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いよいよプログラムが発表されました。昨日からチケット抽選申し込みも始まりました。 https://www.lfj.jp/lfj_2026/performance/timetable.html ............................うーん。 まぁ、どっかで改めて書くつもりですが、そりゃ確かに自分結局は梯子するんでしょうよ。毎日行くと思いますよ。それは毎度のこと。ただ、この中途半端さ加減はなかなかだと思いますよ。 テーマの大河はどこ行ったって感じだし。出演メンバーは、まぁ、お馴染みの名前もあるにはあるけれど、半分くらいはあんた誰的な若手お披露目って感じだし。オケで言えば、千葉交響楽団って........... いや、LFJはそういうものを目指すんです、ってポリシーをはっきりさせて、そういう方向に全振りするならいいですよ、まだしも。けどさぁ、率直に言って、これはちょっと劣化版って感じがしますよ。それは随分前からそうではあったけれども、ちょっと閾値超えたかなという感じ。 で、このラインナップ概ね3,000円なんですよね。半分のコンサートで3,000円。 やる側の理屈はわかります。これでも儲けが出ないだの、出演者は手弁当だの、物価も上がってるし、だの、言いたいことはあるでしょう。でもさぁ、それはさ、あくまでやる側の論理、なんですよね。 聞く側はあくまで「半回のコンサートでこのラインナップで3,000円払って行くか?」ということになるんです。これは冷厳たる事実。 N響がE席値上げしてしまったので今は最低ライン2,000円で、しかも著名指揮者が振ると更に高くなるわけですが、それでもLFJの半回公演1つと同じ値段で、ファビオ・ルイージだのがフルサイズの交響曲とか振るのが聞けるわけです。 良し悪しはありますよ?どっちが楽しいかって問題でもあるし。でもさぁ、クラシックのコンサートとして見た時に、これ、聞くものなの? 正直、失礼ではあるけれども、このラインナップの人達が、自前でコンサート開いて、フルサイズでやって、たとえば4,500円くらいの値付けしたとして、どんだけの人が行くだろうか。そんなに行かないと思いますよ。若手って言っても、よく名の知れてる人達は別として。まぁ、私きっと行かないもの。 というか、これ4公演行ったら、さすがにネズミーランド行けるんじゃない?それとも5公演分?知らんけど。でもそういう戦いになりますよこれ。私はネズミに興味ないけどさ。 こういう比較もあれですがね。 アンドラーシュ・シフがこの3,4月に来日します。首都圏での休日の公演はないようで、近場だと仙台で3連休にやるらしい。チケット代が既に1万円くらいですが、首都圏から行くと、新幹線で行って往復2万円はするでしょ。計3万円コース。でも、どうでしょうね。LFJで10公演分として、その10公演とシフ1公演、どっちが期待値高いか、というと、収益に厳しいつもりの博打打ちの私としては、シフなんだよなぁ、やっぱり。まぁ、LFJにはケフェレックも入ってくるからあれだけど、そうすると5公演くらいまで絞り込んで賭け金半分にするのが妥当という話になりそうだなぁと。 ま、行くんですけどね、いつものように。結局。
2026年02月22日
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実のところ、今日はバッティストーニ指揮東フィルのコンサートに行くつもりだったのだけれど、どうにも気が乗らなくて、結局行くのをやめてこれを書いています。行けないこともないんだけどね。演目もカヴァレリア・ルスティカーナとパリアッチだし。でも、気が乗らないものはどうしようもない。気が乗らない理由は、アマチュアの公演だから。そのアマチュア連中がどうにも耐えられないし、聞いてる側の客層も期待出来ないので、やっぱやめた、となるのです。バッティストーニが振ると言っても耐えられないものはある。アマチュアはここでは書かないと言っても聞くに耐えないものは聞くに耐えないし、嫌なものは嫌なのです。 で、昨日は、自らアマチュアを名乗るアマオケのコンサートに付き合いで行ってきました。決して満員ではなかった、というか、正直少なからず空いていたのは、2/14の土曜の夜という日付ですかね、さて。ただ、演奏そのものはかなり良かった。マーラーの9番でしたが、確かによく練り上げた演奏だったし、力量も十分ある、という演奏だったと思います。直近では、東フィルを、まさに今日振る予定のバッティストーニが間に合わなくなったとかでキャンセルしたので代わりに渡邊一正が振ったマーラーの1番を聞いてますが、それと匹敵するような演奏ではあったと思います。人によってはこっちの方がいいと言うでしょうし、私も演奏それ自体は甲乙つけ難いレベルだと思います。で、かたや1番、かたや9番、ということですからね。 アマオケなので、ブラボーがかかりまくります。それ嫌なんだってば、というのはありますが、これは正しい。演奏者のシンパがブラボーを掛ける。個人的にはそういうの好きではないのですが、これはそういう場なので、正しい行為。それがアマチュアということ。私が今日アマチュアでありながら自称プロを聞かされるの嫌さに、バッティストーニを聞きに行かない理由の一つです。 その、昨日の正統的かつきちんとしたアマオケのプログラムで、マーラーの9番の解説が載っていて、曰く、マーラーの交響曲には死のイメージだかなんとかがまとわりついていると。趣旨としては、それ故、最後の完成された交響曲になった9番も自らの死を予感したかのようなイメージで語られるけれど、書いてる当人は10番にも着手していたので、決して自らの死を予感したわけではなかろうとかそういうこと。 まぁ、世の中そういうことになっているんでしょうか?知らんけど。ただまぁ、言いたくなることはわかります。確かにそのように語られるものではありますね。 だけれども、改めて昨日思ったのだけれども、9番の第4楽章、これがまぁ死のイメージの源泉だと思うのですが、これ、そんなに死ぬ死ぬって雰囲気なの、最後の3分くらいじゃないですかね?いや、そこに至るまでにもいろいろありますよ?でもさぁ、そこまで死ぬ死ぬって話なの?「亡き子を偲ぶ歌」のモチーフが....みたいな話もあるようですが、あれは、「亡き子を偲んで"生きてる"父親が悲しんで歌う歌」ですからね?別に当人死んでないんですよ。 個人的には、日本の自称オーケストラ愛好家の少ない層は、最後の3分しか音楽聞いてない説がありまして、皆最後の3分のイメージだけで話してるだろ、という。チャイコフスキーの「悲愴」とか、典型だと思いますよ。第3楽章の終わりでつい拍手しちゃう方がよっぽどちゃんと聞いてるんじゃね?という。まぁ、でもあれか、あれも、第3楽章も第4楽章も最後の3分かな。