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長野市議会は、あすの最終日を前に議会運営委員会が開かれた。日本共産党の野々村ひろみ議員が委員長を務める議運では、議会中に開かれた委員会で「ひろみ通信」(野々村議員のHP)の記述をめぐっての議論があり、きょうの議運で紛糾するんではないかとの見方があったため傍聴した。議会運営委員会の傍聴は例がないなどといわれたが、結局野々村委員長の許可で傍聴する事が出来た。「ひろみ通信」は、「……そして驚きの極め付けが皐月高校を廃止して、県立短大を長野市が引き取ったらどうだという提案です。これには保守の議員の間からも「36万の都市で短大を維持できるわけがない」と冷ややかなため息ともとれる言葉が出ていました。荒唐無稽な提案で、これがかつての社会党議員団の成れの果て。私の記憶ではかつて長野市議会には、最大時九人の社会党議員団があり、その後、社会・市民クラブとなり、目下6人の「市民クラブ」。ここに所属する議員がすべて松木氏のように財政にお構いなく、次々と大型開発の事業を求めているわけではありませんが」と大型開発優先を批判して元社会党の松木氏の事を書いたことが始まりだった。この松木氏は、2000年11月田中知事が、浅川ダムの現地視察した後開かれた住民集会で「現在ここまですすめられた浅川ダムを中止することは出来ない。かつて論電が池の決壊で被害を受けた、猫又池などが決壊したときダムがあれば被害はふせげる」などと発言し参加者から顰蹙(ひんしゅく)を買った人で県会議員の竹内氏とともにダム推進勢力の急先鋒の人物。きょうの議会運営委員会は、松木氏は欠席していたが、「ひろみ通信」が再び持ち出され、「実名入りで書くときは正確(理事者の答弁についてのこと)を期すこと」などとの発言に野々村議員からは、「日記形式のHPで自分の感想を記していること、指摘されている問題でも理事者の側から訂正の申し出でがあれば検討する」とこたえた。きょうの議運では、上記の文面を若干手直しした事もあってこれ以上議論されなかったが、今後議会としてHPに対する考えを統一しようとする動きがあるなど、個人の表現の自由をどう扱って行くのか気になる委員会であった。
2002年12月16日
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きょう浅川ダム住民訴訟原告団総会が開かれ、住民訴訟を取り下げる事。来年1月17日の裁判を以って原告団を解散する事。を確認した。今後は、浅川の総合的な治水対策を求めた運動体として活動する新たな出発点となった。原告団総会に引き続き「浅川ダム中止勝利集会」が開かれた。1971年の予備調査から実に30年間の闘いに終止符がうたれたことを喜びあった。困難ななか中止を求めて来た思いを歓談した。多くの方から祝福の挨拶をいただいたが、一様に「こんな日が来る事は想像していなかった」と語った。「脱ダム」から「廃ダム」の時代を迎えた。と原告団長の山岸堅磐氏は意気高く開会の挨拶で述べた。いま長野から発信された「脱ダム」の流れが政治革新の流れとなって進行しつつあるとも語った。県会議員の石坂さんは「必要のない砂防ダム計画が行なわれ、5億円に満たない工事は県議会を通さなくてすむことから、4億5千万円とか、4億円とかの工事が行なわれ、税金の無駄づかいが何の反省もなく行われている。7000箇所もこうした無駄づかいの計画がある」と指摘した。ダムの堆砂問題も深刻で、松川ダムでは排砂トンネルの工事が計画され、巨額の税金が使われようとしているなどと語った。また「県議選がすめば再び不信任を出す」といってはばからない県議がたくさんいる。「あの県議会を変えよう」を合言葉に長野市で石坂ちほさん、堀内あきらさんの議席を確保しなければならない。明日はそれぞれ「励ますつどい」を計画している。石坂ちほさんを励ますつどいホテル国際21堀内あきらとともに県政改革をすすめるつどいグリーンパレス(篠ノ井農協会館)時間は何れも午後1時30分会場 2時開会
2002年12月14日
