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4時ごろだったか、仕事していたら急に虫が数匹飛んでいるのが目に入りました。ムムッ、と思い、機械を止めて見上げるとすごい虫の大群。羽アリです。作る商品に紛れ込んではいけないので急遽、仕事は中止です。シロアリが出たのは家と仕事場合わせて3回目。出る時期は雨の後、気温が急に上がって2日ほど。だいたいいつも4月~5月。つまり今頃。シロアリ、というのは表に出てきませんがそれが羽化した羽アリがこのときにいっせいに飛び上がります。出てきた場所を探すと機械の下。シートを置いてその上に機械があって滅多に動かさないところですが、機械をどけてシートをめくると食ってる、食ってる・・・・床の板がぼろぼろになっていました。いつもお世話になっている住宅全般メンテの業者さんに電話すると休みなのにすぐに来てくれました。飛び上がる時期はお昼過ぎから夕方までで、夕方になると活動を止めるのだそうです。(官庁並み)だからぼろぼろの板の上に新しい板をかぶせて応急処置をしておけば明日、シロアリ業者に来てもらうまでは持つだろう、とのことでした。シロアリ、というのはどこにでもいて木や壁を食いまくっています。密閉されていて、しかも湿気の多いところ。つまりお風呂場とか洗面所、台所の壁などによく住みついて、年がら年中食べているんだけど、空気中に羽アリが出てこない限り、どこにいるのかわかりません。羽アリとして飛んだものが羽を落としてシロアリとなり、別の場所の住居に住みつくんだそうです。風や光を嫌うので、床下に空洞を作り空気の通りをよくしておくのがいいそうです。が、うちの工場などは100年も前の建物らしいので床下がどうなっているのかもわかりません。木の間を土で固めたりするのも悪いらしいです。そういえば天童荒太の「家族狩り」の中にシロアリ駆除の会社、って出てきませんでしたでしょうか?私の思い違いかもしれませんがその本を読んだとき、「家族崩壊」の物語であるのにシロアリに関するところが一番印象に残っています。もう何年も前に(図書館で借りて)読んだので詳細は忘れてしまったのですがネットを調べても「シロアリ駆除会社」のことはあらすじには一切出てこないので調べようがない・・・だけど、私の思い違いでなければこの本を読むとシロアリのことはよくわかります。(わかっても仕方ないか・・?)とにかく、明日、薬をまいてもらうのを待ちます。えらい災難だ・・・
2007年04月30日
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息子がつかの間の日本での休暇を終わってオーストラリアに帰って行きました。去年同じ時期に空港まで送っていきましたがそのとき、もたもたして入るカウンターもわからなかったのからみるときょうは迷わず、チェックインし、滞りなく搭乗口に吸い込まれていったのは進歩、といえるかもしれません。外国で暮らすのはそれなりに覚悟の要ることには違いないけど、しかし、私たちの若かった時代とは海外の感覚が違いますよね。その昔(昭和40年ごろ)、うちの父がヨーロッパに行ったことがあります。せいぜい2週間ぐらいの予定だったと思うのですがこの世の別れ、みたいな感覚であったのは今からすると笑いものです。でも私たちの若いころでもそんなに簡単に留学はできなかった。今は本当に外国が近くなりました。明日からまた身軽になってもとどおり、2時間はピアノを弾く生活に戻します。あ!ばたばたしていてきのう、スーパーレッスン、見るの忘れたではないか!ぬかった・・・・・スケルツォ2番の後半、見たかったな~~
2007年04月29日
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GWが始まりましたね~~うちは普通どおり仕事ですが、ちかれました~~~さて、再び「貫井徳郎!」この前はあまりいいことを言わなかったのですが、きょうはいいことを。でも、内容は幼児虐待に始まって惨殺事件。暗いニュースてんこもりで、あまり後味のいいものではない。しかし、小説は人の心理ってこういうもんだよな~というのがよくわかる。小説の作り上げ方は見事だと思います。一家4人惨殺事件の夫と妻の関係者がインタビューに答える、という形で進行し、こういう手法は昔の分でいうと有吉佐和子の「悪女について」というのであったように思います。人の証言によってだんだんと被害者の人となりが表れてくるのですが読む方ははじめに出てきた人の言うことを頭に入れてますがところが、後で出てくる人が「あの人の言ってることはでたらめです」というと、本当のことがわからなくなる。つまり同じことでも見方によってこんなにも変わるんだな、というのを今更ながらわからせてくれる小説です。人は体験を話すとき、もちろん自分側の見方しか出来ないわけですが言い訳しながら、自分の不利にならないように話すものなんですね~それはいいとか悪いとかではなく、自然に自己防衛をするように出来ているんだと思います。インタビューに答える人は夫と妻の近所の人や学生時代の友達など、女性の方が多いのですが著者は男性でありながら女性の友達のあり方をひじょうによく描いていると思います。林真理子に「女友達」という短編がありましたがそれに劣らないほど、女性どおしの関係をよく描いてます。ただ、この人のどの小説にもストーカーみたいな人が出てくるのですがそれはちょっと現実離れしてて、やりすぎ(描きすぎ)って思うことがありますが現実にストーカーっていうのがこれほど病的なものだとしたら怖いです。それに幼児虐待も当事者の心理はこの小説でよくわかりますが虐待をしている意識のないものだとしたらそれも怖いです。「永遠の仔」(天童荒太)でもどうしようもない親を持った子供の不幸を見ましたが(私も決して偉そうに言えた義理ではないですが)こういう事件が珍しくなくなっている今の時代に心が冷えます。たとえ子供を救う施設や組織があったとしても当事者の子供の心には親のことが切り離して考えられるわけではありません。どうか子供が犠牲になる事件がなくなるよう、祈るばかりです。
2007年04月28日
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連休前。すごく忙しいです。5月の連休前に納品してくれ、と催促されることしきり。どうやら休みはなさそうです。さて「映画みました!」「ネバーランド」ピーター・パンの誕生100年を記念して物語が生まれたいきさつやその時代を描いたものです。劇作家のバリ(ジョニー・デップ)は公園を散歩しているとき4人の息子と未亡人である母(シルヴィア)(ケイト・ウィンスレット)に出会います。子供たちと一緒に遊びながら夢を持つことを教えていくうち、自らも創作意欲を掻き立てられていきます。しかし、そのディヴィズ一家と過ごす時間が長くなるにつれ、妻のあるバリには周囲の冷たい目が向けられていきます。バリは特に父の死後、子供らしさを失なっているピーターに関心を寄せ、自分の子ども時代のことを重ね合わせながら夢の世界を描いた「ピーター・パン」を書き上げ、初演の日、ディヴィス一家を招待しますが・・・・映画は幻想と現実、大人と子供を交錯させ映像も、劇中劇まで含めて瞬時に入れ替わるので戸惑うところもあります。しかし、イギリスの庭と公園と20世紀初頭の街の風景がセピア色にも見える美しい映像によって終始静かに運ばれ、決して激昂することはないのになぜか、涙を誘ってきます。イギリス紳士のジョニーデップは両手や腰を振り振り歩くとぼけたカリビアン以上に魅力的です。当時のイギリスの上流社会の様式美とも言える衣装やたたずまいの美しさも映画の価値を高めています。いつも退屈な、形式ばった大人の劇を見慣れている人には空を飛ぶ仕掛けも奇想天外だったでしょうし、子供の物語でありながら子供のころに失ってしまった夢を取り戻すように自然に舞台に引き込まれていくその初演を見た人はなんと幸せだったことでしょう。前にベートーベンの第九のときにも思いました。私たちはいろんなものを「すでにあるもの」 として繰り返しの体験をするけど、初めてこれらの上演を聴いた(見た)人はどれほど幸福であっただろう、と。すばらしい俳優陣の質の高い映画です。ただ、おとぎ話の苦手な人にはあまり受け入れられないかも?
