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1985年4月17日、甲子園球場。阪神のランディー・バース、掛布雅之、岡田彰布のクリーンアップが巨人相手に放ったバックスクリーン3連発の記憶は野球ファンだけでなく、当事者たちにも刻まれている。本塁打を浴びたのはプロ入り4年目だった槙原寛己投手。苦い思いを糧にその後、巨人の主力投手となっていったが、マスクを被った佐野元国捕手は3本の放物線をどのように見つめていたのか。あれから37年。同じ月日、場所で行われる伝統の一戦を前に思いを語った。【full-countから引用】 「甲子園3連発」といえば、もはや伝説となっていますよね。あの3連発は阪神ファンのみならず、野球ファンならあの信じられない光景はよく覚えていると思います。今では、youtubeで見ることができるのはいいですね。私も先日見ましたが、あの破壊力はすごいです。バースはそれまで.133と低打率だったんですが、あの一発がきっかけで「どこへ投げてもホームラン、普通のヒットならOK」というようなバース伝説が始まるんですからね。 そして、その後の掛布さん、岡田さんもバースのホームランにつられるようにバックスクリーンに飛び込むホームラン! ホームラン3連発は他にもありますが、この3連発の印象が強いです。 ところで、3連発を喰らった槇原さんは、その後完全試合を達成するレジェンド(しかも達成した試合がカープ戦・・・)なのですが、その時にバッテリーを組んでいたのはだれか? 意外と知られていないようですが、私は覚えていました。その人は本文に載っていた佐野元国さん、当時の正捕手の山倉さんが欠場していたのでマスクをかぶることになったそうですが、背番号37を付けたキャッチャーだったのでなぜか覚えていました。 それにしても、バースのホームランは仕方ないとしてその後の連発は防げたのではないかと思えるのですが、特にあの当時の甲子園球場の状況では完全に飲み込まれてしまうのかもしれません。だから、気持ちの整理がつかないまま投げてしまったのかもしれませんね。 さて、ちょうど今の時期に甲子園球場で試合が行われており、今年の開幕から低迷する阪神がようやく2勝目をあげたそうですが、37年前はすごかったんだなぁと改めて思い出しました。その勢いのままリーグ制覇、日本一になったんですからね。
2022年04月15日
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阪神がサヨナラ負けで早くも今季2度目の5連敗を喫した。今季は開幕9連敗で始まり、1勝を挙げた後は再び連敗地獄。ここまで16試合で1勝14敗1引き分けと泥沼から抜け出せず、勝率は0割6分7厘と低空飛行。143試合換算で125敗ペースと逆噴射している。【中日スポーツから引用】 今年のプロ野球ペナントレースが始まって半月以上が経ちましたが、セ・リーグでは未だに1勝しか挙げていないチームがありますね。そう、去年は最後まで優勝争いに絡んでいたあの阪神タイガースです。去年はシーズン突入後驚異的な勝ち星を挙げて、「あかん阪神優勝してまう」という番組まであったそうですが、それが今年はそんなことが遠い昔のような状況・・・。 勝率が.067というのはプロ野球史上初だそうです。ちなみに勝率とは、勝ち星を勝ち星と負け星を足したもので割るのですが、1÷(1+14)ですから.067となるわけです。打率の計算とは異なるんですよ。打率の場合は安打数÷打数ですが、打率.067だったとしてもかなりヤバいんですけどね。 これまでの記録は、.071だそうですから記録更新っていうところですが、過去にどんなチームが開幕からの負けっぷり記録しているのかということについてあちこちで紹介されています。まず、さかのぼること今から43年前の1979年の西武ライオンズも開幕16試合目で1勝13敗2分け、勝率が.071でした。1979年の西武ライオンズといえば、球団がそれまでのクラウンライターから西武に代わり、本拠地も博多から所沢へ移転した初年度だったということがあったと思います。クラウンライター(その前は太平洋クラブ)時代はさらにその前の西鉄時代に起こった「黒い霧事件」の影響もあってかかなりチーム状況が悪いまま球団譲渡・本拠地移転になったので、当時は私は小学6年生でしたが「球団が変わっても急には勝てないんだなぁ」って思ったのを覚えています。 さらに今から67年前の1955年のトンボユニオンズも1勝13敗で勝率.071を記録しています。さすがに1955年は私は生まれていないのですが、伝説の投手の一人、ビクトル・スタルヒンさんが最後に在籍していたチームでした。トンボは筆記用具のメーカーのあのトンボ鉛筆が今でいうところのネーミングライツとして参加していたようです。ただ、あまりにチームが弱すぎてわずか1年でそれはやめたそうですが・・・。 そんなチームの記録を抜いてしまった阪神タイガース。原因はいろいろあるようだし、そのあたりは阪神ファンの方が事情含めて詳しいと思うので、カープファンの私が記すのはやめておきます・・・。 それにしても、カープも長らく暗黒時代がありましたし、最近では三連覇後の低迷もひどいものでした。ただ、本文の最後にあったような「125敗」にはならないでしょう。計算上はそうなるかもしれないけど、さすがにそんなになるまでには手は打たれるでしょうしね。
2022年04月13日
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プロ野球で27個のアウトを27人で片付けること。四死球を出さず、野手もエラーせずという完全試合(パーフェクトゲーム)っ、て過去には15人しか達成していませんでした。しかし昨日、千葉ロッテの佐々木朗希投手が16人目となりましたね。まだ20歳ですよ、すごい投手が出てきましたね。しかも連続奪三振13人連続という日本記録と一試合19奪三振という記録もつくなんてすごすぎますね。 ちなみに、過去15人の完全試合達成者は以下のとおりです。(1)藤本英雄(巨人) 1950年6月28日(青森) 対西日本戦 7奪三振(2)武智文雄(近鉄) 1955年6月19日(大阪) 対大映 6奪三振(3)宮地惟友(国鉄) 1956年9月19日(金沢) 対広島 3奪三振(4)金田正一(国鉄) 1957年8月21日(中日) 対中日 10奪三振(5)西村貞郎(西鉄) 1958年7月19日(駒沢) 対東映 6奪三振(6)島田源太郎(大洋)1960年8月11日(川崎) 対阪神 3奪三振(7)森滝義巳(国鉄) 1961年6月20日(後楽園)対中日 4奪三振(8)佐々木吉郎(大洋)1966年5月1日 (広島) 対広島 7奪三振(9)田中 勉(西鉄) 1966年5月12日(大阪) 対南海 7奪三振(10)外木場義郎(広島)1968年9月14日(広島) 対大洋 16奪三振(11)佐々木宏一郎(近鉄)1970年10月6日(大阪)対南海 4奪三振(12)高橋義正(東映) 1971年8月21日(後楽園)対西鉄 1奪三振(13)八木沢壮六(ロッテ)1973年10月10日(仙台)対太平洋 6奪三振(14)今井雄太郎(阪急)1978年8月31日(仙台) 対ロッテ 3奪三振(15)槇原寛巳(巨人) 1994年5月18日(福岡D)対広島 7奪三振 カネやんとか甲子園三連発を喰らった槇原さん、完全試合の他にノーヒット・ノーラン2回を達成している外木場さんといった名前が並んでいますが、完全試合を達成した投手は大成しない、なんていうことを言われたこともあったそうです。 でも、佐々木朗希投手の場合は先にも書きましたが、まだ20歳ですからね。それこそ、外木場さんの持つ完全試合1回とノーヒット・ノーラン2回という記録を更新するようなところを見てみたいです。 ところで、過去15人の記録を改めてみてみると、奪三振が多い人もいれば高橋義正さんのようにたった1つというのもあるんですね。ということは、残りの26はゴロまたはフライでアウトを取っているわけだから、守っている野手もしんどかったでしょうね。エラーすればその時点で達成できなくなるわけだから。ノーヒット・ノーランだったらまだエラーでもいいやって思うんですけど、完全試合はそうはいかないですからね。 今回の佐々木朗希投手の場合は、19奪三振で残り8つがゴロまたはフライでのアウトですけど、守っている野手はどんな気分で守っていたんでしょうね。奪三振が多いから突然飛んでくると焦るかもなぁ・・・。 話を戻して、20歳にして日本のプロ野球の完全試合達成者として長くその記録が残るわけですから、この先どんな記録を作っていくんでしょうね。
2022年04月11日
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3月21日にマツダスタジアムで行われた「カープレジェンドゲーム」。チケットがわずか15分ほどで売り切れるような状況でしたので、現地に行くことはできず、何とか映像だけでも見たいと思っていました。すると、カープ女子の娘から「広テレのアプリをダウンロードすれば見られる」とのことだったので、先日の草野球の試合の後、家に戻ってみることができました。リアタイムで見ることができて楽しかったのですが、youtubeにも昨日からアップしてくれているみたいで、大変ありがたいです。 さて、「カープレジェンドゲーム」ということですから、カープのOBが集まって紅白戦や一打席の対決、ホームラン競争がありましたが、何よりOBのみなさんが現役当時のバッティングフォームやピッチングホームを思い出させる場面もあって(でも、体形が変わりすぎている人が多いのは仕方ない・・・)、今では解説者になっている姿しか知らないわが娘は「本当にプロ野球の選手だったんだ」って言うくらいでした(笑)。 投げる方では、沖縄県初のプロ野球選手の安仁屋宗八さんが77歳という年齢を感じさせないピッチングは、娘もびっくりしていました。いつもは解説でユニークな発言や「安仁屋算」と言われるシーズン初めの勝ち星計算(試合数よりも投手の勝ち星が多い!)しか知らないもんね・・・。 あと、大野豊さんのピッチングもすごかったです。これまた66歳の年齢を感じさせない体形で緩急と変化球を見事に使い分けてのピッチングはさすがでした。受けるキャッチャーも盟友の元祖球界の詐欺師・達川さんだったし。 それから、まだ現役と言ってもいいくらいの男気・黒田さんも登板。現役時代をほうふつさせるような見事なぴってぃんぐでした。黒田さんは暗黒時代を象徴する縦じまのユニフォームで登板していたのですが、このユニフォームは個人的には好きですし、背番号15が躍動しているのは感動しました。 打つ方では、高橋慶彦さんや正田耕三さんといった現役時代のヒットメーカーがここでも好打を連発、特に高橋慶彦さんは3安打の猛打賞。いろいろあってカープを退団して他球団へ移籍して行って、そのまま今に至るまでカープでの指導者経験はないのが残念です・・・。あと、前田智徳さん(前田神)の体勢を完全に崩されながらもヒットゾーンに打球を運ぶ技術もみられました。 そしてなにより、広島に感動を笑いを届ける新井貴浩さん。タイムリーヒットのあとに高橋慶彦さんの隠し玉に引っかかるというすごいオチまで用意しているとは・・・(爆)。リアルタイムで見ていた時に、「やはり新井が悪い」って思わず言ってしまいました。 ただ、OBのみなさんは60歳オーバーの方が多いため、打っても走れないので(爆)連打が続いてもいつの間にかフォースアウトになっていたり、ゲッツーになっていたリとやはりそこは仕方ないかな。でも、守る方は意外とできていたかな。 それから、カープからFAなどで他球団へ移籍した方もカープのユニフォームで参加していたのは懐かしかったですね。 このようなOB戦はいいものですね。当日のスタンドもにぎわっていて、見に行けた方がうらやましかったです。
2022年03月23日
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今日は、今年3試合目の練習試合がありました。1月23日にダブルヘッダーで行いましたが、それ以来となります。今日は11人が参加、みんな待ち遠しかったんですよね。今日のグラウンドは大正区の小林野球場、ここへは初めて来ました。近くは何度も車で走っているんですけどね・・・。試合相手は、「La DUelers」さん。中日ドラゴンズのようなユニフォームのチームでした。 さて、試合はT11君が先発、私はサードで出場しました。一回表に相手投手の乱調につけこんで一挙6点を挙げましたが、その裏に3点失い、2回裏には守備の乱れから一挙7点を失って逆転されてしまいました。その後は相手チームの小刻みな投手交代と長短打を浴びて、終わってみれば18-6で負けました。久しぶりの試合ということもあって、守備の乱れが多くて私もエラーがあって足を引っ張ってしまいました。 打つ方もさっぱりでしたけど、久しぶりに野球ができて楽しかったです。【今日の成績】1打席目 死球2打席目 三振 6打数1安打1打点1三振3四死球 打率.167
2022年03月21日
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プロ野球広島の初優勝時の監督を務めた古葉竹識(こば・たけし)さんが12日に亡くなっていたことが16日、分かった。葬儀、告別式はすでに近親者のみで執り行われた。85歳だった。熊本県出身。 古葉氏は済々黌から専大、日鉄二瀬をへて、58年に広島入り。1年目から遊撃のポジションに定着。俊足巧打の内野手として、63年には巨人長嶋と首位打者を争い、64、68年には盗塁王を2度獲得。70年に南海にトレード移籍し、71年に現役を引退した。引退後は南海コーチを務め、74年には広島に復帰。75年にはシーズン開幕直後の5月に帰国したジョー・ルーツ監督の後を継いで監督就任した。山本浩二や衣笠祥雄、高橋慶彦を鍛え上げ、同年に球団史上初のリーグ優勝を果たした。85年の勇退まで球団最長政権となる11年間でリーグ優勝4度、日本一3度導いた。【日刊スポーツから引用】 「カープの監督」というと、やはりこの人の名前が真っ先に思い浮かべてしまいます。古葉竹識さん、テレビに映る古葉さんは体の半分が隠れて、いてるのかいてないのかわからないのが特徴でしたね。よく古葉さんのものまねではよく見かけたものです。 現役時代はショートを守っていたそうですけど、その時代は全然わかりませんし、現役晩年には南海ホークスへ移籍していたとか・・・。その南海時代に野村監督と出会ってち密な野球を会得してカープで花開かせたというところでしょうか。 いつだったか、カープが1975年にリーグ優勝した時の映像をみたのですけど、2016年からの三連覇以上の盛り上がり。原爆の被害から立ち直り、広島の街に希望の光を輝かせたものだったんですね。映像だけでなく本でも読みましたけど、優勝パレードに故人の遺影を掲げてみていたという光景は、涙を誘うものだと思います。 そんなカープを率いて1985年までの間に4回のリーグ優勝と3回の日本一はすごいことだと思います。どこかのチームのようにカネで選手を集めるのではなく、選手を育ててち密な作戦で勝っていくスタイルを作り上げたのは古葉さんだと思います。 カープの監督を辞めてからは、大洋ホエールズの監督も務められましたね。カープ時代のコーチをごそっと引き抜いたのはびっくりしましたが、それでもホエールズは勝てませんでしたね。まぁ、カープのようなち密な野球をしようとしても、当時のホエールズはどうしても大味な野球が持ち味で、それはそれで見ている方は楽しいかもしれませんが、勝ち星にはなかなかつながらないというところでした。 「強いカープ」のきっかけをつくった古葉さんの訃報が明らかになった日に、もうひとつカープにとってはショックなことが・・・。 広島は16日、鈴木誠也外野手のポスティングシステムを利用してのメジャー挑戦を容認した。この日、鈴木球団部長が明かした。 鈴木誠也外野手はこれまで将来的なメジャー挑戦の夢を語っていた。この日、マツダスタジアムで鈴木球団本部長と会談し、自身の思いを伝えた。 鈴木本部長は「本人と話をして、彼の長年の夢であるポスティングにかけるということを本人に伝えました。ほとんど準備はできているんですけど、(申請は)正式には来週あたりになる予定です」と語った。球団は16年からのリーグ3連覇に貢献したことや、直近6年間の成績を高く評価。「タイミング的にも今が一番いいだろうと。チーム的には痛いんだけれど、そこは誰かがカバーしていかないとしょうがないけど、彼にとっては今がベストなタイミングでないかなということで判断したということです」とした。【デイリースポーツから引用】 ついにこの日が来てしまったか、というところです。覚悟はしていたけどね。 カープの4番打者がポスティングでメジャーへ移籍することがほぼ決まったようです。メジャーでどれだけ通用するのかわかりませんが、前評判はかなり高いようですね。ただ、ここ数年で野手でメジャー入りした選手大谷選手のような規格外の選手を除いては、なかなかいい成績が挙げられていないのが気がかりで、鈴木誠也選手もそうなってしまわないか気になります。メジャーに行くからには、かつてのイチロー選手や松井選手のようにメジャーの投手が頭を悩ませるような活躍を期待したいところです。 それにしても、鈴木誠也選手が抜けたら、カープの4番打者はどうするんだろうね。このところ外国人選手も当たりがないしなぁ・・・。
