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蚊に刺されたことで発熱する、ということがあるんだろうか。2歳の娘にはまだ耐性が備わっていないので、蚊に刺されただけで大きく腫れ、熱を帯びる。前日、これといって通常と変わったコースで出かけた訳でもなかったのだが、手と足、おでこに大小、計10箇所ほど食われてしまった。当日は38度3分まで上がり、そこで止まったので、安心していた。家の風呂で水遊びをさせすぎてしまったからかな、ぐらいに考えていた。しかし、次の日、熱は39度6分まで上がっていた。蚊に刺された箇所は赤黒く硬く腫れ上がっているものまであり、そこを中心に熱がひどくなっているような気がする。土曜日、主治医が外来の担当なので、その朝までに引かなければ連れて行こう、と、思っていたのだが、幸い下がった。それでも、気を抜くと37度8分ぐらいに上がってしまう。咳や鼻水など、風邪の様子は全く見られないのだが、以前かかった突発性湿疹のように、食欲があるか、といえば、それはない。手や足をしきりに掻いている以外はこれといって症状は見られず、機嫌はすこぶる良い。なんだろう…。蚊ぐらいしか心当たりがないのだが…。月曜日まで微熱が続くようだったら、やはり主治医が外来なので、相談しに行ってこようか。
2004.07.30
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療育の場などで子供が泣いてしまったとき、無言でこちらを責める人がいる。私の場合、大学病院の言語聴覚士だ。月に2回、診てもらっている、日記にも何度も書いた、あの療育所の言語聴覚士ではなく、こちらは3ヶ月に1度しか今のところ診てもらっていない人である。中年の女性で、5本の指に余裕であがる女子大を出た後、この仕事についた。講演などにもしょっちゅう呼ばれている、この地方では有名な女性である。何人もいる言語聴覚士の中から彼女が担当になったとき、その有名を知っていただけに私は喜んだ。が、だんだん、首を傾げる場面が多くなった。こちらが摂食の相談をしても、「あぁ、それは、仕方がないよね~。」と、笑顔で答え、すぐにまた言葉の問題に戻ってしまう。こんなことが何回か続き、私はこの件に関して彼女に相談することを止めた。それより、彼女が講演を依頼される専門分野に期待しようと思ったのだ。事実、彼女はこの件に関して秀逸である。娘のちょっとした仕草も見逃さず、そこから発展させていく。例えば、「ちょうだい」娘が今よりもっととんちんかんだった頃、「ちょうだい」をジェスチャーでやっていることを見抜いたのは彼女だった。私には全く分からなかったのに、娘が欲しいとき、手を一度握って再び開ける仕草で、「ちょうだい」を示すことがある、と、見抜き、それをいつもやれるように定着させた、それもたった30分程度で。こんなことが多々あり、私は彼女を高く買っていた。しかし、娘が成長とともに、与えられる場を喜んで受け入れるだけではなくなってきた。そこの大学病院では散々、嫌な目にあっているため、玄関をくぐっただけでも泣くようになってもきたのだ。ダメ元で、今日は言語だけで痛いのはないよ、と、言い含めてみるのだが、やはりダメ。3ヶ月に1度くらいでは、慣れてもくれない。経管栄養でなくなってからは、食間でも空腹を訴えて集中力が切れてしまうことも多い。そんなとき、彼女は私のせい、にする。明確に言われたわけではないのだが、そんな気がする。今回も、娘が泣いており、玩具などを与えても泣きやまなかったのだが、彼女は、先生がいない方がいいのね、と言って、出ていってしまった。彼女がいなければ泣かないが、当然、戻ってくれば、泣く。そんなことを何度も繰り返すうちに、時間がきてしまった。それでも、彼女は、外で発語を聞いていましたよ~、と、言っていたのだが、もともと何か用事をしていて遅れてきた彼女が、また、その仕事をしてたような雰囲気があったのだが…。子供が泣いてしまうと、自分がなんとかしなければ、と、いつも焦るのだが、それはそういう場面だからこそ。療育の場では、よほど私が故意に泣かせたのでなければ、泣きやませたり、療育が出来ないのは、専門家側の無能の証拠なのではないか、と、思うのだが…。費用を支払って療育を受ける身としては、経済的な理由で、やっぱり焦る。
2004.07.28
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またまた恒例、0歳児から1歳児の途中まで一緒だった発達遅滞の教室のお仲間たちと会う会だった。以前、児童館で予約がとれる、と聞いて、その手続きをしようとしたところ、サークルの名前が必要、と言われた。さくら(仮名)組の仲間だったのだから、サークル名『さくら』で良いのでは、と、その場で伝えたのだが、それは、発達遅滞の教室との区別がつきづらいから、と、向こうに却下された。それでは…と、話合うことになった。いざとなって私の携帯がなり、席を外したのだが、帰ってきたら、全員の意見を聞かないと決められない、との結論になったらしく、予約自体もキャンセルした後だった。予約をして余裕を持って場所を確保すること、と、サークル名を天秤に計って、後者を重視してしまう、ということは、ママ友達にありがちな傾向だ。私だけでなく、サークル名なんて何でも良い、と、思っている人が結構いると思うのだが、話が回ってきてから後に何でも良い、と宣言するのと、自分が知らないうちに勝手に決まっていたのでは、意味が違う人も多いかもしれない。こういった平衡というか並行感覚も、このような場で上手に振舞うための重要な能力なのであろう。とまれ、予約なしの混み混みの児童館で、名前のない会が催された。朝から娘の様子が少しおかしかったため、熱を測ったりして少し遅れてしまった。