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宇陀の主だった枝垂れ桜は観光的に約300年と言う事になっています。 と、言うのも実際のところは諸説があって年輪を見ないと分からないからです。そんな中、今日は又兵衛桜の所で興味深い話を聞きました。 大野寺の枝垂れ桜も樹齢約300年として広く知られております。この桜は室生寺の奥の西光寺の枝垂れ桜から枝分けして植えられたと言われます。それで、どちらも約300年とのことですが、大宇陀の天益寺の枝垂れ桜から枝分けして植えられたと聞きました。 明治の頃、無住だった大野寺を天益寺の住職が管理していて、桜を植えたそうなのです。なので、天益寺は約350年で、大野寺は長くて約150年だろうとのことです。 大野寺の境内には二本、枝垂れ桜の古木がありますが、どちらが天益寺のもので、どちらが西光寺のものかは分かりません。 さて、又兵衛桜ですが、これも一般的に300年で通っています。噂では植えた人が生きているとの話を聞いたことがあります。ま、今日もそれを補足するような話を聞きました。そして、大宇陀では天益寺の枝垂れ桜が有名なので、後藤家の桜は早く立派になるように肥料などを多く与えたのだとか。周囲が畑と言う事もあって大きく育ったとも言われています。この桜の兄弟というか姉妹の桜も同じ本郷地区に植えられています。 天益寺は又兵衛桜より2,3日早く開花するそうで、今が満開。又兵衛桜は7分咲きの状態です。ライトアップは日没(6時半ごろ)~9時。4月7日まで行われます。 ちなみに、天益寺では4月10日にお堂の復興チャリティーコンサートがありますので宜しくお願いします。
2010年03月31日
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ハイキングコースの途中にあった若い桜。 もう少し大きく育って、手前の水田に水でも張れたなら、諸木野の桜みたいになりそうなのですがねぇ~。 それにしてもケータイのレンズが悪いのか写りがイマイチです。 さて、今日は家で一人。一日天下人。
2010年03月30日
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つ、疲れが残ったまま取れず、溜まっている仕事もジャンジャンかかってくる電話対応で進まず、今日の天気のような気分・・・です。 枝垂れ桜は7分咲きが多くなってきまいたが、吹雪く寒さに開花が足踏みするかも。 高見山は真っ白でした。 とりあえず、今日のつぶやき。眠い、しんどい、つらい。
2010年03月29日
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夜明けから深夜まで・・・どっぷり選挙の一日でした。 小梅ちゃんを口に入れて眠気覚まし。ファイト、一発!です。
2010年03月28日
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恥ずかしながら、『甘酒』と言うものは酒粕に砂糖で甘くして煮るものだとしか認識していませんでした。 それは簡易な製法であって、本来の甘酒とは米麹を使って水分の多い米を発酵させて澱粉を糖分に変えていくことで甘くするもの。ですから当然、砂糖など加えていません。 宇陀で古くから酒造りをされている蔵から、その本当の『甘酒』を頂いて飲ませていただきました。凄く深い味わいの甘さです。少々癖のある酒粕から作った甘酒とは大違いです。 美味しいものですね。 今まで全く知らなかった世間知らずな私。驚いたのでびっくりしたイラストです。今年のNHKは坂本龍馬と並んで話題の水木しげる先生。ゲゲゲの女房が始まりますね。 その水木キャラでサラリーマン山田氏を無理やりに「せんとくん」とコラボ。深い意味はありません。 今年は、センユーが酒蔵へ行く機会が多いので、酒の事や蔵人さんの事をよく教えてもらいます。酒造りは髪の毛が入らないように全員スキンヘッドだとか。 一人の職人さんは頭が弱点。嘘か誠か・・・・酔った拍子に奥さんがダイビングヘッドバッドしてプロレス技をかけるとか・・・・。毛がないだけに怪我するっちゅうねん。 自分もプロレスごっこしてみたいけれど・・・秒殺されそうです。 ウィキペディアで甘酒を検索すれば次のように載っていました。点滴と同じなんですね。どうでも良いですが、酒と言えばギャートルズのサル酒を思い浮かべてしまいます。