おかしな気持ちになるわね」と、シスター・アグネスはくすりと笑いながら、いった。「八幡八五郎景時先生は、わたしが聖チェチリア音楽院に入学できるよう、本当にいろいろと手を尽くしてくださいました。おかがさまで、こうしてローマに留学することができました。本当に、心から感謝しています。ですから、少しでも恩返しが出来ればと思い、こちらにやって参りました。でも、正式にこちらに受け入れてくださる、というお返事を頂いて、なんだかほっとしています」多梢恵は言葉を選ぶようにして、いった。 多梢恵の顔はきらきらと輝いていた。 シスター・アグネスは少し遠くの方に視線をやり、「はちごうろうというのは、そうゆう人よ。とても優しい人よ」と、いった。 多梢恵は内心、〈院長様は、もしかして、学生時代に、八幡八五郎景時先生に想いを寄せていたのかしら〉そう思ったのである。これは理屈というよりも、女の直感というものだった。「こずえさん、あなた、明日から来れる?」と、シスター・アグネスは多梢恵の顔をまっすぐ見た。 多梢恵は、やはり背筋をぐっと伸ばし、「はい、大丈夫です!」と明るく応えた。 シスター・アグネスも明るく、「ベリーグッド!」と、あえて英語でいった。そして言葉をつづけ、「こずえさん、音楽院の方は心配しなくて大丈夫よ。あなたの勉強の妨げになるようなことはしませんよ。きちんと私からも音楽院に連絡を入れておきます。もし、都合やら演奏会やらで、何かあるときは遠慮なくいいなさい。それと、お手当は、約束通り、あなたが生活に困らないようにちゃんと支給しますので、それも安心してください。そして、音楽の授業や子どもたちの演奏に必要なもの、入用なものもちゃんとわたしに話してください。大丈夫!わたしのバックには、ヴァチカンのボスがついていますからね!」と、シスター・アグネスはそういって大袈裟に片目をつぶった。「あ、院長様、ありがとうございます!」多梢恵の声は、弾んでいた。と、同時にヴァチカンのボス、て、だれのことかしら?と思ったのである。 シスター・アグネスは、「こずえ、あした、子どもたちを紹介するわね!」といった。名前はもうこずえさんではなく、早速、こずえと呼ばれたのである。
2014年05月27日
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本日も都合により、お休み致します。 たいへん申し訳ありません。 みなさま、おやすみなさい。 東伏見の手前味噌
2014年05月26日
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本日は都合により、 お休み致します。 みなさま、おやすみなさい。 東伏見の手前味噌
2014年05月25日
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茂美たちおぺしゅうけんが白雪学園高校のカフェルームで、伝説の白雪饂飩を食べている時、遠く海の向こう、 イタリアはローマ。 そして市内のチェリオにある〈嘆きの聖母女子救護院・孤児院〉の修道院院長室には、多梢恵(おお・こずえ)が緊張の趣でソファーに腰かけていた。その多梢恵の前には、シスター・アグネスが腰かけていた。多梢恵が持参した書類、履歴書に目を通していた。その時、院長室のドアがノックされた。シスター・アグネスが、返事をすると、シスター・クラウディアがワゴンにお茶を運んできた。 お茶はミルクティだった。それに美味しそうな、チョコレートがたっぷりかかったエクレアも一緒に運ばれてきた。多梢恵はちらりと、エクレアに目が行った。多梢恵は、エクレアが大好物だった。もちろんイタリア・ローマにも美味しいスイーツはたくさんあるが、なにせ東京は、千代田区九段の白雪学園卒業である。イタリア語よりも、フランス語の世界、フランスのスイーツに親しんでいたので、ついついローマでも、エクレアがあると、買ってしまっていたのである。 多梢恵は内心、〈まさか、院長様は、あらかじめ、わたしの大好きなエクレア、ご存じだったのかしら〉とつぶやいた。 それにしても、チョコレートの表面がきらきらと輝く。 間違いなく、高級エクレアである! どうみても、日本の、やすい、お徳用の、庶民の、100円(108円)の、エクレアとは全然チョコレートの表面の色つやが違うのである。え?100円のエクレアと、高級エクレア、そんなに違わないのでは?とおっしゃる方、それは本当のエクレアを見た事、食べたことがないからである。自動車だって、最高級車と、そうでない車の塗装、色つや、かたち、ボディ、まったく違うでしょ!それと同じである。 とにかくエクレアである。 シスター・アグネスは、笑みを浮かべながら、「さ、どーぞ、こずえさん、とても美味しいエクレアなのよ。遠慮なく召し上がれ」と、いった。 多梢恵は遠慮がちに笑みを浮かべ、「ええ、院長様、遠慮なくいただきます」と、当然イタリア語で、上品に応えた。 東京の白雪学園の、1年の、おぺしゅうけんの、オーボエ吹きの、苗字のはじめが「た」といい、名前の頭もじが「し」ではじまる、誰かさんとはちがって、 ひゃあー!うまそうなエクレアだよ! とは、決していわないのである。 それにここは一応、イタリアはローマなので、便宜上会話部分は、日本語で書いているが、しかし実際は2人のやりとりは、イタリア語である。「想像の翼」をはばたいてほしい。 多梢恵は上品にミルクティを飲み、そして待望のエクレアをフォークを使って上品に口に入れたのである。 口の中に高級感あふれるチョコレートの食感と、これもなんともいえないカスタードの最高のハーモニーが奏でられる! 〈まあーなんておいしーの!〉多梢恵はそう心の中でつぶやいた。最高に幸福だった! いくらでも食べられそうだった! 修道院長のシスター・アグネスも高級エクレアをほうばると、 うーん、なんてすばらしいの、スイーツの芸術品ね! と、満足そうに、イタリア女性らしく、表情豊かに、いったのである。
2014年05月24日