2021年11月16日
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今日は、住吉公園野球場で練習を行いました。いいグラウンドで試合がしたかったのですが、なかなかタイミングが合わないですね。それでも、9人が集まって守備練習を中心に行いまして、ロングTも行いました。 ただ、私は先週の練習試合で4イニング投げた影響がまだ残っていて、肩が痛くてたまりませんでした。どうやら、また肩を痛めているようです。肩の可動域が狭まっているのでしょうか。肩がダル重い感じがしてしかたないんですよね・・・。元々痛かった肩ですが、今日はどう投げても痛いしね。 しばらくは投げない方がいいのでしょうけど、このダル重い感じを何とかできないかなってね。また病院行くしかないのかな・・・。 そんな状況でしたが、今回練習に参加した私の職場のT君がガゼルスの新メンバーに加わってくれることになりました。T君は左の長身左腕という貴重な存在で、中学までは一塁手だったようですけど、職場チームでは投手として育成しているところなので、ガゼルスでもどんどん投げてもらえればと思っています。
2021年11月14日
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今年のプロ野球・日本シリーズは、セ・パともリーグ優勝したチームが対戦することになりましたね。セ・リーグが東京ヤクルトスワローズ、パ・リーグがオリックスバファローズで、ともに昨年は最下位のチームだったんですね。最下位からリーグ優勝というのは過去にもありますし、日本一になったチームもあります。1960年の大洋ホエールズがその一つですけど、最下位から優勝ってすごいですよね。 ところで、現在のオリックスバファローズは、阪急ブレーブスを前身とするオリックスブルーウェーブと近鉄バファローズが合併したチームですが、その阪急ブレーブスは1960年代後半から1970年代にかけてパ・リーグでは常勝チームでした。1975年に広島東洋カープを破って日本一になるまでは読売ジャイアンツに日本一を阻まれていたわけですが、1976年にリベンジを果たし、1977年も読売を破って三連覇、1978年もリーグ優勝を飾って日本シリーズに駒を進めて、セ・リーグのチームと対戦するのですが、それが何とヤクルトスワローズだったんです。 だから、阪急とヤクルトの日本シリーズが1978年から40年以上を経て再び対戦するということになります。まぁ、現在のオリックスは半分近鉄も入っているので、正確には「再び対戦」というわけではないのですけどね・・・。でも、わたしのような古い野球ファンにしてみたら、1978年の日本シリーズのことを思い出します。有名な話としては、第7戦の1時間19分におよぶ阪急上田監督の猛抗議が思い出されるところです。今映像を見ても「ファールかフェアーか」はわかりませんけど、おそらく当時のレフト線審も実は見えてなかったんじゃないかなって思いましたけどね。今では当時の映像をyoutubeで見られるのがありがたいですね。 さて、日本シリーズ開幕はまだもう少し先ですけど、どのようなシリーズになるのでしょうね。 ちなみに、ヤクルトは神宮球場が使えないので東京ドームで開催するそうですけど、オリックスはグリーンスタジアム神戸を使う日もあるとか・・・。神戸といえども寒いところだから、ホントケガにはきをつけてほしいところです。
2021年11月13日
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今日は緊急事態宣言が明けてからの初めての練習試合がありました。実に去年の11月29日以来、約1年ぶりの試合です。途中で練習はしていますが、練習試合は全然できていませんでした。(一度今年7月には相手チームの協力を得てしていますが・・・) さて、今日の試合相手は、私の職場チームです。職場のチームも去年・今年と秋に行われている大きな大会が中止となってしまい、練習はしているものの練習試合ができていない状況でした。そんな状況でしたが、ガゼルスが今日ダブルでグラウンドを抑えていたので試合することにしました。ちなみに、私はガゼルス側に編成されました。 今回の球場は、寝屋川市の寝屋川公園第一球場。黒土で両翼91mセンターまで120mと立派な球場です。マウンドがやたら高いのも特徴です。そんなマウンドにあがったのは、なんと私。ダブルヘッダーだったので投げる機会はあるかも、と思ってはいたのですが、まさかの先発とは・・・。心の準備もできないまま、普段見慣れた職場チームのメンバーと対戦しました。 初回に1失点しましたが、2、3回はヒットは打たれるものの持ち前のコントロール重視の遅い球で何とか無失点で切り抜けました。4回に味方エラーから2失点しましたが、それでも自責点は1とまずまずでした。三振もとったし。 5回からはサードに入って、マウンドはK14さんに譲りました。サードも久しぶりだったのですが、ノーエラー。三塁線を抜けようかという打球も不格好な捕球でしたが、何とか後ろにはそらさずにとってベースタッチしてランナーをフォースアウトにする、なんていうプレーもありました。 ただ、打線は相手のH君にヒット3本に抑えられて、5-0で負けました。 二試合目は、私はキャッチャーで出場。U27さんとバッテリーを組みました。試合の方は、毎回のようにヒットや四球でランナーを背負う苦しい展開。それでも、4回にU27さんのタイムリーで2点返し、5回にも満塁から私が押し出し四球を選んでさらに1点返したのですが、結局6-3で負けました。 久しぶりの練習試合で連敗は痛いのですが、それでも約1年ぶりの練習試合を楽しむことができたし、久しぶりにみんなと会って野球できたのが楽しかったです。 ところで、私の職場チームも練習試合ができていなかったのですが、若手選手が中心となってよく振れていました。このままうまく世代交代ができればいいなぁと思います。今回は相手チームに入りましたが、いつまでもわたしのようなロートルが試合に出るような状況ではだめだからね。【今日の成績】1試合目 1打席目 三振 2打席目 打撃妨害 3打席目 投ゴロ2試合目 1打席目 四球 2打席目 四球 3打席目 四球 4打席目 四球投手成績 4回 三振1 四球1 失点3 自責点1
2021年11月07日
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南海ホークスが大阪の街からなくなったのが1988年。もう今から33年も前になるんですね。昭和20~30年代はパ・リーグにおける強豪チームも、昭和50年代中盤からBクラスの常連となり、ついには球団身売りとなってしまったわけですが、そんな南海ホークスの本拠地大阪球場の跡地に建つなんばパークスに「メモリアルギャラリー」があります。南海ホークスで活躍された名選手が紹介されているのですが、長らくここに展示されなければならない人物が、まるでその歴史がなかったようになっていました。 そう、その人は昭和40年に戦後初の三冠王になり、監督も務めた野村克也さんです。南海ホークスの歴史を語るうえで功罪いろいろあるとは思いますが、やはり欠かすことができない人物です。そんな人物なんだけど昭和52年の監督解任に至った経緯からこのギャラリーへの展示を断ったと言われていますが、野村さんとバッテリーを組んでいた江本孟紀さんらが発起人となって、ようやくあるべきところに野村さんが戻ってきました。生前中にもどってきてくれたらなおよかったんですけどね・・・。 そして先日、その様子を見てきました。 展示されているユニフォームは、野村さんが監督とされていた昭和52年のユニフォームだそうです。 このユニフォームはよく覚えていて、それはおそらくペットマークと、袖口のラインの色遣いが強烈な印象として記憶に残ったのだと思います。 それと、確執があったと言われている鶴岡監督の横に野村さんの写真が掲げられた写真も展示されていました。野村さんの攻守にわたる活躍と、鶴岡監督の采配。これがうまく組み合わさってのパ・リーグの覇者だったんだと思います。 その他のパネルも新しくなっていました。 これは投手編、野村さんとバッテリーを組んで1シーズン38勝4敗の驚異的な成績(昭和34年)をあげた杉浦投手や今回の発起人の江本さん、その江本さんとトレードで阪神タイガースからやってきた江夏さんの写真もあります。 こちらは野手編。個性的な選手がならんでいます。 こういう展示を、戦後すぐからの南海ホークスのファンだった亡き父に見せてあげたかったです・・・。 話を戻して、そのほかにもいろいろな展示がリニューアルされておりますが、やはり何といっても南海ホークスの歴史の一つである野村さんが加わったことで、本来あるべき姿になったと思います。
2021年08月23日
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夏の甲子園を目指す全国高校野球大会・地方予選がはじまりました。甲子園の常連である強豪校は、大会前に多くの練習試合でチームを強化しますが、意義のある試合をするためには対戦相手も大事。西東京の名門、日大三高を率いる小倉全由監督によれば、「お願いしてでも対戦したい学校」がある一方、「二度と対戦したくない学校」も確実に存在するとか。それぞれ、どんな特徴を持つチームなのでしょうか──。【ブックバンから引用】 この内容的としては、「お願いしてでも対戦したい学校」として、『元気はつらつとして、マナーのいい学校』『グラウンドに出たらキビキビと動き、きちんと挨拶ができる。そして、試合中もよく声を出して、たとえ劣勢でも最後まであきらめずに、一生懸命、必死になってプレーする』とのこと。その逆に「二度と対戦したくない学校」として、『マナーの悪い学校、覇気の感じられない学校』『チームの士気を下げる学校』と紹介していますが、これは高校野球に限らず、草野球でもそうですよ。 私のこのブログで「挨拶のできるチーム・・・」と紹介してるチームは、時間より前に現着しているのはもちろんのこと、試合前それもまだグラウンドに入る前からきちんと挨拶してくれるし、試合後も率先してグラウンド整備に協力してくれたり、試合後にもちゃんとお礼に来てくれるところは、試合に負けても気持ちがいいと感じています。私が所属しているチームもそう思ってもらえているのかな・・・。 逆にマナーの悪いチームは、胸糞悪いですね。やじを飛ばすチームは最近は少なくなったように思うけど、実力差が大きい対戦の場合(トーナメント戦に多い)に見下すような言動や態度は、気持ちのいいものではなりません。いつだったか、大阪の強豪私立の高校野球OBなのかその当時のユニフォームを着てきたチームと対戦したけど、態度悪かったなぁ・・・。私が投手でデットボールをぶつけたんだけど、帽子を取って謝ったにもかかわらずマウンド近くまで向かってきたときは、意味が分からなかったね。私の渾身のまっすぐなんて、たいして速くないんだから当たっても痛くないだろって。デットボールで打てなかったのが残念だったのかもしれないけどさ。 草野球の世界って、広いようで狭いから悪い噂はすぐ広まるようです。態度が悪い、なんていう情報は早いんでしょうね。 草野球は土曜日や休日に集まってプレーを楽しむもの。勝てればうれしいけど、負けてもその反省を糧に次の試合に臨めるわけだから、できるだけ気持ちよく試合できる相手がいいですよね。去年もそうでしたが、今年も新型コロナウイルスの感染拡大のために、なかなか試合ができていませんけど、早く試合をして楽しみたいと思っています。
2021年07月28日
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今日は、緊急事態宣言も明けたので久しぶりの草野球の試合があるということで、住之江公園野球場へ行きました。ここは、高校野球大阪大会の予選でも使われるいい球場なんです。抽選でここが当たるとはすごいことなんですよ。 でも、試合は中止になってしまいました。確かにこのところ雨が多かったし、昨日も時折雨が降るし、今朝も奈良は雨だったんですけど、住之江公園近辺は小雨が降ったけどすぐにやんでいました。加えて、私たちが確保していた前の時間帯では、他のチームが練習試合をしていたし。だから、中止判断は早すぎたんじゃないかってね。まぁ、監督が相手チームと相談した結果だそうだけど、相手チームはすでに10人来ていたし、こちらは5人しか来ていない・・・。っていうか、それにも問題があるんだけどね。 そこでどうしたか? 相手チームとしてはせっかく10人もいるし、やはりどうしてもやりたい。たとえ練習でもいいからとのこと。もちろん、私を含めた5人も同じ意見でした。そして、紆余曲折があって、何とか変則的な練習試合ということで実施することにしました。 というわけで、相手はDKALLSTARSさん。最初に相手チームの内野ノックに混ぜてもらって合同で練習しました。こういうのって、いいですよね。草野球好きが集まって敵味方関係なく練習って、職場の野球部の合宿ではよくそんなことをしていました。 練習試合は、守りにはガゼルス5人に相手チーム4人が加わってもらって、残りは打撃を行うというものでした。私はキャッチャー、投手はI5さんとU27さんが投げました。 打つ方は私以外の4人がいい当たりを打っていまして、I5さんは場外にホームランを打っていました。蚊帳の外はいつものこと、私。昨日の夕方バッセンに行ったんだけど、さっぱりでした。三振二つと死球2つですからね。 そんな散々なバッティングは別にいつものことだからいいのですが、キャッチャーでは見事なトリックプレーを魅せました。満塁のピンチに左中間を破られて1点は仕方ないとしても、2人目のランナーをアウトにしたのですが、それは私がコリジョンルールに引っかからないようにホームベースの前でいかにも中継からのボールが全然やってこないというようなボーっと突っ立っていました。そこへ中継からの見事な球がやってきて、そのボーっとしたままキャッチして、すぐさまランナーへタッチ! ドンピシャのタイミングだったのでランナーはアウトになりました。タッチされてアウトになったランナーにしてみたら、私がボーっと突っ立っているのを見て油断したんでしょうね。相手チームも「あれはキャッチャーがうまいわ」って言っていましたが、トリッキーなプレーをすることができてよかったです。 そんな感じでお互いのチームともに、蒸し暑い日でしたがいい汗を流すことができて、ちゃんとした試合はできなかったけど一日が無駄にならなくて楽しむことができました。 ところで、今年はチームのユニフォームを一新したのですけど、まだそれを着て試合をしていませんでした。今日がその日になるはずだったのですが、それは次にお預けになってしまいました。でも、一応それを着て練習試合はしました。 こんな感じの白地に緑色の文字のユニフォームです。O8さんのこだわりの詰まったユニフォームで、私の妻もいいデザインだと言ってました。 それから、アンダーシャツもストッキングもベルトも緑色をネットで探して揃えました。緑色ってなかなか量販店でも置いてないんですよ・・・。白地がベースだからこの住之江球場のような黒土は汚れが目立つのが難点ですけど、かっこいいからまぁいいか。(写真はわざとに小さくしています) 最後にDKALLSTRASさん、ありがとうございました。
