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今日は疲れたので会社はズル休み。朝一で会社に電話したら上司の一人も病院とかで午前半休取ってやがった。人が休もうとしてる時ぐらい真面目に会社来いよな! ズル休みする時は思いっきり一日を無為に過ごします。昼から子猿が母猿に連れられて体操に行ってる間もインターネットラジオの音楽を聞きながらひたすらぼ~っとして時間潰しに徹するのだ。私のお薦めのインターネットラジオ局はこちら。http://www.icebergradio.com/聞く為には登録が必要で、アメリカあるいはカナダの郵便番号を持つ人しか登録できないけど、そんなもん、観光ガイドから適当な番号拾ってくればどうにでもなります。ちなみに私の登録上の番号は、かつて母猿が旅行したカナダのスキーリゾートの番号。ところで、私のお友達のmoumouがあや吉さんになついているようで、分散していろいろ書き込んでくれています。お話しし易い様にここに纏めましたので、2人で漫才お願いします。29日付「すべり台」についてのmoumouの書込み===あや吉1008さまわたしも、自分と同じ誕生日の馬、いますー。デスティニーを感じ(一方的に…笑)愛情を注いでました。分不相応な試合に出させていただいたときに、そのコを選定され、自分ではものすごーーーくやる気だったつもりなのですがいざ本番になったら、ものすごーーく萎縮し(わたしが)勇気を与えてあげられず、ひどい終わり方でした。馬に、そして指導してくれた方々に、申し訳なかったです。試合ではいい思いをしたことがないなぁ。練習もけっこうダメダメだけど。(>_
2005年01月31日
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朝まだ暗いうちに起き出して馬に行く。クラブに着く頃に夜が明けるけれど、明けてからの方が明ける前より寒い気がする。風のせいか・・・。前回と同じモクレン。肩、肘、手首の柔らかさを心がけてソフトに乗ると全然乗り易いし、ペースも自由にコントロール出来る。やっとまともにこの馬で障碍練習出来る乗りになった。でも、ペースをコントロール出来るようになったら今度は、どれが適切なペースなのか分からなくなってしまった。迷い迷い跳んでたら踏切り外しまくりになったので、いかせ気味にして障碍前で待つようにすると、もちろん踏切りは合うけれど、単に刻んでるだけの待ち方になってる気がするし・・・。多分、駆歩の大きさが原因のような気がする。元々のストライドが小さいということではなく、小さなストライドの馬なりに精一杯大きな駆歩を作れているかと言うこと。出来てないような気がするなぁ・・・。ペースのコントロールもストライドのコントロールより肢の回転数の多少になってる気がするし・・・。それと、もうちょっとでも手前から踏切りが見えたら、障碍前の待ちも楽になる気がする。前回の練習後は爽快な気分だったけれど、今回はモヤモヤして気持ち悪いので、若いダイスケと話をして、いろいろアドバイスを貰う。「常に10センチでも大きな駆歩を心がける」「練習の障碍はフラットワークの延長程度で考えた方が良い」というような話を聞きました。若いけれど経験豊富な馬乗りにいろいろ教えて貰えるのは有難いことです。おかげで次回乗るのを楽しみして帰ること出来ました。午前のうちに家に帰って午後は子猿の相手をして過ごす。盛り上がった遊びは「足場崩落ごっこ」。足場崩落ごっこの遊び方は、1.畳んだ三枚のマットレスを縦にして壁に立てかけたものを足場とする2.倒れないように押さえたマットレスの上に子猿を置く3.押さえてる力を抜く4.足場崩落最初のうちは崩落前にカウントダウンすると良いが、慣れてくるとカウントダウン無しでいきなり崩落というのが喜ばれるようです。
2005年01月30日
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昨日、ご近所さんから子供用のすべり台がお下がりで到来。大きいし、床がフローリングだと落ちた時に危ないので、親子3人が寝る和室に設置。すべり台が趣味の子猿は大喜びで、今朝も寝てる私の頭の横で「すべり~!」と言いながら滑りまくっている声で目が覚めた。寝ぼけ眼で見ていると、子猿なりにいろいろな滑り方を研究している。中でも熱心に研究していたのが正座滑り。滑走中にどうしても上体が前傾してそのまま前に倒れ、顔から着地するのが不満のようで、いろいろバランスの取り方を工夫した結果、上手く正座のまま滑走し、正座のまま着地することが出来るようになった。えらいぞ! 子猿! さすがは俺の子だ!昨日皆さんにお約束したように散髪に行きました。オヤジ引退後、店は息子とおばちゃん(息子の母親)に任され、小間使いの若い者が一人。もう何年も通っているのだが、小間使いがいつまでたっても昇進しないのが不思議だ。もうひとつ、いつも散髪行く度に不思議に思うのが「眉毛の下はどうしますか?」と「もみ上げはどうしますか?」と聞かれること。聞かれても答え方がわからん。
2005年01月29日
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明日は散髪に行かなきゃいけないが、私は散髪が嫌い。散髪屋でじっと座ってるのが嫌いなのだ。ちょっと前までは行きつけの散髪屋のオヤジが釣りの達人なので、行く度に釣りの技を教えて貰えるという収穫があったのだが、今ではそのオヤジは完全に引退して店には現れず、散髪に行っても髪の毛を切られるだけで何の収穫もない。そのオヤジの教えてくれる技というのは、ちょっとしたことだが本には書いていないような実戦向きの知恵で、釣りの師匠のいない私には大いに役に立った。私達の釣りには練りエサを使うのだけれど、何種類かの粉末を混ぜて水を加えて仕上げる。「新べらグルテン100ccとグルテンα150ccを混ぜ、水170ccを加えて、手早くかき混ぜる」という感じ。作るにあたっては50ccと100ccの軽量カップを使うが、水170ccというのが難しいのだ。手早く作らないとダマになったり、均一に混ざらなかったりするし、量が少しでも狂うと良いエサが出来ない。二種類の粉末を入れたボウルに水150ccを加えるところまでは簡単だが、残り20ccで手間取ってしまい「クソ! 作り直しか!」ということがよくあるのだ。オヤジが教えてくれたのは「先に20cc入れりゃいいんだよ!」。私のアタマが固いだけかも知れないが、オヤジを尊敬したね!昨夜は家に帰ると母猿が二月の予算を策定していた。家を買うので緊縮財政だ。私に与えられた予算額から馬代を引くと幾らも残らないが、仕方あるまい・・・。別に母猿は私の馬代まで召し上げようと考えていた訳ではなく、そんなこと言われなくても十分考えてくれていたと思うけれど、正月に奈良の私の実家へ帰った時、婆猿から「お金しんどいやろうけど、馬には乗せてやってね!」と言われたそうだ。我が母親ながら変な母親だ。私が数年前に人馬転して骨折、入院した時、母猿からの知らせを聞いて大笑いしたらしい。母猿が三木の試合に出た時も、わざわざ奈良から見に来た。その試合では母猿は不甲斐ない結果(あんた障碍いくつ跳んだ?)に終わり、松葉杖ついて三木まで来させられた私は憮然としたが、見に来た婆猿は楽しかった(試合より道の駅での買い物が楽しみなのか?)ようで「次はいつあんの?」と時々聞いてきていた。時々つまらんことで怒り狂い、手がつけられないほど拗ねまくるのがかなわん。
