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赤十字だけで、700億円の義援金ですって、すごいです。遼くんも今年の賞金全額寄付!さて何勝できるかな、応援しまっせ!スマップ5人で4億って半端じゃない?5億にしようよ、誰?出してないの。でも私の出したお金ってどうやって使われるんだろう、一人一人には届かないのかな。いつも読んでいるブログ「つれづれなるモナカ」に、ニュージーランドの人たちの心温まる支援方法が書かれてあったのでリンクしますNZ友達作戦いいなあ、こんなことしたいです。東北で被害に合った1軒の家庭と私達一家が繋がって支えたいわ~。できるならダックスを飼っている家庭を希望。徳島の人5人集めるから、誰か家を流されちゃったりして困ってる人5軒集めない?日本でもやっていました、タスキプロジェクト。駅伝のたすき。タスキ・プロジェクト 今回は小学生の子供を限定支援。うちには子供が居ないんで、どんな物が喜ばれるかわからないけど、これは継続されるようだし「犬を買っている人を支援する」回の時まで、いろいろ集めておこうっと。さすが阪神大震災の時に得た教訓が今回は生かされていて、若い人はネット社会をうまく使って動きが早い。あとは原発だけだな、社長入院している場合かよ!! 世の中のデマってこんな風に出来上がるのかなあ~~と感じた事件がありました。(事件ってほどじゃないけど)家で留守番している時に、姑がテレビを見ていたようです。私が帰って来るなり「天皇陛下も避難したらしいから東京もダメかもね」と言うんです。「そんな話ウソだって、多分皇居には核シェルターがあるでしょう?(これも単なる予想ですが)」と諭しても、「いや天皇皇后両陛下が避難したって言ってた」と。その後Yahooニュースでちらっと見た見出しは「天皇皇后両陛下、東京の避難所へ」というもの。「あっこれか!!」避難した方をお見舞いに行かれた記事ですが、読み方によってはお二人が避難された、という風にも読めないことはない。もし姑がチェーンメールでも送って、全国の友人がまたそれを広めたら、あっという間に何人に広がるでしょうか。悪意がなくても、一人の勘違いがとんでもない大事になるのかもって実感しました。ずっと飲んでいた薬がなくなったので、夫が血圧の薬をもらっている病院に一緒に出かけ、姑の分も薬を頼んだら、なんだかいろいろ検査されました。検査代で設けるつもりなのか~などと悪口を言ってたら、血糖値が異常に高いことが発覚。「すぐに入院しなけりゃだめだ」と脅されました。どうやら1年前に舅が亡くなってから、自分ひとりのためにちゃんとした料理をするのも億劫で、ご飯を炊いて簡単なものしか作ってなかったようです。うちに着いた翌日の数値が異常に高くてピーク380。そうとは知らず、「地震以降貧しい食生活だったろう」とさんざん甘い物も与えたのに、1週間我が家の食事をして検査したら、一気に120縮まっていました。あんなにお菓子を食べても外食をしてもです。近所の奥さん連中のたまり場になって、毎日「お茶菓子喫茶ブルー家」をやっていたらしく、食べすぎだったのでしょうね。とりあえずもう1週間私の野菜料理を食べてもらって、どのくらい数値が下がるのか挑戦してみます。それでも改善されなければ、教育的入院もやむなしかな。全部食べても500カロリー。こんなに食べれるの?と毎回言ってますが、野菜・キノコ・海草ばかりで油やたんぱく質をかなり減らしています。つわぶきのアクをとって皮をむき、あっさり味で仕上げました。マルシェで買った山菜たちも、天ぷらにしたいところですがしばらく延期早速、糖尿病レシピの本やカロリー表を買ってきました。暇があったら眺めて頭に叩き込むようにと言っています。タニタの社員食堂の料理本も、もう一度ひっぱりだして働いてもらいましょう。
2011年03月31日
