タヌキのジャーナリング帳

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2026.07.07
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カテゴリ: ジャーナリング

「私だって感情分かるもん、ちょっと分かんなくなるだけで!」
って滅茶苦茶抗っておりました。
ただその、「ちょっと分かんなくなる」タイミングというのが、ストレスがかかる時らしくてですね。
先月のその観察が正しいのかどうか、ちょっと考えてみました。

感情を「感じ取っている」わけではない?


分かるもん! と強がっていましたが、実際に指摘されるまで自分が悲しかったことにすら気づいていなかった、という事実がある以上、私は 湧き上がる感情を「感じ取る」能力はあまりない んじゃないかと思います。
で、どうやって今まで生きてきたかと言うと、昔は自分の感情を無視してましたし、最近は自分の感情を観察して推測するという方法で理解していたんじゃないかな、と思います。
「認知的共感」と同じやり方 なんじゃないかな、と推測しています。
ストレスがかかると視野が狭くなりますし、嫌な考えにリソースを持ってかれるので、当然ながら分析能力が落ちます。
ということは普段は使えている分析が使えなくなっているということで、そういうタイミングで「なんか言うことある?」的なことを言われると、辛うじて分かった気でいた感情が分からなくなり、焦ってますます答えを出せなくなるんじゃないかな~と思います。
「分かるもん」は確かに一部正しい観察でしたが、本来の脳みそが行うべき感情へのアプローチ方法ではなかったようです。それでも落ち着いていればなんとかなるんでしたら、ちょっと安心ですけど。

感情の何が分かってないのか


アレキシサイミアの人が最初に気づくべきなのは、「自分が感情に気づけないでいる」ことだそうで、そういう意味では気づけた私は最初の壁は突破できたことになります。
でも、実際私は感情の何が分からないでいるのかが分からないままです。というか、内面のことを書きすぎて最近は初めて相対性理論の本を読んだ時のような混乱を覚えております。
感情が存在することに気づけても、その正体が何か分からない⋯⋯つまり私は、 感情の名詞と実際の感情を結びつけて考えてこなかった のかもしれません。

ステイタス異常を無視するスタイルだった


そういえば昔、友達に「 喉がかゆい んだよね」と言ったことがありました。友達は「喉が? かゆい?」と首を傾げていたんですが、私の説明を聞いて一言「それ、 喉がイガイガする って言わない?」
イガイガするという単語は知っていたんですが、 自分の喉の状態と結びつけて考えたことがなかった ので、その時初めて「これが! イガイガしてるってことなのか!」と目からウロコが落ちたような気持ちになりました。

喉の異常と言うと、 咳が出て何かを飲み込むのが辛くなるくらい痛くなる、という状態からが異常 だと思っていたので、喉がかゆい程度は異常だとも思っていなかったんです。
体調不良= 動けなくなるくらい具合悪い 、という刷り込みがあったので、多少の痛みじゃ薬も飲まない強がり系健康優良児だったようですね。

感情全てを分析するのは効率悪い


人間は機械じゃないので、機械的に感情を分析して名前をつけたとしても、「喉が痛い」と「喉がイガイガする」みたいに少しの差で名前が違う場合もあるので、全部事前に定義付けして覚えるなんて無理です。
かといって、感情に直面した時に初めて考えるというやり方も、リアルタイムで進行する人間関係においては戦力になりません。
ここまで考えて、もしかして 普通は感情の理由とか詳細な状態とかまで考えなくていいのかも 、と思い至りました。
感情の解像度が恐ろしく高い人もいるかもしれませんが、多くの場合、「あなたが私にプレゼントを用意してくれるなんて思っていなかったから、嬉しいと同時に驚いてるし、これ本当に欲しかったから感謝もしてるの!」なんて一瞬で出てこない、ですよね?
まぁ、「ありがとう、嬉しい」くらいでニコニコしてたら、感情は伝わりますものね。
外から見える現象は、プレゼントを受け取って感謝の言葉を言った、ですから、それが 再現できれば感情は受信できたと考えていいのかも

感情の名前だけでいい、と言われた理由


完璧主義など疾うの昔に捨てたと思っていたんですが、やっぱりこういうところにも顔を出すのかもしれません。
私は「 感情をきちんと正しく表現しなければならない 」と思っていたので、一番ふさわしいラベルを貼り付けるのにものすごい苦労をしていたんです。
ジャーナリングのやり方で「感情のラベリングだけで大丈夫」と説明されていたのは、こういうことだったのか。
どんな出来事 が起きて、 どんな身体感覚 を感じ取ったかを記録し、それに これかな? と思う感情の名前 を貼り付けていけば、感情を感じ取る能力が低くても社会に適応できるんですね。
そう考えたら、ちょっとだけ楽になったような気がします。
今の私が気をつけるべきなのは、 ストレスを溜め込んで視野を狭くしない ことと、 身体感覚を無視しない ことです。ここを疎かにすると、分からない感情を溜め込んでまたストレスで崩れることになってしまいますからね。

まとめ。


方向性はなんとなく見えたし、納得もできたのですが、やっぱり時間はかかるようです。
本来感情の名前は、子どもの頃に親から教えてもらったり、絵本を読んだりするなどして学んでいくもののようですが、 親がクールで、子どもの私が絵本を読んでも自分には適用しないという阿呆 だったので、 感情の名前と状態が一致していないのかも しれない、というのが現在における結論です。

結局、感情を感じ取るというのがどういうことかが分からない以上、私ができるやり方でやるしかない、というか、感情が分かる人だって自分が感情の何を捉えているのか説明できないかもしれません。だったら私は 大手を振って大雑把名付け式感情捕捉を習得しようと思います。





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最終更新日  2026.07.07 23:55:22 コメントを書く


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