2021年07月04日
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「マー君」が杜の都に帰ってくる-。米大リーグ、ヤンキースからフリーエージェント(FA)となっていた田中将大投手(32)が、プロ野球東北楽天へ8年ぶりに復帰すると発表された28日、東北のファンは大エースの帰還に沸いた。【河北新報から引用】 これはびっくりしましたね、東北のファンも大喜びでしょうね。8年ぶりの日本球界復帰、パ・リーグはますます盛り上がるでしょうね。 それにしても、田中投手はFAしたもののほかのチームからは誘いはなかったのは、なぜなんでしょうね。あれだけの実力があるのにね・・・。メジャーもコロナ禍で思うような実入りがないし、それでも実力のある選手を手元に置くためにいろいろ考えた結果なんでしょうけど。もしかしたら、田中投手の代理人がふっかけすぎたとか・・? メジャーで活躍した選手が日本球界に戻ってくるケースはこれまでにもありましたが、私が印象に残っているのは、2015年にカープに復帰したレジェンド黒田さんです。カープからメジャーに移籍してメジャーでも大活躍、2014年のシーズンオフにカープへ復帰するわけですが、その時点でもヤンキースが40歳になる黒田さんに21億円のオファーをしていたにもかからわず、それを蹴ったんですからね。当時の黒田さんの実力だったら、そのままメジャーで選手生命を全うすることもできたんでしょうけど、「最後は日本で、カープで」という気持ちがあったんでしょうね。 だから、21億円のオファーがあっても「いや、カネじゃないねん」ということで、戻ってきてくれた男気、びっくりしました。いつかはもどってきてくれる、とは思いながらたぶん無理だろうなって思っていましたからね。それが現実にもどってきてくれて、2016年にはリーグ優勝に貢献、有終の美を飾ってくました。できれば日本一になってほしかったけどな・・・。 田中投手の場合は、黒田さんの時とは状況が全然違うのですけど、コロナ禍で気分的にも落ち込んでいる野球ファンを勇気づけるためにも、メジャー仕込みのピッチングを見せてほしいですね。
2021年01月29日
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興和とナゴヤドームは10日、中日が本拠地にしているナゴヤドームのネーミングライツ(命名権)を興和が5年間取得することで合意したと発表した。これにより、来年1月から名称が「バンテリンドーム ナゴヤ」に変更に。新名称が発表されるや、ネット上では大きな話題に。ツイッターのトレンドを一気に駆け上がり、1位になった。 略称表記は調整中で、正面の案内看板などに名称が掲示される。ナゴヤドームは「『バンテリンドーム ナゴヤ』は、当地にある唯一のドーム球場のイメージにもあった素晴らしいものであると確信しております」と期待した。1997年3月の開場以来、命名権を導入するのは初めて。セ・リーグでは、広島の本拠地「MAZDA Zoom-Zoomスタジアム 広島」に続き、命名権を導入したのは2球団目となる。 名古屋市に本社を置く興和は、ファッションや雑貨、健康関連商品など幅広く手がける専門商社。「バンテリン」は、筋肉や関節の痛みをやわらげる同社の代名詞的な商品で、その名をドームに冠することになった。 この名称にファンは続々と反応。スポーツ選手の強い味方なだけに「怪我人でなさそう」「強そう」「略して板東」「これはpaypay超えた…」などと騒然だった。【FULL-COUNTから引用】 今シーズンが終わって、戦力外や契約更改、FAなどでストーブリーグがにぎわっているプロ野球ですが、球場のネーミングライツとしてナゴヤドームの名称が変更されるとのこと。名古屋市に本社を置く興和株式会社がその名づけとして「バンテリンドーム」になるとのこと。「興和株式会社」と書くとちょっとわかりづらいかもしれないけど「コーワ」とカタカナで書くとわかりやすいかもしれませんね。そうです、あのキャベジンとかコルゲンとかを作っている会社です。薬局の前にあの緑色のカエルの置物を見たことがあると思いますけど、あれもコーワのキャラクターのケロちゃんコロちゃんでしたね。名古屋に会社があったんですね。 そんな名古屋ゆかりの会社がナゴヤドームのネーミングライツにより名称を変えることになったわけですが、「キャベジンドーム」でもなく「コルゲンドーム」でもなく、はたまた「ケロちゃんドーム」でもなく「バンテリンドーム」にしたのは、やはり「スポーツをして筋肉痛」からの「バンテリンで和らげる」という流れなのでしょうか(笑)。 それにしても、略称はどうするんでしょうね。例えば、マツダスタジアムの場合は「ズムスタ」なんてよばれたりしますが、まさかの「バンド」?それは略しすぎか。ネットのコメントにもありましたけど、意外と「Vドーム」とかになるのかもしれませんね。 それと、中日ドラゴンズの応援歌「燃えよドラゴンズ」の歌詞には、『ナゴヤドームに詰めかけた』というところがありますが、ここはどうするんでしょう? 「バンテリンドーム」では座りが悪いから、ここはそのまま「ナゴヤドーム」なのかもしれませんね。 さて、最近はネーミングライツで球場の名称が変わっているので、なじみがないと「それどこ?」ってなってしまいます。福岡ドームなんて、ヤフードームがなじんできたと思ったら、ヤフオクドームに代わって今年からはペイペイドームでしょ? いくらなんでもペイペイって・・・。ホークスファンの人はこのネーミングってどうだったんでしょうね、まぁ日本一になったからそれは関係ないのかな。 大阪の大阪ドームだって、かなり前に「京セラドーム」ってよばれるようになっているし、グリーンスタジアム神戸だって、ヤフーBBスタジアム→スカイマークスタジアムを経て、今はほっともっとフィールド神戸。こうなってくると、よほど詳しい人しかわかりませんよね・・・。 話を戻して、バンテリンドームと名称を変えるナゴヤドーム。ホームラン賞にはバンテリン関係の詰め合わせとか、シーズンのMVPにはバンテリン1年分とかが出るのかな?(笑)。 とりあえずは、来年こそは例年通りの試合数がこなせて、大勢のファンが球場で大声出して応援できるようになればいいですね。
2020年12月10日
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今日は、北加賀屋野球場で練習試合があり、11人が参加でした。相手は、先日対戦したメッツ倶楽部さんとの対戦でした。 何気ない試合前の光景ですが、この緑色の現在のユニフォームはとりあえず一旦は今年いっぱいまで。来年からは新しいユニフォームになります。このユニフォームもセカンドユニフォームになるのかな?デザイン的には、これも気に入っているからね。 今日は久しぶりのサードで出場、T16さんが先発でした。試合は、初回に相手投手の乱調と連打が重なって打者一巡の猛攻で5点をあげ、その後も加点していきました。T16さんは今日は制球が定まらず、ランナーをためることが多かったのですが、それをゲッツー2つでアウトにするなど守りがよくがんばっていました。結局7-0で勝ちました。 私の成績は、久しぶりにヒットが出まして、センターへクリンヒット! ちょっと打ち方を変えてみているのですが、それがよかったみたいです。サードの守備も2つこなしましたが、ノーエラーでした。【今日の成績】 1打席目 死球 2打席目 投ゴロ 3打席目 中安打 32打数5安打0打点6三振5四死球 打率.156
2020年11月29日
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私が所属している草野球チーム、ガゼルスでは久しぶりにユニフォームを更新しましたが、まだ実物は手にしていないものの、例えばアンダーシャツとかベルトなどその周辺の装備は自前で購入しなければならないのです。先日から野球用品を扱っている量販店などに行ってみているのですが、今度のガゼルスのユニフォームも現行と同じく緑色をベースとしているためそれを探しているものの、なかなかないんですよね。よく扱っているのは、黒、紺、赤、青が多くて緑ってないんですわ~ そこで、製品の風合いや質感はほかの色で確認して、購入はネットで行うことにしました。購入するのは、アンダーシャツ、ベルト、ストッキングの3点。野球用品を扱うネットショップはいくつもあるのですが、まずは「これら3点の緑色のものがあるかどうか」で探しつつ、できれば楽天市場で出店しているところでないかな、と探しました。一応、ブログも楽天だからね。 その中で「野球用品ベースボールタウン」というところが楽天のポイントも使えるということでそこで購入しました。11月22日に注文して、本日やってきました。 アンダーシャツはSSK製、これは先行してチームメイトのO8さんがSSK製のものを購入していたのでそれに合わせました。ベルトはデサント製の合皮のものです。 ストッキングについては、今回少々こだわりました。私の場合、ふくらはぎを肉離れをして痛い目に遭ったことがあるので締め付けのあるものを探しておりまして、これまではかかとに引っ掛けるような感じのモノを愛用しておりました。ただ、これは古くなってくるとどうしてもかかと部分が緩んでくるので、それがちょっと嫌になっていたので別のモノを探していたところ、レワード製のものに足かけ仕様のものを見つけたのでそれにしてみました。 ところで、注文したこれら3点は写真の箱に入れられてやってきました。TVCMでAmazonの箱に入れられて宅配されるのは見たことがありましたけど、楽天にもこのような箱があったんですね。最近のネット販売は、梱包がしっかりしているなぁって思っていますが、今回のこれも中はしっかりと詰め物が入っていたし、外箱も角がへこんでいることはありませんでした(笑)。 さて、次の日曜日の練習試合の際に新しいユニフォームを手にすることができます。それを着て試合するのは多分来年からになるのでしょうけど、どんな感じなのかなってね。
2020年11月24日
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今年のペナントレースが終わりましたね。パ・リーグはCSがありますが、セ・リーグはありません。まぁ、個人的にはCSなんてない方がいいのですけどね・・・。 さて、カープは今年から監督が佐々岡監督に代わっての1年目。シーズン前から抑え投手に不安を抱えているなどと言われていましたけど、抑え投手もさることながら外国人選手が額面通りの活躍ではなかったし、先発投手陣もケガで次々と離脱、打線も好不調の波が激しい、加えて投手出身の監督ながら投手起用があまりにも醜いといったありさまでは勝てるわけありません。最下位にならなかったのが不思議なくらいです。 そういった中でも、やはり投手陣の崩壊が大きかったかなと思います。大瀬良投手、野村投手、K・ジョンソン投手といった計算できる投手がケガや不調でほ勝てません。久里投手だけですからね、ローテーションをシーズン通じて守っていたのは・・・。シーズン後半にはようやく中村(祐)投手や遠藤投手、が先発で活躍し始め、中継ぎではケムナ投手や塹江投手など若手が試合を作ってきたので来期はさらに飛躍を期待したいところです。 野手陣では、鈴木誠也選手が5年連続3割の活躍はすばらしいものの、どうも去年までのような圧倒的な勝負強さが感じられなくなっていました。そのほかの野手陣もシーズン後半にはようやくかみ合ってきたものの、全体的には低調でたんぱくな感じがぬぐえない状況で終わってしまいました。 そんなボロボロの状況でしたが、光がなかったわけではありません。投手陣では、前出のとおり若手が伸びつつあるし、野手陣では堂林選手の復活は待ちに待った、って感じです。守備面ではまだまだ危なっかしいところがありますが、打撃では昨日の最終戦でも最終回にしぶとく2点タイムリーを打っていましたし、来期に期待したいところです。 また、菊池選手のシーズン通じて503回の守備機会をノーエラーで終えるという、セカンドのポジションではプロ野球史上初めての偉業を達成しましたね。一時期よりは守備範囲が狭くなった、なんていう声を聞くことがありますが、あの守備のどこが狭くなったのかって思いますけどね。常識では考えられないポジションと強肩ですからね、今年も何本もヒットを損した選手が多いと思います。来期もその記録を伸ばして、二度と破ることができない数字まで引き上げてほしいと思います。 あと、今シーズン限りでカープを去ることになった石原選手、小窪選手。ともに暗黒時代を過ごし、派手さはないけど3連覇の時はチームを下支えしてきた功労者でした。そのほかにも石原選手を全面的に信頼していたK・ジョンソン投手も退団するなんていう話も出ていまして、なんだかさみしい話だなぁって思いました。 来期も佐々岡監督が指揮を執るようで、ヘッドコーチにはスワローズから河田コーチがやってくるとのこと。佐々岡監督に対してダメ出しができるヘッドコーチを期待したいと思います。
2020年11月12日
