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今はどんな音楽を聴きたい気分なのか?よくわからないけど、何か聴きたいと思うことはありませんか?聴きたい曲に迷った時は私は必ずオスカー・ピーターソンか、アンドレ・プレヴィンのピアノ!クラシックではたとえば、・・・・リヒテルはすごく好きなピアニストだけど、バッハやヘンデル、シューベルトのいくつかはこの人が最高だけど、シューベルトの遺作のソナタはブレンデルさんがサイコーと思う。だけど、ブレンデルさんのショパン、というのはちょっとね~~(ほとんど録音してません)ショパンだったら、バラード1、ならミケランジェリ?即興曲2、ならルーヴィンシュタイン?と、選ぶピアニストはいろいろ・・・・だけど、オスカー・ピーターソンや、アンドレ・プレヴィンならどんな曲でもOK!バラードでも、アップテンポでも、曲を選ばない。つまり・・・・JAZZは曲よりアーティストで選ぶんですね~~オスカー・ピーターソンのピアノは小粒の真珠があふれ出てくるような、または、星の光の粒が鍵盤上を転がるようなサウンド。なんというか・・・・指で鍵盤を押さえてるとは思えない・・・・まるで魔法で音が沸いてくるよう。アンドレ・プレヴィンはビートが利いたご機嫌なjazz。ピーターソンもご機嫌はご機嫌なのですが、しっかりリズムはあるのですがそれよりもサウンドとして流れ出てくる音の方が印象に残ります。相手にずかずかと向かってこない・・・・音楽は、ぐいぐい心に入り込んでくるものも私は決して嫌いではないですがいや、むしろ、曲の多くは主張のあるものでないといけないと思うのですがこういう、ピーターソンみたいに距離を置いて、決してこちらの思惑を邪魔せずに奏でてくれるというのも音楽の要素のひとつではないかな?と思います。スタンダードばかりですがどれも特上のアレンジで聞かせる1枚。 酒とバラの日々、 サテン・ドール、 フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン トゥナイト 、 サマータイム 、 虹の彼方に、 一晩中踊れたら など。また。プレヴィンの中でも一番私のお気に入りの1枚。
2007年06月30日
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さきほど、コメントを書いていただいた方、別の、重複したものを削除しようとしてまちがって削除してしまいました。深くお詫び申し上げます。よく確かめないで操作してしまい、本当に申し訳ありません。またのお越しをお待ちしております。ほんとうにすみません。
2007年06月29日
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きのうの追記です。視聴できるサイトを見つけました。http://piano1001.com/lib_5.htmきのうご紹介したアマゾンのサイトはだいたい30秒ぐらいの視聴ですがここは全曲フルで視聴できます。休暇の日々より第1集はシューマンへの祈り 4 教会のスイス人に扮装したトト 5 ミミは侯爵夫人の扮装をする の3曲ですが他にショパン、シューマン、シャブリエ、シューベルトなど。ブログでご紹介したスクリャービン、練習曲嬰ニ短調もありますのでぜひ覗いてみてくださいね。
2007年06月29日
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きょうは久々に練習日誌です。イギリス組曲第2番、プレリュードがやっと弾けるようになって来ました。イギリス組曲はフランス組曲より長いし、構成もがっしりしていて、どこか、ブランデンブルグ協奏曲のつくりに似ています。こういうがっしりしたつくりのバッハに出会うと果てしなく大きなもの、を感じます。先日もこの曲はアルゲリッチによく似合う、とブログに書きましたがスケールの大きさや威勢のいいところがすごくいいのです。私も少しできるようになるとがっしりしているんだけど、やっぱり舞曲ですからリズムがあって、それに乗れると楽しい・・・「大きい」というのは漠然とした言い方ですが、なにか、懐の深いものに抱かれている、というか・・・世界の奥行きの深さの片鱗にふれたような気になります。自分の小ささを日々、感じていますので、より大きいものにあこがれます。さて、セヴラックの方ももう大詰めです。次回は「休暇の日々より第1集」全曲(8曲)通してやります。この曲の小品の題名はすごくユニークなものです。シューマンへの祈り 2 お祖母様が撫でてくれる 3 ちいさなお隣さんたちが訪ねてくる 4 教会のスイス人に扮装したトト 5 ミミは侯爵夫人の扮装をする 6 公園でのロンド 7 古いオルゴールが聴こえるとき 8 ロマンティックなワルツ どれも2~3分の小さな曲ですが本当にステキな曲です。下の赤字の部分がアマゾンの輸入盤のページなんですが、ここで視聴できます。どれもステキなんですが中でも7古いオルゴールが聴こえるとき、は懐かしさでいっぱいになるほどかわいらしい曲です。ぜひ一度聴いてみて欲しいです。アマゾン輸入盤サイトこれらの曲も、小さい、可愛い曲とはいえ、ひまわりが海に見えるほど咲き誇った南フランスの町で作られました。大きな自然が音楽を取り囲んでいます。弾くのも、おおらかな気持ちで弾きたいのですがなんか、まだこせこせしています。そんなこせこせした私に届けよ、とばかり、友人が北海道を写した写真を送ってくれました。おおらかな自然です。友人のおゆるしをもらってここに貼り付けます。恵庭岳山頂です。 この時期に咲くライラックの花です。
2007年06月28日
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きのう、高島忠夫のうつ病との闘いのドラマを途中まで見ました。私はいまのところうつではなく、また周りにうつの人もいないのでそのつらさがわかるとは到底言えませんがドラマで見る「うつ」や「認知症」の話はこのごろ、まったくの他人事とは思えなくなってきています。きのうのドラマを見ていても貧困妄想症(お金がない、借金があるなど)とか何事にもやる気がなくなるとかアルコールまたは薬などの依存症とかそういう気持ちがよくわかります。まだ自分は人生の半分、と嘯いてみるし、人は50などというのはまだまだ老化には早すぎる、というかもしれませんが私自身もついこの間まで、自分が老いる(または衰えている)などとは思いもしなかったのがこのごろ、「老い」を迎える覚悟をしつつあることを感じています。覚悟、なんていうとすごく深刻に聞こえますがそんな深いことではなく、いずれ、自分も老化する、それはそう遠くない、という漠然とした思いです。友達の知り合いが交通事故に遭いました。2日ほど意識がなく、目覚めて、怪我はそうたいしたことはなかったのですがそれ以来、記憶が抜け落ちることが多く、その人はそれまですごい記憶力の持ち主だったので自分の記憶が衰えたことが悔しくて、なさけなくてしかたがない。それですごく落ち込んでいるんだ、という話を聞きました。若年アルツハイマーの話は映画では「頭の中の消しゴム」とか小説では夏樹静子の「白愁のとき」とかありますが映画は少々作り事めいていましたが小説の方はだんだん記憶がなくなる悲しさを切ないまでに書いてました。私も2年前、交通事故に遭ってから睡眠薬を常用するようになったのと、記憶の抜け落ちることが多くなりました。買い物に行って何を買うのか忘れる、とか、人の名前や物の名前が出てこない、などはだれにでもあることで笑い話で済ませそうですがさっきトイレに行ったかどうか歯磨きをしたかどうかつい、今のことなのに覚えてないことがよくあります。これは無意識にやってることが多いので記憶が抜け落ちているといってもどうってことはないのですが若いころは自分にも、人にも、「忘れる」ということに対して寛容でなかったのですがこのごろは「忘れる」意識の仕組みがわかるようになり、若年アルツハイマーなどはこんな感じで進んでいくんだろう、ということが想像出来るようになりました。ただ、想像でき、寛容になる、ということはいいことなのですがもし、自分がそうなれば家族に迷惑をかけるだろうということも想像し、だけど、もし家族がそうなれば、運命共同体としていっしょに背負っていかなければならないだろうと想像し、意志薄弱の私は今から少しずつ覚悟を固めていかなければならないだろう、今、この時期でも決して早くないだろう、と思ったりします。やっぱりお金のこととかはきっちり書いたものを、家族が見てわかるように書き残しておいた方がいいですね。
2007年06月27日