2007年04月27日
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4月も終わりに近づきました。新社会人の人たちは初のお給料を手にしたことでしょう。うちも今月から新社会人となった次女がきのう、「お金、置いとくで」といって生活費を置いていきました。これで家計も助かります。ところが・・・・きょうになって息子どのが「財布、なくした」と言ってきました。コンビニのトイレに置き忘れたのですぐに引き返したのですがもうなかったそうです。きのうもらったお金はきょう、無一文になった息子の手に渡りました。だいたい、世の中ってそういう風にできてるんでしょね~~トホホ・・・さて、きょう読んだ本の話。「転生」(貫井徳郎)大学生の「おれ」は心臓移植手術を受けて以来、食べ物の好みが変わったり、急に絵の才能が発揮されたり、聴いたことのないクラシックの曲がわかるようになってきた。同時に、知らない女性の夢を見るようになり、その女性がドナーと思い、遺族に会いに行くのだが、まったくの別人。ではその女性は誰?いったい誰の記憶が乗り移っているのだろう?医学的にはまったく根拠のないことで、単なる思い込み?真相の鍵を握る人物には会えるのだろうか?・・・・・・移植手術のあと別人が乗り移った、というテーマは他の話にもあります。(別の分のほうが面白い小説だった)私はこの人の文体は好まないし、登場人物の誰もあまり好きじゃない。「ドナーを探すな」という脅迫などはなんか稚拙に感じる。だけど、次々と先を知りたくなって一気に読みました。推理小説ではありません。犯人探しの小説ではない。臓器移植のドナー(提供者)とレシピエント(移植を受けるほう)の、両方からの意識を描いていますが踏み込み方は弱いものの、双方の心理を考えたこともない人にとっては問題提起となるのではないでしょうか?レシピエントが葛藤する心理も元気になったという外面だけで判断してはいけないもの。またレシピエントの順位、というものは誰もがあまり考えたことなかったこと。たぶん、実際には医学的な適合性とかその他の問題があるのでしょうがこれはお話ですから、そのあたりはフィクションめいたテーマになってます。全体的には大学生が主人公のロマンスとも医学小説ともつかぬ中途半端な感じは否めないのですがしかし、「移植」というものの問題提起には意義ある作品と思います。
2007年04月26日
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きょうで満1ヶ月となりました。未熟なブログにもかかわりませずご訪問くださったみなさま、応援してくださったみなさま、心よりお礼申し上げます。1ヶ月やってみて思ったことは平々凡々な生活と思っていましたのにこうやって振り返ってみると結構いろんな出来事があり、今まで気にも留めずに過ごしていただろうことときっちり向き合うことが出来るのはいいことかな、と思いました。しかし、ド忘れには参りました。ついさっきまで覚えていたはずの曲名や人の名前映画の題名などが、出てこない・・・・・まるで、試験問題で次の( )の中に適当な言葉を入れよ、と言われているみたいにそこだけが空欄になる。固有名詞もそうですが、普通名詞も適当な言葉がどうしても思い出せなくてよく似た言葉でお茶を濁してしまいました。物事を文章で伝える、って難しいことですね。これからこうやって忘れていくものが多くなっていくとしたら悲しいですね~~きのうのことも忘れているのに、昔のことはやたらはっきりと覚えていたりしてね・・・物忘れと闘いながらもこれからもがんばっていきたいと思いますのでどうかよろしくお願いいたします。まずはこれにて1ヶ月満了のごあいさつぅ~~(チョン、と拍子木の音)
2007年04月25日
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本を整理しようと思い立ちました。自分の部屋やリビングや仕事場にある本をひとところにまとめないと探している本がすぐに見つからないし、持っている本なのにまた買ってきたりしてずいぶん無駄なことをしています。しかし、本を整理しようとすると必ず、途中で懐かしいものに再会して読んでしまうのでなかなか進みません。きょうも以前愛読していたものに行き当たりました。音楽之友社から発行された「音楽との出会い」という本です。これは立原正秋、星新一ら作家串田孫一、片山敏彦ら、随筆家や文学者下重暁子、森本毅郎ら、アナウンサー(キャスター)ほか村田武雄、遠山一行らの音楽の専門家たちも含めた随筆集です。(文献は他の本から抜粋されたものです)音楽の専門家はもちろんですが、それ以外の方々も音楽には造詣の深い人ばかりです。その人たちの自叙伝にも出てきそうな話ですから若き日のその人たちの姿が映し出され、大変興味深い音楽との出会いが書かれています。もとNHKでいた森本毅郎さんの「血」という題の話には兄で音楽家の森本琢郎の周辺に集まってきた人の中にまだ作曲家の卵であるときの武満徹が登場します。これもひじょうに面白いエッセイでした。どれもこれも心惹かれる文章の中でとりわけ印象に残っているのが森瑤子さんの「素朴なラロ」というエッセイです。森瑤子さんは東京芸大のヴァイオリン科を出ています。なぜ音楽の道に進まなかったのか、ということを書いてあるのがこの「素朴なラロ」という話です。(ちょっと長いですが省略しながら引用します)「私(森)は声が悪い。悪声、というのではないが軽率な響きを持つ、つまらない声だと思っている。その人が出す楽器の音はその人の声に似る。であるから、悪い声では困るのである。私のヴァイオリンの音は少し鼻につまったような感じの素気のない、ぼそぼそとしたものだった。声全体にボリュームがないから、レガートでクレッシェンドを重ねていき、フォルティッシモへ持っていくような奏法にいきあたると必ず息が切れてしまい、迫力に欠けるのだった。あるとき、ラロのスペイン交響曲を先生のところへ持って行った。私の先生は黙って聴き終わるとため息をついて言った。『こんな素朴なラロを初めて聴いた』もちろんほめ言葉ではなかった。素朴な、という言葉は良い意味に使われる場合が多いが、ラロの上につけられたらそれはスパゲティをそばつゆで食べるような感じのものだ。ラロは頽廃すれすれの、一歩まちがえば下品になりかねないセンチメンタルなポルタメント。粗野と甘美さ、激情などを臆面もなく表現しなければならない。ところが私はこの臆面のなさが極めて苦手なのである。」この後、気持ちよくレストランで食事をしている最中、生演奏が始まり、「教養と自意識とが邪魔をした無味乾燥なハバネラ」を聴かされる場面があります。自分の素朴なラロと無味乾燥なハバネラは良い勝負だ、と、それをわからないで拍手を送る聴衆にも腹を立てます。私の下手な解説を入れるとこの文章が無味乾燥になるので止めておきますが音楽に関わっている方々は森瑤子さんの文章のいたるところにそれぞれの思いを持つところがあるのではないかと思います。私はこのエッセイをひじょうに面白く読み、印象に残っています。私も(まったくレベルが違うのですが)「素朴なラロ」のようなことをいつもやってます。臆面もなく感情を表現する、ということが恥ずかしいのです。人に自分の気持ちを切々訴えるとことが出来ない者は音楽には向かない、と思います。自分の気持ちを音に託し、人に訴えてこそ、自分も気持ちが安らぎ、生きていて良かったという満足感が出てきます。そのために音楽をやる・・音楽をやる、ということは訓練であり、日々黙々と地道に努力すべし、というだけでは音楽本来の意味からしてまちがっているようにも思います。自分を慰められず、人を慰めるわけがない。しかし、技術とか感性とかいうものは鍛錬の賜物である、とも思っている。ここに大いなる矛盾があるように思います。たぶん、私にはこの矛盾は永遠に解けません。それでも一生の課題、とばかり、ずっとピアノをがんばっていくのでしょうが・・・
2007年04月24日
