2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
2019
2018
2017
2016
2015
2014
2013
全20件 (20件中 1-20件目)
1
パソコン教室、今も週2回通っています。MOSの試験を一通り終ったので、後は消化試合みたいなもんですね・・^_^;といっても、とても楽しいソフトを勉強中。IBMのホームページビルダーというソフトです。11回目の今日は、ウェブアートデザイナーで画像を作るところをやりました。ビルダーの授業はやっと半分ほど終わったところですが、簡単なサイトなら、すぐにでも作れそうな気がします。今のところ、ブログで間に合ってるので、自分で何かホームページ作る予定はありませんが・・・勉強してると、何か作りたくなってきますね教室の先生たちは、ビルダーを使いこなせるのはもちろんのこと、HTMLを知り尽くしていて、メモ帳でホームページを作ってしまえるそうです(驚(その道のプロなんだから、当たり前といえばそうかもしれないけど)Webクリエイターという資格試験があって、その勉強を薦められたけど・・・時間とお金が許せば、ぜひにもやりたいところですが、残念です。今のUooは、出来るだけ早くパソコン教室を卒業して、次の大きな夢の実現に向かって進まなければいけないのですどんな夢かって?それは、今はヒミツ~今年の秋には、パソコン教室卒業できるかな!?ビルダーの後は、フォトショップを勉強する予定です。
2007.06.28
コメント(8)
![]()
抹茶のお菓子が大好きです。最近はまってるのはコレ↓もともとハーベストは大好きだったけど、抹茶味は最高こないだ寸又峡行ったときに買ってきた抹茶羊羹も、美味しかったなあ~・・最初に、抹茶をお菓子に入れようって考えた人、天才
2007.06.21
コメント(14)
毎週いただく礼拝メッセージをシェアしたくて、日記に書いた後に、「フリーページ」にもアップしていたんだけど、ちょっと整理しづらくなってきました。なのでこの際、礼拝メッセージ用に、新しいブログを立ち上げることにしました。このブログ左の「ブックマーク」の中の、「Uooのページ」内にあるBible Messageが、ソレです。今後フリーページから少しずつ移していくので、まだ途中ですが、今までの「マルコ福音書」を読みたいと思われる方いらしたら、ぜひご利用ください。毎週受けたことを、こうやって書くことで、“復習”が出来ることと、いつか、学んだことを活かせる場があるかもしれないと思って、書き留めることにしています。実際、ブログに書いては読む作業は、とても恵まれますね!!!
2007.06.21
コメント(6)
続けて、17日父の日になされた礼拝メッセージです。第18回目 マルコの福音書6章14節~29節「罪のままに生きる人間」***イエスの名が知れ渡り、ヘロデ王はうわさを聞いて、「私が首をはねたバプテスマのヨハネが生き返った」と言っていた。ヘロデは、自分の兄弟の妻ヘロデヤを妻とし、そのことでヨハネに咎めを受けて、ヨハネを牢につないでいた。ある時、ヘロデヤの娘サロメが祝宴で踊り、その褒美に何でも欲しいものをとヘロデが言ったところ、ヘロデヤは娘に「ヨハネの首を」といわせた。王は非常に心を痛めたが、人々の手前もあり、娘の願いどおり、ヨハネの首をはねた。***ヘロデとヘロデヤの問題について書かれています。とても残酷で、暗い物語です。ヨハネはイエスの親戚であり、人々を悔い改めさせ、心を整えさせてイエスを迎える準備をさせる役割を担いました。その顛末は、ヘロデヤによる陰謀で、首をはねられるという最後を遂げたのです。とても残酷な話ですが、今でもどこかで起こっていそうな話です。昔から、こうした残酷な出来事はあったのです。16節、ヨハネが生き返ったと、ヘロデは恐れています。実は、ヘロデは「王」ではありません。その地域の担当者、という位の身分です。「国の半分でもやろう」などという権限はありません。その地域を治めつつ、ヨハネの話をしっかり聞いていました。ヨハネの話を神の言葉と受け止め、彼を迫害したりしたくなかったのです。しかし、ヘロデヤの存在がヘロデを狂わせました。彼女は、兄弟の妻でした。妻と離婚し、兄弟から妻を奪ったのです。このヘロデとは、イエス誕生時に、「2歳以下の子供をすべて殺した」ヘロデ大王の子にあたり、ヘロデ・アンティパスと呼ばれます。ヘロデ大王は、自分の息子達も殺していき、その婚姻関係はメチャクチャでした。そのように、道徳的に堕落した家系の中で、ヘロデはヨハネの声を聞こうとしていたのです。ここから2つのことを学ぶことが出来ます。1つめ。ヘロデ大王の生き方は、その子、孫の代まで続きました。たくさんの妻をめとり、子供を殺しました。彼は気が狂って死んだといわれています。その生き方が、ヘロデ、ヘロデヤまで続き、娘サロメまで伝染したのです。祝宴で踊りを踊るということ。王の娘としては考えられないことです。しかもただのダンスではなく、とてもセクシーな踊りだったと言われます。「褒美に国の半分でもやろう」というヘロデの言葉は、ヘロデヤにとってヨハネを殺す絶好のチャンスでした。レビ記18:16には「あなたの兄弟の妻を犯してはならない。それはあなたの兄弟をはずかしめることである」という戒めがあり、それに基づいてヨハネから罪を指摘されていたヘロデヤは、ヨハネが憎くて仕方ありませんでした。娘サロメに向かって、「ヨハネの首を願え」というヘロデヤ。そして、それを嫌がることなく受け入れる娘。