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先日の日曜日、奈良県大和郡山市にある「矢田寺」に行ってきました。車で、西名阪法隆寺インターを下りて法隆寺を通り過ぎ、いかにも「斑鳩の里」のたたずまいを見せる「法輪寺」の三重の塔を見ながら30分ほど走ると矢田山のふもとに着きます。短い参道を抜け、門をくぐって石段を上がるとこの季節、一面のアジサイが目に入ってきます。まず、大門坊というところに沙羅の木がありますがこれも花を咲かせていました。 沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらわす お馴染み「平家物語」の冒頭部分ですが ここに登場する「沙羅双樹」とは お釈迦様が亡くなられた時、その四方を囲んでいた樹木で、それぞれに2本ずつ、対になって生えていたことから沙羅双樹と呼ばれるようになりました。 ただし、実際にはお釈迦様のおられたインドの沙羅双樹は日本には自生していませんから、日本では「夏椿」のことを沙羅双樹と呼んでいます。このお寺は山全部がお寺になってますがここにアジサイが植えられています。 行けども行けどもアジサイ園のなかで、まさにアジサイに酔うような感覚になります。山を覆うアジサイはふつうの「玉アジサイ」をはじめ、カシワバ、ガク、アナベル、などおなじみの物が多いのですがお寺の一角には「見本園」として新種のアジサイが植えられています。ここで先日、ブログに載せたところの我が家の今年初めて咲いたアジサイと同じものを見つけ「伊豆の華」という名前であったのがわかりました。(コメントにも書いていただきましてありがとうございます)行った日は雨が強く降っていてお客さんも少なく、所在無さげにしていた管理人さんと話すことが出来ました。管理人さんは珍しいアジサイを見せてくれました。ガクは普通、真ん中がプチプチはじけるのですがこれは真ん中も開いてしまったものです。 またほかに葉に斑が入っているもの、 「紅ガクアジサイ」など 今は、洋花の大きなものよりも可憐な「ヤマアジサイ」系のものが好まれているそうです。また後日、ブログのカット写真として新種のアジサイを載せていきたいと思います。矢田寺はアジサイの時期だけ400円の入山料が必要ですがそのほかの季節は無料です。桜やもみじも見事な木がいっぱいあり、どの季節も美しい風景を見せてくれます。
2007年06月26日
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きのう見た「雨に唄えば」。あのシーンはいったいなんやねん?とおっちゃんに話していたら「そりゃお前、大事なところを見逃してるで」というので、きょう、もう一回見てみました。そしたら・・・・いちばん大見逃しはラストシーン。そして、2回見たら映画の段取りがちゃんとわかったこともあり、そういえば、この映画、1シーンをすごく丁寧につくっているし、凝って作ってあって改めて「すごさ」がわかって、きのう言った「テンポが合わない」「楽しくない」(といったかどうか・・・)とかいうのはすべて取り消し。やっぱりすごい映画でした。1回で、(実はきのうは何回か、席をはずしました。そのためにわからなかったシーンがいくつかありました、と白状する・・・・)簡単に判断した私は大いに反省。映画は繰り返して見なけりゃなりません。それにこれが公開されたのは1952年。その年、昭和27年です。まだ私が生まれる前。そんなときにもうアメリカではこんなすごいミュージカル!と思うとあらためてアメリカのすごさを痛感する。(それから発展をし続けてる、とは言いがたいけど)きのうとあまりにも違う意見で申し訳ないですがやっぱり間違いなくミュージカルの金字塔と思います。踊りは「リトルダンサー」でもそうでしたがダンスの基本にはバレー。同時に、タップと大道芸的な(喜劇的な)パフォーマンス。きのう、ダンス場面があまり楽しくなかったのはなぜだろう?きょうはすごく楽しかったです。やはり、映画そのものの出来よりも見る側の気持ちですね。音楽もそう。聞いたときの気分によって良し悪しも変わる。映画に仕掛けられている小技がわかるとまた一層面白いです。このあいだ見た「カリビアン3」ももう一回、見ないとね・・・<花の風景> (奈良県矢田寺、カシワバアジサイ)
2007年06月25日
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今度は正真正銘、ジーン・ケリー監督&主演の「雨に唄えば」です。(ちなみに監督はもうひとり、スタンリー・ドーネンが名を連ねています。)有名でしかたがない映画は、この前の「ハロー・ドーリー」でも言ったように私は、勝手に映画のイメージを思い込んでいて見てみると全然違う映画であることのほうが多いです。この映画も想像とだいぶ違っていたので有名な映画は一回は実際に見てみないとな、と思っているところです。1952年の映画ですがカラーになっているのはデジタルリマスター版であるからか、そうではなく初めからカラーなのか・・・?映画に詳しくない私にはわからないのですが、知ってる方、どうなんでしょ?この映画を見たことない人でも雨の中を傘を差したり、ぬれたりして唄い、踊っているジーン・ケリーの姿はよく知られてますよね。水をかぶっての大奮闘で、後風邪をひいた、というのは余談ですがあのシーンは歴史に残る名演と言われてます。たぶん、ミュージカル好きな人には金字塔的な映画で、これが最高なのでしょう。のちの映画、たとえば最近の「ドリーム・ガールズ」にしても実際の話と舞台、舞台裏、と描いているのはこの映画が下敷きになっているように思うのでミュージカル映画の原点的な存在なのでしょうね?この映画は無声映画の時代からトーキーという映画の大転換の際、今まで声を出さなくてもよかった女優(ジーン・ヘイゲン)が科白も歌も下手で、試写会はめちゃめちゃ。こりゃダメだ、と思っていると「吹き替え」というのを思いつき、駆け出しの女優(デビー・レイノルズ)に換わりに唄ってもらうけど、それがばれて、とんだことに・・・お決まりのラブコメ的な部分もあり、映画史やプロモーターの裏事情を描いたところもあり、そして楽しい歌とダンスの場面はたっぷりでまさにミュージカルの決定的作品。なんですが・・・・私は、ジーン・ケリーよりも仕事の相方であった、コズモを演じたドナルド・オコナーの芸達者ぶりに魅せられたぐらいでやっぱり終始一貫したドラマのある「ハロー・ドーリー」の方が面白かったです。たぶん、本格的ミュージカル好きではないからかな・・?それとも製作された時代が自分に合ってないのか・・・?「ジェームス・ボンド」シリーズも同じなんです。現在のスピードの速い、ダニエル・グレイグの007はすごく面白かったのに以前の名作といわれるショーン・コネリーのを見てもどうしても入っていけない・・・なんか、自分のテンポと違うんですね。名作が名作として楽しめないのは自分に鑑賞力がないと思うのですがしかたないですね~~楽しくないものは楽しくない。作品の評価と自分の感激度は別です。だけど、もう少し「ザッツ・エンターテインメント」とか「踊る大紐育」とかも見てみたいと思います。「つけたし」ほかの人のブログを見ていたらこんな文章が載ってました。謹んでお借りいたします。「あ、余談ですが主演女優のデビー・レイノルズがレイア姫のキャリー・フィッシャーのお母さんって知ってました?知ってるか。」それと、これもHPにのっていたもの。ジーン・ヘイゲン演ずる「歌の歌えない、悪声の持ち主の」リナが吹き替えを使って唄うシーンなんですがあれは本当はジーン・ヘイゲン自身の声らしいのです。つまり、自分で自分の吹き替えをしてる、というのが真相らしいです。この映画のファンには痛快なプロットでしょうね。
2007年06月24日
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このブログを書き始めて私はかなりへそまがりであるのでは?と思ってきました。性格がへそ曲がりであることはわかってましたが、音楽の好みもかなりへそ曲がりであるらしいことがブログをやっててわかってきました。過去2~3年ぐらいの間に習った曲をさかのぼって思い出してみるとバッハ: イギリス組曲第2番 フランス組曲3、5、6、4 シンフォニア全曲 パルティータ2、3、1 イタリア協奏曲ヘンデル:組曲12、9フォーレ:ヴァルスカプリス第1番 無言歌 舟歌第1、4番シューベルト:ソナタD、958(終楽章) ソナタD、960(2~4楽章)モーツァルト:ソナタk、311 「ああママにいうわ、による変奏曲」 ソナタk、457ベートーベン:ソナタ第18番 ソナタ第15番モシュコフスキ:ワルツショパン:ノクターン第5番シューマン:子供の情景思い出すのはこんなとこだが・・・どの曲も「タグ検索」してもあまり項目がない。なかでもバッハがあまり人気がないことにちょっとびっくり。私はシューベルトが弾きたいためにピアノを習いに行き始めたけど、もうシューベルトのソナタとなると問題外の外ですね~~最後のソナタ、D、960が目標だったのですが今の時点でできるだけやろう、と去年、させてもらいました。だけど、全部やるのがもったいないような気がして一番難しい1楽章を残し、それを2年後の目標にしました。以前、D、850のソナタを習いました。先生のところのお弟子さんあまたいる中でD、850をさせてくれ、と言ったのは私だけらしいです。もう一回、体力のあるうちにこの曲をやらせてほしいと頼んだのですが「長い!」という理由で断られました。長い。実に長い。シューマンはシューベルトの長さを「天国的長さ」と表現しました。冗長な感じがして、実際の長さよりもずっと長く感じるんですね。だから敬遠される・・・だけど、(そうでなくてもマイナーなブログですが)メジャーでない曲を主に書き綴って進めて行きます。意地でも意地悪でもなく、マイナーな曲でも一人でも聴いてもらえるものがあるかと・・・マイナー、とここでは言うけど、クラシック界では決してそうマイナーな曲ではないと思うのですが・・・これ以降も「人気のない曲特集」をお楽しみに!(もう読んでもらえないか?)