【甘酒(あまざけ、醴)は日本の伝統的な甘味飲料の一種で、見た目はどぶろく(濁酒)に類似する。甘酒の起源は古墳時代に遡り、日本書紀に甘酒の起源とされる天甜酒(あまのたむざけ)に関する記述がある。古くは「一夜酒(ひとよざけ)」または「醴酒(こさけ、こざけ(「濃い酒」の意))」と呼ばれた。かつては夏に、冷やしたものまたは熱したものを暑気払いに飲む習慣があり、俳句では現在でも夏の季語となっているが、現在は冬に温めて飲むのが一般的である。体が温まるだけでなく、夏に飲む場合は夏バテを防ぐ意味合いもあり、健康的な飲料として好まれている。正月には、初詣客に有料または無料で甘酒を振る舞ったり、自宅に持ち帰る甘酒を初詣客に販売する寺社が多い。また、米農家が収穫を感謝するため、甘酒を造ったり、祭りに甘酒を供える風習が残っている土地もある。ビタミンB1 、ビタミンB2、ビタミンB6、葉酸、すべての必須アミノ酸、そして大量のブドウ糖が含まれているが、これらの栄養は病院の点滴とほぼ同じ内容であり、ブドウ糖以外は製法(後述)による差異も少ない。】
2010年03月27日
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ふと思い出した昔のTV番組。 もう一度見たいものだ。1983年。 背中がピキーッと痛い。明日はゆっくり過ごします。 それにしても寒いねぇ~。曽爾では雪が積もったとの事。桜の時期なのだけれど、少し春は足踏み状態です。
2010年03月26日
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よく降ります。 今日は冷えて雨の中に個体もありました。花の開花が遅れてくれて恵みの雨かもしれません。 古代の貴族のさした傘のような姿から『貴人桜』と呼んでいる枝垂れ桜。まだ咲き始めですが、雨が良く似合います。 傘桜と呼んでも良いような感じでした。 宇陀の枝垂れ桜は各地とも2分咲き程度、ソメイヨシノやヤマザクラは蕾です。当然、佛隆寺はまだまだ蕾でした。 見ごろは11日頃と思われます。諸木野の桜も佛隆寺とほぼ同じぐらいに咲くと見ています。
2010年03月25日
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昨日のブログは意味のないものでした。 ハッキリ言って何の価値のない内容でした。仕事に嫌気がさして弱気なつぶやきだけ・・・。削除しても良かったのですが、そのままにしています。 どうも4月イベントの方でうまくいかない事が多く、企画の段階で気分が下がっております。 そんな中、今日は三重県のM谷さんから電話を頂きました。 遠路遥々、ハイキングに参加していただけるとのこと。 気落ちしていただけに、とっても嬉しく、心強く感じました。 伊勢街道でも、壬申の乱でも様々な調査でも、常にアドバイスをしてくださり、本当に有り難い恩人です。 何のお返しもできず、いつもご迷惑をおかけし、またお世話になってばかりの自分。本当に申し訳なく思っています。 心が少し楽になりました。 雨にぬれる大野寺の枝垂れ桜。そんな心境です。咲きました。咲きました。桜が咲いています。
2010年03月24日
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今日は小雨の中、沢城址へ登る登山道の倒木撤去や溝整備を行いました。 地元のYさんTさんの協力のもと、チェーンソーで巨木も細かくして頂きました。 昨日紹介した本で林業が主な内容だったので伐り方をじっくり見てしまっていました。(ボサーっとしないで働かなければいけませんが・・・) おかげさまで、4月3日(土)に行われるハイキングイベントも無事に通ってもらえそうです。 それにしても多くの方が来てくれるかな? 9時半から10時の間、宇陀市役所で受付します。事前申し込みは不要で自由参加。約12キロのハイキングと最後は地元の振る舞いサービスも・・・。 天気だけが心配です。 それにしても・・・・最近はなぜか出勤したくない病になっている駄目な自分であります。 と、言うのも、今年は大丈夫だと安心していた花粉症がジワジワ進行しているようなので辛いのであります。
2010年03月23日