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前回の更新からずいぶんと時間が経ってしまいました。ご心配をかけているのではないかな・・・って思ってはいるのですが、精神的なゆとりがないとなかなかパソコンの前に座れませんね。姑はおかげさまで落ち着いた生活をしています。(と見えるのは私だけ?)相変わらずテレビをつけていると、ぴーぽんぴーぽんと余震のテロップが流れます。その度に思い出したように身震いして、「近所の人たちは大丈夫かしら。家の中はどうなってるかしら」とつぶやいています。徳島の私の周りの方々は、避難してきた人に会う機会がないのか、皆さん「大変でしたね~。」と同情してくださいます。私の通っているイケメン接骨院に連れて行ったら、次々痛いところが発覚して、倒れたタンスを起こし時に痛めた肩・無意識にテーブルを抑えたらしく内出血した膝・などを治してもらいました。そうしたら今度は古傷のわき腹や足の甲もうずきだしたようです。院長の的確な治療で、ずっと痛くて右側を下にして寝れなかったのが治り、むくんでパンパンだった足が靴がゆるくなるほど良くなり、イケメン接骨院が聖地になりました。私が暇だったら毎日でも通いたいみたい。でもね、治療してもらった後に「で、いったいどの人がイケメンなの?」って大きい声で聞くのはやめてよね~。先週末、急に思いついて調べたら、勝浦町のビッグひな祭りが20日までだったので、最終日に駆け込み観覧。2008年に行ったビッグひな祭りピラミッドは怖がるだろうとやめて、奥座敷の森本家を中心に連れて行きました。入口では今年の干支ウサギ達がお出迎え。お雛様の衣裳を全部脱がせて、それを型紙にして作った徳島特産の「しじら織り」の着物にすべて着替えさせたお雛様だそうです。みんなでカルタ取りやブランコ遊びをするお雛様たち徳島の文化、遊山箱。それを持ってお雛様もピクニック。本物のお寿司が入ってる光源氏が御簾の間から覗くシーンを再現ここでも、「東北から避難してきたんです~」と話していると、知らないおじさんが「僕も若い頃いわきで働いていたんで、知り合いがどうなったか心配しているんですよ」と声をかけられたり、森本家の奥さんにお茶を入れていただいたり、みなさんに親切にしていただきました。森本家へ向かう奥座敷の道の飾りは、年々すばらしくなるようです。3年前より飾っている家が増えました。青竹の装飾がステキ。車で走っていて「あら?何の花かしら」と降りて見ると、ビニール紐で作ったポンポンを木にくくりつけてあったのでした。雨に濡れないように焼酎のボトルに入れられた官女。見ているだけで息苦しいよ~~。助けて~~。昔のオート三輪の前でみかんを売っていました。車のボンネットのマークがこんなのなんですが、どこのメーカーの車かわかりますか?帰りに寄った道の駅でソフトクリームを食べる親子。満面の笑みですね。私のは黒みつキナコ味。 最初は姑も覚悟ができてなかったようで、ほんの1週間程度で帰れるつもりだったみたい。持ってきた荷物も少なくてびっくりでした。現地に水や電気さえ通れば帰れると思っていたようですが、夫は放射能のことが収まらない限り帰す気はありません。皆さんニュースでもご存知のように、30キロ離れた自宅待機地域よりも福島市内の方が放射線量が多いんですよ。地元の野菜が摂取禁止になってるし、残っている方の話では食べるものを買いに行くために必要なガソリンもないらしいです。来てからの一週間は欠食児童のように食べさせていましたが、その後いろんな事が発覚。生活が一変することになります。
2011年03月28日
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我が家の宇宙戦艦ヤマトは、無事に昨夜遅く徳島に帰還いたしました。到着ロビーは迎えの人でいっぱい。伊丹空港は20年ぶりに行ってみたら、大きく綺麗になっていて浦島太郎状態でした。駐車場に入るところに車列が出来ていたので、最後尾に並んでいたら、15分以上だっても一台も動かない。変だなあ~と思って列を離れたら、なんとそこは路駐の車の列でした。噂どおりの大阪無法駐車天国。本物の駐車場はガラガラですんなり入れました。慌てて到着ロビーに走ったら(といっても後遺症でほとんど走れずカックンカックン)1時間近く遅れていて、またヤキモキ。その時間を利用して喜八洲のみたらしだんごや551の豚まんを買いあさりました。どんどんお迎えの人が集まってきて、まだかまだかと熱気がいっぱいになった時、私の後ろにテレビカメラがやってきました。感動的な涙ナミダの出迎えを期待していたようですが、意外とみなさん冷静で絵的にどうよ?の感じ。旅行帰りなのか、避難民なのかイマイチ判断しかねるくらい。我が家のキムタク夫と姑が出て来た時、私がちょっと演技がかった声で「お母さ~ん無事でよかった~」とハグしたので、「おっこれは避難民だ!」