2007年06月23日
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きょうはピアノのレッスン日でした。バッハ、フランス組曲第3番はなんとかクリア。このごろ、バッハの音がよくなってきた、と先生に言ってもらえました。バッハにうるさいおっちゃんもバッハはまあまあだと言ってる・・・もちろん、以前に比べてよくなったのであって、標準のレベルからすると、お話にならないはずですが、それでもバッハが断然、面白くなってきました。次に何?と訊かれて平均律第1巻を3回目、挑戦しようか?とも思わないでもないのだがこれをやると少なくとも2年は続けることになります。でも、組曲の小曲を6~8曲連続で弾くよりはまだプレリュードとフーガ、2曲のほうが楽かな~~などといつも楽な方を考えますが「単独でも、一番好きなのは何よ?」と言われ、じゃあ、イギリス組曲第2番のプレリュードがしたい、といって次はこれになりました。イギリス組曲第2番、というといつも頭にあるのはこのCD。 アルゲリッチのバッハはこれしか知らないです。たぶん、ほかの曲は録音してないのではないか、と思います。このCDに収録してあるのは(ネットから取った画像でちょっと見えにくくてすみません)パルティータ第2番とイギリス組曲第2番とトッカータです。パルティータ第2番も今まで数回習いましたがいつも迷って、もたもた弾いてます。このアルゲリッチの演奏は、「バッハも、難しく考えないで、心の赴くままに弾けばいいのよ!」と言っているようで、逡巡するところがありません。まったく自然です。気風がいい!実に気持ちがいい。それ以上にイギリス組曲第2番はアルゲリッチに合っているように思いますがはぎれよく、バンバン弾いてきます。この曲はブランデンブルグ組曲を思い出させるような大きな視野の、場面展開が小気味よく、絶対に、こせこせ弾いてはいけない曲です。5年ほど前にもやったけど、私の人間が小さくて、曲に負けてました。今回、ほんの少しでも、曲の大きさに近づきたいです。
2007年06月22日
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きょうのお昼、仕事の得意先の人が「トラブル発生!」といってクレームのついた商品を持ってきました。幸い、「このロット、全部返品!」なんてものではなく、単純ミスで、箱の中にほかの商品が混じっていただけで、「始末書」を書いただけでご容赦いただけたようです。始末書は1年に2枚ほどの割合で書いてます。どの文章も、ひたすら「ご迷惑をおかけいたしました」「誠に申し訳ありません」「今後このようなことのないように万全を期して臨みたいと思います」の羅列。私も、客の立場でよくこういう(無意味な)(テープレコーダーみたいな)「申し訳ございません」を繰り返されることがある。「謝ってすむなら警察はいらん!」と言いたいところだが、私も仕事上で「謝って」済ましてもらってるのであまりひどい状況でない以上、謝っている人の顔を立てて、ひつこく言わないようにしよう、と心がけてはいるが・・・・(実際はかなり、言ってる・・・・)うちは心をこめて、「申し訳ございません」の文章を書きました。さて、きのう、アジサイのアルバムを楽天フォトで「公開」にしたのですが悲しいかな、どうやったら「公開」できるのか、わからない~~設定は「ブログに公開する」になってます。管理者は「ブログの管理」からアルバムに行けるのですがほかの皆様はみられるんでしょうか・・?どうやったら「公開」できるのか、教えてくださ~~い!それできょうのところにも我が家に咲いたアジサイの種類を少々、貼り付けておきます。もっとよく勉強すれば、いい色のアジサイに育つのでしょうが、今年は花は多かったですが、色がもうひとつ鮮やかではありませんでした。今年は秋にしっかり、風通しのよい土に植え替えて来年の花を待ちたいと思います。これはラブリーキッス、という名前だったと思います。(ちがってるかも?)最初にガクに赤いふちどりがあります。 もっと開くと全体がピンク色になります。(上記の写真とおなじ種類の花です) 墨田の花火
2007年06月21日
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20年ぐらい前、ひとつの小さいアジサイの鉢を買ってきました。何の変哲もない普通のアジサイの鉢でした。そのころはあまり種類もなかったのですがそれから20年のうちにどんどん品種改良されて、いろんな名前のアジサイが出始め、うちも小さい苗を買ったり、もらったものを挿し木したりしながら気がついてみるとネコの額ほどのスペースにアジサイの鉢が30~40。種類も10種類ぐらいはあるかもしれません。それに毎年、どんな色になるかも天任せ。今年、下の写真のようなアジサイが咲きました。これはうちで初お目見えです。「がく」の一種ですが名前はわかりません。たぶん、矢田寺で1昨年、小さい苗を買ったものが育ったのだと思います。他の種類のものと奈良県矢田寺、大阪府河内長野市の河合寺のアジサイを楽天フォトにアップしてあります。写真がヘタなのでお見苦しいとは思いますが、どんな種類があるのかだけでも見て頂ければ幸いです。
2007年06月20日
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いまごろ?って言われそうですが今になって見ました。予備知識なしで、それどころか、勝手にジーン・ケリー主演で、ドーリーとはジーン・ケリーのことと思っていたんだからひどい・・・・ドーリーはどう考えても女性の名前ですよね?最初にバーバラ・ストライサンドが出てきたときにはびっくりし、思っていたよりも新しい映画であったことにもびっくりし、もうヒジョーにとんちんかんです・・・楽しかった!歌と踊りとがヒジョーに楽しかったです。少し前に「ドリーム・ガールズ」を見て楽しかったんだけど、もうひとつ、音楽に入り込めなかったのは何でだろ?と思っていたら大音量の「ソウル」よりオーソドックスなオーケストラ音楽の方が好きだったというだけのこと。私は歌に踊りに、楽しくてしかたなかったけどいっしょに途中まで見ていたおっちゃんはテンション、高すぎて疲れる・・・と途中でダウン・・・・やっぱり私は特別、ミュージカルがすきなのだ、と思いました。ブロードウェイで繰り返し上演されたものを1969年に映画化。監督がジーン・ケリーで、主役のドーリーはバーバラ・ストライサンド。この人はすごく好き、というわけではないけど、歌は抜群に上手く、華があるし、大きな舞台でも引けを取らない。相手は無骨なウォルター・マッソー。たしか、テータム・オニールのでた「がんばれベアーズ」という少年野球の話でのんだくれの監督をしていたですよね?けちで、頑固なお金持ちの飼料店店主のホレス。ドーリーはどこがいいのか、その店主のことが好きであの手この手で自分を売り込み、ついにホレスにプロポーズさせます。お話はどたばたでいたってばかばかしいのですが、音楽とダンスは圧巻。ついこの間見た「プロデューサーズ」の会計士のレジスターを叩きながらのダンスとか、老人ホームのおばあちゃんたちの歩行器を使ってのダンスにびっくりしましたがそんなもの、物ともしないほどの動物や汽車、自転車、テニスラケット、レストランのボーイのトレイ、食べ物などなど使えるものは何でも使ってのダンスに目が離せないです。そして一番のサービスはレストランのバンド指揮者がルイ・アームストロングで劇中で「ハロー・ドーリー」をあの声で歌ってくれる・・・・これでもか、というほどの歌とダンスのてんこ盛りにアメリカのダンサーの底力を感じさせてくれます。楽しかった~~~DVDにかじりついていたおかげでピアノの練習時間が大幅に夜夜中に食い込んだ~~~でも、当分ミュージカルにはまりそうです・・・
2007年06月19日