教育が受継がれていることが分かります。神をも恐れぬ人々。神の定めた結婚制度を守っていかない人々は、このように子孫が影響を受けていくのです。出エジプトにある「十戒」の2つ目は、「あなたは、自分のために偶像を造ってはならない」ですが、妬む神、わたしを憎む者には、父の咎を子に報い、三代、四代にまで及ぼし・・とあります。当時の家庭は、今のような核家族ではなく、三、四代は一緒に住んでいます。祖父が神から離れたら、家族全体が神から離れるというのです。結婚についてのルーズさについては、当時他の人にとっても当たり前のことだったようです。ヨセホス、タキトゥスといった一般的世界史の著書の中に、ヨハネの首をはねたこの事件について記事もあり、それは「嫉妬によって殺した」とあります。ヨセホスにとっては、結婚生活がいいかげんになされるということは、別段どうってことのない事柄だったのでしょう。しかし、神の言葉に従うなら、結婚を大切にしなければいけません。2つ目。ヘロデの態度についてです。彼は、ヨハネを殺したくはありませんでした。ヨハネの言葉、その悔い改めのメッセージで、神に立ち返ること、人生が変わることについて、ヘロデは喜んで耳を傾けていたのです。26節、王は心を痛めたとあります。彼がヨハネを殺したのは人々の手前、そうするしかなかったのだといいます。最近、一人の大臣が自らの命を絶つという事件がありました。彼と、このヘロデがかぶります。あの大臣は、自殺する以外に方法があったのではないかと、多くの人が思ったことでしょう。そして、彼も本当は死にたくは無かったでしょう。しかし自分の意に反して、周りの目を気にし、自分はこうでなければならないということに自分自身を追い込んでしまったのではないでしょうか。彼は自分の命を犠牲にしました。そしてヘロデは、ヨハネの命を犠牲にしたのです。自分が思ったことを、思い通りにすることが自由だと人は考えます。しかし、「このように生きるのだ」と自分で考え、そこから外れようとしなかったら、それはとても狭い世界に生きていることになります。主に頼って、「どうしたらいいのか?」とヘロデは言うべきでした。「それだけは出来ないよ」と言えたはずなのです。こうでなければいけない、そのように人の目を気にして生きてきた、今更、ごめんなさいなどと言えない、そして結果、最も望まない結論を出さざるを得なくなってしまいました。実はこれこそが、マインドコントロールです。人は、自分で自分にマインドコントロールをかけるのです。こう生きてきたから、こうしなければならない。そのように考えてしまうのが私たちです。それを解く唯一の方法は、イエスに聞くこと。この世界を、そして私たちを造られた方こそが、私たちを自由に出来ます。狭いところに自分を追い込むのが、人間。それが罪です。ヨハネは命をとられました。しかし、この物語の中で、最も自由な人でした。時の王に対して、まさに自分の生死を決めるものに対して、恐れることなく神の言葉を語り、悔い改めを迫ったのです。権力、暴力を恐れず、主が喜ばれないことは、あなたの人生にもよくないことだと語りました。キリストにあって、みことばを語り、説き広めるとき、人々は自由になります。それは私たちを立てあげる、本当の自由です。29節、ヨハネの弟子達は遺体を引き取りにいきました。これも彼らにとっては恐ろしいことです。王の反逆者であるヨハネの弟子であるということが分かってしまうのですから。しかし、彼らにも、ヨハネと同じ自由が与えられていました。何にも束縛されない、自分を幸福にし、人々を幸福にする自由です。マルコは、イエスの伝道についての記事の真中にこの話を置きました。イエスの道備えをしたヨハネ、そしてヨハネの迫害、イエス、弟子達、とその働きは大きく広がっていきました。今日は父の日です。父の存在はとても大きなものです。そして、三、四代まで影響を与えます。父に親族の祝福がかかっているのです。父がキリストにあって自由なら、家族は祝福を受けます。そして次の代に伝えていけるのです。
2007.06.20
コメント(5)
遅くなりましたが、10日の礼拝メッセージです。毎度長文ですみません。第17回目 マルコの福音書6章7節~13節 (2007年6月10日)「遣わされる私たち」***イエスは12弟子達を二人ずつ遣わし、汚れた霊を追い出す権威を与えられた。そして言われた。「旅のために杖一本のほかは何も持っていってはいけません。パンも袋も、胴巻きに金も持っていってはいけません。くつは、はきなさい。しかし二枚の下着を着てはいけません。」「どこででも一軒の家にはいったら、そこの土地から出て行くまでは、その家にとどまっていなさい。もし、あなた方を受け入れない場所、また、あなたがたに聞こうとしない人々なら、そこから出て行くときに、そこの人々に対する証言として、足の裏のちりを払い落としなさい」***マルコの文章は、サンドイッチのように物語が挟まれているものが多いです。ここでは、弟子を派遣する場面に、ヨハネが殺される話が挟まれています。エホバの証人が「二人ずつ」伝道に出て行くというのは、この箇所に根拠があるそうです。それはともかく、二人という人数よりもむしろ、「チーム」で派遣されるという意味こそが大切です。みことばを語り、汚れた霊を追い出すという仕事。イエスの立場なら考えられるその仕事も、弟子達には大変心もとないことです。イエスはたくさんの奇跡を行い、みことばを語りました。しかしこの時点では、誰も新約聖書を持っていないのです。旧約聖書でさえ、持っていませんでした。