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家族に必要なのは、『テンション』なのではないか、と常々思ってきた。我が家ではその音頭をとるのは、もっぱら彼だ。お客さんが来るといえば、「よし、(最寄の)駅まで迎えにいこう」休みの日のイベントも、提案するのはまず彼。大きなことから小さなことまで、彼が盛り上げてくれる。私はそれに対して物理的に反対がない限り、大抵は万障繰り上げる勢いで賛成する。そうやって、彼の『テンション』に合わせることで、家族やら家庭やらが成り立っているのだと思う。それは決して無理をしているわけではない。お互いに少しづつ自分だけでやりたいことを削って、二人で『テンション』を合わせて経験していくことで、いつか、年をとったとき、真にシンクロしていくのではないか、と、期待している。たまに見かける、あの、仲の良い老夫婦のように。が、今日は少し後悔した。我が家では記念日にケーキを焼き、心置きなく突き食べることを習慣としてきた。私の誕生日。彼はいつものように音頭をとってくれた。「○○(私の名前)の誕生日に、○○がケーキ焼くのでは大変でしょう?だから、久しぶりにあの店の美味しいチーズケーキを買いにいこうよ!」私はその日、それほど疲れていたのではなかった。まして、彼は私の体をいたわって提案してくれたのに、何故だろう、上手に乗ることが出来なかった。「やだ。だったら、寝たい。」それでも彼は、私を案じてくれ、チーズケーキが美味しい店よりも近くにある、高級な食材を売っているスーパーの名前を出し、以前食べて美味しかった、国内産の太陽の卵、という、完熟マンゴーを買いに行こう、と、提案しなおしてくれた。それでも私は渋々だった。結局、彼にひきづられ、背中を押される形で家を出て、マンゴーを購入し、彼が切り分けてくれた濃厚な身を口にした。それは、本当に太陽の卵かと思うような極上な味で、私の気持ちもほぐれていった。もしかしたら、こうやって、自分だけの主張を彼にぶつけることこそ、最高の誕生日なのかもしれない。毎日これでも幸せなのだが、それでは彼が枯れてしまうかもしれない。明日からは、また、私も少し譲っていこうか。
2004.06.29
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市場に出回っている綿棒が耳に入らないって、なんなんだ、と思う。医療用に使用されている綿棒の、一番小さいサイズも、彼女の耳には小さくて、痛みを伴っているだろう、という。これは、障碍ではなく、個性の域らしいのだが、彼女の外耳道が狭く、家庭で掃除するのは困難だ、ということは分かる。一ヶ月を待たずして痒みを伴うほど、耳垢がたまるのも分かる。それを掃除できるのは耳鼻科しかない、ということも分かる。ただ、こんなに異様な位泣きわめくことが、本当に彼女のためになっているのだろうか。。前日から、中耳炎の子供が使用する点耳薬を転用して、1時間に1回点耳して、耳垢をふやかす。夜中もある適度やっている。で、看護師二人、親一人の計三人でしばりつけ、洗い流す。で、大体洗い出た後、残りをつまみあげ、お決まりの鼻へシュッシュッ、口へシュッシュッ。で、あと、吸入。その安易さと比較にならない程、娘は嫌がり、ぐたりと汗の中に埋没するほど泣きさけび。おそらく、束縛されることと、音が恐怖なのだろう。何ヶ月も連続で、この作業を見続け、私は本気で、耳鼻科医の免許がなくてもこれぐらい出来ないか、と、模索した程だ。今、一番、彼女が泣くのが月に1、2度のこの作業。何故、ここまで辛い思いをさせなければならないのだろう。以前読んだ論文。日記にも書いたが、good enough motherか bad enough motherか、という話。自分がこれを望んでおらず、また、努力しているのにも関わらず、が、こうやって、苦痛を彼女に強いることが多ければ多いほど、私はbad enough motherになってしまい、彼女と私の信頼関係は、ますます構築されないではないか。
