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まず、書き込んでくださった方々へのレスが遅れていることを、この場を借りてお詫びさせていただきます。また、今後もしばらくの間、レスが遅れる、最悪、出来ない状態になるかもしれません。何卒、ご了承の上、どうかどうか、どうか私の戦いを見守っていて下さることを願います。措置される予定の知的障害児通園施設を見学してから一週間。私なりに調べ、悩み、考えました、いえ、考えている最中です。そこには様々な問題がありました。知的障害児施設、保育園、共に『措置』されて場所が決まります。保育所の『措置』制度も、いい加減にしてほしい、という点は多々あります。が、まだ、選択できるだけマシかもしれません。私が住んでいる市では、市にある7つの知的障害児通園施設のどれかに住居地域によって措置されるだけで、こちらに選択の自由はない、そうです。特別な理由(重度知的障害があるが、まず肢体不自由施設に通わせたい、等)があるならともかく、こちらが嫌だから、では、あちら、ということは出来ない、と、主張します。市立大学で障害児教育を研究しておられる助教授に聞いてみたところ、社会福祉法人などの場合、措置されなくても、個人との契約において入所出来る例がないこともないが、その良し悪しは別として、それは違反を犯して行っている、とのことでした。皆さんの地域ではどうですか?同じ未就園児で、同じ『措置』で保育園には選択の自由がある程度認められているのに、同じ市の知的障害児通園施設には、どうして選択の自由がないのでしょうね。あの知的障害児施設に娘を入れることなく、どこか気に入った通園施設を見つけて個別に契約して3倍の金額を払って通わせたり、可能性が薄いながらも保育園を探したり、信頼できる無認可を探したり、理解ある幼児教室を探したり、そうやって、この場をしのぐことは、一人目の子供で、予定の手術が終わるなど時間に余裕が出来てきて、経済的な不安がなく、家庭に不満がなく、ここのような本音を語れる場所や仲間を持った、そんな私には可能かもしれません。が、そんな障害児の母親が、一体、どれだけいるのでしょう。私だって、1年前には到底無理でした。『こんな子供を、ちょっとの間でも預かってくれて、ましてしつけもしてくれるなんて、ありがとう』こんな気持ちで、何も見えないまま、預けていたと思います。私は自分が何がしたいのか、分かりません。何を考えているのかさえ、分からなくなってきました。自分の娘にさえ何もしてあげられない自分が、全体像まで考えて、果たしてどうしたいのか、出来るのか、と笑ってしまいます。が、このままで良いと、どうしても思えない、そんな思いに囚われた毎日を暮らしています。
2004.11.29
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瞬間、思い出したのはベトナム旅行だった。一緒に行った友達が、英語が堪能で、且つ海外旅行経験が豊富。失恋旅行に独りでオーストリアのYHで一ヶ月過ごしてきたような人だったので、ついつい、身分不相応の旅行プランをたててしまった。お互い、この国は初めてだ、というのに、あたかも常連のようなプランを。どこに行っても、観光客狙いの物乞いに囲まれる中、払いのけ、無視し、歩いていった。移動手段は全て、徒歩か公共の乗り物。これが、計画だった。予定通りの乗り物に乗り、移動し、歩いているハズが、どうも様子がおかしい。考えてみれば、地元の公共の乗り物の最新情報も手に入れなかった我々も愚かだった。気がつけば、地図のどこに自分たちがいるか分からなくなっていた。静寂。あれだけいた物乞いは、ピタっと消えていた。かわりに広がるのは、路上に座りこんでいる人々だった。脇には鍋などの日常用品。明らかに人のと思われる排泄物の数々。異様な臭い。腹の底が瞬間で沸騰し、蒸気が喉を駆け上がってくる息苦しさ。鼓動の痛み。消える表情。手足の血のめぐりが変わり、感覚がなくなってくる。これが、人の中に眠る、防衛本能、という奴なんだな、後から思った。からみつく視線を断ち切り、どこをどうやって歩いたのか、いまだに分からないのだが、我々はタクシーに飛び乗り、且つ、偶然にも、そのタクシーが良心的なタクシーだったため、無事に、メインストリートまで戻ることが出来た。それは、娘が来期から行く予定の知的障害施設の見学で起こった。入院中で行けなかった、うちと、もう一人の計二組で行ってきた。働いている保育士に準じる者たち、は、中年がほとんど。