ベビーカーをもくもくと押していると、同じマンションで、同じような年頃の子供がいる顔見知りに出会った。今から児童館に行く、と言ったら、今、行ってきたけど、あまりにも混んでたから帰ってきた、何かの集まりがあるみたい、と言った。それでは混んでいて大変だろうなぁ、と、思って、中をのぞくと、空間の半分を占拠している、その集まりのような塊は、我々の会だった。あきらかに2歳を越えているのにハイハイ、それもおしりを高く突き上げ、手足をつっぱらかしてハイハイする男の子や、やはり、体の大きさや髪の生え方は2歳なのに、体を揺らしながら匍匐前進している女の子など、さながら妖怪屋敷のようだった。しかし、そんな子供と、そのきょうだい児が15人も集まり、その保護者が10人も集まると、その風景は、げげげの鬼太郎か、何かのように、こちらの方が正常に見え、しかも楽しげに見えるから不思議である。やはり、どこかに予約を取らないと迷惑をかけてしまうなぁ、と、思いながらも、ちょっと得意げな気持ちで、私は娘とその輪に迎えられていった。
2004.07.27
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はじめて、娘が、他の友達と一緒に遊んでいるなぁ、と実感したのが、ゆい(仮名)ちゃんと出会ったときだった。ゆいちゃんはA市からこの地に引越してきて、4月からひまわり(仮名)教室に通いはじめた、ダウン症の女の子である。二人は遊びたいことが同じなようで、一緒にピアノをひいたり、ドアの隙間から廊下をながめたり、ついたてをドカスカ殴ったり、気がつくと二人で同じことをしている。何か視線を合わしたり声をかけ合っているようには見えないのだが、何故か二人は一緒である。この日のひまわり(仮名)教室の後、ゆいちゃんのママから相談を受けた。来年4月からの進路だが、知的障害用の療育施設ではなく、2歳児として保育園に入るか、一般の幼児教室に通われたらどうか、と、言われたというのだ。ゆいちゃんはダウン症特有の見た目を持っていない。言われれば分かるけど、ダウン症児を見慣れていなければ分からないかもしれない。合併症もなく、体も丈夫。食事も上手によく食べる。娘より数ヶ月も下なのだが、上手に走り回り、言葉も1語文が難なくしゃべることができる。引っ越す前の自治体で、検査ミスではないか、ということで再検査を受けたが、やはりダウン症であり、モザイク型でもなかった。現在は障碍のない子供の発達に比べてさほど遅れは見えない。それを喜ばしいことだ、と、スタッフは言うのだが、どうしてもそんな気分になれない、と彼女は言う。染色体に異常がある以上、この先、どうなっていくか分からない。健常児と同じように発達しない、という烙印があるのに、どうして療育の場から追いやられてしまうのか。引越したばかりで、友達もいなく、情報もない場で、保育園を探す苦労や、幼児教室で交渉していくことを考えたら、将来が不安でしかたがない、と、彼女は言う。確かに、彼女はずば抜けて言葉も運動面も発達しているが、それはあくまでも、この障碍児の輪の中で、であって、手先が不器用そうなところも見られるし、健常児の輪に入ったら、やはり発達の遅れは目立つと思う。それでも、療育の場から出ていくことが、ダウン症のゆいちゃんのために良いことなのだろうか。私には分からない。
2004.07.23
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思えば、彼女とは出会いからして最悪だった。娘の言語聴覚士。今年の4月から担当になって、まだ3ヶ月。毎回、毎回、療育の度に胃が痛くなるほど、彼女との時間が苦手だった。娘との家での関わり方を24時間、会えない日数分、詳細に記述して提出してください、と言ってきた初回。療育の場とは何か、を考えさせられ続けた日々。ちょっと改善の兆しが見えはじめた前回。そして、この日。私の彼女への評価は、前任者を軽く越え、出会った、どの療育担当の人より上になった。きっかけは前回。娘がストローをいつまでたっても使えない、という話になり、では、コップは?という話になった。コップを持って飲む、ということは、周囲を見て学んでいるのだが、食べることがまともに出来ないため、それは猿真似でしかない。両手でコップをつかみ、口にもつけずに顔からかぶる。口につけたとしても、舌が先にでて、コップを口から出した舌の上に乗せる。口から飲めたとしても、口の中に入った液体を、口を開けたまま飲みこもうとする。そんな話をした際、彼女がちょっとした課題を出してくれた。私は、療育の場がやるべきことは、こういった課題を見つけてくれることだ、と、思う。健常児では、大して気にかけなくても簡単に越すことが出来る壁も、娘には大きな壁として立ちふさがる。私はそれを分かっていながらも、ではどうやってこの壁を越させたらいいのか、親だからこそ熱くなってしまって分からない。次第に、普通だったらこんなことは考えなくてもいいのに、と、腐ってきてしまう。そこに、客観的に、且つ専門知識をもって、大きな壁を越えるための小さなステップを作ってくれる、そんな母親のマネージャー的存在こそ、必要なのだと思う。私は、見つけてくれた、この小さなステップなら出来そうな気がして、気軽に娘にやらせてみた。その気持ちが良かったのだろうか、娘は容易くそのハードルを越してくれた。そんな達成感だけで、私は結構満足だったのだが、この日。いつも通りに療育に行くと、彼女が自腹でジュースを3種類買ってきており、紙コップやら、マグカップ(おそらく自分が普段使用しているのだろう)を用意していた。そして、少し飲み方を見させてほしい、と言ったのだ。彼女がミルクを拒否してからこっち。私は本当に孤独だった。