2004.06.28
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よく、育児書に書いてあったり、街中で見かける、2歳児前後の子供の姿。わぁわぁ、きいきぃと叫び、自分の欲求を通せと暴れる姿。あれを見る度に、「うちの娘は自我がないなぁ」と思ってきた。もっと、「そんな個性なんだなぁ」と思えば良かったのだが、長年の障害児の母生活で、そういった気分より、自分の娘の成長が遅いせいだ、と思い込んでいたのだ。実際、そうかもしれないのだが、もしかしたらそうではないかも、という場面に何度も立ち会った。娘が怒っているのだ。きっかけは特にはないのだが、娘が歩くに連れて色々出歩くようになったのだが、面倒な場面では、さぁーっと抱き上げ、ベビーカーに押し込み。その場を去っていた。その時の彼女は、いつもながら笑顔だが、こちらの鼻辺りを、何度も何度も手で上から下へなで下ろすような仕草をし始めた。ただ、そんな時も笑顔で、私は笑いながら、真似したりしていた。でも、どうも違う。あまりにもタイミングが、こういう場面に揃い過ぎている。で、どうも、自分の欲求以外のことをさせられる時は、こうやって殴りにきてるんだ、ということが判明したのだ。もしかしたら、こういう自己表現かもしれない。でも、常に後ろ暗い私には、そうは思えない。やはり、自分が彼女に手を上げたことが原因で、「腹が立つと殴る」という図式が彼女に出来上がってしまったのでは、と、思う。ただ、経験がある方はご存知かと思うが、大声出したり(心理的虐待)、手を出したり(身体的虐待)すると、子供はたやすく言うことをきく。だから、ついその楽さから逃れられなくなってしまうのだ。でも、止めた方がいい。子供はこういった感じで、親に分からせてくる、あんた、間違ってるって。私には免罪符がある。障害児だから仕方がない、聴覚障害児だから大声出しても聞こえないって。だから平気でやってきた。この免罪符に甘えて、好き放題やってきた気がする。悔い改めるときがきたと思う。娘は私ほどバカじゃない、かも。
2004.06.27
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最初に娘の障碍が分かったのは、妊娠中だった。それは身体不自由に属するような内容の障碍だった。その時、しきりに周囲に言われたことは「治るんだから」という言葉で、自分も「治るんだから、いいや」と思っていた。だから、忘れもしない、今年の2月。彼女が判定の結果、療育手帳4度と診断されたとき、自分でも思わぬほどの動揺が走った。それは、ひとえに、「治らない」と私が思ったからだ。あれから数ヶ月。苦労し、考えぬいた分、私も成長した。「治る」ってなんだろう?「治らない」って何なんだろう??先天的に障碍があった彼女にとって、「治る」といっても、何に治るのか、その基準はない。一般的に治る、というい概念があっても、彼女自体はそのままが彼女であって、「治る」という基準がないのだ。それは後天的に事故にあった人や病気にあった人もそうであって、そうやって事故にあったり、病気にあったりすることに過失があって後悔してるにしても、現実はちっとも変わらなくて、それは厳然とした事実として重く目の前に横たわっている。それは先天的障碍となんら変わりなく、その人の運命であり、そこに「(元に)治る」なんてことはありえないのだ。たとえ体がそれに近い状況になり得たとしても、その事実は変わらず、経験も作用し、やはり、「治る」という、いかにもゼロに戻る、といった状況はありえないのではないか、と思う。それが娘であり、厳然たる事実である。。遅まきながら、そういった心境も分かるようにはなってきた。
2004.06.26