とわかったようで、すかさず「インタビューをお願いします」の声がかかりました。私は駐車場に車を取りに行ったので写っていませんが、夫と姑は今日のちちんぷいぷいに出るみたい。もっと着のみ着のままのやつれた様子が欲しかったようですが、今帰って来れるのは被害の少ない人ばかりだから無理よね。姑も皮のコートなんか着ておしゃれな格好してたし悲壮感は全くなかったです。帰り道に夕食なにが食べたい?と聞いたら「温かい物がいい」と言うのでチャンコ料理屋さんに寄りました。「この汁が飲みたかったのよ~野菜も豆腐も1週間食べてない」と欠食児童のように食べていました。でも痩せてはいなかった・・・。蓄えバッチリだったから。 大阪のチチさんとレクタングルのナッシュとケンプにも会ってきたけど、その様子はまた明日お伝えします。姑と洋服や下着や靴などを買いに行ってきます。タンスが倒れて肩を傷めたというので、イケメン接骨院に連れて行きます。きっと治りが早くなることでしょう。 ご心配くださった皆さんありがとうございます。みんなで少しずつ不自由を我慢して、ちょっとの善意も集まれば大きな力になるので、レジ横の小銭募金をお願いします。くれぐれもインチキな奴らにだまされませんように気をつけて下さい。そしてお金も物も大切ですが、継続的な支援と困っている人がいるんだということを忘れないで居てくれる事が一番大切みたいです。
2011年03月18日
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今朝は5時おきで、夫が福島に向かいました。帰りの飛行機の予約は取れていませんが、そんなことを言ってられない状態になってきたようですから。洗面所でヒゲを剃っている時に、夫が鼻歌を唄ってて、その曲が「宇宙戦艦ヤマト~~」だったのでビックリ。イスカンダルならぬ福島にお母さんを奪還しにいく気分なのでしょうか。そして自分は古代進、いやきっとキムタクだ!!6時半に家を出て伊丹空港に向かい、福島空港に到着(郡山)したのは13:00近く。そこから郡山駅前までバス。私は家のパソコンの前に家の電話と携帯を二つ持って待機。帰りの飛行機を探します。昨日は14:30、一昨日は12:00と臨時便の発表時間が毎日変わる。しかも座席数が少ないので一瞬でなくなるらしい。昼過ぎに今日の発売は13:00からとANAのホームページに出た。夫が事前に伊丹空港のカウンターで「年老いた母を連れて帰るので何とかならないか」と交渉してくれたおかげで、12:55に電話を入れたらANAの担当者が13:00ちょうどに社内オンラインで予約を入れてくれた。明日の2席を確保。明日は臨時便が1便しか飛ばず、しかも小型機だからネットで見てたら5分たたずに売切れになってた。なんてラッキー!郡山駅で福島行きのバスを探したが、2時間待たないと発車しないし、国道ががけ崩れで通れなくなったりしているので、小型車の方が小回りがきくと判断し、タクシーを捜すことに。明日の飛行機が取れたことを電話がつながったので報告したら、「今夜のうちに郡山に戻って一泊した方が、明日飛行機に乗り遅れることがない」と思い、福島についてすぐにお母さんを連れて家を出て、自家用車で戻る事にしたそうです。その間に郡山のホテル探しが私の仕事になりました。ネットで探した10軒以上のホテルは電話が繋がらないか、繋がっても従業員は留守番の人のみで営業はしていないとのこと。最後に繋がった女性に「年老いた母を連れて放射能を避けて避難するので、どこかやってるホテルを知らないか?」と泣きついたら、「噂だけなので、確信はないですが・・・」と一軒のホテルを教えてくれた。そこを調べて電話するとツインの部屋が一室だけ空いていた・・・。またまたモンちゃん登場です。9階の部屋なので、余震があったら非常に揺れる事と非常時にはエレベーターが止まるので階段で降りないとならない事を了承させられて、予約しました。さっき夫から無事にホテルにチェックインしたという報告があり司令部の任務終了。明日は大阪までチョコもミルも一緒にお迎えに行きます。今度は私が森雪になって発進しま~~す。おっとその前にお片づけ。お母さんの使う部屋に今日26インチの液晶テレビを買ってきました。寝ながら自由に好きなテレビが観たいだろうな、と思って。