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今日は約一か月ぶりの試合がありました。場所は浜寺公園野球場、ここは結構好きなグラウンドなのですが、昨夜遅くから降った雨も影響で大きな水たまりがいっぱい・・・。先日の住之江公園ではあっけなく中止になったのですが、今回は開催することに。ただ、その水たまりをスポンジで吸い出さなければならず、相手チームとともに作業しました。でも、その作業に1時間もかかってしまい、グラウンドを4時間確保していたものの、試合開始は1時間半も遅れてしまいました。そんなこともあって、1試合目で帰る人にとっては「水たまりの撤収作業に来た」みたいになってしまって、とてもお気の毒でした・・・。 さて、そんな作業がようやく終わって試合開始。今日はリーグ野球道の公式戦で、相手はメッツ倶楽部さん。何度も対戦したことのあるチームです。今日は10人の参加、私はDHでしたが、前出のとおり正捕手のK2さんが次の用事のために途中で帰ることなっていたので、その後2回表から私がキャッチャーとなりました。 試合は、久しぶり登板のH12さんの調子がよく、ほぼ危なげない投球でした。唯一の失投があったものの、O0さんのファインプレーに救われました。変化球と強気にインコースを攻めてもらったのがよかったと思っています。結局2-0で勝ちました。 2試合目は、時間が少しだけあったので引き続き行いました。私はそのままキャッチャーで出場、I5さんとバッテリーを組みました。 試合は、相手のミスに乗じて加点し、5-0で勝ちました。時間が少しあったといっても2イニングしかできませんでしたけどね・・・。 さて、私の成績は5タコでさっぱり。2試合目は2打席ともいい当たりをしましたが、エラーで出塁とセンターフライですからね・・・。今年の試合もあと2試合、私にとっては次の試合が今年の最終戦になります。せめて自分の身長くらいの打率になればいいんですけどね・・・。【今日の成績】1試合目 1打席目 捕飛 2打席目 投ゴロ 3打席目 三振2試合目 1打席目 遊失 2打席目 中飛球 3打席目 三ゴロ 30打数4安打0打点6三振4四死球 打率.133
2020年11月08日
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広島ひと筋に19年間プレーした石原慶幸捕手(41)が7日の阪神戦(マツダ)後に引退セレモニーを行い、その“ラストシーン”に鯉党の涙が相次いだ。 石原慶は8回表からマスクをかぶり、3番手右腕・中田とバッテリーを組んで途中出場。見事に3者凡退で切り抜けると、その裏に無死一塁で回ってきた打席では、阪神・矢野監督の粋な計らいにより同学年で今季限りでの阪神退団が決まっている能見が登板し、5球目を打って右飛で現役最後の打席を終えた。なお、能見も石原の打席だけで降板している。 試合は0―2で敗れ、チームの連勝は7でストップ。2015年以来5年ぶりとなるシーズン負け越しも決まった。だが、引退スピーチ冒頭でコロナ禍にありながら開幕を迎えられたことを医療関係者に感謝するなど人柄の良さをにじませた石原慶。花束贈呈役を務めた後輩の会沢翼捕手(32)は男泣きし、場内一周の際にはともに2016年の25年ぶり優勝を味わったOBの黒田博樹さん(45)、新井貴浩さん(43)が登場して花束贈呈を行うサプライズ演出で感動を呼んだ。 そして、クライマックスはバッテリーを組んだこともある佐々岡真司監督(53)、コーチ、ナインと次々に握手を交わしたラストシーンだった。列の最後で石原慶を待ち受けたのは2016年沢村賞左腕で、今季未勝利のまま登録抹消中のクリス・ジョンソン投手(36)。正捕手が会沢に代わっても女房役に指名し続けたジョンソンが1メートル93の長身を折って石原慶を固く抱きしめると、ネット上には「大トリはジョンソンのハグ!」「最後がジョンソンって、もう最高」「ジョンソンと石原が抱き合った瞬間涙止まらなくなった」「熱い抱擁もう涙が止まりません」「最後にジョンソンと抱き合うとかどんだけ泣かせにくるん?」「石原とジョンソンの抱擁で涙腺決壊した」と感涙する鯉党の声があふれた。 ジョンソンは昨年5月25日の巨人戦(東京D)で登板100試合目を通算50勝で飾った際には「自分の試合で99%マスクをかぶってくれているイシ(石原)がいなければ50勝も挙げられなかったと思うので、この50勝は石原の50勝だとも思います」などと話し、全幅の信頼を寄せていた。【スポニチアネックスから引用】 今年限りで引退する石原慶幸選手のセレモニーが行われて、感動的なものだったようですね。カープ一筋でチームを支え、意外性のある打撃とインパクトのあるプレーで活躍していましたね。19年の現役生活のうちほとんどが暗黒時代だったのですが、3連覇の時にはベテランらしいいぶし銀のようなしぶい活躍でした。なかでも、本文にもありましたが、ジョンソン投手とのコンビは素晴らしかったです。気難しそうなジョンソン投手が石原選手を全面的に信頼し、石原選手が出すサインに首を振ることなく投げ込んでいたのが印象に残っています。 そして、セレモニーの最後に登録抹消されていたジョンソン投手が登場、石原選手との抱擁は感動的なものだったでしょうね。ジョンソン投手にしてみたら異国の地へやってきて、自分のピッチングスタイルを受け入れてくれて、いいところを引き出してくれる石原選手と勝ち星を積み上げ、リーグ優勝することができたことがいい思い出になったでしょうね。できれば、最後はジョンソンー石原のバッテリーがみたかったなぁ・・・。 石原選手、お疲れさまでした・・・。
2020年11月07日
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ノムさん、南海に帰る――。プロ野球の南海ホークス(現ソフトバンク)で戦後初の三冠王に輝き、ヤクルトや楽天で監督を務め、2月に亡くなった野村克也さん(享年84)の遺品などが、大阪・難波のなんばパークスにある「南海ホークスメモリアルギャラリー」に展示されることが4日、発表された。 南海OBで、現役時代に野村さんとバッテリーを組んだ江本孟紀さんが発起人となった。なんばパークスは南海の本拠地だった大阪球場跡地。この日、江本さんと南海電鉄の和田真治・執行役員らが大阪市内で記者会見し、「おかえり!ノムさん 大阪球場に。」と銘打ったギャラリーのリニューアル計画を発表した。 江本さんは「野村さんは名将という印象が強いが、王さん、長嶋さん、張本さんと並ぶスーパースター。その現役時代を送ったのが南海ホークス。それを野球ファンの皆さんにもう一度認識してほしかった」と思いを話した。(中略) 今回江本さんが遺族の承諾、南海電鉄の協力を得て、「ホークスを彩った名選手」パネルに野村さんの名前を残したり、コレクション展示ケースを増設したりする運びとなった。ギャラリーのリニューアル費用はクラウドファンディングで支援を募る。43年ぶりに、野村克也が南海に帰ってくる。【朝日新聞digitalから引用】 大阪・難波のなんばパークスにある「南海ホークスメモリアルギャラリー」には、1977年に解任されて以来、元からいなかったような形になっている野村克也さんのことについては、このブログでもとりあげました。これは、解任に至る経緯が野村氏側、南海側の言い分があったのでしょうけど、1950年代から70年代にかけてパ・リーグの強豪チームを支えてきたのは、野村さんの功績が大きかったと思っています。ただ、「南海ホークスメモリアルギャラリー」を整備するときに野村さんにも声をかけたそうですが、その解任の経緯を嫌ってか名前すら載せない(一説ではあの猛妻が強硬に反対したらしい)し、野村さんが元気なうちに一切の展示がなされなかったことは本当に残念でした。 でも、時は流れてようやく野村さんの功績を入れた本当の意味でのメモリアルギャラリーが整備されることになったのは、かつての南海ファンを安堵させるものになったのではないかと思います。そこには、南海ホークスとして最後のリーグ優勝を飾った時のエース、江本さんの声掛けが大きかったのではないかと思います。また、野村さんの長男、克則氏もそれに応じてくれたということも大きかったと思います。 どんな形で展示されるのか全容はわかりませんが、戦後初の三冠王、ホークスとして初めての2000本安打をはじめとしてパ・リーグを代表する強打者としての記録や資料などが展示されることを期待しています。
2020年11月04日
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先日来取り組んでいる草野球チーム・ガゼルスのユニフォーム更新に伴うヘルメットの塗装。ついにヘルメットのつばを塗って最終の仕上げを行いました。 いやぁ、なかなか難しいですね。プロとは違うので仕上がりは「・・・」でした。 塗装のダマはあるし、緑色の塗装したのが水性塗料ということもあったのかな、白い部分との色の差がどうもよくないなぁってね。 でもまぁ、ぱっと見ではまぁまぁできているし、使っているうちに汚れたりキズも入るから、まぁいいかってね。 あとは、チームのマークやヘルメットステッカーで自分の背番号「15」を入れて完成となります。
2020年10月31日
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元メジャー世界一右腕を待ち受けていた現実は想像以上に厳しかった。ルートインBCリーグ・埼玉武蔵ヒートベアーズの田沢純一投手(34)は26日のドラフト会議で、まさかの「指名なし」に終わった。(中略) 2008年にNPBのドラフト指名を拒否し、レッドソックスと3年契約を締結。13年にはセットアッパーとしてチームを世界一に導くなど田沢の実績は申し分ない。NPB復帰への大きな弊害となっていた、いわゆる「田沢ルール」も今年9月に撤廃され、お膳立ては整ったはずだった。球界関係者の間では「上位指名は難しいだろうが、4位以下なら複数球団が指名するだろう」との声も飛び交っていただけに意外な結末と言えるかもしれない。 だが、ア・リーグ球団のスカウトは「厳しい言い方ですが妥当な結果」とし、こう続けた。 「独立リーグでプレーする田沢の投球を見たが、日本のマウンドとボールにアジャストできていないように感じられた。NPBの各球団は即戦力として獲得するにはリスクが高過ぎると判断したのだろう。年齢も来年35歳と若くない。しかも彼の言動には今もメジャー復帰を諦めていないフシが感じられ、獲得する側からはどうしても『腰掛けでプレーするつもりなのか』といううがった見方をされる。こうした数々の要素がマイナスとなったのは間違いない」 今年7月からプレーした独立リーグでの成績は16試合登板で通算16イニングを投げ、2勝0敗、防御率3・94。この数字に関しても、前出のスカウトは「このレベルで防御率がほぼ4点台では厳しい」と言う。【東スポwebから引用】 この選手について、実は私はあまり知りませんでした。メジャーで活躍していたんですね。ただ、ここ数年は、調子を落としていたようだし、今年はアメリカでもメジャーは大幅に試合数を減らすとともに、マイナーは試合を行わなかったとか。そんなこともあって、この選手は日本のプロ野球ではなくて独立リーグへ入団、そこからプロ野球のドラフト指名をもくろんでいたようです、 もっとさかのぼると、ドラフトにかかる時期にそれを拒否して単独でアメリカへ渡ったということで「田島ルール」という『日本のドラフトを拒否して海外の球団と契約した選手は、退団後も一定期間(社会人・大卒なら2年間、高卒なら3年間)はNPBのチームと契約できない』があるために、本来ならドラフトにかけられることはないのだが、それが今般撤廃されたことから投手力の弱いチームからドラフト指名される可能性がありました。でも結果は本文のとおり。これについて、私は次のように考えました。〔そもそもドラフトにかけないとダメなの?〕 プロ野球に入りたい人を全球団が機会均等で指名できる仕組み、というのがドラフトだと理解している(志願届を出しているし)ので、この選手もその対象だと思っています。 ただ、この選手は元々日本のプロ野球に入るのではなく、いきなりアメリカへ行きたかったわけだから、『拒否する』ことはできてもいいと思っています。また、それをいわゆる「田島ルール」というもので日本に戻ってきても一定期間日本のプロ野球に入れないというのも変なルールだと思います。〔そもそもドラフトって?〕 ドラフト制度は1965年にスタートしたことは知られており、高騰する契約金や特定の球団に有力選手が固まるのを是正することを目的に始まったと理解しています。 また、ドラフトで指名されるのは、高校生・大学生や社会人の野球を経験した人たちがプロ野球を目指すというものと理解しています。〔今回のケースでは〕 この選手の場合は、ドラフトを受けずにアメリカへ行ったことは本人の自由であるし、変なルールで縛るのもおかしな話であると思います。また、メジャー経験者であることから「ドラフトにかける」必要はないんじゃないかって思いました。 ただ、どの球団も指名しなかったのは、この選手がドラフト前に「指名されたら考える」「マイナーリーグが始まるのであればそっちへ行く」といった発言をしたといわれていますが、それらとは別に年齢的なところ、さらには独立リーグでも満足な成績を上げていないところにあるのではないかと思います。ここ数年は調子を落としているとはいえ、メジャーリーグ経験者であることから独立リーグでは圧倒的な成績を残していたら話は別だったんでしょうけど、防護率は4点近くとなればいくら投手力の弱いチームでもいらないでしょうね。そのためにドラフトの枠を1つ使ってしまうわけだし。 以上から、この選手が指名されなくてもそんなに不思議ではなかったと思っています。 本人は「メジャー帰りだからどこかの球団から指名はあるだろう」って思っていたんだろうけど、どの球団からも下位ですら指名がなかったということをどう受け止めているんだろうね。そんなこともあってか、チームが用意した記者会見に姿を見せなかったというのはよほどのショックだったんだろうね。 どうしても日本のプロ野球でやりたいのであれば、テスト入団するくらいしか道はないのではないかな。まぁそこまで日本のプロ野球にしがみつく気もないのであれば、引き続き独立リーグでプレーするか、元通りアメリカへ戻るかの二択じゃないかなってね。
2020年10月27日