同じか。 マーラーの話です。 この間聞いた1番で思ったのだけれど、マーラーって、ちゃんと整理して演奏すると、わかるというか、腑に落ちるように聞こえるんですよね。そういえば、去年の夏ザルツブルグに行った時、アンドリス・ネルソンスがウィーン・フィルを振って、前半にマーラーの10番のアダージョ、後半にショスタコーヴィチの10番というのを聞いたのですが、確かにこれはまとまっていて腑に落ちた。ああ、こういう音楽なんだね、というような。改めて思うに、マーラーってとっ散らかってる印象が強いのですが、それをまとめ上げる意思と力量とビジョンがあると、ちゃんと収まるところに収まるのですね。 でも、実態としては、なかなかそういう演奏にはならない。日本のプロオケ(自称他称問わず)はよくマーラー好んでやりますが、この域に到達するのは殆どないんじゃないかな、という気はします。で、アマオケも、好きなんですよね、マーラー。これには多分一つ理由があって、個人的にはもっと古典派やるべきだと思うのですが、そうすると、乗れる人が減っちゃうんですよね。特に管楽器。金管は切実で、演奏人口に対する需要がアンバランスなので、どうしても金管乗せるとなると、後期ロマン派に行かざるを得ない。まぁ、私は楽器やる人じゃないので、実際どうだかよくわかりませんが、古典派あまりやらない理由の一つとしてはこれでしょう。で、結果、ある程度のメンバーが揃うオケは、マーラーをやりたがる。で、プロアマ問わず、相当のレベルに達せられる演奏は殆どないので、「マーラーはこういうもの」という共通認識になっちゃうんでしょうか。実際、私も、この間の東フィルの1番聞いて、考えがまとまったようなものですから。だからと言ってマーラーが好きになったかというと、そういうわけではないんですけれどもね。 とはいえ、言及した行き掛かり上取って付けた訳でなく言うと、昨日の9番は確かにいい演奏と言われて然るべきだと思います。よく整理出来ているまでは行かないけれど、単にとっ散らかった音の羅列、というよりは一歩前に出た演奏だと思います。出してる音の質も悪くないし。本当に、自称他称プロオケのうっかりした演奏なんかよりは全然いい演奏に仕上がっていたとは思います。 ただ、だからと言って、たとえば東フィルより上だ、みたいには、私は思わない。それは、そもそも音楽に対する取り組み方が違うから。これはいい悪いの話ではなくて、そもそも立ち位置が違うということです。昨日のアマオケが年に何回演奏会やるのかわかりませんが、あって年数回でしょう。たいていのアマオケはそんなものです。各演奏者個人的にどうかは知りませんが、普通は昨日演奏会やったら前後1ヶ月はまぁ演奏会はない。東フィルは、1月下旬にマーラーの1番を含むプログラムをやり、月末月初には藤原の公演に出ている。で、今週アマチュア団体に付き合って出ている。これは別に珍しい話でもない。ドイツ系のレパートリーシステムを維持している歌劇場だったら、毎日日替わり演目で演奏するでしょう。そこまで言わずとも、東フィルのように1ヶ月で違うプログラム3つ演奏する。これはアマチュアでは出来ないし、やらないし、やる必要がない。 1つの演目、演奏会の為に、数ヶ月掛けて練り上げて、磨いて、演奏に臨む。なので密度は高くはなるし、精度もあがるでしょう。技量的にも。それがアマチュアというものでもあります。それでも大したことない演奏というのはいっぱいあるわけで、だから、昨日のは良かったけれど、私が基本的にアマチュアは論評しないというのは、そういう立ち位置の差故であり、これは演奏の良し悪しとかとは別の次元の話なのです。 それがまた私が某団体を筆頭にある種のセミプロみたいな連中を毛嫌いする理由。やってること以上に、実態としてはやってることも意識の上でもアマチュアでありながら、屁理屈捏ねてプロでございと言い張り、自分を欺いているから。まぁ、藤原も、最近はそういう感じが増えてきてしまっているし、団体維持も苦しそうだから、そろそろどうなのかなとは思っているけれど。 話をマーラーに戻すと、とはいえ、アマチュアでありながらここまで聞かせるのは素直に凄いとして、もう一つ課題はあると思います。それは、「何のためにやっているのか」ということ。 また慌てて言うのですが、私は、「アマチュアには目的がない」だの「自分のためだけにやってる」だのということを言うつもりは全くありません。誰がどこでどう演奏しようがそれは演奏する人の勝手で、アマチュアの演奏家が、好きなことをやっているのは自由であり、それが結局自分のためだけだとしても、あるいは特定の誰かなり不特定の誰かに向けてやっているつもりだとしても、構わないのです。それを聞く方も自由で、素直にいいと思っていいし、自分の友人知人家族恋人がやってるからブラボーを掛けるのも一向に構わない。アマチュアの演奏会とはそういうものです。不特定多数の聴衆を超えて、公に演奏するというのとは違っていいのです。プロの顔をしながら、実態も意識もアマチュア、という都合のいいことをするな、ということ。で、この演奏それ自体は決してそういうだらしないものではない。 東フィルの方の話でいうと、あのマーラーの1番は、決してなんとなくやってみたという類のものではなかった。ある程度のビジョンを持って、こういう音楽に構築しよう、というのがあったのではないかと思います。その先、では、この演奏で何を表現しようと思ったか、というと、なかなか難しい。そもそも言葉にするのは難しいですからね。ただ、ビジョンの中には、必ず「これはこういうものだ」という認識はある筈で、それがどんなものであるか、はっきり言えるわけではないけれど、ただやってみた以上のものではあったと思います。 昨日の演奏は良かったけれど、ただ、そういう視点で見た時、もう一つビジョンがはっきりしなかった。無論受け取る側の力量の問題というのもあるので、私が理解できなかっただけかも知れません。ただ、このマーラーの9番はどういうものなのか、というようなところまで意識されていたかというと、そういう意味での表現というにはもう一つだったかなと思わなくもない。これは演奏者以上に指揮者の力量にも関わっている問題だとは思います。そういうものを提示し、共有して、表現させる、ということになるんだけれど、どうなのかな。わかんないですけどね。ただ、多くのアマオケは、指揮者との関係が大きいので、言い換えると指揮者の限界がオケの限界になってしまうこともある。難しいところかなと。 前に書いた、「死のイメージ」云々みたいなものとかも含めて、「この音楽をどういうものとして作るか」というのは大事なことなので、オーケストラというものの難しさは、それが各演奏者が持ち得ていたとしても、それを擦り合わせてまとめ上げなきゃいけない、というところにあります。でないとバラバラのイメージのまま演奏してしまうことになる。その初期段階みたいなものはクリアしているとして、その先どこまで行けているかですよね。 個人的には、マーラーはどちらかというと死には拘ってないんじゃないかという気がします。いや、死をイメージは間違いなくしているんですよ。でも、それと同じくらい、いやそれ以上に、マーラーは生に拘っているのだと思います。あのとっ散らかったドタバタの本質は生でしょう。そこに時折入り込む死も、生を前提に見える死であるからこそ時にグロテスクだったり、異常なまでに詩的だったりするのではないのかなと。最後の3分しか聞かない人にとっては、マーラーの9番は偉大なる死の音楽に聞こえるのかも知れないですが、そういう意味ではむしろ死に至る過程こそが大事だったんじゃないですかね。知らんけど。
