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中国では、端午節。 そして明日は、国際児童節。これは「国際民主女性連合会」の決定のしたがってもので、端午の節句とは趣旨が違うが、子どもの日。 中国の子どもの日は、全世界の児童の権利を保障して制定されたもの。 中国大使館の説明では、「新中国成立以来、子供たちの合法的権益が有効的に保護され促進された。中国は国連児童権利規約の制定に参与し、しかも率先してこれに署名し批准した。中国は「未成年人保護法」など子供の権利を守る一連の法律を作り、「中国児童発展企画綱要」を実施し、「中国児童安全健康成長計画」をスタート。中国の子供たちの受ける医療と保健や教育と福祉などは、全面的な改善と向上が成し遂げられた。」とある。 理念と現状の間で格差はあるようですが、いずれにしても、どの国でも子どもは宝です。
2006年05月31日
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瀋陽で遼寧省博物館に立ち寄った。 ここには、貨幣の歴史が資料として展示されている。貨幣の歴史は古いが、その中でも札の歴史も半端ではない。中国の印刷技術が、それだけ進んでいたと言うこと。 世界三大発明と言えば、羅針盤と火薬と印刷技術。 そういえば、5月11日は、世界で初めて印刷本が出版された日。中国敦煌付近で発見された「金剛般若波羅蜜経」が版木で印刷された。 敦煌といえば、莫高窟など仏教文化の遺跡群を思い出す。ここは、河西西郡の西端の町として栄え、漢の時代から交易が盛んだった。 莫高窟が開削された鳴砂山の岸壁は、仏教の歴史を見ることができる。 井上靖さんの「敦煌」では、莫高窟で見つかった文物を通して「誰が何のために、この地に多くの経典などを隠したのか」という命題を明かしてくれた。 まだまだ歴史的には改名されていない、敦煌の歴史と人類文化。 しかし、この地から世界で初めての印刷技術がはじめられたことは、意義深い。紙幣の発展も、中国技術の高さを象徴している。
2006年05月30日
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沈陽は、清朝発祥の古都。遼寧省の省都とともに、東北三省の中心地。 現在中国では、「瀋」の字は廃されて「沈」が代用されおり、「沈む太陽」という意味の都市になっていますが、元来は瀋水(今の渾河)の北岸にあるという意味。中国では、北岸を陽、南岸を陰と呼ぶ慣わしがあります。 瀋陽の歴史は、戦国時代。瀋陽という名がつけられたのは元代で、国の首都になったのは1625年。清を興した太祖ヌルハチが、ここを遷都した時。太宗ホンタイジは、ここを「盛京」と改名し、順治帝は1644年に都を北京に移したので、瀋陽が国都だったのは20年程度。しかし、その後も陪都として「奉天府」が設けられいました。 その後、「瀋陽」に改称され、日本の占領によって「奉天」と改名され、戦後「瀋陽」に戻りました。 現在の人口は、700万人。そこの故宮を訪ねた。故宮というと北京や台北を思い出しまが、少し小振りな故宮は、観光客も少なく、散歩するには適当な広さでした。
2006年05月29日
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2年振りの済南市。 高速道路の渋滞のため、省人民政府の招待宴をキャンセルし、まっすぐに空港へ。人民政府幹部が、空港まで来てくれていた。お礼を言って、遅い昼食。空港内の軽喫茶で、カップラーメンをみんなで食べることに・・。 済南市には何度も来ているが、想い出が多い。 昨年は、反日デモで両国間は大変でした。重慶サッカー場での半日ブーイングが日本では有名ですが、ここのサッカー場でも大変な日本ブーイングだったとのこと。 「中国人の一部の人間がやったことで、たいしたことはない」と言うのは、人民政府幹部の言。確かに、大半の中国の方々は日本に友好的ですが、何か問題があると反日に動いていくことがある。気をつけなければならないというのが、僕の感想。
2006年05月28日