食べ方を少しみてくれた言語聴覚士も、入院した病院も、私が何度も声を枯らし涙を流して訴えて、ようやく手にしたものたちだったし、摂食障害を専門にされている管理栄養士さんや歯科医師さんに出会えたのも、ネットの波を何度も越え、方々の管理人さんの厚意を受けることが出来て、ようやく出会えた方々だった。それが、彼女は当たり前のように、私の一番の悩みを察し、娘の問題点に鼻をきかせ、こうやって、私に寄り添ってくれたのだ。恩知らずにも娘はどのジュースも拒否し、持ってきたお茶をマグカップで飲んだ。その飲み方をみて彼女は、正常な過程を経ていないから、このまま何もしないで上手に飲めるようになるとは思えない、この時間でみていきましょう、と、言い、彼女が娘にお茶をマグカップで飲ませはじめた。その飲み方をみて、次のステップを作ってくれたのだ。このステップが絶妙で、家でやらせたら、ほどなくできるようになった。あとは、定着すれば成功である。ただ、ステップを作ってくれただけではない。あげているときの注意点、失敗した時の親の心理の持っていきかた。失敗した娘への対処のしかた。お茶を飲ませる練習をしながら、そんなことも教えてくれた。お利口だね。うっわぁ、上手!可愛いね。可愛いね。こんな可愛い顔で得意げにされたら、うれしくなっちゃうでしょ、お母さん!うわうわ!上手!じょう~ず~!!やる気は誰よりもあるんですよ~あとは技術だけですよ~。きゃあ~可愛い!本当に可愛いなぁ~。娘に顔を寄せて、本当に愛おしそうにマグカップを動かしている彼女を見ていたら、もしかして、彼女とだったら、あの大きな壁を越せそうな気がしてきた。
2004.07.22
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障碍児枠のある保育園の未就園児の会に足しげく通うのは、なんだか、こちらの腹の中を探られてしまいそうで気恥ずかしい気がする。見た目で分かる障碍児なので、向こうも療育の程度を聞いてくるし、こちらも、3歳児からは障碍児枠で~みたいなことをつい言ってしまう。言ったところでどうなるわけでもないのだろうが、なんとなく、前向きに頑張ってるのよ、を演じてしまう。だから、入れてね~みたいな。さておき、ここの保育園は7月中、週1回、プールを開放している。家で水遊びをさせようと思ったら、親が汗だくになって用意しなければ出来ないし、子供は水遊びが好きみたいだし、やっぱり行ってしまった。これだけ通っていると、同じ年頃の子供の親に顔見知りが出来る。暦通りの休みではないから、お盆など家族連ればかりだろうし、遊びづらそうだよね、という話で盛り上がり、とうとう、メールアドレスやらを交換する人が出来てしまった。障碍児以外の子供では久しぶりのママ友である。プールの後、彼女の連れも含めて4ペアで公園に行ったのだが、やはりどうだろう、と思ってしまった。他の子供たちと娘、プールのような狭く遊びも限られている場所ではともかく、こうやって丘に上がると発達が違いすぎる。母親は座ったまま話しこんでいる。子供たちはそれぞれで走りまわり、滑り台やら、ブランコやらで遊ぶ。危ない場面になると、遠くから声をかける。すると、日本語が通じて、その行動を止める。怒られたことで地面にひっくり返って泣き叫ぶ子供がでた。それえをきっかけに、魔の2歳児の話になる。いいな~Aちゃんが怒っているとこ、見たことないもん。知らないだけだよ~外面がいいの、この子。スーパーとかではすごいんだよ~。うちは、お風呂やお着替え。手を出すと海老反りで。ここにいる誰より早く生まれた娘なのに、全くこの話についていけない。ちょっと怒っているように見える時もあるけど、それが発達途上なのか、障碍で魔の部分がないのか、分からないので発言できない。それどころか、ほとんど日本語の通じない娘は危なっかしくて一人では遊ばせられない。滑り台も上手だが、クネクネと細く、力が弱いため、辛うじて登っている感じで見てられない。あと10歳若かったら、彼女を障碍児の枠に閉じ込めてしまうことを嘆いて、この輪を死守するのだろうけど、必ずしもこの輪にいることが私や娘のために最善か、なんて、分からないしな、と思う。娘も友達と一緒に遊んではいないし、違いすぎて視界にも入らない様子だし、私も母親たちと情報を交換した、という感じは一切なかったし。少し悲しくなっただけだったし。
2004.07.21
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今週は娘の熱にはじまり、あまりにも色々あった1週間だった。また、少しづつ、埋めていけたら、と思う。娘の熱が引いた次の日。数ヶ月前から予約していた、入院予定の病院を受診する日だった。そのために、夫もわざわざ休みをとっていた。熱がひいた、とはいえ、病みあがりの娘を、灼熱のチャイルドシートに縛りつけて、40分…もつのだろうか。うちの車はローバーミニという、可愛いが、育児に向かない車である。限りなく古き良き時代のイギリス大衆車の形状を残している、メルセデスと合併する前の昔からのモデルである。足回りが硬く、舌を噛みそうになる上、何故だかGがものすごくかかり、首が痛くなる。小さくて物が積み込めない上に、エアコンの効きなど、走ること以外の能力はない、といっても過言ではない。まだ子供が出来る前に購入したのだが、あの頃は、子供が出来たら私のセカンドカーにしよう、などと語っていた。先立つものがなければ出来ない。二人に収入があった頃の夢物語である。しかし、まぁ、遊びに行くのではなく、病院、それも小児科にも受診するのだから…、と、強行したのがいけなかった。チャイルドシートは、どこかの郷土料理に焼いた石をぶち込んで煮るような食べ物があったが、その石のように、焼けきっている。数分もたたないうちに、顔は真っ赤になり、目と口は半開き、鼻と眉間にたまのような汗が浮かびはじめた。冷たいおしぼりで顔や手足を拭いて気化熱で冷やしてみるが、すぐに同じ状況になってしまう。そのうち、水分補給のためのお茶も飲まなくなってきた。これは、行けないかな…と思ったとき、ひらめいた。そうだ。彼女がまた発熱した時ように持ってきた、貼るタイプの冷却シートがあった。彼女のおでこにピタッ。足の付け根にピタピタ。腋の下に貼れなかったので、頚動脈にピタ。みるみる間に、涼しげな顔になり、手足も冷えてきた。これでなんとか、病院にたどり着くことができた。帰宅してからも体調を崩すことなく、やれやれである。通院やら療育、というのは雨が降ろうと、槍が降ろうと、灼熱地獄だろうと、行かなければいけないので、閉口することが多いが、今回はなんとかこんな手で乗り切ってきた。しかし、彼女の病気のことやら、昼食やおやつやら、暑さ対策やら、そんなことばかり考えていて、なんと、紹介状を忘れてしまった。本当に、閉口させられることが多い、通院ライフである。