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長らく練習日誌も書いていません。あえてこの話題を避けているとしか思えないきょうこのごろ・・どうしてもこの話題になると愚痴ばかりになりそう・・・だけど、こんなに停滞したまま、もう何十年もやってる、という人間がいるだけで、学習者の人の励みになるかも?(なるわけない・・・)私は自分が「ノミの心臓」だから同じように嘆いている人がいたらたぶん、安心する・・・だけど、それじゃいけないんだろうなあ・・・あいかわらず、バッハのフランス組曲第3番とセヴラックの「休暇の日々より第1集」をやってます。セヴラックはやっと全曲取り掛かりました。本当なら全曲をせいぜい2回で譜読みしなければならないところ、(前例から2回、と割り出しただけ)もう4回にも分けて、まだ全曲通せてない・・・その前のヴァルスカプリスでよほど気力を使い果たしたんだろうなあ・・・それよりずっと譜読みが楽なはずのこの曲にいくらかかるのか・・・おそろしく記憶力が悪い。譜読みが出来る、ということは次の音が何か覚える、ということだ。覚えられない・・・年のせいだと思うけどおぼえられない・・・これも気力のモンダイだとは思う。あと何年弾けるかわからないから先を急いでいるんだろうなあ・・そうでなければ、ゆっくりしたらいいのに。まあ、どっちみち、大した出来にはならないのだからがんばるのもせいぜい自分への挑戦か?もう何十年もやってて結局弾けるのは「ネコふんじゃった」だけか・・・?それも途中でつっかかったりして・・・・
2007年06月18日
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ブログで知り合ったLちゃんの日記にはその日の出来事でボーイフレンドのSくんへの思いがいっぱい書かれています。一方、SくんのブログではLちゃんとのこと、Lちゃんへの思いが思っているのは同じなんだけど、また違った見方で書かれていて、これって高校生版「冷静と情熱のあいだ」みたい・・・と思ってしまったのですが・・・もちろん、この二人の思いはさわやかで、17歳の青春真っ只中、って感じで物語の世界とはまったく違ってますが。「冷静と情熱のあいだ」は「あおい」の物語を江國香織が、その相手の「順正(じゅんせい)」の物語を辻仁成が書き、片方だけでも十分面白い小説ですが両方読むといっそう楽しめます。あおいはイタリアに生まれ育ち、日本の大学に入学しおなじく帰国子女の順正に出会います。そして別れて、またイタリア、ミラノに舞い戻り、それから3年程が経った時から物語は始まります。江國香織さんのあとがきに「どんな恋も一人の持分は二分の一。後の半分の、あおいの知らない順正と、あおいの知らないあおい自身とが別の物語にとじこめられています。」と書いています。人は、自分の立場でしかものを見ることが出来ませんし、見えない部分のほうがずっと多いですよね。推理小説などで犯人とか悪者が「ムム、どうしてお前はそれ(悪事とか、事情を)を知ってる?」とかいう場面がよくありますが「それは同じ作者が書いてるからだ!」とつっこみたくなります。まあ、そんなことを言っては身も蓋もなくなるし、この物語は悲しい恋の物語であってそんなこと言って茶化す場合ではないのですが・・・この物語のように物事は別々の面から見て、成り立っている、というほうが本当なんですね。もちろん、多くの人物を書き分け、人生を書き分けていくのが作家の仕事なんですがこの物語の試みはひじょうに面白いと思います。あおいと順正、重なる時間は小説の中ではわずかですが、そのときの二人をまったく違う人が描きます。同じ時間を共有していても、人の思いはまったく別々に発しているんだ、と思うと、とてつもなく悲しい気もします・・・・辻仁成は、本当に切ない恋を書きますね~~「サヨナライツカ」は「せつない」以上の言葉が出なかったです。この「冷静と情熱のあいだ」では「あおい側」のほうがよりせつない・・・これから先、ふたりはどうやって孤独を埋めていくんだろ?と考えなくてもいい人生を考えてしまいます・・・
2007年06月17日
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友達が長島温泉(三重県桑名市)に行って来て「なばなの里」ベゴニアガーデンの画像を送ってくれました。すごい!一回見てみたい!
2007年06月17日
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先日買ったCDです。 本当はジョージ・セル=クリーブランド管弦楽団のが一番いい演奏ですが、それはLPで持っているのでCDではドラティ=フィルハーモニア・フンガリカの演奏にしました。セルには負けるけど、民族色を出してなかなかの演奏・・・コダーイはハンガリーの作曲家です。この作品にはハンガリーの民族楽器ツィンバロンを使い、ピアノも入って大オーケストラならではの色彩を持った作品です。カタカナのわけのわからない題名だからと難しく考えることなかれ。内容はとても面白いものです。6曲に分かれてますので簡単にお話を説明します。組曲「ハーリ・ヤノーシュ」 第1曲:前奏曲おとぎ話の始まりの前談。ハンガリーでは昔から,話をする際に聞き手がクシャミをすればその話が本当であるという言い伝えがあり,曲の最初の部分は,そのクシャミを表現しています。 第2曲:ウィーンの音楽時計兵隊となってウィーンに進駐した時のシーン。「ウィーンの音楽時計」は,時刻を告げると,小さな機械仕掛けの兵隊達が現れて行進を始めます。 第3曲:歌ハンガリーの古い民謡。先日写真でご紹介したところの「ツィンバロン」が活躍します。 第4曲:戦争とナポレオンの敗北ハーリは敵軍をたったの5分で打ち破り,ナポレオンは「ごめん」といってあやまり、すごすご引き上げる。その様子をサキソフォーンが悲しくも、惨めに(!)うたいあげます。 第5曲:間奏曲主題は,ジプシーの民謡。組曲中、もっとも有名で、単独で演奏されることもあります。これもツィンバロンが活躍します。一度聴くと耳に残ってしまうこと、請け合い。 第6曲:皇帝と延臣たちの入場今や皇帝以上に有名になった英雄ハーリが表彰される時の祝宴の音楽です。ナポレオンのお后が「ナポレオンと別れてあんたといっしょになるわ」といったのに「いや、あっしには故郷(くに)に残してきた婚約者がおりますので・・・」といって断ったとか・・・・めでたしめでたし。ハンガリーは今も昔も政治情勢が目まぐるしく変わる国で、この時代も他国の支配に苦しんでいたハンガリー国民のせめてものうっぷんばらし、というか、反骨精神の表れで、随所にハンガリー民謡を織り込み、優れた作品に仕上がってます。いつ聴いても元気の出る、私の最も好きな作品のうちの1曲です。このCDにはほかにガランタ舞曲、ハンガリー民謡《孔雀》による変奏曲、マロシュセーク舞曲という、おなじくハンガリー民謡を基にした作品が収録されていますがどれも楽しく、しみじみとした味わいもあるまことにお得な1枚です。
2007年06月15日
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きのう、ひじょうに簡単に「フォルテピアノ」なんて言ってしまってちょっと気になったことがあったので音楽辞典を調べてみました。そしたら・・・・音楽辞典に「フォルテピアノ」という項目がない!私の持っているのは音楽之友社の標準音楽辞典ですがその昭和52年版には「フォルテピアノ」という項目がありません。あるのは「ピアノ」とその前身を示す「ハンマークラヴィーア」という項目。さてさて、このブログは別に音楽史の講座ではありませんし、ピアノの歴史を詳しくお話しするには私の知識はあまりにも乏しいのですがきのう、気になった、というのは「フォルテピアノ」という楽器名を使うようになったのは最近のことではなかろうか?と思ったのですが、辞典にもないようについこの間まではこの呼称は使ってなかったし、注目もされてなった、と思うのです。確か、中学か高校のころ、イエルク・デムスが「ハンマーフリューゲル」という楽器でシューベルトを弾いたのをピアノの先生に聞かせてもらったのですがその音色が、子供の私には実に奇妙で、心持悪く、それでデムスがあまり好きでなかったです。30年後に生を聴いて少し考えを変えましたが・・・・それで、じゃあ、ハンマーフリューゲルとフォルテピアノとは同じなのかな?と思い、調べてみると「フォルテピアノ」というのは初期のピアノを現代のピアノと区別する際の便宜的な呼称。