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カフェルームの厨房では、〈料理部〉の面々、部長の赤錆紀子(あかさび・きこ)、安居錦子(あご・きんこ)、黒羽稔美(くれは・としみ)、佐八遥(そうち・はるか)、塩生但子(しおなす・ただこ)、青具あきら(あおく・あきら)たちが白衣に身を包み、 そして〈ザ・ホワイト・スノーズ〉のメンバー、鵺代謳子(ぬえしろ・うたこ)、天若福子(あまわか・とみこ)、円乗院薫子(えんじょういん・ただこ)、調殿閑(つきどの・しずか)、宇宿順(うすき・じゅん)、そして読谷鎮美(よみたん・しずみ)たちも白衣を着ていた。普段はギターやら、スティックやら、ベースやら、キーボードを扱っている伝説のロック・バンドが、あろうことか、いつの間にか白衣に身を包み、料理をする! リードヴォーカルの鵺代謳子は、隣のリードギターの天若福子に向かって、 「もともとわれわれは、ぎんぎんの、ロッカーなのによ。あれだよ、おぺしゅうけんの連中、茂美たちが地下室に、やってきてから、こんなふうになっちまったんだよな!」といって、讃岐饂飩をゆでる。そしてゆであがった饂飩を、天若福子は、冷水で饂飩を引き締める! 「うたこ、まったくそうだよな。うちらが、厨房で、まさか饂飩をゆでるなんて、以前は想像もできなかったからな!」と、引き締まったこしのある饂飩を、後輩でリズムギター担当の円乗院薫子が用意した、いくつもある特大の笊に、つぎつぎと饂飩を盛る。誰かが大好きな、特盛だった! ものすごい量だった。したがって結構重さがある。そしてなんといっても讃岐饂飩の表面がきらきら光る! うちらのロックと同じで、こしがあるーいえー! と、鵺代謳子が、右手を挙げて、しゃうとすると、 料理部の部長、赤錆紀子も。 うちらの料理も、こしがあるーいえー! と、同じように右手を挙げて、しゃうとする! まさに、ツイスト・アンド・シャウト! そしてドラムスの調殿閑と、ベースの宇宿順と、キーボードの読谷鎮美は、それぞれの、みんなの熱々のめんつゆ、つけ汁に、旨そうな鶏肉、大根、牛蒡、揚げを長箸を使っていれる。さらに薬味、生姜、刻み長ネギ、そして大根おろしを大皿に盛る。いちいち小皿に小分けにせず、みんなで箸を入れて、思い思いに取って、めんつゆ、つけ汁(秘伝の)に入れて食するのである! できた伝説の「白雪饂飩」は、つぎつぎと、料理部の部員たちがカフェルームのテーブルに運ぶ。 テーブルの上には、それぞれのめんつゆ、つけ汁、すでに冷えた麦茶を飲むためのコップや箸が所狭しとおかれていた。 そして主役である、ゆであがった饂飩が特大の笊に乗って運ばれ、テーブルの上に、どん!と置かれた。 改めて特盛の饂飩を、つまり、白雪饂飩を見ると豪快だった。 〈料理部〉と〈ザ・ホワイト・スノーズ〉の面々は、その出来栄え、特盛のすごさに両目を真ん丸にする。 そして一同は、急いでどどどどと椅子に腰を下ろし、 よーし!早速、みんなで、たべようぜ! と、赤錆紀子がいった。 その時である。 カフェルームに、どどどどどと乱入するものあり! しかも、 ひゃーやっぱり、うどんだよ!とか、 おおーでんせつの、しらゆきうどん!とか、 うおーうまそう!とか、 まあーおいしそう!とか、 はらぺこだよー!とか、 叫びながら乱入してきたのである。 がびーん! 赤錆紀子をはじめ、料理部とザ・ホワイト・スノーズのメンバーの両目は飛び出す! なぜなら、乱入者は、 茂美たち1年生、そしてその後ろから2年生、3年生、つまり、おぺしゅうけんの一団だったのである。
2014年05月23日
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バッハのCD演奏が終わった。 茂美たち1年生にとって、充実した時間だった。 茂美は椅子から立ち上がり、短い両腕を、ぐぐぐぐと伸ばした。そして、 ぐあー!と声を挙げた。とても気持ち良かった。だがしかし、 ぎゅるるるるるー! とお腹が鳴る。 けっこう、大きな音だった。 外山桜や豊岡美園、三室戸志乃が笑う。 茂美は口を三角にとがらせ、「しょうがないじゃん、お腹すいたんだから!」と、いった。 その時である。 茂美の身体全身に反応があった! 茂美は鼻をくんくんさせた。 そして茂美は真剣な表情をし、瞬時に、「なにか、美味しい食べ物の匂いだよ!」といった。 その言葉に1年生の親友たちは、 おおー!ほうんとうか! と、一斉に反応したのである。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 一方、カフェルームの厨房では、いつものように〈料理部〉が料理実習をしていた。料理部、久しぶりの登場である。 陣頭指揮を執るのは、もちろん部長の赤錆紀子である。 部員はいつもの、 鵺代謳子、天若福子、円乗院薫子、調殿閑、宇宿順、そして読谷鎮美。 あらららら? このメンバー、て、〈ザ・ホワイト・スノーズ〉! いったい、どうしたの? なんのことはない来る秋の学園祭で振る舞われる予定の、伝説の「白雪饂飩」の作り方を習いに来ていたのである。 もちろん料理部の部員たちがサポートしながら教えるのだ。 ところで旨い匂いの基は、 めんつゆ、だった。もちろん醤油ベースの、鰹と昆布出汁の熱々のめんつゆである。つけめんで頂くので、鶏肉や大根、牛蒡(ごぼう)、揚げも入る。 〈ザ・ホワイト・スノーズ〉と料理部の部員たちは、長ネギを刻み、生姜をおろし金で懸命にする。 そして、大きい鍋で、こしのある讃岐饂飩をゆでる。 ボーカルの鵺代謳子が、器用に包丁で長ネギを刻み、「きょうは、白雪饂飩をつくって、お腹いっぱい食べるぞ!それに、おぺしゅうけんの連中、茂美たちもいないから、なんばいもおかわりできるぞ!」といって、 えへへへへと笑うのであった。
2014年05月22日
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あまりのすばらしい音楽、そして演奏に茂美と外山桜は思わず椅子から立ち上がり、スピーカーに向かって拍手をする。 隣の豊岡美園は、「おい!いちいちCDの演奏で拍手するな!」と両目をまんまるにしていった。 茂美と外山桜は拍手を辞めて、慌てて席に腰を下ろす。 しかし茂美たち1年生は、バッハの音楽、そしてギドン・クレーメルとタチアナ・クリンデンコの演奏に心から感動していた。 感動の余韻の中、 鷹司房子は、つづいてもう1枚のCDをコンポに入れる。 バッハの《オーボエ、ヴァイオリンとオーケストラのための協奏曲 ニ短調》BWV1060(復元曲) 2台のヴァイオリン演奏も良かったが、しかし茂美は、本来の復元曲である、オーボエ演奏にもたいへん興味があった。 音楽、協奏曲の構成は、 1)アレグロ(快速) 2)アダージョ(のんびりと、落ち着いて) 3)アレグロ(快速) 全く同じだった。ただし、調性は、ニ短調である。 「新バッハ全集」では、ヴァイオリンとオーボエのための「ハ短調」で復元しているが、今日最も愛好されている演奏形態は、今、茂美たちが聴こうとしているもの、つまり、「ニ短調」である。 鷹司房子は、リモコンをぴ!と押した。 スピーカーから、同じ旋律が飛び出した。 ヴァイオリンは、ジャン=ジャック・カントロフ オーボエは、モーリス・ブルグ オランダ室内管弦楽、そして指揮は、ケース・バルケス 茂美はCDジャケットに目をやり、そして顔を上げ、真剣なまなざしをする。 オーボエの、独特の、哀愁ある、やわらかい響きが第二音楽室に響き渡る。 茂美は、 これはこれで、美しい響きだよ、なかなかいいよ! そう心の中でつぶやく。しかし先ほど聴いたヴァイオリンとオーボエの響きの違いが、鮮明にもなっていた。まるで違う曲を聴いているような感じに、一瞬なる。これは楽器の違いからくるものであった。しかし茂美は、この演奏にも大きく惹かれていた。茂美は無意識のうちに、左右の両手の指が小刻みに動く。あたかもオーボエを演奏してるかのように! ヴァイオリン担当の豊岡美園と鷹司房子の2人は、腕組みしながら、やはり、真剣に演奏に耳を傾ける。 「ある意味では、楽器の違いがおもしろい演奏ともいえる」豊岡美園は、そうつぶやいた。 「2台のヴァイオリン・バージョンと、オーボエ・バージョンの両方が、われわれのレパートリーに加わってもいいかもしれない」と、鷹司房子がそういう。その言葉に豊岡美園が大きくうなずく。 演奏は、第2楽章に入った。 オーボエのカンタービレ! オーボエのカンティナーレ! オーボエの美しさが際立つ。 茂美は、やはり、心から感動していたのである。