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先日ブログで知り合った吹奏楽をやってる高校生さんが「将来は吹奏楽部の顧問になるのが夢です」と書いてました。いいですね~~青春。がんばってほしいです。胸がいっぱいになるほど懐かしい時代です。私もそのころ、バンドの指導者になるのが夢でした。昭和52年、大学を卒業し公立高校の教員となります。赴任した学校は新設高校で、まだ2学年しかありません。それでもやりたいという生徒が5~6人集まってきてそれから部員集め、楽器集めが始まりました。楽器を持っている、という噂を聞くとその人のところに借りにいきます。1年たってどうにか格好がつき、文化祭で演奏しました。しかし、まだない楽器も多く、練習しているとメロディのないところがあります。じゃ、ここはフルートがメロディやって。などと他のパートの分まで書き足し書き足ししてやっと曲ができる具合です。一番時間をかけたのは基礎練習です。ロングトーンで各調のスケール。そしてハーモニーの練習。まずバスパートが根音(ド)を鳴らします。その上に各パートのトップが5度上の音(ソ)をきれいに響くように置きます。そしてセカンドパートが3度(ミ)の音を入れるのですがこれは澄んだ響きになるように調節しないといけません。管楽器は吹く人が音程を調節します。よほど耳をよくして響きを聞き分けられるようにしないときれいな響きが得られません。3度のミの音はほんのわずか正規の音よりも低く取るときれいな響きになる、と教わってましたがそれも実際に耳で聞いて訓練しないと響きの良さは出てきません。来る日も来る日も“ド~・ソ~・ミ~(またはミ♭)”“ド~・ソ~・ミ~”ばっかりやりました。そんな風にして3~4年もたつと校内で演奏会が出来るようになりました。しかし、そんなときに産休&育休を取ってしまったのです。1年たって復帰しましたが、何故か学校の様子はガラリと変わっている・・・新設高校として未熟だがどこか開拓精神に満ちた気風が学校から消えてしまっていつまでも創設当時のつもりでいる私は浦島太郎状態でした。クラブも後任の人がいて「戻ってきたからどいて」とは言えません。それで合唱部をやってましたがとなりで、吹奏楽の練習を聞きながらクラブの様子も様変わりしたことが寂しかったです。20代で音楽を教える仕事は終わりました。あれほど夢を持っていたバンドに未練がないわけではありません。しかし、私のように不器用な者がバンドをやりながら家庭生活も円満にやれたわけがありません。それに自営業という比較的自由の利く仕事になったからピアノも、他の趣味もできるようになりました。これでよかったのだ、とつくづく思います。
2007年04月23日
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いい陽気になってきたと思ったのに今日は雨。雨の日の娯楽はパチンコ。などというのはもう一昔前のはなしでしょうか?最近はまったく行かないのでパチンコ事情などもわかりません。今から20~30年ほど前はよく行ってました。大きなお金はかけません。入り口にある玉替え機で300円買うと両手にいっぱいになります。台の横に玉を買える仕掛けがついたのは最近です。手打ち、という時代も知ってますが私がやってたのは電動(この言い方が古い!)になったころです。一つ入ればチューリップが開き、次に入ると閉じる、という極めて単純な仕掛けだった時代です。今は止めてます。ひとつには恥ずかしながら、機械の遊び方がわからないこと。もうひとつは一瞬にして大金が消えるようになったことです。今のパチンコに慣れている人にはじれったいでしょうがチンジャラジャラ、というのんびりした音のする、のどかな遊びであったように思います。昭和40年ごろ、日本の吹奏楽の発展に大きく貢献したアメリカの作曲家&編曲家のポール・ヨーダー氏が来日しました。日本のパチンコを見てこんな遊びがあるのか、と驚いたそうです。それで作った曲が(そのままですが)「パチンコ」たまにどこかの定期演奏会のプログラムになってますがいまではポール・ヨーダー氏の聞いたパチンコの音もすっかり変わってしまって今の人には「これはパチンコではない」と言われそうです・・さて、そのパチンコ業界を詳しく描いた小説が渡辺容子さんの「無制限」(渡辺容子さんのブログに行くと今もパチンコのことが詳しく書かれておりますが縦書きの枠組みでヒジョーに読みにくい・・・・)離婚寸前で調停書にサインしてくれるはずの夫が失踪した。なんとしても夫を見つけないと次の結婚が出来ない。すると郊外のパチンコ屋で見かけた、という情報があり、初めてパチンコ屋に入り、毎日夫を待つ。やがて元夫の手がかりを次々と掴むがだんだんわかってくるパチンコ店の悪事。ついにつぶれたパチンコ店の中で危機が・・・・パチンコの専門用語はいっぱいだし、パチンコ業界のこともよく取材されてかかれてます。それにパチンコに集まってくる人にそれぞれの事情があり、そこで描かれる人間模様も面白いです。作品としては江戸川乱歩賞を取った「左手に告げることなかれ」のほうがずっと有名でこの作品はあまり注目されてないですが、なかなかの力作です。私は面白く読みましたが・・・そうそう。途中でパチンコ屋に来るのを止めたおばあさんがいるのですが、その人が「年寄りが少しのお金でも遊べるように以前のヒコーキ台を復活してくれ、」という陳情書を書いてます。ヒコーキ台、というのは今の数字が合う(777とか)台ではなくあるところに玉が入ると中央の羽が連続して開いたり閉じたりして玉を吸い込んでいく仕掛けのことです。チューリップが開くのを少し電化(?)したもの。私もこのおばあさんの陳情書には同意します!パチンコは小市民の娯楽でないとね~~
2007年04月22日
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先日帰って来た息子どの。1年もいたのに英語はさっぱりしゃべれないようなご様子。いったいどうやって暮らしているんだろ?シドニーの食事事情はどんなのか?と訊いても「ここと変わらん」「何でもある」とのこと。お米もお味噌もスーパーで売っているらしいです。でも日本のものは高いのだそうです。カレールーが一箱(日本円にして)500~600円ぐらいとか?ふりかけ(のりたま、みたいなの?)が400円ぐらいするとか?回転すしもあるけど、一皿300円ぐらいとか?(行ったことはないそうです)日本食よりも韓国物の食材のほうが充実してるようなことも言ってます。なんにせよ、シドニーは国際都市で、なんでもありい、って感じです。少し田舎に行けば壮大な景色も眺められるのでしょうがエアーズロックに行くにはシドニーからかなりお金がかかるのでビンボー異邦人では行けない、と言ってました。オーストラリアは大きすぎます・・・私なんか北海道でもどれほど大きいか、と思っているのに・・・さて、今日の昼、たまたまTVをつけると教育TVで「スーパーレッスン」の再放送をしておりました。ルイサダ先生のショパン、スケルツォ第2番です。この曲は大学での最初のレッスンのときに持っていった曲です。コテンコテンにやられました。レッスンの後、泣きながら練習室にこもって弾いたことを覚えています。きょうもTV見てて、最初の音の出し方からなってないのを再確認。叱られて当然でした。いろんな解釈があると思いますがこの曲が壮大なドラマ性、それも悲劇性を持っている、という指摘は目からうろこ、という気がします。そう考えると音の一つ一つを開放的な音にしないため、手を上にはねない(上げすぎない)ように、というのは納得がいきます。音の響きを内にこめるのですね。弾いた後の手をどのぐらいの高さに上げるか、によって音の響きが違う、というのは言われてみれば当たり前なのですがひじょうに無神経に弾いてました。そして、「ピアノに近づきすぎて弾くと自分の響きが聞こえないでしょ?常に音の響きが聞こえる位置に体を保っておくことが大切です。」ということも、大事なことなのに今まで気を遣っていなかったです。鍵盤にかぶりつくように弾いてる、ってことありますよね?「諧謔」というのは「面白いシャレや冗談、ユーモア」と国語辞典に載っています。スケルツォを「諧謔曲」というのは勝手に「飛び跳ねて楽しく弾く」と思っていたのですがそうでない曲もあるのですね。この曲は全体を「内にこもるメランコリックさ」で統一した方がいいように思います。最初の部分を音域広く、自由に飛び回る、というのでは曲が軽くなります。この曲を軽く流して演奏するピアニストもいます。だけど変ロ短調、という調性を考えるとメランコリックなほうが合うように思います。そういう曲にするためにはどういう手の形にするか、というのを繰り返し指導していたように思います。録画してあるものをよく見て、できればこのルイサダの解釈でもう一度この曲を弾いてみたいです。(この歳で弾き通せる体力があるだろうか・・・?心配・・・)きょうは前半の部分でしたので来週、この曲の後半があります。来週の土曜日、もう一度この曲について書きたいと思います。
2007年04月21日