園長は2年前、環境課から異動してきたばかりの、人だけは良さそうな人で、現場の人間に頭が上がらず、後承諾ばかりしている。教室などの出入りには鍵を必ずかけて、という規則の形骸化。嫌な予感を覚えながら、最後。来年、所属する予定の『自閉症以外の障碍児の教室』に入り、一緒に昼食をとって帰った。食事中の、すぐ真隣に、なんの被いもなく、置かれっぱなしの、おまる二つ。職員たちは声もなく、まだ、一人で食べられない子供の口に、もくもくとスプーンを突っ込む。気持ち悪いほど静寂した、食事風景。たまに聞こえるのは、子供のうめき声のような音と、職員の、忘れた頃に聞こえる、ぼそっとした子供たちへの声かけ。我々がいる時でさえ、こうだ。いなければ、推して知るべし、だろう。この子たちは娘より発達が遅いから、娘の刺激にはならないかな…と、ちょっと考えはじめた時、一人の女の子が私に寄ってきて、膝を触り見上げた。その瞬間。背筋がぞぞぞぞっとし、眠っていた危機意識がむくっと顔を上げた感じがした。今、私を見上げている無表情な子供。この子は、『娘』だ。家に帰ったら親に甘え、笑顔を取り戻し、悪さもする。片言ながらもしゃべり、私の腕を取り、連れまわす。こぼしながら食事をとり、「おいちぃ」と、ホッペに手を置く。発達が遅いながらも、彼女のペースで成長してくれている、可愛い大切な私の娘。目の前にいる子供は、娘よりも発達が遅いのではないのではないか。ここの空気が、この子を、こうさせているのではないか。家に帰れば、娘のように、走りまわって、にぎやかに暮らしているのではないのか…??市場原理の働かない場所で、異動されて、すげ変わる素人上司に権限はなく、中年のスタッフが惰性で行っている療育所。こんなところに、娘は入れられない。
2004.11.22
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今日は、久々に、自分の中の嫌な部分を吐き捨てたいと思う。そうでもしなければ、腹の中がなんだかゴロゴロと気持ち悪いような、熱いような、吐きそうなような気持ちがして、どうにもこうにもいられない。嫌な気分をもらうと引きづられてしまいそうな心持ちの人は、読まない方がいいと思う。今日、退院後、久々に、発達遅滞の子供のための教室に行ってきた。久々に会いたい面々とも会え、つつがなく終えて帰途につこうとしたとき、スタッフから呼びとめられた。入院中に行われた知的障害児施設の見学を、希望するなら個別で対応するが、というものだった。是非に、と答えて日程を合わせている時、スタッフがポツリと言った。「△△(娘の名前)ちゃんは当落スレスレなんですけどね。」純粋に年齢順で入っていく、ここのシステムでは、6月生まれの娘の順番辺りが怪しいらしい。入れなければ、週3回、昼食有りで日中ずっとの療育から、今まで通り、週1回1時間半の療育のままになってしまう。保育園に通わせたいとも思っているんですけどね。と、独り事のように言ったら、大袈裟に驚き、何故か笑い出した。「2歳児でしょう?保育園?無理でしょう~(障害児)枠ない時でしょ。どこも空きないって聞いてますよ。」どこを?と聞くので、心中の保育園名を口にすると、更に笑って、言った。「××さんのとこが、空きがないけど、あそこを第一希望にするって言ってたよ。彼女のところは経済的にも彼女が看護師として働かなければやって行けないし、△△ちゃん(娘の名前)は不利だよ。」このペラペラと人の内情まで話してしまうスタッフが口にした名前は、以前、日記に書いた、壊れかけた障害児の家庭の彼女だった。障害児に無理解で、定職につかず、暴力までふるいながら、あちらから別れると言い出した夫を、それでも愛しているから、と、今でも、すったもんだの末、一緒に暮らしている。その名前だった。彼女から以前、メールで保育園について相談され、私はその度に様々な保育園の情報を流し、娘のための心中の保育園まで明かしていた。その保育園を第一希望にしたからって、それを私に教える義務は確かにない。だって、そんな仲ではないのだから。それでも、そんな程度の仲の私に頻繁にメールを送り、電話をしてきたのだから、その時、一言言ってくれても良さそうなものなのに。どうして、発達もまばらで、だからこそ知的障害児とくくられ、世間の物差しから違って生きているのに、こんな時だけ世間の物差しである、生まれの年齢、で、入所時期を決めてしまうのか。どうして、経済的に不安でも、実両親が近くに住み、働いている間、子供の面倒をみてくれる環境にある人が、経済的な問題は無くても、誰も助けてもらえない状態ではあるが、学業、キャリアを積んできた自分のために、仕事をしたい、という人よりも、有利になるのか。そもそも、どうして、療育所のスタッフという立場の者が、人の経済状況まで他人にバラしたりしているのか。怒りや不満は多々多々多々あるのに。あるのにも関わらず、どうしても。狭き門を奪い合う彼女を憎い、と思ってしまう…。知的障害児施設の枠を狙い、娘よりも早い生まれの人の動向を遠まわしにうかがってしまう…。そんな自分に反吐が出る。