2014年05月21日
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バッハの《2つのヴァイオリンのための協奏曲 ハ短調》BWV1060は、第2楽章、アダージョに入った。 あまりにも美しいカンティレーナ! そしてカンタービレ! 茂美はすっかりバッハ音楽、バッハ・コンチェルトに聴き入っていた。 茂美はじっと腕組みしながら、そしてどんぐりまなこを閉じて聴いていた。 第2楽章のヴァイオリンの旋律は、調性は、変ホ長調、そして8分の12拍子という穏やで、あまりにも美しい旋律が第二音楽室に響き渡る。これ1曲でも、いかにバッハがものすごい作曲家かがわかるのである。 これには茂美はもちろん、親友の外山桜も豊岡美園も三室戸志乃も鷹司房子も正親町三条さゆりも広幡陽子も西堅綾花も神足左織も忠蔵院恭子も慈門院正美も五大院信代もうっとりである。 そして相変わらず豊岡美園と鷹司房子の2人は、あたかもヴァイオリンを弾いているかのように左手を小刻みに動かす。ヴァイオリンの装飾音、つまり、トリルのときは、さらに左手の指を小刻みに震わせる。 カンティレーナ、カンタービレ! 2つのヴァイオリンが交互に人間の声のように歌う。 茂美は腕組みしながらも、 これは、バッハの音楽性の高さをもっともよく現している格調のある旋律だよ! そうつぶやいた。 豊岡美園と鷹司房子も思わず、 ぜひ、みんなで演奏したいよ! と、声を挙げた。 そして第2楽章が感動のうちに終了し、最後の第3楽章、ふたたびアレグロである。 第二音楽室のスピーカーから、 ハ短調、4分の2拍子の、リトルネッロ形式のリズム感ある音楽が一気に飛び出す。演奏はトゥッティ!、つまり2台のヴァイオリンとオーケストラ全員が一斉に輝く音楽を奏でる。 迫力があった! これはコンチェルトであり、ガヴォットふうの舞曲を思わせる躍動美に溢れた音楽である。 茂美はいまにも踊りだしそうだった! アレグロ!アップテンポ! いや茂美だけじゃない。他の親友たちもいつしか体が左右上下に揺れる! 茂美はバロック時代のロックだよ! そう強く思ったのである。 第二音楽室のバッハの肖像画は普段よりも一層、威厳あるものに見えたのである。
2014年05月20日
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茂美はどんぐりまなこをまんまるにした。鷹司房子がバッグから取り出したCD2枚、そのうちの1枚が、先日名曲喫茶「アンダンテ」で聴いたものだったからである。 「あ、これしってるよ!」と、茂美は声を挙げた。 J.S.バッハ《2つのヴァイオリンのための協奏曲 ハ短調》BWV1060 ギドン・クレーメル:ヴァイオリンと指揮 タチアナ・グリデンコ:ヴァイオリン イゾルデ・アールグリム:チェンバロ ウイーン交響楽団 録音:1977年 そしてもう1枚のCDは、 J.S.バッハ《オーボエ、ヴァイオリンとオーケストラのための協奏曲 ニ短調》1060(復元曲) ジャン=ジャック・カントロフ(ヴァイオリン) モーリス・ブルグ(オーボエ) アンドラーシュ・アドリヤン(フルート) ユゲット・ドレフュス(ハープシコード) ケース。バルケス指揮、オランダ室内管弦楽団 録音:1981年 というものだった。 茂美たち親友たちは、椅子に腰かけた。これから2枚のCDを流すのである。 茂美は、2つのヴァイオリン・バージョンも興味があったが、やはり茂美自身、オーボエを吹いているので、《オーボエ、ヴァイオリンとオーケストラのための協奏曲 ニ短調》の方に関心があった。 しかしヴァイオリン担当の豊岡美園と鷹司房子は、《2つのヴァイオリン》の方に気持ちが動いていた。兎に角、 鷹司房子は、先に《2つのヴァイオリンのための協奏曲 ハ短調》BWV1060のCDをコンポの中に入れた。そしてリモコンのスイッチを、ぴ!と押した。 楽曲の構成は以下のようになっていた。 1)アレグロ(快速) 2)アダージョ(のんびりと、落ち着いた) 3)アレグロ(快速) 第1楽章は、まさに、イタリア・コンチェルトを思わせる華やかな旋律が、大きなスピーカーか飛び出した。 そしてそれは典型的な「リトルネッロ形式」によるものだった。 バッハらしい峻厳な音楽が教室に響き渡る! 第二音楽室のバッハの肖像画は、茂美たち1年生をぐっと見下ろす。 豊岡美園と鷹司房子のふたりは、ぐっと身を乗り出す。そして茂美が気が付くと、豊岡美園と鷹司房子は、共に顔の眉間にしわを寄せ、そして左手の指を、あたかもヴァイオリンの弦を押さえるかのように、演奏しているかのように上下に動いていたのである。
2014年05月19日
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第二音楽室 天下のバッハの肖像画が、茂美たち1年生を見下ろす。 茂美と外山桜、豊岡美園、三室戸志乃、それに鷹司房子、正親町三条さゆり、広幡陽子、そして西堅綾花、神足左織、忠蔵院恭子、慈門院正美、五大院信代たちは、 バッハの《オーボエ、ヴァイオリンとオーケストラのための協奏曲 ニ短調》BWV1060(復元曲) そして同じくバッハの《2つのヴァイオリンのための協奏曲 ハ短調》BWV1060(復元曲) の楽譜を交互に、熱心に覗き込んでいた。鷹司房子が持参したものである。 2つとも同じ作品番号「BWV1060」である。 それなのに、片一方は《オーボエ、ヴァイオリンとオーケストラのための協奏曲 ニ短調》という楽譜。 そして、もうひとつは《2つのヴァイオリンのための協奏曲 ハ短調》という楽譜、 だった。 当初、茂美たちはさかんに首をひねっていた。 うーむ、とうなる。 このことについて鷹司房子が説明する。 「みんないいかい。おなじ作品番号、つまり、同じ「BWV1060」なのに、なぜふたつのヴァージョンの楽譜があるのか?