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昨日は定例の、月に1回、さくら(仮名)教室で一緒だった人たちで会う日だった。私ははじめての子供で、こういった集まりなんかもはじめての経験なのだが、一番最初、動物園に行った時、お弁当や敷物を持ってきた人が多くて驚いた。集合時間と場所しか決めていなかったのに、何故、このようになったのか、と、狼狽しながら、自分の食べ物をようやく確保した。幸い、娘は食べられるものが少ないので、マフィンやお菓子を用意してきていた。きっちり用意してきた人たちに聞いてみたら、どうも、子供連れの、こういった集まりはお弁当持参ということが多くて、自分も上の子供たちで学んだ、という人が多かった。私もここで学ばせていただいた。会が進むにつれて、ますますお弁当持参プランが多くなり、今回も思いっきりお弁当持参になった。毎日のことだとお弁当も皆手抜きで気楽なものらしいが、こうやって一ヶ月に一度程度の集まりだと、皆、気合も入ってくる。そんな中、私は一人、テンションを下げていた。娘が食べられるものは、ペースト状のものである。最近、色々食べられるようになり、ペースト状のものを嫌がるようになったが、それでも、スパゲッティやご飯にペースト状にしたものをかけて食べている。後は、お豆腐や納豆や汁物など、とてもお弁当に適したものとは思えない。以前日記で書いた、自閉症児を手放した方が、以前話してくださった話が、胸に迫ってきた。彼女とは摂食障害で私が悩んでいるとき、助けていただいた事で交流させていただくようになった。彼女の息子も摂食障害だった。と、いうよりは偏食なのかもしれない。彼女は1週間に一度か一ヶ月に1度だったか、パソコンを新しくした際に受信メールが消えてしまい確認できないのだが、お弁当を作らなければいけない日があって、それがとても辛かったと言った。「小さな小さなお弁当箱なのに、そこを息子が食べられる物でいっぱいにするのが大変で、辛くて悲しくて」と言っていた。娘のお弁当箱も小さな小さなものなのに、ちっともいっぱいになってくれない。やっとの思いで用意したとしても、食べるときは冷えていて固くなっているせいか、口に入れても出してしまう。これから何度、こういう場面を迎えることになるのだろう。自分の将来の姿を思いやって、また、悲しくなった。
2004.05.29
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乳児、幼児教育関係の雑誌や書物、通信教育、としては、間違いなく日本一有名な、あの、通信教育を、うちの娘もやっている。聴覚障害者用にビデオに字幕スーパーがつくのが気に入って頼みはじめたものだ。その今月分が、この日届いた。ビデオに対する反応はいまいちだが、本は気に入っているので、娘にそれを渡して、私はいち早く親用についてきた冊子を読んだ。一般に売っている雑誌の方と違って、子育てに対する基本姿勢など、結構、根本的なことが載っているため、障害児の親でも読みやすい。今号もパラパラと読んでいたのだが、あるページで目が止まった。読者コーナーだ。こういうのは一般雑誌に嫌というほど載せているし、ここで載せる必要性を感じていなかったのであるが、今号は、とうとう腹立たしいものを見つけてしまった。内容は、子供がまだ若いパパに向かって、ジジィと言ってしまって、パパが落ち込んだ、という他愛のないものなのだが、その書き出しが気に入らなかった。『よく話しかけていたせいで言葉を覚えるのが早かった娘が…』言葉の習得スピード=話しかけの頻度。テレビの影響は最近研究結果が発表されており、過度に見せていたならば分かる。が、それは置いておいて、話しかけの頻度。ネグレクトを受けていたり、話しかけをされていなかったような、そんな子供、全体のどれぐらいいるんだろう。兄弟がいれば、必然的に話すし、同居していれば誰かしらいる。生まれてすぐに保育所や託児所に入れば、やっぱり周囲はにぎやかだ。それ以外、といえば、核家族で、転勤中などで近所に行き来する友人もいなく、初めての子供と向き合う人、それは私である。そんな人がノイローゼになる人は多いだろうが、それでも全体から見たらほんの一握りなのではないか?通常、子供と生活していれば、何気なく話しかけるものではないのか?それを、言葉が遅いからといって話しかけが少ない、と、いうのは、もうそれは神話の域なのではないだろうか。確かに、人から、「きっと、お母さんがニコニコしているから、お子さんもニコニコしているのね」と言われればうれしい。が、これは褒め言葉だ、お世辞だ。それを、自ら真に受けて使うことを、恥ずかしい、というぐらいの常識に変えていってもよいのではないか。言葉が遅くて悩んている人がこれを読んだら、どんな気持ちがするだろう。本気で言葉かけの練習をしてしまって、煮詰まってしまうのではないか?この一文を削っても、文章全体になんの影響も与えないのだから、出版社側も配慮してほしいものだ。もちろん、これは言葉が遅い娘をもった母親のやっかみである。が、この件。当出版社には、しっかり言わせていただくつもりである。
2004.05.28