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先日、本を買いました。 『神去なあなあ日常』(三浦しをん著)と言う本です。 三重県にある架空の村、神去村で林業をすることになった主人公の目線で、戸惑いながら過ごす田舎の様子を描いています。 この神去村は美杉村(現・津市美杉町)が舞台のようで、松阪や久居、名張といった近隣の地名も出てきます。 難しく考えないでスラスラ読める実に読後感が爽やかな小説でした。 写真は美杉の山を小説の舞台として想像したイメージです。
2010年03月22日
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名古屋へ行ってきました! 奈良を代表するキャラ「せんとくん」と榛原を代表する幻の名品「ごっつぉまん」をPRして奈良の良さを知ってもらおうと(!?)、頑張ってきました。 風の強い肌寒い休日ではありましたが、ミス葛城さんや奈良県ビジターズビューロの皆さんん応援もあって、おかげさまで「ごっつぉまん」完売! ゆるキャラに交じってナマハゲやタダノハゲも登場していました。名古屋城のキャラはシャチホコがエビフリャなんですね。可愛かったです。
2010年03月21日
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今日は「宇陀市歴史文化講演会」が開催されました。 晴天に恵まれましたが、行楽日和でもあり、お彼岸や選挙関係の忙しい時期なので、思ったほどの来場はありませんでした。 宇陀市歴史文化講演会実行委員会のお手伝いで朝から参加。ただ、内容は「歴史文化」と言うよりも「まちづくり」や「地域活性化」の内容の為、私には難しい事ばかりでした。 それでも、皆さんの手際良い動きで講演会は無事に終了しました。お疲れ様です。 さて、本日は明日香村で「飛鳥寺西方遺跡」と「甘樫丘東麓遺跡」で現地説明会がありました。10時から3時の本日限定・・・・。4時ごろから急いで現地へ向かいましたが着いたのは4時半。すでに甘樫丘ではシートが被せられて内容を見ることが叶いませんでした。毎回、甘樫丘東麓遺跡の現地説明会に足を運んでいただけに悔しいのであります。 また、いつもの平地ではなく高い位置で防御塀のような柱跡が見つかっており、興味深かったです。仕方がないとはいえ残念。ま、現地へ行けただけでも満足としましょう。 もう、「槻の樹の広場」かと言われる石敷きを見に行ってもシートだけでそうから、諦めて帰りました。
2010年03月20日
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平成22年4月3日(日)に宇陀市役所で9時半~10時の間に受付し、伊那佐山と沢城址を経由して八咫烏神社まで巡るハイキングがあります。約12キロのコース。 自由参加なので気軽に参加できます。 その後半で通る石田の風景。ここには美しいカーブが存在します。この小道、良い感じでしょ? 皆様、ぜひ、宇陀の地、伊那佐の里を歩いてみてください。また、4月からは宇陀市レンタサイクルもスタートします。駅前の新しい観光案内所「うだ観処」から大宇陀や菟田野へもイラストマップを確認しながら電動自転車でスーイスイ! 桜巡りにもご利用くださいませ。 それから、明日は榛原総合センターに於いて、「第2回 宇陀市歴史文化講演会」が開催されます。講師は瀬田史彦氏と田代洋久氏です。13時から無料で開催されますので、ぜひお越しくださいまし・・・・。
2010年03月19日
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以前から高所恐怖症で池沼恐怖症、恐妻家であり、花粉症でもある私。 毎年、涙・くしゃみ・はなの三十九でアラフォー・・・・と、言うか三重苦で眠れぬ日々なのだけれど、今年は快適に過ごせています。 ティッシュの量も気にならないし。 特別な薬を飲んだわけでもないのですが、免疫でもついたのか不思議です。これも異状気象のせいなのかな?なんて思っています。
2010年03月18日
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あれもこれも考えれば考えるほど、何もかも分からなくなっていく・・・。 結構、仕事がはかどらなくて焦っていますが、周囲には呑気に映っているようで、「何をのんびりしている」とよく言われます。 考えれば考えるほど何か抜けているような状態であります。 家へ帰れば家人が・・・・ 「もうちょっとで、さらわれてしまうとこやった」 とか、何とか一方的に話しています。 「食器の話?オチは?」 と、長い話にうんざりしていると 「こんな、ちょっとした段差でこけて膝の皿が割れたかと思った・・・」 これだけの内容を延々と長く話しております。 TVを見たり考え事をしながら聞いていました。 「誘拐しても身代金払えへんなぁ~」 ぐらいのベタなオチぐらいは欲しかったのですが、サラ割れるかと思ったと長々話していました。
