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この前、書店、本屋さんについて、日記を書きました。実は、私は、昭和の最後の頃、書店員として働いていた時期があります。当時は、取次店と書店のオンラインが登場した頃で、まだまだ、本の取り寄せに時間のかかっていた時代。もちろん、インターネットの書店などもなく、書店に在庫がない場合、取り寄せに2週間くらいかかるのが、常識でした。人気の新刊の確保も大変でした。人気が高い作家の本でも、初回配本が数冊程度。「うる星やつら」などで人気の漫画家、高橋留美子さんの注目作品、「めぞん一刻」第1巻の初回配本が、僅か7冊だったときは、思わず、膝から力が抜けたことを覚えています。出版社は、人気作品でも、印刷部数を絞っていましたし、出版社と書店の間で、大きな力を持っていた取次店は、実績の高い書店から、その限られた部数の本の配本数を決めていたので、小さな書店では、人気の本でも、配本数が僅か1~2冊、配本なしという所もあったりして、重版されるまで、満足な数を手に入れることは、ほとんど不可能でした。そんな中、本好きの書店員達は、自分の担当するジャンルの人気作品、好きな本が大量に入荷すると、手を叩いて喜んだものです。私は、コミックや文庫の担当をしたことがありますが、読んだことがある、ないに関わらず、売れると嬉しい本があって、それをさりげなく目立つ場所に置き、「一押し」したりして、エコヒイキしたりしたものです。文庫本などは、フェアを企画するのですが、それが当たったときの喜び。これは、売れそうだと思った作家の本を早めに手配して、それが後々、人気が出てきたときの嬉しさ。そんなことをしながら、本に対する知識も深めていって、ベテランの書店員の中には、作家や作品名、その一部を聞いただけで、すぐにお客さんの目的の本を探し当てることができました。当時の書店員達は、自分の担当する本をわが子のように思っている人がいました。だから、それを愛する人、その本を楽しみにする人が買ってくれると、すごく嬉しかったし、反対に、ただ、「適当に何冊かほしい」みたいに、無造作に買っていく人は、いくら上得意さんでも、買われていく本がどこか、可哀そうに感じたりしたものです。やはり、好きな本は、その発売を心待ちにしている人、大切に読む人に買ってほしい。だから、コミックなど、次の巻はいつ出るの?とか、この作家の新作は、いつ出るの?なんて、待ち遠しそうに訊いてくるお客さんには、どこか、親近感を覚えたものです。今は、そんなお客さんや書店員は、どのくらい居るんでしょう?欲しい本は、ネットで手軽に買える。それは、便利で、いいことでもあるのですが、書店に足を運び、「出ているかな?」と、棚を覗くときのワクワク感と、見つけた時の喜び、せめて、あの気持ちだけは、今も大事にしたいと思います。本を愛する書店員、読者達に、乾杯!!