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中国の高速道路での事故。渋滞の中、やっと出口の料金所が、近づいてきた。ほっとしたのは、束の間。しばらくすると、また車が動かなくなった。 「なぜだろう」と前方を見てみると、3つの料金ゲートがあるが、開いているのがひとつだけ。理由は、昼食時間だから、ひとつだけになったという。 「これは、日本では考えられない!」と、車内では絶叫。渋滞は、はるかかなたまで続いている。そのネックが、この料金所。危機管理を考えると、警察や警備がでて、車の誘導や高速道路から速やかに車を出すことを考えるのだが・・、ここは中国。 ひとり警察官はいるが、誘導はおろか渋滞を見つめるばかり。結局、料金所を目の当たり、ゲートを出るまで、かなりの時間がかかってしまった。 しかし、不思議なのは、その後。日本では料金所を出ても渋滞が想定されるが、中国ではそれがない。あれほど多くの車は、どこに行ってしまったのか。街中は、高速道路の事故がなかったように静かだったし、車も少なかった。 北京五輪まで、あとわずか。これで、外国からの選手や客を迎えられるのだろうか。
2006年05月27日
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中国の高速道路で、事故のため渋滞に巻き込まれてしまった。 渋滞して30分ほどで、少しずつ動き始めました。といっても、止まったり、動いたりで、出口まではまだ距離がある。 出口に近づき始めた頃、事故車両を発見。これは軽自動車だが、その前には数台の事故車。事故車は、いつ見ても痛々しい。 この事故は、タンク車の横転事故による2次災害だったようで、玉突きの事故。中国の高速道路では、かなりスピードを出しているため、このような事故は日常的。まして、軽自動車の事故は命にかかわる。 そういえば先ほど、救急車が走っていたようだから、乗員は病院に運ばれた後のようでした。
2006年05月26日
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中国の高速道路。 事故のため渋滞した車の中を覗いて見ると、寝ている人がいたり、食事を摂っている光景。何もすることがありませんから、仕方ない。僕も、車外で一服。おいしかったですね。 しかし、道路を見ると、カップラーメンの殻とスイカがつぶれている。これは、マナーの悪さもさることながら、危ない光景ですねよね。 中国の高速道路は、時速100キロ程度に規制されていても、車はかなりのスピードを出しています。その道路上に、こんなにごみが散乱していると、事故につながりますよね。 このあたりの認識は、日本とは違うようです。
2006年05月25日
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臨沂市で熱烈歓迎の招待宴の翌日、済南市へ向かう。昼食は、山東省人民政府の招待宴の予定。 臨沂市から済南市へ向かう高速道路で、渋滞に巻き込まれてしまい、大変でした。臨沂のインターチェンジから、約1時間半ばかり走った頃、車が渋滞している。 「高速の渋滞は逃げ道がない」と心配していると、旅行社から連絡。前方の道路でタンク・ローラーが横転事故を起こし、道路一面にオイルが溢れているため、中性化作業がされているとのこと。 こうなると開き直るしかない。しばらくすると、周りの車もあきらめ気味。車外に出て、外の空気を吸って気晴らし。前と後ろを来て見ると、はるか向こうまで、車が繋がっている。高速での渋滞は、逃げ道がありませんから、仕方がないですね。 昼食の招待宴は、仕方なくキャンセル。直前のドライブインでも事故情報は出していませんでしたが、五輪前には、中国でも道路情報がほしいところですね。
2006年05月24日
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王義之故居は、臨沂市中心の洗硯池路に位置しています。1990年に創建されて、「洗硯池公園」と呼ばれています。 紀元307年、王義之は家族と一緒に紹興に引越ししてからは、仏教のお寺に模様替え。お寺は年代の変遷に従い、何回か廃棄されましたが、南宋時代に改造され、普照寺と名づけられたとのこと。 最近では、政府の投資でまた大規模に修復。 王義之公園に入って、まず目に入るのは洗硯池です。伝説によると、王義之が硯を洗ったとのこと。 王義之が書いた石碑の前で、皆さん神妙に記念撮影。
2006年05月23日