2005年01月28日
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ベトナム戦争において米軍はジャーナリストの従軍取材を殆ど無制限に許したので、この戦争は殆どリアルタイムに全世界に向けて実況中継される戦争となった。インドシナ半島には世界中から様々のジャーナリストが集まったが、当然彼らの犠牲も大きく、第二次大戦終結後の第一次インドシナ戦争、ベトナム戦争、中越戦争に至るまでに170人余りのジャーナリストが落命した。彼らジャーナリストが命と引き換えに、命をかけて報道した戦争の実態はやがて大規模な反戦運動をもたらし、結果として米国は世論に押されたこともありベトナムから敗退せざるを得なくなった。一方でジャーナリスト達が「なぜそんな危険な戦場に赴くのか?」と問われた時、うまく答えられないらしい。今もベトナムに拘る石川文洋さんは幾つかの思い当たる理由を書いておられるが「使命感というものはあまり無く、自分を鍛えたい、冒険したい」という点を挙げておられる。併せて「バカだから行けば何とかなるだろうと思った」とも言っておられる。ピューリッツァー賞受賞の有名な沢田教一カメラマンはひたすら「もっと見応えのある写真」を求めていたようだ。少し話が逸れるが、アメリカの世論を変えたと言われている一枚の写真があり、これは市街戦の最中に南ベトナムのロアン警察長官が捕虜の頭に銃弾を打ち込む瞬間を撮ったショッキングなものだが、撮影した米国人写真家エディ・アダムズはこれによりピューリッツァー賞を受賞した。先日この写真について薄倖の美人大学院生と論じたのだが、その直後にアダムズが亡くなったという記事を読み、奇遇に驚いた。この写真に接した米国民の多くが大きな衝撃を感じ、米国が南ベトナム政府を支持するこの戦争は誤りではないのかという疑問を膨らませた。一方で撮影したアダムズはそのような意図を持って撮影した訳ではなく、反射的にシャッターを押したこと、写真を見た米国民の反応にとまどったことを述懐し、あわせてロアン長官の悪名を高めたことに後悔の念に近いものを覚えたようだ。この部分は少し分かりにくいかも知れないが、ロアン長官は何よりも徹頭徹尾勇敢な軍人として畏敬の念をもって見られていたようで、この人を題材にしたと思われる開高健の短編小説「怪物と爪楊枝」には怪しい魅力に溢れた人物として描かれている。いずれにせよ、一部の既に名声を確立していた人達を除き、どこの馬の骨とも分からぬ若者が殆ど無一文で戦場に飛び出し、多くの衝撃的な報道を世界に届け、世論を動かし、ジャーナリストとして自らの名を高め、そのうちの170人余りが落命した。よく知られているように沢田カメラマンは薄暮、無防備で車で移動中にゲリラに射殺され、「地雷を踏んだらサヨウナラ」の一ノ瀬泰三は消息を絶ち、生還した文洋さんは忠告されたにも拘わらずゲリラの出没する道に「見たい!」という衝動のまま乗り出して九死に一生を得、小説家の開高健は何百人かの部隊の密林での作戦に従軍し、帰還した時の生き残りは17人だった。彼らについて、亡くなった人に対してはその死を惜しみ、生還した人達の話を聞いては、その緊迫した状況に戦慄するが「無茶なことをするな!」と嗜める声は聞いたことが無い。前置きが長くなりましたが、ここからが本題です。ベトナム戦争における報道の自由が世論を動かし撤退に結びついたことを教訓として、湾岸戦争以来、米国の軍事行動の取材は厳しく制限されるようになったとはよく言われているところだ。このやり方は非常に有効なようで、アフガニスタンで、イラクで、何が起こっているのか全く分からない。分からないところがどうなってるのかと思う人がいるのは当然だろうし、見てみたいと思う人がいるのも当然だ。どうも困ってる人達が沢山いるらしいと察して、何とかしたいと思う人がいるのも理解できる。そうして何人かの日本人達がイラクへ行き、捕まり、生還した人、しなかった人、それぞれの運命を辿った。捕まったとの報に接した人達の反応は、概ね彼らの行動に対して批判的だった。どうしてだ? 彼らを直接知る人達が「心配かけやがって!」と生還した彼らの横っ面を張り倒す気持ちはもちろん理解できる。生還できなかった人達の肉親の嘆きようは想像が出来ないほど大きかろう。しかし、どうして我々が彼らの行動を批判できるのだ? 「分別」を欠いた行動だったからか? なるほど、彼らの行動は一般に言われる「分別」を欠いていたかもしれないが、そもそも「分別」とはなんなのか?私は多少「分別」を欠いた行動を取ることがあるが、概ね弁えていると思う。私にとっての「分別」とは、それを欠いた行動を取ることによって何かを失うことを恐れているということではないかと思う。その臆病さが私に多少の「分別」を弁えさせているのだろう。だから私は冒険することが出来ないし、なんとなく平和に毎日をこじんまりと過ごしている。一方で「分別」を弁えない「行ってみたい」「見てみたい」「なんとかしたい」という気持ちに突き動かされた冒険に、私にはそれが出来ないと知りながら憧れる気持ちもあるし、突き動かされて飛び出してしまった人達を責める気にはなれない。「衝撃的な報道で世論を動かした」「世界的な名カメラマンとして名を高めた」「ピューリッツァー賞を受賞した」「何事も為すことなくゲリラに捕まり怯える姿を撮影された」「撮影されて殺害された」という彼らの「分別」を弁えない行動の「結果」により評価が分かれるのは、どうしても解せないところだ。また、私個人は彼らから直接迷惑を被ったことはない。私が納めた税金が多少、彼らの為に使われたかもしれないが、どこへ消えたか皆目分からない使われ方をするよりは、そういう使われ方をする方がありがたい気がする。そういう人達も含めて国民全体を保護する為に使われるのが税金ではないかと思うし、逆に言えば、国や権威の言うこと、大多数の言うことを聞かない人達は保護の埒外に置かれるべきなのか? 彼らの存在を許してはいけないのか?少なくとも「危ないから行くな」と言われてみんながみんな「分別」臭く「はい!」と答えて従う国には住みたくないし、そんな国に税金は納めたくないなぁ・・・。以上、昨日の日記で紹介した報道写真の数々を見ながら思ったこと。
2005年01月26日
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世界で起こったこと、起こっていることを知りたくなった時に見るのがこのサイト。フォトジャーナリストという第三者の目を通して見た世界というのはいろいろなことを考えさせてくれる。http://digitaljournalist.org/contents.html仕事をする気にもなれず(いつものことだが・・・)、最近いろいろ考えていることがあるので、高麗ニンジンの乾燥させたヤツを噛みながら朝から見ていたのですが、こういうコーナーを発見。「世界を変えた100の写真」。有名なアメリカのフォトジャーナリズム雑誌「ライフ」が出版している同名の写真集からの抜粋。http://digitaljournalist.org/issue0309/lm_index.htmlその中の1枚にこういう写真が選ばれています。1878年に撮影された「襲歩する馬」。 大きいのはこちら。http://www.digitaljournalist.org/issue0309/lm20.html「馬の四肢全てが宙に浮く瞬間はあるのか?」アメリカの鉄道王リーランド・スタンフォード(スタンフォード大学の創設者)がその疑問と向き合い、1872年から6年がかりで写真家に解明させた結果がこの写真。解説によると、その疑問の解明によって歴史に残るということのみならず、映画の原点ともなった写真であるとのこと。この写真家は「寸秒を切り取った男」と評されているそうです。今日書こうかと考えていたことは、考えが纏まらないので、またの機会に。取り敢えず馬の話でお茶を濁しました。