それは、オーボエ、そして、ヴァイオリンとオーケストラのための協奏曲、ニ短調は、実はバッハのライプツィヒ時代というんだけど、1736年頃に作曲され、成立した《2台のチェンバロのための協奏曲 ハ短調》BWV1060として、こんにち、現在、伝わっているバッハの協奏曲なんだよ。わかる?」 鷹司房子がみんなを見渡していった。 茂美は腕組みしながらも、なんとなくわかったような、わからないような・・・ 「つまりだ、わかりやすくいえば、2台のチェンバロのための協奏曲は、こんにち、コンサートなどでよく演奏されるおなじみの、バッハの楽曲なんだけど、本来、この曲は、もともと、《オーボエとヴァイオリンのための協奏曲 ニ短調》というオリジナルの楽曲だったんだよ。だからこれが、復元された曲、復元曲、ということなんだよ。本来は、チェンバロの曲じゃなかった、ということなんだよ」と、鷹司房子は表情を大きくして、いった。 茂美や他の親友たちは、 ほーそうなんだ、と大きくうなずく。 チェンバロ担当の三室戸志乃も、やはり、大きくうなずく。 肖像画のバッハもうなずく。 茂美は、「ふさこ、じゃあー、もうひとつの《2つのヴァイオリンのための協奏曲 ハ短調》という曲は?」と、どんぐりまなこを大きくして、聞いた。 鷹司房子は、茂美の質問に、「うん、実は、《オーボエとヴァイオリンのための協奏曲 ニ短調》が復元される以前なんだけど、さかのぼること、19世紀の話なんだけど、旧バッハ全集というプロジェクトを担当した、校訂者の音楽学者、ウイルヘルム・ルスト、という人なんだけど、その人が、バッハの演奏様式の観点から、旋律楽器を、独奏、とするオリジナルのものを推定し、それを考えていたんだよ。実はそれがヴァイオリン2丁、つまり2台のヴァイオリンを使っての協奏曲、ということだったんだよ。それが《2つのヴァイオリンのための協奏曲》で、しかも調性、ハ短調だった、ということなんだ。だけれど、ウオルデマール・フォイクトという音楽学者は、さらに、2つの独奏部分、つまり独奏声部の、性格の違いに着目し、2つのヴァイオリンのかわりに、さっきもいった、オーボエとヴァイオリンを、独奏楽器と推定し、そして別の音楽学者がも、オリジナルの調性を、やはり、ハ短調、と考えたんだよ。でも、こんにちでは、オーボエ、つまり、茂美が吹いているやつなんだけど、こちらの方を復元曲として、新バッハ全集にも掲載され、そしてコンサートでも演奏されるケースが多いんだよ」と、応えたのである。 茂美は腕組みしたまま、「そーなのか!じやあ、あたいが、オーボエを担当して、復元曲として吹けばいいんだ!」と、いった。 外山桜も豊岡美園も鷹司房子も正親町三条さゆりも広幡陽子も西堅綾花も神足左織も忠蔵院恭子も慈門院正美も五大院信代も、大きくうなずく。だがしかし、 豊岡美園は、「ふさこ、それだったら、2つのヴァイオリンの方は、復元曲としては、いまは、違う、ということなんだろう?」と、表情を大きくした。 鷹司房子は、「ところがだ。両方の楽譜をじっくりと読んでみるとおもしろいし、さらに、今日もってきたんだけど、CDね。両方の復元曲のCDを聴いてみると、これが実におもしろいし、演奏に、響きに大きな変化があるんだよ!」 そういって、鷹司房子は自分のバッグの中から、二種類のCDを取り出し、茂美たちみんなに見せたのである。 茂美はどんぐりまなこをCDに向けた。とても興味が湧いてきたのである。 肖像画のバッハは、表情を変えずにいたのである。
2014年05月18日
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『幼稚園唱歌』 『ほうほけきょ』作詞作曲:滝廉太郎 小さい子 小さい子 お前はなにをして居ます 私は梅をかいでます 梅をかいて夫(それ)から 夫から歌をうたひます 何の歌をうたひます 黄色い青い着物着て けきょけきょけきょけきょほうほけきょ (郷原宏『わが愛の譜(うた)』新潮文庫より)
2014年05月17日
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茂美が受けていた授業は、竹屋晴資先生の国語だった。 竹屋晴資先生は、近世の浄瑠璃・歌舞伎、近松門左衛門などについて、黒板にこつこつとひたすら書く。 歌舞伎作者 『一心二河白道』『傾城仏の原』 時代物→時代物 お家物 世話物→時代世話物 生世話物 浄瑠璃作者 『世継曾我』『出世景清』 浄瑠璃芝居 文楽 時代物→国姓爺合戦(近松門左衛門) 義経千本桜(二代竹田出雲) 仮名手本忠臣蔵(二代竹田出雲) 菅原伝授手習鑑(竹田出雲) 世話物→曽根崎心中(近松門左衛門) 冥途の飛脚(近松門左衛門) 八百屋お七(紀海音) 心中天網島(近松門左衛門) 座付作者 『曽根崎心中』 虚実皮膜(きょじつひまく)『虚実皮膜の間』『国姓爺合戦』 それを1年百合組の生徒たちみんなはノートに写す。もちろん茂美もそれをノートに写す。 しかし茂美は休み時間、朱雀鴒奈から滝廉太郎の話を聞き、そのことで頭がいっぱいだった。 荒涼感、そして寂寥感が魅力で、さらに悲壮美に満たされた歌の旋律が茂美の頭の中に浮かぶ。 いつしか茂美はどんぐりまなこを閉じ、 滝廉太郎の名曲、その旋律が頭の中で響く。 「荒城の月」土井晩翠 いま荒城のよはの月 替(かは)らぬ光たがためぞ 垣(かき)に残るはただかづら 松に歌ふはただあらし 天上影は替らぬど 栄枯は移る世の姿 写さんとてか今もなほ 嗚呼荒城のよはの月 そして茂美はいつしか深い眠りに入ってしまったのである。
2014年05月16日
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朱雀鴒奈は、滝廉太郎作曲、作詞:武島羽衣の「花」を読む。 春のうらうらの隅田川 のぼりくだりの舟人が 櫂(かい)のしづくも花と散る ながめを何にたとふべき 見ずやあけぼの露浴びて われにもの言ふ桜木を 見ずや夕ぐれ手をのべて われさしまねく青柳を 錦おりなす長堤に くるればのぼるおぼろ月 げに一刻も千金の ながめを何にたとふべき 茂美や外山桜や豊岡美園や三室戸志乃は仲良く声をそろえて歌う。 そんなことをしているうちに授業開始のチャイムが鳴った。 朱雀鴒奈は文庫本を閉じ、「じゃあ、またね!」と、明るくいって自分のクラスの方に戻る。 茂美も、「れいなちゃん、じゃあーね!」といって、外山桜や豊岡美園や三室戸志乃とともに、1年百合組に戻る。茂美は教室に入ろうとする瞬間、「あ、スペイン語のこと、聞くのを忘れたよ!」 と、いったのである。 やれやれである。
2014年05月15日