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臨沂市で、銀雀山竹簡漢墓を見学。これは、文革時代の1972年に発見された遺跡。文革時代に保存されていたというのは、貴重ですね。 孫子の言葉は、日本でも古くから伝えられ、武田信玄が『孫子』の一節から取った「風林火山」を旗印にしたことは有名。また遠くヨーロッパにも伝えられ、ナポレオンが愛読書にしたという話もある程。現在では哲学書としても愛読され、特に経営者にとって有用な本として人気があります。 ここで、その原本(?)を見ることができた。その興奮は、やはり大きいものでした。 春秋時代末期、呉国の王に仕えた孫武(そんぶ)が書いたと言われる兵法書で、『孫子兵法』『孫武兵法』などとも言われている。 『史記』ではこの後に、孫武の子孫として戦国時代の孫びんの伝記が書かれている。 この、『孫子』の「いつの時代のもので誰が書いたか」についての疑問は唐代あたりからあったようですが、宋代になると盛んになり、「恐らくいろいろな人の言を集めたものだろう」とされています。
2006年05月22日
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沂南県でも、招待宴を持ってくれた。沂南県は、諸葛亮孔明の生誕地。街中に諸葛亮が座している像を置いた公園がある。 その宴で出されたのが、バッタ揚げ。いなごは少し小ぶりで、日本でも佃煮などで食べることはありますが、ここのバッタは、とにかく大きい。 食べ方を習ったのですが、頭を採って、丸ごと口の中へ。羽根突きの姿ごと食用ですから、これもいい気持ちではない。 味は、余りないのですが、ご当地では貴重な蛋白源とのこと。バッタは麦などを荒らす害虫ですから、取って食べることに抵抗がないそうです。 とにかく進められて、口に運ぶのですが、スナック菓子みたいでビールのつまみとしては最適ですね。
2006年05月21日
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中国の子どもたちの書は、いつもながら感心させられる。今回は沂水県第1実験小学校に伺い、日本の児童の書画と交換交流。 子どもたちが書を、実際に書いてくれた。日本の書体や筆の持ち方も違うが、この子どもたちは省内でもハイレベルの技術を持っているとのこと。 彼らは、小学校に入学する前から、書を習っており、これまで挫折することなく練習しているとのこと。 訪中団の代表も、子どもの前で書いてくれた。「敬天愛人」と書いたが、なかなかの筆さばきでした。
2006年05月20日
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宴会の席に、次に出てきたのは、皿に盛られた白い幼虫。 芋虫と思いきや、蜂(はち)の子揚げでした。 まっすぐこちらを見ているのですが、妙に気持ち悪い。白い虫が、山のように盛られている。味は、余りしないのですが、口の中で体が潰れて、ねちょと溶け出しているようで感触がいまひとつ。 栄養は満点ということですが、芋虫を口に入れているようで、余り気持ちいいものではありませんね。
2006年05月19日
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人民政府の招待宴でテーブルを賑わせたのは、蠍(さそり)の揚げ物。何度か口にしたことはありますが、ビールのつまみとしてはもってこいです。 ポリポリしていて歯ごたえはありますが、味は余りありません。珍味といわれますが、それよりは蠍(さそり)の姿揚げですから、そのものが珍しいといっていいかもしれませんね。 効用はやはり毒消しで、にきびや肌荒れに効くといわれています。毒をもって毒を制すということでしょうね。 中国ではよく食べるそうですが、一匹4~5元(48~60円)するとのことで、一般的には高価で余り食べないそうです。
2006年05月18日
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夕方沂水県人民政府の招待所である沂河山荘に到着。山荘の門前には警備兵、そして玄関には「熱烈歓迎○○協会訪問考察」の赤の横断幕。 早速広めの会議室に案内され、政府幹部に表敬。 今回の訪問で、人民政府など関係機関への贈り物は、博多織にしました。 博多織というのは、絹糸を使った平織りという織物で、縦糸で文様を出し、横糸が見えないようになっています。現在では相撲の力士たちの愛用の帯でもあります。 博多織は、中国の宋の時代に、習得した技法が元。それ以後改良が積み重ねられ発展し、博多の地名から「覇家台織(はかたおり)」と読んでいたとのこと。 江戸時代に至っては、黒田長政が幕府への献上品として博多織を選び「献上博多織」として有名になったもの。 やはり、日本の技法は、中国が元祖。人民政府への挨拶にも、中国との関係を説明したのですが、わかったかな?