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あれから深夜、出張中のパートナーとの電話で、このことを報告した。彼は、ふんふんと聞きながら、スパゲティーをひっくり返したところで、「それって、○○(私の名前)が悪いんじゃん」と言った。「うん、それでね…」と続け、娘が落書きした話までいくと、「あ、それでまた、△△(娘の名前)に当たったんでしょう~」と言った。自分で言うのもなんだが、昨日の私は偉かった。怒りをぐっと飲み込み、娘にも努めて優しく接し、汚れたものもキレイに片付けた。それはひとえに、私がダラしなくしてたから…、横着してたから…、と考えたからだった。しかし、だ。それを、お前が悪い、娘に当たるな、と、パートナーの口から言われるのは、なんとも、こう、納得がいかなくて、しおらしく電話を切った後、執念深く朝まで(嘘)考えてみた。パソコン周りをだらしなくし、新パソコンの梱包を出しっぱなしにしていたのは、確かに私が悪い。が、しかし、だ。彼が自分の仕事関係のものを少しでも普段から整理していてくれたら、そのスペースに私の書類を置けたじゃないか。自分の服を少しでも整理していてくれたら、あの、服の墓場に梱包関係を一時的に置けたじゃないか。いやいや、私たちの収入がもっとあれば、この家のスペースぐらいの収納がついたマンションに住めたハズだし。いやいや、お手伝いさんがいれば、部屋はいつも綺麗にしてくれるし、美味しいごはんを作ってくれるし、いいなぁ…。と、つまり、だ。昨日の事件。私が娘に当たるのもおかしいが、それと同じ位、彼が私を非難するのはおかしいではないのか。明日は10日ぶりにパートナーが出張から帰ってくる。理論武装も完了したし、早速、一戦しかけてみよう。
2004.05.21
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私は今、猛烈な怒りを抑えながらパソコンに向かっている。日記は一週間も前の日付で、それでも書きたいことが山ほどあって、時間を見つけては、その日のことを整理しながら徐々に現実の日にちとのギャップを埋めていたのだが、そんなことは構わない、と思うぐらい、私は逆上、1分前だ。実は、一週間前のこの日、パソコンを新調した。その時のことを書こうと思っていた日付に、こんなことを書こうとは、なんとも皮肉な…。パソコンは、初心者でも簡単に設置でき、使用できます、がうたい文句だっただけに、あっけなく設置できた。が、そこは初心者。旧パソコンから新パソコンへメールやネットの機能を移動させるのに一週間かかってしまった。部屋の中には、まだデータが残ってて怖くて売ることが出来ない旧パソコンと、新パソコンをほどいた梱包が散らばり、そこへ娘のエッセンスが加わり、なんともしがたい状況になっていた。そこで、一念発起。今日は朝から気合を入れて、あと、旧パソコンについていたCDーROMや説明書を整理して、その空いた場所に新パソコンのものを移動すればオッケー、と。そこまできていた。しかし、娘が空腹を訴え、うるさくてうるさくてかなわんようになってきた。ここで止めては、次またやるとき、頭を戻すのがツライ。したがって、スパゲティとトマトソースを解凍して、片手間にあげながら、申し訳ないが整理を続けていた。と、パソコンの下にホコリがたまっていることに、よせばいいのに気がついてしまった。これまた、普段ならやらないのに、掃除機を持ってきてガシャガシャとかけていた。と…その時…恐らく掃除機で後ろの配線を触ってしまったのだろう、プリンターが少しだけ動いた…すると…だらしなくプリンターの上に載せていた書類の束がスローモーションのように落ちてきた。書類の束はパソコンの前に置いてあった娘のスパゲティーにかぶさり…あっ…とも言わせない間に皿に突っ込んであったフォークを跳ね飛ばし…その衝撃で皿は大きくバランスを崩し…落下していった。落下した皿は着地を失敗し逆さまになって…落ちた…。それも、整理している最中のCD-ROMや説明書の上に。一度も読んでいない新品同様の説明書は、あっという間に立派なユーズドに様変わりした。娘はその有様に恐れおののいて、わぁわぁと泣き叫んでこちらに突進してきた。事態は更なる悪化を見せ、私は危なく自分を見失って叫ぶところだった。なんとか残り少ない理性をかき集めて娘をなだめ、汚れた足の裏を綺麗にふき取り、抱きしめてあげた。娘の機嫌が直るやいなや、私は復旧作業に入った。CD-ROMより、説明書である。濡れ布巾でふき取り、アルコールで拭いてみたが、染みはとれず、かえってブヨブヨになってしまう。試行錯誤しながら、1冊、また1冊と仕上げ、山を築いていった。…ふと、娘の食事も作り直さなければいけないではないか、と思い出した。ごめんごめん、と娘を見たら…書類の束と一緒に落ちたボールペンで…折角それなりにキレイにした…説明書の山の中で…娘は…あのガキは…。…これ以上は自分が壊れてしまいそうで…とても書けない…。
2004.05.20