2004.11.19
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退院後、初めての通院となった、この日。聞き慣れない言葉を医師から聞いた。入院、手術をした病院ではなく、執刀医師がいる大学病院に今まで通り通院し、術後のケアをしていく。執刀医師の助手を務めた医師は娘の口の中を丁寧に覗き、ケアした後、こう言った。「優秀ですね~」「は?」思わず、出た言葉はこれだった。術後3週間にも関わらず、傷の治り方が2ヶ月ぐらいの状態だ、というのだ。この病院で診てもらっている障碍の状態は、とにかくいつも最悪を極め、落ち込むことばかりで、今回の手術も実は、完璧なオペは出来なかった、と説明されたぐらいだったのだ。1回の手術で、その後、どう『普通の人に追いつき、追い越していく程の言語力を得られるか』彼女の障碍に関しての、最近の学会での流れは、これが主流だ、と、本当の主治医は語った。1回の手術と、その後の言語訓練の経緯。これが、医師の勲章となるらしい。が、娘に対しては、2回が良いと判断した、と、語った。状態が悪いし、頭も優秀ではないから、1回、安全を重視した軽い手術をしておいて、もし、言葉をたくさん話すようになり、より賢くなれたら、その時、2度目の手術をすればいい。術後の説明での、彼の言葉を要約すればこうだった。学会の主流から外れても、この子の安全を判断したんだよ。ということを、一応、枕詞のように、こちらの精神安定剤として付け加えてくれたのだろうが、素直に乗る気になれなかった。そして、この日。傷の治りが優秀だ、という。傷の治りに、優秀、という形容はどうだろうな、と思わなくもないが、それよりも何よりも、やっぱり素直に嬉しかった。傷の治りに関しては彼女を苦しめなくて良さそうだ、ということが嬉しかった。ちょっと、優等生的喜びだが、本当にこのことが嬉しかった。
2004.11.18
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退院してからこちら。部屋はごちゃごちゃ、荷物もまだほどけておらず。家の蛇口の下でも病院と同じように自動で水が出てくるのを待っている始末である。それでも朝は来る。朝が来たら娘は朝食を欲しがるし、夫は仕事へ行く。娘の朝食も、夫の仕事も、私には関係ないのに。そりゃ、娘は私が欲しくて産んだ私の可愛い娘だし、夫も私がチョイスした、私には最高の夫で、家族のために仕事をしている。でもでもでも。娘の起床時間も。夫の起床時間も。朝食の時間も。夫が毎朝、顔を洗う度に洗濯カゴには入れず、洗面台の脇にぐしゃっと置いておくタオルも。私になんの関係がある。そこに私はあるの。…やることが多いと、気分が滅入ってくる。今はそんなとき。
2004.11.13
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子供の入院に付き添った親は、皆こんな感じなのだろうか。これで何度目かの経験なのだが、やはり今回の退院後もそうだった。とにかく、非常に眠くなるのである。10日に義理の両親に手伝っていただいて午後、退院し、12日の今朝、義両親が帰っていった。その直後から13時までの2時間強、爆睡。その間、娘の面倒は出勤前の夫に任せきり。遅い昼食、押したおやつを、義母が作りおいてくれたもので済ませ、夕方から子供用番組をつける。それが終わった頃、また爆睡。途中、目が覚めたら娘も隣で寝ていたので、共に寝室に移動して再度爆睡。目覚めたら既に20時。遅い夕食を、これまた残りもので済ませ、なんと私はまた寝てしまったらしい。22時30分に目を覚ますと娘は食事用のよだれかけをしたまま眠ってしまっていた。パジャマに着替えさせ、おしぼりを作って娘の顔や首回りを拭って寝室に運んで寝かせたついでに、またまた睡眠…。今も、あくびを繰り返しながら、こうしてパソコンに向かっている。今回は有料個室をとり、金で快適を買ったというのに、それでも、この有様。このダルさは、そう。出産直後のものに似ている。付き添いとは、なんとも体力や精神力を消耗するものだな、と実感する。------------------------------------------------------このような感じで、無事、退院してまいりました。入院中。読みづらい日記を読んでくださった方々に、心からお礼を申しあげます。身体もそうですが、入院中、留守にしていた家の方の片付けや、入院中の荷物の片付けなども、まだ全く手をつけていない状態ですので、コメントのお返しやメールなど、まだ待っていただけたら嬉しく思います。また、ぼちぼちと更新していけたら、と、思っていますので、これからもよろしくお願いいたします。