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あす浅川ダム建設中止「勝利集会」をひらくことに。1時から「原告団総会」そのあと「勝利集会」を開く。国土問題研究所からも6人の専門家が参加くれることに。国土研の先生方は、浅川ダム予定地には何度も調査に足をはこび、総合的な治水対策についての提言も行なっている。また、建設阻止協議会の研究会や学習会に何度か足を運んでいただいた。こうした力が、住民を無視して進められてきたダム計画を4回にわたって中断させるものとなった。住民運動の粘り強い闘いとそれを支えてくれた専門家、また忘れてならないのは、一緒になって調査研究をして頂いた日本共産党の県議団、長野市議団があったからこそ出来た快挙だ。今後は、浅川の流域住民が安心してくらせるための総合治水対策をともに考えて行く方向で話し合いが進められている。吉村県政時代には考えられないことだ。全国が注目した浅川ダム建設は田中康夫知事の誕生によってドラマチックな結末を迎えた。「勝利宣言」はここ
2002年12月13日
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きょう長野県と長野市の公共事業に関する測量・設計などの談合問題で、会計監査院が県の建設事務所や長野市土木部などの家宅捜査を行なった。と言うニュースが流れた。昨年8月「しんぶん赤旗」が山﨑建設の資料を示して浅川ダムなどの落札業者が入札の5年も前から決まっている事を明らかにしたが、真相はいまだ闇の中となっている。夕方のニュースでは、談合にかかわったと言う業者が生々しくその実態を語っていた。その業者によれば、「談合は政・官・業の癒着で毎日どこかで行なわれている。むしろ役人が望んでいる」と語っていた。また「工事を希望する業者が名のりを挙げ、その中からチャンピオン(落札業者)を決める。殆どが希望価格どおり落札している」と語っていた。そういえば、夏の知事選の折に私も、県職OBの方から電話を頂いた「元県政会のI氏は、われわれに対し、『この業者は降ろせ。この業者を入れろ』などと圧力をかけてくる。県政を本当に変えていただきたい」などの内容であった。本当に腐れきっている。2年前の県知事選挙で、土木部を中心とした大量の選挙違反事件はこした背景によるものではないだろうか。業者からパソコンをもらうなど呆れるばかりだ。こうした癒着の構図を変えなければならない。来春の県議選挙で日本共産党県議団が1人でも多く選出されるためにがんばろう。
2002年12月12日
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連日の悪天候のため我が家は洗濯物も山。どうしようもなく夜になって洗濯をはじめ、コインランドリーに持っていって乾燥してきた。今までコインランドリーとは縁がなかったが大いに助けられた。 きょう何人かの友だちに電話して「ちほさんを励ますつどい」の参加を訴えたが、皆からはよい返事を頂いた。ホテル国際21での集会だが「普通のスーツでいいですか」と言った人がいた。我が家の息子は友人が結婚式を行なうためこの日は「ちほさんのつどい」に参加できないといっていたのだが、今日になって「予定していたグァムでは強風のためライフラインが切断され、サイパンに変更になった」と言う事で結婚式には参加できなくなってしまった。ならば「ちほさんを励ます集い」にということになった。「ホテル国際に何を着てゆけばいい」という質問をここでも受けた。やはりホテル国際は敷居が高いのだろうか。気軽に参加を呼びかけてもホテルにはラフな格好ではと思ってしまう。何れにしても「つどい」まであと4日大きく成功させなければ……。
2002年12月11日
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きのう「石坂ちほさんを励ますつどい」のお誘いに吉田1丁目を中心に廻った。「長野選挙区は1名減(定数10から9に)の中どうしても現有2議席確保のため石坂さんの当選を果たすためにご協力を」と訴え「集い」の参加を呼びかけて歩いた。朝から積もっていた雪も解けたとはいっても風が冷たく吹き付けるなかでの活動は結構こたえた。「地元の共産党がなんだ?」という出迎えを受けた家もあったが、石坂さんを見るなり「応援しています。がんばってください」となる。反応は抜群。「大丈夫じゃないですか」と話す奥さんがいたが、あの不信任に賛成して今度出馬しないとした県議も出ているが、長野選挙区は全員立候補する「多数激戦」の中で行なわれるとを話す。「あの県議会を変えよう!」は県民多数の感情。これに答えなくてはならない。支部では、年末募金を訴えているが、先日の「赤旗」日曜版に募金袋を挟んで配達したところ次の日に我が家のポストに千円札入りの袋が投入されていた。また「日本共産党のご活躍に感謝します」と書かれた1万円冊入りの袋が頂けられたり、二千円、五千円と募金袋が戻ってきている。いま日本共産党への期待が高まっている事を実感した。前回「どうしても6人の県議会議員を、そのために長野で2議席を」と訴えた頃に比べれば情勢や反応はよいのだけれど、活動が狭くなっている事を感じる。この頃である。