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今日は、草野球の試合の試合の予定だったのですが、昨日の夕方まで降り続いた雨のせいでグラウンドを使用することができず中止に。せっかく住之江まで行ったのに残念・・・グラウンド管理者の判断だから仕方ないんだけど、相手チームも残念そうに球場を後にしました。週に一回の楽しみなんだけどなぁ・・・。仕事が毎日忙しいし、いろんな悩みもある中で、週に一回気の合う仲間と集まって野球の話だけでなく、いろんな話ができるのが楽しみだけど・・・。 それはさておき、私が所属している草野球チームのガゼルスでは、ユニフォームを更新することになって現在制作中なのですが、ベースの色がクリーム色、文字が緑色、帽子もそのような感じに変わることになりました。そのため、ヘルメットの色をどうするか悩んだ結果、私は今のヘルメットを塗り替える選択としました。ヘルメットの色を塗り替える、って簡単に思えますが、調べてみるとなかなか大変なのです。 まず、下地処理をすること。これはヘルメットに限らず家の壁でもそうですし車でも同じなのですが、色が乗りやすいような環境を作るのが「下地処理」にあたります。その後、下塗り、中塗り、上塗りと段階を踏んでいくわけです。プラモデルを作ったことがある方ならイメージがわくと思いますが、私はほとんど作ったことがないので、ネットでいろいろ調べて材料をそろえました。 ヘルメット塗り替えのとっかかりは、「シールをはがすこと」。これは当たり前か・・・。 私のヘルメットです。試合で後頭部にデッドボールを受けたのをきっかけに購入。このマークも今回変更されます。 ちなみに、ヘルメットをかぶるようになってからも二度ほどヘルメットにぶつけられましたので、その痕も残っていました。(つばのところがよく目立っている) ここから600番の耐水ペーパーでヘルメットのトップコート(ツヤツヤしているところ)を削っていきます。結構簡単にできました。 う~ん、なんだか汚い感じになりました・・・。本当にこれでいいんかなってね。 ここで下地処理の第一段階が終了。このあとに、プラサフを塗っていきます。プラサフ、ってプラモデルを作ったことがある方はご存じかもしれませんが、「プライマーとサーフェイサー」を合わせた下地用の塗装です。 そのプラサフを塗っていきました。濃紺のヘルメットがみるみるうちに白色に変わっていきました。 今度のユニフォームがクリーム色、元のヘルメットが濃紺ということでこのプラサフの作業は重要だそうです。要するに、ベースが薄い色から濃い色に塗装するならあまり意識しなくていいのでしょうけど、その逆は元の色が浮いてくるようになるそうで・・・。 ちなみに、今回使用したプラサフは車の塗装用のものです。車のバンパーもヘルメットも樹脂ですからね。それから、ヘルメットはいつも使用している荷物運搬用のキャリーカートの持ち手部分に取り付けました。 乾燥させて、この後は本塗り用に再び耐水ペーパーで下地処理をします。 その後、いよいよ本塗り作業です。つばの部分は緑、そのほかはクリーム色に塗装していきますが、うまくできるのかな・・・。 ところで、ヘルメットといえば、西武や読売、オリックスで活躍した清原和博さんが現役時代はずっと同じヘルメットを色を塗り替えて使っていたそうですね。清原さんといえば現役晩年のやくざな風貌のイメージが強くて、道具の扱いって適当だろうって思っていたし、プロ野球なんだからヘルメットなんかは球団が用意して当たり前、って思っていたのですが、これはとても意外に思いました。 なんでも、西武時代に頭に合うヘルメットがなくて探していたところ、倉庫にあったのが野村克也さんが使用していたもの(予備用らしいのですが)がしっくりきたので、読売やオリックスに移籍しても色を塗り替えながら使っていたとのこと。 プロの選手が使うものだから、当然塗装もプロの方が整備されているのでしょうけど、新品のような仕上がりでした。
2020年10月18日
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広島東洋カープは12日、石原慶幸捕手(41)が今季限りで引退すると発表した。16日にマツダスタジアムで記者会見し、11月7日の阪神戦(マツダ)で引退セレモニーを開く。 19年目の今季は3試合目の出場となった8月27日のDeNA戦(横浜)で遊ゴロを放って一塁に走る際、左脚を負傷。同28日に登録抹消されていた。3軍でリハビリを開始した9月上旬には「できることは限られているから、やれることを探してやっていく」と話していたが、実戦復帰に至らないまま、今季限りでの引退を決断。球団に申し入れて了承された。 県岐阜商高から東北福祉大を経て、2002年ドラフト4巡目で入団。08年から4年連続で100試合以上に出場するなど、長く正捕手として活躍した。25年ぶりのリーグ優勝を飾った16年にはベストナインとゴールデングラブ賞をいずれも初受賞。18年5月にはプロ野球史上最年長となる38歳8カ月で通算千安打を達成した。 通算成績は1619試合に出場し、66本塁打、378打点。打率2割3分6厘。1022安打は広島の捕手では最多。【中国新聞デジタルから引用】 長年カープのキャッチャーとしてチームを支えていた石原慶幸選手が今シーズン限りで引退するとのこと。近年のカープは、會澤選手、坂倉選手、磯村選手と打撃がよくてほかのチームなら十分にレギュラーを務められる選手が成長し、打撃ではかなり劣る石原選手はK・ジョンソン専属のキャッチャーとして出場する程度になっていました。でも、リードとキャッチングの技術は前出の三人とはさすがに違いますね。だから、このままチームに残って鍛え上げてもらえれば、って思っています。 さて、カープのキャッチャーといえば、かつては達川さんのように「欺く」「惑わす」技術が巧みで、デッドボールではないのに勝手に一塁へ歩いたり、野球と関係ないことをマスク越しに囁くなどの技術(?)を持っていたわけですが、石原選手も負けず劣らずそういった技術は持っていました。得てして狙ったわけではないんでしょうけど、結果的にはなかなか巧みな技術を持っていました。 中でも、ある日のジャイアンツ戦でランナー満塁の場面でセカンドランナーに石原選手。打者の打った打球は低いライナーで二塁手の前でワンバウンド。それをみた石原選手は三塁に走り出すのではなく、なぜかセカンドへヘッドスライディング。ボールはセカンドにカバーに入ったショートへ転送されたので、その時点で一塁走者はアウト。ショートからファーストへ転送されたがファーストはセーフとなりました。ところが、なぜか石原選手は自分自身がアウトになったと思ったのかボールが一塁に転送されている間に、ゆっくりと二塁から三塁へと小走りで走っていました。まるで「アウトになった、ベンチへ帰るか・・・」とばかりに残念そうな見た目で。しかし、セカンドでアウトになったのは一塁走者だけ。二塁走者だった石原選手はアウトになってないのです。そのしぐさに守備側はすっかり騙されてしまって、気が付いたら石原選手は三塁走者になっていましたとさ、めでたしめでたし。 相手チームにしてみたら、何にもめでたくないのですが、普通なら二塁から三塁に小走りで走っている石原選手にタッチすればよかったわけですけど、みんななぜだか騙されていたんですね。こんなところから、石原選手は達川さんとは違うだましのテクニック、通称「インチキ」とよばれるようになった所以なんです。 だから、めったに長打のない石原選手が二塁打や本塁打なんて打つと「インチキさく裂!」なんて言われたりするというちょっと気の毒なところもありました。 そのほかにもいろいろとテクニックがあるのですが(笑)、その辺はyoutubeでご覧いただくとして、暗黒・低迷期も3連覇も経験されている石原選手の引退は残念ですけど、長い間お疲れさまでした。
2020年10月12日
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今日は、淀川河川公園の毛馬野球場で練習試合がありました。今日は12人参加とにぎやかでした。相手はタイガースさん、甲子園でファン向けのイベントで配布されているレプリカユニフォームを着たチームでした。12人も参加ということだったので、私はベンチスタートのDH。最終回にキャッチャーに入りました。 試合は、T16さんが先発。エラーで中盤に2失点するものの、その後は抑えていました。しかし、打線が振るわず、内野ゴロの間に1点返しただけで2-1で負けました。私もヒットは出ずでした。 それでも、2週間ぶりの参加でしたし、十分楽しめました。【この日の成績】 1打席目 遊ゴロ 2打席目 二飛 3打席目 三ゴロ 25打数4安打0打点5三振4四死球 打率.160
2020年10月11日
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今日は、約2か月ぶりに草野球の試合に行きました。足の肉離れもようやくマシになったようです。この日は、東大阪市の金岡公園野球場で練習試合で相手はロイロジャースさん、この日は11人が参加でした。私は足の状態も考えてもらってDHで出場でした。 試合はI5さんの先発でスタート、2回表に1点失ったもののその後は要所を締めていました。しかし、打線は相手投手の変則的なモーションに惑わされたわけではないでしょうけど、3回までノーヒットに抑えられる状況でした。 5回表に満塁ホームランを打たれるなど5失点、6回表は私が登板しましたが5失点と大量得点されてしまいました。 それでも、6回裏に私のヒットを皮切りに打線がつながって6得点上げたものの12-6で負けました。私が打たれなければ接戦だったんですけどね・・・。 私の成績は、2打席目は前出のとおりですが、1打席目もいいあたりのレフトフライでした。この日は変則的なモーションの相手投手にタイミングが合っていたようです。【この日の成績】 1打席目 左飛 2打席目 左安打 22打数4安打0打点5三振4四死球 打率.182
2020年09月27日
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私が所属している草野球チーム、ガゼルスのユニフォームは、現在のデザインになってから約10年近くが経過したということで、更新する計画を立てています。 現在のユニフォームは、かつての南海ホークスのビジターのように上が濃緑、下がグレー地に細い緑のラインが入っているもので、緑色のユニフォーム自体が少ない中で一目でわかるから個人的には気に入っているし、無理に変える必要はないと思っています。ただ、10年近く同じものなのでそろそろ更新したい、という意見もわかります。 最近のユニフォームは、プロ野球もそうなのですが草野球でもサッカーのユニフォームかと思うくらい派手なものが多いような気がします。「昇華ユニフォーム」という新しいものもあるようですけど、私自身古い考えなのかもしれませんが、格好よくは見える反面、どうしても安っぽく見えてしまうんですよね。「見た目に惑わされてはダメ」といったところでしょうか。やはり、昔ながらの刺繍タイプがいいかなってね。 そして現在、チームメイト全員にデザインを募集しているのですけど、案であがっているのを見ると今のユニフォームで使われている緑色を組み込んで考えているものが多くて、私はそれには賛成です。チームのカラーというものがあるし、「ガゼルス=緑」でいいんじゃないかと。 中でも、O0さんが考えていたものの中には、白地(グレー地?)をベースに緑色の文字になっているものがあって、帽子も白をベースにつばの部分が緑という一見すると高校野球の報徳学園のような感じですけど、それはそれでいいんじゃないかってね。 あと、できたら背番号の字体は、先日このブログでも紹介した南海6000系の車体などに使われている浪漫字体がいいんだけど、それを採用しているメーカーってなかなかないなぁ・・・。 ところで、私が緑色をベースにしないバージョンとして考えるとしたら、いわゆる縦じまが好きなんですよ、阪神ファンじゃないけど(爆)。カープも暗黒時代に縦じまだったことがありますけど、私は決して嫌いじゃなかったです。だから、縦じまにシンプルな胸マーク、ヤンキースのようなものが飽きが来なくていいんじゃないかってね。 まぁ、みんながどんなデザインを持ち寄るのか。それはそれで楽しみです。
2020年08月13日
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先日の日曜日、寝屋川市の寝屋川公園野球場でダブルヘッダーの試合がありました。梅雨明け後のダブルヘッダーということでかなり暑かったです。1試合目はリーグ野球道の公式戦、2試合目は練習試合で、いずれもミルキーウェイさんとの対戦でした。 1試合目はH12さんが先発、試合は投手戦で両チームともなかなか点が入らず、守りも双方ともよくて終盤まで0行進でした。終盤に両チームとも1点ずつ取り合った後、6回裏にI5さんのタイムリーで3-1となり、そのまま逃げ切りました。 2試合目は練習試合でT16さんが先発、私が今季初のキャッチャーに。ところが、1回裏に私が負傷してしまいました。人数がいたので何とかなりましたが、みんなに迷惑かけました。キャッチャーフライを追いかけて飛びついたものの届かず。しばらくキャッチャーをしていなかったので、ダメだったかな・・・。 試合は、相手投手の乱調に付け込んで幸先よく2点入れたものの、逆転されて5-2に。しかし、終盤にK2さんのタイムリーなどで同点に追いついたのですが、最終回にサヨナラ犠牲フライで6-5で負けました。 私の成績は、今日もヒットは出ず。ただ、アウトにはなったもののあたりがよいものもありました。 なお、負傷の具合としては、左足の筋を痛めたのと左のわき腹や胸を強打したみたいです。左足の筋は軽い肉離れかもしれませんし、左のわき腹や胸を強打したところは寝返りを打つとかなり痛みます。いずれも日にち薬かなって思っていますけどね・・・。しばらく野球はできんかもしな・・・。【この日の成績】1試合目 1打席目 三ゴロ 2打席目 投ゴロ2試合目 1打席目 中飛 20打数3安打0打点5三振4四死球 打率.150
2020年08月04日
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先日の日曜日は、雨予報が今回も全く外れてとてもいい天気。っていうか蒸し暑くて日差しも強くて夏本番みたいな感じでした。でも、まだ今日もそうですけど梅雨明けしていないんですよね・・・。 さて、この日は練習試合で、相手は大阪ジラースさん。挨拶のできるチームでした。最近は、そういった元気のいいチームと対戦することが少ないんですよ。今日は私が今季初先発。いつもの投手陣が軒並み休みだったので、私が久しぶりの先発となりました。 試合は、初回は無難に抑えたものの、2回以降は四球や私のミス、味方のエラーもあって4失点。試合をつくることができませんでした。打線も初回の満塁のチャンスをつぶした以降は、チャンスらしいチャンスがなく、6回にようやくU27さんのタイムリーが出たくらいで5-2で負けました。 投げる方はそんな感じでしたが、打つ方では久しぶりにヒットが出ました。【今日の成績】 1打席目 右安打 2打席目 投ゴロ 17打数3安打0打点5三振4四死球 打率.176
2020年07月21日
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今日は天気が心配されましたが、大阪市住吉区の沢之町運動場で練習試合がありました。相手は、前にも対戦したことのある富田林クラウンズさん。元々は別のチームとの対戦だったのですが、まさかの直前でのドタキャン・・・。天気は怪しかったかもしれないけど、ややこしいときは「現地集合」が基本でしょ? そんな基本的なこともできないなんて、対戦相手減らすよ。 そんな状況だったのですが、今回の富田林クラウンズさんは、沢之町運動場で私たちの前の時間帯で公式戦をされていたのですが、監督のフルスイングさんが交渉して対戦OKとなりました。ホント、ありがとうございます! さて、前置きが長くなりましたが、今日は10人が参加。沖縄に単身赴任中のY30さんも戻ってきて参加してくれたので10人参加でした。私はファーストで出場、T16さんが先発でした。 試合は、初回にK2さんのタイムリーで幸先よく1点あげたものの、2回表に満塁から走者一掃タイムリーなどで一挙4点入れられてしまいました。その後、ランナーはたまるもののあと一本が出ず、5-1で負けました。残塁8では勝てませんわ~ その負けた原因が二度の満塁のチャンスに回ってきた私がことごとく凡退で終わったため・・・。 得点圏打率0割ですからね、そりゃ無理だわな。ホント、すみません・・・。【今日の成績】 1打席目 一ゴロ 2打席目 三ゴロ 3打席目 死球 15打数2安打0打点5三振4四死球 打率.133
2020年07月12日