直に受けたものを、そのまま伝えにいこうというのです。汚れた霊を追い出す権威、とあるのは、「人間的発想」を追い出す、という意味があります。8節には、杖1本だけ持っていっても良いとありますが、マタイの方では、「杖さえも持つな」とあります。杖は、ヘビや害虫などを避けるために必要でした。足のちりを払え、とあるのは、この時代、家に入るときに異邦人のものを持ち込まないために全てのちりを払うという習慣がありました。マタイの福音書10章、11章には、たくさんの記事が書かれており、「イエス第2の説教」と呼ばれています。10章16節には、これから弟子たちにさせることは、とても厳しいことなのだとイエスが語っています。「わたしが、あなたがたを遣わすのは、狼の中に羊を送り出すようなものです。ですから、蛇のようにさとく、鳩のようにすなおでありなさい。」私たちの悩みは、イエスを知らないということに根本があります。日本の中高生で、将来に希望のある人は20%といいます。アメリカ、中国、韓国では90%ですから、いかに低い水準かが分かります。何のために生きているのか。これからどうなっていくのか。若い人たちに希望がないのです。弟子達は、とにかくイエスについていきました。あるものは、自分の職業をおいて、イエスに期待してついていきました。イエスのみことば、業、ここに何かがある。そしてイエスは、あなた方が為すことがある、あなた方のために私が与えたものを、今度は他に渡しなさい。それが信仰人の生き方だというのです。実際、信仰とは、充分な知識がなくとも、学びながら実践していくものです。学校では、自分の専門知識を鍛えてから世に出て行きます。しかし信仰の世界では、全部分かったから出て行くというものではありません。伝えながら、成長していくのです。ある程度知っているなら、宣べ伝えよう、というのが信仰の世界です。Activity(行動療法)という分野があります。20人くらいで山の中を歩きます。みんな目隠しをして、一番前の人だけ目を開けて見ることができます。これは結構怖いことです。「ここに岩がある」「枝が突き出てる」など、次の人に伝えながら歩きます。「ちょっと大きい石があるよ」など、言う事が変わります。前の人の情報をどうとらえるか、自分の経験と照らし合わせてどう次の人に伝えるかが変わってくるのです。会社の研修でこのActivityを用いることがあるそうですが、家族間でも大事なことです。信仰の歩みは、これに似ています。私たちは歩きつづけるのです。いつも歩んでいます。一番前にはイエスがいます。その次に弟子達。彼らが私たちに伝えてくれました。私たちの後ろに、繋がる人たちがいます。的確に、私たちが後ろの人たちへ伝えていくのです。信仰とはこのような世界です。不安もあります。しかし大丈夫。イエスが一番前にいるからです。歩きつづけることが出来るのは、前の人が今も歩いているから。「何も持たずに行け」といわれました。ユダヤでは、聖なる場所へは自分のものは全て下において行ったのです。何も持たずとも、主が一番前におられる。私たちは、受けたことを伝えつづければ良いのです。受けただけで、とどまっていてはだめです。教えながら理解するのです。受けたことを伝えつづける、その行動そのものが信仰です。それが私たちを前に進ませ、成長させます。そして多くの人々との交わりを作っていきます。イエスは、100%大丈夫だからと弟子達を派遣したのではありません。不十分な私たちですが、教会はまさにActivityの場所です。悔い改めを説き広めるだけ。「神のところに帰ろう!」「そして天国へ行くことが出来る。この地上においても生き生きと生きられる。」それを伝えていくのです。
2007.06.20
コメント(0)
らみいでピアノを学び始めて5年目突入のWちゃん、小学3年生。最初は順調に進んでいたものの、ここ2年ほどはレッスンに来るのがやっとという感じ。おうちでの練習は皆無な様子、譜読みもおぼつかなくて、練習しないから当然だけど上達するどころか、後退してるようなWちゃんにとってもUooにとっても辛いレッスンが続いていました^_^;「おうちで練習できないから、ここでしようね~」ということで、一緒に音符を読み、片手ずつ弾かせて、最後に両手で何とか最後まで弾けたら○。1冊テキストが終わると、普通はステップアップした本に移りますが、Wちゃんの場合は、超初心者のテキストを何とか探し出しては、それを与えていました。いつ「ピアノをやめる」と言われても、仕方がないな~と覚悟してました。レッスンもそれほど楽しそうではないし、上達しないなら通いつづけても無駄かも。ピアノの他に、Wちゃんが心から打ち込める事のために時間とお月謝を使った方がきっといいに違いない、と思ったのです。先週のレッスンで、珍しくワークの宿題をやってきたので(多分2年ぶりくらい)おや?と思いました。でもレッスンはいつもどおり、音符を一緒に読み、片手ずつの練習。ヨタヨタと最後まで弾けたら、おまけの○。ところが!昨日のレッスンでは、教室に入ってきたときから違いました。顔が輝いています。そして勢い良く、ワークの宿題を差し出すではありませんかテキストを持って、ピアノの部屋に駆け込んで行きます。そして、今までのWちゃんなら考えられないようなテンポの速さで、宿題の曲を弾き始めました音の間違いは多少あったものの・・・勢いあまりすぎて、音がだいぶ乱暴だったことを除けば・・・とにかくびっくりです。演奏を終えて得意げにUooを見つめるWちゃんに、「・・・どうしちゃったの!?」