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この日、近くの大型スーパーの特売日なので、暑い中、娘と行ってきた。最近、娘は出かける雰囲気を察すると玄関へ走り、自分の靴を抱え、玄関のちょっとした段差に座って、履かせてもらおうと見上げ待つ。これは、つい最近のことで、それまでは、ベビーカーによじ登って待っていた。この辺りの彼女の成長に伴う心境の変化は面白い。が、正直、買い物へ行こう、というとき面倒くさい。彼女のスピードで且つ気の向くまま歩いては、本気で明日になるわ、と思うほど遅々として進まない。この特売日に買いたいものがいっぱいあった私は、玄関先で娘を散々遊ばせ、タイミングを見計らって、ベビーカーに乗せた。はたして、それは成功し、私は気分良くエレベーターに乗った。そこには上の階から乗っていた先客がいた。この時期からそれなんだ、と思うほど派手なアロハを着た彼は、年の頃、50代、白いぐるりとツバのついた帽子をかぶり、真っ黒なサングラス、ダボダボの白いズボン。年齢にしては落ち着きのない容姿と立ち姿。こちらが挨拶をしても返してこなかったことからも判断しても、あまり順調な人生を過ごしてきてはいないような、今まで見たことのない人だった。私は少し笑顔がひき、気持ちを引き締めた。が、そんな空気を読めないのが、人好きな娘。彼にちょっかいを出しはじめた。話しかけたり、手を振ったり、知ってる限りの芸で持って、気を引こうとする。さすがの彼も、ちらりとこちらを見た。笑顔はなかった。手を振ってる娘に合わせて少し手を上げる仕草をした後、彼は言った。「鼻、変だね。」私は我が耳を疑った。今までも、鼻に矯正具を入れている娘を見て、色々言われてきたのだが、これだけの速球ストレートをどてっ腹にブチこまれたのは初めてだった。「…あ、鼻、ヘンだね。お鼻、ヘンヘン~お鼻ヘン~♪」娘がまだよく言葉を理解できていない頃で良かった。自分の母親まで、自分の鼻を変だといい、歌までこしらえて歌ってしまっては、グレたくもなるだろう。彼はもう一言、「じゃ、大変だな」と言って先に行ってしまった。残された私はハラホレヒレハレ~となっており、どうやってスーパーまでたどり着いたかも分からないぐらい、ピヨピヨ状態だった。あそこで私たちに「鼻、変だね。」と言うまでの間、50年間。彼はどうやって過ごしてきたのだろう。どのような両親に育てられて、どのような教育を受けて、どのような人間関係を経験してきたのだろう。もし、人との付き合い方の部分に障碍があるとしても、どのような療育を受けてきたのだろう。きっと、面と向かって説明しても徒労に終わるどころか、あまりよろしくない反応をされたりするかもしれないし。そうなったら娘を守って戦うのは、あまりにも不利だし。ひき逃げにでも遭った気分だ。
2004.06.22
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独身時代、本当に本当にどうしようもないこと、って何もなかった。誰か大切な人が亡くなったり、病気や事故にあったり、という、自分の力ではどうしようもないことが起こらなかったという幸運もある。が、大抵のことはなんとかなった気がする。順調に暮らしてきた女性が最初につまづくのは、子供の性別で、それを苦に心に傷を負ってしまう、という話があるが、事実、私の場合、障害児を授かったということを筆頭に、結婚し、子供をもうけ、と、順序を踏む毎に、その軽重は別としても、本当に本当にどうしようもなくて途方に暮れる場面に直面するようになった。この日も、些細なことではあるが、そんな事態が起こった。パートナーに子供を預けて美容院に行ったのだが、その最中に携帯が鳴り、急遽仕事が入っていかなければならなくなったから帰ってこれないか、というのだ。その時、私の頭はカラー剤を塗ったばかり。今、浸透させるための時間に入ったところだったのだ。今すぐ、帰るわけにはいかないし、彼が仕事に連れていくわけにもいかない。娘は2歳だから一人で留守番も出来ない。仕方がないから、美容院の許可をとって、こちらへ連れてきてもらうことにした。