2026年02月15日
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NHKホール 14:00〜 3階右手 ブラームス:ピアノ協奏曲 第2番 変ロ長調 op.83 <独奏アンコール> ショパン:24の前奏曲 〜 第8番 嬰ヘ短調 op.28-8 ブラームス:交響曲 第3番 ヘ長調 op.90 ピアノ:レイフ・オヴェ・アンスネス NHK交響楽団 指揮:ヘルベルト・ブロムシュテット もうNHKでの放送も済んでしまったのですけれども、今更ながら。10月分まだ書いてるんだものなぁ。今月も忙しかったけど、来月はそれに輪を掛けて忙しそうで.....ブツブツ.......と言っていたのが12月で、更に2ヶ月経ってもう2月ですよ全くもう。どうなってんの>自分 のっけからあれなんですがね。自分も行ってるから他人のこた言えないのだけれども。 基本、N響の客って、年寄り大好きなんだよね。で、巨匠大好き。毎年言ってることですが、ブロムシュテットってもう98歳とかだから、大巨匠みたいになっちゃってるし、スタンディングオベーションだわオケ退出してもしつこく呼び戻すわ、御本人も満更でも無いのかも知れないけれど、さ。でも、やっぱりブロムシュテットって、そういう巨匠じゃないと思うんですよね。結局年寄りだから有り難がってるだけのお客は少なくないと思うんですよ。こういうのって朝比奈の頃からなんだけど、ほんと巨匠ジェネレーターっつーかさ。そういう感じはあるなぁと。 いや、だって、ブロムシュテットなんて、皆、ロサンゼルスの頃とか大して評価してなかったでしょ?サヴァリッシュ存命の頃は特にそうだったし。サヴァリッシュ引退後は急に注目し始めたけど、その前から既に名誉指揮者扱いだったんですよ?なのに、あの冷淡さはなんだったんだと。結構早くにベートーヴェンやシューベルトの交響曲全集もゲヴァントハウス管で入れてたけど、皆結構冷淡だったし。いや、決して人気なかったとは言わないけれど、今みたいに騒ぎ始めたのは彼が90超えてからくらいじゃなかったか。ま、いいけどさ。でも、ブロムシュテットは昔も今も安定してると思うんですよ。円熟さを増した....とか、ないとは言わないけれど、でも、良し悪しを言えばそんなに変わらないと思うんですよね。少なくとも私がコンサート通い始めた頃からは。それでも還暦過ぎからってことになるので、まぁ、確かに驚嘆すべきではあるんだけれども。 あースッキリ。<これ書いてスッキリして上げるの放ったらかしになってたという... 閑話休題。 演奏の話ですが、しかし、そんなこと言っときながら、買うのを出遅れたので、3階右手と言いつつ結構横後ろの方。あまりいい席ではなかったのは確か。だから、感想にはそれも影響される気はしてます。いや、普段、それがあっても大体経験値でこんな感じでしょ、というのはあって、そんなに外さないのだけれど、今回は、翌週聞いた別のと比較すると、なぁ.....と思ってしまったので。いつもあまり気にしないけれど、聞いてる場所の影響は今回はあったかも知れません。 で、見ての通りのブラームス・プロ。前半はピアノ協奏曲の2番。しかし........うーむ。 私、この曲苦手なんですよね。というか、思うに、ブラームスは交響曲は好んで聞くのだけれど、どうも協奏曲は苦手。それでもヴァイオリンはまだしもなのだけれど、ピアノ協奏曲はどうも。長大さがしんどいのかしらね。交響曲の第1楽章よりも長いし、結構ピアノに振っていると思うのだけれど、やっぱり飽きてしまうという.... 独奏はアンスネス。アンスネスいつぶりだろ、と思って自分のブログググったら、2011年のN響のが出てきました。この時もブロムシュテットだったのね。なんか、その他に、リサイタルも聞きに行ったこともあったような気もするんですが、書いてなかったのかな。まぁ、ともあれ、なんというかいつの間にか中堅から通り越してきた感じの人ではあります。いい演奏だったと思います。でも、なぁ.......まだしも、いつもより面白く聞けたのは間違いないのですが、でも、なぁ.......他の曲が良かったかな........ちょっと勿体無い気が..........まぁ、ブラームスのピアノ協奏曲にケチつける方が多分悪いんだと思うんですけどね。でも、この曲はなかなか楽しめるようにならないのだなぁ.......先の楽しみがまだ残ってる、と考えるか..... アンコールにショパンの前奏曲。これも良かった。 後半は交響曲の3番。 そうねぇ........そう言っちゃ申し訳ないんですが。私、これ聞く前にこの週にセミョン・ビシュコフ指揮のチェコフィルを聞いてるんですよね。うち一つはもう書いたけど、NHK音楽祭と称して我が祖国を聞いたわけですが。これ、ビシュコフには申し訳ないんだけれど、正直、ブロムシュテットがチェコフィル振ってくれたらもっと良かったのに、と思ったのは確かでした。ビシュコフが悪いんじゃないです。N響がね..... 聞いてる席が悪いのは確かです。ただ、それでも響きとかいうものは、それなりに分かるんですけどね。どうも、固いんですよね。この交響曲って、華やかというわけではないけれど、聞いているとところどころに花があって、決して派手ではないけれど、そういうところはちゃんと微かに匂うような花を感じさせて欲しいのだけれど、花が開かないというか.... で、後出しジャンケンなんですが、この後何度かN響聞いてるんですけど、どうにも安定してないんですよね.......日によってムラが激しいという。しかも、誰だからいいとか悪いとかいうのとも違う。これは、どういうことなんでしょうね。 なんかね、基礎的なところがしっかりしてない気がするんですよ。そういう不安定さって、日本の他のオケ、たとえば東響とか東フィルとか、割とあるあるではあるんですが、N響もそうなっちゃったな、という。まぁ、N響がそこそこのレベルで安定してたのは、2010年前後だったかな、というくらいで、その前は公務員的安定だったかなという。だから安定してりゃいいじゃねーかってもんでもないんだけど。
2026年02月14日