2004.07.19
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ちょっと前まで、子供が病気になった時、正直うれしかった。これで、後ろめたさもなく、彼女に食事を食べさせないですむ…。これで、動きまわる彼女を監視することなくいられる…。これで、気になっていた本を読むことが出来る…。熱が高く、息も苦しそうな彼女の横で、散々やりたかったことをやった後、私も死んだように眠りこんでいた。今日、娘が通っている発達遅滞の子供の教室の個人懇談の日だった。着いた後、娘と離れて私だけで個人懇談が行われた。私は、療育所への不満やら、要望やらをブチまけた。指導スタッフ一人当たりに対して子供が多すぎること。時間に追われるようで、おやつもまともに食べる時間がなく、これで意味があるのか、ということ。給食がないことへの不満。1週間に1度、1時間強では少ないのではないか、ということ。全国一律の指導要綱がないのに、他の療育所を希望しても却下されることはおかしいのではないか、ということ。療育所の内情が不透明なこと。それに対して、向こうもキレたような発言があり、こちらもキレかかったりして、書きたいこともいっぱいあるのだが、気分が悪くなるだけなので、今は止めておきたい。それより、娘だ。個人懇談が終わって、娘のいる部屋に迎えにいったら、娘が泣きそうな顔をして駆けてきた。最近、こういう場所で私がいなくても遊べるようになってきたのに、最近の、娘との関係改造計画、が功を奏して、ここでもこうやって甘えてくれてるのかな、と、思ってぎゅっと抱いたら、熱いなんてもんじゃない。これはマズイ…と思って、家に急行する途中、去年まで担当していた保健婦に会った。彼女は悪い人ではないのだが、独断が過ぎるきらいがあり、その独断を押し付ける傾向もあった。今回も、最近会っていない彼女にちょっと触れただけで、「熱くない、大丈夫。ベビーカーは地面の照り返しもあって、大人より暑いの。元気があるし、大丈夫。」と、平気でぬかした。娘をみたら、口半開きで舌を出し、目もうつろだが、人好き精神が働いて辛うじてバイバイをしている状態だった。昔、娘の摂食状態が悪いとき、彼女に相談した際、散々、こちらも知っているような一般知識やら情報を並べたあげく、「大丈夫」と、ぬかしていた。その直後に入院になって、あなたは病室まで謝罪に来た。その事実はもう忘れたの、良い勉強になってないの。家に帰って熱を測ったら、39度を超えていた。息は荒く、お茶を飲むのが、やっとの状態。苦しそうに何度も寝返りをうつ。何が悪かったんだろう。プールで疲れたのかな。あ、プール熱…??調べてみたら潜伏期間が一週間…のども痛くはなさそう…。最近の行動を反省してみる。汗をかいてもすぐに着替えさせなかったな。お風呂の後、着替えるのを嫌がって逃げる遊びをしてたから、しばらく相手してしまってたな。プールの後、買い物に行かず、どうして早く帰ってお風呂に入れてあげなかったんだろう。娘が目を覚ますと、ゼリー飲料を口に入れてみる。食べて、すぐ戻してしまう。小さな保冷剤で水枕を作り、体に当てる。髪をなでたら、少しうっとうしそうに身もだえされて、慌てて手を離した。彼女に何をしてあげたらいいんだろう…。どうやったら、楽にしてあげられるんだろう…。夫に娘を預け、買出しに行く。マンションの入り口で井戸端会議に声をかけられる。急いでいることの言い訳に、娘の熱を持ち出した。早く、解放してくれ、と、心の中で叫びながら。すると、「39度超えてるのに、病院に連れて行かないの?うちなんて、37度超えたら、すぐ病院に連れていくわよ??」買い物に行きながら、携帯に手が伸びる。夫に、相談、こんなこと言われた…どうしよう…。そんなところから電話したって、事態がすぐ変わるわけではないのに、電話せずにはいられない。私の判断は間違っているのだろうか。彼女にとって最善なことをしているのだろうか。子供が病気になるって、こういうことだったんだ、と、今更ながら思っている。こんなに心配で、切ない気持ちになるなんて。今、ぐっすり、熱も呼吸も安定して気持ち良さそうに眠っている。これならば、救急に連れていくこともなさそうだ。こんな狂おしい気持ちになるなんて…。病気になったら喜んでいた、あの頃の自分の方が心の中の何かが楽だったように思える。
2004.07.16