電話で、お茶やお菓子などの持ち物をあれこれ指示したのだが、耳にカバーをかぶせられているので、彼の声がいまいち聞こえないし、大きな声でこちらが話すのも他の方の手前気がひけて、電話を切った時には携帯がカラー剤でベタベタになってしまった。果たして娘はベビーカーで連れられてきたのだが、運の悪いことに、シャンプー台で流している最中だった。見慣れぬところで落ち着かない上に、父親がいなくなってしまって、母親の姿は見えず、娘はワァワアと泣きじゃくる。こうなると、遠くから話しかける私の声など聞こえるわけもなく、もう、途方に暮れてしまった。慣れたら慣れたで美容院中を駆け巡り、雑誌を引き落とし、土足でソファに座り、お菓子を食べ散らかす。周囲は、私があんまり怒っても、その声が不快だろうし、怒らなくても腹がたつだろうし、そのさじ加減が難しい。以前から、娘を連れてきていい、と言ってもらってはいたのだが、そうはいっても、お客さんは私一人ではないし、女性だからといって皆こども好きなわけでもない。汚れたものは後で直せばいいのだが、他のお客さんのところに、お愛想しに行くのを見る度に、椅子からお尻が浮いてしまった。が、行けるわけでもなく…。もう、なんとも、どうしようもならない時間を過ごし、とりあえずカラーだけにして帰ってきた。些細なことであったのは幸いなのだが、それでも寿命が少し縮んでしまった。自分のことだけの時代には、こんな事態もなかったのだけれど。これも幸せ、なのだろうか。
2004.06.20
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娘の誕生日にケーキを焼いた。我が家は何かちょっとでも記念日があると、酒が飲める飲めるぞ~とばかりに、かこつけてケーキを焼き、バクバクと突き崩して食べる。こうやって心置きなく食べるために、自分で焼いている。娘の誕生日にケーキを焼いたのもこういった理由からで、特に2歳の誕生日を祝いたかったためではなかった。まだ、誕生日を認識していない彼女のために何かをする気分にはなれず、適当な誕生日プレゼントも頭に浮かばず、ご馳走を作ったからと言って彼女が食べるとも限らず。否定語だらけの2歳の誕生日になった。1歳の誕生日も否定語だらけの誕生日で、おまけに手術がすぐ目前に控えていたが、もっと盛り上がった誕生日だった。立会い出産した当時をパートナーと振り返り、プレゼントに彼女の好きな花束を5000円分も買って、写真もキリがないくらい撮りに撮った。今年も誕生日パーティーをやり、写真もとったのだが、なんだろう、この盛り上がりの無さは。ただ、字面のインパクト程、悲観的な盛り上がりの無さ、ではない。去年はまだ、お客さんを迎えたような盛り上がりであり、今年こそが真の我が家の誕生日のような。記念日を祝う気持ちが薄いくせに、ケーキを食べたいがために、かこつけてケーキを焼く。そうやってパートナーと二人で生きてきた道程に、また記念日が一つ増えただけの感覚、とでもいうのだろうか。そういった意味では、娘を我が家の一員、と、特別扱いではなく、そう思えるようになったのかもしれない。そんなことを考えながら、本当にささやかな誕生日パーティーの後、台所に夫と立ち、二人で片付けをしていたら娘がやってきた。何か堅いものを持っているらしく、私の太ももあたりを二度突いた。それが、あまりにも嫌な感触だったので見てみると、ケーキを切るために使用した包丁であり、しっかりと彼女の両手に握られていた。幸い娘に怪我はなく、先が丸かったため私も無傷だったのだが、もう少しで笑えない誕生日になるところだった。我が家の一員になれてよかったよかった、などと理屈づけて、気合の入らない誕生パーティーをした私たちに対する反乱かしらん、と思ったら、何かとってもおかしくて、パートナーと二人で笑ってしまった。これからは私の時代、あんたたちの悪習は私が断ち切る、と宣言されたかのような気分だった。
2004.06.18