「ハンマーフリューゲル」というのはドイツ語で「ハンマー・アクションをもったグランド型ピアノ」の意。ですからハンマーフリューゲルはフォルテピアノの一種、ということになるのでしょう。それでベートーベンの曲にもある「ハンマークラヴィーア」もフォルテピアノと同じような意味の使い方もあるし、グランド型のハンマーフリューゲルに対して今で言うアップライト=縦型のものを指して言う場合もある、と、もうややこしくて仕方がない・・・それで、最近は現代ピアノを「ピアノ」その前の形のものを「フォルテピアノ」と大きく二分して呼んでいるみたいです。ピアノを発明したのはフィレンツェのメディチ家の楽器工房主任であったバルトロメオ・クリストフォリ(1655-1732)であった、と言われてますがこれもそれまで他の国のだれだれのところに同じようなものの図面があったとかどうとかで、定かではない・・・・だけど、最初にクリストフォリがこの楽器を「グラーヴェチェンバロ・コル・ピアノ・エ・フォルテgravecembalo col piano e forte」(強弱を伴う大型のチェンバロ)と呼んだことでのちのち「ピアノ」または「ピアノフォルテ」と呼ばれるようになったそうです。ピアノの歴史はこんな風に字に書くよりも実際の音を聞いて楽しむ方がいいですね。このごろは「ピアノの歴史コンサート」みたいなものもあってそれぞれの時代の楽器を使って演奏する企画もあります。ベートーベンのソナタも特に最初の3曲(Op2の3曲)は現代ピアノの大音量の、規模の大きい演奏で弾かれることが多いですが、作られた時代の楽器で聞いてみると曲の外観がまったく変わって見えます。ぜひ一度、規模の小さい楽器でこれらの曲を聴くことをお勧めします。下の画像はモーツァルト時代のフォルテピアノ。
2007年06月14日
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きょう、注文していたフォルテピアノによるモーツァルトのピアノ協奏曲のCD(9枚組)が届きました。 フォルテピアノ、という楽器を簡単に説明すると現在あるピアノの前身の楽器です。手早く言えば、チェンバロと現代ピアノの間の楽器で、音色も、それらの中間みたいな音がします。形はほぼ、現代ピアノと同じですが鍵盤がもっと少ないのもあれば、今、足で踏むところのペダルに当たるものが鍵盤の下にあって、ひざを上に上げて操作をする、という楽器もあります。最初聞いたときは、ピアノが壊れているのか、という音に聴こえました。実はフォルテピアノであることを知らずにメルヴィン・タン(1956年シンガポール生まれ)のコンサートに行き、弾き始めてから、「おかしいな~~、なんだこの音色?」と思ったのですから、まったく間が抜けてます・・・だけど、最初、「へんな音色」であったフォルテピアノに次第に魅せられて、それからメルヴィン・タンのベートーベン、ソナタ全曲演奏やインマゼールのコンサートに行き、できればこの曲はフォルテピアノで聴きたい、という曲も増えてきました。メンデルスゾーンなどはフォルテピアノの音色がすごく合います。といっても、どんな音色かは言葉では説明できないもの・・・チェンバロとピアノのあいのこ、みたいな音、というしかなくて申し訳ありません・・・そうそう、「ツィンバロン」というハンガリーの民族楽器がありますよね?あれの音色にも似ています・・・「ツィンバロン」がどんなのか、というと・・・・(下の画像を参照してください)弦がいっぱい張ってあるものをお箸みたいなもので叩く楽器・・・(なんとも貧しい説明・) で、・・・・肝心のモーツァルトのピアノ協奏曲はいつも聞く20番台のCDはたくさんあるけど、これには5番から最後の27番まで入っていて、2台、3台のピアノのための協奏曲がそれぞれ、第10番(2台)、第7番(3台)であるのを初めて知りました。5番から、というのはモーツァルトがまだ子供であったころからの作品でしょうけど、CDをだんだん進めて行くとまるで時代が進んでいくようですごく面白いです。また、フォルテピアノの音色は現代ピアノと大オーケストラのこれらの曲に慣れている耳にはすごく素朴に聞こえますがこのほうが時代の色が出ているようで、深い味わいがあります。フォルテピアノに慣れてくると、1800年ごろはこのような音楽であったのかもしれない、という気がします。私はなんでもかんでも古楽器がいい、というほうではないのですが、古楽器で聴くと、音楽のエッセンスがよく見えてくるようにおもうのです。今の楽器やホール、録音技術は響きに頼りすぎて音楽の「線」が見えないことがあります。ホールトーンで聞くのもいいのですが音楽の骨格はこうなっているのだよ、と教えられればそれもまた音楽を聴く楽しみのひとつではあります。じっくりとこの協奏曲全集を楽しみたいと思います。
2007年06月13日
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以前、夕刊に連載され、毎日楽しみに読んでおりましたが図書館で見つけて再読しました。浅田次郎は夕刊で読んだこの小説が最初。後に「蒼穹の昴」などの歴史物を読み、ユーモア作家(!)だと思っていた印象は一変され、いまや、大物作家の風格。浅田次郎には歴史物と劇画系統ものの両極端がありますがどちらも科白がハイテンションで、昔の松竹新喜劇並みに泣かせどころがあります。さて、このお話はデパートの婦人服売り場の課長である椿山和昭はデパートの命運をかけたといってもいいバーゲンセールの初日の夜、出だし上々を祝う宴会の場で倒れ、あっけなくあの世行き。気がついてみるとみんなが同じ方向に向かって歩いている・・・なんていうのは落語の「地獄八景亡者戯」を思わせる成り行きです。で、落語と同じように、死者は極楽地獄行きの判定をされるセンターに行き着くのですがここで椿山は「邪淫の罪」の教室に入れられ、講習を受ける。なぜ「邪淫の罪」か、というと同期にデパートに入った佐伯知子と付き合いを長年続けながら相手を裏切り、自分はデパートのマドンナみたいな女性と結婚した、という罪。冗談じゃない、佐伯とは割り切った付き合いで、現に自分が結婚するときもあんなに祝福してくれたじゃないか、自分は裏切った覚えはない、と納得が行かない。それで、心残りも多いのでもう一度現世に戻り、佐伯にも本当のところを聞き、自分の無罪を証明し、ついでにデパートの様子や家族の様子も見てこよう、と、同じように心残りを抱えているまちがって撃たれたはず、というやくざの親分、武田と、本当の親を探したい、という小学生の雄太と3人で現世に行くが、そこで見たものは・・・・・?自分が旅立った後、家族や職場がどうなってるか、というのは単純に気になりますよね。ただ、それを直視できるとしたら、ちょっと怖いような気もします・・案外、自分の存在がなかったんだな、とか思ったりして・・(死人でも思うだろうか・・?)ま、そんなことはともかく、これはお話ですから、先ほども言ったように、現世に戻るまでのところは笑えるところ満載で書いてます。現世に戻ってからの部分は、驚くこともあるけど、本当のところを知って深く感じ入ることが多く、まず、ボケて、ホームに入っている父親と再会するところから泣けます。一番の山場は佐伯知子から「ほんとうのところ」をきかせてもらうところ。浅田次郎の独壇場。まちがいなく泣けます。あ、その前に、現世に帰るときに自分とは似ても似つかぬ風体で現れる、というところも笑えます。結局、それまで見ず知らずであったけどいっしょに現世に戻った3人は縁のある人たちどおしで、ばらばらに見えた話もつながってきます。やくざの件(くだり)は面白いといえば面白いけど、ちょっと話が長くて食傷気味。また、3人の話がつながるというのも出来すぎ。また、わきまえたお年寄りと子供もあまりにも現実離れしてます。が、それでも面白いところだけ獲って読めばかなりのエンターテインメントになるでしょう・・・椿山課長のやたらとがんばるところ、がんばって家族を大事にはするけど、どこか鈍感なところ、は映画で実演した西田敏行のキャラに重なってしまいます。結局、佐伯知子は浮かばれないのかい?と椿山家中心の、ちょっと納得いかない結末ではありますが、硬いことは抜きにして笑えるところだけ笑ってください。