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茂美はスペイン語のことで、ぜひ話を聞いてみたいと考えている人がいた。 それは朱雀鴒奈の母親朱雀芝江のことである。朱雀芝江は外国学部のスペイン語学科を卒業し、スペイン語がぺらぺら話せる、専門家ということを知ったからである。茂美はスペイン語の歌にも挑戦したいと思っていた。親友の三室戸志乃が持っていた、アンドレア・ボッチェリのCD、スペイン語バージョンがとても気に入り、なんとか自分でもスペイン語で、ぺらぺらと歌えたらいいな、と思ったのである。淡い思いである。 そう思った矢先に1年生の廊下でばったりその朱雀鴒奈に会った。でも朱雀鴒奈はなにやら熱心に文庫本を読んでいた。茂美が何気なく朱雀鴒奈の文庫本を見ると、それは滝廉太郎物語『わが愛の譜(うた)』(新潮文庫)という本だった。朱雀鴒奈から話を聞くと、なんと母親の朱雀芝江と滝廉太郎は親戚だった!という驚きの話だった。 この時、茂美の頭からスペイン語という文字は一気に飛んでしまった! 茂美や外山桜、豊岡美園、三室戸志乃は朱雀鴒奈を取り囲む。「お母さんの実家は、滝といいうんだけど、わたしも滝廉太郎が親戚だった、というのをついこのあいだ、知ったのよ。まさか、あの有名な滝廉太郎と関わりがあるなんて想像もしてなかったのよ。滝という苗字だって、そんなにめずらしいものじゃないし」と、朱雀鴒奈はたんたんといった。「そーだよね」と茂美や他の親友たちがうなずく。「でもさ、なんでれいなのお母さんは、今頃になって話したんだ?」と三室戸志乃が聞く。「うん、お母さんは、わたしがあんまり小さい時に話してもわからないから、高校生になったら、話そうと思ってたんですって。それでこの間、しげみさんたちと野鳥観察会に行って、自宅に戻って、それで夕食のときに、お母さんから聞いたのよ。わたし、びっくりしちゃった!」と、朱雀鴒奈は表情を大きくした。「れいなのお母さんの実家って、どこにあるんだ?」と、豊岡美園が聞く。「うん、お母さんの実家は、大分県竹田市なの。でも、わたしが大分に行ったことがあるのは、まだ赤ちゃんの時だったのよ」と、朱雀鴒奈がいった。 外山桜は両目を大きくし、「そーよ!れいなさん。確かに滝廉太郎の故郷は大分よ。でも生まれたのは、確か、東京よ!」といった。 朱雀鴒奈は大きく反応した。「そーなのよ!さくらさんのいう通り。お母さんの実家の滝家というのは、もともと豊後日出(ひじ)藩、現在の大分県の日出町の、そこの上級武士、つまり藩士の家柄なのよ。藩主は、お殿様のことね。木下家といって、ほら、豊臣秀吉の妻、ねねの血を引く家系なのよ。とにかくお母さんの実家は、その日出藩の武士だったの」 茂美たち4人は、 ふーむ、と大きくうなずく。 茂美は内心、お父さんだったら、江戸時代のこと、武士のこと詳しいからすぐにわかるかも! と、思った。「それで滝廉太郎は、東京の、当時芝区南佐久間、現在の港区なんだけど、そこにあった、旧佐伯(さいき)藩の江戸屋敷の侍長屋に生まれたの。そのことをお母さんに聞いて、そしてこの本を読んでいたら、その通りに書いてあるのよ。だから滝廉太郎は、明治12年、つまり、1879年8月24日に東京で誕生しているの」と、朱雀鴒奈は少し興奮気味にいった。 茂美は両手の指を折り曲げ、視線をを天井にやり、「えーと、今年があれだから、えーと、1879年を引き算すると、おおー135年前だよ!」と、どんぐりまなこをまんまるにしていった。 豊岡美園は、「おい、しげみ!両手の指を、小学生みたいに折り曲げるな!暗算でやれ!」と、やはり両目をまんまるにして、いったのである。 やれやれである。
2014年05月14日
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茂美と外山桜と豊岡美園と三室戸志乃のいつもの4人は、休み時間にたまたま1年生の教室前の廊下を、おしゃべりしながら歩いていた。 すると反対側から朱雀鴒奈が歩いてきた。ひとりだった。 しかし何やら本を読みながら歩いていた。 茂美は朱雀鴒奈の姿を認めると、「あ、れいなちゃん!」といった。 そして茂美は朱雀鴒奈に向かって両手を大きく、盛んに振ったが、しかし肝心の朱雀鴒奈は歩きながらの読書に夢中なのか、茂美には気付かなかった。 茂美は早足で朱雀鴒奈のまん前に行き、「れいなちゃん!」と大きな声で読んだ。 朱雀鴒奈は少し驚いたように、本から視線をはずし、「あら、しげみさん!」といった。 外山桜も豊岡美園も三室戸志乃もそれぞれ順に、 まあーれいなさん!とか、 よーれいな!とか、 れいな、げんきー!とか、 いった。 朱雀鴒奈は笑顔になり、「しげみさん、みんな、この前はありがとう!」といった。 豊岡美園は、「野鳥観察、思ってたいじょうに楽しかったよ!」といった。 三室戸志乃も、「もし、この次も野鳥観察やるときは、行くよ!」と言葉をつなげた。 外山桜も、「れいなさん、また、一緒にお風呂に入りましょうよ!」と、つづいた。 茂美はにこにこしながら、「れいなちゃん、なに読んでるの?」と、いいながら本の表紙をのぞくようにして、どんぐりまなこをやる。本は文庫本だった。 朱雀鴒奈は、少し恥ずかしそうに、「あ、この本ね。郷原宏という人の『わが愛の譜(うた)』なの。滝廉太郎の物語なの」と、いって茂美やみんなに見やすいように表表紙を見せた。 確かに表紙には、 郷原宏『わが愛の譜(うた)』滝廉太郎物語、新潮文庫 と、その通りに書いてあった。 茂美は口を三角にとがらせ、「ほおーれいなちゃん。滝廉太郎が好きなんだ?」と聞いた。 朱雀鴒奈は、「うん。お母さんに勧められて読んでいるの。それで読み出したら、けっこうおもしろくて、だから、ついつい廊下で歩いても読んでしまっていたのよ」といって、舌をだした。 外山桜はうれしそうに、「まあーすてき!滝廉太郎って、確か若くして、23歳で死んでしまったのよのね。それで有名な歌に、『花』とか、『箱根八里』とか、『荒城の月』とか、良い歌がたくさんあるのよね!」といった。さすがに歌好きの外山桜はよく知っていた。 茂美も滝廉太郎の名前は知っていたし、今、外山桜が挙げた曲も全部知っていた。もっとも小学生のときや中学時代に音楽の時間に習ったのだから。しかし茂美は、滝廉太郎が23歳で、そんなに若くして死んでしまったとは知らなかったのである。 茂美は、ふーん、そうなんだ、といった。 三室戸志乃は、「でもさ、れいな。どうしてお母さんは滝廉太郎の本を、読むようにいったんだ?」と、腕組みしながら聞いた。 朱雀鴒奈は、「うん、実はね。お母さんの実家は、滝というの。滝廉太郎とは親戚だったのよ」と、少し声を落としていった。 ええええーなにーほんとうー?! 茂美のどんぐりまなこはまんまるになった。他の親友たちも両目をまんまるにし、 茂美たちは、そう声を挙げた。茂美たちの声は廊下じゅうに響いた。 他の同級生たちが、なにごとか、と茂美たちを見たのである。
2014年05月13日