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療育の場では、子供の発達のための支援、だけを目的にしているのだろうか。だとしたら、たった1週間に1度や2度、1時間や2時間やったところで、なんぼのものだろうか。やはり、子供の療育の基本は親にあり、そこをサポートしていくのが療育の場の目的なのではないか、と、思う。彼女は難聴で補聴器をしており、耳の訓練に月に2度、通っている。そこには、週に2度の頻度で難聴児を年齢別に集めたクラスもある。が、そこは耳だけが聞こえない子供たちのクラスである。娘のように、他に障碍があるわけではないので、運動面や頭脳面で娘はついていけないし、逆に耳の方は補聴器を装着すればある程度カバーできるため、そちらは物足りなくなる。そこで、娘は耳の検査も兼ねて、個別にみてもらっている。今年の4月から新しい言語聴覚士へと担当が代わった。以前、日記に書いた人だ。あの時もそうだったのだが、どうも彼女と私では、療育の場におけるスタンスが違う気がする。この言語聴覚士、女性なのだが、療育の場で、ものすごくはりきる。壊れているんじゃないか、というぐらい熱い。高いテンションで娘と遊び、部屋中をかけめぐる。それは、とても有難い。が、それを私にもやれ、という。彼女が娘を療育するのは、月に2度、2時間。私はその前の時間も娘と過ごしてきたし、療育の時間が終わっても、娘とさようならは出来ない。言語聴覚士が行う数数のことから娘の反応が良かったことをチェックし、娘の成長した部分を客観的に拝見し、つかず離れずで娘にうながされるまま療育の場に加われば、それで十分ではないのか。なぜ、私までもが電車の一車両となって、グルグルと部屋を走りまわらなければならない。娘の表情も見えないではないか。療育の最中、娘が療育でやっている遊びで、家で気になったことがあるから、と、話しかけるのだが、反応は薄く、時に無視。例えば絵本。彼女が本を読ませようとして、それは『母親のヒザの上で母親が読む』らしいのだが、娘の反応が悪いから、家ではこんな本を読んで、こんな場面を気に入ってます、と、話しかけても視線は娘から外さず、反応悪し。こんな本に興味があるのは、発達段階としてどうなのか。難聴だから、この本に対して、こういう反応をしめすのか。教えていただきたいのに、どうしても、療育の場で療育の時間を充実させたい、という意欲が勝るらしい。彼女は私に、1日の内訳を詳細に、且つ毎日書いてくれ、と、膨大な量の紙を渡そうとして、私はそれを断った。が、もし、それを提出し続けているとして、どうやって活かすのだろうか。100歩譲って、私が提出した紙から、現在の娘に対して最良の療育内容を決める能力が彼女にあったとしても、いざ実践での微調整はどうやってやるのか。それとも、私がこれを断ったことで、家庭でのことで言いたいことがあったら、日程表を埋めて提出しろ、と、暗に言っているのだろうか。親をサポート、と、書いたが、それは何も、現在の発達段階に適当な療育方法を見つけることだけではない。親が安心して子供と向かいあえるよう、心の中でこんがらがった悩みや不安を一つづつ解きほぐし、消してくれることもまた、重要な療育の場での目的なのではないのだろうか。
2004.06.17
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手術の日が決まった。10月の下旬。その日までに体重10キロにならなければ延期である。以前の私ならば、ここで10キロにしようと半狂乱になったところだろう。思い余って、せっかく経口で食べられるようになったのに、その苦労も忘れて、夜中に鼻からチューブをいれて栄養剤を流しこむぐらいしたかもしれない。それぐらいこの手術に向けて必死になっていた。娘のためではない。自分のためだ。これが終われば、次は5歳前後。同じ障害を持つ方々からの話を聞いても、この手術が終わると一段落つく、と言う。一段落、とは、物質的なものはもちろんだが、私の場合、精神的なものを待ちこがれていた部分が多かった。よく、先輩方から、この手術が終わると子供への愛が増した、と聞いていたからだ。