2005年01月25日
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曜日がずれてますね。これは日曜日のお話。二回連続でブッチしてしまったので今年最初の乗馬学校。出席者は県大会に行っている人もいるせいか3人。県大会は大雨の思い出しかない。今回も大雨の予報だったので、早々に不出馬を決めた俺はエライと思っていたが、雨は降らなかった。けっ!前夜の新年会の酒が残っていたら今日もブッチすればいいやと思っていたが、あまり飲まなかったので起きてしまう。今日の馬はモクレン。前に1回乗ったことがあるけれど、その時は全然ペースが掴めず、しがみついていただけで終ってしまった気がする。ストライドが狭く、チャカチャカしていて暴走感あり。収めようとすると頭をカ~ンと上げながらツンツンして、きれいに跳べない。前と同じことをやっても仕方ないし、どうしようかと考えていたら、数年前に前所長に教わったことを思い出した。「学生の時は伏せ拳はあかんて言われたやろ? でも拳を立てて肘が固くなるんやったら、むしろ伏せ拳で肘に余裕持たせた方がええよ」と言われたのだ。その時は「なるほど!」と思って心がけていたけれど、前所長も遠いところへ行ってしまわれ、今の私は「伏せ拳」だけ残って「肘に余裕」はすっかり忘れていた。モクレンは小手先だけで何とかしようと思っても、どうしようもないことは分かっていたので、考えた挙句「そうや! 肘に余裕や!」と思いついてやってみました。考えたこと、やったことは以下の通り。脇を締めて肘をロックしてしまうとモクレンの口もロックして興奮させてしまう。収めようとしても肘がロックされてるから手首から先で何とかするしかないけれど、拳だけで納めよう、あるいは待たせようとすると、カツンと口に当たるのを嫌って頭が跳ね上がり、ツンツンするばかりでうまく収められない。反対に伏せ拳(置いてはいけない)にして脇を少し開き、肘を外に出すような感じ(確かに格好は美しくない)で撓ませて、馬の口に付いて行ける様に余裕を持たせると、口をロックすることが無いから馬も興奮しないのではと思う。この時に敢えて「肘に余裕! 余裕!」と思わなくても、脇を少し開くだけで、この余裕は自然に出来るように思う。また「拳を馬の口に随伴させる!」と思わなくても、肘の撓みがあれば自然に随伴するように思う。但し、手で手綱を持つのではなく「肘から先が手綱」という感覚があった方が良いかも知れない。手綱を持つ強さは特に弱めずに、しっかり持っていたように思う。ストライドは狭いからコースの前半は走って合わせたほうが踏切がきれいに決まる。多少イキ気味でも全然不安じゃないですよ! 馬が興奮してイキ気味になってる時に乗り手が不安に思うのは、その「速度」ではなく、恐らく自分の肘や拳の柔軟性の許容範囲を超えて手の内から出ようとしている、あるいは出ているから不安なのではなかろうか? 同じ「速度」であっても肘に余裕を持たせるだけで、自分の手の内が大いに広がるのではなかろうか?但し、注意すべきは障碍への向かい方。入りが悪かったり、脚の押さえが無かったりすると簡単に切られます。この備えと柔軟性の両立は私にはちょっと難しいかもしれない。1回切られたのだけれど、その後は構えてやはり固くなった。ペースが上がりすぎたと思ったり、待たせたい時は、その雰囲気のまま、じわっと控えると素直に収まる。コースの最後にダブルがあって、突っ込むとダメなので向かう回転で収めたけれど、収まり過ぎてなかなかきれいに踏切があわなかった。練習の終わり頃に気付いたのだけれど、あくまで重心は下に置いてハーフシートで軽く座ってるでしょう? そのまま軽く腰を張って、体を起こし気味にするだけでもペースを整えられるように思った。どうでしょう? 間違ってるかな? 前所長が聞いたら「そんなん言うてない!」って怒られるかも知れないけれど・・・。もうひとつ思ったのは、やっぱり障碍跳ぶには爽快感が絶対必要! 障碍跳ぶことの面白さって、基本は走ることと跳ぶことの爽快感でしょ? 今日の練習は上手く行った事、行かなかった事があったけれど、爽快感満喫で大満足でした!
2005年01月24日
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今日は皇后陛下(以下、陛下)、ゆはら(なぜかこの人だけ実名)、薄倖の美人大学院生(以下、薄倖)と私で新年会。場所は面子に相応しく土浦のお好み焼き屋。すいてるし安い。皇后陛下の思し召しにより、私が陛下をクラブまでお迎えに上がらなくてはならない。陛下は今夜は薄倖家所有のあばら家の一室にお泊りになるが、あばら家にはふとんがないので、陛下自らふとんご持参。ただし、私がお迎えに上がった時にふとんを積んだ車で陛下と2人でクラブを立ち去るのは少々不味かろうということで、ふとんのみ薄倖の車で事前にあばら家へ運び込んである。このような手順を決めるまでに、飛入り参加となったゆはらを除く3名で木曜日に交わしたメールは数十通になるだろうか・・・。激しい議論を交わしたものでした。夕方お迎えに上がるだけにしようかと思ったが、せっかく貴重な時間を割いてクラブへ行かされるのだから乗ることにした。久しぶりに出る90分の「ハミ受けレッスン(元の中級馬場)」。馬は海老案。そんな馬知らんわいと思いながら迎えに行くと馬はおらず、馬房の扉に「馬の股関節がどうこう」というオーナーの注意書きが貼ってある。通りがかった指導員に「こいつ乗れ言われたけど、自馬か?」と聞くと「自馬には乗れんでしょう。元自馬です。今、陛下が乗ってますよ」と言われた。今となってはいらん注意書き、紛らわしいから剥がしといてくれ。陛下から引き継いで、今年初めてのうちのクラブでの騎乗開始。久々の90分は辛かったです・・・。寒いから乗ってると目から涙、鼻から鼻水で顔がじゅるじゅるに。頭と体は汗でじゅるじゅるに・・・。なかなか濡れる1鞍でした。部班だけれど細かい号令がかからないので、他の馬と手前と歩様を揃える以外は勝手に動かす。口が強い馬で、特に左が強いと思うのだけれど、力で型に嵌められるので、私が最も注意しないといけないタイプ。きっかけ作りに脚を使いながら折返しを効かせて「もうちょい! もうちょい!」とやってるうちにどんどん手だけが強くなっていく。その方向でどんどん進んでいくと、・しょっちゅうイレギュラーを起こす。・特に左拳が強くなっているので馬の口が左へゆがむ。・口だけではなく馬体もゆがむ。肩うちの時など「口を内、腰を外」になっている。「いかん!」と思って譲れるタイミングで譲ってやると良くなるのだけれど、気付いたらいつのまにか・・・。ところでこの馬跳ばんのかな?乗り終わって陛下とゆはらがハコ番している乗馬学校B班の猛練習を「寒いのにご苦労やな」と思いながらラチの外から視察。それが終ってから陛下をお好み焼きへお連れする。補佐のゆはらと、何の研究してんのか研究に忙しい薄倖は後で来る。私は財布を忘れたので、婆猿家(お好み焼き屋から徒歩10分)滞在中の母猿に電話し、彼女も子猿を捨てて急遽参加することになった。5人でだいぶ遅くまでペチャペチャ喋ってたけど、なんの話してたんだっけ?