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みなとみらいホール 15:30〜 2階舞台右横 ベートーヴェン:交響曲第7番 イ長調 op.92 ロッシーニ:「どろぼうかささぎ」序曲 バーバー:弦楽の為のアダージョ ワーグナー:ワルキューレの騎行 J.シュトラウスII世:ワルツ「美しく青きドナウ」op.314 <アンコール> マスカーニ:カヴァレリア・ルスティカーナ 〜 間奏曲 NHK交響楽団 指揮:トゥガン・ソフィエフ Bunkamura主催という体で続いてきたN響オーチャード定期ですが、いよいよオーチャードホールが全面休館になるから、というので、来シーズンはみなとみらいのみ、しかもそれで一旦N響オーチャード定期としては終わりになるそうです。どうなのそれ......で、今後どうなるかわからないので、持ってた座席も一旦白紙になるそうです。どうなの、それ......... 確かに、東フィルの定期も、来年11月の回を以てその先が見えない形になっていて、どうすんだろ、と思ってたのですが..........東フィルの今のポジションはキープして頂きたいと切に希うわけであります。N響とか文化村っつーか東急とかはさ、薄情というか官僚的だから、大して期待はしていないし、さもありなんとは思うんだけれどもさ。 で、終わりが見えてしまったN響オーチャード@みなとみらいであります。これ聞いてた時はそんなことはつゆ知らず、来季はどーなるのかなーくらいに楽しみにしていたのですが...... 今シーズンは「魅惑の映画音楽」シリーズということで、言われりゃ確かにそうですね、という曲なのですが、こうやってみると悪く言えばまとまりも何もない選曲、ではありますかね。 面白いのはアンコール。大概、昨今日本でオーケストラのコンサートで、1月の初め頃にやると、だいたい「美しく青きドナウ」が最後に組まれてたりして、そうすると最後はラデツキー行進曲でさ、皆手拍子でさ、というお正月気分を楽しむ的なのがありがちで、N響オーチャード定期もたいていこの辺の1月第2週の週末に組むので、これ当然ラデツキーなんだろうな、と既定路線と理解していたら、まさかのカヴァレリアがアンコール。で、カヴァレリアの後にラデツキーなんて気分になるわけもなく、そのまま終了........空気読まないわー、ソフィエフ(笑) いや、いい意味で。 カヴァレリアなのは、映画音楽繋がりなんでしょうね。この日のプログラム、映画で言うと、前半が「英国王のスピーチ」。後半は「時計仕掛けのオレンジ」「プラトゥーン」「地獄の黙示録」「2001年宇宙への旅」、で、アンコールはやっぱり「ゴッドファーザー3」でしょう。うん。繋がってはいる。見事に。全くもって正月早々なんちゅうドゥロドゥロなラインナップ(笑) まぁ、後半はこんな感じですから、措くとして、前半のベートーヴェンの7番。これは悪くなかった。ただ、全般に、なんというんでしょ、音は大きくて元気いいんだけど、ちょっと粗いかな、という感じ。それでもベートーヴェンは、なにしろ舞曲続きのリズム勝負というところもあるし、曲に構成があるから、まだ格好がつくんだけれども、後半は、ねぇ。それでも地獄の黙示録はまだいいけど、プラトゥーンとか2001年宇宙への旅となると、歌わないとなんだけど.........歌わないんだよねぇ...........オケが.......... 悪くないっていや悪くないんだけれど、もうちょっと歌ってくれないと聞いてる方はちょっと辛いです。カヴァレリアなんて、その権化みたいな曲なのに...... 思い返せば、話は前後するにせよ、10月から毎月のようにN響は聞いているのだけれど、どうにも今ひとつという感が拭えません。方向性は各々あるにせよ、なんか地力が弱ってる、みたいな感じなんですよ。まぁ、前からでしょ、と言えばそうなんだけれども、ねぇ。「公務員の音」という話をこの間書いたけれど、端的にいや公務員の音ならそれなりに安定してその中でも少しづつでも良くなっていくのなら、まだしも方向性だけはあるのかも知れないけれど、ムラというか、いい時悪い時がはっきりしてるというか、そんな感じもあってね。どうなんだろうな、これ。
2026年02月11日
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サントリーホール 19:00〜 ピット席 J.シュトラウス II世:ワルツ「もろびと手をとり」 ベートーヴェン:交響曲第9番 ニ短調 op.125「合唱付」 ソプラノ:迫田美帆 アルト:中島郁子 テノール:渡辺 康 バリトン:上江隼人 新国立劇場合唱団 東京フィルハーモニー交響楽団 指揮:角田鋼亮 思い返せば10月あたりから色々溜まってるんですが、年が明けても滞ってた理由の一つにしたいのが、この公演でありまして。いや、もっと早く書こうかと思ったんだけれど、いくらなんでもね、というのでね....ちょっと書くのにも体力使いそうだったので、結局2月になりましたとさ。 もうこの辺から予想が付くと思いますので、久々にたっぷり余裕を空けようと思います。日本の合唱界は素晴らしいと思っている方はどうぞここでそっと閉じて下さい。.....................もうちょっとかな............................................そろそろいいかな......................... さて。 そもそもですね。こちとら「第九」をサントリーのピット席で聞いてる訳です。だから、正直言うと、あんた何言ってるの的な話ではある筈なんです。でもこの日のはちょっと酷かった。 まず、オケはひどくない。まぁ、それなりです。言いたいことがないわけではないけれど、こんなもんでしょう。独唱陣は、そもそもピットの前の方で聞いてますからね。最初からまともに聞こえるわけじゃないし、それは期待していないし、それにも関わらず文句あるのかといったら、まぁ、これも、言えばキリはないけれど、所詮第九だしね......といったところかと。 問題はね、新国立劇場合唱団なのですよ。 あとで調べたら、同じ日に確かN響も第九をやっていて、こっちも新国立劇場合唱団で、16時から。だから、或いは、あっちが1軍でこっちが2軍だとか、中には餅代稼ぎで掛け持ちしたやつもいるかも知れない。そういうことはあり得るんですけどね。ただ、それにしても、ちょっとどうなのと。 くどいようですがピットの前の方、それも所謂R側、ピットだと左側なのですが、男性合唱の後ろ、で聞いてますから、声のどうこうは言っても詮無いことです。そこはどうでもいい。ただ、何しろ合唱が向こう向きとはいえすぐそこにいます。だから、何を歌ってるかはよくわかる。どう歌っているかも。これが、ちっとも「第九」歌ってるように聞こえないのですよ。 私は専門家でもなんでもないけれど、ちょっと声を出すことはしていて、第九も随分昔、もう30年前に一度合唱で歌ったことはあります。