日記 0
全163件 (163件中 101-150件目)
この数日、ニュースになったのが瓦礫集積所での火災。先日、とある地区の状態を聞いた際、瓦礫を集積し積み上げたところで湯気が出ていたとか・・・。先日の火事も自然発火だったとか。国会もさっさっと落ち着けて、本当に迅速な復旧作業をしてほしいです。復旧を通り越して被害の少なかった地域の復興のニュースばかりするから、本当の被災地が取り残されるのだと思う。この期に及んで解散、総選挙だとか言われると、「もう勝手にしろや!」とか言いたくなります。今、何をする事が本当に大事なことか。政治家一人一人にもう一度心の中を探って欲しい。笑顔を浮かべる前首相。自画自賛も良いけれど、この復興の過程で引きずりおろされる自分を恥じてほしい。決起集会や、今日あたりの「頑張ろう!頑張ろう!」ってこぶし振り上げている姿を見ていると、散々被災地に「頑張ろう!」って言ってたよなぁ・・・。もう少しスピード感を持ってやってもらわないと。集積所の火事の話に戻りますが、その火災を警戒するために夜間巡回をしなくてはならないとか。自治体だけでは動かせない以上、国として本当に考えて、必要な法律を通して・・・。未来の都市デザインを考えている間に、瓦礫集積所から火が出ましたなんて、ほんとお粗末な話。まず今ある問題をきちんと片づけてほしい。だと思うのだけれどねぇ・・・。
2011.08.31
コメント(2)
ヨウ素、セシウム・・・それだけ?
2011.08.31
コメント(0)
まさか自分がこんなもの持って歩くようになるとは思いませんでした。これは5月に女川に行く際に持たされた線量計。3日間で0.006mSvの被曝をしたという事。ってことは6μSvという事になるのかな?今回、実家の母が心配し我が家で二つのガイガーカウンターを購入。そしてもう一個、腕時計型の線量計を。 仕事で移動が多いという事もあり、この二つをだいたい持ち歩いています。左は単位がREMですのでこれが大きく動くようでは大問題です。買ってから気付いたというおまぬけな結果ですが・・・。で、その後右側のものを追加。こちらは単位がμSV。8月16日からの積算数値が19.90μSv。積算を取っている範囲では5月のとを足すと約26μSvの被曝ということでしょうか。今、一般の人は自分がどのくらい被曝しているかがわからないということ。それで年間の被曝量云々言ってもねぇ・・・。
2011.08.28
コメント(0)
Dash村を復興させる。TOKIOの山口達也さんが動き出したとのニュースを聴いた。私は宮城に住んでいる。福島ほどではないかもしれないが放射線と向き合う生活になった。そんな中でこのニュースは希望の光だと思う。最初から嘘の情報や、そもそも出されない情報。私はこんな情報を知っているなど、混乱しきってしまった今の状況。この状況に一石を投じて貰えればと思う。仮にDash村に何箇所かモニタリングポストを設置し番組ホームページでリアルタイムで見れるようにするだけでもその影響力は限りなく大きいと思います。今回、番組独自ではなくJAXA等も加わり、きちんとしたプロジェクトとして動き出した事も大きいと思う。安全面にはくれぐれも注意し、無理はせず取り組んでください。私は応援します。
2011.08.26
コメント(0)
我々素人は悩むがいいさ。わかった振りをするよりよっぽどいい。納得いかないものを強引に納得させることほど悲しいものは無い。ただ、原発に関してはどうしようもない現実を、受け入れがたくても受け入れなくてはいけない現実が存在するのも事実。故郷を、土地を、生活を奪われた人がいる。それも事実なんですが・・・。どうして避難しなきゃいけないの?どうして戻れるの?何を根拠に?安全?なんでこうなったの?いっぱいのなぜ。絶対にわかった振りはいけない。私ら素人は徹底的に食い下がるべきだし、専門家をへこませるくらいに問題を追及しなくては、と思う。素人なんだから体面も何もない。素人にわかるように説明しろ!
2011.08.22
コメント(0)
学生の頃、同じ悩みを抱いた人はいるだろうか?そう。物理の時間。「この問題がわかりません」「あ~だら、こ~だら、で、この公式を使うんだよ」「どうしてこの公式になるの?」「いや、だからね。あ~だら、こ~だらだからだよ」「だからなんで、あ~だら、こ~だらでこの公式になるの?」「いいからこの公式を使うの。そういう物なの」「???」で、物理は嫌いになったとさ。これは数学にも当てはまるし、その他理系の科目全般に・・・。で、文系に逃げて、英語や外国語で撃沈という人生を・・・。深い事を考えずに「そうか、この公式を使えばいいんだね!」ならとっても楽で、今でもきっと理系の道に進んでいただろう・・・。その公式で問題を解くことではなく、その公式がなんで存在するのかが理解できない事に悩んでしまったわけで・・・。だから今でも、職場で「言われたとおりにしろ!」等と言われると「はぁぁ?なんで?」となる。縦割りだからとか前例がないとか、そんな言葉に騙されない人間になってしまったのは良かったのか悪かったのか・・・。で、素人はまた悩む・・・。数字が読めないのです。今、手元にあるガイガーカウンターの数値は0.14uSv/h。人体への影響を見るのに使う単位、シーベルト。で?0.14uSv/hってどういう数値?人体の影響を見るっていうのであれば、基準値があって影響が多い少ないではないの?ざっとイメージできるのは少なくともマイナスの数値が無い事だけ。最近は比較的、数値が公表され始めている福島第一原発の事故。読めない数字を出されても安心も出来ないし、不安にもなれないし、まして危機意識を持つことも無理。ガイガーカウンターやスピーディの読めない数字を見ながら悩むしかないのか?物理の授業の公式ではないが、「安全って言っているから安全なんだよ」では納得できないんですよねぇ・・・。
2011.08.22
コメント(0)
東松島にブルーインパルスが戻ってきたそうです。震災後、初のアクロバット飛行を披露したというニュースを見ました。
2011.08.20
コメント(0)
時間の尺度は人間のそれで見るべきではないと思う。これは地球や宇宙を見る際には当然の事。そういった尺度で見るのであれば人間の体感した時間などという物はほんの瞬きに過ぎない。今回の地震後、その存在が一挙にメジャー化した貞観地震。今回の地震との類似性を指摘され、今回の地震が千年に一度の大地震と言われている。「千年に一度の大地震だから、私らが生きている間にはあんなのもうないよ」などという会話がたまに出るのだが、本当にそうだろうか?不安を煽る意図は全くありません。これは強調しておきます。ただ、私たちの時間の尺度というか感覚で、千年に一度の一度が3月11日の出来事だというのは違うかなと。あの大きな揺れでかかったストレスは当然、いたるところで歪を生んでいますし、貞観地震は現在のような詳細なデータもありません。千年に一度の一度は今回の一連の活動が終息して初めて一度としてカウントされるべきものですから、今しばらく、少なくともここ数年はしっかりと心に留めておくべきだと思うのです。千年は人間の尺度からすれば長いとはいえ、地球の歴史ではほんの一瞬。そうなれば数年レベルなんてのはさらに・・・。今しばらくは警戒はしておくことに越したことはありません。そう思うのです。
2011.08.20
コメント(0)