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このところ、ピアノは進展もなく同じプログラムです。セヴラックの譜読みがやっとできたところ。本当に心地よいハーモニーですが自分自身の癒しとなるにはまだまだ弾きこまないと~~きのう中学校のときの話をしましたが思いが昔にとどまってしまったのでもう一度昔の話をします。今はCDもふんだんに発売され、輸入物もたやすく手に入り、またいい音質で音楽が聞ける機器も増えましたが私たちの子供ころはレコードもあまり発売されてなく、まして田舎のレコード屋さんにクラシックなどはなかったです。ですから(今じゃ信じられないかもしれませんが)学校の音楽の授業でレコードを聞かせてもらうのはとても楽しみでした。そして「チゴイネルワイゼン(サラサーテ)」を聞けば「わ~~~~すごくいい!」「新世界より」を聞いても「サイコ~!」と何にでも感激しまくっていた時期でした。どんな曲にもワーワーキャーキャー「ステキ!」を連発していましたがその中でちょっと変わった印象を持ったのが中2のときに聞いたピアノ曲「子供の領分」という曲です。先生が、この曲を理解するには時間がかかる、というようなことを言って聞かせてくれたように思います。それまでの曲とちがってメロディーがどういうのかよくわからない。境目がよくわからない、といったらいいのか、ぼんやりとした印象の曲が流れていきます。だけど、全体の印象は遠くの世界に連れて行かれるような、夢を見ているような感じで、すごく不思議な感覚です。それでその異次元の世界に浸りたくてレコードを探しまくり、出会ったのがモラヴェッツ、という人の演奏した45回転LPという、今じゃ絶対にお目にかかれないようなレコードでした。「子供の領分」(ドビュッシー)は自分の子供に聞かせるために作曲したもので1、 グラドゥス・アド・パルナッスム博士2、 象の子守歌3、 人形へのセレナーデ4、 雪は踊っている5、 小さな羊飼い6、 ゴリウォークのケークウォークという6曲からなるピアノ曲です。1曲目のグラドス・アド・パルナッスムとはクレメンティという人がかいた練習曲集のこと。練習曲を「博士さまさま」とあがめて始めは真面目に練習を始めるのですが退屈になって自分で自由に(つまりアドリブ)曲を展開する、という曲。2、3、5、6はお人形のお話。どの曲も幻想的でかわいらしくて何回も繰り返し、繰り返しレコードを聴きました。今ではたくさんのCDが出てますのでいろんな人のを聴き比べることが出来るのですが私は最初に手に入ったモラヴェッツ(1930年、チェコの生まれ)の演奏が一番好きです。グラドス・アド・パルナッスムをゆっくり始めるからです。最初からすごくテンポ速く弾く人が多い中でこの曲はすこしゆっくり目に始めて欲しい。で、だんだんと自由に動き回る世界に入っていってほしい。フランス物はドビュッシーもラヴェルも、フォーレも異次元の世界に連れて行ってくれます。フランスの音の響きって本当に不思議です。パステルカラー、といえばいいのだろうか・・・ドイツ物はたいてい現実的です。建築物のようなつくりをしてます。いつかそれらの音楽が生まれた国の風景をこの目で見てみたいものです。
2007年04月20日
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ブログ散歩しておりましたら「ああ~ブログってどうやって面白く書けばいいのやら~~」という最初の文章が目に入り、そういう素直な気持ちを言う人っていいなあ・・・と思い、訪ねてみるとなんとクラリネットをやってるお嬢さん。(高校生かな?)基礎練習、とかロングトーンとか健気に練習しているご様子で、あ、そういえば私もそんな時代があった、と懐かしくなりました。私もかつては中学、高校、大学と吹奏楽やオーケストラでクラリネットを吹いていました。ピアノよりずっと好きだったかもしれない。なんせ、仲間がいるからね。あのピアノの孤独な立場と違って、オーケストラの曲の中でソロを吹くときにはみんなが応援してくれている気持ちになり、ピアノではいつも惨めな結果に終わっている私もオーケストラのソロでしくじったことはあまりなかった・・・(様な気がする・・・)しかし、その私も中学、高校はひじょうにヘタクソでした。ただ、態度がデカいのでリーダー的存在においておかないとうるさい、ということでリーダーを務めていましたが実際にはすごくヘタ。満足に音も出なかったのです。だけど、クラブという活動はすごく好き。これが自分の青春そのもの、と歌の文句みたいなことを今も思ってる・・・・。そして運よく大学のオーケストラでクラリネットの地位にありついたのですがここに入ってから上手い先輩がお手本になったためかまた個人で習う機会に恵まれたためか、熱心に指導してもらったおかげでヘタクソでしかたなかったのがちょっとましになりました。そしてある雑誌でクラリネット奏者の村井祐二さんが「クラリネットの魅力、それはそれを吹く男の魅力」という(キザな)文章を書いていたのに一目ぼれし、そのころ住んでいた広島から大阪までリサイタルを聞きに行きました。そこで聞いたプーランクのクラリネットソナタに衝撃を受けます。よし!これだ!と運命的と思われるほどのこの曲との出会い。すぐに楽譜を買って練習を始め、レッスンに持って行くと先生もこの曲がたいそうお気に入りの様子でこれを選んだことをほめてくれました。(演奏はほめたかどうか・・?)もちろん、素人のレベルでですが自分にすごく合ってた曲だった、と思います。今でもこの曲を聞くと心ウキウキします。プーランクは近代フランスの作曲家でリズミカルで不協和音いっぱいの、JAZZっぽいところもありますが緩徐楽章(ゆるやかにうたうところ)ではひじょうにメランコリーな旋律が印象的です。たぶん、だれもがこのけだるく甘い旋律に魅了されるはず。ピアノ曲にも素敵なものがありますがそれはまた後日ご紹介。高校生さんのブログで自分の懐かしい時代を思い出してしまいました。
2007年04月19日
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「映画見ました」韓国映画の「大統領の理髪師」まったく予備知識なく見た映画なのですが1960年あたりからの韓国の政治背景を知っていたらもっと楽しめたのに、と思います。ひょんなことから大統領専属の理髪師となってしまったソン・ハンモは一般庶民の域を越えず、誠実に、謙虚に勤めていたことが仇となって一家を悲劇に陥れます。政治風刺をひじょうに上手くユーモラスに描いている部分がいくつもあるのですが政治背景に疎い私はいちいち出来事を理解するのが遅れるので、これは映画を見るほうの問題でした。しかし深刻な状況を笑いで紛らすところあり、サービス精神もいっぱいでかなり優れた映画と思います。だけど、結局は政治情勢が不安なので何もかもがハッピーエンドとはいきません。それでも映画を後味悪く終わらせないだけのエピソードも入ってます。なにより、この映画を撮ったのが30代の若い監督でしかも第1作目でこれほど優秀な作品を作るとは驚きです。新人監督だからタブーと言われた軍事政権下の韓国を描けたのかもしれませんが。そして主役のソン・ガンホ(殺人の追憶)が上手い。黙々とただの市民、普通の父親をやってます。それからこどもなのにスパイ嫌疑で拷問にかけられた子供を演じているイ・ジェウンも上手い!だいたい子役というのはどの映画でも人気を浚いますがこのイ・ジェウンもちょっととぼけた感じをよく出してます。映画としてはまだまだ未完成の部分が多くちょっと見るほうが落ち着かない気持ちにさせられるところがあるのですがレビューを読むとこの映画を高く評価する人も多いみたいでこれからのこの監督の作品が楽しみです。というわけで・・・きょうはこのDVDを見たためにピアノ弾かなかった・・・反省。
2007年04月18日
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今日も「親子」を題材にした映画の話しをしようと思っていたのですが、ピアノのお友達から「ピアノで歌う、ってどういうことだと思います?」って訊かれたのでそのおはなしを・・・・「歌う」っていうのは、簡単に言えば気持ちが高揚すればfに向かっていき、引いていけばpにするということです。これで半分ぐらいは目的を達せられますがそのf、pが流れるようにつながってないと歌に聞こえない。つまり曲線で描くf、pが歌う、ってことと私は思います。だけど、これをどんな音でつなげるかっていうのが難しい・・・先生からしばしば「たまらなくええ音で弾いて」と言われますがどうやったらたまらなくいい音がでるのか、またどうやったら悲しげなとか、楽しげな音が出るのか・・・・、どんなジャンルでも「気持ちだ!気持ち!」って言います。気持ちを持つことは大事なんですがかなしいかな、私は気持ちだけでは頭で考えた理想の音がいつまで経っても指に到達しないのです・・・。そこでそのフレーズを弾くのにふさわしい体の機能の使い方、つまり指を上げる高さとか速さ、手や腕や肩の筋肉の使いかたなど、学ばねばならない、とおもうのですがどんな動きをすればどんな音が出るかを小さいころからしてるかしてないかがまるっきり趣味の人とプロを目指す人の大きな違いかな、と思います。教育TVでやってた「スーパーレッスン」なんか見てますとプロは常に七色の音が出てます。ちょっと手の動きを変えるとがらりと表情の変わる技があります。七色の音なんて夢のまた夢の話ですがしかし私もどういう運動でどういう音になるのかほんの少しでも試行錯誤していきたいと思います。セヴレックの「休暇の日々から」の練習してますがこれは音が単純なのになんともいえない心癒される響きを持っている曲です。特に第1曲の「シューマンへの祈り」はシューマンの子供の情景のパロディとも言えるような音楽ですが(おちょくってる、という意味ではありません)シューマンみたいな、グリーグの「叙情小曲集」みたいな懐かしい響きがします。これは中級程度のものでそう難しくないのでもっとたくさん教材でとりあげてほしいな、と思います。