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大阪小児保健研究会の『ちょっと気になるこどもたち、が大きくなったら―長期的支援について―』というシンポジウムで、ちょっと違う意味で興味を覚えたことがあったので、別に記すことにした。それは、青年期から成人期の自閉症児が抱えるようになる問題に対して、大阪府こころの健康センターの精神科医が用いる対処法である。元来、自閉症児への働きかけの方法は明確なものが多く、それ以外の子供たちにも有効なものが多い、と感じていたのだが、ここでまた思いを強くした。2つあげたいと思うが、その1つめ。例えば、いじめを受けたり、または、そう感じたりして、不登校になったり、体に変調をきたしたりした場合である。まず、医師は1枚のカードを見せる。そこには、ストレス反応が何故おこるかが図式化されている。ここでそれを再現できない、私のパソコン知識の無さが悔やまれるが、ようは、以下のような感じである。ストレッサー→とらえ方‐対処法→ストレス反応この図式に患者の具体的な状態を当てはめ、自分にとってのストレッサーは何、ストレス反応は何、と、本人に整理させる。すると、ストレッサーがあったとしても、そこに至るまでの、とらえ方や対処法に気をつければ、ストレス反応にならない、ことに本人の力で気がつく、という仕組みだ。こんなことは分かっているようで、実際にストレス状態にいるときには感情が邪魔をして冷静にはなれないものだ、だからストレス状態なのだし。こうやって視覚からくると、そこに当てはめようという意識が働くし、良い方法ではないか。あと1つ、さまざまなルールの水準である。これは、高機能自閉症の大学生が学校に行けなくなった事例を氏はあげていたが、ここでもそれをあげてみようと思う。高機能自閉症の彼が大学に行けなくなった理由は、周囲が授業中に使用する携帯電話だった。授業中に携帯電話を使用することが許せない彼は何度も周囲と衝突する。が、高校生の時とは違い、改善することがない。で、彼は無力感を感じて学校にも行かなくなってしまった、という。そこで医師が施したことが、これだ。1枚のカードに『さまざまなルールの水準』と書かれ、4つの文章が縦にナンバリングされている。『1、絶対に許せないこと。2、法律で許されていないこと。3、法律には反しないが社会集団の中で許されないこと。4、仲間、家族の中でまもらなければいけないこと。』で、医師は授業中携帯電話を使用する、というのはどれか、とたずねる。たいてい、「1の絶対に許せないこと」と答えるらしい。そこで、彼が自分で「3かな」と言えるように導いてあげると、納得するらしい。この4つの水準もなんとなく分かってはいるが、こうやって目の前に並べられると理解しやすい。将来、子供がこの壁にぶつかったときに、上手に導いてあげられそうである。特に娘は聴覚障害があり、今でも手話を用いて言葉が耳から入りづらいことを視覚で補っている部分がある。が、こうやって物事を簡単な図式に整理したものを視覚の助けを借りて整理する、ということは、障碍の有る無しに関わらず有効なのではないだろうか。特別支援教育でこういう部分を共有できるのなら、少しは悪くないかな、とも思う。
2004.05.16
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大阪小児保健研究会が今回、『ちょっと気になるこどもたち、が大きくなったら―長期的支援について―』というシンポジウムを開催する、ということを教えていただいたので、大阪国際交流センターへ行ってきた。5人が発表したのだが、関心の高いものが多く、疲れは感じなかった。題目とそれぞれの発表者、簡単な内容を主観で書きたい。1、ダウン症候群の長期的支援 日本ダウン症ネットワーク 藤田弘子→30年前、ダウン症児の0歳児死亡率が50%、平均寿命10歳であった。その頃、ダウン症児のための育児研究会を発足し、早期療育法「ダウン症児の赤ちゃん体操」にいきつき、長年、ダウン症児を見守っている。その経験から、ダウン症児のそれぞれの進路、30歳になった初期メンバーの現在をデータやビデオで紹介。2、自閉症の長期的支援 大阪こころの健康センター 亀岡智美→自閉症児の青年期までのそれぞれの問題点をあげ、それを症例(事実に基づいたフィクションの症例)に基づき解説を加える形態で発表。青年期までの自閉症児が直面している具体的な問題に対する解決法は、自閉症児ではなくても有効であろう分かりやすいもので感心した。これについては長くなるので、別の機会に書きたいと思う。 3、注意欠陥多動症の長期支援 大阪医科大学小児科 鈴木周平→ADHDの子供たちが辿ってしまいがちな最悪のシナリオ、DBDマーチについて解説。DBDマーチとは、周囲の無理解や不適切な対応によって自尊心を傷つけられたADHD児が反抗挑戦性障害(大人に反抗的な子供)や行為障害(実際に反社会的行為をしてしまった子供)といった反社会的・破壊的行動を特徴とする一群へと移行していってしまうシナリオをいう。この人の話はまとまりがなく、英語や専門用語、略語が多く分かりづらかった。が、彼が担当した患者の母親に実施したアンケートの中で、「子供の将来に不安を感じるか」の結果には興味をそそられた。母親の不安は子供のIQの高低に比例せず、ADHD児の母親は不安を抱いている率が極端に少ない結果がでていた。