2010年03月17日
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本日の時点で、大宇陀の又兵衛桜および室生の大野寺枝垂れ桜に変化! まだまだ固い蕾とばかり思っていましたが、ピンク色でもう今にも開花しそうな状況らしいのです。予想では3月の27日ぐらいと思っていたのに一週間程早くなりそうです。 桜祭り等、予定が大変になってきますね。 写真は桜とは関係がありませんがネタ・・・・。ラジオネーム「恋するウサギさん」投稿の工事看板です。 100m先で工事があるらしいのですが、すでに錆びていてかなりの歳月を感じさせます。いつまで工事しているのでしょうか?ちなみに前方では工事らしき姿はありませんでした。 この工事看板・・・・もう隠居してもいいんきょ?
2010年03月16日
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酷いニュースもあったものです。 奈良公園の鹿が何者かにボウガンで矢を射られていたと言う残酷な話。今朝、その鹿は死んでしまったと言います。 春日大社の神の使いであり、奈良公園、いや奈良のシンボル的存在の鹿。人に慣れているので逃げたりせずにいたところを狙われたのでしょうか? どういう気持ちでそんな事を・・・・。 心が痛むニュースです。 先日、池のそばを歩いていました。水中に「せんとくん」の角みたいなのが見えて驚きました。沈んでいないでしょうねぇ・・・・。たぶん。
2010年03月15日
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伊勢本街道、初瀬街道を歩いて伊勢まで旅しましたが、どうも大阪の玉造稲荷から奈良街道のルートが気になっておりました。 そんな訳で、熊野古道を踏破された<知的な求道者>テツロー氏の全面協力により、道に不案内な私も玉造から罪作り、子作り・・・・・(なんでやねん!) もとい、玉造から東大阪を経由して枚岡神社、暗峠、追分梅林、尼ヶ辻までを歩くことができました。 熊野でヤタガラスのスタンド能力を得たらしく、テツロー氏は打点の高い完ぺきな道案内をしてくださりました。私は神武の気分で呑気に後ろから付いて行くだけ。 それにしても鶴橋付近では霞であった生駒山も、徐々にハッキリ見えてくる様は江戸時代と変わらぬ旅人気分。峠を登りきっての休憩と見晴らしの良い絶景は格別の味でした。 名物(!?)の大人気、「野菜カレー」(コーン入りカレー)は凄いセンスでした。大和の国に入れば棚田の美しい風景と石仏。梅や沈丁花の香りにとろけました。 この先、朝熊山まで目指して伊勢街道の新たな旅を続けてまいります。 本当に今日は雲もなく苦もなく蜘蛛男も現れない楽しい日本晴れでござった! 次回は尼ヶ辻から奈良を経由して三輪方面を目指します。
2010年03月14日
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多くの人の流れに逆らって進んで行きました。 一般の観光客は松明による炎のイベント見学。 私たちは名前の通り「お水取り」の儀式を見るために東大寺二月堂へ。 今年は例年に比べて暖かく、見学しやすいようです。私は初めて堂内の様子を見学しました。奈良に住んでいてじっくり見る機会がなかったので嬉しかったです。 ただ、「ちょっとお水取りに・・・」と、出かけたまま朝帰りとなったので、家族には心配をかけてしまいました。水を汲みに川まで行ったと思っていたのかもしれません・・・んなアホな。
2010年03月13日
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もう、足音が聞こえてきそうな桜の季節。 宇陀市榛原区赤埴にある水車小屋は雪で白く染まりながらも、コットンコットン音を立てています。 その眼下に蕾が花舞台をまって静かにしている千年桜。 今年の花見会は4月18日(日)ですが、一週間前の11日(日)にもバザーの販売があります。特設ステージでは演奏会も企画されていますので、ぜひお越しくださいませ!