素人ですけどね。本格的に金を取れる公演ではない。あくまでアマチュア扱い。但し、オケは東響、指揮は秋山和慶。なので、アマチュアだけれど、随分練習させられました。何しろ5月からやってました。長くやりゃいいってもんじゃないし、真面目に行ってない方だったし、何回来ないと載せません、みたいなこともなかったけれど、発音から、これは何歌ってるんだ、みたいなことからやらされた。だから、少しは分かるのです。 で、その時の記憶から言うけれど、君達当時のアマチュアより歌になってないよ。 上手い下手じゃないんです。何歌ってるか、全然伝わってこない。 そもそも発音も良くない。ただ、それ以上に問題なのは、言葉に対する思い入れがない。アマチュアでも2、3ヶ月で「第九」歌えますよ、つって、カタカナの歌詞カード渡して、これで歌えばいいんです、みたいなことするじゃないですか。ああいう感じ。要は歌ってる内容と歌うという行為との関連がないんです。 合唱で言うと中盤、今見てるブライトコップ版では練習記号とか小節番号書いてないんで説明しにくいのですが、合唱も独唱も一旦止んでオケが煽るように奏でて後、木管が「ターンタンタン」と3回繰り返して合唱のみで「Freude, schoener Goetterfunken」と歌い出すところ。ここからは合唱の白眉であって、一番歌うべきところなんですよね。ここは、歌って欲しいのです。いや、ここで歌わなきゃいつ歌う。ここは、意地でもレガートで長くフレーズを取って歌い切るべきだし、出来なくて息継ぎしても仕方ないから、意識は切らしちゃあいけない。それが歌ってものです。でもねぇ、全然歌ってる感がないのです。「そこにそう書いてあるからそのように音を合わせて声を出してみました」といったところ。この冒頭のワンフレーズは、 Freude, schoener Goetterfunken, Tochter aus Elisium,となります。拍がー、アクセントがー、とかいうことでなく、この中で大事な言葉は何か?_と言われたら、私はGotterfunkenの前の方とElisium、それに頭だから当然なのだけれど、Freudeを強く発音します。いい加減に訳すと「喜びよ、美しき神々の火花よ、楽園の娘よ」みたいな感じだと思うのですが、大事なのは「喜び」はともかく、「神々」と「楽園」じゃないのかと。少なくともElisiumのliのところにはスフォルツァンドが付いてるし、であればそういう風に歌うものじゃないのか。そして、それ以外は平版とも行かないでしょう。歌なんだからさ。 要するにそれをまるで棒読み状にいっちゃうわけです。歌っちゃう、とはもういえないレベル。 他も似たようなもの。別に私の解釈が正しいとは言わない。ただ、あまりにも、何考えてるかわからない、歌になってないような「合唱」なのですよ。 2軍だろうが、疲れてようが、これはダメだろと。しかも君ら一応新国立劇場合唱団を名乗ってるんでしょ。いや、ひょっとすると、僕ら演劇部門で劇中で合唱するとこ専門で、ちゃんと歌やってないんです、とか言う可能性だって無きにしもあらずだし、もっと言うとそもそもエキストラばっかりだったかも知れない。でも、そうだとしても、これは指導者があまりに雑というか仕事して無さすぎると思います。 このレベルは指導者がちゃんと教導しなきゃいけないし、すりゃもっと改善すると思いますよ、流石に。 オペラでも、最近の合唱は酷いな、とは思っていたけれど、第九でこれじゃぁね。指導者の力量が無さすぎるのだと思います。それか、名前に溺れて省みることなく雑にやらかしてるだけなのか。まぁ、指導できてないんだと思いますけどね。 昔からこんなもんだったのかも知れないですけどね。私が気づいてなかっただけで。だとしても、なぁ。 昔はN響だと新国じゃなくて国立音大だかの学生合唱団でやってたと思うのですが、あれの方がまだよかったんじゃないかな。
2026年02月09日
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新国立劇場 14:00〜 4階右側 クララ/金平糖の精 : 東 真帆 ドロッセルマイヤーの助手/くるみ割りの王子 : 奥村康祐 ドロッセルマイヤー : 福岡雄大 シュタルバウム : 中家正博 シュタルバウム夫人 : 関 優奈 フリッツ : 村田剣一 クララの祖母 : 川口 藍 クララの祖父 : 樋口 響 ハウスキーパー : 関 晶帆 執事 : 小柴富久修 ダンス教師 : 根岸祐衣 ダンス教師の夫 : 水井駿介 クララの友人 : 奥田花純 赤井綾乃 士官候補生 : 石山 蓮 菊岡優舞 田中陣之介 兵士人形 : 小野寺 雄 コロンビーヌ人形 : 五月女 遥 ハーレキン人形 : 森本亮介 新国立劇場バレエ団 東京少年少女合唱隊 東京フィルハーモニー交響楽団 指揮 : マーティン・イェーツ 振付 : ウィル・タケット まぁ、最近は年末年始の恒例で通っております、新国のくるみ割りであります。 正直バレエにはそれほど思い入れはないので、却って平和な心持ちで、毎々ツリーがでっかくなるのを楽しみに見に行って喜んで帰ってくるのですが、今年はやや波乱が。いやまぁ、結局喜んで帰ってきたのには変わりはないにはないのだけれども。 新国のくるみ割り人形は昔から定番の演目なのですが、2018年からは毎年年末にやってたようです。2020年の年末もやってるので、なかなかガッツのある話です。で、どうやらその前年の2017年に出した演出がずっと使われていて、これは、主人公の女の子、クララですね、彼女がやや大人びた感じで、といってもまぁ子供ですがね、あくまで、まぁ、そんな感じの描かれ方をしているものだったのですが、基本オーソドックスなスタイル。むしろ物語性を表に出したようなものだったかなと。 で、今回から、演出が変わりました。なんというか、ちょっと複雑化。 演出家というか、振付のプログラムノートによると、クララの年齢はもうちょっと上。ドロッセルマイヤーの助手に恋心を抱く、というのが明記されていて、かつ、基本的にこの舞台はクララの夢の世界である、なので、ツリーがでっかくなるあたりからの登場人物は、その前のクリスマスの夜会の登場人物と重なっている、という。言われりゃ違和感無いんですが、見ていると、ちょっと新鮮な感じではあります。なんというんでしょうか。「いつもの」「あのくるみ割り」を見に来ているつもりが、あれ?そうじゃないなこれ、という感じ。クララは金平糖の精となって踊ります。夢だからね。大抵の演出は、クララは「お菓子の国に客人として招かれるので座って見ている」ということになるのですが、この演出ではクララはドロッセルマイヤーの助手にしてくるみ割り人形の王子と主役として踊るのです。ま、夢だからね。でも確かに新鮮。 くるみ割り人形は意外とあちこちでも見ているつもりですが、基本、内容的には流して終わり、なんですよね。