こういってはなんですが、一昨日の昼ごろの地震で3月9日の同じく昼ごろの地震を思い出していました。それで今日の14時36分の地震。パターンが似ていたので、ちょっとびっくり。幸い津波も観測されなかったようですが・・・。3月11日の大地震。まだまだ余震が活発。最近導入したパソコンでの緊急地震速報はちょくちょくなりますし、油断はしていないのですが・・・。今日はちょくちょく地震情報がテレビのテロップが出ていた。先日営業が再開された泊原発とは反対側になるけれども根室半島の方も揺れていた。改めてもう一回気を引き締めないと、と思った次第。緊急地震速報について。現在、緊急地震速報受信用フリーウェア「SignalNow Express」とウェザーニュースの「The Last 10-Second」を2つ導入しているのですがその使用しての感想を少し。「SignalNow Express」は当初、早さ優先の設定にしていましたが結構反応していて、「The Last 10-Second」は反応しない。しかも敏感すぎるので精度優先に設定したところ、「The Last 10-Second」と同じ地震を拾うようになりました。しかしながら反応は「The Last 10-Second」に比べて2,3秒は遅れる感じです。「The Last 10-Second」の方は今日の地震は昼まで職場に居たのでわかりませんが、自宅に居る時に見る限りではカウント0と同時に揺れが来るといった感じです。ちなみに今日の地震速報はNHKを見ていた時でした。3月11日の地震と同じで長い時間揺れていましたが、緊急地震速報はその揺れが来てからしばらくして、揺れている最中に速報が出ました。定型通り「揺れが来るまでしばらく時間がかかります。身の安全を~」というアナウンスでしたが、揺れている真っ最中でした。そうは言っても緊急地震速報は本当にありがたい。システム的なことや精度はある程度は仕方が無い事。そういった事をきちんと理解していれば、本当に心強いと思います。
2011.08.19
コメント(0)
「荒浜新1、2丁目で200~300の遺体との情報」3月11日の夜、テロップに出た衝撃的なニュースでした。この速報は実際には少し違っていたことを最近知った。同じ荒浜地区でも少しずれた地区で、200人近い方が犠牲になられたというのが正確なところのようです。ただ、この速報は本当に衝撃的でした。ここよりさらに南に位置する仙台空港の津波の映像と共に3月11日を強く印象付けています。荒浜地区に行く用事があり、今までは被災地区の撮影しようとは思わなかったのですが、やはりどうしても伝えたく思い、数枚だけ撮影させてもらいました。詳しい場所までは書きませんが、荒浜小学校という小学校がこの近くにあります。もしこの画像が適切でなければ一言、ご連絡ください。そのまま削除させていただきます。仙台市内から海岸に向かって進み、仙台東部道路を境に津波の被害の大きさが極端に変わります。一部、高架になっているところなどは内陸まで津波が押し寄せました。ただこの地区は本当に海のすぐそばです。例年なら今頃は海水浴に賑わうそんな場所。そして水田があった場所。この地域は塩害の為にお米を作ることが出来ないどころか、まだまだその前の段階です。要所要所、例えば空港とか漁港とかはニュースに上がるので現状を知ることは出来るのでしょうが、こういった地区は本当に現状は伝わっていないのではないでしょうか?これから先、さらに復旧が進み、復興が進んで行くのでしょう。ただ、こういった場所は今後どうするのか?。また人が戻ってこれるのか?。いまだ建築制限が掛けられている中、今後どういった形で復興させるのか?。復興モードが漂い、七夕祭りなどの観光で例年までとはいかないまでも人が戻りつつあります。でも本当に復興してほしいのはやっぱり人々の生活。避難所が閉鎖されたというニュースを聞くと、復興しつつあるのかな?と。明るいニュースにそう思ってしまいがちですが、仮設住宅に移ったという事であって、未だ建築制限などで手を付ける事も出来ないという現実。今はまだ、復旧の段階で、復興のスタートラインはこのような土地が、そしてこのような土地で暮らしていた方々が一歩踏み出せるようになってからなんだと思います。経済や産業が復興の兆し。それはそれで嬉しいし喜ぶべきニュースですが、暮らしという意味での復興はニュースになりにくい部分だと思います。「被災者はだんだん我侭になってきた」こんな悲しい言葉を聞くことが多くなってきました。身内や友人を亡くし、家を無くし、そのうえ住んでいた土地も制限がかかっている以上、それが解けるまでは手が付けられない。その場所で家を再建できるか?商売を再建できるか?もわからない。こういった現実に気持ちを向けてもらえるのであれば幸いです。そのうえで、お互いがきちんと向き合ってものが言えるようになれば、そう思います。そんな思いで、今回は撮影させてもらいました。
2011.08.13
コメント(0)
五か月が過ぎた。ここ二週間ほどは仙台と職場を行ったり来たり。同じ職場の人が毎週、閖上に行っているのでここ最近の事を聞いてみた。「瓦礫の山は高くなっているけど、それ以外は変わったようには思えない。スピード感は感じられない」というような答えが返ってきた。さて。震災当日から一週間は職場に缶詰に近い状態。その後は通常は今の現場、週末は別の現場の手伝いと気が付いたら一か月半ほど仕事漬け。その後はペースが落ちつつも似たような感じ。最近は手伝いの方が減ってきたので生活も落ち着いてきました。最初の2か月は、このままでいいのか?仕事を全部放り投げて、すぐにでも被災の大きかった地に行って、そこで手伝えないか?何かできないか?という思いをねじ伏せて、自分の仕事をするんだと言い聞かせて突っ走っていました。今でも正直、五体満足な自分がボランティアにも行かずにいいのか?と思いつつ、休養をしっかり取らないと仕事に影響が出るのでと、その思いを鎮めてみたり。本当に自分の力ってのはたいしたもんじゃないなと。それに気が付いただけでも成長したのかな?あの地震と津波の後は、みんなが必死だった。生き延びる事に。なんとか助けになれないかという事に。ガソリンが全然手に入らず、移動にも細心の注意を払った。少しでも、一滴でも多くのガソリンが被災の大きかった地区に届いて欲しい。綺麗事ではなく、本当にそう思った。でも、それだけ気を使うという事は知人の安否確認に行くという事が容易でなかったという事でもある。ただ無事だと信じて待つしかなかった。みんなが身内、知人、そして見知らぬ人たちの無事を祈っていたんだと思う。あれからまだ五か月。復興に対するスピード感を感じる事は出来ない。そういった意味ではもう五か月。五か月なんだなぁ。
2011.08.11
コメント(2)
先日もちらっとアップしましたが小出氏の講演が8月5日に仙台でありました。その模様がユーストリームにアップされていますので、ご覧になることをお勧めします。「3.11から始まったこと」東京電力福島第一原子力発電所 原発震災を生きる私たちへの提言少なくとも知っておいた方が良いと思います。これからの選択肢を選ぶ判断になると思います。
2011.08.07
コメント(0)
ガイガーカウンターを母が購入した。やはり孫を持つ身、その辺ははっきりしておきたかったのだろう。加えて個人の累積線量計を入手。これで自分の累積被曝数位は確認していくことにしよう。普通に生活を送らなければいけない現状。でも数値を気にし、疑い、自分で調べ、少しでも記録を残せば、多少は後世の役に立つかもしれない。悲観的にではなく、建設的に。文章だけ読まれると心配されるかもしれませんが、少なくとも私はいつも通りあっけらかんとしています。ただ、あからさまに裏があるような匂いを漂わせ、数字を隠されたり情報を隠したりというのが比較的身近にあるのでそれには怒っていますが。で、数字がわからないなら、残しておけと。で、この地、宮城で生きていこう。と思っているだけです。