2010.09.19
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仕事が終わる時間は、日によって違うので、帰りの電車も、日によって乗る時刻が違う。そのオジサンは、会社の最寄駅を17時○○分に発車する電車に乗るときには、大抵、見かける。まず、乗り込むとき、電車が駅に停まる少し前に、車内の空いている場所を目で探している。電車が停まり、扉が開くと、降りる人がいようと、自分の前に乗ろうとしている人がいようと、車内の混み具合などにもお構いなしに車内に駆け込み、空いている座席に陣取る。そして、両脇に座る人の顔にかかるくらい、大きく夕刊紙を広げ、読み始める。それから約5分。私の降りる駅で、そのオジサンも下車していく。乗るときとは、違い、ゆったりと、降りていく。年齢は、私と同じか、少し上。まあ、40歳代後半か50歳代に見える。その必死に座席に陣取る姿に、周囲から、白い目が向けられたり、失笑を買うことも多いのですが、ご当人は、まったく意に介していないというか、見えない様子。隣に座られ、拡げた新聞の端が目の前に当たりそうになった女子高生は、キッとその顔を睨みつけ、憮然として、席を立ったことにも、降りようとしたとき、肩が当たって、よろけたオバサンに睨まれても、乗ろうとしたとき、後から押されて、「なんやおっさん!」と若いオニイチャンに言われても、まったく気づかないよう。このオジサンは、この歳まで、何を学んで、何をして生きてきたんだろう…オジサンが電車に乗っている時間は、わずか5分。必死になって、周囲の人から白い目で見られてまで、座ることが大事なのだろうか。夕刊紙を読むことが、人に迷惑をかけてまで、しなければならないことなのだろうか。ここまで来ると、笑ってしまって、その時刻の電車に乗るときは、ついつい、そのオジサンを探してしまう自分がいる。(お!今日もいるな、またやるな…やった!)しかし、あのオジサンが自分の親や家族だったら、嫌だな。私は、電車に乗る時、よほど空いている時以外は、30分ぐらいまでなら、座ろうとは、思いません。…ま、これは、座っているより、立っているほうが、すれ違う電車や、駅や車庫などに停まっている他の電車が見易いという理由からなのですけども。一番前、かぶりつきなら、2~3時間立っていても、まったく平気です……ま、これは、これで、うちの奥さんからは、嫌がられてますが(^^;
2010.09.11
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商売敵をわざわざ作るようなことだと思うのは、素人の浅はかさでしょうか?今、日本は、物価が下がり、デフレの状況ですが、世界的に見ると、食糧や資源を始め、インフレ傾向にあります。デフレといいながらも、日本でも、野菜などは、天候の影響もあって値上がりをしています。しかも、欧米各国は、金融機関の救済や景気対策で金融緩和政策を取っていて、ドンドンと紙幣をばら撒いていますから、いずれ、どこかの時点で、インフレが始まるでしょう。一方で、中東の情勢も不穏ですから、この先、原油が今までのように、スムーズに日本に入ってくるのかどうか、疑わしい。つまり、航空会社の経営環境は、相当厳しくなることが予想されるので、その中で、収益性の低い格安航空会社を作ってメリットがあるのかどうか、私には、疑問です。単純に考えても、その航空会社が全日空と同じ路線を運航するのであれば、全日空は、減便やその路線からの撤退をすることになるでしょうし、全日空のみが飛んでいる路線は、そもそも、収益性がそんなに高いとは、思えない。なんだか、自分で自分の首を絞めるようなことになると思うんですけども。格安なものは、今、巷に溢れていて、人気も高い。確かに、安ければ、消費者としては、助かりますが、それは、徹底した原価の低減を図って成り立つ商売であって、むろん、その原価の中には、人件費も入ります。終わりなき安売り競争の行き着く先には、何があるんでしょう?そこに、消費者を含め、人々の幸せな社会があるとは、私には、思えないのですが。
2010.09.09