と思わず聞いてしまったUooなのでしたちょうど今の時期、「電話家庭訪問」と称して、生徒のお母さんたちに電話をさしあげ、おうちでの様子を聞いているところでした。先週、Wちゃんのお母さんと電話でお話ししたときは、母「もう、先週のレッスンを最後にピアノやめるって宣言したんですよ、あの子。それなら、あの子の時間に妹をお願いしようかと思って、それはそれでいいと思って」U「ええっ、そうだったんですか!」母「だけど、帰ってきたら、なんでか分からないけど、ワークを自分からやって、なんだかんだと、ピアノも毎日触ってるんですよね~」U「何か、きっかけがあったんですか?」母「それが、分からないんですよね~」一体何がWちゃんに起こったのか!?お母さんも知らないところで、何かが芽生えてしまったのでしょうか。こういうことがあるので、生徒一人一人、どんな最悪な状態だったとしても、大人の方で諦めてしまってはダメだわ~と思います。この状態が、いつまで続くか、の方が問題だけどね去年のWちゃん日記↑これ読み直して、思いました。Wちゃんは1年に1回だけ、『復活』するのかも・・・
2007.06.19
コメント(4)
VOVが指導するミニWSのお知らせです。Uooも参加します☆託児&お弁当付の、なかなかオイシイ企画ですよ!!!以下、VOVのBBSよりコピペ。===♪一般募集のゴスペルミニワークショップのご案内♪あなたもVOVの指導でゴスペルにチャレンジ!名古屋の人気カフェCafe Dufi(デュフィ)の素敵なお弁当を一緒に食べて交流できる気軽なイベントです。※カフェCafe Dufi の情報はhttp://www.grappee.com/weekly/cafe/ca020327/top.html現在定員に若干空席が有るようなので、ぜひお早めに下記までお問い合わせ・お申込ください。つながれっとまつり2007交流会「ゴスペルにチャレンジ~聞いて、歌って、ノッて、食べて」【日時】6月23日(土)午後6時~午後8時【主催】名古屋市男女平等参画推進センター 【会場】つながれっとNAGOYA1F交流ラウンジ(名古屋市中区千代田5-18-24)ホームページhttp://www.tsunagalet.city.nagoya.jp/【アクセス】地下鉄・JR「鶴舞」より北へ徒歩約5分※駐車場利用できません。公共交通機関をご利用ください。【参加費】1000円(飲物・軽食付) 定員:50名【申込方法】「ゴスペルにチャレンジ」の参加申込は、開催日の前日まで、電話(052-241-0311)、FAX(052-241-0312)、又はE-mailで受け付けます。(先着順)【FAXの場合】1)「ゴスペルにチャレンジ」2)氏名3)住所4)電話番号5)性別6)年齢7)託児希望の場合のみ子どもの氏名と年齢を記入して送信、【E-mailの場合】件名に「つながれっとまつり申込」と入力し、FAXと同様に1~7をメール本文に入力して以下のアドレスに送信してください。メールアドレスreceipt-tsunagalet@sweet.ocn.ne.jp※事前にお申し込みください。事前申込をした方は開始5分前までにご来場ください。※当日の参加も席がある限り受け付けますが、事前に申し込みをした方を優先入場とします。※当日は5分前から席を開放します。 【問合せ】TEL052-241-0311 FAX052-241-0312メールreceipt-tsunagalet@sweet.ocn.ne.jp
2007.06.18
コメント(3)

昨日は、豊田みのり教会主催のピアノコンサートがありました。場所は、豊田写真夢楽(とよたしゃしんむら)という場所のレストランです。ピアニストの小堀さんがどういう方なのか、教会の誰もが全く知らない中でその話が決まりました。小さな開拓教会で主催するということで、大変なこともあったかもしれませんが、当日の日曜、Uoo夫婦はそれはそれは楽しく一日を過ごすことが出来ました。教会のメンバーも、皆楽しそうに奉仕をしていました。コンサートは90分ほどのプログラムで、小堀さんのオリジナル作品を中心に進められました。日本の音大を卒業された後、フランスに留学、その後韓国でCDを2枚リリースするなど活動され、最近日本でもファーストアルバムが出ました。小堀さんの作品は、アンドレ・ギャニオンを思わせるような優しいメロディが多いです。ショパンやドビュッシーなどの有名どころも織り交ぜつつ、すばらしい演奏を聴かせてくださいました。そして、この方、トークも素晴らしいです見た目とても繊細そうですが、さすが関西人。サービス精神に溢れていて、ユーモアを交えてリラックスさせてくれました。彼が大学生の時、バイクの単独事故で、左手の骨折というピアニストにとっては致命的な傷を負いました。医者も、ピアニストの道は諦めるようにと宣告したほどのその傷が、奇跡的に全く癒されたという体験談は、本当に感動しました。ココをクリックすると、彼のプロフィールなど読むことが出来ます。Uooは接待係、ダンナさんは送迎係りとして、小堀さんのお近くで、そのお人柄に触れる機会を多くいただき、本当に素敵な演奏者に来ていただけたことを心から感謝しました。小堀さんの奥さんも音楽家で、お二人でコンサートをされることもあるそうです。奥さんの歌と小堀さんのピアノで、子供向けのクラシックコンサートというのもとても良さそうな気がします。他の楽器をされるお仲間もいらっしゃるようなので、アンサンブルとしてお招きするのも素敵と思いますみなさんの教会でもぜひコンサートを計画されてはいかがですか?