2007年06月12日
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先日も某タレントの結婚披露宴で世間は賑やかだったですが6月は結婚式、多いですよね。日本での披露宴で使われる音楽はメンデルスゾーンの「真夏の夜の夢」の結婚行進曲かワーグナーの「ローエングリン」の結婚行進曲が定番ですが、北欧の音楽の中にも「結婚」が入っているのがいろいろあります。この前グリーグの「スロッテル」のところでご紹介した「結婚の行列」も結婚にちなむ音楽でしたが、私情は挟みますが(w)あれも祝婚歌にはちがいありません。同じグリーグで有名なのは「トロルドハウゲンの婚礼の日」ピアノ曲、叙情小曲集の中に入っている曲で、よくコンサートに取り上げられます。ちょっと似ているのですがフィンランドのクーラ(1883~1918)という人の「結婚行進曲」というのがあります。ピアノ曲でもあり、管弦楽版もあります。メンデルスゾーン、ワーグナーのドイツ物に比べると北欧のは、こじんまりした、村の結婚式、という感じで、敬虔に、しみじみとした祝福を送る、という感じがします。北欧物、というのは穏やかで、ロマンティックなんですが、ちょっと霧がかかっているような、とでもいうのか、メランコリックに行きたがる響きがしますが、これは「陰気」というのではなく、はしゃぎすぎない民族性のように思います。グリーグとクーラは素朴な結婚式を連想しますが同じくフィンランドのアールトイラ(1905~1957)という人のかいたウェディングワルツ(映画、「北極星の下で」より)はノスタルジックな感じを残しながらもヨーロッパ的な華やかさも持っています。定番の結婚行進曲もいいのですがあまり知られていないこれらの祝婚の曲も一度聴いてみてください。ナクソスのフィンランド名曲集をオススメします。
2007年06月11日
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きのう、ワッツのコンサート評を書きましたが以下のようなコメントをいただきましたので、きのうの続編をやります。「今回ヤマハとスタインウェイの音質の違いというより、全曲を考えて調律した調律師の意向が感じられますがどうでしょうか?バッハ、モーツァルト、シューベルト、そしてショパン、ドビュッシーときたら大変だと推察します。」なるほど、本当にそのとおりだと思います。どの部分に音色をあわせればいいか、ご苦労されたでしょうね~~確かに、ピアニストはそれを弾き分けるのが仕事、なんですが・・休憩時間に調律師の方がピアノをさわってました。あれはひょっとすると、ロマン派(近代)の音色に変えるためだったのかな、とおもったりします。(素人考えなので、そんなことない!と言われるかもしれませんが)きょう、ネットを検索しておりましたら2004年6月ごろのワッツのコンサートの感想を書いておられる方がいました。かなり前ですのでそのまま引用させていただいてもいいかな?と勝手に解釈し、お借りします。(書いた方に感謝!)「この日のピアノはYAMAHAのコンサートグランドでしたが、このチョイスはちょっと意外に思いました。ワッツの演奏からするとスタインウェイの煌びやかな音色の方が合っている様な気がしたのですが。それにワッツは打鍵が強くて、時折弦が伸びきるような非常に金属的な響きが聴かれたのが勿体無かったです。それに、何かちょっと音の響きが広がりにくかったというか、せっかく大きく演奏しているのに、実際の音量はそれほど出ていないような感じがしました。これはピアノに問題があったのか、それとも湿気が多くてホールに音が通りにくかったのか・・・・・・」また、以下の文は1999年の来日のときの、別の方の感想です。これも謹んで(!)お借りします。(書いた方に感謝!)「繰り返すたびに和音がだんだん厚く(熱く)なっていくるわけですが、ワッツのバヤイ、和音がだんだん煙ってくるんですニャー。春霞なら情緒もあるでしょうが、工事現場のダンプの如くもうもうと土煙を上げて・・・世界がぼんやり霞んでしまうわけです。」まったく日付の違う、この方たちと、私もまったく同じ思いですぅ~~きのう、書いたことに付け加えるとすれば上のお二人の書いておられることなんです・・・・特にショパン、13番のノクターンなど、ひとつの和音が終わらないうちに次の音を(機関銃みたいに)弾いてしまうので響きが重なって、一つ一つの甘い音色を楽しんでいる時間がない・・・・そして、響きが大音量ではあるけど、どこかに分散するようで、深くない。それはピアノのせいで、もしピアノの選定がプロモーターの押し付け(!)としたら、ピアニストも楽じゃないなあ・・・なんて思っていたのですがずっと、何年も、いつ聞いても同じような響きがするということはこれがワッツ流なんでしょう。そういえば、うちにはワッツのレコード、っていうのはあまりなくて先入観なしに聴いたことになります。好き嫌いはあるにしろ、卓抜した技術とJAZZのような独特のリズム観(=リズムに対して持っている論)(シューベルトは私の考える呼吸とちがってましたが・・・・)が確固たるものがあるのですからやっぱり屈指のピアニストである、のは確か、とは思いますが。・・・・
2007年06月10日
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きょう、急に思い立って、アンドレ・ワッツのコンサートに行ってきました。プログラムは以下のとおりです。J.S.バッハ(ワッツ編) :コラール前奏曲 「主イエス・キリスト、われ汝を呼ぶ」BWV.639J.S.バッハ(ブゾーニ編):コラール前奏曲「汝にこそ喜びあり」BWV.615モーツァルト :ロンド ニ長調 K.485 :ロンド イ短調 K.511シューベルト :3つの小品(遺作)D.946 ベリオ :水のクラヴィーアリスト :悲しみのゴンドラ(第2版) :夜想曲「眠れぬ夜、問いと答え」ショパン :夜想曲 第7番 嬰ハ短調 op.27-1 :夜想曲 第13番 ハ短調 op.48-1ドビュッシー :レントよりも遅く :舞曲(スティリー風のタランテラ※レントより遅く、がラヴェルの「鏡」より“悲しい鳥”に変更。現在60歳という節目を迎え、また同時にデビュー50周年のシーズンを迎えているアンドレ・ワッツ。 1946年西ドイツ(当時)のニュルンベルクの生まれ。弱冠16歳で、かの名指揮者バーンスタインから巨匠グレン・グールドの代役に指名されニューヨーク・フィルの定期に出演、一大センセーションを巻き起こしました。最近は、いわゆる中堅どころばっかり聴いていたのですが中堅どころは力演で、聴く方も熱は上がるのですが、余裕がない。ワッツを聴いて、弾く方にも、聴く方にも「幅がある」というのはこういうことを言うのだ、と再認識しました。ゆったりとした気分で聴けたコンサートでした。プログラムはベリオを除いてはほぼ、年代どおりに進んでいて、移りゆく音色を楽しめました。中でも秀逸はモーツァルト。迷いがないです。まるで即興のようにつむぎ出される音。スポーツマンタイプの巨体から出る予想外のかわいらしい音。真珠を転がすような音を聴いているうち、その繊細さや実直さ、人柄の温かさに素直な音楽の喜びが広がっていくようでまちがいなく、現在の世界屈指のピアニストと私は思います。ただ、ショパンについては若き日のアシュケナージのようなショパン弾きは弾き始めたと同時にショパンフェロモンが広がっていくのですが、ワッツはあまり甘くない、硬派のショパンでした。それはYAMAHAの楽器のせいでもあるのではないか?と思うのですが、・・・・・私はピアノ学習者のくせにショパンが好きでないのに、聴く分にはショパンに過大な期待を寄せます。さらりとしたショパンも悪くないのですが、どこか艶っぽくあってほしい、と願っているのでしょう・・・・先ほども言いましたように若き日のアシュケナージは曲の始まりと同時にショパンのオーラを出してました。CDで聴いた限りでは今はプレトニョフかな~~面白いショパンは・・そういう色の濃いショパンであって欲しかったのですが・・・だけど、アンコールで弾いたショパンの練習曲は、技巧が見事で、ショパン嫌いの私も、ん~~~久しぶりにショパンやろうかな~~って気になりました。だけど、久々に大物のコンサートでした。やっぱり世界を相手に活躍する人はすごいです・・・・・