あ~私ってなんてデキ嫁なのかしら・・・。と思ったら、アンテナの線を忘れてもう一度電器屋さんに買いに走ったドジですけど。明日大阪に行くの?懐かしいなあチチさんと会えるかなあ。あそこのワンチャンたち大きいから怖いんやけど、チョコねえちゃん大丈夫かな。もんちゃん、きょうもおばあちゃんのためにがんばったよ。おじいちゃんはしんじんだから、もんちゃんがおしごとをおしえてるの。今から思えば、昨年亡くなった舅は24時間酸素をしていたので、電気がつかない家ではきっと苦しんでいたでしょうし、最悪窒息していたかもしれません。自分が建てた家がぐちゃぐちゃになる悲しい場面を見ることがなかったのは良かったのかもしれませんね。今日はコンビニ2軒で、おつりを募金箱に入れてきました。電器屋さんでも透明な募金箱に紙のお金がたくさん入っていましたし、みなさん「何かできないか」と考えてくれているようで嬉しかったです。外国で日本人が略奪をしないことに感心されているようですが、それは文句を言いながらも「日本政府が必ず援助物資を運んで助けてくれる」と信じているからだと思います。どうかその気持ちを裏切らないで欲しい、みんなで助け合って一日も早く立ち直り、前よりずっと良い日本に作り直せたらと期待しています。
2011年03月16日
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今度の震災では、やっぱり自分の身内に降りかかったことだから必死でニュースも見るし心配もしました。阪神大震災のときは他人事だったよなあって反省。あの時、毎日各局がニュース合戦になってて「もうそろそろ他の番組やってもいいんじゃない」と思ってたかもしれません。今回はお笑い番組なんてやられたら、テレビ局に苦情を言うかもしれません。節電節電って報道しながら、テレビ局のスタジオって明るすぎないですか?後ろの方では他局の番組らしきテレビの画面がいっぱいついてるし。番組だって全局で同じようなことをやってるんだから、今日はTBS,明日は日テレとか輪番制にしたらどうなのよ?各局でショッキングな映像が欲しいのか、津波の被害の所と原発しか報道されない。私たちが欲しい情報はもっと別のこと。夫がお母さんを救いに現地に行く事になりました。会社のみなさんが「是非行って来てください」と休暇をとらせてくれたそうです。とりあえず臨時便で伊丹空港から福島空港に行きますが、福島空港と行っても福島市は遠い。高速道路も新幹線も在来線も通ってないし国道も各地で寸断されているらしい。お母さんは近所の人となかよしで、一人暮らしだからいつもみなさん声をかけて下さるし、がんばれるって言うのですが、放射能も何だか怖い。国の言う事は信じられなくなってきた。本当に20キロ離れてたら大丈夫なの?心配だから落着くまで我が家に連れてくる事にしました。空港から福島の実家まで、夫が何とかたどりつけば、あっちの車で空港までお母さんを連れてこれそうなんです。仙台に居る姪も、仙台を脱出して札幌に帰りたいけど、山形や秋田の空港までどうやってたどりついたらいいのか情報がないらしい。避難所に行けず自宅に居る人たちには情報が入らず、水も電気もない中で近所で肩を寄せ合って暮しているらしいです。携帯はつながらず、家の電話をずっとかけ続けて、昨日の深夜にやっと通じました。気丈な母も「息子が迎えに行く」と言うと、最初は「大丈夫」って言っていましたが、最後は涙声で「行ってもいいの?」と来る気になってくれました。飛行機がなかなか取れず、週末までいけそうにないのですが、断水でお風呂にも入れてないので真っ先に温泉に連れて行ってあげようと思います。連休はチョコミルと一緒に、和歌山の犬の泊まれるログハウスに旅行の予定でしたが全部キャンセル。普通ではない事情を話したのにキャンセル料を後日請求します、と言われました。本当に請求してくるのでしょうか、日本人も冷たくなったものだわ。これから被災地に乗り込むので、栄養をつけなくちゃと(いつも付けてるっちゅうの!)しゃぶしゃぶ食べ放題に行ってきました。豚しゃぶで良かったのに、夫が牛も食いて~~と贅沢しました。1000円違います。養豚場をやっているおじさんが直営の店なので、本当は豚が売り物なんです。阿波ポーク。タレを2種類選びます。ちゃんこだしと豆乳だしを選択しました。いろんな種類のお肉が食べ放題。