そして、面白いように口をそろえて、「写真を撮っておくといいよ」とアドバイスをしてくれた。確かに、生まれたばかりの頃は、その異形になかなかシャッターを押す指がおりず、一回目の手術が終わっても矯正具が外れず、傷は残り、これまたなかなか写真を撮る気になれないのが共通なのだろう。この手術さえ終われば、娘に対する気持ちが変わるのかもしれない。私はこの手術に、こんな想いを勝手に乗せていたのだ。娘が10キロにならなかった、ということは、今が手術のタイミングじゃない、ということ。もし、どうしても手術がしたければ、そのように病院側と交渉すればよいのだし、それが受け入れられなければ、病院を替われば良いのだ。そんな簡単なことにさえ頭が回らず、ただただひたすらに体重を増やさなければ、と、必死になっていたあの頃の私は、蜘蛛の糸しか見えない、愚か者だったのだろう。ただ、私が何度生まれ変わって同じ状況になったとしても、やっぱりその都度、半狂乱の愚か者になっていた、とは思う。
2004.06.08
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この日もたまたまパートナーが休日だったので、二匹目のどじょうを狙って競馬場へ。空は今にも泣き出しそうだったが、朝からお弁当を用意して行ってきた。娘のお弁当は、以前、書き込みで教えていただいた、保温機能付の弁当箱に詰めた。可愛いものもある、と、教えていただいたのだが、時節柄、近所で入手するのが困難で、結局、これぞ保温機能付お弁当箱!、というようなコテコテの代物しか見つからなかった。が、これまた時節柄、半額でいい、というので、あっさりと購買欲に火がつき、当面の愛用品となった。やはり空模様があやしくなってきたので、昼食は屋内でとることにした。あらかじめ、仕事関係者に来賓席の入場券をいただいていたのでそこへ向かい、競馬をしている人の迷惑にならないように指定された席を離れ、4階から5階へ向かう階段の一角に陣取った。しかし、外と違い、こぼすわ、動き回るわ、階段で危ないわ、で、落ち着かない。しかも、朝から二人とも馬券が的中していない上に、馬券売り場が近くにあったため、どちらも競馬をしたくて仕方がない。こうなると、ウロウロする子供を自分ばかりが面倒をみている、と、お互いが思い、とうとう言い争いになってしまった。先週は天気が良く、人が少ない4コーナー辺りに敷物をしいてゴロゴロしたり、コース中央の子供の遊び場に行ったりしていたため、馬券売り場から物理的に遠く、競馬、というよりは、子供と遊びに来ている感覚だった。それが今日は、大人が競馬をするために来ている感覚だ。子供も遊び、大人も遊び、なんてことを両立するのは通常でも難しいのに、ましては障害児。こりゃ、上手くいかないのも道理だな、などと考えていたら、JRAの制服を着た人に話しかけられた。「美味しそうなお弁当で、いいね」こんなところで店を広げて、と、婉曲にとがめられているのかと思い、ドキっとした。が、目線は娘に向いていた。私は安心しながら、こんなところですみません、と、謝った。その方は中年も後半ぐらいの年の女の方だった。いいえ、と笑顔で答えると、言葉を続けた。「お鼻、どうされたの?」きたか…とうんざりした。彼女の鼻には矯正具が入り、それを固定させるために大きく一文字にテープが張ってある。生まれつき、と、言えればいいのだが、よくあるパターンはそれを言う前に怪我だと決めつけられ、「お母さんがしっかりしないと」と説教されるのだ。私が相手の出方を待っていると、いつもと全く違うパターンになった。「あれ、それは…もしかして…うちの孫と同じ…??」彼女が続けて言った大学病院名は、娘の病院名とは違うが、そこも症例数の多い病院だった。私が障害名を言うと、それそれ、と、彼女は笑った。お孫さんは外孫の3歳男児で、やはりまだ言葉が出ない、という。娘さんの苦労を知って、いつも心を痛めている、と言い、私の労をねぎらってくれた。そして、仕事に戻っていった。それは非常に短い時間だった。が、彼女の言ったことに嘘のないことが分かった。