2011.08.06
コメント(0)
最近、その発言に関心を抱いている人物に小出裕章氏という科学者がいる。今日、その小出氏が講演をするというので聴きに行く事ができました。結局、福島原発第一発電所が事故を起こし、その隣の県に住んでいるという事がどういった現実なのかという事を改めて確認するといったことになったのだけれども。恐らく、小出氏に対する評価というのははっきり分かれるのかな?という印象を持った。私は原発の問題に対しての小出氏の姿勢は、評価したいと思う。そして自分がこの地で暮らすことに対してはある種の姿勢というか覚悟が必要なんだと思う。確かに小出氏のいう責任は自分にもあるのだとも思うし。放射能汚染に対しては本当に未知の世界。未だに何もわからないし実感が出来ない。数字を相手にどう判断するか。目にも見えず、感じないものを数値で感じるというある、ある種厄介なものを背負ってしまった。きちんとした信頼できるデータが出てこない中で、データでしか判断できないというものにどうやって付き合っていけばいいのだろう?。
2011.08.05
コメント(0)
【送料無料】原発のウソ実家から借りてきて読んだのですが・・・。以前、このブログでも書きましたが、「クリーンで安全」、「未来へ問題(地球温暖化)を残さない」等と何とも耳に心地の良い言葉を並べる事に疑問を感じ続けてきました。だって広島や長崎の話を聞き、チェルノブイリ原発事故をリアルタイムで見ていれば、その程度の疑問は持つでしょう。そんな視点を持って読んでみても、目から鱗が落ちるというか。原子力に夢を持ってその道に入り、その危険性に気が付き、警鐘を鳴らし続けてきた専門家の言葉に一度触れておく事は、必要なことかと。
2011.08.03
コメント(0)
職場で、線量計云々の話を吹っかけたら、「数値を聞いてきた。ここは安心」っていう話。いや、まあ、それは良いのですが。こんな会話、今ではそう珍しくもないでしょうから。最初に断っておきますが私は高校の時、物理の点数は赤点が常連でした。でもね、違和感を感じました。数値を聞いてきたという事で、聞いてみると単位が「ベクレル」。いや、良いんですよ。「ベクレル」も確かに単位ですから。でも今、私たち素人が本当に知りたいことって、それって安全?人体へのの影響は?だと思うのですが・・・。で、あれば「シーベルト」が妥当な単位だと思うのですけど。どうなんでしょう?土壌からセシウムが○○ベクレル検出されたけど、みたいなことでは我々はわからないって。少なくとも赤点ではありましたが当時の高校の物理ではそんな授業は絶対にしていませんでしたから。結局、国の言い値で数値が引き揚げられたりとかするものですから、出された数字が本当に安全とも思えないし、まさかこういった形で物理学と化学に振り回されるとは・・・。これから何らかの形で物理を教える方々には、最低限の核汚染の知識はきちんと教えてほしい。大学受験よりも深刻で、大事な問題だと思います。で、私たちが人体への影響を知る為に本当に理解しなければいけない単位はなんなんですか?そしてそれはどういう数字と単位なんですか?少なくともこれからの世代の人にはきちんと教えてあげてもらえませんか?
2011.08.03
コメント(0)
あくまで、個人の感想ですので参考までに。緊急地震速報受信用フリーウェア「SignalNow Express」マグニチュードの設定値を4.0に設定していたため、今朝方の地震に反応してしまい4時26分に叩き起こされてしまいました。最大震度が2でしたので一安心でしたが、今日一日眠たくなってしまいました。で、いい感じかなと。ウェザーニュースの「The Last 10-Second」も導入していますが、警報音はやはりテレビやラジオから流れてくるのと同じ音で統一していた方が咄嗟に迷いませんし、その点に関しては「The Last 10-Second」の違う音よりも「SignalNow Express」の方が個人的にはポイント高いです。しかも無料ですし。それと「The Last 10-Second」の売りのカウントダウンですが、「SignalNow Express」の方も画面上ではカウントダウンしてくれます。
2011.08.03
コメント(0)
緊急地震速報受信用フリーウェア「SignalNow Express」というフリーソフトを見つけたので試験導入。さてどんなものか・・・。
2011.08.01
コメント(2)
冷蔵庫に水を2リットルのペットボトルに二三本。生活用にポリタンクに水を入れたものを二個。持ち歩きように水を0.5リットルのペットボトルに二、三本(車や持ち歩きようのバックに入れて持ち歩きように一本)と100円ショップなどの安物でもいいから携帯ライト。それと携帯ラジオ、カロリーメイトのようなものを数箱。携帯電話の予備電源。最低限のものでしょうか。大げさかもしれませんが、まだまだ手放せません。
2011.08.01
コメント(0)
スピーディ何やらそんなものがあるらしい。先ほど父からスピーディに関する報道の動画を見せられた。「濃度がわからないからどこまで避難をお願いするかの判断が云々」ってコメントしてたり・・・。いや、そもそも避難指示とか避難勧告がどれだけ無力かという事はつい先日の3月11日の津波を見ればわかるでしょうに。津波の避難については問題になっていて、現在では最大の想定から順次引き下げるやり方に変えるとか言う話が出てるとか。とはいえ災害時に自分がヤバいと思ったら行政の指示の前に当然逃げるわけで、またそういった教育だってこれからもっとしていかなければならない。そういった時に上からの指示待ちでは間に合わない。今回の津波でも残念ながら情報をテレビで見ていながらも避難指示を出さなかった為に多くの犠牲者がでた施設もあったようです。情報を開示し、リアルタイムで報道を見ていてもである。防災というものは災いを防ぐということではあるが、当然防ぎきれない場合は絶対に出てくるわけで、減災という物ものに対しての教育や訓練はこれからの課題だと思う。で、スピーディの話に戻るのですが、そもそも情報開示をしてくれなければ、そういった判断以前の問題だと思います。しかも、最近ではホームページ上で公開していますとかが多いようですが、日本国民全員がパソコンを使え、ネット環境が整っているわけではないという事。マスコミを通して出来るだけ早く、広く情報を拡散させなければいけないのではないでしょうか?最近ではテレビもいろんな専門家やコメンテーターが出てきてワイワイ騒いでいるのですが、ウケを狙った番組作りには辟易しています。司会者などが専門家に質問してコメンテーターがそれにワイワイ意見をぶつけ、スタジオに来ている一般人が「おお~」と「え~」とか。一つの形として視聴者参加型で素人にもわかりやすく見えるけれども・・・。以前、ラジオでニュースを掘り下げる番組で、「良く番組で見る原発の説明で核燃料の下に水が書いてあります。確かに司会者も、他の誰も水が溜まっているとは言っていませんが、あれって水が少しでも溜まっていると勘違いして最悪の段階ではないと感じてしまうけれども、水が溜まっているとは誰もわからないんですよね?」というコメントがありました。テレビという物は視覚情報でそういったイメージを持ってしまう好例だと思うのですが、結局そういった情報が氾濫してしまう。