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障碍者だからといって甘えてはいけない。そんな場面に出くわした。電話が鳴ったので出ると、聞き覚えのある声だった。相手が名前を名乗るか名乗らないかのうちに、私は謝った。その声は、駐車場を借りている不動産屋の奥さんの声だった。一瞬のうちに、今月分の支払いを滞らせていること、すでに今月も中旬であることに思い当たったのだ。早速、娘を連れて、ATMでまとまったお金を下ろし、不動産屋へ向かった。2階への階段を娘のお尻を押しながら上がっていくと、そこには奥さんと、旦那さん、あと知らない誰かがおり、旦那さんの方と話していた。奥さんは私を見ると笑顔で近寄ってきた。娘が生まれる前からの付き合いで、1ヶ月に1回会う割には、話すことに抵抗のない人だった。隠しようがないこともあり、娘の障碍のことも話しており、入院や手術のことも、前もって駐車場代を支払う際に軽く伝えていた。それは間違いなく、私の人間としての徳ではなくて、商売人としての相手の才能が優れているのだろう。よろしければ来月分も払いたい、旨を伝え、遅れたことを謝った。すると、「お子さんのことで色々と大変でしょう。仕方ないわよ~。」と笑ってくれた。私はすぐに、「いえ、忙しいのは皆一緒、お互い様ですのに、申し訳ありませんでした。」と、再び頭を下げた。そうして、少し雑談をして、二ヶ月分支払ってきたのだが、その帰り道、ふと、気がついた。あの場面。もし奥さんが言ってくださったことに対して、私が、「そうなんですよ~。もう病院とか療育とか忙しくって~。」と答えたら、それが障碍児の親としての甘えになったのではないか。誰だって忙しい。その奥さんだって、私のせいで電話を1本かけるハメになり、来月分の処理もしなければならなくなり、迷惑をかけられ、忙しさを増やされているわけだ。いくら病院や療育が忙しいといったって、入院しているわけでもなく、また、夫もいる。最悪、電話連絡することだって出来るはずだ。そこを、障碍児のせいにしてしまえば、障碍児という絶対的な水戸黄門の印籠を見せられた感じで発言を封じられてしまい、なんだかおかしい、と思うモヤモヤ感だけが残ってしまう人もいるかもしれない。あまり考えて発言したわけではなかったが、きっと良い発言だったのだろう、と、思った。と、同時に、あまり考えてこなかった分、障碍児免罪符をつきつけられ、憤懣やるかたない気持ちを抑えていた人もいるかもしれない、と、思ったら、こわくなった。
2004.07.15
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セカンドオピニオンの重要性は、頭では分かっていてもなかなか実行出来ないで今まできた。娘の顔の障害についてのセカンドオピニオンとして、現在通っている大学病院の全国的な評判や、娘の障碍に対する症例数を、他の病院の医師に調べてもらったことはあるが、それは、あくまでも今の大学病院には内緒で行ったことだった。顔の障碍は統計的にも600人に1人ぐらいいるポピュラーなもので、且つ、命に関わるものではなく、治療法は数あっても、大抵、その治療に力を入れていて症例数の多い病院、というのは決まっており、あとは、そこに納得するかどうか、の、問題である。そのセカンドオピニオンを聞き、私たちはこの病院に娘を預けよう、と、納得して、今ここに至る。もちろん、文句は山ほどあるので、今後どうなるかは分からないが。ところが、本当に必要なセカンドオピニオン、というのは、案外聞けないものであった。娘の耳のことである。難聴は、伝音性難聴、と、感音性難聴、に大別できる。「伝音性難聴」とは、外耳から鼓膜を通って内耳までの音を振動として伝える部分に障害があること、つまりは、機能的に問題があって難聴になっていることをいう。この場合、機能を補佐してあげられれば難聴は改善できる可能性が残る。「感音性難聴」とは、内耳の蝸牛管以降の音を神経の信号として感じる部分に障害があることをいい、この場合は神経の障害であるから、手術などで回復することは出来ない。この二つは、ヘッドホンを使い鼓膜から聞いた音の聴力(気導聴力)と、耳の後ろの頭蓋骨に直接振動を与えて骨伝導による聴力(骨導聴力)を比較して判定するらしいのだが、娘にはまだ出来ない。ただ、なんとなくどちらかぐらいは分かるのではないか。理由も、なんとなくは分かるのではないか。娘がどういった理由で難聴なのか、ずっとずっと知りたかった…か…?と、思っていたことに、数ヶ月前、ようやく自分で気がついた。それまで、一つには優先順位が高いものがありすぎて、後回しになってたことがある。が、それだけではなく、なんとなく聞けなかった、というものがあるのだ。難聴、という、何かぼやや~ん、と、もわもわした、わたあめのようなものがあって、それに、割り箸が何本か刺さっている。一本は、補聴器や、補聴器を調節したり、耳の訓練をする、教室。一本は、外耳道が狭く、耳掃除が出来ないため、通っている耳鼻科。一本は、顔の障害に通っている大学病院の、言語聴覚士の訓練。一本は、療育所に付属している耳鼻科、と、そこの保健婦。その、それぞれを手に持って、わたあめを食べることは可能なのだが、なんだか食べづらく、お互いの存在が邪魔しあったりして、だからといって、どれを抜いていいのかも分からず、どれで食べるのが一番食べやすいのかも分からず、そもそも、なんでわたあめを食べているのかも分からず、分からないだらけで、なんとなく流されてきてしまっていたのだ。あんまり分からないと、人は質問もできないものだ。学生時代の、あの苦手だった授業時間のように。自分が、原因を知りたかったんだ、ということを認識してからすぐに、一番、頻繁に通った、耳の掃除をしてもらっている病院の先生に全てを話した。今までも彼女には、それとなく原因を聞いたり、難聴の専門の医師について質問したりしてきたのだが、彼女も彼女で、娘は幼少だから、まだ何も出来ないよ、とか、他所へいっても、大した成果はないよ、と、それとなく答える程度で重要視してもらえず、本来の耳掃除やらに移ってしまっていた。が、今回の私の雰囲気を察したのだろう、冷静に自分の知っている、難聴関係の病院や専門医について話してくれた。そして、彼女と相談の上で、この、ちょっと遠い病院に行くことに決めたのだ。そのセカンドオピニオンは、実は悲しい結果となり、私は今もまだ気分がすぐれない。