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茂美は、スペイン語で歌いたい歌があった。 それはたまたま親友の三室戸志乃が、スペイン語で歌われているCDを学校に持ってきて、昼休みに聴かせてくれたからである。そのときは、茂美をはじめ、外山桜、豊岡美園、三室戸志乃、鷹司房子、正親町三条さゆり、広幡陽子ら親友たちが一緒にいて、聴いたのである。 場所は、バッハの肖像画がある、第二音楽室だった。 CDアルバムは、 Andrea Bocelli アンドレア・ボッチェリ の、 《Amor》アモーレ だった。 三室戸志乃はどうやらアンドレア・ボッチェリにはまっているようだった。外山桜も彼のイタリア語ナンバーが入ったCDは何枚かもっていて、当然、アンドレアのことは知っていた。しかし茂美は初めて聴く、歌手だった。でも、すごく良かった!すごく素敵だった! 茂美はいっぺんで気に入ってしまった。 しかもアンドレア・ボッチェリはイタリア人だった。だから外山桜は彼のCDを持っていたのである。しかし茂美は知らなかったのである。兎に角、 アンドレアである。 《アモーレ》のナンバーはすべて、スペイン語! 異国情緒あふれるスペイン語。 ロマンチック! 情熱! そして愛! 語りかけるようなアンドレの美しい声。のびのあるテノール。 三室戸志乃がはまるのも、その理由がよくわかる。 BESAME MUCHO CANCION DESAFINADA SOLAMENTE UNAVEZ SOMOS NOVIOS JURAME それにスペイン語版の《枯葉》 LAS HOJAS MUERTAS それに、 AMAPORA もある。 だから茂美はこのCDを聴いたら、うっとり、小さな胸がときめく! ああーあたいもスペイン語で歌いたいよ! そんな乙女心がつのる。 実際、親友の三室戸志乃は、いくつかの曲をアンドレアと同じようにスペイン語で、そらで、歌う! 茂美は、すごいよ!と思うと同時に、 あたいも、しの、と同じようにスペイン語の歌、覚えたいよ! と強烈に思ったのである。それは外山桜も同じだったし、豊岡美園も鷹司房子も正親町三条さゆりも広幡陽子も、 お・な・じ、だった。 ま、あれこれやるもの本当は大変なんだけど、お嬢様方は、今どきの女子高校生は、そうなのである。 茂美が特に気に入ったのは、 BESAME MUCHO べサメ・ムーチョ 16歳の茂美にはちょっと茂美的、いや刺激的な歌である。なぜなら、べサメ・ムーチョとは大人の恋の歌で、しかも、 ぼくに、たくさんキスをしておくれ! あるいは、君にたくさんのキスをしたい! いっぱい、愛したい! というのが、「べサメ・ムーチョ」の意味だからである。 バッハの肖像画、眉間にしわがよる。 そして、 SOLAMNTE UNAVES ソラメンテ ウナベス 「一度だけのチャンス!」という意味。やっぱり、大人の恋! 次に、 SOMOS NOVIOS ソモス ノヴィオス 「二人は若い!」じゃなくて、 「二人は恋人同士!」の愛の二重唱。つまり、デュエット! これには三室戸志乃も外山桜も豊岡美園も鷹司房子も正親町三条さゆりも広幡陽子も、 うっとり! という訳で茂美は、朱雀鴒奈の母親、朱雀芝江がスペイン語が出来る、と聞いて表情が、どんぐりまなこがきらきらと輝いたのである。
2014年05月12日
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本日も都合により、お休み致します。 申し訳ありません。 みなさま、おやすみなさい。 東伏見の手前味噌
2014年05月11日
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都合により、本日は執筆をお休み致します。 申し訳ありません。 みなさま、今日も1日お元気で。 東伏見の手前味噌
2014年05月10日
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高松家は、名曲喫茶「アンダンテ」から戻ると、家族全員で手分けして黒の漆塗りの重箱を洗ったり、しまったりした。茂美と尚美は、洗剤でひたすら洗い、それを水ですすぎ、そして俊夫と俊介が布巾できれいに、重箱をぴかぴかにする。高松家の家紋、金地の「唐花」がきんきらに光る。さらにそれを丁寧に白い布に包み、元の場所、倉庫に置きに行った。重箱は、しばらくお正月の、お節料理を作るまでは出番はないのである。 兎に角、高松家伝統の、由緒ある重箱は、活躍したのである。 ひと仕事を終えて、茂美や尚美、そして俊介、俊夫は、やれやれとダイニングテーブルに腰を下ろし、熱々のほうじ茶を飲み。お茶うけに、醤油せんべい、おかき、そして羊羹「大納言」を頂く。 ばりばりばり。 ぼりぼりぼり。 ばりばりばり。 ぼりぼりぼり。 気持ちのよい音がダイニングに響く。 茂美の頬はとらふぐのようにふくらむ。俊介も旨そうに食べる。 あれれれ? 確か、名曲喫茶「アンダンテ」で、モンブランを食べたのでは?それにハムサンドも野菜サンドも・・・ ま、若いというのはあんまりそういうことを考えない。 尚美は思い出したように、「それにしても今日は、本当に楽しかったわね。野鳥観察も良かったけど、やっぱり、みんなでお弁当を食べたり、シャンパンを頂いたり、最高だったわね!」といってお茶をすする。 俊夫も、「いやーそれにしても、れいなちゃんのお父さん、すごかったね。さすがにフランス輸入食品の社長さんだけあって、ワインの知識、すごかったねー!」といいながら、羊羹「大納言」を旨そうに食べる。 尚美は表情を大きくし、「あらーれいなちゃんのお母さんだってすごいのよ。お風呂のとき、いろいろとおしゃべりしたけど、なんでも学生時代、大学の時は、ご主人、つまりお父さんね。二人とも外国語学部の出身で、れいなちゃんのお父さんは、フランス語を専攻して、お母さんの方は、なんと、スペイン語を勉強していたそうよ。なんでもスペイン語、ぺらぺらに話せるらしいの!」といって、「大納言を旨そうに食べる。 尚美の話に茂美と俊介も反応する。 茂美のどんぐりまなこはまんまるになり、 え?スペイン語! といった。 俊介も、「ほーれいなさんのお母さん、スペイン語ができるんだ!」といった。 茂美はお風呂場で、親友たちと賑やかにお喋りしていたから、まさか、朱雀鴒奈のお母さんが、スペイン語を話せるという話は、まったく知らなかったのである。それどころか、朱雀鴒奈はそのことをひと言もいってなかったのである。 スペイン語と聞いて、茂美は胸が高鳴る。何故なら、スペイン語で歌ってみたい歌があったからである。英語の歌もたくさん歌いたい。フランス語の歌、シャンソンも最高!ドイツ語のバッハももっと歌いたい。イタリア語の、アリアも歌いたい。ラテン語の歌も勉強したい。そして情熱の、スペイン語の歌も歌いたい! ブエナス、ノチェス、セニョリータ! おやすみ、お嬢さん! そう茂美は欲張りなのだ。音楽に関しては!