2007年06月09日
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前に「無制限」を紹介しましたがその渡辺容子の作品です。最初の場面がヒッキー(ひきこもり)がサッカーの応援に行くところ。ヒッキーの友達、というのが赤ちゃん言葉を話す、実はバリバリの進学高校で医学部を目指すほどの優等生。その口調と、設定に最初の場面だけでもう読むのを止めようか?と思ったのですが、少し進むと最後まで一気に行きました・・・・・サポーター仲間や事件が起こってから出会う人など登場人物すべてが現実性はないし、展開も、謎解きも強引で、悪いところだらけなんだけど、それでもなぜか、先を読みたくなるのはやはり、エンタメ性を十分兼ね備えてるといえるのでしょう。(か?)全体としてテレビの2時間サスペンスぐらいの面白さしかないのですが、それでもところどころに光る人生訓があるのであ~~いい方向に行ってるな、とおもうと、また悪くなる・・・・最後に犯人に捕まって、もうだめ、という場面が出てくるのはいつもお決まり。テレビよろしく、すんでのところで助かるのです・・・この話が面白かったかどうかは私もヒジョーに迷うのですが、「魔性」というのは登場人物の誰もが持ってるコンプレックスであったり虚栄心であったり、そういう闇の部分も含んでいると思うのですがはっきりと文中に現れる「魔性」は、なんと!ベートーベン、ピアノソナタ第29番「ハンマークラヴィーア」を指示通りのテンポ、2部音符=138で弾く、という「魔性の手」を持っている、という設定。はずかしながら、今まで楽譜に2部音符=138のきっちりした表示があるのを知らなかった私・・・現代のピアノで、このテンポで弾くのは無理、というのもこの小説で知って、なんとも恥ずかしいのですが、29番など、私のまったく埒外の曲だったので楽譜もきっちり見たことがなかったですね~~楽譜(私が使っているのは全音版=ヘンレ版ですが)にはハンマークラビーアのためのソナタ、とわざわざ書かれています。この時代のハンマークラビーアでは指示のテンポで弾けるものだったのでしょうか?だけど、ベートーベンのテンポ表示で交響曲第5番(俗に運命、と呼ばれるもの)を指示通りのテンポで演奏するとどうなるか、というのを「題名のない音楽会」でやってたような気がしますが、とても演奏できるものではなく、では、=数字、の前の音符を間違ってかいているのか、というと半分のテンポにすると遅すぎる・・・じゃあ、これら、作曲者の書いたのテンポ表示はなんなのか?ということになります。シューマンの「子供の情景」でも同じことがあります。それぞれにつけられているテンポ表示で演奏するととても、たいていの人が標準の演奏、と考えている演奏にはならないです。むちゃくちゃなテンポです。それはツェルニーの、弾けるのならこのテンポで弾きなさい、という意味の表示ではなく、曲を壊してしまうようなテンポなのです。「魔性」の物語の最後の方に実際、指示通りのテンポで弾く「ハンマークラビーア」が演奏されるのですがそれを聴いている者が、まったく音楽はわからない、という設定だったのでその演奏がどうなのか、書いてなくて、じゃあ、そんなもの、話の種に使っただけで意味がないじゃないか、とも思うのですがこの小説はともかく、ハンマークラビーアの2部音符=138にこだわると、ピアニストの誰もが、技術が伴うとか伴わないとかのモンダイではなく、速くても2部音符=108~116ぐらいのところで弾くこの曲のこの表示はいったいなんだろ?と思うと、この本が面白いかどうかはもうどうでもいいわ、という気になりました・・・・しかし、サッカーサポーター殺人事件にハンマークラビーアのアンバランスは思いつきは面白くても・・・・・どう考えても、空回りの感が・・・・
2007年06月08日
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「メゾン・ド・ヒミコ」前々から評判になっていたのをやっと見ることが出来ました。「たそがれ清兵衛」で死闘を演じ、「隠し剣 鬼の爪」で剣術の先生をしていた田中泯が引退したゲイバーのマダム「ヒミコ」になって出ているというのでそれも興味津々。いやぁ~~~「プリシラ」のテレンス・スタンプを思い出しました~~あれ優るとも劣らぬ存在感・・・・それにヒミコの恋人、オダギリ・ジョーの随所に漂うセクシーさ・・・軽薄な青年を装いながらもうすぐ死んでいくヒミコを思う気持ちは切なかったです・・田中泯には遠く及ばないものの、若い俳優さんの中ではなかなかの実力・・・ゲイの人たちの生き方ですからそういうの、絶対ダメ、という人はまず観ないでしょうが、偏見を持たず見れば、人にはいろいろな形での人生の全うの仕方があるのだなあ・・・と思います。「五線譜のラブレター」という作曲家コール・ポーターを描いた映画もゲイを扱った部分がでてきますが、あれは音楽映画で、ダンスの場面は当然なんですが、この「メゾン・ド・ヒミコ」にもみんなで踊る、まるでミュージカルという場面があって、あ~~役者さんというのはみんな歌って踊れるのだ~~とアメリカ映画でいつも思うことをこの邦画で思いました。ダンスの場面、すごく楽しかったです。二重の意味で「五線譜のラブレター」も思い出しました。コスプレしたりして楽しめる場面も多々ありますが全体に漂うのはゲイの人たちの達観した人生観。市民権を得ようと、躍起になっているわけではなく、恥じるわけでなく、開き直るわけでなく、自分は自分を表現する方法はこれなんだ、という強い自意識。差別される側にありながら優しさを失わないこと。地味ながらも邦画の中では秀逸の作品、と私は思います。
2007年06月07日
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この間の「赤い指」ではあまりほめなかったのでこんどは東野圭吾で私がオススメする本の話をします。「トキオ」最初は「時生」と漢字で書かれていたように思うのですが今はカタカナで「トキオ」になっています。これは、性同一性障害やクローン、援助交際や過剰労働、などなどいろいろな社会問題を提起する東野圭吾の小説にしては珍しく全編ロマンティックファンタジーです。また、いつもはだいたい、(ヒーローを除いて)自己中の、ヤな人間がいっぱい出てくるんですが、これは登場人物がさわやかで、好感の持てる人たちばかりです。物語は「トキオ=時生」が二十歳になるやならずで難病で亡くなる場面から始まります。ときはさかのぼってトキオのお父さん、宮本拓実の青年時代へ・・・ここからまたトキオが死ぬところまでだんだん進んでいくのですが1970年代の大阪の様子もよく書かれているし、南港でのアクションシーンも映画のようです。二つの親子関係を重ねる、というのも東野圭吾の小説にはよくあるところ。トンネル事故がきっかけでトキオの父と母が出会うシーンはちょっと出来すぎてるけど、それでも泣かせどころのひとつ。全体が喜劇仕立てで、しかも涙を誘うエンタメものとしてはチョーオススメの1冊。読んだ後、せつなく、暖かい気持ちになれます。「花やしきで待ってる」が効いてる・・・・
2007年06月06日