2007.06.18
コメント(2)
増税に怒り、市職員に刃物=「死ねというのか」-63歳男を逮捕・新潟6月14日21時31分配信 時事通信住民税増税について説明に訪れた市職員にナイフを突き付けたなどとして、新潟県警五泉署は14日、公務執行妨害の疑いで、五泉市二ツ柳、無職貝沼寿教容疑者(63)を逮捕した。調べによると、貝沼容疑者は同日午前10時前、定率減税廃止で今月から引き上げられた個人住民税について、説明に訪れた市税務課の男性職員2人に対し、「おれに死ねというのか」とナイフを突き付けた上で、説明書類を切り裂くなどして、職務を妨害した疑い。職員にけがはなかった。 ====もちろん、暴力はいけませんが・・・その男性の気持ち、ちょっと分かるなあ(T_T)Uooのところにも、2週間ほど前に住民税の通知が届いた。金額を見てびっくり!去年のほぼ倍になってる!?何かの間違いじゃない???と、計算式とか調べてみたけどよく分からないし(>_
2007.06.14
コメント(9)

今度の日曜、ピアノコンサート(豊田市)にお出でになりませんか。アジアンティストなお庭を眺めながら、美味しいドリンクを味わいつつ・・・小堀秀郎(こぼりひでお)ピアノコンサート日時 2007年6月17日(日)開場 14時半 開演 15時入場料 大人1000円 中高生500円 小学生まで無料(全て1ドリンク付)場所 豊田写真夢楽(とよたしゃしんむら)レストラン主催は、現在Uoo夫婦が通う、豊田みのり教会です。小堀秀郎氏の日本でのデビューアルバム『YourFirstLove』セミクラシックの優しい音色です。演奏するピアノは、オーストリアの最高級品、ベーゼンドルファー。興味のある方、Uooまでご連絡ください☆このブログのトップページにある「メッセージを送る」からメール下さいね。
2007.06.13
コメント(1)
Uooは、毎朝ダンナさんを送り出した後、ラジオを聞きながらお皿洗いなどの家事をします。いつも聞いてるのは、『東海ラジオ』の『モーニングあいランド』。パーソナリティの小島さんの軽快なトークと主に時事についてのリスナーの投稿についてのコメントがいつも興味深くて楽しいです。先日の日記にも書いた、新潟の女子高生の話題が出ていたので、Uooも、投稿してみたい衝動にかられて、生まれて初めてラジオにコメントを投稿してみました。日記の内容を縮小した内容です。次の日の金曜、7時過ぎからずっとラジオを聞いていましたが、自分の投稿は読まれることなく時間が過ぎていきます。重い話題だから、無理だったかなーとほぼ諦めたその時、番組終了近くの8時55分ころ、「では、今日のこじまんギフトは、名古屋市内にお住まいの“Uoo”さん、初めてのメールということでしたね」と、小島さんがアナウンス!!!(実際は違うラジオネームでしたが)えーーー!!!この番組は7時前からやっているので、聞き逃してしまったようです。いや、名古屋市内のUooさんて、他にもいるかも・・と、ドキドキしながら、プレゼントが届くのを楽しみにしていました。そして!今日、礼拝から帰宅したら宅配便が届きました。うわーーー!!!ホントに自分の投稿が放送されたんだーーー!!!き、聴きたかった・・・小島さんがそれを読んで、どんな反応をしたのか、聞きたかった!(>_
2007.06.10
コメント(12)
先週の礼拝メッセージです。毎度長文ですみません。よろしければ読んでください。======第16回目 マルコの福音書6章1節~6節 (2007年6月3日)「キリストの栄光」***イエスは弟子達を伴って、郷里に行かれた。安息日に、会堂で教え始められると、多くの人々は驚いた。「この人は大工で、マリヤの子ではありませんか」イエスは言われた。「預言者が尊敬されないのは、自分の郷里、家族の間だけです」そこでは何一つ力ある業を行なうことが出来ず、少数の病人を癒されたのみだった。***イエスの栄光、といえば何を思い出すでしょう。それは単に、霊能者が持つような超能力ではありません。イエスが全てを作り、全ての権能を持っています。人々を癒し、よみがえらせました。しかし、イエスの郷里では、正反対のことが起きました。何も、業を行なわれなかったのです。イエスは安息日ごとに、地域の会堂で教えられました。いわば、巡回伝道師です。こういう立場の教師は、もともと人々からあまり大きな期待はされていなかったと思われます。ヨーロッパでは巡回裁判所というのがありました。地域ごとに裁判所を持つことが出来なかったので、簡易な裁判所が巡回して回るというものです。簡易的なものなので、大したことは出来ないとして、人々にはそれほど期待されていませんでした。それと同じです。しかし、イエスは有名人でしたから、多くの人々がやってきました。聖書の話をし、業もしたことでしょう。そして彼らは驚きました。「大工ではないか」と。マタイの福音書では、「大工の息子ではありませんか」とあります。この「大工」とは、石を使った細工人も含まれます。そして、とても軽蔑した言い方で書かれています。当時、ローマ・ギリシャの哲学の影響で、霊的、知的なものは崇高で、肉体的なものは低いという考えがありました。肉体労働者は低く見られていたのです。「こうして彼らはイエスにつまづいた」なぜでしょう?彼らは「この力はいったい何なのか」といいました。「どこで手に入れたのでしょう」ではありません。嵐をしずめたイエスの力に驚いた弟子達の反応によく似ています。「ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟ではありませんか」イエスは大工で、その家族のことも小さいときからよく知っている!人間が一体どこでつまづくのかを学ぶことができます。素晴らしい業、言葉の中に神を見ようとするのではなく、自分の知識、経験の中に閉じ込めて、それに入らないものは受け入れない。そこに人間の弱さがあるのです。細木○子さんの話しに、人々は納得します。それは、自分の知識に合致するからです。イエスの業も、言葉も、全く自分の知識の中には無いものだったために、それがどんなに素晴らしいものであっても、人々はNo!といいました。子供の教育について、私たちの観念の中に閉じ込めているとしたら、いろんな可能性を閉じ込めてしまうことになります。一人一人の子供は、神が造られ、無限の可能性がそこにあります。