2004.11.12
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【入院記録 13日目】いよいよ、明日、退院である。毎回、毎回、入院生活から気付くこと、学ぶことが多い。今回は個室を取って気がねなく過ごせたたのと、予定通りの入退院だったこと、ここの施設、スタッフ共に今までの中で最良だったため、得ることだけが多い入院になったと思う。出会った方々からも様々な情報、パワーをいただいた。人工内耳を作りにきた、同じ県の他の市の施設にかよう辰吉(以下、全て仮名)君。自身が全身重度のアトピーで、いつも掻きながら付き添っていた歩君の母親。まだ若いながら脊椎損傷で下半身が動かない上の子に付き添いながら小耳症の下の子を育てる、好汰君のママ。NICUから三年間、転院はあっても退院は一度もない奇病を抱えながらも、病棟マスターとして陽気に君臨する月ちゃんと、付き添う母親にとって裏であり真の入院案内パンフレットである月ちゃんの母親。染色体異常でてんかんもある重度の身体障害児を育てる弥耶ちゃんのママ。彼女とは二週間入浴も出来ずに付き添った、などの昔の苦労話から嫁ぎ先の話、障害児制度や社会問題などなどなど、夜遅くまで語り合った。入院生活の空間は、実生活バージョンの『ここ』という気がする。この場で出会っただけなのに、私の中の未消化な部分、怒りや悩みや不安と同じものを抱えている人達が多く集っていて、寄り添いあえて、未消化部分を共有できたかのように温かく、軽い。家事からも解放される(笑)。そして、また、帰っていく。嫌なわけではないが、言いようのない焦燥感、不安感を感じなくもない。社会から、障害から、制度から、自分自身の手から、娘を守りきれるだろうか。また、闘いがはじまる。
2004.11.09
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【入院記録 12日目】結局、下痢は止まらず。おしりのかぶれは皮が剥けるほど悪化してしまう。大事をとって退院が一日延期になる。有料個室をとっているため金銭的なことを考えなくもなかったが、今回は旅行、と、もう一度自分に言い聞かせ、まだ本が読め、家事から解放された日々を楽しむことにする。こうやって過ごしていると、娘のほんの少しの変化にも気がつくようになる。例えば、入浴。入浴好きな娘だが、何故か服を脱ぐ際だけは「いやー」と逃げていた。入院生活では、この後、家事が待っている訳でもないので、のんびりと構え、逃げるなら逃げるでいいや、と、放って先に入ろうとした。すると、自分で服を脱ごうとするではないか。自分で出来るのに私に手伝われることを拒否していたと、ようやく気付いた。また、こんなこともある。娘は、自分が今してほしい提案を私がすると声を出して笑う。「お外行く?」「ぇはは」それで意思が分かるから、そのまま生活してきたが、これは「うん」と返すべき場面ではないか、と気付いた。少し導いてあげたら使えるようになった。他にも、靴を自分で脱げるようになったり、と、成長著しい。大事を取った上に、もう一日分成長する、と考えれば有料個室代一日分など安いものだ。夕方。実妹と彼が見舞いにくる。病院内だし、初対面の彼がいるし、娘は私にべったりでロクに話も出来ないだろうな、と私は思っていた。実妹は実妹で、娘を自分が面倒みて私を休ませてあげよう、と覚悟していた。が、彼等をロビーで出迎え、初対面を果たした時から娘の視線は彼に釘付けで、部屋に戻るやいなや二人でプレイルームに出かけてしまった。夕食までの数時間。久々にゆっくりと実妹と話し込むことが出来た。娘が彼を気に入った理由は分からない。が、訳分からん生き物を根気強く相手してくれたことは事実だ。感謝している。
2004.11.08