2010年03月12日
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雪景色を眺めながら歩いて出勤。 肌寒いけれど気持ち良い。 運動不足なので少しは歩けたかな? 鳥見山などが白く見えます。 この季節の雪は花とセットで見る事が出来て美しいものですね。仕事へ行かず撮影して遊びたいぐらいです・・・・。 さて、内輪メッセージです。 「ナンギーズ ノ ミナサン、シガツジュウイチニチ ハ アケテチョンマゲ。コンサート イライ アリソウデス。」
2010年03月11日
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今年の2月と3月は例年になく暖かったです。 春が早いのは良いのかも知れませんが、もう少し雪と遊びたかったと言うのも贅沢な思いです。 さて、昨年は遅咲きで知られる佛隆寺の千年桜が、中旬に開花して数日後の雨ですぐ散ってしまいました。時期としては早すぎるわけではありませんでしたが、暖かい日が続いたので一気に咲いたのが、モチの悪さに繋がったように思います。 又兵衛桜や大野寺の枝垂れ桜のように3月末から咲く早い品種とは違い、佛隆寺の桜はヤマザクラとエドヒガンが自然交配したエドヒガンの一種です。 4月20日前後が見頃の目安ですが、年によっては大きく変わります。 千年桜の花見会が毎年開催されていますが、昨年は葉桜でした(+o+) 今年は4月18日ですが、早く咲いてまた葉桜かもと心配しています。 ただ、最近冷えてきましたし、今日は宇陀で雪が積もりました。何とか暑くならないで桜が長持ちして欲しいものです。 昔の写真を見ていて驚きました。8年前ですが4月5日に見ごろ迎えているのです。あの佛隆寺の桜が・・・・。 この貼り付けた写真がそうです。天変地異かと思いました。あ、彼岸花は造花です。某有名女優が写真集の撮影で来ていた時の演出です。(当時、観光客やカメラマンの批判が多かったのを覚えています) 今年も早くなるのか?無事、例年通り咲いてくれるのか・・・気になるところです。
2010年03月10日
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龍馬の話題でも・・・そう思って落書きをしていたらニュースがありました。 「JAYWALK」のボーカル、中村耕一が覚せい剤取締法違反(所持)の現行犯で逮捕されたらしいのです。 昔は榛原にもコンサートに来てくれた好きなバンドだっただけに驚きました。最近、見かけないなと思っていたら・・・何をやっているんですか? 車の中で所持品を確認されそうになった時・・・「何も言えなくて」だったのだろうか? 30周年のコンサートも控えていたらしいのに残念です。馬鹿な事を・・・とだけ思います。カラオケでは良く歌わせて頂きました。「何も言えなくて夏」を。 馬鹿ついでに馬と鹿の絵です(*^_^*)。 と、言うか、最近のやたら坂本龍馬関連の書籍の多さに食傷気味ではありますが、学生の頃は坂本龍馬にはまっていました。 あんまり歴史に興味がなかった高校の頃、友人が熱く語った坂本龍馬の話に感化されたのであります。 実際の坂本龍馬よりドラマやメディアの龍馬はヒーロー化され過ぎていると言う人も多いです。 自分もヒーローにし過ぎかなとも思いますが、幕末の世界をドラマティックに紹介する場合は良いキャラクターでもあるんですよね。彼をフィルターにかけて見れば説明しやすいのです。事実と離れても・・・。佐幕側の新撰組であったり、幕臣であったりと、倒幕側の新政府軍は考え方がどちらか一方なんです。だからドラマに描いた場合はどっちかが正義で悪のような感じになってしまうし、避けると曖昧な話になってしまいます。 結果的に時代を先取りしたかのような開国派として、佐幕派でも倒幕派でも分類されない立場でいた坂本龍馬の方が、その後の明治維新を迎えるにあたって幕末を描きやすいものなんですよね。その結果、坂本龍馬は幕末のヒーローとして何重にも光沢を塗られていくのです。 偉人として彼をとらえたり、英雄として彼を評するよりも、坂本龍馬の場合は魅力ある人物として楽しみたいものです。 前のドラマ「JIN」の坂本龍馬が大好きでした。