伴侶について、人は、自分が選んだ相手だと考えています。しかし、自分が選んだのではない、神が私のためにおいた、とするなら、無限の可能性の中で理解することが出来るのです。ものすごいものを目の前に見ながら、自分の中に入らないものは拒絶する。それが人間の姿です。信仰とは、日常の生活で、神のなさることを経験し続けること、それしか方法はありません。聖書を読むことは、毎日神を発見できるようになるためです。イエスの郷里の人々は、それが出来ませんでした。「預言者が尊敬されないのは、自分の郷里、親族、家族の間だけです」この言葉は、もともとあったことわざの引用といわれます。「預言者は親族の間では尊敬されない。医者は自分の家族を癒さない」これは一つのことを教えようとしています。家族とは、最も近い存在です。近い、と感じていますが、それは真実でしょうか?家族というものを、キリストにあって再理解する必要があります。東京では、2000万円以上の資産のある人の6-7割が、何らかの法律問題を家族間で抱えているといいます。肉親だからこその問題がそこにはあります。再理解し、再解釈すること。神によって与えられたという喜びをもう一度理解しなおさなければいけません。預言者を尊敬することは、ユダヤ人なら当たり前のことです。最も親しい家族は、それがわからないのです。そして、イエスはそこでは、力ある業を行なわれませんでした。Can notではなく、「されなかった」のです。イエスは、愛の方であり、全ての人に対して愛を全うしようとしておられるのは確かなことです。渇水が続く土地で、何ヶ月ぶりの雨が降り出したとします。バケツやコップなど、思い思いに人々はもって外に飛び出します。どんなものを持っていったかで、水の量は決まります。恵みとは、期待した大きさによるのです。溢れるばかりに恵みは注いでいます。何を持って、外に飛び出すかが、問われているのです。大きく期待して主に従うなら、恵みがどんなに大きいかに気づきます。多くの艱難の中、何と大きな恵み、光を発見することでしょうか。この時、弟子達はイエスのことをまだよく分かっていません。でも、ついていきました。あの人を癒して、あの人は癒さない。なぜ?あの場所ではとても大きな業を行ない、ここでは何もされない。なぜ?弟子達が、まだ、イエスを「キリスト」と告白する以前の話です。でも、ついていったのです。大きな入れ物をもって、雨の中を飛び出しました。そして彼らは、裏切られませんでした。どのように受け止めるか。たくさん善行をした、奉仕した、ということではなく、主と共に生き、イエスを発見しようと思いつづけること。生活の中で、雨が降りつづけるように、イエスの姿は、そこにたくさんあるのです。100万通りどころではない、無限にあるイエスの像。こんなところに、あんなところにおられた!それは本人がわかるのみです。だからお互いに証をし、励ましあい、期待するのです。イエスの姿を、日常の中で発見していく経験が出来るように願います。
2007.06.09
コメント(2)
昨日の日記に関連して、あるNPO法人をご紹介します。Uooの友人がスタッフとして関っている働きです。ライフ・ホープ・ネットワーク。予期せぬ妊娠に悩んでいる女性や、過去の中絶経験に苦しんでいる女性の助けになりたいと願うクリスチャン・ボランティアのグループです。名古屋市熱田区でこのような女性のための相談・支援センターを運営しています。カウンセラーは全員、アメリカのクリスチャンNPOであるライフ・インターナショナルのスタッフによるトレーニングを修了しています。もし妊娠に悩んでいる人が周りにいたら、この働きを紹介してあげてください。「小さないのちを守る会」とも協力関係にあるようです。相談・支援センターの受付時間は、以下の通りです。月・水 午後2時~6時土 午前11時~3時一人でも多くの女性が救われ、ちいさな命が守られますように・・・
2007.06.08
コメント(2)
高校で出産、赤ちゃん死亡=母親は高3生徒-新潟6月6日14時1分配信 時事通信5日午後9時45分ごろ、新潟県長岡市内の病院から、「女子高校生が学校内で出産し、えい児が病院に運び込まれたが死亡した」と長岡署に通報があった。出産したのは県立高校3年の女子生徒(18)で、産まれた男児は死亡した。同署は生徒の回復を待って、詳しい経緯を聴く。同署によると、女子生徒は同日午後4時すぎに腹痛を起こしてトイレに駆け込み、5時ごろにトイレ内で男児を出産。処置に困り、携帯電話で同級生を呼び出して事情を説明したところ、事態を聞いた校長らが現場に駆け付けたという。女子生徒と赤ちゃんは校長や担任、父母らに付き添われて病院に運び込まれたが、男児の死亡が確認された。女子生徒は当日まで通常通り登校。周囲は誰も妊娠に気が付かなかったという。 =====こういうケースは、自分達が思うより、案外多いのかもしれない。熊本の病院で赤ちゃんポストが設置された背景は、数年前に熊本で同じような事件があったからだと聞いた。赤ちゃんを彼氏の家のトイレで産み落とした女の子は、殺人の罪に問われている。(赤ちゃんはトイレの汚水の中で窒息死)10代の子供達の性の乱れについての現実を考えれば、こんな事件が起こっても当たり前なのかもしれない。それにしても、妊娠してしまう原因は女の子一人じゃないはずなのに、リスクを負い、多大な被害を受けるのは決まって女の子!女の子たち!もっと自分を大切にしてください!!!根本的解決を図るためには、「純潔教育」しかないと思う。今の時代、純潔なんて言葉はほぼ死語に等しいと思うけど、前の日記に書いた「性教育」とは、「避妊の方法」を教えるためのものでは決してないはず。男女の性の違いをお互いがよく理解し、本当に愛しあうということの意味を教えることだ。純潔教育、聖書に沿った性教育、とても時間がかかることだし、今、この瞬間にも、予期せぬ妊娠に悩む女の子がいることでしょう。そんな女の子がもし周りにいたら、ぜひ教えてあげてください。ちいさないのちを守る会の存在を。親や先生、友達に相談が出来なくて、たった一人で悩んでいるかもしれない、だけど、そんなあなたを助けたい、お腹にいる赤ちゃんも助けたい、そのために実際に力になってくれる人たちが、こんな世知辛い世の中にも、本当に奇跡的なことですが、存在するんです!!