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この前、以前に住んでいた駅に降りたら、子供頃から、30年も親しんでいた書店がなくなっていました。昭和の終わり頃、私の住んでいる大阪の近郊では、普通しか停まらないような駅でも、必ず、駅近くに書店があったのですが、今では、書店のない駅も多くなっていて、多くの町の「本屋さん」が消えてしまっています。「本屋さん」そのものが、絶滅危惧種のような感じです。今、日本に書店が何件あるのかしりませんが、当時は、日本に2万の書店があるといわれてましたけど。その、私がよく通っていた、無くなった書店の最寄の駅周辺には、記憶しているだけで、7軒の書店がありました。尤も、自宅からみて、駅の向こうには、あまり足を運ばなかったので、そちらの方にも、店があったかもしれません。その7店のうち、2店は、地元では、名の知られた中堅書店の支店、残り5店は、個人経営の町の「本屋さん」でした。ところが今、残っているのは、その中堅書店の支店のうちの1店のみ。あとの6店は、すでになく、一方で、大手ビデオレンタル店の経営する店舗が1店舗、新たに開店していました。個人店5店のうち、比較的遠かった1店は、あまり行ったことはなく、表を何度か通った程度ですが、それ以外の4店は、今もよく覚えています。うちと駅の途中にあった小さな本屋さんは、当時、50歳代くらいの夫婦で経営されていて、旦那さんは、自転車で配達しているのをよく見かけました。当時は、今のように、コミック本にビニールをかけている店は、まだ少なく、よく立ち読みに行っていたのですが、一度も、いやな顔をされた記憶はなく、取り寄せを頼んだりして、よくコミックや文庫本などを買った店でした。開店してから、なくなるまで、15年ぐらいだったでしょうか。平成になる頃には、もう店はなく、美容室に変っていました。もう1軒は、車の多い通りに面した店でしたが、昭和30年代のタイムスリップしたような古い店で、古い本が棚にずっと前から収まっているような反面、新刊本や雑誌が床に無造作に置かれていたりしていました。そして、いつ行っても、おばあさん1人が、ラジオを鳴らし、奥のレジで新聞なんかを読みながら、店番をしていました。尋ねたことはないのですが、おそらく、本のことを訊いても、あまり知らないんじゃないかという感じで、雑誌や新刊の文庫本やコミックをたまに買いに行った程度でした。もう1店は、立ち読みが一番しにくかった店。少し強面の親父さんが店にいて、長い間立ち読みをしていると、本を取り上げられたりしました。でも、比較的、コミックの品揃えが良かったので、皆、懲りずに立ち読みに通っていました。それでも、一番、本を買った店じゃないかと思います。そして、今回、無くなっていた店、「○○栄堂」という名前が、いかにも本屋という感じで好きでしたが、店自体は、さして広くなく、雑誌と新刊文庫本や新書などが主でした。しかし、その店の名にふさわしく、棚の最上段を見上げると、なんとか全集などというような、高価な文学的な本も置いてあったりして、それはそれで、雰囲気がありました。駅の改札から20歩程度で行けるので、雑誌、とくに時刻表を一番よく買った店(笑)で、ダイヤ改正号などの発売日は、会社の帰り、そこで時刻表を買って、隣の喫茶店(こっちは、10年くらい前になくなってしまいました)で「読みふける」のが、楽しみでした。いつも、店にいるのは、私と同年代くらいの男の人が1人。たまに、少し年配の男性がレジにいたりしましたが、後で聞いた話、3代続いていた結構古い本屋さんだったそうです。あの、高価な全集を置いていたのは、そのせいだったのかもしれません。当時から、コンビニに雑誌やコミックを置きだし、町の本屋さんは、苦境に立たされるところが増えてきました。活字離れとか、本の電子化なんて話も、20年以上前から言われてました。しかし、本は、定価販売制で、どこの店で買おうと、値段は、同じですから、小さな本屋さんでも、それなりに頑張れば、勝負には、なっていたのですが…やはり、品揃え、とくに、1日に100点といわれた新刊と、雑誌を網羅するのは、個人店では、不可能な話で、大型店舗やネットの書店が拡大するにつれて、力尽きて、本屋さんの多くが消えてしまいました。町の空洞化、人口の減少も大きい要因だったかもしれません。本屋さんというのは、当時のイメージとして、レジで座って、お客を待っていればいいという、比較的楽なものだと思っていた人も多かったのですが、実際は、そうではなく、毎日、取次店と呼ばれる問屋から送られてくる雑誌や書籍を裁くのは、結構たいへんなものだと思います。限りあるスペース、とくに個人経営の小さな店では、それをすべて置くことはできないですし、その中から、売れる、売れないを判断して、棚に並べるのと、返品するものを選ぶのは、それなりの見識も必要だったと思います。