今、大河ドラマで「龍馬伝」をやっています。内野龍馬が強烈だったので福山龍馬に期待はしていませんでした。 しかし、史実を振り返るのではなく、作り話としてドラマを楽しむ分には、なかなか面白いなぁと思っています。ガチガチの歴史マニアは史実と違うと文句を言うでしょうが、良いじゃないですか。 最近の他の大河ドラマの最悪だった事を思えば大満足ですよ、今回は。「篤姫」も「天地人」も「功名が辻」もツマラナイ。期待した方では「武蔵」と「義経」には裏切られました。「利家とまつ」はオープニング曲と反町信長の「・・・で、あるか」だけ好きでした(笑)。「新撰組!」と「風林火山」ぐらいかな。最近で楽しめたのは。 過去では独眼竜政宗・武田信玄・太平記・炎立つ・元禄繚乱が自分の中でベスト5。ここに先ほどの新撰組を加えた6作品なら何度も見てみたいものです。 今年の龍馬伝が7作品目になってくれれば良いのになぁ~と温かく見守っております。 さて、平城遷都1300年記念祭の今年。奈良も「さかもとせんとくん」に今一度、洗濯して欲しいです。
2010年03月09日
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今日はアカデミー賞(第82回)の発表をニュースでやっていた。 予想通りアバターはバッタリ。 そんなのは別に興味は無いのだけれど・・・・。 隠し撮りと偏見と悪意に満ちた映画「ザ・コーヴ」が長編ドキュメンタリー賞を受賞したと言う。 ノミネートさせただけでも腹立たしいのに、やりやがったか!と言うのが素直な感想。 捕鯨やイルカ漁を必要以上に攻撃し、日本の文化すら否定しそうな勢い。 西欧人はどこまでも世界の中心で文化基準のつもりなのだろうか? 実に腹立たしい。話題にして映画の知名度を上げるのも悔しい。 和歌山県太地町の皆さんの気持ちはいかばかりか・・・・。 もっと怒ってもいいだろう。
2010年03月08日
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道路元標(どうろげんぴょう)を街道や古い街並みを歩いている時に見かけます。 知らなければ道標のように見えますが、昔は道路元標のある場所を起終点としていた大事な石なんです。 と、言っても意味が分からないのですが、明治の末に道程の調査がされ、大正時代に各町村へ設置されたものなんです。道府県庁、市町村の所在地を国道・府県道の起点とするときは、道路元標の設置地点を起点とすると定められたんです。 今では特に意味を持っていませんが、合併前の旧の町村主要部に残されています。 歴史の文化財と言うには新しいし、かといって無駄なものと言うには勿体ない歴史の証人です。辻の角などにあって、ロープを張る杭代わりに使われているのも見た事があります。 道路の工事や区画整理、または破損などによって姿を消していくと思えば残念です。古い街道を歩く時は各地の道路元標をチェックするように心がけています。 写真は榛原の札の辻に建てられている道路元標です。 街道歩きは道標や灯籠、古い建物を見て回るのが普通ですが、足元のマンホールや道路元標で旧町村を知るのも興味深いものです。 あちこちで撮りためた写真があるので、整理してみたいと思います。
2010年03月07日
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三重県の偉人3人を御存知ですか?他府県の者からしたら馴染みがないかも知れませんが、「松尾芭蕉、本居宣長、松浦武四郎」です。 松尾芭蕉は全国的に有名ですね。本居宣長も教科書などで名前は聞いたことがあるでしょう。でも、松浦武四郎と言う名を知っている人は更に少ないかも知れません。 私もこの方の名前は三重県の国道23号線を走っている時に「北海道の名付け親、松浦武四郎の生家」と言う看板を見たのと、大台ケ原を歩いた時に石碑を見たので覚えているぐらいです。 何をした人・・・で、「北海道の名付け親」とあるだけでは良く分かりません。名前をつけただけの役人?と思っていました。 しかし、凄い人なんですよ。実際に多才な偉人なんです。蝦夷地(北海道)の調査が一番有名なのですが、全国各地を津々浦々まで旅をした人物なんです。