娘の外耳道が狭いのは個性である、と、今まで出会った医師は言っていたのだが、その難聴の権威は、母親の腹の中で耳が形成されていく間に何らかのトラブルでおきた奇形であり、そのせいで内耳にも何らかのトラブルがあって、聞こえが悪いのではないか、と断言した。確かに鼓膜に水がたまっていて、聞こえに影響しているようにも見えるが、現段階では手術用のメスも入らないほど外耳道が狭いので何も出来ない。が、それだけで、ここまで聴覚が悪いことはないので、やはり他にも原因があると思われる、と、言われた。よく分からないけど難聴、なのと、腹の中での形成時による奇形が原因、と、言われたのでは、自分を責める度合いが違う。難聴である結果や、これからやっていく過程は変わらないのに、どうしてもどうしてもどうしても自分を責めてしまう。しかし、それだけではないことも事実だ。その難聴の権威は無愛想で、とっつきにくい感を最初は抱いたのだが、必要なことをきちんと伝え、必要なことをきちんとやろうとする、何か頼りがいがあり、誠実そうな人に見えた。彼は、半年後にまた様子を見せてもらう、と、言った。そして、それまでは補聴器をつけて聴力をカバーし、彼女の成長を助けてやり、耳掃除はマメに今通っている病院に診てもらえばいい、ここでの結果を電話で連絡しておくから、今後はうちと、その病院で連絡を取り合って、お互いに出来ることを話し合っていく、と言った。何か、わたあめに太い棒が一本突き刺さり、食べやすくなった感を抱いた。この感覚は、今、私の心を占めているショックと、段々入れ替わって私の心の中を占めてくれて、肩の荷を一つ、下ろすのに役立ってくれるのではないか、と、思っている。まだ、今はダメだけど…。
2004.07.09
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養護学校や療育所で、障碍児とその母親を診てきた知人の精神科医から聞いたことなのだが、障碍児には、一般の子供より、自分は愛され、望まれてここにいる存在だ、と実感できていない子供が多いそうだ。むしろ、自分は邪魔な存在だ、と認識している子供が多かった、と、彼は振り返っていた。私は娘を愛している。娘のために、と、涙も枯れるような思いでやってきた。だから、その話は私には関係ないこと、と、思ってきた。しかし、そうではなかったのかもしれない。実は、ここ数日、とある改革が私の中で行われていた。きっかけは、娘の行動だった。もともと尋常でないほど父親っ子だったのだが、最近、輪をかけて激しくなってきていた。夜、彼の腕枕で二人して仲良く眠る姿は、さながら踏み込んではいけなかった浮気現場のようなラブラブぶりだった。そんなある日から、とうとう二人いても、迷わず彼の方へ駆け寄るようになった。最初は、父親が好きな時期なのね、ぐらいに思っていた私も、さすがにこれは違うかも、と、思いはじめてきた。そこで、冒頭の言葉を思い出したのだ。彼女は私のことをどう思ってきたのだろう。経管栄養の頃などはヒドかった。自分がチューブを入れる作業が嫌だったのもあるが、それよりも何よりも、彼女が辛かろう、と思って、外そうとすると激しく怒ったし、外してしまった時も、こちらも泣きながら怒っていた。手を出したこともあった。それと平行して、口の矯正具の出し入れ。鼻の矯正具の出し入れ。耳の補聴器。一日に何回も彼女を拘束するハメになった。いつからか、チューブを入れるのに、押さえつけなくても入れることが出来るようになったが、私はそれを自分の技術の向上か、はたまた彼女の成長のように思ってきたのだが、果たしてそうだったのだろうか。あれは彼女の妥協、諦めだったのではないか。もっとも母親が母性を満足させられ、子供との絆を感じる時は食事時間だ、と、冒頭の精神科医は言っていたが、それについては、皆無だったわけだ。皆無どころか、その時間がもっともお互いの苦しみの時で、且つ、日に何度も訪れたわけだ。通院。入院。療育。その他にも、気分が悪いからと無視をして寝ていたり、何が原因か、笑えなかったり、気分で怒ったり、嫌いになったり、扱ったり。そんな時間以外で、私の肉体的精神的余裕があった時のみが、純粋な私と彼女の時間だったわけだ。これでは彼女が、私から愛されている、必要とされている、邪魔な存在だと思われていない、と、確信するのは難しかったのではないか。最近彼女が、我々の食事より少し手間をかけた程度の食事を摂れるようになったり、聴覚が発達したり、言葉も増えてきたり、オペの見通しもたったことから、こちらも余裕が出てきた。足りなかった時間を埋めるためにも、大げさなくらい、私が彼女を愛していることを伝える必要があるのではないか?彼女のためにこんなにもやってきたのだから、母親なのだから、愛されて当然、と、傲慢になってはいなかったか?私は、彼女を少し意識するようにしてみた。必要以上に怒らないように。やりたがっていることは、やらせてあげた。怒ったときも、必ず最後は抱いてあげた。歌を歌いはじめたら、彼女が飽きるまでは付き合い、本を持ってきたら、どんなに忙しくても読んであげた。なんだ、そんなことか。と、思われた方々は多いだろう。が、私にとっては、やれてなかったことなのだ。いや、正確には、もう少しやれている、と、思い込んでいたことなのだ。彼女を意識して、こんなにやれていなかったことに、愕然としたぐらいだ。そうすると、どうだろう。面白いぐらいに彼女の態度は急変した。まず、私から離れなくなった。どこにいても、ピタリと身を寄せるようになった。効果が見えれば面白いから、調子に乗って、色々、遊びを教えてみた。これが、結構、覚えた。食事も、私が作ったものに対して、食わず嫌いせず、信頼して食べるようになった。…と、以上はあくまでも私の主観である。もしかしたら、彼女が変わる時期に、たまたまタイミングが合わさったのかもしれないし、そんな風に見えるだけかもしれない。が、こうやって私が変わったことは悪いことではないはずだし、こうやって考える余裕が出来た、ただその一点でも、大きな進歩だと言える。もう早速、夕飯を作ろうと思っても、抱っこ、と、離れなかった彼女を、抱いたりおぶったりしながら作業する、という、今までにない経験に泣きそうだけれど、私に無理がくるまでは、これもある意味、育て直しと思って、接してあげたいと思っている。たとえ、一日、二日でも。