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プロ野球・千葉ロッテマリーンズを退団していたジェイ・ジャクソン投手が、「大麻リキッド」(液体状に加工した大麻)所持の容疑で2020年7月10日に広島市内で逮捕された。 現役助っ人の逮捕にプロ野球ファンの間ではショックが広がる中、かつてジャクソン容疑者が在籍し、チームの3連覇に貢献した広島東洋カープのファンからはひときわ大きな落胆の声が聞かれている。 ジャクソン容疑者は2015年オフに広島に入団。中継ぎとして16年~18年で合計175試合に登板し、セ・リーグ3連覇に大きく貢献した。陽気な人柄で知られ、イニングを抑えたあとに見せる「ジャクソンスマイル」が名物となるなど、実力だけでなく「愛されキャラ」としても人気を博していた。 広島退団後の19年には大リーグ・ブルワーズでプレーしたが、1年で日本球界に復帰。今シーズンはロッテで7試合に登板し0勝0敗1セーブ、防御率3.86の成績を残していた。【J-CASTニュースから引用】 このニュースはショックでした。カープの3連覇の時には貴重なセットアッパーとして活躍、そのイニングをきちんと押さえきれば「ジャクソンスマイル」と呼ばれた人懐っこそうな笑顔で満足そうにベンチに帰っていく姿が印象的でした。 そんなジャクソン投手が大麻不法所持ということで逮捕されたとのこと。大麻で捕まった外国人選手といえば、近鉄バファローズのデービス選手が印象に残っています。デービス選手も近鉄の主軸として活躍していたのですが、捕まってしまって解雇、その代わりにやってきたのがあのブライアント選手だったんでしたね。 さて、アメリカでは州によっては大麻は麻薬扱いになっていない、と聞いたことがあるのですが、ここは日本、麻薬や覚せい剤の類はかなり厳しいわけですからね。バレないとでも思ったのかな、ホント残念だな・・・。
2020年07月10日
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昨日は、天気が心配されましたが、淀川河川公園毛馬野球場で練習試合がありました。相手は、常勝さん。昨年も何度か対戦したことがあるチームです。この日は10人が参加、私はDHでした。 試合は、H12さんが先発。ほぼ危なげなく投げていました。また、打線はM23さんが4安打の固め打ちにタイムリーと大活躍でした。 私は5回からリリーフとして今季初登板。H12さんの速球に対して、遅い球で相手打線を翻弄。内野安打と死球は1つずつあったものの、バックの守りにも助けられて2イニングを無得点で切り抜けました。結局、5-1で勝ちました。 打つ方はさっぱりダメでしたが、投げる方で無難なピッチングだったのでそれはそれでよかったかと思います。【今日の成績】 1打席目 四球 2打席目 遊失 3打席目 三振 13打数2安打0打点5三振3四死球 打率.154
2020年06月29日
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19日に無観客で公式戦が開幕したプロ野球は22日、オンラインで12球団代表者会議を開き、7月10日から観客を入れて開催する方針を決めた。今後は各球場の上限入場者数などを検討する。会議に先立って行われたJリーグと連携する「第10回新型コロナウイルス対策連絡会議」では、感染症の専門家チームから、感染リスクを下げるための応援スタイルの変更などが求められた。 入場できても、ファンの応援や観戦スタイルは大きく変わる。感染症の専門家チームは5月22日に改定した「提言」の中で、観客に対する感染予防策を挙げ、リスク評価を具体的に示している。 【感染リスク高】(1)ジェット風船(2)肩組み、飛び跳ねなど集団での動きが伴う応援(3)指笛(4)トランペットなどの鳴り物-など。 【感染リスク中】(1)応援団の指揮による歌唱、拍手(2)プレーのたびの拍手や声援-など。 【感染リスク要検討】応援タオルを回す、横に広げて左右に振る。 ジェット風船の自粛はオープン戦から各球団が呼びかけており、応援団への交渉も済ませている。日本野球機構(NPB)は有観客での開催に備えたガイドラインを作成中で、感染リスクが高いものは盛り込まれる可能性もある。専門家チームに意見を仰いだ上で7月10日までに発表し、ファンに理解を求める予定。ヤクルトの得点時にファンが『東京音頭』を歌いながら小さな傘を振る名物応援は、感染リスクが低いとされる。【サンスポから引用】 7月10日から観客を入れてプロ野球が見られるようになるみたいですけど、そこは新型コロナウィルスの感染拡大を防ぐためにいろいろと対処をするみたいですね。それはそれで仕方ないんだけど、あまりに味気なく思えてしまいます。 特に、前出の感染リスク大と言われる『ジェット風船、集団での動きを伴う応援、トランペットなどの鳴り物』はこれまでのプロ野球の応援では当たり前のものですが、それができなくなるかもしれないんですよね。カープの応援のみならずタイガースもそうだし、困りましたね・・・。 このうち、ジェット風船はやむを得ないのかもしれないけど、それ以外はなんとかやらせてほしいものだけどなぁ・・・。 それとも、今年は仕方ないということで鳴り物応援も何もかも自粛して、手拍子くらいで観戦するしかないのかな。まるで昔の野球観戦みたいだけど、これはこれでいいかもしれないけどね。 ところで、ヤクルトの「傘を振り振り東京音頭♪」は感染リスクが低いとはね、びっくりです。
2020年06月23日
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新型コロナウィルスの感染拡大のせいで3月以降の草野球が全然できなかったわけですが、緊急事態宣言解除を受けてようやく昨日、試合をすることができました。今日は12人が集まり、緊急事態宣言中は野球することができなかったし、それだけではなくほぼみんな動きがなかったようで、激太りの人もいました(笑)。それでも、みんな元気に集まることができてよかったです。 そんな緊急事態宣言後の初の試合は、いきなりリーグ野球道の公式戦。公式戦の方もプロ野球と同じくこの先どんどん入ってきそうです。この日は、スリーアローズさんとの対戦で、私はDHで出場、途中からファーストに入りました。 試合は、H12さんが先発でスタート。1回裏にU27さんのタイムリーで幸先よく1点あげたものの、3回表に守備の乱れなどで2点失って逆転され、4回裏に再びU27さんのタイムリーで追いついたものの、終盤に3点失い、5-3で負けました。 試合は負けましたが、久しぶりにみんなと会うことができてよかったと思っています。 【今日の成績】 1打席目 四球 2打席目 三振 11打数2安打0打点4三振2四死球 打率.182
2020年06月22日
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野球漫画『あぶさん』の主人公・景浦安武は、作者の水島新司氏がファンだったということもあり南海ホークスにドラフト外で入団し、親会社がダイエー、そしてソフトバンクに変わってもホークス一筋で活躍した。あぶさんもかぶった南海の野球帽の「NHマーク」は、球史に残る傑作デザインと言われている。(中略) 南海ホークスの帽子と言えば、何を差し置いても、南海のNに電車の車軸に見立てたHを組み合わせたNHマークだ。日本球界における傑作帽子マークのひとつである。考案したのは南海電鉄のデザイン部門と伝えられている。 日本シリーズで読売巨人軍に勝てず、パ・リーグの覇権も西鉄ライオンズに握られてしまったホークスの鶴岡一人監督が、「ひとつ太い線でも入れてたくましくしては」と提案。肩に太いラインの入ったユニフォームを1959年に採用した。そしてこのときNHマークも登場する。 その期待通りにホークスも強くなり、日本一2回、パ・リーグ優勝6回を達成した。濃グリーンと呼ばれた深緑の帽子は野村克也監督の1~2年目にも使われている。【ニュースポストセブンから引用】 いよいよ今週金曜日に今年のプロ野球が遅ればせながら開幕しますが、それまでの間、ネットニュースなどで過去のプロ野球の出来事などを取り上げてくれていて興味深く見ていました。温故知新じゃないけど、こういうときだからこそ昔のプロ野球の出来事を見ることが出来るのは、いいことだと思っています。 さて、そんな中で今日取り上げていたのがかつてパ・リーグを代表するチームだった南海ホークスの話。南海ホークスは、私の亡き父が戦後すぐからのファンだったことはこのブログでも取り上げていまして、私も小学生の頃に今はなき大阪球場へよく連れて行ってもらいました。 そんな南海ホークスのユニフォームや帽子、南海といえばかつての鉄道のカラー同様に緑色、しかもダークグリーンだったので、それに合わせたようにカラーリングされていました。筆記体のHAWKS、ビジターユニフォームのNANKAIの文字も緑色でしたし、ユニフォームのラインも緑色でした。その後は、特に野村監督の時にデザインが大きく変わりまして、その後の広瀬監督の時に縦縞になったりと迷走していたわけですが、南海ホークス最後のユニフォームは古き良き時代の南海ホークスのようなデザインになりました。 特に、ビジターのユニフォームが濃緑に白い文字でNANKAIと入っているもので、これは私が所属している草野球チームガゼルスの現在のユニフォームもそれをイメージしたかのようになっています。 また帽子のデザインも、南海の「N」に鉄道の線路をイメージした「H」を組み合わせたものになっていまして、これもなかなかのデザインだと思っています。アルファベットを組み合わせる、というのはメジャーリーグのニューヨークヤンキースが有名ですが、これは意外と日本のプロ野球でも採用されていますよね。ヤクルトスワローズはヤクルトの「Y」とスワローズの「S」でしたよね。かつて南海とともにパ・リーグを盛り上げた西鉄ライオンズも西鉄の「N」とライオンズの「L」の組み合わせ(このデザインは西鉄の主力打者だった豊田泰光さんが考案したとか・・・)でしたが、その南海もこの「N」と「H」の組み合わせの前にも組み合わせ方は違いますが「N」と「H」のものがあります。個人的にはそのデザインを見たときに、それもありかなって思いました。 それにしても、今のユニフォームってファンを飽きさせないようにするためか、いろんなデザインのユニフォームや帽子が毎年のように作られていますが、ちょっと落ち着かないものが多いように感じています。改めて昔のユニフォームや帽子をみてみると、シンプルで色使いも少ないけどそれが格好良く見えたりするんですよね。特に、前出の南海最後のビジターのユニフォームのデザインって、草野球でもなかなかお目にかかれないものだったりします。緑色のユニフォームは時々見かけますけどね・・・。
2020年06月16日
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新型コロナウイルスの感染拡大で開幕を延期しているプロ野球は25日、オンラインで臨時12球団代表者会議を開き、セ、パ両リーグ公式戦の開幕日を6月19日に決めた。感染予防のため、当面はプロ野球の公式戦では初となる無観客試合で行う。レギュラーシーズンは各チーム143試合から削減されて120試合となる予定。【共同通信ネット版から引用】 ようやく今年のプロ野球が開幕するんですね。 残業して帰って、ニュースで結果しか見られなくても楽しみにしていたのに、それがずっとやっていませんでしたからね。6月19日とまだ少し先ですけど楽しみです。 試合数は120試合くらいになるそうだし、CSも行わないことになりそうだとのことですけど、とにかく開幕することができてよかったと思っています。ただ、チケットはとれるんかなぁ、しばらくは無観客だそうですけど・・・。 それと、やはり先日中止が決まった高校野球のことを考えると、なんだかなぁってね。 とにかく早く始まってほしいなぁ~
2020年05月25日
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日本高野連は20日、選手権運営委員会をオンラインで開き、8月10日から甲子園での開催を予定していた第102回全国高校野球選手権大会について、新型コロナウイルス感染拡大の影響により中止にすることを決めた。引き続き行われた理事会で決定した。夏の甲子園大会の中止は戦後初。選抜大会と春夏連続での中止は史上初めて。代表校を決める地方大会も中止となった。【スポニチアネックスから引用】 こうなってしまうのは予想していましたけど、いくらなんでも高校三年生として最後の大会として望みたかったのにあまりにも酷なことになってしまいました。昨年の秋に新チームになって、春の大会、そして夏の大会へと進むはずだったのに、練習すらできずに終わってしまうって・・・。まぁ、野球以外のバスケにしても、陸上にしても同じなんですけど、なんだかなぁ~ そもそも、こうなってしまったのは誰のせいなんだ? 新型コロナウィルスの感染拡大を防いでいる台湾のような国もあるのに、我が国はなぜそれができなかったのだ? そう、シューキンペーを国賓として招くために、感染拡大しているあの国からの入国者をいち早く入国中止にしなかったアベシンゾーのせいでしょ。いきさつはどうであれ、こうなってしまったのはアベシンゾーと安倍政権のボンクラ政治屋どもの責任でしょ。こいつらがもっとしっかりと水際対策を打ち出していればこんなことにはならなかった。 高校野球やインターハイなど、感染拡大が終息すればいずれは開催することができるだろう。ただ、そこに出場するために学業と同様にがんばってきた「現在の高校三年生」にとっては、一生に一度のことでしょ。彼らにしてみたら悔やんでも悔やみきれないものになったと思うんです。高校野球で時々みかける「部員の不法行為による出場辞退」とは全く違うものだから、余計に無念さがあるのではないかってね。 私の職場の同僚の息子さんも野球をやっているそうなので、残念がっているだろうと思います。高校三年生だからね・・・。 さて、高校野球やインターハイが中止になると、大学や社会人あるいはプロ野球のスカウトや関係者は、どうするんでしょうね。春や夏の大会で有力選手の状況を確認するだろうし、選手にしてみたらアピールのチャンスだったのに。 いずれにしても、中止はやむを得ないとは思いますが、選手の気持ちを思うとやりきれないなってね。
2020年05月20日