武四郎の歩いた道をつなげば、日本地図ができ上がると言っても過言ではないでしょう。 絵も文章も残されています。幕末から明治にかけての探検家なんです。<1818(文政元)年3月12日-1888(明治21)年2月10日> この方が伊勢本街道を歩いて室生の田口・榛原の諸木野、萩原を通ったらしいのです。宇陀へも来られていたと思えば何だか親近感もわきます。 2018年には松浦武四郎の生誕200年になりますので、三重県の有志が「松浦武四郎生誕200年への会」を立ち上げられました。「武四郎ウォーク」と題して本街道を歩く予定だとか・・・・。 今まで知らなかった偉人の事を少しずつ知りたいと思うようになってきました。 嘉永6年(1853)に大阪・八木・榛原・田口へと通られたそうです。「松浦武四郎生誕200年への会」は、その田口での宿が「ホテイヤ」だったと調べられたらしく、大変興味深いです。 写真はホテイヤがあった跡と思われる空き地です。室生村村史に地図が載っていました。昭和41年発効当時のものです。今では多くの家が無くなっています。
2010年03月06日
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先週の土曜日に話題の映画「アバター」を遅ればせながら観ました。 こういう3DはTVよりも映画館で観ないと意味が無いように思えたからです。 3Dと言えばUSJのターミネーターなどを想像しましたが、映画館で観た3Dは、期待したほど飛び出してきませんでした。USJのような3Dなら飛んでくる石が当たりそうになる恐怖があるのに・・・。 そして色合いも眼鏡は暗く、外せば青が綺麗に見えたので2Dで良かったかもと感じた次第です。 最近のCG技術は素晴らしいので、3Dで若干の立体感が出ても驚きは最初だけ。すぐに飽きてしまいました。 確かに凄い技術で、映像は素晴らしいのですが、映画としてのストーリーは大したことが無く、ただ現在のグラフィック技術がどれ程かと示しただけのような気もしました。 そんなに凄い映画何だと期待しすぎたかもしれません。 個人的には外れでした。 我が奈良の「せ○とくん」も3Dで大活躍してもらいましょう。 誰ですか?「あ、バッタもん」「あ、バター」と言うのは(*^_^*)。
2010年03月05日
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ゴゴゴゴゴゴゴ・・・・・・。 このブログではマニアックな歴史ネタは使っても、ヲタっぽいマンガネタは取り扱ってない。 でも、あえて言おう。 本日は「STEEL BALL RUN」第20巻の発売された日。これはジョジョの奇妙な冒険の第7部と言う位置づけ。ジョジョの通巻100巻目をカウントされるのである。 どっひゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁ・・・・・・・。 思えば初めて第一巻が出た頃、自分は好きだけれど長続きしないだろうと思っていたマンガ。魔少年BTやバオー来訪者が短期(打ち切り!?)だったので、どちらか言えば少年誌の王道ではないマンガであった。 第2部から人気が出始めて、第3部で一気に有名になる。多くの方はスタンドが出始めた3部から読み始めたのかもしれない。その次は5部かな? 個人的には1部・2部の波紋が大好きで、スタンドは3部・4部までで良かったような・・・。勿論、5部・6部もストーリーは面白くて良いのだけれど、4部までのワクワク感が下がった自分がいる。 それでも荒木ファンは続いていて、全100巻、初版で購入を続けてきた。 にょほ!っ感じである。
2010年03月04日
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宇陀市は朝焼けや雲海など風景写真の撮影地に適した所が多いです。 榛原区安田の高台も有名なポイントの一つ。昔はそれほど有名ではない頃、よく通いました。 いつの間にか足が遠のいていた撮影地ですが、朝に霧があったので思いつきで行ってみました。それも遅い時間帯である7時ごろに・・・・。 急なので三脚もなく手持ちです。 平日の太陽が上がってしまった7時ごろで、かぎろひ等の冷え込んだシーズンからも外れた3月1日は誰もいません。貸し切り状態ですが・・・そんなに撮る事もなく、いつもとは違うところで狙ってみました。 雑木が何だか会話をしながら伊那佐山を眺めているような、冬枯れの風景なのですが声が聞こえてきそうな感じでした(あくまで自分の感想)。 これからも、ちょいちょい風景写真を撮ってみたいと思います。