2005年01月23日
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元ブラジル駐在の上司に連れられてブラジル料理屋でお客さんの接待。先方も外大のブラポル卒でブラジル留学経験あり。私はブラジルは行ったことないけど、ブラジルという国には大いに惹かれるものがあって話を聞くのも楽しみだし、ブラジル焼肉食い放題ももちろん楽しみだ。青山にある有名なブラジル料理店。着席して店員に「まず、サラダバーを」と言われるがブラジル帰り達は声を揃えて「肉! 肉!」と言い放ち拒否。肉が来るがソーセージとチキン。また声を揃えて「ぎゅう(牛)! ぎゅう!」と言い放ち見送り。ちなみに彼らは大阪生まれ、大阪育ちのブラジル帰り。砂糖てんこ盛りのブラジル焼酎(砂糖はカレースプーンで入れる)をカパカパ重ねて食い物は牛一本槍。ブラジル人の店員をポル語でおちょくったりしながら、おっちゃん達はブラジル自慢で大盛り上がり。時々私が半端な知識をフルに活用して「ブラジルの映画はなかなかでっせ!」とか「ブラジル紳士のサントス・デュモンがライト兄弟より先に飛行機で空飛んだっちゅうのはホンマでっか?」という風に口を挟んでやるとおっちゃん達が喜ぶのが面白い。上司も「お! こいつ意外に分っとるな!」という目で私を見ていたが、多少点数も稼げたか・・・。なかなか楽しい接待でした。欲を言えば、ブラジル焼肉は和牛でやってくれんかな? それと、ブラジル人達よ。あんな酒ばっかり飲んでたら仕事にならんやろ? もうちょい、まともな酒飲みなさい。
2005年01月21日
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私は音楽好きだ。クラシック音楽には全然造詣が深くなくて、誰がどうこうとか、どこの楽団がどうこうという話になると全く(本当に全く)ついていけないのだけれど、特に抵抗は無いし、好きな曲もたくさんあります。最も好きな曲はエドワード・エルガーの「威風堂々」。行進曲第何番とか第何楽章とか言われてもわからんが、とにかく「威風堂々」というタイトルで有名な曲。この曲を初めて意識したのは製薬会社グラクソのCMだったと思う。全部聴いたのはいつだったか忘れたけれど、いつ、どこで聞いても感動してしまう。母猿さん、俺たちの結婚披露宴の時に新郎新婦入場で流したのはこの曲ではなかったっけ? 披露宴のBGMではお互いの意見が対立し、直前の真夜中まで2人で揉めながらいろんな曲を聴きまくってた覚えがあるが・・・。あ、そう言えば結婚前に2人で行った「海の日コンサート」。あのコンサートの最後の曲がこの曲だったんだけど、私が感動しまくってる横でイビキかいて熟睡していたあなたは覚えていないでしょうね。そのコンサートは毎年7月20日の「海の日」に開催されるのだが、私は海運会社勤務なのでタダ券が回ってくる。「海の日」ということで海に因んだ曲が多く演奏され、リムスキー・コルサコフの「シェヘラザード」などと共に「威風堂々」も演奏された。「シェヘラザード」はずばり「船乗りシンドバッド」だけれど、ではどうして「威風堂々」が?このコンサートに取り上げられた開催者側の真意は知らないけれど、私には「威風堂々」は大いに海・船と関係がある曲と解釈できるのだ。イギリス王室は王室ヨット「ブリタニア」(Her Majesty’s Yacht Britannia=女王陛下のヨット「ブリタニア」)という船を持っていた。ヨットとは言うものの全長100m以上の美しく堂々たる汽船で、正確には王室の財産ではなくイギリス海軍に所属する軍艦だ。1954年に就役して以来、王室の巡幸に使用され、王室ご列席のここぞという行事には国威発揚の重要な舞台装置として活躍してきた。残念ながら維持するための経費が掛り過ぎるという理由(今どき王室ヨットでもないでしょうということか?)から1997年に退役してしまったが、最後の重要な任務は香港返還式典への参加だった。その帰途に日本へ立ち寄ったのだが、見に行きたいと思いながら残念ながら果たせなかった。何を見に行きたかったのかと言うと、王室ヨットだけあって「ブリタニア」には軍楽隊が乗り組んでいるのだけれど、彼女(船の代名詞はshe)が入港する時には必ずデッキに軍楽隊が整列し「威風堂々」を演奏しながら岸壁に近付いてくるのです。芝居がかった演出かも知れないが、美しいことこの上ない汽船が、華麗な行進曲に乗ってゆっくりと、それこそ威風堂々と、歓迎の人々が待ち受ける岸壁に近付いてくるであろうその場面に是非立会いと思ったのだ。彼女は退役後の今もエジンバラで大切に保存され、現役当時そのままの姿を見せてくれる。でも立ち会ったらきっと鳥肌が立つであろう音楽付きの入港シーンはもう永遠に見られない。だから私が「威風堂々」を聴く時はいつも、「ブリタニア」がゆっくりと私の方に近付いてくるシーンを想像しながら目を閉じているのです。http://www.royalyachtbritannia.co.uk/
2005年01月20日
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昨日の続きです。乗馬クラブはお客さんを馬に乗せて代金を貰って営業している。でも学生にはお金が無い。だから必然的に体で払うことになる。クラブの営業が始まって会員さんが来る頃から日が暮れるまでひたすら労働だ。クラブの先生は仏では無いから、ここぞとばかりに懸案の重労働を課してくる。時間割に遅れたりして罰を受けるべき連中には「懲役」として最重労働を割り当てる。クラブのBGMで流れる浜田省吾のJ BOYにどれほど励まされたことか・・・。乗馬クラブの人は全て先生と呼んでいた。馬房掃除のバイトのおっちゃんも先生。先生にはユンボ(パワーショベル?)の運転もさせられた。ユンボは「やれ!」と言われて「あいっ!」と勢いで返事した学生が、動かし方を知らないのでオロオロしながら闇雲にショベルの腕を振り回して厩舎を破壊。先生に「お前らドリフか!」とえらく怒られた。人力でトンネル堀りもさせられた。人間一人が潜れるくらいの排水溝だったが落盤続発で死にそうな目に遭った。休憩無しで一日中こんなことばかりしてると気が狂ってしまう。時々休憩を挟んだが「15分きゅ~け~!」と号令が掛かると会員さんの目に付きにくい洗い場の端っこで男も女もハエにたかられながら、ひっくり返って眠り込んだ。「おい・・・こんな光景の写真・・・どっかで見たことないか・・・?」「アフリカ方面やろ・・・」「・・・」こうして学生達は重労働をこなし、厩舎の端から端まで埃を払い尽くし、草という草は刈り尽くす。長かった一日が漸く終わる。これから夜のミーティングまではリラックスできる時間だ。