そう、結局はマスメディアも信頼がおけなくなってしまう。正確な情報を色を付けずに流すといった単純なことがなされていない。伝言ゲームなんてのがありましたが、正確に伝えようとしていても最初と最後では結構違ってしまう。そういう事をネタにしているゲームですが、今は積極的に色付けをする傾向が強いんじゃないでしょうか?そのうえで、スピーディなる情報システムも、まずもって出してこない。そして内容よりもなぜ出さなかったのかに話題が移る。スピーディの情報を正確に、しかもわかりやすく説明してきちんと生かさなければ、遅きにしてもせっかく出てきた情報が全然生かされていない。きっとそのうちにこれをネタにあ~だこ~だとワイワイ騒ぎだして、おもちゃにされるのだろう。今、最低でも知りたいことは今住んでいる地域が何にどれだけ汚染されているのか。数値も暫定的に引き上げたりなんだりではなく、その数値がどれだけ危険なのか。「ただちに影響がない」などという曖昧な表現ではなく、この数値なら今後こういった影響の可能性があがりますとか、非常に危険だとか。一年間に被爆する限度量を半日で超える数値って、確かに言われればヤバいのはわかるが、そもそも一年間の限度量だってどういう数字なの?なにを今更と言われるかもしれませんが、これだけ数値に対して信用を無くした今、その信頼を取り戻すのは大変なことですよ?仙台市水道局のホームページの「浄水場の放射能測定数値の結果」を見るとさすがに半減期の短いヨウ素は出ていないようですが7月には放射性セシウムは微量ながらも検出されています。「指標値が200で、検出されたのが0.4か。安心安心」ってねぇ。釈然としません。そもそも今もってヨウ素?検査方法がこの二つだけでいいの?そもそも大元のダムは検査しなくていいの?こういった疑問がすっきりと納得できない限り、少なくとも私の中で安全、安心という言葉はでてこないでしょうね。
2011.07.31
コメント(2)
ここ数日、嫌な揺れ方が続いています。今も揺れましたが・・・。少し気を付けていた方が良いかもしれませんね。水と明かりはちょっと気を付けておこう。そして出来るだけラジオはかけっぱなしにしておこう。
2011.07.25
コメント(0)
結局は被災された方々一人一人の生活が立ち上がっていくのが復興であって、都市デザインとかそういったものではないと思う。まして観光とかの一時的な盛り上がりとも違うと思う。昨夜、飯舘村のドキュメントを見ていたが、どんどん生活が、暮らしが破壊されていっている。あの大津波で被害を受け、それにどう向き合っていくかだけでも結構キャパシティが足りないというのに、原発事故による放射線の汚染もある。自分ひとりなんてせいぜいが両手を広げた範囲の事しかできないのはわかっているのですが、自分が何をしているのかわからなくなる。仕事で復興のシンボルだとかいう変なイベントの手伝いをさせられればなおの事。県外の会社が来て名前ばかり売られて、その実は地元から金を引き出している。その隠れ方が地元に雇用を作り、また観光という名の地域活性という葵の御紋。それが通常の時なら「ばっかでぇ」で、済むのですが、今は結構堪える。どこでもある話だから気にしなければいいのかもしれませんが、正直、関わりたくない。ちょとプレゼンのうまい人が「復興」という言葉を使えば、今は多少の事でも押し通せてしまう。普通の暮らしを、日常生活を取り戻すことが復興なんじゃぁないのかなぁ?そして政治。いまは全く関心がなくなってしまった。都市デザインや未来のエネルギー?確かに必要だとは思うが順番が逆。明るい未来をなんて事で災害を忘れましょう。津波に強い街造りを練っているのだから、もう少し待てと。原発事故の現状をきちんと公表しないで未来のエネルギー?原発再稼働?今、現在進行形の話を置き去りにした未来の話は、「今」を生きる人にこうも過酷な話なのかと実感した次第。少なくとも私はそう思った。とはいえ希望もある。今、地元ラジオ局の東北放送を聴きながら書いているのだが、番組によっては本当に同じ時間を同じスピードで歩んでくれる。そしてNHKの中でもきちんとしたドキュメントも先述した飯舘村の記録のように残してくれている。また時間が経てば、年齢を重ねれば、また違った思いに至るのかなぁ・・・。少なくとも僕らの世代は、ずっと関わっていくことになるんだろうなと思う。
2011.07.24
コメント(2)
私は引っ張られているのかもしれない。それはそうかもしれないが、やはり人間は感情の生き物。一度でも被災地に行って被災された方々と話す機会を得れば・・・。やはりその土地土地の想いがあり、今までの暮らしがあり・・・。失ったものを少しでも取り戻そうとするのを私たち、何も失わなかった者がとやかく言うのはどうなのだろう?どうやって復興していくのか?今住んでいる人を追い立てて、机上の理論で組み立てられた復興プランに乗せるのは少し違うと思う。復興会議も遅れに遅れている。徹夜で詰めてやるといった気迫が伝わってこない。申し訳ないとは思う。忙しい中で時間を割いているのかもしれない。そうは思ってもだ。やはり被災された方々を思うに、中央で進んでいるだけの会議に何か得るものがあるのだろうか?震災当初、酷寒の中で、そして今は酷暑の中で生きる。生き延びてきた人々に。また復旧や救助に不眠不休で走り続けた人たちに、果たして行政は応えられているのだろうか?今日、三陸沿岸や仙台平野の沿岸部に行く用事があったのですが、仙台に戻り東北六魂祭の喧騒を見ると感じる違和感。そういったものを、そういった違和感を発信し続ける事に意味があるのかはわからない。このブログは読者数も少ないが、それでもそういった復興という物に違和感を唱え、水を差すという行為にどういった意味があるのか?。復興に関して外部の力が必要なのはわかる。が、やはりそうだとして、その外部の力が暴力にならないようにしなければと感じてしまう。復興という言葉の持つ魅力的な響きは、そういったことを感じさせてしまうのだ。
2011.07.17
コメント(0)
昨日、仕事で気仙沼に行ってきました。なんだかんだとこの4か月で宮城県の沿岸地域をほぼ動いたことになります。仕事の関係で少しそういった沿岸地域から離れていたのですが先週あたりから、自らの足でも向かうようになりました。今はまだ自分に何が出来るのか見つけたわけではありませんが、ともすれば仙台に居ても忘れてしまう、過去の物にしてしまう今回の震災のその後をこういった形で自分の目で見たままブログに書くことも情報発信としては良いのかもしれません。ただ、こうしてブログにアップするのも非常にデリケートというか・・・。その一つに、例えばブログにアップする際、写真などがあれば非常にわかりやすいと思うのですが、私は未だにカメラを向ける気が起きません。震災とは関係なくデジカメは常に持ち歩いていますし、実際に震災後の職場の写真を収めていて、その後そのデータも報告書などに使われました。でも沿岸部に行くとカメラを向ける気にはなれません。現場の状況を知りたいのでと頼まれた数枚しかカメラには収めていません。またブログを書く際も、いろいろありまして。実際、書いたはいいがボツになったのも多数でして。書こうと自然に進んだ時はアップしています。それ以外は大概、ネタ探しみたいになってしまい、自分に嫌気がさして没になります。で、今日、こうやって書いていられるのは、昨日の気仙沼の衝撃の所為だと思います。今でも被害の跡が生々しいです。それは震災から約十日後に入った南三陸町志津川の時と同じくらいのインパクトでしょうか。4か月を過ぎてこの状況かと。どうにかならんのかと思います。