4、21世紀の特別支援教育 独立行政法人国立特殊教育総合研究所 西牧謙吾→平成13年秋に調査研究協力者会議を設置して検討を行ってきた特殊支援教育の最前線にいる氏から、現在の進行状況や特殊支援教育が目指すもの、を説明された。詳細は文部科学省のホームページに結構分かりやすく掲載されているので割愛する。が、『特別支援教育とは、これまでの特殊教育の対象の障害だけでなく、その対象でなかったLD、ADHD、高機能自閉症も含めて障害のある児童生徒に対してその一人一人の教育的ニーズを把握し、当該児童生徒の持てる力を高め、生活や学習上の困難を改善又は克服するために、適切な教育を通じて必要な支援を行うもの』(今後の特別支援教育の在り方について(最終報告)より)と、定義づけられているが、今までの特殊教育の対象児(例えば聾学校)のための学校は子供一人当たりの税金がかかりすぎて破綻をきたしそうだ、とも、このシンポジウムの発表者が、誰だか忘れたが言っていた。『障害種に関わることなく』おこなわれる特殊支援教育、と聞けば、前者は金かかり、後者は足りないからくっつけちゃおう、という安易な発想に聞こえもするのだが…。また、『ひとりひとりニーズに合わせて』と言うが、現在、特殊学級の担任にスペシャリストの免許を持つ人の割合が50%だ、とも、やはりこのシンポジウムで誰かが言っていた。そんな中、障害種をはずした枠での特殊支援教育を担当できるスペシャリストの養成が間に合うのだろうか。そもそも可能なのだろうか?もっとゆっくり聞きたかったのだが、時間が押していたこともあり、また、おそらく氏自身の性格でもあるのだろうが早口で、消化不良は否めなかった。5、保健医療福祉行政の立場から 大阪府健康福祉部精神保健福祉課 野田哲朗→自閉症、発達障害への支援を大阪を例にして紹介。自閉症児教育の専門療育や訓練場所は少なく発達遅滞の教室に組み入れていたり、また、療育システムも確立しておらず、独自に調べたものや、スタッフの勝手な判断で行われてしまっていることが多い、という全国の療育所に対してアンケート結果も公表した。大阪では『松心園』は昭和45年からすでに開設したという、全国でも数少ない第一種自閉症児施設があり、TEAACHプログラムを取り入れ、平成14年にはセンターを設け力を入れているそうだ。以上、短くだがこんなシンポジウムだった。ただ、実は私が一番心に残ったのはこれらではない。1で述べた、ダウン症児の将来で紹介されたビデオに、働く彼らが二人紹介されていた。そのうちの一人の女性が勤めていたのが、私の母校の生協の食堂だった。懐かしい風景のなかに溶け込んで彼女は楽しそうに働いていた。私は背景に移るショーケースの中のメニューや、食べ終わったものをおくベルトコンベアーなどから目が離せなかった。彼女は三年前から働いている、ということだから、私がいたときにはいなかったのだが、でも、もしかしたら他の障害者は働いていたのかもしれない。何か少し誇らしいような気がした。
2004.05.15
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発達遅滞の教室が、学年があがって、さくら(仮名)教室から、ひまわり(仮名)教室にかわるにあたって、楽しみにしていたことがあった。それは給食である。ひまわり教室がある児童福祉センターには、くすのき(仮名)学園という知的障害児の母子分離可能な通園施設があり、そこの給食が月に1度、ひまわり教室にも振舞われる、というものだった。だった…そう、過去形である。今年から、その制度はなくなった。週に1度、1時間強ほどの療育を受け、その間におやつをいただき帰途につく。時間に追われるようなスケジュール。さくら教室のとき、そのスタッフから、その子供に合わせた食事内容が出るから、△△(娘の名前)ちゃんも安心してね、と言われ、私が安心した。娘の異常な食べ方を色々な人に見ていただけ、チェックしてもらえ、アドバイスもしていただけるだろう。娘の新たな味覚も広がるかもしれない。調理法を私が学べることも多いだろう。それがあっさり、なくなった、と言われ、引き下がれなかった私は食い下がってみた。すると、こんな事情が隠されていた。毎年、2歳児クラスは月を踏むごとに通う子供が増えていく。増えていったところで、子供の発達具合、特に歩けるか歩けないか、を目安にして、クラス分けをしてきた。それを、今年からスタート時点からクラスを2つに分けたため、スタッフが足りなくなり、給食を断念せざるを得なくなった、と。クラスは『自閉傾向児』と『それ以外』だ、そうだ。月に1度、帰ってからの子供の昼食を考えずに療育に通い、自分の子供の食べ方なんかを見せながら話したり、愚痴ったり、相談しながら給食を皆でいただく。子供も変わった気分になって、食の進む子供が多いだろう。『自閉傾向児』を別に分けて療育する必要があるのかないのか、どんな特殊な2歳児の療育なのか、私は娘が受けてきたものしか知らないから分からない。ただ、だからといって、そんなに簡単に天秤にはかられて、ばっさりと食事を切り落とされてしまっては、食事に涙している私の努力が軽視されたような気がして、食事に人知れず日々翻弄されている母親の存在を無視されたような気がして、むなしさを隠せない。