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プロ野球の近鉄で投手、野手として活躍し、大洋(現DeNA)とヤクルトで監督を務めた関根潤三さんが9日午前9時45分、老衰のため東京都内の病院で死去した。93歳。東京都出身。関根さんはフジテレビ「プロ野球ニュース」の解説者としても親しまれた。訃報を受け、同局は追悼と感謝のコメントを発表した。CS放送・フジテレビONEは13日午後11時からの「さらば、愛しきプロ野球…。」を「関根潤三氏追悼特別放送」とする。 追悼コメントは以下の通り。 日本の野球界に多大なる功績を残された関根潤三さんご逝去の報に接し、深い悲しみでいっぱいです。フジテレビでは「プロ野球中継」「プロ野球ニュース」「プロ野球珍プレー好プレー」など、長年にわたり野球番組の「顔」としてご活躍いただき、その辛口コメントとともにファンを大事にする姿勢で多くの視聴者を魅了していただきました。また、関根さんの明るい笑顔と大きな優しさに育てられたスタッフも数多く、野球の素晴らしさと共に人の尊さを教えていただきました。関根潤三さん、本当にありがとうございました。そして、どうぞ安らかにお眠りください。【スポニチアネックスから引用】 現役時代は流石に知りませんが、横浜大洋ホエールズやヤクルトスワローズの監督をされ、プロ野球ニュースで解説をされていた関根潤三さんがお亡くなりになったとのこと。見た目が好々爺という感じで、解説する口調も柔らかくて聴きやすかったのを覚えています。 しかし、若い頃は渋谷界隈で盟友・根本睦夫さん(西武ライオンズなどで監督を務めた。故人)とともに、悪党としてならしたとか・・・。そんな風にはみえないけどなぁ。でも、近鉄バファローズが消滅する時期のある日のプロ野球ニュースで、デーブ大久保が「近鉄はプロ野球にはギリギリのチームだった」的なコメントをした時に、一喝していました。普段の柔らかい物腰ではなく、かつての悪党としてならした時のような一喝はデーブも凍りついたんじゃないかな。 関根さんは、近鉄球団創設時からの選手で、デーブが知らないわけないだろうけど、そんなことは言ってはいけないわな・・・。まぁ確かに近鉄は長らく「お荷物球団」なんて言われていて、それは関根さんが現役の頃からそうだったんだけど、そんなチームの中でも孤軍奮闘されていたのが関根さん、投手として必死にがんばっても打線が悪いからなかなか勝てない状況だったようで、例えばチャンスにラストバッターの関根さんへ打順が回ると相手バッテリーは敢えて勝負を避けてトップバッターと勝負、そのトップバッターが力んで凡退に終わる、ということがよくあったと関根さんがコメントされていました。 そこで、1957年に打者に転向、チームは相変わらず勝てないものの打者としても1000本以上を打ったのですからすごいですよね。 指導者としては、大洋やヤクルトの監督をされていたけど、優勝には届かないもののチームの基礎を築く、ということに長けていたように思います。また、コーチとしては、カープの打撃コーチとして1975年の優勝の礎を築いたと思っています。 最近はお見かけしないなぁと思っていたのですが、プロ野球の古き良き時代を知る方がまた一人お亡くなりになってしまいましたね・・・。 関根潤三さん、おつかれさまでした・・・
2020年04月09日
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今日は久しぶりに練習試合がありました。場所は浜寺公園野球場、昨日雨が降ったために、グラウンドには水たまりがあってまずそれを撤去することから始まりました。相手チームも手伝ってくれてなんとか試合ができるようになりました。今日はダブルヘッダーで、1試合目はホープスさんとの対戦でT16さんが先発しました。私はDHで途中からファーストに入りました。 試合は、2回裏に相手のミスなどで2点を先制、3回と4回にも追加点がはいって結局6-0で勝ちました。グラウンド整備に時間がかかって、相手チームにはフルにすることができなかったのが申し訳なかったです。 2試合目はホークスさんとの対戦。かつての南海ホークスのような緑色ユニフォームでした。ガゼルスもかつての南海ホークスのようなユニフォームなのですけど、緑色のユニフォームは自分のところ以外では初めて見ました。H12さんが先発、私は久しぶりのキャッチャーでした。 試合は、3回表に1点失いましたが、そのほかはよく抑えていました。ただ、相手の先発投手が左のアンダーハンドで、なかなか球が速くで打ちあぐねていました。ところが、そんなちょっと変則的な投手が好きな天邪鬼的な私がライト前にポテンヒットを打ってなんとか口火を切りましたが、後が続かず。 その後、T16さんとI5さんがリリーフしましたが、失点を重ねて結局9-0で負けました。 久しぶりに試合ができてよかったのですが、私は家の都合で次に参加できるのは1ヶ月ほど先になります・・・。【今日の成績】1試合目 1打席目 四球 2打席目 三ゴロ2試合目 1打席目 右安打 2打席目 三振 3打席目 三ゴロ 10打数2安打0打点2三振0死球 打率.200
2020年03月15日
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第92回センバツ高校野球大会(19日から13日間・甲子園)の臨時運営委員会が11日、大阪市内で開かれ、新型コロナウイルスの感染拡大の影響を受け、無観客での開催方針を変更して中止することを決めた。1924年に始まった同大会が中止になるのは初めて(42~46年は戦争のため中断)。 主催者の日本高野連と毎日新聞社は4日の臨時理事会で、春夏通じて初となる無観客での開催方針を示し、感染防止策を講じるなどの準備を進めてきたが、中止も視野に入れてこの日の臨時運営委で開催の可否を最終決定するとしていた。 9日には、NPBとJリーグによる「新型コロナウイルス対策連絡会議」の第2回会議に高野連がオブザーバーとして初参加。感染症の専門家から無観客での開催にも否定的な見解を示されていた。安倍首相は10日に全国的イベントの実施自粛要請について、今後おおむね10日間の延長を求めると発表していた。 夏の甲子園では、1918年の第4回大会が富山県に端を発した米価高騰に伴う暴動(米騒動)で、代表14校が決定後に中止に。41年の第27回大会は戦局が深刻化し、7月にスポーツの全国的な催しを禁止する文部省次官通達があったため、地方大会半ばで中止になった例がある。 高校スポーツ界では、全国高等学校体育連盟(高体連)の加盟団体(日本高野連は非加盟)が3月に予定していた24の全国大会は、全て開催中止が決定。プロ野球のオープン戦や大相撲の春場所、中央競馬などが無観客で開催しているが、プロ野球は20日に予定されていた開幕の延期を決めている。【スポーツ報知から引用】 やはりそうなってしまったかぁ、というのがこのニュースを聞いた時の感想です。過去の高校野球の歴史の中では、太平洋戦争中の中止、その前には米騒動による中止というのはあるのは知っていますが、新型コロナウィルスによる中止というのも歴史に加わってしまったんですね、なんだかなぁ~ 個人的には、「出場予定だった学校にとっては残念無念だけど、今のこの時期ならやむを得ない」と思っています。昨年秋の秋季大会で勝ち進んで、選抜されてやっと憧れの舞台に立てる。私は高校球児ではなかったけど、360度から聞こえる歓声で自分のプレー一つでその完成がひときわ大きくなる、なんてそうそう経験できることではない。そんな最高の舞台にあと少しで立てると思ったら「中止」、悔しくないわけがない。ましてや、ようやくつかんだ初めての甲子園だったりしたら、諦めきれないでしょう。高校野球は春だけではない、夏もあるという意見もあるかもしれないけど、「2020年(令和2年)春の選抜」といえば今回だけ。今年の夏の大会は再び予選から勝ち進まなければならないわけで、激戦の地域だったりすると、もし勝ち進めなかった場合、やはりあの中止がなければ・・・ということになるでしょう。 でも、ほかのスポーツも中止や延期になり、特に同じ高校生のスポーツなんかも中止になっている状況から考えれば、高校野球だけ特別に行うというのはちょっと無理があったと思います。それが例え無観客だったとしても。 新型コロナウィルスが終息を見せない中で、学校が突然臨時休校になるし、卒業式や入学式まで中止になる、プロ野球も開幕が延期になっていつ開幕になるのか見通せないという異常事態の中ですから、そんな中での春の選抜の中止決定は仕方ないとしても、やはりすっきりしないものになってしまいましたね・・・。
2020年03月11日
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今日は、、住之江公園球技広場で練習試合がありました。相手はアウトローズさん、ユニフォームがバラバラで統一感はありませんでした。 今日は11人が参加ということもあって、私は途中からの出場でファーストに入りました。T16さんが先発で始まりました。 試合は、初回にN1さんのタイムリーで幸先よく得点を上げたものの、その後は相手投手に抑えられて無得点。T16さんは危なげなかったのですが、5回裏に同点にされてしまいました。そして、結局1-1で時間切れで終わりました・・・。 私の成績は、ポテンヒットというか相手が高く上がった平凡なフライを取れなかったというエラーのようなもの1本で、あとは三振でした。【今日の成績】 1打席目 三振 2打席目 ニ内野安打 3打席目 三振 6打数1安打0打点2三振0死球 打率.167
2020年02月23日
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かつてパ・リーグを代表するチームだった南海ホークスが身売りして消滅したのが1988年のことでした。今から32年も前の話になりますね。かつての本拠地だった大阪球場はなくなり、その跡地にはなんばパークスができていますが、その一角に南海ホークスのメモリアルギャラリーがあるのをご存知でしょうか。 1938年に誕生した南海ホークスの輝かしい歴史の紹介とグッズが展示されています。 写真は、南海ホークス最後の監督だった杉浦忠さんのユニフォームです。このユニフォームは、南海の黄金期だった1950~1960年代をイメージさせるようなものです。 1950~1960年代の南海ホークスは、パ・リーグに敵なしの強さだったのですが、日本シリーズでは巨人に勝てずに敗戦。その後は、同一リーグの西鉄ライオンズに勝てずに日本シリーズに出場することもできなかったのですが、1959年に後に監督となる杉浦忠さんの38勝4敗という驚異的な勝ちと、日本シリーズでも4連戦4連投して4勝0敗のストレート勝ちで巨人を倒して日本一になりました。 写真は、その時のペナントです。亡き父は戦後すぐからの南海ファンだったので、おそらく大喜びしたのでしょう。 そういう歴史をこのように紹介しているのですが、1973年に南海ホークスとして最後のリーグ優勝した時の監督のことが書かれていません。1969年に就任した飯田徳治さんのことは書かれているのに・・・。 また、南海ホークスに在籍した主な選手の紹介もあるのですが、キャッチャーをつとめた名選手の写真も名前もありません。それも、最初から在籍していなかったようで違和感すら覚えます。 その名選手とは、昨日亡くなった野村克也さんです。野村さんは、南海ホークスの歴史に欠かすことができない選手のはずなのに、なぜこんなことになっているのか。古い野球ファンの方はご存じですよね。 その原因というのが、1977年に起こった当時監督の野村さんの解任劇にあるんです。当時愛人関係にあった女性(のちの夫人)とともにチームを好き勝手なことをして現場を混乱させ(公私混同なんて言われました)、その責任を負わされたと言われています。 そんなこともあってか、後年になってこのようなメモリアルギャラリーを設けるときに南海側が野村さんに相談したところ、前出のような経緯があるためか拒否されたとのこと。しかも、名前も写真も一切出さないように、ということもあってこのような形になったとのことです。 そして今日、どのような状況になっているか見に行ってみました。そんないきさつがあっても、南海ホークスの歴史を作った紛れもない人だから、野村さんの展示はないけど南海側としてのコメントがあるかと思ったのですが、それもありませんでした。 野村さんは「鶴岡さんに追われた」というようなコメントをしていたと思いますし、南海側としては野村さんの勝手な振る舞いがその後のさらなるチームの低迷、身売りにつながったと思っているのかもしれません。結局どちらも歩み寄ることもせずに終わってしまったのは、とても残念です。 個人的には、昨日のブログにも書きましたが、野村さんは野球選手として監督としては素晴らしい人だったと思いますが、それ以外はなんだか残念だなぁって思ってしまいます。
2020年02月12日
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プロ野球南海(現ソフトバンク)で捕手兼任監督を務め、ヤクルト、阪神、楽天でも指揮を執った野村克也(のむら・かつや)さんが11日午前3時半、虚血性心不全のため死去した。84歳だった。京都府出身。【日刊スポーツから引用】 ボヤキのノムさんこと、野村克也さんがお亡くなりになったとのこと。南海ホークスへテスト生として入団したところからスタート、テスト生といえば将来性を買ってということが含まれていると思いますが、実際は壁用(つまりブルペン捕手)としての採用だったそうです・・・。 さて、野村克也さんの輝かしい球界での歴史として思いつくのは「再生工場」。プロ野球に入ってくる選手というのは、それだけの力があって入ってきているわけだからその使い方次第でもっと活躍できる、という考えがあったのかもしれません。 例えば、江本孟紀さんの場合は、入団した1年目のオフに東映フライヤーズから南海へ異例の移籍。江本さんの話では野村さんから「東映では0勝4敗だったけど、南海に入ればふた桁は堅い。だからエース番号をつけてがんばれ」と言われて全身に電気が走るくらい感銘を受けたとのこと。背番号16をつけた江本さんは背番号と同じ16勝をあげてリーグ優勝に貢献したわけですが、野村さんは江本さんの小気味いいテンポと強気なピッチングという才能を見抜いていたのかもしれません。 また、その江本さんを1975年オフにトレードで出して獲得したのが阪神タイガースのエースだった江夏豊さん。先発完投が投手の華と考えていた江夏さんを「これからの野球は先発・中継ぎ・逃げ切り・抑えという分業の時代になる。だから抑えの分野で革命を起こそう」と持ちかけ、その「革命」という響きを江夏さんが感じ取って球界を代表するリリーフエースにまで仕立て上げました。当時の江夏さんの力では先発は無理でも、その類まれな投手術という才能を最大限活かして試合後半の山場で火消しに使おうと考えたのでしょうね。 ほかにもヤクルトスワローズの監督になってから広島東洋カープの主軸打者だった小早川毅彦さんを獲得。当時は力が落ちていたと言われていた小早川さんを開幕戦のスタメンで起用、当時難攻不落と言われていた読売ジャイアンツの斎藤雅樹さんから3連発のホームランを放つというこれ以上ないというインパクトを見せました。 また阪神の監督時代には、千葉ロッテマリーンズで打者に転向していた遠山昭治さんを獲得。左のサイドハンドの投手として復活させて、当時の読売の強打者松井秀喜さん対策で起用、あのゴジラ松井がキリキリ舞する光景は他球団ファンとしてもスッキリするものでした。 あと野村さんで印象に残っているのが相手の投球の癖を読む、あるいは配球の癖を読むということを早くから実践していたということ。ヤマハリではなくて相手が何を投げてくるのか、どういった傾向があるのかということを頭に入れておくけば、いくらでも対処ができるということだったと思います。これはご自身の経験でそれを深められたと思うのですが、その根底は1962年鶴岡監督が成績不振で休養(その後復帰)時に代理監督を務めた蔭山ヘッドコーチの考えだったと何かで読んだ記憶があります。また昭和40年代の阪急の強打者だったダリル・スペンサーもそのようなことをしていたというのを聞いて、ご本人もその考えに間違いはないと確信、それが後年のID野球につながっていったのではないかと思います。 ただ、冒頭に書いた「ボヤキ」という部分、野村さんの特徴でもあるこの部分が私は好きになれませんでした。『無視、賞賛、非難』と言われており、正しくは「無視されて三流、賞賛されて二流、非難されて一流」とのことですけど、ボヤくのはその選手が一流であるからということなんでしょう。でも、私に言わせれば、非難されるような選手を起用している監督の立場はどうなんだ? っていうことなんですよね。そこは棚上げ?見ないふり? それと、南海の監督を追われた原因というのがあの猛妻の存在。それをうまくコントロールすることができなかったのに、選手をボヤくなんてありえないかと。選手だって、ボヤきたいだろうね。 ほかのところでも取り上げられていると思いますが、選手や監督として輝かしい成績であったのは事実です。WBCの監督を務めて欲しかったというコメントもありましたけど、個人的にはそれはなくてよかったんじゃないかなって思っています。 最後に野村克也さん、お疲れ様でした。