本当に。これからどんどん暑くなっていく中、気仙沼で見たハエの多さはやっぱり心配になります。衛生状態など本当にスピード勝負の問題山積みでしょう?予算をどうするかとか。予算案が決まる頃にはどうなっているのさ。もはや夏です。先の話もいいのだけれども今をどう乗り切るのか?復興ムードに乗せて、マスコミの報道の質も少しづつシフトしているように感じますし、いつまでも震災後の暗いムードではダメなんだという人もいます。仙台も津波が来なかった地域にいると、そんな声にふと乗せられそうになってしまいます。それも大事ですよ。確かに観光業も二次被害というか。実際に旅館などの宿泊施設が観光の落ち込みで廃業や休業に追い込まれた所もあると聞きます。それはそれで深刻な問題なんだと。復興ムードに乗せ、地域を活性化させて人を集める。きっと今週末に開催される六魂祭も、そんな思いで企画されたものなんだと思います。そうやって前に進もうという思いを出していくことは大事なんだと思います。一ヶ月半ほど沿岸地域から離れ、自分の中からも震災後が復興という色に塗り変わりそうになりました。今回の気仙沼に行き、そういった復興モードも大事ではあろうが、そういった流れでの中で忘れ去られる、見落とされる部分というものに強く意識を置くことは大事だろうと。だから、これからの震災後を自分の目で、自分の足で見ていかなければと思っています。
2011.07.11
コメント(2)
先日、アップしました、「松本龍氏に対して」での間違いと訂正を。松本龍氏と書くところを村上龍氏と間違って書いていました。訂正するとともに深くお詫び申し上げます。表題の方は訂正しましたが、コメント欄のタイトルが訂正できませんでした。こちらも合わせてお詫び申し上げます。Wica
2011.07.06
コメント(0)
辞任という事で一応の収束。この一件、マスコミのあり方も問われましたね。それはさておき・・・。今日、ちらちらとワイドショーを見ていたら、責任取るのは当然としつつも「松本氏は被災地をよく理解し、思いのあった方だ」とか「兄貴分、親分肌の人だ」とか「部下に仕事をさせ、責任は俺がとるという姿勢の人で、やりやすいという部下もいる」だとか擁護する向きも多いようです。が、やはり物事は両面で、たとえ思いがあろうが、親分肌だろうが、被災地は今も真剣勝負なんだと。必死なんだと。中央の人間がやりやすいとかそんな問題は二の次なんだと。私は宮城県の人間なので村井知事の事という事になるが、知事は気仙沼での復興イベントに参加していたのを、大臣が来るという事で急遽、早めに切り上げて戻ってきたのと、予め双方で決めた時間に入室していることが報じられている。地元で大変動かれている知事をまず労うのが本来の親分肌、兄貴分肌だろう。また「菅政権を早く潰すために自爆をしたのでは?」なんていう発言が出ているようだが・・・。菅政権下でやりたくなかった仕事をやらされてストレスが溜まっていたとの記事もある。わざと問題を起こして菅政権にダメージを与えた。自分が捨て駒になったという風に言う与党の方もいるようだ。また自民党の谷垣氏も「菅総理のもとでやる気がなくなってああいう発言になったのでは?」といった主旨の事を言っているようだ。私たちはその為に使われたのか?巻き添えを食ったのか?ストレスも溜まっていたのだろう。そして菅政権を潰すため、自ら捨て駒にと決意していたとしてだ。松本氏を必要以上に叩く気はない。私はそこまで松本氏を知ってはいない。しかしだ。松本氏にどんな思いがあろうが、どんな事情があろうが、それは知ったことではない。それはまた別の話だ。被災地で行ったことの弁明にはならない。私は、辞任のニュースを見たとき、思わず右手を突き上げた。それほどにあの行動は許せなかったのだと思う。で、マスコミに矛先が戻る。どういった事情があるにせよ、「書いたらもう、その社は終わりだから」この言葉に屈した事実は消えない。東北放送(他にもそのオフレコに指定された部分を報道した社はあったようですが上記の部分まで放送したのは東北放送だけらしい)が報じた映像がネットに流れて、各社、動き出したようだが、なぜ報じなかったのか、報じることが出来なかったのか。そして、報じ始めたら、格好のネタ。今回の件、格好のネタにする前に、自分たちが一度、結果的にとはいえ屈した事実を再確認するべきでは?
2011.07.05
コメント(0)
まず私は、東北放送を全面的に応援しますし、惜しみない拍手を送りたい。「書いたらもう、その社は終わりだから」恫喝。恫喝に屈しなかった東北放送を私は守る。応援する。一連の内容もひどいものだ。この屈辱を忘れる事は無いだろう。なんでこれだけ復興が遅れているのか?遅れていますよ。絶対に。目立つところだけ、復興したように錯覚しているだけ。本当なら被災県の知事が直談判に行って、胸倉掴んだってみんな非難しないと思いますよ。それだけ何も進んでいない。「今、後から自分入って来たけど、お客さんが来るときは自分が入ってからお客さんを呼べ。いいか。長幼の序がわかってる自衛隊ならそんなことやるぞ。わかった?」客なのかと。まるっきり当事者意識が無い。知事に申し上げた云々言っているが、被災者に寄り添うなどといっておきながら、復興が遅れている事に対して、一言もない。お客様気分なら来なくていい。迷惑だ。
2011.07.04
コメント(3)
少し重い内容で申し訳ありませんが、ぜひ、一度立ち止まって情報を再度見る事をお勧めします。小出裕章 (京大助教) 非公式まとめ私たちは原発という物に対していかに知識が不足しているのか。気付かされるかと思います。
2011.06.24
コメント(2)
内閣改造だって。凄いね。
2011.06.16
コメント(2)
今、「ニュース探究ラジオDig」を聴いていました。福島第一原発の事をやっていましたが、内容は・・・。興味のある方は番組ホームページで過去放送分も聴けるようですので聞いてみてください。テレビではこんな番組出来ないのかなぁ。最近、テレビ見てないです。バラエティ多すぎて。ラジオでは知識が増える実感があるのですが、テレビでは残念ながらそういう実感がない。政治家が出てきたとしてもバラエティ番組だったり、ワイドショーは無駄に怒ったり騒いだり・・・。映像に出てしまうと、パフォーマンスが多いし・・・。ラジオ、頑張ってると思うなぁ・・・。
2011.06.14
コメント(2)
吉田所長が口頭注意って・・・。そらぁ組織だから規律は大事かもしれませんが、この期に及んで今、することに何の意味が?士気が下がるだけでは?じゃあ正確に情報を伝えていたらどうなったの?「現場が勝手に動いたら組織が成り立たない」これは上司がご立派な方の時だけ成り立つもの。「現場の判断は視野が狭い、全体の流れを大所、高所から判断して・・・」ごもっとも。でもきちんと見ていないなら現場での経験と勘に頼るしかないでしょ?でもそれらの常識を覆すような困った人間が上にいる場合は本当に危険極まりないですよ。現場が暴走する以上に。現場は死にたくないですからねぇ・・・。それに被害をこれ以上大きくしたくないといった思いもあったでしょうし。待ったなしの場合は上を説得しているなんて悠長なことは出来ませんし。嘘ついてでもって状況は出てくるでしょう。だからこそ今、処分してどうするの?吉田所長がどういった方かはわかりませんが、少なくとも今回の事は英断だったのではないでしょうか?どういった判断が行われたのかはしれませんが、少なくとも吉田所長、お一人がかぶった形でとにかく注水は行われていた。ってことなんではないでしょうか?