2004.05.14
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『障害』と『障碍』、双方使われているが、この違いをご存知だろうか。私は先日まで知らなかったが、ここには大きな違いがあるらしい。戦前まで、『障碍』という言葉を使用していたそうだ。が、戦後、現代国語を書き表すために、日常使用する漢字の範囲を政府が告示をして「当用漢字」を定めた。その、1850字の中に、『碍』という漢字が入らなかったため、当て字として『害』を使用し、今に至っているそうだ。『碍』という字の意味を漢字辞典でひくと、「さまたげるもの、じゃまもの、さしつかえ」とあって、あまり『害』という字と変わらないとうな気がする。が、元来の意味はそうではなくて、「何かをしたくても出来ない状態」という意味合いなのだそうだ。「何かをしたくてもできない状態」は、障害児だけでなく、どんな人にも当てはまる状態だ。私だって、遠くのものを気持ちよく見たいが、近眼だから矯正してもある程度しか見ることが出来ない。マラソンに凝ってはいるが、今からオリンピックにでることは到底できない。そんな意味合いの『碍』と、『害』という漢字が持つマイナスイメージとは、とてつもなくかけ離れて違うように思うのは私だけだろうか。ここで、「私は障害という言葉を使わず、これから障碍でいきます」と断言してみたいが、きっとそれは出来ないだろう。これを書きながらも『障害』と使ってしまっているし、長年の慣習を変えるのには勇気と努力がいる。でも、少しづつ、たとえ、1週間に1回でもいいから、徐々に徐々に使っていけたら、と思う。娘は障害物競走の『障害』のイメージより、聴きたくても聞こえない、食べたくても食べられない、そんなイメージの方が似合う気がする。
2004.05.13
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いつからか、育児書や育児雑誌を手にとらなくなってきた。理由は簡単。二つある。一つめは、娘の役にたたなくなってきたことだ。ボールのやり取りをする頃です、とか以前にコミュニケーションが取れなかったし。ゴミ箱にゴミを捨ててくるぐらいのお手伝いをする頃です、とか以前に歩けなかったり。特に役立たなかったのは食事面だ。離乳食中期頃の食事。『食べられる食材だけを駆使してあらゆる料理を作り、小さくて可愛い器にもった写真』が並んでいる。私が求めているのはそうじゃない。『なんでも食べられるから、それを離乳食中期の形態にして、2才程度の子供の一日の摂取カロリー分の献立』にしてくれ、だ。ちなみに、うちのスリ鉢は3台目である。1代目はすっている最中に見事にぱかっと真っ二つに割れ、2代目は電子レンジの最中、爆音と共に木っ端微塵にふきとんだ。いずれも電子レンジ可能なはずのすり鉢だった。あまり経験できないことを経験させてくれて、ありがとう、神様。二つ目の理由はすこぶる簡単。比べなくてもいいのに、比べてしまうからだ。夫の高校時代の友人で、今は年賀状ぐらいでしかやり取りがない人がいる。一応、毎年、年賀状を送っていた。彼からは正月三が日を過ぎた頃、いつも、『うちの年賀状に返信』という形で、会社のロゴ入りのただの葉書でかえってきた。ところが、ある年から、正月にピターっと合わせてやってくるようになった。しかも、手作り中の手作り。そこには子供と妻とニターっとした自分のあらゆるカットが所狭しと並んでいた。そのカットの中には、某有名雑誌の企画の写真も載っていた。一般家庭の子供をモデルにし、1歳半ぐらいまでのあいだ毎月、その子供の成長を追っていく、というものだ。その写真の下に「この雑誌に毎月出ていま~す!見てね!!」と子供に言わせた形で書いてあった。死んでも見るもんか、と思った。しかし、ちょっと育児書なり育児雑誌を少し見た方がいいかな、と思う出来事があった。娘が「いらない」と上手に言うのを見て、いつも心を少し痛めていた。そんなに辛い思いをさせてしまっているのか、と心配をしていた。そんな時、日記を読んでくださった方が書き込んでくださったことから、「いらない」や「ちょうだい」みたいな、必要にかられた言葉を最初に言うことは、そんなに珍しいことでもないんだ、ということが分かった。育児書から遠のいていた私は、テレビドラマなどで、チビっちゃいのが「…マ…マ…?」なんて言って、「あなたぁ~!聞いた?この子、ママって…ママって…ウルウル」「あぁ…聞いたよ…シミジミ」、みたいな場面しかインプットされていなかったのである。(なんのドラマだ(笑))「育児書なんかに育児は載ってないよ」とおっしゃられる方もいらっしゃるだろうが、それももちろん、一理ある。が、この風習、いつからこっちが常識になったんだ?以前、二ヶ月入院していた病院のベテラン看護士が、私にこんな話をしたことがある。最近の母親は「育児書に振りまわされてはダメよ」という風習ヘンなふうに間に受けて、読みもしない人が増えている。救急ではこんな母親に振りまわされることが多くて困っている、と。先日、救急で連れられて来た子供は脱水症状も末期な状態で、危ないところだった。