2007年04月17日
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「東京タワー」の映画が公開になりました。時間があれば行ってみようかな?と思うのですが・・原作を読んだのは去年の今頃だったと思います。リリー・フランキーは女性だと思っていたほど、この人については何も知らず、せいぜいタレント本だろうと思いながらも話題の本なのでいちおう読んでおこう、という気で読んだのですが、予想を裏切るいい読み物でした。とりたてていうほど奇抜でも特異でもない話です。誰にでも覚えのある子供を取り巻く世界。特にほぼ同じ時代を生きてきた私には昭和の時代の持っている色までよくわかる。親にお金を出してもらってもさして勉強もしないで遊んでばかりいる子供も珍しくはない。仕事をするようになりどうにか食べられるようになって親を呼び寄せ、近くに来るとその親が疎ましくなる気持ちも、病気がわかった親を思う気持ちも何もかも普通のことです。それを特別難しい言葉を使うわけでなく、飾りなく語られていきます。特別かけ離れた世界の話ではないから子の立場、また親をしてる人は両方の立場で自分はどうなのだろう?と親子関係を思い起こさせられます。隙のない名作、という小説ではなくたぶん、読む人が誰も考える幅がある小説・・・・ということはやはり名作のうちなんでしょうか・・?
2007年04月16日
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きょう、息子のまーがオーストラリアから帰ってきました。月末にはまたむこうに戻るので一時帰国です。まーは1年前のちょうど今頃オーストラリアに行きました。国内さえほとんど旅行したことがなく大阪の道にも迷っていた者が突然オーストラリアに行く、と言い出したときには「?」が10個以上つきましたが。それまでの平坦な道を一度変えてみたかったのか?と推測もしますが胸中はわかりません。ホームステイで他人様のご飯を食べさせてもらい、アルバイトもして得るところも多くあったと思いますが見た限りでは何も変わってないように思います。どころか、食卓に同じ位置関係で座っておりますとこの1年の空白なんかはなかったがごとく感じられます。本人もわずか1日で南半球の異国の生活からもとの位置に戻ってみるとどちらが現実なのか、不思議な気持ちになっているのではないでしょうか?「(海外の生活で)会得したもの」なんていうのは遠い将来、何かの折に出てくるかもしれませんが親の我々はたぶん、一生見ることがなく終わるのでしょう。そういえば市内の会社に勤めていたときも息子の会社員としての顔など見たことがなく親というのは本当に子供の一面しか知らないものだなあ、と思います。でも、自分もそうだったのでしょう。子供には子供の人生があり、特に大きくなると親と関わる部分も少なくなっていきますが小さいころ親が占めていた位置に友達や、出会う人や、もしかしたら将来の家族を一杯詰め込んで欲しいな、と思います。親を考える部分は親が元気でいるうちは少しでよろしい。私は子供が占めていた位置に自分の趣味を目いっぱい詰め込みます。といえば子供たちはきっと「お母さんは昔からずっと趣味ばっかりしてるで」と言うでしょうが・・・・。しかし、少なくとも世話する家族が増えた分、ちょっとピアノの時間が少なくなりました。でも、たぶん、そのうち息子などいないがごとく、自分勝手にピアノを再開することでしょう・・・・・
2007年04月15日
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前にセールスの電話の話をしましたがあるとき、着物リサイクル業者からの電話がありました。いつもは一言で切ってしまうのですが5年前に亡くなった義母の着物がそのままになっていたのでつい、話を聞いてしまいました。リサイクルしてくれるのなら有難い、と思ったのですが引き取るだけではなく、新しい着物を持っていくのでそれと交換だというのです。いくら親切な業者でも古い着物1枚が新しい着物1枚に替わるわけはない・・・たぶん、古いのを頭金に、高いものを押し付けられるのではないだろうか?という感じがして止めました。本当はどうだったのかわかりませんが・・・・・さて、先日セントレア空港に行きました。その一角で「絹彩画」というものを展示してそこで教室も開かれてました。布を張り合わせて絵を作る、というものですが、生地の模様が生かされてなかなか味わい深い風景画がずらりと並べられておりました。何事にも興味津々かつ美人に弱いモォおっちゃんはそこの指導者らしき女性になにやら熱心に聞いております。おっちゃん、教室にでも入るつもりかな?と思っておりましたらやがて名刺をもらって戻ってきて、うちにある古い着物を送ってくれればいい、と言ってる。と言います。あの後そのままになっていた着物のことを私は忘れていたのですが使ってくださるというのは有難いこと。帰ってからすぐに送らせてもらいました。そしてきょう、着物が着いたお礼状に添えてポストカードとカレンダーが届きました。義母の着物がどこかの風景画の一部になって生かされるとしたらこんなにうれしいことはありません。絹彩画の製作をされている前野節さんのHPです。http://www.kinusaiga.com/一度ご覧になってみてください。きのうから仕事がかなり忙しくなってピアノの時間が取りにくくなってきました。もうひとつピアノを阻む出来事がありますが続きは明日に。
2007年04月14日
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レッスン、行ってきました~~帰ってきて時計を見てびっくり。なんと3時間も先生のところにいました。習い始めたときはせいぜい1時間だったのですがだんだん延び延びになって今は2時間以上になります。その間ずっとピアノを弾いてるのはなくて半分ぐらいはおしゃべりなんですがそれが楽しい・・・・先生は68歳になられますが年に1~2回は海外旅行に行かれてそのお元気なこと・・・私の横でバリバリ弾かれると、私も年のせいには出来ないなぁ、って思います。今回はフランスを旅して来られたのですがスイスの国境近くまで電車で行って田舎の風景を眺めてこられたそうです。ふーもフランスの風景、見たい!そしてノートルダム寺院でミサを見られたそうですがその歌声のすばらしかったことを話してくれました。教会の中で聞く歌声は荘厳そのものなんだそうです。「コーラス」の映画の中の音楽も同じようなものだったと思うのですが一度でいいからそういう響きを聴きたいです!で、私のピアノなんですが悪いところもいっぱいありました。でも「壊れたレコード」みたいに練習したところは出来てたからやっぱりじっとがまんの繰り返し練習は効果あるんだ、と思います。バッハは持越しです。でも、フォーレは出来てないところいっぱいなのに今回で終わりました。「今はここまで」と言われました。もう少し長く弾いたら弾けるようになるところもあるかと思うのですが「こんな難しい曲は一回では無理」「課題は残しておくもんやで」と言われるので、数年寝かせておいて他のものを勉強し、またここに戻ってきます。持ち曲にする夢は破れ、また「ネコふんじゃった」状態が続きますが何年かかってもいつか必ずこれをレパートリーにしたいと思います。それで・・・・「次何やる?」と言われて・・・答えたのが「セヴラックの休暇の日々から」。(またマイナーな名前が出てきましたね~~)仕上がってもないのになんで次の曲を問われてすぐに言えるか、というとこれもピアノ弾きの常ですが何かやってても「次、何しよ・・・」と考えているもんなんです。で、もし先生が「じゃ、、もう一回これやりましょう」と言われたらそれに従うし、「これは打ち切り!」と言われたらでは次、○○を、と申し出ます。学生さんなら先生が一方的に曲を決めますが私みたいに年寄りになると希望を聞いてもらえます。今からできる曲はそんなに多くない。限られているのなら好きな曲をやりたいです。セヴラックはドビュッシーやラヴェルと同じぐらいの時代のフランスの作曲家ですが知られていません。「休暇の日々から」というのはひとつひとつユニークな題名のつけられた8曲の小品からなる曲集で、技術的にはフォーレより負担が少ないですがすごくおしゃれで、センスを問われます。また新たな挑戦が始まります。