2011.06.09
コメント(0)
radiko.jp 復興支援プロジェクト(http://fukkou.radiko.jp/)東日本大震災で大きな力になったものが民放ラジオ。少なくとも仙台ではそうでした。私は宮城の人間ですので、宮城についてだけしか言えませんが・・・。TBCラジオは常日頃からラジオカーを走らせ、宮城県内各地に行き、地域との触れ合いを通してネットワークを築き上げてきました。今、被災地にラジオカーを走らせ、そのネットワークを生かし生きた現地の声を電波に乗せています。特に日中、聴いてみてください。ぜひ、聴いてみてください。全国で聴けますから。
2011.05.21
コメント(0)
これは私が東日本大震災後にポケットに入れているキーリング黒い四角のものはスイステック。ペンチ部でリングを挟みグリップ部を畳むことでロックするというアイディア商品。ただ少しばかりかさ張るのが難点。ソリテールは震災後、LED化したものでミニマグライトの常時携帯から解放してくれた優れもの。後はホイッスル。さて本題。Gunファンから見て一番役立ちそうなアイテムはタクティカルライトでは?G&Gアーマメント社のタクティカルライトが球切れしていたので知人にLED化してもらったのだが、どうせ改造するならと二人のアイディアを出して試作(?)されたものです。アイディアその1USB充電。ウィルコムやその他携帯電話の共用充電器はUSBの仕様になっているので車からやパソコンからも充電できる。アイディアその2充電の切り替え。切り替える事により他のUSB充電用のバッテリーとして、また予備として携帯電話用の3G対応の充電コネクタ(私がソフトバンク・ユーザーですので)が付いています。携帯の予備電源にライトを使うのは悩みどころですけれど、持ち物をコンパクト化するということで。で、本当はこれをマルイさんあたりで出してくれるといいのになぁと。なぜならこのプロライト。電動ハンドガンの外部大容量バッテリーとしても機能するという点が良いと思うのですが。LED化してコネクタをUSBに変えれば・・・。ダメですかねぇ・・・。
2011.05.20
コメント(1)
震災時の発信規制NTTドコモ 90%au 95%ソフトバンク 70%ソフトバンク同士が繋がりやすかったのはこういったことが理由かな?余談ですが今も余震が。昨日あたりから嫌な余震だなぁ・・・。もう一回、気を引き締めないと・・・。
2011.05.15
コメント(0)
被災地での道具で有用なのものの一つにツールナイフがありますが、あくまで個人的な感想で言うとステンレスのものよりやはり肥後守や電工ナイフのような鋼の物が良いようです。なんといっても砥ぎやすさは重要かと・・・。砥石がなければ少しキツイかなぁ・・・。小さい砥石も一緒に置いておくといいかもしれませんね。今回は自分なりにはいろいろ備えてはいたつもりでしたが、反省点はいっぱいあります。あくまでも仕事からという視点ではありますが。なにかしら自分の出来る事を見つけたとしても最低限の知識と道具は必要です。そして道具を使い慣れているという経験も。たった一本の肥後守から学ぶ知識と経験って本当に大きいと思います。以前も紹介した「地震イツモノート」に興味深い表現がありました。「現在ではライフラインが止まるという事は原始時代以下の生活になる」「原始時代は周りに自然があったがコンクリートで固められた都市には利用できる大地も水もない」今回、行く機会があった避難所では近くに沢があり、山がある場所ではそれなりに必要なものを自ら手に入れ、廃材などを利用し、火を起こし、パイプを作って沢から水をひっぱり、ドラム缶でお風呂を沸かしていました。自然を利用し、そこにあるものを利用し、生活をしていました。知恵と技術と経験とアイディア。そして環境。環境は必ずしも恵まれていなくても支援物資が届き始めれば・・・ですが、きっと必要な個人の道具は簡単には入ってこないでしょう。仕事に道具を使う人たちがいれば別ですが。段ボールで届いた箱を開けたり、その段ボールで何かを工作出来る為のカッターナイフとか(そんな心配をするのは私だけ?)。そして刃物があればいろんなものを切ることが出来ただろう。造ることが出来ただろう。救急法を学べばわかりますが、そこでも刃物があるのとないのとでは出来る事に差が出てきます。今回、停電になった際、どれだけの人がライトを手元にいつも持っていたか?。結局真っ暗になってしまえばそのライトさえ探すには大変。見つけても電池が無ければ・・・。ライター一個あれば火も起こせただろう。そうは言っても私たちはそうやって火を起こしても扱えるのだろうか?今はたき火もしなくなった。ゴミ焼きも出来なくなった。家庭用の焼却炉があればそれで暖も取れるだろうに。「今でこそ缶詰は缶切りがいらないものが主流ですが、缶切りなしで開けれない缶詰だってある。」これはあくまで例えですが、自分も含め、やっぱり便利に慣れてしまっています。私はたまたま電気工事をしている方の手伝いをさせてもらっていたので現在のビルが停電になるといかに不便になるかということを体験していました。今回の震災の影響がなかった地域の方、ぜひ一晩、ブレーカーを落としてみてください。我が家でさえ、ものすごく不便です。その不便さを体感し、必要な知恵を絞ってみてください。すぐにあれだこれだと買いに走らずに。手持ちのものでどうやったら明かりを得られるか。水は?食べ物は?いつも防災グッズを持ち歩くわけにはいきませんが、人間、便利な生活に埋もれて見落としている事をもう一度思い出せば・・・。今回の地震等もとにかく最初の一晩をどう乗り切るかは非常に大きかったと思います。大げさなサバイバル技術なんていらない。とにかく一晩を乗り切れるだけの教育をこれからはしていってほしい。その場にあるもので何とか工夫をして生き残る。そういうもののベースを。学校や施設で実施されている避難訓練だけでは足りない。とりあえずは避難した、その後まで。もう一度、思い出してみれば・・・。私のように施設警備を仕込まれた人間でも、年に数回行われる避難訓練は、地震発生 ↓現状確認 ↓建物外に避難 ↓施設内で火災が発生を想定しての消火設備の使い方が大枠。その後をどう乗り切るか。昔の、私の両親の世代。肥後守をポケットに突っこんで、その辺を走り回り、枝を削ってチャンバラの刀を作っていたりした人たちから、学んでおける事、多いと思います。
2011.05.14
コメント(2)
Gun誌で連載されていた野外実践講座。今回、これから得た知識が意外なところで役立ったりしたんだけどねぇ・・・。いまだGun誌が買えない仙台でした。今月号、出ちゃうねぇ・・・。
2011.04.23
コメント(0)
東日本大震災。こちらのブログでは一区切りつけたいと思います。http://ameblo.jp/ct0523上記の方ではこれからも折に触れ書き続けていこうと思っています。で、こちらを通常に戻していこうと。とはいえ、デジカメが液晶が割れてしまい画像アップもままならないという・・・。
2011.04.15
コメント(2)
今回は地元の新聞でも紹介され、しかも価格の一部が義捐金にも回っている本を紹介します。地震イツモノート (ポプラ文庫) (文庫) / 渥美公秀私も先日、久しぶりに本屋に行ったときに見つけて購入したのですが、非常に興味深い本です。ハウツー本というよりは体験からくる話をまとめた本といった所でしょうか。私としては非常に為になりました。この機会に一度手に取ってみては?