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【入院記録 11日目】今日もやはり、抗生剤の副作用で下痢が止まらない。特有の匂いがする。去年、口唇裂の手術した時も同じ匂いの下痢をした。あの頃はまだ経管栄養で、歩くことも出来なかった。ベッドの中だけで過ごすことにストレスを感じている様子もなく、ぼーっとしたり、単純な手遊びや運動を気味の悪い奇声を上げながら没頭したり、手術の前後に食事が制限されたことに、苦しむ素振りもなく、非人間的であった。それを思えば、下痢のために、一日に何度も看護師と一緒にシーツを交換したり、不安がったりストレスを発散されるために娘を連れだって、下痢で汚れた物を洗濯に行くことなど、なんの苦労も感じない。お尻の荒れが悪化したので、亜鉛の軟膏を勧められて試す。洗った後たっぷりと塗る。治るといいのだが…。
2004.11.07
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【入院記録 10日目】抗生剤の副作用で下痢が止まらない。整腸剤も服用しているのだが2回に1回はパジャマまで汚してしまうほど。お尻が真っ赤になってきたので、アンダームを塗る。熱はないし、摂食も順調だし、傷の回復も早く、出血も止まり、予定より早く退院出来そうだったのだが…どうなるだろうか。一応の退院予定は火曜日に決定した…のだが…。
2004.11.06
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【入院記録 9日目】今回の入院は一人で病院に缶詰になる予定だったので、その覚悟でやってきた。ところが、フタを開ければ誰かれと色々来てくれて、夫の出張も延びに延び、昨日、今日などは連休のプレゼントまでいただいた。これも一重に私の徳の賜だ、と、ひそかに自負するところである。個室の利を生かして、また三人で夜を過ごした。翌朝。彼が娘を連れだしてくれたので、娘のベッドを独占し、しばしまどろむ、至福の時。帰ってきた娘は久々の父親遊びに興奮で呼吸が荒く、目もイッちゃっていた。私を横目で見た後、夫に抱っこをせがみ、首にぎゅーっとしがみついた、と思ったら、もう寝息をたてていた。昼食前のイレギュラーな昼寝に苦笑しながらも、久々にのんびり、部屋で夫と他愛のない話に興じた。昼食近くになっても起きず、こちらは小腹が減ったので、二人でカップラーメンを食べることにした。最も有名な例のカップラーメン。出来上がると、彼は上に浮いている具を全部最初に食べてしまった。理由を聞くと、最後にほじくって食べる面倒が省けるから、と、言う。去年辺りから行っているそうだ。しかし、それは何か、ラーメンの具を愚弄していないか。いや、合理的だ。と、つまらない議論を重ねて、無駄だが必要な時を過ごした。このカップラーメンは去年からこちら一度ならず食べているはずなのだが、夫がそのような食べ方をしているなどとは、全く気がつかなかった。同じようにして、忙しさにかまけて、夫について気がついていない部分がたくさんあるのだろう。彼への空白が積み重なって、このような二人の大切な時間が壊れてしまわないように、もっともっと気を引き締めよう。
2004.11.05
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【入院記録 8日目】体温、聴診器、血圧、サチュレーション測定。この1セットを一日に起きているだけで3回行う。午前中と夜の2回、回診、もしくは外来で診察。食後には薬。夜間にはモニターを装着して就寝。点滴がなくなっても、これだけの行為が一日に組み込まれている。特に診察は、娘にとって苦痛の場に違いないだろう。が、あの人は、いつでも笑顔たろうとする。聴診器に自ら服をまくり、体温計を自分で脇に挟む。血圧に腕を、サチュレーションに指を差し出す。薬のスポイトにすすんで吸い付き、そして、笑顔で送りだす。回診で、医師に「あーん、して」と言われれば口を開ける。喉の奥の消毒で、気持ち悪さで涙がこぼれ、口が閉じてきても、また「あーん、して」と言われれば震えながらでも口を開ける。今日の保護膜を取る作業も、抜糸で出血し、長い時間がかかっても、押さえ付けがいらない程、自分の意思で診察台にとどまり口を開け続けた。診察室を出る際、まだ口元から出血して、痛みで顔を引き釣らせながらも笑顔で手をふった。その瞬間。ずっと診察を見守り、励まし、褒め続けてくれていた看護師が、自らも泣き顔になり娘にしがみついた。病院通いの長年の習性なのか。性格なのか。これを『けなげ』と表現したら娘は侮辱ととるのだろうか。こんな娘に、私は今日も救われている。