野菜もサラダも鶏も豚も牛もどんどん注文します。生ハムサラダやとんかつも頼み、最後はラーメンで〆ました。コレだけ食べたら、被災地でもガンガン働けそうです。あっ私は留守番です。現地は水や食料がないから、なるべくお邪魔をしないほうが良いみたいなんで。 東京・横浜方面は夜の停電などが始まったようですね。なのにどこにも電池が売ってないと聞きました。食べる物もスーパーやコンビニに不足しているらしいです。いつ終わるという保証がないからみんな疑心暗鬼になって買いだめに走っているのでしょうか。こちらではまだ買えるので、友人宅と義妹の所に米や麺類や電池を送りました。一番送りたい東北・北海道方面には宅配便を受け付けてもらえないのが残念です。
2011年03月14日
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メールや電話でご心配いただきありがとうございました。 徳島県も大津波警報(津波警報じゃなくて大津波警報って初めて聞きました)がずっと出たままですが、海岸近くや吉野川の河口付近の家に避難勧告が出たもので、我が家はまだ内陸にあるため大丈夫です。 昨日は4月の桜祭りで販売する陶器をワイワイ言いながら陶芸村で作っていました。そこではBGMでNHKラジオがかかっているのですが、急にサイレントともに「地震警報」が流れました。思わず手を止めて聞いていたら、ベテランの聞きなれた声のアナウンサーが震える声で「渋谷のNHKが揺れております」というアナウンス。声のバックにはガタガタというスタジオが揺れる音が入っていました。「何か大変なことが起きている」と泥だらけの手が震えているのに気付きました。絶対日本中がパニックで携帯に向かったでしょうから、つながらないことを覚悟で姑に電話し続けました。2日前に宮城県で震度5、福島では震度3の地震があったのですが、忙しさにまぎれて電話をしなかったことを後悔していたからです。3時になり、他のみなさんはお茶会を始めていましたが、何回もかけ続け一瞬の沈黙の後に呼び出し音が聞こえました。気丈ないつも元気なお母さんが小さい声で「す~ちゃん?」と言いました。義妹のことです。着信で嫁だとわかるはずなのに動揺して見えなかったようです。「私です、お母さん大丈夫?けがしてない?」「家の中がめちゃくちゃになっている。怖いから玄関の所に座っているの。停電してるみたいで家の電話は全然鳴らないよ。」「あっまた余震だ~」と言ってプチッと切れました。その後北海道の実家にも一度だけ繋がり、母の無事を確認。札幌でもかなり揺れ、怖くて外に逃げたそうです。仙台にいる姪も無事との連絡があったとか。東京の姪はたまたま北海道の紋別に実習に来ていて、東京に帰る飛行機に乗るため空港に居たらしいです。羽田がその後封鎖されたので、どこに着陸したか連絡が全く取れていません。夫にもその後やっと連絡がつき、夫も母親にかけ続けたらしいですが全然つながりません。仙台の友人は大丈夫でしょうか。会社も早めに解散になったというので会社まで迎えに行き、帰宅後6時半から夜10時過ぎまで1秒も切れることなく夫と交替で携帯をかけ続け、公衆電話のほうが繋がるというので、公衆電話を探しまわりました。(消防署の前や学校の近くなどにありました)千葉の義妹にやっと繋がったのですが、やっぱり連絡はついていないそうです。なんであの時一瞬繋がったのでしょう。血の繋がった肉親が誰も声を聞けないのに、嫁の私の携帯が。もしあの時繋がっていなかったら、安否がわからずもっと不安で心配だったことでしょう。「大丈夫、お母さんは家の中がめちゃくちゃだけど無事だって言ってたから」という言葉がどれほど夫と義妹を勇気付けた事でしょう。きっと亡くなったお父さんとモンちゃんが電話をつなげてくれたのかな。「おばあちゃんは大丈夫だよ。」って教えてくれたのかな。ニュースに釘付けになっていたら夜11時近くに、札幌の叔父(母の弟)から家の電話の方に連絡がありました。同じ札幌市内なのに母や兄と連絡がつかず、仙台の姪のことを心配してくれてたようです。「車で15分の近所に繋がらず、遠い徳島につながるなんてなあ」とビックリ!でも私が一度母と話した内容を告げると、安心したようでした。え!!家の電話の方がつながるの?と叔父の電話を切ってすぐ、福島にかけると奇跡的に姑につながりました。夫とすぐ替わりました。