きっと、私が離れて暮らしている娘さんのように見えたのだろう、その短い言葉の中に気持ちがあふれていた。お嫁さんに対する言葉と実娘に対する言葉と、こんなに違うものなのか、と思うほど、その言葉は、ただひたすらひたむきに、私だけを心配してくれているものだった。これがお姑さんや他人の立場なら、こんなに可愛いお孫さんにはあなたしかいないのだから頑張って、ぐらいのコメントだったに違いない。私は少し涙ぐみそうになり、こらえるのに必死になった。結局最後まで馬券も当たらず、言い争いもしてしまった競馬場での一日だったが、この出会いだけで、なんとも心温かい日になった。
2004.06.06
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彼女は生まれつき耳が小さい。これは障碍というわけではないらしく、ただの彼女の個性らしい。事実、私も耳が小さい。耳全体がくにゃくにゃしており、三つ折にしても痛みがない。耳の穴も小さく、市販されているイヤホンが入らない。耳の形も上部が垂れ気味で不恰好。多感な時期にポニーテールが流行ったのだが、恥ずかしくてなかなか出来なかった、という、かわゆい記憶がある。私にはその程度の弊害であっても、聴覚障害者には有難くない個性である。彼女の耳にはベビー用の綿棒も入らず、医療用の一番小さい綿棒でもひっかかてしまう。耳垢がたまれば、ただでさえ聞こえの悪い耳の聴力は悪化するし、かゆみで補聴器も頻繁に取ってしまって、ますます具合が悪い。よって、定期的に、耳鼻科で耳掃除をしている。この日も行ってきたのだが、今日はちょっとした事件が起こった。主治医が耳を傷つけてしまい、出血したのだ。実は、以前、私はこの病院でキレたことがある。ベテランの女医(といっても、その病院は何故か皆、耳鼻科の医師が女医なのだが)が、娘の耳を、やはり同じように掃除中傷つけたのだ。主治医ではないのだが、耳掃除だけの日は、手が空いている医師に診てもらっていた。その日はたまたま、1週間に1日だけいる、このベテランに当たったのだ。ベテランは出血を止める処置をした後、私に説明をした。耳の中はなんとかという、なんとかがあって、なんとかという風になっているから、出血をしやすいこと。今、なんとかという薬を塗って処置したから、こんなぐらい経過したら血が止まる、ということ。その副作用はなく、傷も綺麗に治るから大丈夫だ、ということ。私はまだ6ヶ月位だった娘を抱いて、この医師を無言で睨みつけた。耳の穴が出血しやすいことぐらい、知っている。知識で知らなくても、皆、経験で知っているのではないか。子供の耳でなくても、自分の耳を血が出る程掃除してしまった人は結構多いのではないか。押さえつけているとはいえ、こんなに泣き、暴れる子供の耳を診ていれば、プロとはいえ、少しぐらいなら傷つけてしまうことだってあるだろう、毎回は困るし、深い傷も困るが。それを、このベテランは専門用語でまくしたて、こちらの口を封じたのだ。私はじっと睨みつけた。その後、何を言われても、何を処置しても、娘を押さえつけながら、顔は彼女をずっと黙って睨みつけていた。怒りの表情を隠さず睨み続けた。それでも、ベテランが何事もないように振舞うことに業を煮やし、治療の途中で立ち上がり、看護師にお詫びだけして、その場を去った。ベテランは、たかが耳から出血したぐらいで大げさな、世間知らずな、と、私のことを思っただろう。私も、自分の気持ちを、その時きちんと説明出来ず、怒りにまかせた行動をとってしまって悪かった。が、どうしても、許せなかったのだ。そして、今日。主治医は耳の出血を止める処置をして、すぐに娘の目線でこう言った。「ごめんねぇ。痛かったねぇ。。許してね。。」そして、私を見上げて謝罪した。私は笑顔で、主治医を許した。たった、これだけのことなのに。今はこの病院にいないのだが、あのベテランと私は、ずいぶんとつまらない時間を過ごしてしまったものだ。
2004.06.03