2007年04月13日
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桜も葉が出てきましたね。また来年の春までお別れです。桜が姿を消すと他のいろんな花が顔を出します。もうあと1ヶ月で咲くアジサイのつぼみを見ているだけでも幸せ~~とうとうレッスン日が明日に迫りました。今回は3週間も開いていたのにあっという間に過ぎてしまいました。もう少し時間があったらなあ・・・と思うものがあると本当にすぐにやってきます。子供のころは1週間に一回だったし、遊び半分だったのでレッスンにいくぞ~~!と気負ったことはまったくありませんでした。中学校に入り、吹奏楽をするようになってからはもっとピアノをがんばらなくなりました。それでも続けてきたのはなぜだったのでしょう・・・?やたらと年数ばかり経ったなあ・・って思います。もっと早くに真剣に取り組んでおけばよかった、といつも思うのです。だけど、ピアノにばかり執着してなかったおかげで学生時代、吹奏楽やオーケストラや音楽だけでなく、大好きな古典芸能に目を向けることが出来ました。古典芸能、っていうのは歌舞伎、日本舞踊、文楽(落語も、かな?)などですがそれらの「間」は日本のものも西洋のものも同じです。また劇、というのと音楽の作りもよく似てます。文学とか絵も同じかな・・・・・作品、というものはみな共通するものがあるように思います。フィギュアスケートとかシンクロもピアノに通じるものがあるのでよく見ます。知識、っていうのも必要だけど、いちばん大事なのは「いいなぁ」とか「面白いなぁ」とか感じる心だと思います。感じる、っていうのは誰から指図されるものでもなく、自分の心の底からわいてくる気持ちです。これがいっぱいあればあるほど、人生楽しいだろうな、と思います。感性を育てる、なんてのはどうしたらいいのかはわからないけど、まず、人や物にたくさん出会うこと、かもしれません。レッスンは自分が上手く弾けるかどうかもありますが、それ以上に先生に何を言ってもらえるだろうかというのが楽しみです。先生から出来るだけたくさんのことを受け取らなければならない、と思うと上手く出来なかったことも自分にとってよかったんだ、と思うことにしてます。いろいろの刺激を受けに、明日、行ってまいります・・・・
2007年04月12日
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きのうは「ピアノ」の話に終始しましたがやっぱり、テーマは決めず、ランダムに話題を進めていこうと思います。でも、半月を過ぎた今、なんか、まとまったコーナーを作るのもいいかな?って思ってます。それで早速、きょうは「映画みました」のコーナー~~(今までもいくつか書いてきましたが) 「ラブ・アクチュアリー」さまざまな9つの愛のお話。夫婦の愛、親子の愛、友情、不倫・・・・クリスマス前のいくつもの話がばらばらに展開されていきます。見ていてどれがどれだかわからなく、ありきたりの話とか、お下品な話とか、半分ちょっとで止めてしまいました。ですが、評判がいいというので再び見始め、最後まで見ました。ばらばらの話が、最後、クリスマスの日にひとつにまとまる・・・映画の常套手段かもしれませんがそれが上手くできてる。映画の作りは風刺(イギリスの何とか首相みたいな)も多いけど、おしゃれで、大真面目にコメディをやってる・・・俳優さんたちもヒュー・グラント、リーアム・ニーソンほかしぶい名優ぞろいです。中でもローワン・アトキンソン(Mr、ビーン)がすごくいいところに出てくる。軽いタッチのおしゃれな映画ですが、見た満足感というのは・・・う~~~ん・・・(もうひとつ)(オススメ!、でなくてゴメンね・・・)きのうもコメントに書いたのですがピアノやってる人、ってわりと「ダメだ、ダメだ」って言ってる人が多いんです。みんな反省の日記が多いです。私もかなり愚痴っぽいし・・・でも、コメントにいろいろ書いていただいてるうちにいろいろな意味で、ピアノをやれる、挑戦できる、ってことに感謝しなきゃ、という気がしてきました。今頃気がついたのかよぅ、と言われそうですが応援してもらってピアノをやれるのは幸せなことです。でもやっぱり少しでも上を目指してやっていかなければいけないのはもちろんです。上達はそうたやすく手に入るものではありません。それに目に見えるものでもありません。自分では、結果を気にするよりも地道に努力することが一番大事だと思います。きょうはそうやって前向きに、やれる幸せをかみしめるふーでした~~あ、それから、もうひとつ、コーナーを設けました。「ここがききたい」のコーナーきのう、「ヘミオラ」のことを日記に書いたのですがふーはよくわかっていません。音楽学に詳しい方、どうか教えてください。「ヴァルスカプリス1番」にでてくる音型がヘミオラでいいのかどうか・・それと、前にわからないことがあってネットで訊いてみるとすぐ回答をいただけた、ってことがあるんですね。このブログを見ている方で日ごろ聞きたいと思っていることなんかがありましたら書き込みしてくださいね。このブログの優秀な読者の方々がお答えします、かどうか・・・(探偵ナイトスクープか・・・?)「ここがききたい」コーナーをみなさんで利用してください。
2007年04月11日
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きょうは、「きょうのピアノ」というテーマを選択してしまいましたのでピアノのお話のみ。だけど、晩御飯が遅くなってわずか40~50分ほどしか練習時間がない・・・この中でバッハ「フランス組曲」全部は無理だからブーレ、ルール、ジーグのみ。きのう、100回、の話を書きました。100回に届かなくても繰り返ししてたら指が覚えてくるはずなんですがこのごろ、指が覚えてくれません。「しょうねがはいってない!」としか言い様がない・・・本当は歳のせいにしたい・・・ジーグを繰り返しやってたら壊れたレコードになった気がしました。(このごろ、レコード、を知らない人も増えてるそうですが・・・)この間、ブログでバッハの曲のテーマは「ウォーリーを探せ」感覚だと書いてた方がいてう~~ん、いかにもそうだよなあ。と思いました。ジーグもテーマをしっかり掴むのが肝心。右と左とどちらに意識が行くか、で曲の印象が変わります。さて、もう1曲のフォーレの「ヴァルスカプリス第1番」最終の右手は(小節内の)2拍目からの3拍子を左手は1拍目から3拍子を。この左右バラバラができたらこの曲はいいことにしよう、と先生に言われました。それと3:2・・・・・つまり四分音符6つの間に2部音符が3つ(音符を表そうとしたのですがエラーになってしまいました。わかりにくくてすみません・・・)という対比をヘミオラ、というそうですがこの曲には右手だけ、または左手だけで3:2の2声部を弾くところがあります。難関ですぅ・・・それに小節内どころか、1拍ごとに転調?臨時記号の応酬。歳を取ると7分~8分の集中力さえ難しいのですが・・・そんな泣き言を言ってないで、がんばります・・・
2007年04月10日