2011.04.12
コメント(0)
はやいのか、やっとなのか、地震から一か月がたった。いろんな意味でストレスがピークに来ているのは感じているので気を付けないと・・・。地震から一か月。私はまだ一か月かと。本当に長い一か月でした。というより時間感覚が麻痺しているというか。本当に多くの事を感じ、多くの事にショックを受け、多くの事に感情的になったり。自分の中で消えそうになる思いがあったり。亡くなられた方々のご冥福を祈ると共に安否不明の方がはやく見つかる事、そして今回被災に遭われた方が、はやく安心して暮らせる事を願っています。私もまた、その一助が出来るように日々を積み重ねていきます。
2011.04.11
コメント(0)
一か月前の地震後、職場に泊まったり近くの実家に身を寄せ、我が家を留守がちにしてしまった。集合住宅に住んでいる私は、日頃、気を付けて挨拶をするようにはしていたし、実際、同じ集合住宅の人とも震災後、挨拶したりもしていたが、本当の隣人の高齢者の方とは帰宅時間の都合などで心配はしていたのだが会えずじまいだった。前回は職場での震災ではあったが、先日の余震の際は自宅に居たのだ。が仕事が即、頭に浮かびそのまま飛び出してしまった。職場で落ち着いたとき、その隣人を忘れていた事に気が付いた。なぜ、飛び出す前に声を掛けなかったのか・・・。翌日、帰宅後、とにかく呼び鈴を押した。元気に出てきたその隣人に、近くに居たのに全然、力になれなかった事をお詫びして、少し立ち話になった。逆にこちらを心配してくれて、水が出た際にはおにぎりまで作ってくれていた話をしてくれて、本当に頭が下がるとともに自分自身を恥じてしまった。ヘルパーさんもいてくれるだろうから、そういった意味では安心はしていた。ご家族も近くに居るという事もうかがっていた。部屋に電気が灯っていたことは確認はしていた。とはいえ、今回も隣人を忘れていた。なんとも情けない話だ。幸い、近所に民生員がの方がいてくれたことと、その方のご家族が来ていたのとで不自由はしていなかったようで安心した。そんな隣人との挨拶もまた嬉しいし、心配もしていてくれたことに感謝しつつ、もっと周りへの気配りも出来るように気を付けないと・・・。
2011.04.10
コメント(2)
今回、経験したことで言えば、とにかく必要なものは水。水と食料は持参しないと・・・。それと消毒用品。手をある程度は清潔に保たないと感染症をもらったり持ち込んだりという事に。使い捨て手袋なんてのも重宝すると思います。マスクも必要。埃が凄いのとやはり感染症対策。とにかく避難所に感染症を持ち込んだりしたら多大な迷惑どころの話ではない。後は携帯ラジオとポケットライト。この辺が基本ライン。とにかく現地の物を借りたりもらったりしないように。最近では出かける際は500ミリリットルのペットボトルに水道で水を汲んで持ち歩くようになりました。100円ショップでペットボトル・ホルダーを買って来れば腰にぶら下げたり鞄にぶら下げたりと、ちょっとした水筒として本当に重宝します。・・・。日中、車の中で日に当たるところに置いておけば結構温かくなりますし。などといった感じで仕事用の持ち物をざっと揃えたら、メーカー品の数万円の非常持ち出し袋と同レベルの物が出来てしまいました。とはいえ、そこまでの物を常に持ち歩くわけでは当然なくて、いつも持ち歩くものをうまく組み合わせたりして軽量化しています。が、とにかく水だけは常に持ち歩くようにしています。水のありがたさが本当に身に沁みます。
2011.04.10
コメント(2)
おかげさまで今回は我が家は被害は無しでした。ライフラインも無事。1978年の宮城県沖地震はマグニチュードは7.4で今回と同じ。最大震度は今回は仙台市内でも震度6強。1978年の時は震度5でした。これが先月11日にあれだけプレートのストレスを解消したかと思ったのに、今回のこの地震が余震だというのだから。まだまだ安心はできないなぁ。
2011.04.08
コメント(2)
しばらく、今回の震災から頭を切り離そうとしたが、どうやら無理のようです。自然と浮かんだものは書き留めておこうと思う。「あの鐘を鳴らすのはあなた 基金」この「あの鐘をならすのはあなた」という歌は耳に残っていたのですが今回改めて聞いたら目頭が熱くなった。そして何度も聴くうちに気が付いた。少し話はそれるが、今、気仙沼は動き出しているという。6月に自分たちの港にカツオを上げるのだと言う。そこにプライドを感じる。「自分の仕事は魚を獲ることだ」と船を出した漁師の話が出ていた。南三陸の避難所で自らが動いていた被災者たち。自分たちの町を愛しているのだと感じた。あそこに行って、私に何ができるだろう?思いはある。だからと言って何ができるんだと自問自答してしまう。「あの鐘を鳴らすのはあなた」私ではないのだと。あの地で頑張っている地元の人たちが希望であって、私たちはそれを応援することなんだ。あの地に行くよりもあの地で頑張る人たちを自分たちの持ち場で応援する事。仙台を支えれば、宮城を支えれば、東北を支えれば、東日本を支えれば。それぞれの持ち場で一つづつ積み上げる事が力になるのだろう。あの人たちの場所を土足で踏み込んではいけない。必要なことがあれば全力で手助けをする。休みが必要なら、私たちがその場を作る。人手が足りない時、その時に初めて私たちの手助けが出来るのだろう。その時はそれぞれの人によって違うはずだ。今、専門で動けるボランティアが頑張っている。思いを持って派遣されていくボランティアがいる。私はその方々に託して、今出来る自分の仕事を積み上げていく。私たちが希望の鐘を鳴らすのではなく、その地の人たちが希望の鐘を鳴らす。だからあの歌詞は「あの鐘を鳴らすのはあなた」であり、「あなたには希望の匂いがする」なのだと思う。「あなた」を支えるのが私たちにできる事なんだと思う。柄にもなくそんなことを思った。
2011.04.07
コメント(2)
日常生活に戸惑いを感じつつも、自分の生活も正常に戻していくことも大事だと思う。どういう形で戻したらいいのだろう?いい加減、部屋も片付けないといけないのだがもともとがぐちゃぐちゃになっていたので、レイアウト変更もいれつつ、部屋の整理もしないといけないかなとか。もう少しすれば休みも取れるだろうし、それまではなかなか手つかずではあるのですが・・・。今回は自分の持っているがらくたたちが意外と重宝した。高輝度のLEDライトや補修テープに携帯ラジオ、ガソリンの携行缶、デジカメ、その他。湯たんぽもですね。500ミリのペットボトルも今や手放せないアイテムになりました。で、今回の経験から最終的に持ち出しバックが出来たのだが、これってメーカー品だと三万円近くするものと同じだったり。今回、本当に多くの事を学びました。これからも学んでいくでしょう。自分がいかに無駄を抱えていたか。車の燃費やトイレの水など、本当に無駄が多い生活でした。ちょっとした工夫と我慢で飛躍的に改善できるものがいかに多いか。結局、ブログを書くとこの話から離れられないですね。少しづつですね。