2002年12月10日
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今日12月8日は日本が真珠湾を奇襲、マレー半島を爆撃し太平洋戦争へ突入した日。日本共産党は侵略戦争に一貫して反対した唯一の政党だ。先に開かれた日本共産党の第5回中央委員会総会は「多くの政党が、訴えるべき政治戦略を持たず、よるべき組織ももてなくなった状況のもとで、政党らしい本来の活動を堂々とおこなっている、”政党らしい政党”が日本共産党だけであるというのは、重要な意義をもつ新しい政治局面であります」と述べています。考えてみれば、太平洋戦争に突入するなかで、日本共産党以外の政党は「大政翼賛会」として戦争に協力する道を選んだ。いま、小泉内閣の元で、福祉・医療は切り捨てられ、大企業・大銀行優先の政治がおこなわれる一方、国民生活が破壊されようとしているなかで、自民党政治を変革するたしかな戦略を持っている政党は日本共産党だけである。県議選も本番さながらの激しさを増している中、長野選挙区(定数1減)では、あの県知事不信任に走った県議は、何の反省も総括もなしに出馬を準備している。あの竹内氏(社民党)は、自らを「政策通」と言って廻っているらしい。住民のために働いてこその政策ではないのか、彼は、浅川ダム建設の急先鋒を務めゼネコン奉仕の政治を、大企業奉仕の政治を、不当な補助金政治を守るための政治をやってきたのではないのか。県議選での長野市区2人確保を目指してガンバラなければ……。 今日12月8日は、ジョン・レノンが自宅前で銃弾に倒れた日でもある。平和を愛し、ヨーコを愛したジョン・レノンは自分の人生について「生まれた、生きた、ヨーコに逢った」と言ったそうだが、将来は日本の軽井沢での生活を思い描いていた矢先の出来事だった。1980年12月8日のことである。
2002年12月08日
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我が家の息子が高校を卒業してすでに7年になるのだが、当時のP役員が毎年懇親会を開いて近況を報告しあっている。学年主任のSさんは毎年参加されているが、今日は当時の校長まで参加する珍しい会である。「子どもは子ども、親は親」と割り切って懇親会をしようという趣旨で始まったのだが、どうしても子どもの事が話題になってしまう。Tさんは、一人娘が高校を卒業して大学に行っても一緒にお風呂に入っていたというのでみんなの羨望を集めていたのだが、S紙の記者になったその娘さんが「彼氏を連れてきた」とショックを受けた胸のうちを告白した。T大をめざしていたAさんの息子は、某医科歯科大に進学したが、さらにある医学部をめざしている話をした。いつまで続くのかと嘆いていた。今日神奈川県下のすべての市会議員のホームページに「北朝鮮拉致問題」が貼り付けられているのを発見、早速頂きました。リンク先は、日本共産党ホームページです。
2002年12月04日
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久々の日記となりました。のぶちゃんさんは、毎日セッセと日記を書いています。自らを「パソコン中毒」といってはばからないのぶちゃん。アクセスも2000になろうとしています。4月からはじめた能面を打つ(翁)は完成間近となりました。 道のりが長かった分満足感も感じられます。この間いろいろな事を学びました。「焦ってはダメ」「気長に、根気よく」「じっくり観察する」などなど……。自分にかけているものばかりのような気がします。しかし持ち前の大胆さも必要で、慎重さの中にも大胆さが求められる。なんにでも共通する事かも。
2002年12月02日
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