2004.07.08
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以前、未就園児のための遊ぼう会が充実していた保育園で、今日は七夕会があったので、行ってきた。コの字型にクラスごとに並んで座り、その中央でクラスづつで出し物をしたり、歌を歌ったり、先生方の出し物があったり。施設は古く、エアコンも膨大な子供の前では無力で、環境が良かったわけではなかった。また、我々地域住民の席は、そのコの字型の、一番小さい子供とその次に小さい子供が並んで座っているところの後ろで、正直、よく見えなかった。が、なぜだろう、充実した時間を過ごすことが出来た、と感じた。何か、にじみでるスタッフの優しさ、というのも関係しているのかもしれない。うちだけではなく、何度か通っている子供も把握しており、声をかけてくれたり。なかなか出来るものではないだろう。こうやって、二回、保育園の未就園児の会に来たのだが、やはり、どうしても気になるのが、在園児と、そうでない子供の差だ。他のクラスの出し物のとき、先生のお話のとき、歌のとき、わぁわぁきゃあきゃあ叫んだり、うろうろ出歩くのは全部、在園児ではない。保育園なので、同じ年頃の子供もいるのだが、まるで別の宇宙の生物かのように、ニコニコと、が、お行儀が良い。通いなれた場所で、見慣れたスタッフの側だ、ということをさっぴいても、なんなんだ、この人間と動物の差は。いつもはこんなことないんですよ、お母さんたちがいらしているから、お行儀よく、借りてきた猫してるんじゃないんですか、と、スタッフは笑って言ってくれたが、そうなのだろうか。一緒に、手をつないでお遊戯をしたり、先生の真似をして飛んだり跳ねたり…。やはり、驚いてしまった。保育園の力なのか、お友達の力なのか、他人様が教育(保育)する力なのか。もちろん、これが良い、あれが悪いという話ではない。これも良いな…ニヤリ、と、私が思ったたけである。
2004.07.07
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なんか、彼女の、湿気を吸って膨らんでいるような笑顔を見たら、また言えなくなってしまった。「娘に施してくれている療育を、客観的に拝見させてください」、と。娘の聴覚障害の療育担当の言語聴覚士の先生。悪気はないのだ。本当に一生懸命で。彼女の擦り切れた服も、決して標準とは言えないボディも、療育に力を入れてきた勲章に見えてくるから、不思議である。今日は、まず聴力検査を行ったのだが、ここでの出来事が彼女を加速させた。音が聞こえたらスイッチを押す、すると目の前の暗い空間が点灯されて、グルグルとミニ遊園地が動きだす、という新システムにて行ったのだが、娘はきちんとそのやり方を覚えおり、且つ、今までにないほど聴力が良かった。彼女は大満足で、何度も何度も彼女をほめ、「補聴器つけてないよねぇ(笑)??」と、声のキーも高く、大興奮状態になった。続けての療育でもその威力は益々迫力を増し、音の合図で段差を登ったり降りたりする動作では、じれったいように、「お母さんも早く、手をつないで!」と叫んだ。娘でも押して運べるほどのサイズの木箱に、彼女と娘、私の三人がひしめきあって、ドンっ、ピーーーっ、ドッスンと、登り降りを繰り返す。部屋はエアコンが効いていたのだが、限界まで寒く、動きの悪い私は寒くて寒くて仕方なかった。が、彼女は汗すら額に浮かべており、気づく素振りもない。あんまり寒くて寒くて寒くてキレそうになったのだが、熱帯雨林気候の中ではしゃいでいる彼女を見ると、どうも…調子が出ない…。と、その時、彼女は言った。「△△(娘の名前)ちゃんは、やる気がスゴクある子で可愛くて可愛くて!技量が伴っていないだけなんですよね、この長所をなんとか伸ばしてあげたいなぁ」と、娘について語りはじめた。私も、滅多にない折角の機会だから、と、彼女についての心配点を口にしてみたのだが、どうだろう。今日はノッテきた。それどころか、適切なアドバイスをくれて、こちらもやる気になったではないか。それも、二つも。なんなんだ??彼女も、娘の療育の成果が見えないので、焦っていたのかもしれない。母親も自分の思うように動かないし。悩んでいたのは自分だけではないのかもしれないな。最初、相性が悪い者同士こそ、くっつくのが少女マンガやドラマの常であるし、案外、天敵と思っていた彼女と私も悪くはないのかも…。友達にはなれないが…。それとも、ただ、娘を可愛いやら、伸びるやらとほめてくれたから、気分が良いだけだったりして…。
2004.07.05
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24時間、365日。これだけ一緒に暮らしていれば彼女の生活リズムの大抵は分かるようになる。不思議なことだが、こうやって、一日、一日と母親になっていき、というよりも、むしろ変化していき、階段を一段一段登るように、彼女のことを好きになっていく。私と彼女の階段の、一つ一つの段差が、紙のように薄っぺらい程度の差しかないのは、彼女が障碍児だからなのか、私の母性が著しく低いのかは証明しようのない事実である。が、ちりも積もれば山となる、の、たとえよろしく、たまに振り返ってみると、こんなに登ってきたのだな、と、その高さに驚くこともある。娘は寝かしつけようとすると、ますます眼が冴えてしまう。サービス精神が旺盛なので、横に誰かがくると、面白い顔をしてみせたり、大してヴァリエのない芸を繰り返し見せたり、彼女自身が落ち着かないのだ。