2006年05月17日
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ソウルの仁川空港経由で、青島に入りました。 青島空港は、本当にきれいになりました。3年くらい前までは、屋内でも薄暗く、ごみごみしていた感じでしたが、今は広々。 中国の空港に降りてはじめに感じるのは、八角の臭いだったのですが、空港が新しくなると、それも気付かないくらい。 そういえば、仁川空港についた時も、焼き肉の臭いは感じませんでしたね。 青島空港から、車で3時間半。沂水県へ向かいます。 中国の方々の3時間半は、「すぐそこ」。しかし、日本の3時間半は、かなりの距離。おまけに中国の高速道路は、体が跳ね上がるくらいの舗装のところも・・。 高速道路を横切る農夫婦や、有料の省道路では、小麦の藁(わら)を山盛り積んだトラクターなど。 田舎に行くほど、中国らしさが残っているって感じ。
2006年05月16日
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昨夜、中国から帰国しました。今日から仕事ですから、やや疲れ気味。 5月10日、福岡空港からソウル経由で青島へ。青島直行便は、初日が青島泊となるため、効率性を考え今回は大韓航空を利用しました。 今回は、滞在の半分以上が公式訪問に充てられたため、肩の荷の重い旅でした。 しかし、高速道路の事故による渋滞缶詰や、空港での荷物不明などハプニング続きで、案外面白い旅でした。 食事も、サソリからはじまって、バッタや蜂の子などでのおもてなし。諸葛亮孔明の公園、鍾乳洞や孫子の兵法の竹簡の発見地など、観光できない場所を見学できました。 最後は、ソウル市内でゆったり。報告書の作成が、たいへんです。 下の写真は、臨沂駅です。臨沂って、中国のどの地域か、わかりますか?
2006年05月15日
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明日から,中国に行ってきます。スケジュールの半分は、各機関の公式訪問のためゆっくりとした旅にはなりそうにありません。 旅程は、ソウルから青島へ。その後、山東省と遼寧省へ廻って帰国する予定。山東省では、日本ではまだ観光スポットとなっていない場所や施設を廻る予定。小学校児童との交流事業も盛り込んでいます。 人民政府幹部が同行してくれるので、安心なのですが、今までの経験からすると、いいところばかりを連れて行かれることになるだろうね・・。本当は、生活感がある場所がいいのですが・・。 しかし、報告する材料をしっかり蓄えてきますね。
2006年05月09日
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1886年のこの日、アメリカの薬剤師ペンバートンが、コカの葉エキスの新薬をソーダ水でまぜて売り出したコカ・コーラが発売されたとのこと。 それが、今では世界を廻って、コカ・コーラが店頭に並ばない国が珍しいほどになった。 僕たちの世代では、一本35円の瓶コーラとミニ・ボトルというグッズに懐かしさを感じる。 アメリカ映画「渚にて」では、最後の場面で風に揺れるカーテンの傍のコカ・コーラ。映画の流れからすると、「ひとつの時代が終わって、これからはアメリカ文化が始る」というメッセージにも受けたられた。 米帝国主義の象徴コカ・コーラは、社会主義国では批判された時期があった。その間隙を縫って、ペプシ・コーラが入っていた国もありました。 コカ・コーラとマクドナルドは アメリカ文化の支配世界の象徴として揶揄されているが、これはあながち間違いではないようです。
2006年05月08日
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日本の自治体が、友好都市の中国の都市に修学旅行誘致や、双方の企業交流のサポートなどを行なう「情報連絡部」を開設するとのこと。 日本からはスタッフを派遣せず、中国の外郭団体に業務を委託。具体的な数値目標を定めて、目標が達成されない場合は委託費を減額するとのこと。 数値目標として定めたのは (1)50任意上の修学旅行の誘致 (2)企業交流に伴う通訳や案などの支援を20件以上 (3)大学などの青少年・学術交流の支援が2会場、などなど。 日本のマニフェスト的システムを輸出しているような感じですが、中国経済も刺激になるかもしれませんね。
2006年05月07日
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中国ゴルフ協会などは、12世紀の北宋時代に中国でゴルフの原型にあたる球技「捶丸」が始っていたと発表。文献などに基づいて復元した木製クラブやボールを公開したとのこと。 これは、中国で玉を打つという意味。1282年に書かれた現代の文献から「12世紀前半の北宋時代に流行し始め、元代は貴族の遊びとしてルールもほぼ確定していた」という。 ゴルフゲームの起源については、様々な説がるようだが、14 ~15世紀にスコットランドで盛んに行われていたことは間違いないようですし、その他にもオランダ、フランス、イタリア説などがあるとのことです。 中国からヨーロッパに伝わったという説も出てきそうですね。