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ピアノといえば忘れちゃならないグリーグ(忘れてはならない人が多すぎる・・)グリーグのピアノといえばピアノ協奏曲か叙情小曲集でしょう?といわれるかもしれませんがさにあらず。あまり知られていない「スロッテル」です。(いつか、パチンコネタをやりましたがこれはスロット、ではありませんので悪しからず・・・)「スロッテル」はハーディングフェーレ(またはハルゲンダル・フィドルともいいます)というヴァイオリンみたいな民族楽器で演奏する農民舞曲をピアノに編曲したもので編曲する際、装飾、調性、リズム、ポリフォニーにもこだわったそうですがそれ以上に「人が踊るための機能をそなえた音楽を観衆が静かに座って聞くことを要求されるコンサートで、音楽に飽きることなく、この手の音楽の創り出す魂や雰囲気を失わずに演奏することができるだろうか」ということに苦心したようです。私の愛聴しているCDはノルウェーの1927年生まれのピアニストエヴァ・クナルダール女史のものですが、(非常に残念なことに去年お亡くなりになりました。あまり知名度は高くないですが、根強いファンがいたことと思います)もとの民族楽器の音色をおもわせるような音色で弾いています。叙情小曲集もふくめて、いろいろなピアニストがグリーグを弾いてますがこの人ほど「滋味にあふれる」という表現がぴったり来る人もいないと思います。グリーグの音楽がこうありたい、というのをすべて表しています。ひとつにはベーゼンドルファーの楽器のせいでもあるのでしょうがこういう音で弾いて欲しい、というのを具現してくれています。素朴で、暖かく、包み込んでくれるようなピアノです。私は相当以前に買ってますのでBISのレーベルはかなり高かったのですが現在はグリーグばかり12枚組みで7000いくら、という安価でCDが発売されています。さて、この「スロッテル」は17曲の短い曲からなるのですが、その8曲目、「婚礼の行列」というのがあります。題名だけ聞けばさして気にも留まらないのですが実は好きだった女性が結婚してしまい、その行列を見送りながら奏でる、という音楽です。祝う気持ちと、悲しい気持ちが綾を織り成すような切なくなる音楽で、グリーグなら私はこの曲が「この1曲!」です。これと作品番号は別なのですが「明日は君の婚礼の日」というのがあり、この「婚礼の行列」と同じ曲なのかどうか調べようと思っています。またピアノ曲として「スロッテル」作品72となってますがこれを管弦楽に編曲した物もあるようなのでそれも聴いてみたいと思っています。ピアノを語るのにグリーグの叙情小曲集ははずせないのでこれも含めて「北欧の結婚の曲、3題」というのを近いうち書きたいと思います。
2007年06月05日
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図書館に予約してあった「赤い指」がやっと来ました。もう予約してあるのも忘れてました。そして私の後に予約が70件以上あるらしいですが人気ありますね~~人気の秘密は、加賀恭一郎か・・・?東野圭吾の初期の作品からずっと出ている警察官です。始めは学生で、そのあと、教師してましたよね・・・?東野圭吾も50近い年齢となり、また受賞したのもひとつの転機になったのか、作品のなかに落ち着きが見られます。だけど、私はたとえ未熟であったとしても「白夜行」のようなまだまだ果敢に突き進んでいく、といった雰囲気の方が好きです。あとの作品はちょっと納まりかえってるところがある・・・つまり、ベテランが全力を出さずに、6~7分ぐらいの力で書いているという気がする・・・加賀恭一郎が鉄壁の警察官になってる・・・苦悩する部分は出てないことはないけど、30代でこんなに悟ったような人間にしたらまるでシャーロック・ホームズじゃん・・・認知症の親をとりまく人間関係はよく出来ているとは思うけど、出来すぎてる・・・出来のいい人間と、出来の悪い人間との差があきすぎてる。だけど、今現在、出来の悪い方の人間のほうがリアリティがあるのも怖い・・・なんだかんだ言ったけど、謎解きは依然として見事であるし、やっぱり次の作品が出たらまた長い予約の列に入るのだろうなあ・・・
2007年06月04日
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トランスクリプションでもう一人、忘れてはならないのはゴドフスキ(またはゴドフスキー)でしょう。ゴドフスキは1870年~1938年、ポーランド人となってますが作曲家、ピアニストとしての活躍はオーストラリア、南極大陸を除く全世界、となっていますが本当でしょうか・・?ゴドフスキ作曲の曲はすでにご紹介した「マガロフ、ワルツを弾く」に収録されているALT-WIEN (古き都、ウィーン、とでも訳すのでしょうか?)が有名ですが、その名前はショパンの練習曲をもとに作られたという53の練習曲で一番、知られているのではないでしょうか?この曲は極めつけの難曲のようで今まで全曲を演奏したとか、録音したとかいうピアニストも数人しかいないそうです。完成されたショパンの練習曲をこんなに改変して何になるのか?とかいう批判も多く、同じトランスクリプションにしてもラフマニノフほど評価されてないし、CDも少ないようです。でも、バッハの曲など、「これがバッハ?」と言われているのを聞くと却って聴いてみたくなります。アルベニスの「タンゴ」を編曲したものも聴いてみたいです。私はチェルカスキーの最後の日本でのコンサートに行きましたがショパンのポロネーズ数曲、シューベルトの20番のソナタなど2時間のプログラムをこなした後、まだ数曲アンコールをしてくれたのですが80歳を過ぎてのその体力には心底、感嘆したし、そのときのアンコールで弾かれた白鳥(サン・サーンス=ゴドフスキ編がどれにも増してよかったです。ゴドフスキとサン・サーンスはパリで知り合い、親交を結びます。サン=サーンスはゴドフスキーを養子にし姓を継いでもらうよう申し入れましたが、ゴドフスキーがそれを辞退するとサン=サーンスは大変不機嫌になったという逸話があるそうです。また、ラフマニノフ(1873~1943)はほぼ同世代で、ひじょうに親しかったそうです。ゴドフスキのトランスクリプション物も、原曲の音に飾りがいっぱいで、ゴージャスな雰囲気にはなってますが私が思うところ、ラフマニノフよりちょっと翳りがあるというか、マニアック、というか・・・・ちょっと難しい感じなんですね~~でも「白鳥」はいいですよ~~ちょっとメランコリックな感じもいい・・前述の AIT-WIENも懐かしい感じがしてすごくいいです。CDもなかなか手に入らないのですがチェルカスキーのCDの中で聴けるかもしれません。
2007年06月03日
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「この人のこの1曲」ピアノの曲を論じるのにこの人、忘れていませんか?と言われそうなのがラフマニノフ。実は迷ってます・・・・ラフマニノフが作曲した「この1曲」なら2台のピアノのための「交響的舞曲」なんですが、何と迷うか、というと、クライスラーの作曲した「愛の悲しみ」をラフマニノフがピアノ用に編曲したこの1曲。トランスクリプション、というのは「書き換え」や「転写」という意味らしいですが、音楽で言えば編曲、というよりは「再構成」というか、オリジナルの曲とはかなり印象を異にします。有名なところではシューベルトやシューマンの歌曲をリストがピアノ用にしたもの、バッハの曲をブゾーニがピアノ用にしたもの、また、バッハの曲をストコフスキーが管弦楽にしたものなどもそうです。そして、ラフマニノフ。歌曲やヴァイオリンの曲など、さまざまなものを自分の世界に書き換えてしまってます。私が持っているCDの1枚はHOWARD SHELLEY、という人が弾いた輸入盤ですが、ビゼーの「アルルの女」第1組曲よりのメヌエットメンデルスゾーンの真夏の夜の夢からのスケルツォシューベルトの「水車屋の娘」からの「Wohin?」などが入っているのですが、その中で私が一番好きなのがクライスラーの「愛の悲しみ」。原曲のヴァイオリン曲は結構、シンプルですが、ラフマニノフのそれはレースいっぱいのウェディングドレスみたいで愛の悲しみにウェディングドレスもないだろうと思うのですが本当に、すごく装飾されて、「悲しみの花嫁」みたいにドラマを作り上げている・・・楽譜も持っていますがとても弾けそうにはありません。HOWARD SHELLEYという人はこのCDのほかには知らないのですがこのトランスクリプションはすごくステキで、音色が華やかです。ラフマニノフの世界を見事に表しています。この「愛の悲しみ」は前回紹介した「マガロフ、ワルツを弾く」のアルバムにも入っているのであのHPにアクセスすれば視聴することが出来ます。次回、ほかの人の作品でトランスクリプションのステキな曲をご紹介します。
2007年06月01日
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