つまらないというのではない、ただ、別にくるみ割りに深くは求めてないというか、そういうつもりで見に来てない。お茶漬けみたいなもんで、なんか変に拘ったものは求めてないよ、という。そのブルーチーズ茶漬けとかいうのやめてよね。お茶漬け言うたら鮭か梅干しかただの海苔茶漬けか、みたいなね。で、お茶にこだわりが、とか、鮭はどこそこの特級品のどうたらこうたらとか、そういうのもいいから、という。 じゃこれはブルーチーズ茶漬けかというとそうじゃない。宇治の名店のお茶を取り寄せました、みたいなのとも違う。なんていうんでしょうね。そうだなぁ、お茶漬けなんだけど、ただのお茶と海苔だけだとちょっと味が足りないでしょ、って言って塩ひとつまみ入れときました、とか、昆布の佃煮ひとつまみ載ってます、みたいな。凄く奇を衒ったわけではないけれど、あ、確かに一味あると違うね、というような。 なんだそれ。<自分で言うな あとは、やや「現代演出」っぽくはありましたですね。オペラの現代演出というのとは違いますよ。舞台設定自体は時期がよくわからない感じ。今の日本ではないですね。まぁ、なんとなく19世紀末くらいの欧州のどこか、というような。それは現代的じゃない。じゃぁ何が現代的かというと、出てくる踊り手。秀逸なのがゼリー。ゼリー?ゼリーの踊りなんてあったっけ?あるのですよ、これが。ゼリーが出てきて踊るのです。何言ってるかわからない?来年見てください。是非。 物語性が織り込まれることで、確かに今までにない物語の縦深は出たように思います。確かに、バレエでは物語に奥行きを出すのは難しかったりするので、その意味ではこれは面白かったと思います。出てくるお馴染みの踊り手たちも今までとは一味違った新味があって、これもこれで良かった。 強いていうと、これが陳腐化しないかな、というところかなと。今回は新味故に面白く見られましたが、物語性を出すということは、同時に方向性をつけてしまうということでもある。縦深が出る分、幅はやはり狭くなりがちだと思います。前の演出は、今出しても決して楽しめないものではないと思います。その程度には練れていたし、古びてもいなかった。それを敢えて新演出で挑むのも、まぁ悪くないですが、ただ、これが同様に10年近く持つようなものなのかどうか。これは時間に委ねるとしましょう。何回も見ているうちに飽きるのか、それとも飽きずに見続けられるのか。とりあえず今回は面白く見られましたので、良いのではないでしょうか。 音楽的には、まぁ、東フィルも毎度毎度なので、ね。この日は悪くなかったですよ。
2026年02月09日
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NHKホール 18:00〜 3階左側 シューマン:交響曲第3番 変ホ長調 op.97「ライン」 ワーグナー:神々の黄昏 〜 ジークフリートのラインの旅 / 葬送行進曲 / ブリュンヒルデの自己犠牲 ソプラノ:タマラ・ウィルソン NHK交響楽団 指揮:フィリップ・ジョルダン 今日はあまり予定がなかったので、夜に聞きに行くかと思って買ってあったのですが、今日から明日日曜にかけて雪の予報。やめとくかな.....とも思ったのですが、昼間の雪も積もるほどではなかったし、まぁ、坂の登り降りは大変かもだけど、電車が止まるまではいかないだろ、と思って向かったのでした。 実際行ってみたら意外と人は居る。とはいえそこそこ空席はあったので、元の売れ行きもそれほどではないだろうにせよ、諦めた人もいたのではと。まぁ、正直、このプログラムだと、躊躇する気もわからなくはないかな。 元々Aプロは本格的で重量級のプログラム、というのが売りでした。サントリーでやるBプロが無駄にそういう感じを出してるところはあるにせよ、その位置付けは最近まで変わらない筈でしたが、今回は「ライン」に黄昏の音楽抜粋。これは昔なら、とっつきやすかったりちょっと本流から外れたものをやったりする位置付けのCプロの演目かなと。まぁ、いいんだけどね。 でも、シューマンの交響曲は、ちょっと昨今では微妙な位置付けかも知れないかなと。昔はブルックナーもマーラーもそんなにお気楽に演目には乗ってこなかったと思いますが、最近は皆気軽に入れちゃいますからね。ブラームスが軽く感じるくらい。その頃のシューマンはプログラムのメインに据えて見劣りするような感じはなかったと思うのですが、前半でねぇ。それで後半がワーグナーというのはなかなか..... 演奏は、まぁ、「ライン」生で聞くのは久々かも知れませんが、面白い曲ですしね。良かったには良かったかな。ただ、やはりNHKホールは広いので、今回もかなり横の方で聞いていたのですが、そうなると、距離感が出ちゃいますね。でも、昔はそこまで距離感なかったんですよね。その辺の問題かな。あと、聞いていて「ああ....」と思ってしまったのだけれど、金管が弱い。合わないとか、ミスとか、勿論そういうのはあるんですが、なんかねぇ....... これこの間も書いたかな。最近N響聞いていて、昔感じてた「公務員の音」って感じがまた蘇る瞬間があるんですよね。今回は、金管が特にそういう感じ。なんかね、「楽譜にそう書いてあるから自分なりにそういう音出したつもりです」っていう感じなんですかね。音が音価通り最後までちゃんと聞こえるようにやらない、ってのがその結果なんですが、もう一つ、そのフレーズが何を意味してるのか、聞いててどういうつもりかわかんない、っていうのがあるんですよね。 で、それがもろに出てしまうのがワーグナー。結局、神々の黄昏っていうのは、何をどう言おうが、オペラなんですよ。しかも、例のライトモチーフというやつ、あれ自体は別にワーグナーが発明したのでもなんでもなくて、いろんな形で音楽のフレーズが象徴的に使われるというのをより体系的にやってみせたというだけのことなんだけれど、それ故に、「このフレーズはどういうことを言っているのか?」というような、この部分の演奏で何を聞かせたいのか、どう聞かせたいのか、というのをどう考えてるのかがわかんないんですよね。聞いていて。だからついつまらなくなっちゃう。特に金管がね。ブリュンヒルデの自己犠牲、今回はジークフリートの亡骸が到着したあと、ブリュンヒルデが舞台に登場して後のところから演奏するスタイル。それはいいんだけれど、この場合、ブリュンヒルデの語りの途中、ブリュンヒルデが激するところ。金管が休符を挟んで叫ぶ、そういうところのね、迫力というか、普通に演奏しちゃうんですよ。いや、それは、あまりにも劇として弱いだろうと。上手い下手以前に、そういう舞台の動き、物語の動き、歌の動きを受け止めてないというかね......そういう音楽じゃないと思うよ。 悪い演奏じゃなかったとは思いますよ。でも、いや、そうじゃないんだよなぁ.........という、ね。 タマラ・ウィルソンは、まぁ、NHKホールでこれ歌って一応聞けたので、良かったんだとは思います。でも、大騒ぎするほどのことでもないなぁ。 まぁ、小雪ちらつく中行って損したとは言いません。でも、まぁ、こんなもの、って感じではありますかね。定常運行ってことでもあります。