2014年05月08日
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幸いなことにお客は、名曲喫茶「アンダンテ」には、高松家をはじめ、もとちん、勧修寺顕子、そして大給近増以外はいなかった。 グラスに注がれたボルドーの赤ワインは、俊夫、尚美、もとちん、勧修寺顕子、大給近増、そしてマスターの伴野四郎吉の前にあった。茂美と俊介は未成年なので、当然、ない。仕方ない。二十歳になるまでお預けである。なに、茂美は二十歳まではあと4年、俊介は二十歳まで6年。ちょうど東京オリンピック開催のときは揃ってお酒、ワインを飲むことができるのである。 ま、もっとも茂美はあまり赤ワインに興味はなさそうだ。茂美と俊介の前には、美味しいケーキ、モンブランがあるからである。 なぜか、大人たちはそっとグラスを持ち、そして小さな声で、ささやくように、 かんぱい、 といった。そして大人たちは静かに赤ワインを飲む。 バッハの典雅なチェンバロ協奏曲が流れる。 大人たちは、うーむ、とうなる。 尚美も俊夫ももとちんも勧修寺顕子も大給近増も、 うまい、 と静かにいった。 茂美と俊介はモンブランをスプーンで食べ、 うまい、 と静かにいった。 茂美は満足の笑みを浮かべた。 俊介も満足の笑みを浮かべた。 こうして楽しくも優雅な野鳥観察会、日曜日は過ぎ去っていったのである。
2014年05月07日
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もちんは、名曲喫茶「アンダンテ」のドアを開けると、コーヒーの香りとチェンバロの典雅な旋律が届く。そして、 おおー!なんだ高松家がいるではないか! と声を挙げた。 いつものカウンターには、先ほど別れたばかりの、茂美、尚美、俊夫、そして俊介が仲よく座っていたのである。 茂美も尚美も俊夫も俊介も表情を大きくし、 おおー!てんちょうさん! と、応えた。 茂美は両頬を膨らませる。ちょうどでかい口を開けて、ハムサンドを旨そうに食べていた。尚美も俊夫も俊介も野菜サンドやハムサンドを食べ、それに自分のお気に入りのコーヒーを飲んでいた。 さらには、やはり常連の小料理屋の女将、勧修寺顕子(かじゅうじ・あきこ)、そして大学院教授の大給近増(おぎゅう・ちかます)もいた。 店内のBGMは、ヨハン・セバスチャン・バッハ(1685-1750)の、 《2台のチェンバロのための協奏曲第1番 ハ短調》BWV1060 だった。演奏は、 指揮とチェンバロ:トン・コープマン アムステルダム・バロック管弦楽団(オリジナル楽器使用) 録音:1980年CD である。 1)アレグロ(速く) 2)アダージョ(ゆっくりと、くつろいだ) 3)アレグロ(速く) 演奏は、ちょうど第2楽章のアダージョだった。優雅なチェンバロの響きが店内に広がる。 マスターの伴野四郎吉(ともの・しろうきち)は満面の笑顔を浮かべ、「いらっしゃいませ、お疲れ様でした!」といった。 もとちんこと、揮頭山元武はカウンター席に腰を下ろすと、おもむろにリュックから、ボルドーの赤ワインのボトルを取り出し、どん!とカウンターの上に置いた。「マスター!お土産だよ。みんなで飲んでよ!」ときっぷのいいところを見せた。 マスターも高松家も両目をまんまるにした。 茂美はおもわず、「うおーてんちょうさん!それ、れいなちゃんのお父さんからもらった、確か、ボルドーの赤ワイン、いいのー?」と野菜サンドを旨そうに食べながらいった。 俊夫も尚美も、「てんちょうさん、ボルドーの高級ワインだよ?」といった。 しかしもとちんは、 えへへへへと笑い、「ま、いいんだよ。いつもみんなには世話になってるからね。一人で飲むより、みんなでのもうよ!」と、いった。 これには勧修寺顕子も大給近増も、大喜びだった。 マスターは、「では、お言葉に甘えて」といいながら、もとちんから手渡されたボトルと手にした。マスターはワインラベルに目をやると、両目をまんまるにし、「おおーてんちょうさん、これはボルドーの高級ワインじゃありませんか。本当にいいんですか?」と、改めてもとちんの顔を見ていった。 もちちんは、ぐっと胸を張り、 いいのよ、いいのよ! と、いった。 それからマスターは、すぐにぴかぴかに磨かれているグラス、大人の人数分をカウンターに並べた。そしてワイン専用の栓抜きで、ゆっくりと静かにコルクの栓を抜いた。その時、小さく、ぽん!と音がした。 ボルドーのかぐわしくもすばらしい香りが、マスターの鼻腔に吸い込まれる。 マスターはおもわず、 うーむ、とうなる。 そして赤ワインのボトルを傾け、静かにグラスに、とくとくとくと注ぐ。見事な赤色だった。いや、赤というよりは濃い赤紫という感じだった。透明感の中にも気品というものを感じさせるものだった。 尚美は、「やっぱり、ボルドーの赤、高級品はちがうわね」とつぶやく。 俊夫は、「ぼくは安いワインと高級ワインとの違い、わかんないけどな」と、いった。とにかく、 もとちんも尚美も俊夫も勧修寺顕子も大給近増もじっとグラスを見つめる。 もちろんワインを飲むことが出来ない、茂美も俊介も美しい赤紫を見つめるのであった。 つづきは明日。
2014年05月06日
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本日は都合により執筆、お休み致します。 みなさま、おやすみなさい。 東伏見の手前味噌
2014年05月05日
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夕方の玉川上水駅前。 もとちんが運転するマイクロバスは、無事に到着し、外山桜、豊岡美園、三室戸志乃、朱雀鴒奈と朱雀元暢、朱雀芝江親子は、多摩モノレールの玉川上水駅から帰宅する。もちろん豊岡美園の側には、勧修寺顕常皇宮護衛官と瀧脇梅子皇宮護衛官が付く。豊岡美園の自宅がある品川区まで護衛するのである。 外山桜、豊岡美園、三室戸志乃、そして朱雀鴒奈と親子は、茂美や俊夫、尚美、俊介、そしてもとちんこと、揮頭山元武に、お礼のあいさつをした。最後に勧修寺顕常皇宮護衛官と瀧脇梅子皇宮護衛官は、背筋を伸ばし、もとちんと茂美たち高松家に向かって、ぴっと敬礼した。それに応えるかのように、 茂美と俊夫も敬礼をした。 豊岡美園と三室戸志乃はそろって、「しげみ、明日、ねぼーするなよ、さらばじゃ!」と、いった。 外山桜も、「しげみさん、明日も中央特快であいましょう!」と、いった。 朱雀鴒奈も、「しげみさん、明日も学校で会いましょう、ごきげんよう!」と、いった。 茂美はそれに応えて、元気に返事をした。 そしてその後、親友たちそれぞれが駅構内に入っていった。 茂美は親友たちみんなが見えなくなるまで手を振っていた。そしてみんなの姿が見えなくなると、心地よい安ど感に包まれていたのである。 茂美も俊夫も尚美も俊介も、「本当にお疲れ様!」とお互いに言葉を掛け合った。そしてもとちんに、深々とお辞儀をし、 てんちょうさん!ありがとうございました! と、声を挙げた。 もとちんも、満面の笑顔を浮かべ、「いやーしげみちゃんもとしすけくんも、おとうさんもおかあさんも、本当にお疲れ様!とにかく楽しい一日だったし、お昼のお弁当は美味しくて最高だったよ!」と、朱雀元暢からプレゼントしてもらった、ボルドーの赤ワインのボトルを持ちあげていった。 そして高松家一行ともとちんは、玉川上水駅前で別れた。茂美たち高松家は、お弁当に使った黒塗りの重箱をそれぞれが持って自宅マンションに向かって歩き出したのである。 一方、もとちんもふたたびマイクロバスの運転席に戻り、ハンドルを握り、バスを自宅駐車場に止めたのである。しかしもとちんは、自宅に戻らずボルドーの赤ワインをリュックにいれたまま、名曲喫茶「アンダンテ」に足を向けたのである。そしてもとちんが、るんるん気分で名曲喫茶「アンダンテ」のドアを開けると、 あーてんちょうさん! と、一斉に声がした。 なんと、もとちんの視線の先に、茂美たち高松家がいつものようにカウンターに座っていたのである。