奈良支店の場合は全員が車に分乗し、下界の御所(ごせ)の町へ降りる。疲れてはいるが、みんな若いだけあって陽気な一団がゲラゲラ笑いながら商店街の中の銭湯へ入る。風呂の中では、「あのおっさん、怒っとったな! お前らドリフかて、なんじゃそら!」「そのまま突撃してクラブハウス突っ込んだれ!」「トンネル掘れて、あのおっさん、狂とんちゃうか! ここ掘れワンワンてしょうむないこと抜かしやがって!」という感じで盛り上がる。学生の貴重なガス抜きの機会なので、何を言おうが上級生は止めない。隣の女湯からも、「あの兄ちゃん、ジロジロあたしのケツ見とんねん! ボロぶっかけたろか思たわ!」「あのガキ、うちらのカッコ見て指差して笑とった! 今度会うたらオガん中埋めたる!」「犬のボブ。昨日つきまとって鬱陶しいから、両耳持って思いっきり引っ張ったら逃げて行きよった! 今日も帰って来てへんから先生が探しとったわ!」という声が聞こえ、そのうち男女の声が入り乱れて大騒ぎになるので他のお客さんには迷惑だ。背中にデカイ入れ墨したおっちゃんに「お前ら、ええ加減にしてくれや!」と頼まれたのを潮時に「上がるぞ!」と女湯に声をかけて風呂から出る。風呂の次はメシ。重労働の後なので空腹の絶頂だ。全員入れる店を探し、結局いつも同じお好み焼き屋に落ち着く。大量に注文してさっと食って、さっと出て行くので店は喜んでいる。おばちゃんが「馬術部はんが来てくれた! 今回はいつまでおるの? 明日もこんな時間? ほな人数分、席空けて待ってるわ!」とおまけの飴を配りながら学生どもの機嫌を取ってくれる。戻ろうかという時になると必ず何人かが薬局へ駆け出す。「ユンケル下さい!」「俺はヘルビタ!」「思い切って高いヤツ行っとこ! やっぱり高いのは違うわ!」「カ~ッと来るやろ!」と熱心に選んだドリンクを大事そうに抱えたチンドン屋のような一団は押し合いへし合い車に乗り込み、葛城山中腹へ戻るのであった。作業の中でひとつだけ嬉しいのがあった。馬を動かすこと。騎乗技術を磨く為では無く、サボることが目的だったので、ひたすらチンタラ歩かせてチンタラ手入れする。ヘロヘロの私と同輩が通りかかると先生に呼び止められて「これ歩かして手入れ終わったら呼んで」と言われた。私が呼ばれたものと了解して「あい!」と答えて恨めしそうな同輩にあっかんべぇしてやった。先生に馬の名前を尋ねて、きれいな名前だと思った。乗った印象は全然覚えてないけど、その名前が好きで忘れていないだけだ。その馬がその後、関東に移り、ホルモン屋の娘を背に東日本を制することになるとは思いもよらなかった。その馬では裸馬でドカドカはやってないから、ホルモン屋の娘よ、安心してちょうだい。おしまい!
2005年01月18日
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部下が会社の研修で合宿に行ってしまったので忙しい。私はその類の研修は何やかや理由をつけてパス(不参加)しているので、どんなことやってるのか知らないが、学生の頃の合宿はこんな具合です・・・。学生の頃は春、夏、冬の休暇時期に合宿を行った。合宿の目的はいろいろあるが、・普段存分に乗れない1回生・2回生の練習を重点的に行うこと・夏合宿においては馬術部生活に馴染むまで少々甘やかされ気味 の一回生を一気に地獄に突き落として鍛え上げること・2回生には出来るだけ多くの障碍を跳ばせることが主眼。合宿中は未熟な下級生を乗せて、きつい(ひどい)練習をするので大事な学校の馬は使いたくない。ということで、乗馬クラブさんにお願いして合宿させて頂く。学校の馬を放っておけないので、上回生が当番で学校に戻り、馬を動かし、作業をする必要がある。だから合宿先は近場に限られた。泉北にある大手乗馬クラブ、うちのクラブの本店、奈良支店など。私の在籍中は奈良支店が多かった。山の中腹にあり下界から隔絶されているので合宿にはぴったり。合宿なのでクラブに泊り込みだが、宿泊施設なんかないのでロビーに布団を敷いて、男女入り混じって雑魚寝する。全員疲労の極に達しているので変な気を起こす奴などおらず、その点は全然安心。持って行く物は個人の装備と人数分の布団のみ。部員の車に分乗するのだが、布団に埋もれてドライブする。まだ夜と言える時間に叩き起こされて、乗馬クラブの営業が始まるまで練習する。ぴっちり行動時間割が決まっていて、遅れると罰なので慌しい。着替えはもちろん前の晩に済ませて、馬に乗る格好で寝る。最後の1秒まで眠り、ギリギリに飛び起きて馬割りに従って、馬房へ走り、馬を引き出し、馬具庫に走り、馬装して、馬場へ集合。上回生が闇の中でビュンビュン鞭鳴らし、長靴踏み鳴らしながら「おら!おら!おら!おら!遅い!遅い!遅い!遅い!」と喚いているのが恐ろしく、顔を引きつらせて走りまくる。「こんな調子やったら1日これで終わってしまうでぇ!」という先輩女子の叫び声には「さすがにそれはないやろ・・・」と思った。乗る時は飛び乗りしか許されないので必死に這い上がる。乗らないと練習が始まらないし、一時間ひたすら飛び乗りということになり兼ねないので大変だ。小柄な女子部員など泣き出す奴もいる。さすがに見兼ねた多少優しい上回生が怒鳴り散らしながら近付いて「なに遊んどんじゃぁ! こらぁ!」と、怒り狂うふりをしながら上げてやることもある。実はその先輩はその女子部員に気があったりする。やっと乗ったら、ひたすら鐙上げ軽速歩等々。前夜のミーティングで「明日は鞍はいらん。ゼッケン持って頭絡だけ付けて馬場へ集合せぃ!」と言われ、何をするのかと戦慄していると裸馬軽速歩。実際の役に立つのか立たないのか知らないが、とにかく苛められる。そもそも1鞍目なんか真っ暗闇の中での騎乗だから、乗ってる方も見てる方も何が何やら分からんが、大声で号令かけられて、暗闇で見えるはずが無いのに「1番! 背筋伸ばせぇ! 鼻ネジかけて引っ張っるぞぉ!」「3番! もっと脚使えぇ! 寝とんのかぁ!」「2番! 前見ぃ! 目ぇ噛んで死ねぇ!」等と怒鳴りつけられて「あぁいっ!」と返事しながら必死で馬にしがみついている。暗いうちから異様に荒れ狂う連中に囲まれてドカドカ乗られる馬はたまったもんじゃないと思う。そんな調子で3鞍程しごかれ、夜が明けて練習が終わる頃には朦朧としてくる。体はヘロヘロだし、耳には怒鳴り声がこびりついている。這う這うの態で馬を手入れして、やっと朝メシの時間だ。一回生にはメシなんて食える状態ではない奴もいるが、先輩が目配りしてそんな奴にはヨーグルトとかバナナとか、無理矢理食わせる。でないと死んでしまう。馬術部の合宿の一日はまだ始まったばかりだ。(続きがあるけど今日はここまで)
2005年01月17日