2011.04.06
コメント(0)
正直、今も休み無し。でもこれは望んでしている部分もある。今は止まるのが怖い。津波が来た時間。今思い返してみると、私はほんの数キロ先に居た。今、元気で、目の前に仕事があるという事を感謝したいと思う。自分に出来ることは目の前の事を一生懸命やること。いろんな思いはあるけれど、目の前に仕事がある。それはとても大切なことだと思う。いろんな思いはこれからも忘れずに持ち続け、自分の出来ることをしていこう。私が両手を広げて届く範囲の事をしっかりやっていこう。まずはすこしづつ、普通のブログに戻して、今回の教訓は少しづつ整理して。今は、書けることはこの位。何を書いて良いのか悪いのか。普通に戻して良いのか悪いのか。それさえもわからないのだから、少し今回の事に触れるのは休もうと思う。数日か、数か月かわからないが。ブログはいつも通り続けていきますので、よろしくお願いします。
2011.04.05
コメント(0)
この土日の感想。土曜日、仕事で野蒜に行くため三陸自動車道に乗ったら・・・。朝九時の時点で動かない・・・。昼ごろ南下したのだが、やはり北方向は大渋滞。その横をパトカーがサイレンを鳴らして路肩走行していったが・・・。その後方、消防車と救急車の赤色灯が見えた。音は出していなかったので特に急いではいなかったのだろうが・・・。きっと家屋が心配だ、とかボランティアに行こうという方々がガソリンも手に入り動き出したのだろうと思う。われわれ報道は兎も角としてだ。警察、消防、自衛隊の車が全然動けないのであれば多少の問題を感じてしまう。ちょっと考えさせられた。
2011.04.04
コメント(0)
とはいえ、地震後、かろうじて高台に避難し、車で一泊。翌日12時間歩いて生還した同僚に、震災後初めて会うことが出来た。元気そうで、本当に良かった。それが、今日一番の喜びでした。それだけに本当に良かった。
2011.04.02
コメント(0)
仙台市内や職場にいると、ふと地震の事が現実から離れてしまいそうになる。それはとても怖い。仙台市内でも津波の被害のあった所、なかった所。なかった所は、一見、3月11日が夢のように感じる。あの夜、仙台から街の明かりが消えた。星空はとても綺麗で・・・。そこから数キロ離れた地の事さえ感じられないくらいでした。ただ、海の方の空が赤く染まっていた。仕事の忙しさに、身を任せて突っ走っている。不思議と疲れも感じなくなる時がある。体の中のスイッチがあの時に入った、そのままなのだと思う。今、いろいろと努力して普通のペースに戻そうと思うが、それはなかなか難しい。自分の中で、区切りをつけたくないのかもしれない。所詮、こんな近くに居たって、その場に行き、何かをするなんてことはできない。目の前の仕事をこなす事。それが、最善だと思っている。私の職場のお偉いさんも言っていた言葉だが「津波は天罰」。この発想と発言には怒りを覚える。見ていないのだ。あなた方は。遠方でテレビの画面を通してしか見ていないのだ。私は、あの虚脱感、空しさ、悲しさ、自分の無力感、それさえも無意味に消えてなくなってしまったあの光景を忘れることはないだろう。町の人が夕暮れに、自分たちの暮らしていた町をただ眺める、あの背中を忘れることはないだろう。その人たちになんの非があるというんだ。今日見た南三陸町の電信柱。ここから復興は始まる。今でも見つからない安否不明の方々。そういう現実を抱えたまま、同時に復興に向かっていく。あれは決して天罰などではない。 そんな綺麗事で被災者の心を踏みにじるものではない。
2011.04.01
コメント(2)
職場の方も疲労の度合いが目立ってきたようです。もともと慢性的な人員不足がこういう時にどっと出てくるというか・・・。しかも年度末。入札と重なり、しかもとある省庁の仕事など、一年契約ときているから働いている人間も契約更新か解除の時期。なんにしても時期が悪い。某報道会社の方の仕事は連日の激務が祟ってきているようだ。そもそも被災した方々も働き詰。家が流されたり、浸水したりという人もいる。私などは部屋の片づけはもともとごちゃごちゃした部屋だから気にしないことにしているし、ライフラインも戻っているので構わないが、そうでない人たちは疲労とストレスがピークだと思う。そんなわけで休みの日は他の現場の手伝いをしているわけだがそろそろ一か月、休みがない状態。我ながらよく持つなぁと思う。明日から新年度。こんな時に限って、職場の上司が入れ替わるという。同僚が会社と契約で交渉中・・・。決裂したら今の現場は契約解除という事もあり得るが、それはまあ彼の人生だし、私はそれでクビという事もないのでなるようになれといった所か・・・。いまだ連絡がないのだから、どうなったことやら・・・。ただ一つ困るのはこの状態にプラス、毎朝5時起きなるとさすがに少しキツイかな・・・。もうこうなると大概の事ではびっくりしなくなってしまった。
2011.03.31
コメント(0)
最近になってようやく、今、仙台市やその近隣がどうなっているのかを調べ始めた。ほんの数キロ先の事がわからない。以前は頻繁に行っていたところでさえ行けないという状況が続いている。気になってもガソリンが無いのと、そこにおいそれと足を踏み入れていいものかどうか・・・。多分、感じていないだけで恐ろしいのだと思う。仕事で足を踏み入れるという事は、そこに理由付けがある。だから行けるのである。先日、仕事で閖上に行ったのだが、やはり行けば深い関わりではないが、仕事で関わったことのあった人を思い出す。今となっては安否の知りようもない。手つかずの所に運転席が隠れた状態で半ば埋もれている車を見る。思わず頭を下げずにはいられない。見ておくべき光景か?これは非常に難しい問題だと思う。「行きたい」という同僚を止めはしない。ただ、「行ってこい」とは勧めない。まして同乗者がいるのに、近くに行ったからとそこに向かうことも私には出来ない。私は今、会社の事情で掛け持ちをしている。そのどちらも被災地に行く仕事が出てくる。その地に踏み入る事はドライバーという仕事上、自分の命だけではないという事も強く自覚している。正直、待っている時間はピリピリしてしまう。海岸沿いなら尚更だ。初めて入る人に「ラジオをかけっぱなしで持って行け」と言う。これは片方の職場で学んだ事。それと飲むこともできる真水とマスクは最低、持参すること。結局、片方の仕事場の一部の方々とは温度差が出てきている。どうやら機嫌が悪いという事で通っているようだが(笑)。私にはついていけない話が出るのは正直つらい。気持ちに差がある以上仕方のないことだから普段は黙っているのだが、自分に振られた時ははっきりと「その話には乗れません」と応えることにしている。
2011.03.29
コメント(0)
全163件 (163件中 101-150件目)