2007.06.07
コメント(8)
![]()
礼拝後の、お茶をしながら交わり&学びタイム。学びのテーマが、家族だったので、そこから「夫婦」について、そして「性」についてと話題が移っていった。中高生の子をもつ親御さんたちには、切実な話題だろうと思う。日本での昨今の性の乱れは、聞くに堪えないような状況。若い人たちの間では、出来ちゃった婚というのは、もはや当たり前で、10代の学生(中高生含む)の性交渉体験者の割合は、びっくりするような大きな数・・性教育を学校に期待してる親御さんたち、多いみたいですが、学校になんて、期待しないほうがいいですよ・・・先生たちが、まず教えられないと思います(>_
2007.06.04
コメント(12)
VOVとの出会ったのが8年前、それ以来ずっと歌いつづけてます。教会などで教えるようになったり、夜のリハしか無かったVOVに行きづらくなって朝の時間帯に行けるTGCを掛け持ちしたり、そのうち、VOVの朝の部が出来たりして、VOV 毎週木曜の夜と、各週金曜の朝 計6回TGC 隔週火曜の朝 計2回瑞穂ゴスペルクワイア 毎月1回 計1回AFC 隔週日曜の夜 計2回グリーンチャペルゴスペルクワイア 隔週火曜の朝 計2回。。。。月に13回もリハ?ほぼ月の半分てことか?最近やけに忙しくなったと思ったら・・・忙しくてあたりまえじゃん!てゆうか、今ごろ気づく自分って~~~(ジツは、まだ出来るものなら、他にも教えに行ったりしてゴスペルを広げたい気持ち「だけ」はある・・・欲張りかな~)
2007.06.04
コメント(16)
ポータブルMDレコーダーが壊れた!これ、ゴスペル歌いには必須アイテムで、特にUooが持ってる機種は、多くの友人も愛用してるソニーのMZ-B10。買ったのは、VOV5周年の数ヶ月前だから、まだたったの3年しか経ってない。ちょっと前から、録音ボタンが変な感じ・・と思っていたら、先週木曜日、とうとう全く録音が出来なくなってしまった。一応、修理できるかもと、サービスセンターに問い合わせてみた。製品番号を伝えると、即答で見積もりを言われたけど、分解修理は一律15000円・・・今、同じ機種を新しく買ったら、20000円、ひょっとしたらネットで安いとこだと、1万台で買えちゃう。録音ボタンがちょっとおかしいだけなのに!最近の機械って、高性能で精密になってる分、壊れやすくなってないかな?自分、高校生の時に買ったダブルカセットラジカセ、未だに愛用してる。20年以上も使ってる!今更ながらびっくり。(多分、家にあるあらゆるモノの中で最年長だな)出来たら修理して、もっと長く使いたかったけど、新品購入することにしました・・・高いお金で修理して、またすぐ使えなくなったら悲しいもんね(>_
2007.06.04
コメント(6)
楽しいライブだった~~♪♪♪名古屋近郊で活動する、8つのクワイアの合同コンサート。指導者、リーダーたち、ピアニストたちは殆どUooの友人です。ゴスペルの種がこの名古屋で蒔かれてから、8年。それぞれが成長して、クワイアを指導したり、曲を作ったり・・そして、このゴスペルの働きを通して、多くの人がイエス様と出会いました。自分にとっては、そんな時の流れを感じさせるコンサートでした。アンコールで、かわいいKIDSたちが壇上に!思いもかけず、三河のクワイアで活躍しているKIDSのチームが華麗なダンスを披露してくれました。自分が関っているクワイアでも、KIDSクワイアや、ダンスチームがあるといいなあ~~~って、また夢が出来てしまいました出演された皆さん、本当にいいライブでした。ありがとう!※三河のGiveThanksも11月23日に開催!そこでは、TGCメンバーとしてUooも出演します♪
2007.06.02
コメント(16)
今日は、ずっと楽しみにしていたGiveThanksのライブ。ライブの報告は後で書きます☆ その前に、先週のメッセージをアップします第15回目 マルコの福音書5章21節~43節(2007年5月27日)「病と死を支配されるイエス」***会堂管理者ヤイロが、自分の娘を癒して欲しいとイエスにひれ伏して頼んだ。ヤイロと一緒に出かけたイエスの元に、多くの群集が押し迫った。12年の間、長血を患っていた女性が「お着物に触ることでも出きればきっと直る」と、イエスの着物にさわった。その途端彼女の病気は癒された。ヤイロの家につくと、娘は死んでいた。取り乱している人々を見てイエスは、「子供は死んだのではない、眠っているのだ」といわれた。娘の両親、数人の弟子たちだけを伴って娘の部屋に入り、「タリタ・クミ」といわれると、娘はすぐさま起き上がり、歩き始めた。人々は非常に驚いた***ここでは、ヤイロの娘の癒しと、長血の女の癒しの2つの話が書かれています。長血とは、おそらく現代でいう子宮筋腫だと言われています。当時、この病の人は人前に出られませんでした。しかし外から見える病気ではないので、女性は出かけていったのでしょう。医者としてのイエスに会いに行ったのです。大勢の群集に取り囲まれているイエスの元へ一人の女性が行くということは大変なことだったでしょう。お着物にでも触れば直るかもしれない・・・ギリギリのところに追い込まれていて、それは必死の覚悟だったことでしょう。女性がイエスの着物に触ると、瞬間的に癒されました。イエスは、自分から力が出て行ったことに気づいて、「触ったのは誰か?」とイチャモンをつけます。弟子達は、これだけ人々が押し合いへし合いしているのに分かるわけがない、と呆れます。しかしイエスは、「見回して」探そうとします。