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時折、この子は私を救うために生まれてきてくれたのではないか…と思うことがある。たまにでしかないのだが、この子は私を救うために、あえてこのような不自由な姿で世に現れてくれたのではないか、と思うことがある。この日が、そんな日だった。またもや実母からの電話があり、胸苦しさと吐き気を感じながら彼女を怒らせないように、且つ、彼女を怒らせるようなキレ方を自分がしないように、電話を続けていた。彼女は、自分の戸籍上の夫と今後どうするかを話し合いたいから実家に帰ってこい、という。それが重要だ、と、息巻いている。彼女にとって、私がとうに30を越えた娘で家庭を持っていることや、摂食に障碍がある子供を抱えていることなど、関係ない。この話し合いもどうせ無意味なもので、こうやって15年以上も周囲を巻き込んでいることなども関係ない。自分のことが、どんな世界情勢よりも一番大切なのだ。日本以外の国が紛争状態に入って、日本でも徴兵制がはじまり娘の旦那や自分の夫が徴兵されて、食料が配給制になっても、彼女はせっせと配給物資や軍事物資の横流し業などを思いついて会社をおこし、私に、会社を手伝え、どうせあんたの夫は死んじゃうし、この情勢じゃ子供も障碍があって長生きできないんだから、という連絡をよこしてくるだろう。そういう人だ。彼女には、何人もの彼女が、彼女の中にいて、それがちょっとしたスイッチで変わる。何か、おそらく、仕事上で出会った人に法律改正の動き辺りを聞いたのであろう。それでスイッチが、夫と離婚寸前の可哀想な妻、な気分にスイッチが切り替わったのだろう。こうなると彼女は、自分に男が何人もいたことや、仕事ばかりで家事をする気持ちさえもなかったこと、などは、完全に吹き飛んでしまう。そりゃもうヤバいくらい、自分は貞操観念抜群で、家事大好きで、必死に家庭を守ってきた妻、というわずかな記憶をつむいで、一人の別人を作り上げてしまう。それ以外のことも覚えているのだが、そこに触れると狂人と化す。彼女は電話口で、これは家族の問題なの、と叫んでいた。それでも返事をしなかったら、夫と離婚に至ったのは私のせいだ、と言いはじめた。そして、幼少の頃から、私がしてきたこと、や、若気の至りで忘れたいこと、まで、連ねて、苦情を言ってきた。こんなあんたのせいで、今、金がまったくないのよ!こんなあんたのせいで、夫と上手くいかなくなったのよ!あんたが全部悪いんだから、責任とって来てちょうだい!いつものことだ。いつも『北風と太陽』の話を思いだす。でも、慣れることはない。しかし、今回、何故かするっと一言出てきた。「子供のために金を使うのは当たり前でしょう。私も子供には金を使っているよ。」電話をがちゃっと切った。こんな風に切ったら間違いなく、もう一度かかってくるのに、今日はかかってこなかった。どうして、こんな簡単なことが分からなかったのだろう。頭では知っていたのに、どうして、自分の場合には当てはまらない、と思っていたのだろう。ずっとずっと、自分には金がいっぱいかかって、それを申し訳なく思わなければいけない、と、思いこんでいた。自分に金がかかったせいで実妹にかけるお金がなかった、という母親の言葉を真に受けて、実妹にすまない、と思いこんでいた。自分に金をかけてくれたことへの感謝、と、申し訳なく思う、では、天と地ほどの差があるではないか。実妹にかけるお金がなかったのは事実だとしても、それを恥じるべきは計画性なく、夫婦別居でお互い制限なく金を湯水のように使っていた両親の方ではないか。何故、私が、こんなにも気持ちに負担を持って、過去の自分に息苦しさを感じ、生きていかなければいけないのか。これを教えてくれたのは、障碍のある娘だ。彼女の存在意義を考える過程で、こんな簡単なことではあるが、心から分かるようになれた。こんな日は、本当にたまに、なのだけれど。
2004.06.02
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