2020年02月11日
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今日は天気が心配されたのですが、今年のオープニングゲームがJR大阪環状線福島駅近くの浦江運動場で行われました。少し肌寒い中でしたが、10人が参加でした。私はサードで出場、I5さんが先発でした。 今年最初の相手は、X-Gunさん。何度も対戦したことのあるチームです。試合は、初回に1点、4回にも2点を失う展開。逆に相手投手に抑えられて散発2安打では勝てませんわな・・・。結局3-0で負けました。 さて、その肌寒さが影響したのか、チームメイトのS25さんが肉離れ、相手チームの人も同じように肉離れを発症するという事態になってしまいました・・。かつて私も経験したことがある肉離れ、S25さんの話では(「打席で)ゴロを打って走ろうとしたら、後ろからふくらはぎを蹴られたような衝撃」とのことでしたので、まさしく私が経験したのと同じパターンでした。だから、私の経験をもとにいち早くコンビニで氷を買ってきてもらってそれでひたすら冷やしてもらうようにしました。受傷後如何に早く冷やす行為が、早く治る近道ですからね。 そんなこともあって、私は途中からファーストにポジションを変わり、サードに回ったO3さんのギリギリの送球をすくい上げてアウト(タイミング的にはセーフかな・・・)にするなどしましたが、打つ方は3打席ともサードゴロ。3打席目は自分でも納得できるものだったんですけど、ヒットにならなければ意味ないですわな・・・。 ところで、昨日やってきたスパイクは、天気がすっきりしなかったせいもあって、今日は使うのをやめました。それから、Pカバーとアッパーの間の隙間には、接着剤を入れて砂などが入らないようにしました。補修も済んだので使いたいのですが、私の予定の関係で次の参加は約3週間ほど先になってしまいます・・・。早く履いてみたいけどね。【今日の成績】1打席目 三ゴロ2打席目 三ゴロ3打席目 三ゴロ 3打数0安打0打点0三振0四死球 打率。000
2020年01月26日
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私の野球のスパイクは、2013年に購入したものですが、長年の使用でかなり劣化してきました。裏のポイントはだんだんチビってきたし、アッパー部分には孔が開いてしまいました。6年以上使用していることから今回更新することにしました。 そんなに費用をかけられませんから、5000円前後でPカバーをつけてもらうことを条件に探してみましたが、なかなかそんな条件に合うところはありません。ネットだったらまだなんとかありそうなのですが、私の足は幅広で甲高ときていますから実際に履いて状況を確かめる必要があるので、靴をネットで買うことはこれまでもしたことがありませんでした。 でも、ミズノ製だったら意外と幅広だったことを思い出し、ネットで当たってみました。すると、三重県松阪市のBYスポーツで取り扱っていた「セレクトナイン」が価格的にも条件にぴったり、Pカバーも付けてもらえるということで注文しました。 そして今日、到着しました。 私にとっては久しぶりのミズノ製のスパイクです。 ちゃんとPカバーもついています。 ただ、注文の際に野手用を選択してしまいました・・・。本当はピッチャー用にしたかったんですけどね。最近は、ピッチャーで投げることがあったのでね。 裏側もきっちりと釘が打たれています。まぁ当たり前ですが。 もうひとつの残念なところは、アッパー部分が縫われていない(甲縫いがない)ということ。Pカバーとスパイクの間に隙間ができますから、そこに砂などが入ってしまいます。ここはそのような加工をして欲しかったところです。接着剤でも流し込むか・・・。 ちなみに、これが2013年から使っていたスパイクの新品当時のものです。こちらは、甲縫いがなされていました。それから、Pカバーは大きさから見ると野手用だったかもしれませんね。
2020年01月25日
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今日は、今年最後の練習試合がありました。年末にもかかわらず10人が集まりまして、先に練習をして練習試合となりました。練習は練習でいいものですね。今年最後の練習試合の相手は、侍フェニックスさんで、T16さんが先発、私はファーストで出場でした。 試合は、初回と二回に相手投手の乱調と相手の守備のミスを突いて合計4点をあげましたが、その後少しづつ点を返されていきました。5回からH12さんがリリーフに立ったものの、タイムリーや守備の乱れから5-4で負けました。 私の成績は、ヒットは出ず。でも、左投手から盗塁を決めることができました。 ちなみに、今年のガゼルスのチームとしての成績は、12勝13敗1引き分けでした。 ところで、今年はこの試合で終了となりましたが、以下のとおり今年も10本のヒットを打つことができず。しかも、二年連続して規定打席達成者の中で最下位の打率に加えて、初めての三振王になりました。全然球が見えてないんじゃないかってね、もう年だから仕方ないのか。ただ、参加出場はチーム一の参加数でした。それだけ参加しているのに、打てていないのが余計に目立ちます。 それから、今年は投手として7試合も登板することができました。2勝2敗1セーブで防御率3.88でしたが、三振を11も取ることができたし、四死球を13に抑えたのはよかったと思っています。 来年は、打つ方はせめて10本打てるようにできればいいなぁと。また、投げる方は機会があるかどうかわかりませんが、今年以上の成績をあげられたたと思います。 【今日の成績】 1打席目 遊失 2打席目 三ゴロ 3打席目 三振 51打数7安打7打点14三振8四死球 .137
2019年12月22日
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今日は3週間ぶりの練習試合がありました。場所は、堺市の白鷺公園野球場で今日は体験の人一人を加えた14人とたくさんの参加がありました。私はファーストで出場、T16さんが先発でした。 試合は、初回にK2さんとO0さんのタイムリーで一挙4点を入れ、その後も小刻みに加点して行きました。そして、5回裏には相手投手の乱調につけこんで一挙5点を入れ、11-4で勝ちました。先発のT16さんは4回まで登板しましたが、相手打線をノーヒットで抑え、バックもI5さんが好守をみせていました。私も、I5さんの深い位置からのワンバウンドの遠投をタイミングよくすくい上げてアウトにすることができました。 私の成績は、内野安打一本打ちましたけど今年は10本のヒットが打てずに終わりそうです・・・。【今日の成績】 1打席目 投ゴロ 2打席目 遊内野安打 3打席目 四球 48打数7安打7打点12三振8四死球 .140
2019年12月08日
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今日は、淀川河川公園の毛馬野球場で練習試合がありました。このところ試合の間隔が開きすぎているのが残念です・・・。今日は12人の参加、私は今年4回目の先発でした。というのも今日は投手できる人が少なかったので・・・。今日の対戦相手は、LAドリームスさん。中日ドラゴンズのビジターに似たユニフォームでした。 試合は、1回表にいきなり満塁のピンチを迎えましたが、バックの守りのおかけで無得点で切り抜けました。その裏には、E17君のタイムリーと相手のミスで2点先制。3回にも相手のミスとK2さんの犠牲フライで2点を入れました。 今日の私のピッチングは、打つ気をそらすようなスローボールと適当に沈むボールで相手打線に的を絞らせなかったのですが、4回表に連打と味方のエラーもあって5失点。いずれもチームでの守備の名手のエラーだから仕方ありません。いつもは助けてもらっているんだし・・・。 その後はU27さんにスイッチ、1点失い、結局6-4で負けました。 私の成績は、打つ方はいつもどおりさっぱりで、投げる方は打たれはしたものの四死球は初回の2つだけでした。三振が1つしか取れなかったのですが、空振りはいくつかありました。やはりタイミングがあわないような遅い球のようで・・・。これにもっと磨きをかけたいですね。【今日の成績】 1打席目 右飛 2打席目 三振 46打数6安打6打点12三振7四死球 .130
2019年11月17日
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広島・長野久義外野手(34)が1日、保有する海外フリーエージェント(FA)権を行使しないことを明言した。 FA申請締め切り日の午前10時40分ごろにマツダスタジアムを訪れて鈴木清明球団本部長と話し合いを持ち、「紙(申請書)は出しません。細かい話はこれから。条件は聞いたし、僕からも話をさせてもらった」と説明した。「まとまらなかったら、自由契約でしょ」と笑って「残留」の言葉はあえて使わなかった一方、「来季も広島で?」の問いかけには「もちろん、それは」とうなずいた。【スポニチアネックスから引用】 広島は1日、国内フリーエージェント(FA)権を取得した菊池涼介内野手(29)が権利を行使しないことを発表した。 この日の午前には、長野が海外FA権を行使せずに残留を表明。これで今オフにFA権を保有していた会沢、野村、長野、菊池涼の全4選手が権利を行使しないことが決まった。【スポニチアネックスから引用】 今シーズンオフのカープは、上の本文にあったように曾澤捕手、野村投手、長野選手、菊池選手がFAの資格があって、去年の丸選手のように下手すりゃ全員出ていくなぁと思っていました。これまでのカープのFAの歴史はそんなことばかりだったでしょ。去年のこともあるから、仕方ないなぁって思っていたところなんと、全員が残るという結果になりました。とりあえずはよかった~(´∀`) 長野選手はここ数年、シーズン初めからシーズン半ば過ぎまで調子が悪いことが多かったわけですけど、来年こそは期待したいと思うし、菊池選手は海外移籍もありうるかもしれないからまだまだ安心できませんけど、とりあえずは去年のようなことにならなくてよかったです。 監督が代わったし、コーチ陣も代わりました。来シーズンが早く始まってくれないかなってね(爆)。
2019年11月01日
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ソフトバンクが巨人を4―3で下し、4連勝で3年連続、球団史上10度目(南海、ダイエー時代を含む)の日本一に輝いた。4連勝での日本一は、球団では59年の南海以来60年ぶり。工藤公康監督(56)は選手時代と合わせて通算15度目の日本一となった。【スポニチアネックスから引用】 今年のプロ野球は、ホークスが日本シリーズを制しましたね。前身の南海ホークスが1959年に4連勝して以来60年ぶりの快挙になりました。ホークスファンの皆さん、おめでとうございます。 1959年以来の4連勝ということで、1959年は私自身生まれていませんが、歴史的背景や亡き父の話によるとそれに至るまでがなかなか大変だったということでした。1951~1953年と1955年まではパ・リーグでは敵なしの状況で日本シリーズに駒をすすめるも水原巨人軍に負け、1956~1958年までは同一リーグの西鉄ライオンズに勝てず日本シリーズに進むことができずといった状況で、チームはもちろんのこと、当時監督だった鶴岡監督(山本監督)としても苦労の連続だったわけですが、ようやく巨人に4連勝のストレートで勝ったことがホークスファンの溜飲が下がったことだと思います。(もっとも、その後の1961年は日本シリーズに出場できたものの世紀の落球で逆転負け、1963年は再び西鉄に来競り負けて日本シリーズに出場できず) 今回の日本シリーズを見ていて思ったのは、ホークスがジャイアンツの主軸を徹底マークしていたということと、ホークスの代打陣を含めた層の厚さでした。ジャイアンツの主軸ってここまで打てなかった?と思うくらい打ててませんでしたね。中でも坂本選手と丸選手が機能しなかったのが大きかったと思います。その中でも、丸選手がひどかったように思いました。ご存知のように去年のシーズンオフにカープからFA移籍したわけですけど、去年のCS前から調子を落とし日本シリーズもまるで機能せずにカープ敗退の原因の一人だった(おそらくCS前からジャイアンツ移籍を決めていたことから、変に力んだか適当な言い訳が見つかなかったか)わけですが、今年も全然ダメでしたね。シリーズで1本しか打てなければ話になりません。 坂本選手もそうでしたね、あそこまで打てない坂本選手を見るのは初めてでした。 さて、今年のシーズンはホークスの日本一で終わったわけですが、今年のシーズンを振り返って思ったのは「CSっている?」っていうことです。ホークスはペナントレースで優勝したわけではなくてペナントレースでは西武ライオンズが優勝したんでしょ。本来なら西武が日本シリーズに出場するはずなのに、CSというなんだかよくわからないルールのためにこのようになってしまった。ペナントレーズで優勝したチーム以外のチームが日本シリーズに出場するというドキドキは面白いのかもしれませんが、個人的には「それはない!」って思っています。たとえカープが3位や2位でペナントレース優勝チームに勝って日本シリーズに出場できても、素直に応援できないかな・・・。 個人的には、シーズン終わりまでドキドキワクワクさせたいのであれば、かつてパ・リーグが採用していた「前・後期制」の方がいいように思います。すなわち、開幕からオールスター前を前期、オールスター後からシーズン終了までを後期として、前期及び後期優勝チームでプレイオフを戦って優勝を決める、そのほうがいいんじゃないかと。パ・リーグでは1973年から採用していましたが、当時の南海ホークスの野村監督が前期に勝たないと意味がない、って話をしていましたが、そのような考えもあるだろうし、逆にオールスター後にチーム状態が整うところもあるでしょう。前・後期のいいところは、「前期は前期で一旦リセットして後期に戦える」というところにメリットがあるのではないかと思うんですけどね。 まぁ、前出の野村監督のように前期に優勝しないとプレイオフには出場できないわけで、要するに前期に全精力をつぎ込んで後期は負け続けても、プレイオフで勝てばいい(実際に1973年後期には当時パ・リーグでは最強と言われた阪急ブレーブスにコテンパンにやられておいて、プレイオフでうっちゃることをしている)という作戦もあるんですけどね・・・。 それはさておき、CSや交流戦も含めて見直しの時期に来ているのではないかって思うんですけどね。
2019年10月24日
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