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2012年02月10日
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カテゴリ: クラシック
 何年か前の話。バレンボイムが日本に来て、珍しくリサイタルを開いたことがあります。サントリーホールで、2夜に亘って、バッハの平均律全巻を弾くという企画。この時、第一巻の演奏会で、大騒ぎになりました。ある意味大したことではないのです。一人のお客が拍手したのです。曲の途中じゃありません。曲の終わりに。ただ、24の前奏曲とフーガ、それぞれが終わるや拍手をしたのです。
 下らないことだから、もううろ覚えですが、このお客が前半12曲、曲間が空いた所(数秒レベルで演奏が停止した場合、といったところか。正に「スキがあれば」)全てで拍手し通したのは覚えています。予想通り、休憩時ロビーでは大騒ぎが。両手じゃ利かないお客が主催者を取り囲んで怒号の嵐。....そう、あくまで怒号が向けられるのは、発した個人ではなくて、主催者の方。後半再開の時に、アナウンスはありましたかね。結局どうなったかは忘れてしまいました。慣れて気にしなくなったのか、止んだのか。どうだっけなぁ。

 思うに、周りが「シーッ!」とかやっても執拗に拍手し続けたあれは、恐らくは意図的に継続した、一種の破壊工作だったのだろうと思うのですね。それも高度な。
 この破壊工作が高度な理由は、「拍手というものは善意のものであり、悪いことではない」という大前提を利用している所にあります。つまり、演奏中に拍手している訳ではない。曲が終わってから拍手している。従って「ルール」違反ではないだろう。では、何故曲と曲の間にいちいち拍手するのが、主催者に向かって怒号を発する人を少なからず生み出すのか。
 質問を少し変えてみましょう。曲と曲の間にいちいち拍手するのは「いけないこと」「間違っていること」なのか?
 この問いに、「正しい」答えを返すことは極めて困難です。何故なら、24の前奏曲とフーガの連続演奏で、各曲の終わりにいちいち拍手するのは、「普通じゃない」というコンセンサスがあるから、なのです。つまり、「普通はやらない」のであって、当然ながら、感じ方には個人差があります、の世界になってしまう。従って、ただ「普通でない」だけのことを「いけない」「間違っている」と断定することは出来ない。
 ところが最初の問いに戻すと、怒号を発する人が生み出されるのには、やはり理由があります。つまり、それは普通は想定されることではないから、聞く者にとっては違和感が残るのです。それは恐らくバレンボイムにとっても同様で、明らかに途中でバレンボイムは戸惑っていました。遠目の表情、演奏の間合いの不自然さ、など。それで演奏自体が大きくぶれたということはなかったけれど、明らかに本来ならそのような短い間隔で演奏しないのでは?という仕方になっていたのは事実でした。それ故に、バレンボイムの演奏に影響を与えた可能性は高い。ある程度のまとまりで捉えられるもの、という、恐らくは双方のコンセンサスを破壊した訳です。この意味に於いて演奏は台無しになった。のかも知れない。少なくとも、怒号を発した人達、そこまで行かずとも「なんだあれ」と思った人達(私もそうですが)は、そのように考えたと思います。

 だがしかし、本当にそれだけで怒号までが飛ぶものなのか?そうかも知れませんが、私はもう一つ、理由があると思っています。
 拍手する、というのは、建前にせよ、「いい演奏でした」という意味合いが含まれている、というのは一応コンセンサスが出来ていると思っています。つまり、拍手というのは純粋な儀礼、手続ということにはなっていません。それは一つの、大雑把ではあるにせよ、意思表示であり、コミュニケーションの手段なのです。

 コミュニケーション。勿論、一義的には、このコミュニケーションは、聴衆と演奏者との間のコミュニケーションです。拍手にせよなんにせよ、それは、演奏者に向けて発せられるものだから。でも、本当は、それだけでなく、「私はこの演奏についていいと思いましたよ。だから拍手するんです。」というコミュニケーションでもあります。だって、個人的にいいと思ったなら、後でファンレターでも書いたっていいでしょう?「あなたの演奏は良かったと私は思う。それを公に私は意思表明する。」拍手とは、そういうことではないのかと。

 だから、あの時怒号を発した人達は、2重の意味でこのコミュニケーションに怒っていたのだと思うのです、潜在的には。一つは、拍手という演奏者を讃えるコミュニケーションを乗っ取られたこと。もう一つは、その拍手から、その拍手を発したものが、まるで音楽に対するこうあって欲しいという常識を備えていない一種の無知によるものか、或いは演奏を破壊するという意味でその音楽を否定しようとしているものか、いずれにせよ極めて不愉快なメッセージを感じたからではないか、ということ。

 その意味で、もし、本当に破壊行為として行われていたのであれば、この拍手はコミュニケーションとしては極めて妥当だった訳です。

 という訳で、更に続きます。






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最終更新日  2012年02月11日 12時31分51秒
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