2010年03月03日
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本日、宝来講のメンバーは松阪市から伊勢市を歩かれました。 今日は仕事で御一緒できなかったのですが、嬉しいニュースも入ってきました。 「お伊勢参りしてこわいとこどこか、櫃坂、飼坂、鞍取坂、津留の渡しか宮川か」と歌われた難所。前の三つは峠越えですが、後ろの二つは川越えです。 松阪市茅原と多気町の境である櫛田川にかかる津留の渡し跡。伊勢本街道筋にある渡場跡で、昭和4年まで利用されていました。 川幅に張った鉄線を手でたぐりながら舟を進める「綱ごし」「横渡し」でした。渡し場にある川中の石は「はかり岩」といわれ、川の水量を測る目安とされました。昔は岩の上に切石が乗っていましたが、伊勢湾台風で流されたままだったのです。 いつも通るたびに気になっていた「はかり岩」。昔の記憶で現存していた頃を知る多気町長谷の逵(つじ)さんは、何とか復活させようと努力され、本日の宝来講が通過する日に合わせて実現されました。 今度は・・・・渡し舟もイベントで復活かな?(^u^) さて、渡し場の管理は津留の人が行い、津留の人は無料、茅原の人は有料だったようです。今は橋ができてスッと渡っていますが、昔は力関係があったようですね。 写真は先月の風景です。こんな風に上に岩が乗ったのでしょう。また、見に行きたいと思います。
2010年03月02日
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三重県津市美杉町奥津にある名松線の終着駅「伊勢奥津」。 昨年の台風18号の風水害で家城駅から伊勢奥津間については復旧が困難として、代行バスを運行しています。 もう、列車はここまで走らないのでしょうか?無人の駅は普段、静まり返っています。 この駅には蒸気機関車時代の給水塔が残っています。 今日は歩く旅人たちが、その前で賑やかに休憩しました。
2010年03月01日
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最後の宝来講で大和国から伊勢国へ入った瞬間、爆竹が鳴らされました。 賑やかで面白い!
2010年03月01日
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昨日までの雨模様とは変わり、本日は眩しいぐらいに青空が広がりました。 御杖村土屋原「まつや旅館」を出発した宝来講本隊と、私たち伊勢本街道保存会のメンバーは御杖村菅野の駒繋ぎ橋から合流。 福寿草も輝く春の陽気です。 菅野の篠田さん宅では茶やぜんざいの振る舞いがあり、神末敷津の丸山公園では御杖村の方々から珈琲の接待がありました。他にもトイレ休憩や沿道での励ましなど多くの協力に元気を頂き、本街道を東へ東へと進んでいきます。 奈良県と三重県の県境では爆竹を使った派手なパフォーマンスに驚きました。 午後から曇り空になりましたが、学生さんたちの元気は続きます。 現在は列車の運行を一部区間中止している名松線の伊勢奥津駅前で昼食。普段は静かな場所も約50人の宝来講参加者メンバーと同行者や関係者で賑わいました。 各家に屋号を描いた暖簾がかけてあるので有名な奥津集落。その後は一番の難所である飼坂峠越え。皆で励ましあいながら汗をぬぐいました。 上多気でも施行を受け、笑顔を浮かべて津市(美杉)から松阪市(飯南)へ進んで行きました。 確かに疲れはしましたが、多くの事を学んだ実り多き旅でした。 私たちはここで終了ですが、宝来講の皆さんは明日・明後日も旅をされます。お気をつけて!
2010年03月01日
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