2006年05月06日
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今日は、子どもの日。中国では、端午節があります。 日本では、武者人形を飾り、外では鯉のぼりが上げられている。この節句は、元を糾せば中国が起源とのこと。 今から紀元前のはるか昔、楚(そ)の国の屈原(くつげん)が、陰謀によって失脚し、国を追われてしまった。 故国の行く末に失望した屈原が、川で投身自殺。嘆いた国民が小舟で川に行き,ちまきを投げて屈原の死体を魚が食べないようにしたり、雄黄の酒を傾けて川に注ぎ悪竜を追い立てたというのが行事の由来。これは、いわゆる屈原の供養の日なのです。 今では、その風習は、病気や災厄(さいやく)を除ける大切な年間行事となり、日本では男の子節句となっています。 子どもの日に、ちまききを食べて、酒を振舞うことは、屈原の供養ですね。 ちなみに中国の端午節は、5月31日です。
2006年05月05日
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ゴールデン・ウィーク後半の5連休に、苦戦されている方々も多いのではないでしょうか? 幸い、天候もよく、気持ちよく休みを過ごしましょう! 今日中国では、青年節。これは、1919年の「五四運動」が起源。 第一次世界大戦後、ドイツが山東省で獲得した不法権益を日本に与えてしまった。これが、中国の国民に強い反発を買い、北京で学生たちが「外争国権、内懲国賊」をスローガンにデモ行進。これが、中国全土に広まったというから、昨年の反日デモを思い出す。 これにより「五四運動」は、帝国主義反対と愛国運動の「新文化運動」に発展したとのこと。 現在では、青年を中心に記念活動が開催されているが、日本でも青年の日を考えてみては・・? ちなみに日本では、今日は「国民の休日」で祝日。来年は、「みどりの日」に改名されます。
2006年05月04日
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今日は、日本の憲法記念日で祝日。1947年5月3日に施行され、今年で59歳を迎えます。人間でいえば、還暦でしょうか。 「国民の祝日に関する法律」では、「日本国憲法の施行を記念し、国の成長を期する」ことを目的としていますが、多くの国民は休めるだけで喜ばしい日です。 僕は憲法集会に行ってきました。憲法改正が叫ばれている中で、護憲派と言われる方々の集会。憲法9条は、平和条項で軍隊を持たないことが規定されているのですが、なぜか自衛隊があるということで、これまで国会で再三の論議。いずれにしても現実に即した憲法でなければならないと思いますが、平和の理念は維持してほしい。
2006年05月03日
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世界遺産「万里の長城」の6千キロを超す前項の内、城壁が良好な状態で保存されているのは、2割に満たないとのこと。城壁の一部と認められる部分も全体の3割程度しかないとのこと。 これは、長年の風化や浸食が主な理由だが、なかには石材を建築用資材として売り払ったり、道路建設のため撤去したりする人などの人為的破壊が進んでいる。 自然的な侵食などは保護強化を図ることが必要だが、商業利用による人為的な破壊には、保護法などにより歯止めをかけることが必要ですね。
2006年05月02日
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メーデーといっても、日本では5月の日=May Dayとしか考えない方が多い。今日は、世界の労働者の日なんです。 中国では、国際労働節で、これから大型連休が始まる。 これは、1886年5月1日にアメリカの労働組合が8時間労働を求めてデモを行なったのが起源。今年で、120年を迎えるのです。日本では、77回目。世界でも、休日としている国が多い中で、日本では仕事日。これは、おかしい! ちなみに日本では、1920年に上野公園で初めて開催されましたが、1952年には日米安保条約も絡んで「血のメーデー事件」なんてこともありました。 最近では、連休を避けて集会が開催されています。僕も4月28日の集会に参加しましたが、プラカード展やくじ引きなど娯楽的なものとなっているのが印象的です。 「世界の労働者よ 団結せよ!」などの闘うスローガンは、見えなくなりました。
2006年05月01日
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