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4月になりにわかに仕事も忙しくなりました。きょうも朝から催促のFAXや電話。きのう休まずに仕事をすれば慌てなくてすんだのにとちょっと反省。仕事場にはよくセールスの電話が入りますがモォおっちゃんは忙しいときでもきっちりと電話の応対をします。「もしもし、社長さんはいらっしゃいますか?」「ここの社長、逃げましたんや~~、私も社長探してまっけどあんた、知りまへんか?」「もしもし、家庭教師のご案内ですが、おかあさまはいらっしゃいますか?」「私のおかあさん、5年前に死んだんですわ」 (確かに)「もしもし、融資のご案内ですが」「うちとこは萬田金融にお金借りてるから大丈夫だ」(ミナミの帝王の見すぎやろ)「もしもし、リフォームの件でお電話しているますが」「今だれもいてしまへん」(ほな、あんたはだれやねん?)という( )内のような突っ込みもせずどれも電話はすぐに切れます。おっちゃん、電話で遊んでんと、仕事しいや。忙しいんやで・・・・きのうは調子悪いお話で心配してくれた方もいて申し訳なかったですがしかし、調子はいい時よりはよくないときの方がずっと多いのです。たまによいときがあると先生に「きょうはどしたん?」と言われます。だから悪いのが当たり前で、落ち込まずに弾こうと思います。まず100回やりなさい。100回やってから考えなさい。と書いてあった本がありました。よいか悪いかはやってから決めなければならないですね。きょうはフツーでした。フランス組曲、というのはどうしてそう呼ばれるのかはわからないらしいです。でもバッハにはフランス組曲、イギリス組曲、パルティータ(ドイツ組曲とも呼ばれます)というのがどれも6曲ずつあって、それらは性格を異にしてます。どれも同じようにアルマンド、クーラント、などの舞曲からできてますがその性格がちゃんと分類されているのは見事としか言いようがありません。フランス組曲は1曲の演奏時間も短く、優しい感じに仕上がっていますのでラモーなどのフランスの様式を真似たものと思っています。曲はおしゃれで、羽のように軽い感じに弾きたいです。宮殿で踊っているように弾きたいです。でも、今のところ、ふーの弾くのはまだ羽は生えていません。衣装もドレスじゃない・・・・明日はもっと軽くなればいいな、と思います。
2007年04月09日
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今日はお休み。ちょっとだけ家事をしました。四角い部屋を丸く掃くような・・・お昼に教育TVで植木等の特集をしていました。今じゃクレージーキャッツ、なんて知ってる人も少ないでしょうがあんなおバカな歌をやってましたが本格的ミュージシャンの集団です。クレージーキャッツみたいなバンドを目指してドリフターズが出来ました。みんなみんなミュージシャンです。「スーダラ節」や「ホンダラ行進曲」の後ろでワォワォ言ってるだけの人たちと違うのですが音楽の実力の裏づけがあるからバラエティ番組も手を抜かずにやったのかな、と思ったりします。「無責任時代」のシリーズは今の「釣りバカ」につながってますよね・・・全身全霊で楽しませる仕事をしている人たちの存在は私にはなくてはならないものです・・さて、今日のピアノ。ほぼ毎日やってて、調子のいい日と悪い日があります。(もちろん悪い日のほうが多いですが)それは弾く前にはわからない。やりだしてなんでこんなに悪いのかな?と思う。特別気分の悪いことがあったわけでもなくおっちゃんとけんかしたわけでもない。だけど、すごく悪い日があります。きょうは悪い日でした。のらないし、いくら用心深くやっても違うキーを叩くそういえば・・・先日、桂枝雀の「地獄八景亡者戯」のDVDを買いました。CDがあまりにも面白かったのでDVDが見たいと思っていた(と前にも書きましたが)のですが・・・実は評価にも「いいよどみが多く、大盛況だった東京歌舞伎座やサンケイホールのときほどよくない」とかかれてありました。確かに、見てみると言い間違いは多いし、途中で、誰がしゃべっているのか、自分でもわからなくなっているのです。自分で自分の間違いを突っ込んでいました。で、私が思うに、最初のつかみで笑うべきところ、お客さんが笑わなかったのです。それにTV番組として録ったものだから枕がなくいきなり話に入ってる。そういうちょっとしたことが話を進めていくのに「何かいつもと勝手が違う」「のらない」というトーンの下がる方向に行ったように思います。私の「調子悪い話」と枝雀さんの「悪い話」とは次元の違うことで、いっしょにするのも無謀ですがただ、(音楽や演技などの)調子が悪いのは自分ではどうしようもなく、間違えないようにしようと思うとよけいに間違える。のせようと思ってもどうにも思うようにならない、ということがあるように思います。もちろん、枝雀さんは名人ですからどんな悪いときでもお客さんを失望させるようなことはしていません。でも、コンサートなんかでもそうですが「悪いとき」にたまたまであった人は悪いままの印象なんだ、と、芸の本番の怖さを思います。その一瞬のために長い時間をかけて研鑽を積むのですが芸の道は険しいもんですなぁ・・・・私など別におかねをもらうわけでもないですが(もらえるわけない・・)またあしたからがんばろ。
2007年04月08日
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kingmasataroさんのHPにリンクできるようになりました。車の好きな方、ぜひご訪問くださいね。きょうは昼から雨でしたね~~お花見を計画していた方は残念でした。あしたは晴れるといいですね。きょうもたっぷり仕事でした。とりあえずきょうの仕事は終わってほっとして夜の自由時間が来たと思ったらもう2時過ぎてます・・・ほんとに・・・・毎日時間が足りません。し残していることがいっぱい・・・
2007年04月07日
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きょうは陽気もよくなって絶好のお花見日和となりました。陽気がよくなると仕事もいっぱいになり、朝から催促の電話が数件。だけど、前からチケットを買ってあるもんで早く引かしてもらって大阪市内にある繁昌亭へ。ここは去年、大阪天満宮の中にオープンしました。今まで落語専門の席がなかったので連日大賑わい。ふーは林家一門をよく聞きに(見に)行きます。師匠の林家染丸さんは古典芸能にも精通していて高校やセミナーの講師もされています。ふーは阪大セミナー、っていうのにいったことがあるのですがなぜ阪大と関係があるかというと一門に阪大の卒業生が二人もいるからだそうです。それにNHKとか郷土資料館とか公務員的な地位を捨てて入門したお弟子さんもいるそうです。「親は泣いとりますわ」と師匠はいつも言ってます。前に林家一門を見に行って師匠がいいのは当たり前なんですが一番弟子の染二さんが数年聞かない間に上手くなっているのに驚きました。帰ってから染二さんのブログにすごくよかったです。って書いたら丁寧に返事を書いてくれて1fanの書き込みにもいちいち返事をくれるんだ~~とこれから染二さんも大いに応援することにしました。きょうは「寄席囃子」の話でこれは噺家さんが出てくる前のテーマミュージックとか話の途中で入れる効果音のことをいうのですがいつもは舞台のお客さんから見えないところでやっているものですがきょうは楽器を表に出してきて説明しながらやってくれました。歴代の有名な師匠(現役の米朝師匠なんかも含め)の出囃子をリクエストで次々と聞かせてくれたり、とても楽しい企画でした。そのあとの染二さん、染左さん、染丸師匠の落語も「はめ物」といって音楽のいっぱい入る出し物でした。すごくすごくよかったです。ここの一門の人たちは本当によく勉強してます。芝居や邦楽が大好きなふーには本当に楽しい時間でした。日ごろは洋楽ばかり聞いているように見えますが邦楽も大好きなんです。楽しいものには洋も和もありませんね~~
2007年04月06日
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きょうも寒かったですね~~この寒さでサクラも長持ちするかもしれません。サクラが満開のとき、ここで時間がとまればいいなぁここで世界を止めておきたい、と思うことがあります。でも1年でたった1週間、誇らしく咲いて潔く散るところがいいところなんでしょう。ふーもガーデニングをしていますがほとんどアジサイばかりです。ほかにビオラや桜草、カランコエなどもありますがアジサイが一番いばってます。挿し木しているうちに40~50鉢ぐらいになりました。だから1年のうち半年は枯野で5ヶ月ハッパだけ。1年で1ヶ月だけ色がつきます。いろんな種類があるので咲いたら写真アップしますね。だけど、花って咲いているのを見るだけで癒されますよね。すごい力だと思います。きょうはしっかり練習しました。が・・・・フォーレを弾いていると目が回ってきました。フランス物ってどうして目が回るんやろ?とモォおっちゃんに言うとそれはフランス語のリズムが人を酔わせるようなもん、と言います。フォーレの出来は悪いのですがバッハは上手いな、と珍しくおっちゃんがほめてくれました。だけど、フォーレ、上手くなりたいです。できれば、持ち曲にしたい。機会があったらこれを弾く、っていうように。長年やってるのになんか弾いて、と言われて弾けるのは「ネコふんじゃった」だけです。かろうじて威厳を示せるのはGesでなくほかの調でも弾けるってとこだけ。威厳でもなんでもない・・・?ヴァルスカプリスを弾けるようになりたい願いをこめてこのブログのアドレスもそれにしたんですがやっぱり「ネコふんじゃった」のほうが似合ってますかね?