2014年05月04日
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多摩湖の上の太陽がだんだんと傾いてきた。 多摩湖畔の中国割烹旅館「夕日」。 茂美たち女性のお風呂は2階だった。 そして俊夫や俊介、朱雀元暢、もちちんこと、揮頭山元武の男性軍は、1階にお風呂があった。勧修寺顕常皇宮護衛官は浴室の前で待機する。 俊夫やみんなが服をぬいでお風呂場に入ると、目の前に大きな内風呂があった。さらに大きな窓ガラスの向こう側には、露天風呂があった。大浴場からは、湖面に浮かぶ、東大和市のシンボルともいえる多摩湖の取水塔が見えた。 俊夫や俊介、朱雀元暢、そしてもとちんは、ゆっくりと身体を湯船にしずめる。 男性軍はみんな頭の上にタイルを乗せ、 うーん、とうなる。 俊介は、お父さん、さいこうだねー!といった。朱雀元暢ももとちんも、いやーさいこうですね!と言葉をつづけた。 一方、2階の女子風呂でも、 茂美、外山桜、豊岡美園、三室戸志乃、朱雀鴒奈、朱雀芝江、そして尚美たちものんびりと湯船につかっていた。だけど、茂美たちみんなは、おしゃべりに花が咲いていた。女性ばかりで賑やかだった。やはり、大きな浴場、湯船だった。茂美もみんなもにこにこしていた。ただし、女性のお風呂には露天風呂がなかった。残念!しかし大きな浴室の窓からは、多摩湖の眺めは男風呂よりも雄大に見えていた。もちろん多摩湖の取水塔も眺めることができた。 朱雀鴒奈は、「きょうは本当に楽しかったし、美味しかった!」と明るくいった。 母親の朱雀芝江と尚美は、ワインの話、フランス料理、そしてお互いのことなどを、実に楽しそうにおしゃべりしていた。大人には大人の付き合いがある。 そして女子高校生にも女子高校生の付き合いがある。 茂美はそれに応えて、「うん、あたいも楽しかったよ!」といった。 外山桜も「ほんと、野鳥のことは、まだよくわからないけど、楽しかったし、お弁当美味しかったわ!」といった。 豊岡美園も、「まあーしげべえい、よはわんぞくじゃ!」とつづいた。 三室戸志乃も、「また、明日からがんばるか!」と笑った。 茂美もうれしそうに笑ったのである。
2014年05月03日
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多摩湖の湖畔に6階建てのホテルが建つ。 茂美たち一行を乗せたマイクロ・バスは、無事にホテルの駐車場に到着した。勧修寺顕常皇宮護衛官が一番先に降り、周りの状況を確認する。 ホテルとはいっても、正式には「中国割烹旅館 夕日」という。しかし外見上はホテルに見えるのである。ここでは目の前の美しい多摩湖の景色、そして最上階、6階にあるレストランの中国料理が有名だった。 茂美、外山桜、豊岡美園、朱雀鴒奈、俊介、そして朱雀芝江、朱雀元暢、俊夫、もちとんこと、揮頭山元武がバスからぞろぞろと降りた。湖畔の空気は、やはり爽やかだった。 「夕日」の中に入ると、1階はフロントだった。俊夫が代表してフロントに行く。「日帰り入浴」、みんなの料金を払うためである。さらに勧修寺顕常皇宮護衛官が俊夫の後につづく。 勧修寺顕常皇宮護衛官は、フロントの制服を着た女性に、スーツの胸ポケットから、「バッチ」、つまり「皇宮警察手帳」を見せた。制服の女性は表情を大きくした。「心配ありません。要人警護のため同行しております。政府、内閣府指定の、特別要人です。わたしども、2人の皇宮護衛官が付き添います。われわれは宮内庁直属の、皇宮警察官です。事前に宮内庁の皇宮警察と埼玉県警本部から、こちらにご連絡があったと思いいますが」と、勧修寺顕常皇宮護衛官が穏やかに説明した。瀧脇梅子皇宮護衛官も「皇宮警察手帳」をフロントの女性に掲示した。 制服姿の女性は、茂美たち一行に視線をやる。丁度その時、フロント・マネージャーの男性も現れた。やはり制服姿だった。男性は落ち着いたように、「たいへん失礼いたしました。確かに昨日、宮内庁の皇宮警察本部より、そして埼玉県警本部より、ご連絡をいただいております。どうぞ私どもがご案内致します」と、丁重にいった。フロントの女性は、あわててお辞儀し、失礼いたしました!といった。 そして俊夫は入浴料を支払った。 茂美と俊介がここに来るのは久しぶりだった。茂美の親友たちは、もちろん初めてだった。意外やもとちんも初めてだった。 俊夫はにこにこしながら、「のんびりと入浴してください。源泉かけながしの温泉ではありませんが、良いお風呂です。また、ここで集合しましょう!」と、いった。 男性のお風呂には、男性のフロント・マネージャーが案内する。男性のお風呂、大浴場は1階だった。俊夫、もとちん、朱雀元暢、そして勧修寺顕常皇宮護衛官がつづく。ただし2人の皇宮護衛官は入浴しない。そして女性のフロント係が茂美、外山桜、、豊岡美園、三室戸志乃、朱雀鴒奈、朱雀芝江、尚美を案内する。そして瀧脇梅子皇宮護衛官がそれにつづく。女性のフロント係が案内する。女性の大浴場は2階だった。茂美たちはエレベーターで行くのである。 いよいよのんびりと多摩湖を眺めながらお風呂に入るのである。 つづきは明日。
2014年05月02日
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楽しくも美味しいお弁当が終わった。 茂美たちみんなは、しばしの休憩後、午後の野鳥観察会を行った。場所は同じ狭山湖である。ただし、1時間程度で終了にし、茂美たち一行全員は、駐車場に戻ってきた。そしてマイクロバスに乗る。 運転席にはもとちんこと、揮頭山元武が座り、ハンドルを握る。 俊夫は一応全員を確認する。俊夫は右手の人差し指を使う。 茂美も外山桜も豊岡美園も三室戸志乃も朱雀鴒奈も俊介もにこやかにおしゃべりに花が咲く。 尚美も朱雀芝江や朱雀元暢となにやらおしゃべり。「えーと、しげみだろ、さくらちゃん、みそのちゃん、しのちゃん、それにれいなちゃんだろう、れいなちゃんのお父さんとお母さん、としすけ、そしておくさま。それに、たきわきうめこさん!ぼくに、店長さん。えーと、あれ?かじゅじさんは?」と、俊夫は両目を点にする。 勧修寺顕常皇宮護衛官は、その後すぐにバスに乗り込んできた。そして、俊夫ともとちんを見ると、「高松さん、周りの状況は大丈夫です。バスを出してください」といった。「かしこまりました!」そう俊夫はいった。 もとちんは、サイドブレーキを戻すと、ウインカーを出した。そして左右の安全を確認すると、ゆっくりとハンドルを回した。バスは静かに動きだした。 俊夫は指先をまっすぐ前にぐっと伸ばし、「これから、お風呂に参ります!」といった。 茂美や外山桜、豊岡美園、三室戸志乃、朱雀鴒奈、俊介は、 いえー! と、声を挙げた。 そうである。これからもう一つの多摩湖畔にあるホテル「夕日」に向かい、そこの眺めの良い大浴場、日帰り入浴に入るのである。これは茂美が予め企画していたのもである。
2014年05月01日
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