母親の声が聞けて夫は身体の力が抜けたように「良かった~良かった~」を連発。姑も愛する息子の声が聞けて、余震が続き、電気もつかない暗い寒い家の中ですが安心して眠れたことでしょう。家の電話から次は義妹の家へ電話、これも繋がりました。母親の元へ駆けつけたい様子でしたが、飛行機も新幹線も高速道路も無理。私も飛行機さえ飛べば行く覚悟でしたが、交通が寸断されていて無理なようです。都会と違って近所との関係が深いので、姑も近所と助け合って電話がつながる直前までご近所さんと一緒にいたようです。食べる物も何とかあるそうですが、電気がないのでオール電化の生活は調理が出来ないし、暖房がつけられないらしく、そっちが問題。地震そのものより、津波と火事で多くの犠牲者が出ている模様で被害にあわれた方にお悔み申し上げます。もし月曜日の転勤発表で転勤だったら・・・(今回の地震がひどかった方面に行くのじゃないかと予想してたので)引継ぎで夫は確実にそこに居たことでしょう。私も不動産屋めぐりをしていたかもしれません。自分が何かの力に守られていることを、本当に感じた一日でした。
2011年03月12日
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みなさん心配してくれたようで、携帯に「転勤どうだった?」メールがじゃんじゃん溜まっていました。とりあえず、執行猶予3ヶ月は確定です。徳島は粗大ゴミが無料なのですが、申込み制でこれがけっこう面倒くさい。うちの地区は偶数月に申し込んで翌月取りに来るので、今不要な物でも4月のハガキで申し込んで5月にしか回収してくれません。チョコとミルの失敗オチッコでベタベタになった絨緞は、やっと17日に取りに来るという通知が届きました。一戸建てで置いておくスペースがあるから良いようなものの、マンションなんかだったらかなりキツイと思います。引越し先が粗大ゴミ有料地域だったりしたら、損しちゃうもんね~。横浜の時は一個500円支払って、ユニット棚とか処分した記憶があります。 うちの晩御飯の写真がいっぱい溜まったので、どさっと載せます。食べたい人は3ヶ月以内にうちまで来て下さい。材料が豊富な徳島ならではの食事を召し上がる事ができます。夕食その1頂き物のほうれん草をたっぷり白だしのおひたしに。ちくわともみ海苔で和えています。 これもまた頂き物のブロッコリーと地元産のフルーツプチトマト・エビ・を明太子マヨネーズで。沼津から送ってもらったアジの開きをから揚げにして骨ごとバクバク食べちゃいます。沼津の給食で大人気のメニューだそうです。自家製キムチチョコとミルのご飯を作る時に鶏胸肉を茹でた汁をピンハネしてスープに。夕食その2大根の葉っぱを塩味で炒めてご飯に混ぜました。もちろん大根は頂き物。後ろの菜の花も頂き物。菜の花大好き毎日でも食べたいわ。圧力鍋で煮た豚の角煮、頂き物の大根と里芋入り。この大根も葉っぱはご飯へ、本体はここで。塩鮭入りフワフワ卵。1パック1円の卵だったので贅沢に使いました。近所のスーパーでは、週に3回くらい1000円買うと卵1円という日があります。夕食その3セロリともやしの炒め物。一人1袋のもやしを食べてしまいました。豚肉とジャガイモのにんにく炒め。じゃがいもは北海道の実家から、ブロッコリーは頂き物。さすがに北海道のじゃがいもはすぐにネットリ柔らかくなります。この溶けた感じが大好きです。吉野川で採れたあおさのりの味噌汁。この緑色がすご~く美しくで食欲をそそりませんか?本物の青海苔の色ですわ。アボカドとキャベツをゆずこしょうマヨネーズで和えました。ピリカラでいくらでも食べれます。止まらなくなるので注意です。3ヶ月ぶりに陶芸に復活しました。その日から、またまたたくさんのお野菜を頂いて帰ってきました。ここを離れるのが怖いです。我が家の食は地元の皆さんのおうちで作っている野菜で支えられているのですから。
2011年03月09日