2026年02月08日
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オーチャードホール 15:00〜 3階正面 レスピーギ:ピアノと管弦楽のためのトッカータ <独奏アンコール> D.スカルラッティ:ソナタ K.96 L.465 マーラー:交響曲第1番 ニ長調「巨人」 ピアノ:五十嵐薫子 東京フィルハーモニー交響楽団 指揮:渡邉一正 東フィル1月シリーズはバッティストーニが登場!の筈だったのですが、なんかスケジュールミスで、その前にシドニーだったかからやってくる深夜便が実は飛んでなくて来られない、という、まぁそう言っちゃなんですが前代未聞の理由でキャンセル。いやいやいやいや。 もう興味ないんですかね。確かに、東フィルは3シーズンオペラないですからね、バッティストーニ。アマチュアとの演奏会が東フィルで2月にあって、そっちはまだキャンセルになってないけど.....個人的にはやはりチョン・ミュンフンよりはバッティストーニの方が好きなんですが。 で、代振りが渡邊一正。コロナで演奏会が一斉に停止されて、復活第一回の演奏会も渡邉一正だったのですが、今回も困った時の一正ってところで。いや、この前の週にもキャンセルされた演奏会があって、そっちはコバケンだったんですが、定期の方は渡邉一正。それはいいんですが、なんだかなぁ.....どうしよう......と思ってたら、払い戻しの案内が。それはそれでどうなの、ってことで、平日はわざわざ行かないとして、休日は行くことにしました。 行ってみるとそこそこ空席が目立つ感じ。半分は居たのかなぁ。3階は比較的人が居たように思いますが、それでも6割くらいだったのか。1階はもっと少なかったと思います。 まぁねぇ。バッティストーニのつもりで居たらキャンセルだった、というのでがっかり、というのは気持ちはわかりますけれどもね。わかるけど、ちょっとあからさまかなぁ。まぁ、ひとのこた言えないんだけどね。 前半のレスピーギは、正直よく分からなかったです。端端で、特に響きが、時々面白くはあったけれど、うーん。そんなに一所懸命聞きたいとまでは思わないかな。賑やかな曲ではあるけれど。 独奏の五十嵐薫子も、だから、あまりよくは分からなかったです。ただ、アンコールのスカルラッティは、ちょっと選曲ミスではないかな。勿論アンコールだから、好きなもの弾いていいんですけれどもね。でも、こういう賑やかな曲の後で、本来端正な音楽のスカルラッティはちょっとテイストが違うので、演奏する方が難しいと思うのです。でも、それがあまり上手くいってなかったような。ちょっと粗かったですかね。勿体無い気はします。 後半はマーラー。 いや、面白かったですよ。正直「巨人」なんて聞きたくなくても何度も聞かされているのだけれど、あんまり面白いと思うことは多くないんですよね。相変わらず見通しが効かないというかとっ散らかっているというか。 この日は、どういう塩梅かよく分からないけれど、そういうとっ散らかった感じがあまりなかったように思います。こっちの聞いた感じに過ぎないので、ただの思い込みかも知れませんけれどもね。でも、マーラーでよくある感情過多、表現過多、身振り手振り多過ぎスタイルの演奏とは違って、落ち着いたものだったと思います。そういうのがいいと言われるのかどうか、多分こういうのはあまり「いい演奏」だの「名演」だのとは言われないと思うんですけれどもね。でも、マーラー聞いていて、嫌味に感じない、膨満感を感じない、といって無理にスタイリッシュにしようとするようなのとも違う、こういうのはあまり多くないです。これ途中まで書いて暫く置いてしまっていたのだけれども、改めて思い返しても好感の持てる演奏ではあったと思います。 ちょっとね。もったいないなと思いました。結構いい演奏だったのにね。勿論私もバッティストーニ聞きたかったし、その意味ではとても残念。でも、だからって、聞かないのも、時には勿体無いということもあるのですよ、きっと。
2026年02月05日
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東京文化会館 14:00〜 5階右側 プッチーニ:妖精ヴィッリ アンナ:迫田美帆 ロベルト:所谷直生 グリエルモ:清水良一 マスカーニ:カヴァレリア・ルスティカーナ サントゥッツァ:小林厚子 トゥリッドゥ:藤田卓也 ルチア:米谷朋子 アルフィオ:森口賢二 ローラ:高橋未来子 ダンサー:木村寿美、田川ちか、時安結女、西田知代 藤原歌劇団合唱部 東京フィルハーモニー交響楽団 指揮:柴田真郁 演出:岩田達宗 藤原歌劇団の公演ですが、どうやらこのあと暫く日本語のオペラばかりやって、藤原のレゾンデーテルみたいな筈のイタリアオペラは来年3月に蝶々夫人まで無いようです。藤原もなぁ.....いよいよこうなっては観に行く理由もなくなったかなぁ........といって、アマチュアに行く気もあまりしないし、新国もなぁ...... 日本のオペラ団体が日本で公演を打つのもここまで落ちてきたか、という思いは一入です。正直藤原以外の団体は皆実質的にアマチュアですからね。新国立劇場が出来た頃は、これで日本のオペラももっと盛んになる!みたいな話でしたが、現実はずっと先細り。まだしもマシな新国だって低調ですしね。 どうしてこうなった、というのは色々理由はあると思いますが、まぁ、新国が出来る頃に、文化庁が助成とか出す基準をおかしくしてしまったようで、それが、志の無い(ありゃ低いなんてものじゃない)連中を多数輩出して、結果、まともに相手されないような連中が溢れかえってしまった......といったところでしょうか。 とはいえ、手心加えて「よかったですね〜」なんていうのはダメを加速するだけなので、やはりきっちり言わせて頂こうと思います。ひょっとすると藤原に関して何か書くのはこれが最後になるかも知れない、くらいには思いつつ........だって、蝶々夫人嫌いだし.......... で、のっけからですが、もうなんというか、本当に............はぁ。出るは涙か溜息か、といった調子でした。 一応言うと、これ、土日公演で、土曜日に砂川涼子が出ているので、位置付け的にはおそらくは土曜が表で日曜日は裏キャストなのでしょう。失礼な言い方ですけれどもね。でもそんな感じ。なので、確かに、あまり期待は出来ないのですが... 歌唱陣は、サントゥッツァの小林厚子だけがまぁまだ及第点だったかなと。それ以外は正直言及の余地無し。。 そう書くと、「いや、ちゃんと皆歌えてたじゃないか」と言われそうですが、声でかいのは大概がなってただけです。そう、ああいうのは、がなるっていうんです。 