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よく分からんのですが、競馬って、新馬だろうが、未勝利だろうが、古馬だろうが、すごい馬だろうが、やってることは同じですよね? ゲートからスタート切って、千六なら千六、三千なら三千を競走する。で、見てる人は誰が勝つかにお金を張って一喜一憂する。同じことやってるにも関わらず、何故、土曜の朝一のレースは話題にもならず、観客も少なく、反対にグレード競走はひしめくほどに観客が集まるのですか?土日は家に篭って競馬中継を見ながら母猿にこの疑問をぶつけ、議論を吹っかけてみたが要領を得ない。「速い馬が見たいから」とか言ってるが、出馬表に「コースレコード」として載ってる馬には「そんなヤツ知らん」というような馬も多かったぜ。少なくとも私が阪神競馬でバイトして毎週出馬表を見ざるを得なかった頃はそうだった。だから、グレードの高い競走に出る馬は「競り勝った」馬ばかりなんだろうが、イコール「速い馬」とは言えん筈だ。見てる人も「どの馬が勝つか?」には注目しているが、「どれほど速いか?」には注目してない気がする。オリンピックの100m走だと「世界最速」の連中が集まって誰がホントに「最速」かを決める。見てる人も「誰が勝つか?」に注目するけど「どれほど速く走るか?」にも注目している。だから世界最高峰のレースに注目が集まるのは理解できるし「最速」をこの目で見たいという欲求も理解できる。おお! 忘れていた! 馬術の場合はどうだ? 議論の余地はあるだろうが、一応世界各国の最高峰の連中が集まって技を競う。茨城県大会とオリンピックでは明らかに障碍の高さが違うし、要求される演技が違うし、選手も違うし、馬も違う。再び競馬に戻って、では競馬の場合は? やってることは同じだ。選手(騎手)も同じだ。馬も「最速」とは言い切れない。見てる方だって勝ち馬を当てっこするということは同じだし、グレード競走は配当が2倍!なんて特典もないんでしょう? にも関わらず、グレードの高い競走に関心が集まるのはなんで? 同じことやってるのを見に行くんだったら、わざわざ群集の中で揉まれなくても、土曜の午前中にゆっくり楽しめばどうですか?と提案したいのだけれど・・・。
2005年01月16日
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1998年の暮れから1999年にかけて1年間だけ自分の馬を持ってたんだけど、その馬に関わる思い出。自慢みたいだからこれまで控えていたけど、よく考えたら全然自慢にならないので書きます。この馬を作って頂いて、私の練習も見て下さっていた前所長(この人について書く時は今でも丁寧になるのが不思議・・・)が「ビアンスー(馬の名前)で関東大会出てくる」と言って出場され優勝された。終って「ええ馬やなぁ! ボク、跳びながら感動しとったもん!」と感想を述べられた後、「東日本、ボク都合悪いから親猿くん出る?」と仰った。とにかく私の技量では、東日本の内国産フル130の経路なんてついて行ける訳ないってことは十分承知していたけれど、喜び勇んで「行きます!」と答えたのでした。生きて乗ってられればビアンスーが何とかしてくれるでしょう・・・。その年の東日本は山梨で行われ、金、土が予選で日曜が決勝。うちのクラブからは私のほかにパン屋の耕平が内国産でトート、外馬でディンキー。指導員一人、会員一人で行く試合も珍しいと思う。入厩したのは前日だったと思うが、朝飯食いに入ったパーキングエリアで自衛隊員の集団と出くわす。耕平に「うちのクラブで働くのと兵隊やるのとどっちがしんどいやろな?」と聞くと「似たようなもんやろ」と言っていた。試合場に着いたが、耕平は自分の準備で忙しいし、打合せや何やかやでバタバタしているので、一人で準備運動したり、きれいな試合場の中を散歩したりして過ごした。結婚前の母猿は都合がつかず、後で自力で電車で来ることになっている。宿泊は耕平が手配したペンションだが、なんかしょぼい。耕平と2人で馬乗る格好のままボソボソ晩飯を食ってから、「明日何時に起こして下さい! 責任重大でっせ!」と耕平に言われて「なんで俺が・・・」と思いながらとっとと寝た。翌朝「おい! 耕平! 起きいよ!」と揺り動かしても起きない。散々揺すった挙句「なあ! 試合出なあかんやろ! 起きてぇな!」と頼むと起きてくれた。試合場に着いて広い馬場一杯に組んである経路を見に行ったが、やっぱりデカイわ・・・。高さもあるけど、ボリュームが段違いだから圧倒される。経路も長いし相当ひるんだが、辞める訳にはいかん。初日と二日目の内容は緊張していたせいか、あまり覚えていないけど「後ろから見てたら乗ってる親猿さんのケツの下から馬の首見えてましたで!」と耕平に笑われた。選手は北海道から関東まで何十人か出てるけど、素人は私を含めて2~3人だったと思う。見ているとプロの選手達がわやわやになって振り回されてるし、失権も多い。「ケツの下スカスカ乗り」の私がヘトヘトになりながらも帰って来られたのを不思議に思うと同時に、私の馬ビアンスーの威力を思い知りました。一応、予選は帰ってきたとは言え、あの成績ではとても決勝に残れないだろうと思い、後から合流した母猿と「明日は外乗でもするか?」と話していると、耕平が来て「明日もありまっせ!」と言った。帰って来れたらOKらしい。耕平がクラブに電話して前所長に報告する。まず私が五体満足であることを伝え、それから耕平の戦績報告。「みっつ、おとして、しまいまして・・・。みっつ、おとして、しまいまして・・・」と無表情に繰り返す耕平。ブチッと電話を切られ、受話器を見つめながら「なんでトートが三つも落とすねん!って、そんなん聞かれても知らんがな・・・」とブツブツ言っている。決勝進出を祝って、その夜は耕平、母猿とうちのクラブの他の事業所のセンセ達と共に飲み屋に繰り出して騒いだが、誰が払ったんだろ?いよいよ決勝ですね。経路の中頃に派手に縁取りされた水壕があり、下見の時、耕平に「これ、跳ぶんかな?」と聞くと「総合ちゃうから入ったらあきません。跳ぶかどうか、跳んでもどんな跳び方するか分からんから、思い切って行こ」と不思議なアドバイスを受けた。本番は、これが良かったんですよ! 1回迷って止まられた以外は踏切りもバッチリで落下はなし! 問題の水壕はぴょ~んと楽勝! 前所長ではないけれど私も感動し「これって全日本行けるんちゃうの?」と思いながら、猛烈なトリプルの並ぶ最終ラインに入った時「あれ?」と思った。ちょうどアプローチに入った時に、トリプルが並んでいるのを正面から見たら横木が重なり合っているのに目が眩み、ひとつの山のような障碍に見えた。どれがAやらBやらCやら分からず、そのままキツネにつままれたような気持ちでAとBを跳んだところで力尽きました・・・。決定的瞬間はプロフの写真をご覧下さい。この瞬間に思ったことは「もういいや・・・」ってこと。
