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1月28日、浅川部会を傍聴した。この日は、浅川ダム建設に事実上のGoサインを出した「地すべり等技術検討委員会」の委員3名(川上浩委員長、赤羽貞幸委員、奥西一夫委員)に対し、「技術検討委員会の目的はなんだったのか」「調査が不足していたんではないか」など浅川部会で出されていた疑問について説明を求めた。 「県治水・利水ダム等検討委員会」では、技術検討委員会が出した結論をどう評価するのかという点で意見が分かれていた経緯もあり、この部会は特に注目され、開会前から傍聴席は緊張感があふれていた。 川上氏、赤羽氏はともに、地附山地すべりでも調査を行い、その後長野市の防災基本図に「推定断層・活断層」を書き込んでいるにもかかわらず、地すべり等検討委員会でその存在を明らかにしていない点が指摘されると「これは推定線で、実際ではない」などと説明していました。この問題で、奥西氏は「もっと調査すべきと主張したが、『時間がない』『金がない』などといわれ不十分のままだった」と説明し、「ダムサイト近辺だけの調査では不十分と主張した」。「先にダム建設ありきの委員会だった」とも語っていた。 「問題があればもう一度委員会を開いて結論を出す」といっていた川上委員長は、平成12年2月「ダム建設に支障となる第四期断層は存在しない」と結論付けた問題でも「奥西委員とは平行線のままで一致できなかったからだ」と説明した。 全く無責任な話だ。調査が不十分であると主張しているものを「金がない」「時間がない」と調査せずに結論を出した責任をどう感じているのか。 最後に赤羽氏が、質問に答えて「こうした複雑な地形に建造物を建てることには適していないという主張は今でも変わっていない」との発言は少し救われて気がした。 今後の部会や治水・利水等検討委員会で大いに議論してもらいたいものだ。
2002年01月30日
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また、事件が起きましたね。加藤元幹事長の事務所代表が、中央官庁などが発注する公共工事の受注の「口利き」をして、地元山形県の建設会社数社から数億円の資金提供を受け、自身が社長を務める事実上休眠状態の会社に、コンサルタント料として振り込ませたもの。脱税(所得税法違反)の疑いがあるとされています。 「あっせん利得処罰法」が出来て1年余りたちますが、この法律では裁けませんでした。 あっせん利得処罰法は、二〇〇〇年十一月に成立。自民、公明、保守の与党三党が提出した与党案と日本共産党、民主、自由、社民が四党共同提出した野党案が同時に審議され、与党案が成立しました。抜け道多い「あっせん利得処罰法」 しかし、与党案は当初から「ザル法」と酷評され、抜け道の多さが特徴。処罰対象を国会議員、地方議員、首長、公設秘書に限定し、私設秘書を対象外としました。 口利き料をとって国税当局から脱税疑惑で事情聴取された加藤紘一自民党元幹事長の秘書は私設秘書でした。現行法では処罰対象外となり、現行法の欠陥が浮き彫りになっています。 ところが、公明党などは、この抜け穴だらけのザル法を「"口利き政治"を根底から変える効果を持つ」(公明新聞二〇〇〇年十一月二十六日付主張)、「ほとんど完全な案」(冬柴鉄三幹事長)などとのべていたのですからおどろいてしまいます。 しかも、自民、公明などの与党は、私設秘書を処罰対象に明記した野党案を「処罰万能主義」などと非難。親族のほか政党支部などの第三者が報酬を受け取る「第三者供与」や、「請託」を要件から外すことなどを受け入れようとしませんでした。現行法の強化を! 与党は、こうした経緯に無反省のまま、今回の「口利き」疑惑で、私設秘書を対象とする法改正の検討をはじめると言い出しました。 しかし、福田康夫官房長官は十七日、「私設秘書は人数もまちまちで、仕事の中身も違うし、この辺りをどう線引きするのか、難しい」とのべています。 口利き政治を根絶するためには、野党が求めている現行法の抜本強化が必要です。
2002年01月25日
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1月15~16日。埼玉・群馬・栃木・茨城4県にまたがる渡良瀬川遊水地と山梨県富士川(釜無川)の信玄堤を見学しました。これは長野治水・利水研究会が行ったもの。 渡良瀬川上流には足尾銅山があり、明治10年の機械化による増産で、その鉱毒による被害が渡良瀬川沿岸だけではなく、利根川や江戸川沿岸にまで広がり、大きな社会問題となりました。鉱毒の被害は拡大する一方で、有名な田中正造による明治天皇への直訴など、いわゆる「足尾鉱毒事件」がおこり、渡良瀬川沿岸は不毛の地と化しました。 政府はその解決策として、渡良瀬川下流の低湿地帯を貯水池化とし、谷中村買収を具体化し現在の大湿原地となっています。 渡良瀬遊水地の中ほどにある「旧谷中村遺跡」では谷中村を守る会の藤岡町議の針谷さんから強制買収された様子を聞くことが出来ました。 遺跡跡地の説明書きには、足尾鉱毒事件の田中昭三の日記(明治43年4月1日)が紹介せれている。 「谷中と鉱山の戦いなり、官憲これに加わりて鉱山を助く、人民死を以て守る。何を守る、憲法を守り自治を守り、祖先を守りここに死を持って守る」と記されている。「この地は公害闘争の原点であり、谷中村事件の唯一の生き証人である」とも記されていた。(詳しくは渡良瀬川で考えた事もご覧下さい)
2002年01月18日
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