わかりやすいのが、トゥリッドゥ。確かにパッと聞くと、声は大きいし、いい!って思う人はいるんでしょう。でも、率直に言って、歌としては、何したいのかさっぱりわからない。まぁ、確かに、トゥリッドゥって、そもそも浅薄でくだらない役なんだけれど、とはいえ、浅薄なりに、その時その時何を考えていて、どうしたいのか、というのはある。それを歌にしなきゃいけないのだけれど、それが出来ていない。だから、二重唱でサントゥッツァと歌うと、ちゃんと心の動きが見えるサントゥッツァと、何したいんだかわからずにがなってるトゥリッドゥという形になってしまい...... この辺の、何歌ってるのか分かってるのか、というのは合唱も同じ。そもそもこの日の公演は、「妖精ヴィッリ」の最初からなんだかなぁという感じでして。このオペラ、村の青年ロベルトが村から町へ行くところから始まるのですが、そこで、村人が村の青年が出掛けるのに「ばんざい!」と叫ぶのです。そう、Eviva!なんですね。このEviva!が、正直、ヴェルディの「オテロ」で主人公が登場、というか、嵐を乗り切ってキプロスに上陸した英雄的司令官に叫ぶあれじゃねーの?というくらいに乱暴でやたらと声がでかい。もうこの辺から「一体この人たち何したいのよ....」という感じでした。 声がでかいのはいいのよ。元気なのもいいのよ。でもさぁ、そこで自分が、どういうシチュエーションで、何を歌っているのか、もうちょっと考えろやと。これは勿論指導者の問題でもあります。指揮者の問題でもある。 合唱が何したいんだ、というのは、カヴァレリアでも。復活祭の日、合唱が教会から主を讃える合唱。これもね、ここは神に祈ってる訳ですよ。しかも喜ばしい感謝の歌。いや、それに対し、解釈として、そうではない含意を持って歌うのならば、それでもいい。でもさぁ、君ら、何も考えてないでしょ。そう書いてあるからそう歌っただけで、自分、というのはつまりその役所が、何を考えて何を歌っているのか、考えてないでしょ。それはその他大勢の村人であっても、考えてやらなきゃダメなのよ。とてもそういう風には見えも聞こえもしなかった。 確かに、演出にも問題はあります。いや、演出もきっちり問題かな。 ある意味オーソドックスではあります。ただ、予算の都合もあろうとはいえ、ちょっとそれどうなの、という舞台の作りではある。 舞台中央には噴水のような場があって、その中央に祭壇のようなものだったり、おそらくはマリア様の像があったり。これは演目によって使い回し。それはいい。で、全体的にも、まぁそれなりに演出作りました、という感じではあるのですが、如何にも詰めが甘い。考え切っていない。 例えば妖精ヴィッリ。これ、舞台はシュヴァルツヴァルトの村で、町に出て帰らず....はいいんですよ。で、恋人を裏切った男が妖精に取り憑かれて死に至るという伝説の通りになる。 日本でもまだ田舎の方に行くと、森と言いたくなるようなところがあって、そこは確かに鬱蒼として気味の悪い、人間の文明の通用しない世界を感じたりしますが、シュヴァルツヴァルトなんかはまさにそういう世界。魔弾の射手は、あれはもっと東の方だったんじゃないかと思うけれど、あれも同じような世界。ドイツの森というのはそういう人外魔境みたいなものの象徴でしょう。で、予算の都合もあるだろうから仕方ないんだけれど、結局村の真ん中と同じ見た目の場で森の奥深くで取り殺されるような場をやらざるを得ない。そこをもうちょっとどうにかしようという意図が見えないんですよね。そもそもこの村の背景、上の方で見てたから定かでは無いけれど、村というより街みたいな背景の書き割りで、それはちょっとアイディアとしてよろしくないなと。 カヴァレリアも、人の使い方があまりうまくはなかった。村人、つまりその他大勢を、仮面を付けて異形のものみたいに扱ってしまうのだけれど、なんでしょうね、サントゥッツァを疎外する存在として描きたいのはわからなくもないけれど、それじゃやりすぎかな。 あと、これはこの人に特徴的なのだけれど、余計なことしすぎなんですよね。アルフィオは馬車屋の親方でやや粗野な人物造形、というのは分かるけれど、この演出ではちょっとマフィアっぽい出し方をしてしまう。気持ちはわかります。でもその結果、アルフィオには黒づくめの取り巻きがいて、これが如何にもチンピラっぽい動きをしてしまう。確かにそうすることで、トゥリッドゥは殺されるだろうな、というのも分かるし、ニュアンスもわかる。でも、それは、元々このオペラが持っていた方向性をやや偏った方向に規定してしまうんですよね。 このオペラのタイトルは「カヴァレリア・ルスティカーナ」。直訳すると田舎騎士道とか言われます。田舎なんです。田舎で騎士道をやってるんです。確かにシチリアだし、そういう方向に持っていきたいのはわかる。でも、アルフィオとトゥリッドゥは決闘をするのであって、決してマフィアが間男を始末する話ではないのです。 いや、そういう出し方しちゃいけないとは言わないけどさ。でも、それがどういうふうに作用するのか、考えて欲しいのですよ。 オケは、まぁ、推して知るべしというか、合唱がこうである以上想像はつくでしょう。というか、正直、音大き過ぎ。あのねぇ、東京文化会館って大きく見えるから恐怖感があるかも知れないけれど、舐めちゃいけないって。ここはちゃんと聞こえるんです。もっと繊細にやっても大丈夫。指揮者は歌手も含めてもっと抑えさえせるべきだった。ヴェリズモ・オペラというのは誤解されてるようですが、もっと繊細にやっていい音楽なのですよ。 一方で、この日、ブーイングが出てたんですけどね。いや、あれはひょっとすると発音の悪いぶらぼおおおおおおだった可能性も完全には否定出来ないんですが、まぁ、多分、ブーイング。 分からないとは言いません。私もかなり厳しい評価。でもねぇ、率直に言いますが、これでブーイングなら、新国の公演は半分くらいはブーイングものだと思うし、二期会とかいうアマチュア団体に至っては、ブーイングどころか物が飛ぶレベルですよ。火ぃ付けられてもおかしくない。裏キャストだったから、というのは言い訳にならないし、この日はかなりぶらぼおおおおおおも飛んでいて、正直、もう藤原もお師匠さんにぶらぼおおおおおおを掛ける場、という意味で、完全にアマチュア化してるのだろうとは思いますが、だからといって、一応公開公演であるならば、という意味でいうと、正直がっかりもしたし、詰めが甘いとは思ったけれど、そこまで酷いのか?とも思うし。掛けた奴は何故これがブーイングに値するのかA4で35ページくらいの説明をするべきだとは思います。 なんだろうなぁ。 そう言っちゃ失礼だろうけれど、でも、これじゃぁねぇ、とは思うのですよ。 これが最後の藤原評にはしたくないけれど、まぁ、あまり期待出来ないのかなぁ。
2026年02月01日
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