2005年01月13日
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あることを勉強したいと思い、イギリスの雑誌を定期購読することにしたのだが、その一発目が届いた。何に関する勉強かというと、こういうことに関する勉強。http://mysite.wanadoo-members.co.uk/gardenrailway/index.html昨年12月15日付の日記で自宅マンションを購入したことをお話ししましたが、そこには普通のバルコニーとは別に広いルーフバルコニー(9m×6mぐらい)が付いている。そこで長年の夢であったこれを実現すべく、勉強する必要がある訳です。上のリンク先のような大規模なものはとても無理だし、ルーフバルコニーすなわち人様の屋根の上なので配慮が必要だが、出来る範囲で何とかしたいと考えています。私は真剣だし、母猿も反対はしていないのだけれど、普通の人ってこういうの、どう思うんですかね?実現の暁には皆さん、どうぞお越し下さい。
2005年01月12日
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モンゴルの人が馬に乗るのは驚かないが、その中でもカザフ族の人達は左手で手綱を操り、右手で鷲を操る。馬に乗った鷹匠ならぬ鷲匠。右手に大きなイヌワシ(翼長2m 体重7キロ)を留まらせたまま騎馬で山野を跋渉し、獲物を見付けると鷲を放ち仕留める。中央アジアに鷲を操る鷹匠がいることは聞いていたが、馬に乗りながらとは知らず、昨夜放映されたテレビのドキュメンタリーで初めて見た。毎年秋の終わりになると、カザフ族は鷹匠競技会を開催するのだが、それに初めて出場する10代の2人の息子とその父親を追った番組だった。父親はベテランの鷹匠(本業は遊牧だから鷹狩りは趣味か?)だが、息子達(ちなみに男前です)も父のような鷹匠になりたいと考えている。しかし、その家には調教された鷲は一羽しかおらず、息子達の鷲を確保しなければならない。どうするか? 鷲のヒナを捕まえに行く。鷲は断崖絶壁に巣を作るのだが、親鷲の留守の間に絶壁の上から体重の軽い息子を吊り下ろし、ヒナ(と言ってもカラスぐらいの大きさ)をさらって来る。この段階で私はリタイアです。さらって来た2羽のヒナは家族の一員として大切に育てられ、立派な若鷲に育つ。その美しさに驚いた。羽の色は褐色だけど日光を浴びると金色に輝いている。飛べるようになった金色の若鷲は鷹狩りの為の調教を受ける。調教にあたっての鉄則は、・鷹匠と鷲との信頼関係を築く(鷲は人を診る)・絶対に鷲を叱らない(鷲のプライドが傷つく)ひたすら愛撫を繰り返すうちに鷲は鷹匠に対して信頼を寄せるようになり、鷹匠と鷲の双方が訓練を積むことによって、鷲は獲物目がけてまっしぐらに飛び立ち、呼ぶ鷹匠の右手に舞い戻るようになるそうだ。競技会では残念ながら鷲の十分な調教が行き届かず、結果は出せなかった親子だが、息子の一人は最年少の鷹匠として特別賞を受ける。馬上で腕に大きな鷲を留まらせた姿は、まさに男の子はこうでないといかんという感じだ。横で息子を見る父親もいかにも父親らしく、親父はこうでないといかんという感じだ。獲物を捕る鷲を見て思ったのだが、彼らは達成感を感じるのだろうか? 野生の鷲は高度1,500mから地上のウサギやネズミを見つけて時速160キロで舞い降りる。舞い降りる時、彼らは爽快感を感じるのだろうか? 狩りが成功した時、彼らは達成感を感じるのだろうか? 鷹狩りの鷲にしても、鷹匠と協力し合って見事、獲物を捕らえた時、彼らは誇りを感じるだろうか? 感じると思いたい。
2005年01月11日
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うちのクラブごめんなさい。昨日寄ってみた「ホースパーク」のチラシを貰ってきたので今日はそこで今年の初乗りを執り行うべく、午後から出動。別にうちのクラブに大きな不満がある訳では無いし、どちらかと言えば私はうちのクラブが好きだけれど、そういう自分に「寄らば大樹の陰」根性があるのではないかと、常に気になっているのです。プロの馬乗りじゃないし、たかが趣味なんだから「大樹」も何も気にしなくていいのだろうけれど・・・。でも納まってしまって安心しているのは気に入らない。それに他のクラブでも乗るのは悪いことではないですよ。私の場合は外乗はあんまり好きじゃないから、他で乗る時は「様子を探る」みたいな感じになるけど、気分転換になるし、学ぶ点もあるし、反面教師みたいな使い方で他のクラブには悪いけど「やっぱりうちのクラブがいいな!」みたいに思うしね。他のクラブで初乗りすることに何故か小気味良さを感じながら「今から行きます」と電話すると、そうして欲しそうな感じで「フリーで宜しいですか?」と聞かれる。「勝手に乗りますわ」と応えて親子3人で「ホースパーク」へ車を走らせる。土浦の市内から20分くらい。先客がある様子で「おっ! 駐車場に車が2台も止まっとる!」と驚く。昨日ポニーが放牧されてた厩舎前のポニーリンクには小熊のようなプードルが繋がれている。厩舎を覗くと洗い場(中と外にある)でオーナー夫婦が馬装中。「ちょっとお待ちを」と言われ、先客のご夫婦と待つ。「もう一組の客は?」と思って見回すと、お百姓さん風の爺ちゃんが孫2人連れて散歩しに来ているのがそれのようだ。先に先客のご夫婦が広い馬場へ乗り出し、それから私の馬の馬装をして貰って、二面ある角馬場の「どちらででも好きに乗って下さい」と言われたので、障碍練習をするらしいご夫婦の邪魔をするのは悪いけれど、近くで見たいので同じ広い馬場へ乗り出す。私はキュロットは履いて来たけれど、靴が無く、レンタルを申し出ると「手持ちで1番大きい」おろし立てのエクイアを出してくれたが、全然小さい。仕方なく「長ぐつでいいですわ」と言うが「それではあまりにも・・・」とチャップスを貸してくれた。普通のスニーカーにチャップスを巻くが馴れないので乗りにくい。誰かが障碍練習するとオーナー夫婦が2人して指導&ハコ番にかかりきりになるので、他のレッスンが出来ないのね・・・。障碍跳んでる先客ご夫婦は奥さんがフュージレイド風の馬に苦戦中。旦那さんはモクレン風の馬に苦戦中。勝手に乗ってる私は勝手にモグリまくる馬に苦戦中。大汗かきました・・・。感想は・・・。う~ん、難しいな・・・。オーナー夫婦の感じも良いし、環境も良いし、今日のところは否定的なことは言いたくないという気持ちです。子猿も犬コロ3匹(プードル&ビーグル&人懐っこい駄犬)と格闘出来て機嫌が良さそう。次回は障碍跳ばせて貰うことにします。乗り終わった後でオーナー夫婦に「岩谷さんに乗りが似ている」と言われたのがお世辞でもマジで嬉しかったりして・・・。