熱がずっとあって、食欲もなかったし嘔吐するから、といって、水分さえも与えなかったそうだ。またある日はこんなことがあった。夜中、救急車でやってきた7ヶ月の男の子。子供は火がついたように泣きわめき、母親は完全にパニックになっている。「熱は?何があったの?最近の様子は?」と何度聞いても「突然泣き出して」と繰り返すばかり。小1時間もしてようやく落ち付いた時に分かったのは、ただの夜泣きだった、ということ。母親は恥ずかしがる素振りもなく、安心顔で帰ったという。二人とも育児書は読まなくてもいい、と言われたから、と手にとったこともなかった、そうだ。育児書に振りまわされた時代が確かにあったのだろう。その時の、人を元気づける言葉が「育児書通り子供は育たないわよ」だったに違いない。いつからかそれが一人歩きをし、「育児書はいらない」みたいな極論になってしまったのではないか。しかし、こんな核家族が多い中、特に私のような一人目の育児の際に、育児書や育児雑誌を読むことは大切なことなのではないか、と思う。もちろん、振りまわされないように気をつけて。今回のことだって、私が少しは「発語」についての常識を持っていたならば、もう少しうれしい気持ちで子供の「いらない」を聞けたはずだから。
2004.05.08
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聴力検査の方法をご存知だろうか?子供が聞こえているか、音の大きさ(デシベル)と音の高低(ヘルツ)の差でどれだけ聞こえているか、を判断する方法だ。私と娘は何度も何種類もこれら検査を受けた。これからも検査を受けていく。それは、毎回毎回合格発表の日であるかのようにドキドキで、何も出来ない私は、ただただ、前より少しでも良くなっていますように…と願う、切ない時間でしかない。(前日、耳掃除をしたりはしているが(泣))でも、今日の検査の日は少しだけ違った。今まで経験した検査に涙をした日は多かったけれど、うれし涙がにじんだのは今日が初めてだった。最初に聴力検査を受けたのは、生後3日目ほど。私が出産した産院はとてもハイカラ(古)で、LDRや3D超音波などがあり、おまけで、聴力スクリーニングもついてきた。これには、OAE(耳音響放射法)とAABR(自動聴性脳幹反応)という2種類があり、娘がやってもらったのがどちらなのかは分からない。が、いずれの方法も赤ちゃんが自然に眠っているときに耳に装着した専用のイヤホンやヘッドホンから音刺激を送り反応を見る、というものだ。同時期に生まれた子供の名前が書かれているホワイトボードには、娘の名前の横にだけ『要再検査』の文字が書かれており、私はその文字がなくなるのを期待して、ウロウロ、毎日、見にいっていた。聞こえるか聞こえないか、のテストから、どれだけの大きさ(デシベル)が聞こえているか、に移行したのが、3ヶ月の時だった。ABR(聴性脳幹反応反応検査)という脳波の反応からダイレクトで判断するもので、人工的に眠らされ、頭にいっぱいペタペタ線を貼りつけられて行う。これが結構時間がかかり、子供が起きちゃったりして、経験ある方はお分かりだろうが、もう半日一日がかりで、くったくたになる。それなのに、人工的に眠らされた子供は元気いっぱいで、夜、二次被害も出るのだ。この頃には私は、もう聞こえていなさそうだ、という確信があった。だから、この検査を勧められたときは、そんな良いものがあるのなら、と二つ返事で答えた。結果は悲しいものだったけど、どこかに安心感みたいのも感じた。気のせいだ気のせいだ、と周囲から言われ、義母には、「そんな脳波なんてあぶないもん調べたら、あの子、もっと、おかしなるで!」と、今、思うとかなりな暴言を吐かれ、更に難聴が加わった障害児の育児の大変さよりも、そちらの方に疲れていたのだ。正式に難聴児となった娘は、療育所に通うことになった。そこで、大きさ(デシベル)と高低(ヘルツ)の両方も判定が出来る検査を受けることになる。全国的に、1才程度の検査方法は、こんなやり方なのだろうか??スピーカーが左右にあって、その下に、赤色灯(パトカーなどについているランプ)がある。そのスピーカーから大小高低様々な音を言語療法士さんが鳴らして、音が鳴っている方向を向くと、その赤色灯が回ってご褒美、というシステムなのだ。言語療法士さんは、その反応を見て、聞こえる聞こえない、を判断する…という…なんともアナログな方法なのである。最初、知ったときは、こんな方法でもはかれるのね、ぐらいに思っていたが、ずっと、これではかり、これを目安に補聴器の目盛りも決めたのだから、これが正規のやり方なのだろう。1歳の子供なんて、すぐに飽きるし、左右交互に見て遊んだりするし、悪知恵もはたらくし、もっと良い方法は…と思っていた。そして、それはあるのだ。子供が座ってちょうど良い高さに大きなスイッチがあり、その向こうに真っ暗なガラス張りの空間がある。言語療法士は横で音を出す装置を操る。音が鳴ったらそのスイッチを押す。すると、目の前が点灯されていっぱいの玩具が現れ、押し続けている間クルクルグルグル動き出すのだ。音が鳴っていなければ、スイッチを押しても何もおこらない仕組みになっている。去年から娘は少しづつその仕組みを勉強してはいた。