2004.11.04
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【入院記録 7日目】午前中。娘に促されて病棟のプレイルームを訪れると見慣れぬ先客がいた。明日の手術のため昨日から入院している4才の男の子と、その母親だった。挨拶を交し、他愛ないことを話す延長で、どこを手術するのか、と私が尋ねた時だった。私よりはるかに若い彼女は気持良さそうに声をあげて笑うと、言った。「ここで出会う人たちは、みんな何事もないように手術の内容や障害のことを聞くよね。こういうのって経験ないけど、なんかいいね。」年齢も家庭環境も価値観も違う人々が、入浴も、食事も、排泄も思うようにならず、プライバシーもない上に、我が子が苦しむ姿に何度も遭遇しなければいけない毎日。それでも楽しく交流しながら過ごせるのは、何か同じ身の上がなせる同情めいた協調からか、と思っていたが、そんな仰仰しいものではないかもしれない。こう言ってくれたら、こうしてくれたら、と、日々ギリギリと考えていた積み重ねが、お互いの深い部分にある琴線に触れない行動に繋がっている、という単純なものなのかな、と思った。午後。実父、来院。娘はすぐに慣れ、それどころか下僕のように扱って、中庭へ、プレイルームへ、上へ、下へ、あれを取れ、持ってこい、と、ワガママ放題だった。私には見せたことのない姿だった。入院中のストレスを発散する人。共に入院生活を闘い、癒し合う人。などと娘は娘なりに考えているのかな、と思ったら、見慣れた娘の顔なのに、知らない女性のように一瞬だけ見えた。明日は口の中に縫いつけてある保護膜を抜糸しながら取り除く。麻酔なしで、母親の私も含めて皆で押さえ付けて行うよう。安寧はまだまだ遠い。
2004.11.03
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【入院生活 6日目】昨日の問題点、鼻出血は問題なし。摂食も良好。夕食にいたっては自分の分を平らげた後、私の分にも箸を伸ばす。感慨深いのは紙パックの牛乳だ。今まで私が押し出していたが、手術後は紙パックがヘコむほどの吸引力で飲み干す。手術で口の中が改善された様子が手に取って分かる一瞬である。とうとう今日、点滴を抜いてしまった。折角だから、抜けてる間に病院を散歩することにする。この病院には託児室を兼ねた大きなプレイルームがある。外来にも各待合室ごとに、病棟には病棟ごとに小さいプレイルームが設けられている。レストラン。外来用のプレイルーム。図書室。売店。一日中、病院内をくまなく歩き回った。夕方。地下1階から3階まで吹き抜けのロビーが、前面にはりめぐらされている窓からの夕日で赤く焼けているのを眺めた。あちらこちらから垂らされたモールや、風で動く動物たちがゆらゆらと、温かな空気に波打つ。外来時間が終わったロビーにいつもの喧騒はなく、海底のように静かに横たわっていた。昼の担当看護士が嬉しそうに、点滴はもう終わりでいい旨を伝えに、散歩中の私たちを探しに来た。まだ息がはずむ彼女と娘と連れだって私は部屋へ戻った。
2004.11.02
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【入院記録 5日目】朝から機嫌良く、熱もない。摂食もぼちぼち、まぁ順調。今回の手術は口と耳、二箇所の予定だったが、耳の方は予想以上に狭く、メスも入らなかったため中止になり、耳掃除だけ徹底的に行った。にも関わらず、昨晩、異様に左耳をかゆがるため覗いてみたら、大きくて固い、茶色のかさぶたのようなものが外耳を塞いでいた。取ってやってもかゆがるので、耳鼻科医にも診察。耳自体に問題は見られない、とのことで、経過を見守ることとなった。夜。鼻から血の交じった鼻水を何度か確認。明日、診察することに。本日、予定通り、実母が来た。タオルやら服やら、何年前の誰が使ったのか分からない代物を山ほど携えてやってきた。「いらない」というと「入院生活で、あんたが不自由してると思って」と言った。彼女は物を貯めこむ。人が捨てる物までもらってきて、役立てたい、と病的に集める。機会到来と喜んでかき抱いて持ってくるさまは、昔から全く変わっていない。しかし、娘は彼女が好きで、首にかじりついて離れなくなった。近い将来も誰よりも実母を好きになら…私との関係は悪くなりそうだな、と思いながらも、今日は少し助かった。
2004.11.01
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