2005年01月10日
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年末年始は奈良へ帰っていたので、この三連休は母猿の実家へ年始の挨拶&のんびり。今日は今年の初乗りになる筈だった。5時45分の目覚ましにむっくり起き上がるが、「今朝は冷え込む言うとったなぁ・・・」「ええ天気や言うとったけど、朝から乗ったら昼寝するから日中がムダになるなぁ・・・」「眠たいなぁ・・・」「専用馬一回¥3,750やけど、¥4,000払うから寝てるほうがええなぁ・・・」と一瞬の間に考え、再び布団の中に。母猿が「具合が悪いのか?」と聞きに来たが「寝てるだけ」と答えると「なら、いいです」と行ってしまった。結局昼頃まで惰眠を貪る。空気は冷たいけど、良い天気で、ウマもサボったし、さすがに「何かせないかん」と思い、イチゴ狂いの子猿にパラダイスを経験させるべく八郷(やさと)へイチゴ狩りに行きました。筑波山の向こう側へ下り切ってすぐの農園に入る。30分で大人¥1,200、子供¥1,000。子猿は「まだ小さいから」と兄ちゃんの好意でタダにしてくれるが、この兄ちゃん、全く分かっとらんな! こういうところでは分別の無い「まだ小さい」子供が1番恐ろしいのだ。ビニールハウスの中に入ると、子猿は特に感動する様子も無く、持ち前の見境の無い食欲を発揮してスピーディーにイチゴを口に運び続ける。食うだけ食って満足した子猿は「いちごバイバイ!」と手を振り、さっさと帰途につく。途中、筑波山のこっち側(土浦側ね)で「ホースパーク」の看板を見付け、脇道へ逸れて見に行ってみる。「馬」と「ホース」という看板を見ると急いでいる時でなければ大概寄ってみるのは習性だ。看板通りに進むと「おおっ!」と思うくらい立派な施設が! 出来てから未だ日が浅そうだ。見渡しても人の姿は無く、広い角馬場二面に放牧されたデカイ外馬が走り回っている。「どうなっとるんだろう?」と思いながら、暖炉のあるきれいなクラブハウスを覗くと無人。人懐っこそうな犬コロが走ってきて、子猿とじゃれあう。前にポニーリンクがある厩舎を覗くとお兄ちゃんとお姉ちゃんが忙しそうに作業中。仁義だけ切ってパーク内を犬とじゃれながらうろつく。照明完備の角馬場とは別に覆馬場になっている丸馬場があり、施設は立派で土地の使い方も勿体無いくらい贅沢だが、厩舎は建物が大きい割に馬房が広いので20頭くらいしか収まらない。「どういうつもりかいな?」と思いながら佇んでいると、お姉ちゃんが出て来て「馬乗りの人ですね?」と話しかけてくる。それを機会にいろいろと話してみると、なんでもお兄ちゃん、お姉ちゃんの夫婦2人(!)でやってるクラブで、去年の6月で出来た。最近になって「乗馬ライフ」に広告を出し始めたが「大体こんな感じ」(要は閑散ということか?)。お客さんが来ても「誰か来た」程度で失礼していますというような話。とにかく感じの良いお姉ちゃんだが、夫婦2人で? これだけの施設とウマを? どうなっとるんだろう?
2005年01月09日
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明けましておめでとうございます。年末30日から年明け3日まで奈良に帰省、4日から仕事始まりで明日から3連休。何かをなそうという気が全く起こらず、今日に至っています。今回は正月休みが短いから30日から2日までの帰省予定で1日ゆっくりしてから仕事というつもりだった。その予定を伝えるべく奈良の爺猿、姑猿に電話すると、先方は3日まで居るものと思い込んでいる様子。子猿の来訪をメチャメチャ楽しみにしている老夫婦に「早めに失礼します」とはとても言えず・・・。実家は我が家にはない階段と二階というものがある。帰省中は珍しがる子猿に付き合わされてひたすら階段を上下してた気がする。途中で子猿が「忘れ物ごっこ」を思いつき、猿のぬいぐるみを持って二階に上がり、それを置いて階段を途中まで下りかけて「おさるさん、わすれた!」と言って、また戻るというような激しい運動をさせられて疲れました・・・。激しい上下運動の結果、子猿は頻繁に空腹を訴えるが、その度に爺猿がニコニコしながら「おかかおにぎり」を握って与える。「オイチ!」という子猿の笑顔に爺猿はデレデレ。ちなみに奈良の実家では、姑猿は趣味に忙しく、家事一切は爺猿がすることになっています。姑猿の乱暴さには驚いた。「ほれ~!」と言って子猿を抱えて、ベッドに向かって放り投げている。子猿は「キャッキャ!」と喜んでいるが、傍で見ながら「俺もこんなことされてたのか・・・」と思うと恐ろしいです。元旦の真夜中に弟夫婦も帰省。一年に一度か二度しか会わないが、彼らとは特に話すべきこともないから、久々に会っても特に感慨はない。さすがに弟夫婦と「仲が悪い」とは言いたくないが客観的に見ると、そうかも・・・。以前「子供の頃は仲良かったけど、最近は全然話もせんわ」と爺猿に言ったことがあるが「ま、兄弟でも合う合わんはしゃあないんちゃうか!」と軽く答えられた。なんか、うちの家族って・・・。実家の近くに春日大社があるが、慣習に従い初詣は天理の石上(いそのかみ)神宮へ。鄙びた神社でのんびり参拝できる。賽銭箱を覗き込んだ子猿は感慨深げに「お金~!」と呟く。帰りに我が一族の宗門である天理教の本部(神社風の壮大な建物)に立ち寄り、神様に会釈だけして、磨きこまれた廊下で子猿を引きずり回して遊ぶ。子猿誕生までは帰省すると食べ物責めで母猿ともども苦しんだものだった。老人2人暮らしの家に中身のビッシリ詰まった冷蔵庫が二つあり、そこから次々にいろんな食べ物が出てくるのでおののいていたのだ。一食終るとすぐ次の食事、1日何食と言うより、連続して食べ続けている感じで「どうなっとるんだ?」と思ったものだった。さすがに子猿が出来てからは彼女がメインゲストなので、我々への食べ物責めは相当緩和された。あるいは両親が年取ってパワーが衰えつつあるのか・・・。いつも思うのだが、東京への上りの新幹線ではみんな疲れてるな・・・。休みが始まる時の下りの新幹線はウキウキした雰囲気があるけど、数日後の上りの新幹線の車内はズド~ンという重苦しい感じで何とも言えないです。もう一つ、故郷の奈良はどんどん変わっていくな・・・。誰か返してくれよ! 「大和は国のまほろば たたなづく青垣 山ごもれる大和しうるわし」
2005年01月07日
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