しかし、全くダメ。いくら説明してもスイッチを押し続け、まず、待つということが出来ない。ガラスの向こうが見たい、と、ただごねる。毎回毎回、全く進歩していないように見えた。でも、今日。いつものように何気なく座った彼女は、別人のように成長していた。音を待ち、聞こえたら一丁前に「はっ」とした顔をし、慌てたようにスイッチを押す。あんまり楽しくて、思わず、指をさすためにスイッチから指が離れてしまったりして、また、慌てて押したりする。ほんの2週間前。同じ検査した時は、いつもと同じという感じでまったく出来そうな素振りもなかったのに。どんなことでも、出来そうな素振りがあっても、そこから出来るまで飽きるほど時間がかかっていたのに。恥ずかしながら、ちょっと涙が出てしまった。今までの長い道程の、これからはその何倍も何倍も長い道程があって、楽しくないことがいっぱい待っていると思うけど、今日だけは、心から喜べる日になった。
2004.05.06
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大幅に言葉が遅れている娘だが、全く意味がある言葉をしゃべらない、というわけでもない。2、3ヶ月前あたりから、なんとなくしゃべっていた…気がする。最初は偶然かな、と思うような感じで、おかしな具合になったり、使い方を間違っちゃったりしながら、そのうち、最初に偶然しゃべった言葉も何が最初だったか分からなくなったまま、今に至ってしまった。最初に話すのはどんな言葉だろう、と、はじめての子供ゆえドキドキと待っていたのだが…なんとも夢のない話である。最近になって、使い方も発音もばっちりと完璧に使える言葉が一つだけ出来た。よって、この言葉を、彼女のはじめての言葉として、認定しようと思う。それは、「いらない」だ。なんとも摂食障害児らしい、泣かせる言葉ではないか。「おかあさん」らしき言葉を言うが、プーさんのぬいぐるみや、夫にも言っているので、これはまだまだ。「バイバイ」も「ゃぁいゃぁ~い」に聞こえる。「ワンワン」も使い方が今ひとつ。「嫌だ」も「なっ」「なっぁっ」と、言葉にならない言葉。それなのに、食事中、食べたくなくなると、それはそれは綺麗な発音で「いらない」。そして、覚えた両手を合わせた『ごちそうさま』の手話をする。これをされると私は笑ってしまう。パズルも出来ない。自由に歩くことも出来ない。お着替えも出来ない。食事も満足に自分で食べられない。私は口元に食事を運ぶ手を止めて、彼女をしげしげと眺めてみる。ないないづくしの娘が最初に覚えたのが、「いらない」と『ごちそうさま』だなんて…。それは彼女にとって、「おかあさん」よりも「ワンワン」よりも「バイバイ」よりも、もっともっと重要で切実なものだったのだろう。苦労しているのは自分だけではないのだな、と思うと、目の前の小さな身体が少し大人んびて見えて、自然に笑えてくるのだ。苦労を分かち合えた気がして、最近、少しは食事の時間が楽になってきた。次はどんな言葉やどんな手話だろう…。
2004.05.05
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昨日、午前にもなろうかという時間に夫がカーネーションを持って帰ってきた。母の日にちなんだ仕事関係で余ったものをもらったそうなのだが、これが、半端じゃない量だった。1つの花束が、つぼみも合わせたら20程の花がついている大きさなのだが、これを文字通り抱えきれないほど抱えてきた。その数、ざっと見積もって30。花の量にして、600あることになる。ただでさえ実のないことが苦手な私。花など買うことがない。もちろん、夫も花など喜ぶと思ってはいない。これはひとえに、娘へのプレゼントなのである。娘は花や草が好きである。散歩中も花や草に目がいき、手が伸びる。「生きているから可哀想でしょ。よしよししてあげて。」私はいつもそう言って、そう言いながらも信用せず、彼女が触れるか触れないかの場所にベビーカーを位置した。たまに触れても、すぐに「よしよしして」と言い、彼女は『よしよし』していた。「これで明日いっぱい遊ばせてあげて。」娘へのプレゼント、といっても、彼は今日から東京へ出張。整理するのは私の仕事である。切花が死んだ花、というわけでもないが、花束の中には、もうすぐに枯れてしまいそうなくらい咲ききっているのも多くあった。私は朝から花束を一つ一つほぐして、飾るものと、彼女に与えるものと、花の選別にかかった。途中、何度も嫌になったが、家を出る間際に「ごめんね、かえって迷惑だった?」と気遣う夫が、娘のためにと持って帰ってきたのだと思うと、止めるワケにもいかない。ようやく選別を終えて、200位の花で、小さなブーケのようなものを3つと、折れてしまった花をタッパーに押し込んで、花のお弁当をこさえた。娘は喜んで、投げたり、出したり、入れたり、と散らかしまくりで遊んでいた。そんな姿を見て、教育上これでいいんだろうか…。これで散歩している最中もやろうとするだろうし、面倒になるな、などと考えていた。そんな時。彼女が悲鳴のような声をあげた。そして、泣きそうな声をあげながら、何かを見せようと慌てた足取りで持ってきた。その小さな手が持っていたのは、壊れた花と、そこからこぼれた花びらだった。彼女はとても焦ったように、その花びらを振り払っていた。ハッとして彼女が散らかした周囲を見ると、そこには山ほどの花はあっても、壊れた花は一つも見当たらなかった。「お花さん痛い痛いって…。よしよししてあげようね。」彼女は『よしよし』した。その表情が悲しそうだったのは、親のひいきめだったのだろうか…。私が思う以上に娘は草や花が好きで、草や花という物を知っていたのかもしれない。そこまで成長していたのかもしれない。ま、怒られる…と思って焦っただけかもしれないが…。ともあれ、今度、散歩するときの反応が楽しみである。…その前に、このうれしい話を報告し彼の労力をねぎらってあげるメールを、一本入れておこう…。