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なんですか、また夜中に大臣が辞任ですって?法律知らないで献金もらったのは、それはまずいでしょうけど、それって今追及することなのかなぁ。予算委員会って予算について話すところじゃないんですか?いつも不思議に思うんですけど、予算委員会なのに違う事をやってるでしょう?重箱の隅をつっつくようなことネチネチと。自民党もさ~今年の予算が通らないとかって揉めている時に、人の会計帳簿のあら探しみたいなことをやってる場合なのかねえ。政治と金の問題はそりゃあ大変なことですよ~、でもそれって今やること?予算問題が片付いてからじゃダメなんですか?外交問題とか安全保障のこととか、主婦の年金のこととか、順番がおかしくないですか?民主党がバタバタしてて頼りないからって、自民党に戻る気になれないのは、日本がこんなガタガタの事態なのに、私たちの税金使って今そんなことしないでよって思うから。あんたたちにそんなことを頼んじゃいないんだよ!党を超えて、話し合ってとりあえず休戦して日本を立ち直らせてから、正々堂々と戦おうよって誰か言わないのかしら。優秀な人が集まってる所なんじゃないの?誰もがおかしいと思っている事をおかしいと言えないの?それとも気付かないおばかさんの集まりなの? 庶民は生活を防衛するために、少しでも安くて美味しい物を求めて彷徨うのであ~る。徳島は街の中心部が本当にさびれているんですよ。休みの日なのに、街中に全然人が居ないの。どこに行ってるのかと思ったら、郊外のここに居ました。繊維団地の日曜市です。さすが地方です。米も30キロ袋でドカンと売ってます。どこかの泥棒市みたいに、「誰が買うのこんなもの?」という店も出店中。軽トラに荷物を積んだ骨董屋?もたくさん見かけます。もう~たくさん売るほどあるのに、またまた古い帯と黒い羽織を買ってしまいました。超お得だったんだも~ん。ここはご婦人方が群がっていました。確かに安い。古着屋の横に金魚屋というのも面白いでしょう?もちろん別の人ですよ。ここは一番の行列が出来ていた「キャベツ焼き」の店。鉄板一枚で21枚(2100円)の売上げですが、一枚回転するのに10分かからない。50回転させて、10万以上だよなあ、いったいいくら儲けてるのかなあ。結局3枚買いました。二人なのに。あとは新鮮野菜をいろいろと、もんちゃんのお供えのフリージアの花束、鯖寿司とロールケーキを買って帰宅。日の出から午後2時までやっていますが、9時過ぎると駐車場もいっぱいで渋滞するので早朝がお勧めです。ケンミンショーを見て夫が姑におねだりした「凍天」が届きました。中に草もちの入ったドーナツって感じです。30秒ほどチンすると中のお餅がトロッとなって、周りの生地がうっすら甘くて美味しいの。一個でかなり満腹になっちゃいます。4種類の餡が入っている焼餅も一緒に送ってくれました。食べきれないので来夢家にお裾分け。金ちゃんヌードルも食べてみました。カップヌードルよりもちょっと太い麺。具がかなり多めです。10分たっても伸びないそうですが、10分たつ前に食べ切ってしまいましたので、わかりませんでしたわ。そうそう、夫から昼に電話がなかったので、今回の異動はなかったようです。とりあえずあと3ヶ月、徳島生活は続きそうです。ぴっぴちゃんランチ行こうね。
2011年03月07日
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今日はおひな祭りだからかな、チョコとミルに嬉しいプレゼントをまたまた頂きました。というより、これは夫へのプレゼントになるのかな。手作りです。しかも徳島特産の藍染。この徳島でモンを見送って、ミルと出会って、思い出の地になりました。そこが藍染で栄えた土地だと知ったのは4年前でした。来週の月曜日に人事異動があるので、ドキドキしていますが、これを作ってくれた方が「お餞別ね~」と言われたのが何だか気になって・・・。ブログの写真を見て、型紙を作り、染めて下さったとのこと。いや~すごく大変だったことが想像できます。陶芸でも大作をどんどん品評会に出されている芸術家なんですよ。テーブルセンターも作ってくださったので、これはモンのお骨や写真の前に敷きますね。お姉ちゃんと一緒でモンもきっと嬉しいと思います。 そんな芸術家が集まっている徳島、今朝の徳島新聞に大きく載っていましたが、陶芸の先生の展示会に行ってきました。6日までですが、良い物はどんどん売れてしまうので、お早目の方がいいですよ~。綿摘み陶房さんの作品も新作がぞくぞく。色合いが春っぽい明るい物が増えています。コラボしている茶托やコースターも可愛いですよ。先生はシンプル好み。このスープカップが人気でけっこう売れていました。