時代といえば、それまでですが、小さな本屋さんがたくさんある町というのは、それだけ、本を読む人、本好きな人が多く住んでいる、第一、それなりの数の人がいるということで、どこか、活気があるような感じがします。書店に限らず、雑貨屋さんや喫茶店など、あの頃、今にして思えば、経営として、成り立っていたのかな?と、疑うような店が、昭和の終わり頃には、町にたくさんありました。今の時代なら、とても、そんな店は、やっていけないでしょう。しかし、便利になった今と、営業しているのかどうか、疑わしい店が駅の近くに何軒もあったあの頃と、どっちが客にとって楽しいのか、人が幸せに暮らしているのか、あの書店がなくなったのを知ってから、よく考えています。
2010.09.08
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会社で昼の休憩時間、いつも、ついているテレビからは、「管か?小沢か?」とか、「管、小沢会談の結果は?」とか、「管さんはこういう人、小沢さんはこういう人!」とか、いかにも盛り上がっているようなワイドショー…別に、どっちでもいいんですけど。って、いうか、どうでもいいんですけど。シンクタンク藤原事務所の藤原直哉氏が言ってました。「東京の霞ヶ関、国会議事堂の付近に行ってみればわかる。あの辺には、一般国民の姿がない。あそこからは、一般国民の姿が見えない。だから、政治家連中には、国民の姿が見えないから、国民の感情、要望とは、乖離した政策(とはいえない、画策程度のものですが)をしている。だから、小沢であろうと、管であろうと、この先、今は、静かなこの日本でも、世界と同様、国民が政治に対し、政治家に対し、怒り出す時が来るでしょう」管総理が続投しようと、小沢総理が誕生しようと、対して、違いはない。円高は、ますます進み、形だけの介入をするんでしょうが、効果が上がるわけもなく、円高と株安は、進んでいく。輸出に依存した大企業は、コスト削減、リストラしか能がなく、日本政府共々、打つ手なし。最近、思うのですが、自民党小泉政権、あるいは、その少し前あたりから、輸出依存、円安、超金融緩和政策が行われ、その一方で、国内需要が冷え込むだけで、リストラやコスト削減で原価を下げ、安い物を海外へ出すことで、労働者には、実感のない「好景気」を言い続けてきた歴代政府首脳、閣僚、日銀や金融関係者、メガバンクや大企業の経営者の責任って、重大ではないのかと。「好景気」だといい続け、結局、内需拡大も声だけで、さしたる政策も打たず、円高になって、輸出系企業が沈んでいく。あの時、もっと、国内需要が伸びる政策を打っていたら、こんな、元気のない日本には、ならなかったはずで、国民の力、購買力を削ぐようなことばかりしていたツケは、大きいものがあるでしょう。政府や金融関係もですが、経団連とか、経済同友会とか、商工会なんて、この10年、20年、いったい何をしていたんでしょうねえ?こういうものは、もう要らないじゃないでしょうか。そして、そういうものは、国民の怒りの的になって、吹き飛ばされるかもしれません。歴史を見れば、政府が吹き飛ばされて、新しい行政機関に移行するなんてこと、何度もありましたから。そんなこと、露ほども思わず、相変わらず、権力抗争の画策に熱中している政治家と、それを面白おかしく伝え、何とか、視聴率アップ、新聞の販売部数アップにつなげようとしているマスコミ。そういえば、霞ヶ関もそうですが、最近の東京の民放キー局がある場所辺りも、あんまり、一般国民の姿が見えない場所にありますねえ。お台場や六本木ヒルズなんて、もう時代遅れというか、時代に取り残されつつあるように思えます。要は、テレビを観ていても、新聞を読んでいても、何にもわからないということ。世界は、一般国民の怒りが臨界点に近づきつつあり、極東と中東では、戦争のリスクが高まりつつあり、欧英米の国民国家は、崩壊の危機を迎えつつあり、民族主義は、かつてない高まりをみせている。そんななかで、「民主党の代表選挙!?」それより、仕事を、国民が安心して暮らせる社会を!と、いうのが、正直な国民感情であって、政治家やマスコミ、企業のトップは、次第に時代から遅れていってるのでしょう。
2010.09.02
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