だから、一日のスケジュールを振り返り、彼女の様子を見て、眠りそうな頃合になると、私はわざと娘を一人にする。大抵は動きが鈍くなり、いつものソファに寄りかかって天井を見上げ、自然と息遣いが落ち着いてくる。今日も、その頃合になったと見計らって、私はパソコンの前に座っていた。どれぐらいたったのだろうか。私は神経を集中すると、周囲の音が消えてしまう。そんな私の耳に、遠くから近づいてくるかのように段々と、チョキン…チョキン…チョキン…と、音が入ってきた。これは…と嫌な予感を覚えて娘を見にいったら、その悪い予感は当たっていた。娘がはさみを右手に、紙を左手に、チョキンチョキンと、切り込んでいるのだ。以前、2、3回、娘がやりたがっていたので、はさみを手にもたせ、紙を切らせたことはあった。が、こんな難しいことは到底まだ出来ないだろう、と、高をくくっていたのだ。いきなり、ダメ、と声をかけては、はずみで手を切ってしまうかもしれない。私は娘にそーっと近づいた。すると、どうだろう。上手に切っているではないか。もう、20回以上、その紙に切り込みを入れているようで、紙の周囲がヒラヒラと踊っていた。その、まだ空いているところへハサミを持っていき、意を決したようにチョキンと力を入れるのだ。思わず、上手だね!、と声をかけた。娘はドキッとしたように見上げたが、私の笑顔を見て、得意そうな顔をし、ご機嫌のときにやる足バタバタをした。まだ、先の方しか使えないし、力も大したものではなかったので、手に気をつけて、と、声だけかけて、その場を去った。切っても勉強になる程しか切らないだろう、と、判断したのだ。それから数分後、彼女はハサミと紙を持ってきた。その紙はズタズタに切られており、半分はなくなっていた。それらを私に預けて、またソファに帰っていく娘の姿は、少し大人びて見えた。そうやって、彼女を見遣っている私の後ろ姿も、また少し母親らしくなっているのではないか。紙一枚ほどの成長ではあるのだけれど。
2004.07.03
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七夕の歌、というのを、私は一つしか知らなかった。いわゆる、♪ささのはさ~らさら~のきばにゆれる~という歌だ。他にもあんな良い歌があるとは…あれは、昔からある童謡なのだろうか、それとも、みんなの歌かなにかなのだろうか…?ひまわり(仮名)教室は今日、ちょっと早い七夕会だった。飾りを作って、笹に飾って…。笑ってしまうのが、子供たちの様子だ。なんだか分からない様子で、飾りの色紙に手を伸ばし、「壊さないで」とたしなめられていたり、自分も笹に触りたくて駄々をこねて、怒られていたり、短冊に願いを書くペンを取り上げられていたり、夢中になって背伸びをして美しくバランスよく飾りつけている母親の後ろで、子供が保育士さんと玩具で遊んでいたり…。そういう私も、自分の飾りのバランスを遠くから眺めているうちに、たまたま教室に入ってくる親子が開けたドアから娘が脱走してしまい、元のさくら(仮名)教室の中を闊歩していた。私たち子供ほったらかしで、これが正しい七夕の姿なのかな、と、知り合いの母親たちで笑い合ってしまった。それほど、なんだか子供時代に戻ったように、親がムキになった時間だった。いよいよ会がはじまり、スタッフが部屋を暗くした後、ついたての向こうから、文楽のように手作りの星やら織姫やら彦星やらを上に出して、音楽に合わせて振ったり突き出したりして、楽しませてくれた。子供たちもすずやらタンバリンやらで調子を合わせて、盛り上げた。娘はそのミニ劇場が気に入ったみたいで、分かるのか分からないのか、じーっと見つめて、たまに拍手をしたり、体をゆらしたりして、珍しく椅子に座っていた。冒頭の有名な七夕の歌の後に、聞いたことのない曲が流れた。歌詞から判断するに、七夕関係の歌だと思うのだが、スローテンポで、優しい声の成人女性が歌っているものだった。私はその歌の最後まできて、どうしても我慢できず涙ぐんでしまった。今もこれを書きながら、また思い出してしまい、涙がまぶたを突き上げて、痛いほどである。最後のフレーズ、一字一句同じかは自信がないのだが、♪わたしが、およめさんになる日も夜空に星がまたたいていた~これが2回繰り返された。私は、目の前で、夢中になって見上げている彼女に顔を寄せた。少し汗でベタベタした髪、この首筋の匂い、細くて白い腕。こんな小さくて、頼りなくて、愛しい彼女がお嫁さんにいってしまうなんて…。いや、そもそも彼女はお嫁さんになれるのだろうか。私自身はお嫁さんになりたい、という夢を幼少期から一度も持ったことがないのだが、彼女がそういう夢を持ったとき、自分の障碍のことをどう思うのだろう。それに代わるような価値観を彼女に示してあげることが、私には出来るのだろうか。障碍を悔やむだけではなく、それを取り込んで物ともせず生きていけるような、そんな精神を彼女に与えてあげることが出来るのだろうか。色々な想いが錯綜し、気持ちがあふれてしまって、部屋が暗いことをいいことに、私はいつまでもボロボロと涙を流し続けていた。【追記】もし、この歌をご存知の方がいらしたら、不確かな情報でかまいませんので教えていただけますか?スタッフに聞けばよいのですが、なんだか、あまりにも気に入りすぎて恥ずかしくて聞けませんでした…あまのじゃくですかね…?【追記、2】判明しました。ありがとうございました。が、覚えていると思っていた歌詞がめちゃめちゃで…お恥ずかしいです…お分かりになった人は笑ってください…。【追記、3】冒頭の、有名な七夕の歌まで、きらきら星と間違えていました…。さすがに恥ずかしいので訂正させていただきました…。
2004.07.02
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