2007年04月05日
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きのうは挫折してしまって恥ずかしい限り・・・きょうは寒かったっすね~~豊岡のあたりは雪が降ったそうです。明日はサクラに似合うお天気になるでしょうか?きょうのお昼のFMはシベリウス組曲「カレリア」、ヴァイオリン協奏曲、シューマン交響曲第2番、グリーグ「十字軍の兵士シグール」という私好みのプログラムでひじょうによかったです。(独断と偏見)中学校の吹奏楽でシベリウスのフィンランディアとカレリア組曲をやりました。地味な作曲家のシベリウスの作品が中学生にわかるわけもなく、私もすごく好きという気持ちにはなりませんでしたがそれから40年。・・・・・・今ではシベリウスは最も好きな作曲家の一人です。シベリウスの交響曲第2番は私のベスト10の1曲。私が死んだらこの曲をかけて欲しい、と遺言したい曲。カレリアも聞くたび当時の状況が思い出されて、中学生にシベリウスをさせた先生に今は感謝したい。交響曲2番はフィンランドに行ったことのない私にもそこがどんな風なのか十分想像させてくれます。森の中の小鳥のさえずり始まって2楽章の凍りつくような響き。その雪解け水が大海に出たときのような情景・・・この曲を学生のときにオーケストラでやったことがあるのですが演奏の中にいる自分の背筋がぞくっとするほどいい響きがある。できればフィンランド交響か、ヘルシンキフィルで聞きたいですね。ヨーロッパのオケも上手いのですが響きが垢抜けしすぎると曲が薄まってしまうのです。カラヤンさんが交響曲全曲録音するとき2番だけはベルリンフィルではなく、フィルハーモニアを使った、という話があります。長らくそれを聞いてきたのですがフィンランドのオケが演奏するのを聞いてからはどうもその天然色の演奏が本来と違うように感じてしまいました。この間、シベリウス週間でサカリ・オラモ指揮で演奏されたものがFMで流れましたが、ちょうど晩御飯のときだったのですがご飯を食べるのを止めて30分、じっと聞いてしまいました。完璧でした。そのサカリ・オラモの演奏会が近々大阪国際フェスティバルであるそうですがプログラムは「運命」だそうです。なんで?きょうはピアノの練習、やるにはやりました。バッハだけ。レッスンまであと1週間です。できるのかな~~
2007年04月04日
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せっかく日記書いたのにクリックするところを間違って消えてしまった~~~今日の練習の詳細。それも2回も・・・・ブログ初心者の前途は多難です。もうくたくた・・・・・
2007年04月03日
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今日から新年度。新年度っていってもうちの仕事はあまり関係ないのですが、月末に帳簿を〆るのでやっぱり月初めは改まった感じがします。3月決算のところが多かったのか急に仕事が忙しくなりました。仕事を終わってご飯を食べ始めたのが9時ごろ。同時に、借りてきた「コーラス」のDVDを見始めました。フランス語の映画、っていうのは久しぶり。フランス語の音声に慣れるのに少し時間がかかったけど10分もしないうちにそのリズムに慣れてしまってました。全寮制の手ごわい問題児(と思われてる)男の子たちがコーラスで変わっていく物語。プロのコーラス集団(ウィーン少年合唱団みたいな)から見たら素人っぽい歌声だけど、そこがうそっぽくなくていいところ。歌の力を感じます。音楽の喜び、ってこういうことなんだ・・・・とつくづく感じさせてくれる映画でした。これも映画としては地味だけどもっともっとたくさんの人に見てもらいたい、と思う作品。DVD見ていてきょうもピアノ弾きませんでした~~今回はレッスンの間が3週間ある、っていうのでちょっと油断してます。あしたからがんばる!そうそう、・・・・・きのう、きしめんを食べるため「鯱(しゃち)」のつく名前の店にいきました。お昼時で並んでいたのだけど、暇に任せて「鯱、って英語で何というんかな?」「シャークのともだち?」なんて言ってたんだけど携帯で調べるとなんと、「グランパス」。出てきた瞬間に「おぉぉぉぉx~~~~~~!!!!」って言ってしまいました。今頃になって知ったなんて名古屋の人に申し訳ない・・・
2007年04月02日
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奈良の談山神社も大宇陀の又兵衛桜もまだ早かったですぅ。東海地方も暖かいところなのでもう咲いているかと思ったのですがまだまだ。東海地方はサクラよりも菜の花の黄色の方が見事でした。きょうは御在所岳に行こうと思ったのですが10度以上も気温が低い、まだ雪があるのでは?という四日市のホテルの人の情報に武装(?)してなかった私たちは恐れをなして予定変更。じゃあ、話の種にセントレア空港に行ってみようか?ということで東海地方を目指して出発。セントレア空港は全体がいいデザインでお店もいっぱいあり、楽しめました。そこから知多半島の「杉本美術館」へ。杉本健吉さんは数年前、98歳か99歳で亡くなられた画伯ですが長らく奈良に親しんで奈良のお寺に関する絵をいっぱい描いています。中でも「お水取り」の墨絵は絶品。吉川英二の新・平家物語の挿絵もすばらしかったです。どの絵にもそこはかとなくユーモアがあふれていて見る人を暖かい気持ちにさせてくれます。そこでいいひと時を過ごしてから半田市にある「新見南吉記念館」へ。「ごんぎつね」で有名な新見南吉の足跡を辿ってきました。いろんな作品の絵本の中から飛び出たようなミニチュア(人形や舞台)が作られていてすごく可愛いです。ほのぼのとした気分になりました。家に帰り着くとちょうどNHKTVでN響のボレロをやっていました。この曲について「この曲のいったいどこが面白いの?」と言ってた人がいました。2つの同じ旋律が何回も繰り返されるだけですが私は旋律が出てくるたびに光の色が変わっているように感じます。あたかも舞台に当てられたライトの色が変わるように。メロディを変えないで楽器の編成だけを変えて色を変えていくのはすごいな、って思います。ラヴェルは同じ曲をピアノでやってもオーケストラでやってもすごくいいですね。さて、あしたから新年度で仕事もすごく忙しくなりそうです・・・
2007年04月01日
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