2004.05.03
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どうして、日々の生活に、こんなに閉塞感があるのだろう…と、様々な観点から考えるのだが、どうも一つには、この専業主婦家業にある気がしてならない。例えば、子供の頃、苦手な科目があったはずだ。私の場合は、圧倒的に体育だった。一番後ろか、その一つ前くらい背が高かったのに、一番前の子よりも走り幅跳びが跳べなかったり。走ればビリばっかりだったり。逆上がりが1回も出来なかったり。体育の時間は苦痛の連続だった。運動会は恥をかく場で、楽しくもなんともなかった。恥をかきながら、いつも私は心の中で思っていた。ペーパーテスト100回やったら体育や運動会が免除ってことにならないかな…。私にとって、専業主婦家業は、この体育だ。運動会だ。娘のようなタイプの障害児を授かった、ただこれだけで、職業選択の自由は剥奪され、専業主婦という一番苦手で楽しくなくて苦痛な職業が私の土俵になってしまった。こんな、負けると分かっている土俵で、くる日もくる日も相撲をとりつづけ、とりつづけては投げ跳ばされている…。マゾでもなければ耐えられないだろう、普通。誰もが輝きたいと思っている。自分に出来ることを探している。自分の能力が認められることを望んでいる。私は能力が低いんじゃない。出来ない呼ばわり、バカ呼ばわりされるような人間じゃない。ここは私のテリトリーじゃないだけ、そうに違いないんだ。
2004.05.02
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サイトを通じて知り合えた、二人のシングルマザーを通して、自分の中で気付いていなかった部分に気付かされてしまった。正直、まだ混乱していて、認めてしまうのが恐い。しかし、そういった頭の中のゴタゴタを整理するためにはじめたサイトである。少しづつ、その部分に触れていこうか、と思っている。私は、このトロくさ~い娘の躾が苦手だ。それはいつも書いている。先日、私の掲示板で、一人のシングルマザーさん(特徴でシングルマザーというのもヘンだが、たまたまお二人の共通点がシングルマザーだったので)とやり取りさせていただいて、それが、自分とは違う娘へのイライラがつのったものじゃないか…と気付かされた。そう。この人は私とは違う。私は能力が高かった、いや、実際はそんなこともなかったのだろうが、母親に乗せられて、そう思い込んでいた。しかし、娘はどうだ。名前を呼んでも返事ひとつ出来ない。ごちそうさま、を教えるのに、どれだけの労力を費やした??どんな玩具を与えても馬鹿の一つ覚えでガンガン叩く。私だったら、即、遊び方を覚えて、誰よりも上手に遊んでみせるぞ…こらこら…イライラ…。頭では分かっているのだ。娘と私は別人格、別人生。運命共同体の旦那とは同じ人生を歩んでいくが、彼女とはベクトルが離れていくのだ。でも、頭の中だけで、ちっとも心の中に刻まれてはいなかったのだ。それは、今日、決定づけられた。もう一人のシングルマザーさんに、障害児育てに明け暮れていた頃に書いたページをアップした、と掲示板で教えていただいたので、早速行ってきた。そこに書いてあったこと。最新の日記。今までの日記ややり取りから知っていたこと。それらが音をたてて頭の中に入ってきて、私の頭にあった物と混ぜあわリ、一つの現実を作りあげた。私が彼女にしていたのは『ただの躾』だった。私が彼女にするべきは『障害児の躾』だった。障害児の彼女に『ただの躾』をすることは、新生児にトイレトレーニングをほどこすような、途方もなく手応えのない、ことだ。彼女も楽しくないし、私も面白いハズがない。ようは、だ。ようするに、だ。私は障害児の親として、もっとも大切なこと。「自分の子供を障害児と認めてからが、障害児育児のスタート」という大原則が、まだまだおろそかだったのだ。娘は、ただトロくさ~いだけじゃない。障害児なのだ。彼女に合ったスモールステップを、私が作成してあげなくて誰がするのだ。私が死んだ後でも彼女が生きていけるように、これだけは身に付けさせておくことを、私が考えなくて誰が考えてくれる。ようやく、今日、ここまで頭に入った。しかし、大切なのは頭に入れることではない、心に刻むこと。これが本当に難しいんだなぁ…。
2004.05.01
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