私のお気に入りはちっちゃい柏餅。最終日まで残ってたら買うよ、と約束してきました。もう一個の兜は今日売れたみたい。これも指先サイズ。木と陶器のコラボなので、蓋物の取っ手が木の細工物になっています。筍、渋い。花見で一杯コーナー。灯りの光がクリスタルに反射して幻想的。伊川さんのお節句飾りは何もかもが木で作られています。他にもこんなものが楽天で買えるみたい。弟子のニイさんの写真も載ってます鯉のぼりも屏風も全部。徳島で有名な遊山箱も展示即売中。昔のお嬢様たちは、こんな可愛い箱にお寿司を詰めて眉山にピクニックに行ってたらしいです。猫好きなニイさんは茶托が猫になっちゃいました。綿摘み陶房さんとニイさんのコラボ作品を買ってきました。手のひらサイズのコタツです。天板の上の猫の表情が、片頬をニヤリと曲げていてニヒルな感じでいいんです。天板をどけると小物入れ。外したピアスや指輪を入れておきます。ナイショの物も何か入れたいなあ。ギャラリーを閉めた後、寒かったので先生と韓国鍋を食べに行きました。二人で行った韓国楽しかったよね~と思い出に浸りながら、チゲ鍋とタコのフェ。外側がパリパリで最高に美味しかったミックスチヂミ。 すべて完食いたしました。
2011年03月03日
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会社から遅く帰ってきた夫を、着替えもそこそこにパソコンの前に座らせて泣かせてしまいました。別にいじめたりなぐったりしてませんよ~。DV妻じゃないですから。すいかさんのサイトに飛んで、一枚の絵を見せました。それはデザートバスケットというタイトルのこの絵です。こちらのブログですまだモンが元気だった頃に、チョコとモンのパステル画を描いていただいたのですが、今回は絶対に実現しない、この3ショットを描いて下さいました。バックに飛んでいるのは肉球の形の雪。内気なチョコ、前へ前へとグイグイ出るミル、のほほんとしたモンの表情がそっくりでビックリしました。犬たちよりもバスケットを描く方が大変だったそうですよ。本当に細かいですものね。実物を拝見するのが楽しみ。わくわくです。 先日、講演会のお雛様の飾りの写真をアップしたらイギリスの友人へ贈ったミニチュア着物を作ってくれたおばあちゃまが、「このお雛様をビッグママにも作ってあげなくちゃ」とまたまたひな祭りに間に合うようにがんばってくれました。ぼんぼりは娘さんのNさんが信楽のお土産で買ってきてくれたもの。桜と橘は先日の高松ツアーの時に、真似して作れるかも~と買ってきました。今年我が家のメインの雛飾りはこれで決定です。壁には粘土細工の立体的な額を。おトイレには陶板のお雛様を飾ります。我が家は女の子3人だからね~~。お雛様は色々あるんですよ。その88歳のおばあちゃまのタンスに裸ん坊で入ったままだった通称「タンスちゃん」。せっかく習った技を使って、お着物を作ってあげたそうです。布は私のコレクションの中ならタンスちゃんに似合いそうなお上品なものを選択しました。裸の時には淋しそうな顔に見えましたが、今日は何だかええとこの子に見えるわ。被布についている結び飾りもおばあちゃまの作品。後姿も可愛いの背中がぷくんとしているのは、ちゃんと立派な帯を締めているから。着物の裾模様も豪華ね。材料はたくさんあるのに、全然作品にする時間がない~と言い訳して、さっきの橘と桜を買ったお店で端午の節句の壁掛けを1200円で買いました。手間と材料費を考えたら、こんな値段はありえません。着物地の上にアップリケをしてあります。後ろもちゃんと着物地でつないであります。自分で作ったら、こんな安い値段では悲しくて売れませんよ~。 犬箱がありました。ちょうど双子を産んだ後輩に贈ってあげようと思います。私が作った陶器の犬箱はこれでした。 リハビリ中に急な大雨、病院を出る頃には雨は上がって大きな虹がかかっていました。虹の端っこはキラキラと輝いていて眉山の麓に繋がっていました。あそこまで走っていったらモンちゃんが居るかも・・・と思って車を飛ばしているうちに、虹の橋は消えてしまいました。モンが逝ってから、こんなに大きい虹を見たのは初めてです。自分の絵を見に降りてきたのかな。
2011年03月02日
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