ここでは、「凝視して」という原語が使われています。病気の女性が人前に出て行って、イエスに触った。これは、石打の刑になっても仕方ないくらいの重大なことでした。しかしイエスは言われました。「あなたの信仰があなたを直したのです」新共同訳では、「救った」と訳されています。ヤイロは会堂管理者でした。リーダー的立場の人です。ヤイロという名前がこうして書かれていることは、彼とマルコにとっては大変な賭けです。なぜなら、イエスはカルトの教祖のようなものとみなされ、宗教指導者たちにとっても、国体を維持しなければならないローマにとっても、危険人物だったからです。そのイエスと関りをもつということは、世間からそうとう叩かれることを覚悟しなければなりません。一方、長血の女性については、名前は記されていません。これはマルコの配慮でしょう。しかし、聖書に書かれている彼女の告白、そしてその行動は命がけでした。2つの物語。それは癒しとよみがえりについて書かれています。それらはイエスによって行なわれました。病を支配すること。医者であれば、ある程度は出来ることです。イエスを救い主と信じ、付き従っていた人は多くいましたが、多くの弟子達は、やがて散っていきました。「こういうわけで、弟子達のうちの多くの者が離れ去って行き、もはやイエスとともに歩かなかった(ヨハネ6:66)」イエスが、自分達の思っていたメシヤ像ではなかったことに失望したのです。病気も死も、イエスの手の中にあります。聖書は、それを信じて生きろと言います。聖書はイエスの素晴らしい権威の下で書かれたから、その元で生きよというのです。理神論は、世界には法則があり、その法則に従って生きれば幸せになれるといいます。何年何月に生まれたから、こういう法則がある。名前の画数がこうだから、こう生きると幸せになる。法則から離れたから不幸せになる、と彼らは説きます。しかし、イエスが今も生きておられて、イエスが私たちを愛していること、それが私たちを幸せにするのです。ある高校生が、彼女が出来たらとても幸せ、やる気も出るし、人生ばら色になると思い、でも現実は、自分はもてない。愛されたことにしよう、といって、エアギターというのが流行っていますが、エア彼女、、、というのはアリでしょうか?・・・幸せになれるはずがありません。神が架空のものだったら、私たちは生き生きとは生きられないのです。日本は理神論がまかり通っています。細木○子さんなどはその最たる例です。全ては法則によっている。法則にしたがって生きれば良い。本気で愛してくれる神などいらない。そう、理神論は、愛のいらない成功術といえます。そういうものが、実際にこの世には存在するのです。ある道を極めた人は、神を垣間見ることが出来ます。しかし、それはとても細い、ある一点だけなのです。それは、その根底に流れる深い愛を知らないで、一点だけを発見したに過ぎません。愛を知って、愛の中で生きるなら、それはもはや細い線ではありません。全生涯において、生き生きと生きられます。全知全能の神が、命をかけて自分を愛してくださっていることを知ったときに、それが可能になるのです。イエスは、私たち一人一人に、それぞれ細かな配慮をされ、一人一人に、奇跡を起こされます。癒される中に祝福を与え、癒されない中から祝福を与えます。権威あるイエスは、本当におられ、私を愛していること。そして、主の与えてくださる愛は機械的なものではなく、それぞれに細かく配慮された、完全なものなのです。
2007.06.02
コメント(2)
キリスト教界にも、カウンセリングという分野があります。少し前まで、教会は「カウンセリング」を拒絶していたといいます。世の中の手法であるそれに頼ることが、邪道だということなのでしょうか?Uooには、よく分かりませんが・・でも良く考えると、イエス様のことを「偉大なカウンセラー」と私たちは呼ぶことがありますしね。聖書を用いて人生を学ぶことも、大きな意味ではカウンセリングだと思います。それにしても昨今は、あまりにもひどい事件が頻発し、理解不可能だと思えるほどの内容に、呆然とすることもしばしば。なぜこんなことが起こるのかと、不思議に思うと同時に、教育がいかに大事かということを痛感します。Uooの住む地域で、10年くらい前に、少年達による凶悪事件が起きました。殺人者として逮捕された彼らのうちの一人は、面会に訪れたクリスチャンたちの導きで悔い改め、「生きて証をしたい」と願うようになったそうです。彼は、小学校さえもしっかり出ていませんでした。字もろくに読めない彼のために、クリスチャンたちは、面会に行っては、国語と算数を教えました。次第に彼は、自分は愛されているということが分かるようになりました。「自分に興味をもってくれる人がいる」それは、彼にとっては生まれて初めての経験だったのかもしれません。愛するとは、その人に興味を持つこと。愛の反対は、憎しみというよりむしろ、「無関心」だと思います。そうして彼は、初めて自分の罪が分かりました。殺人の罪を犯したときは、全く何も感じなかったといいます。それは、彼自身に、希望も夢も愛も、何もなかったからです。愛されて、はじめて自分がなんと言う恐ろしい罪を犯したかに気づいたのです。どうしたら人間関係がよくなるのか、と私たちは悩みます。それは、愛することに尽きるのでしょう。愛することが出来るためには、自分がどれだけ愛されているかを知らなければなりません。これがキリスト教カウンセリングの根幹です。~礼拝後の学びより~
2007.06.01
コメント(4)
全20件 (20件中 1-20件目)
1

![]()
