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五月末の週末、鎌倉にお出かけしました。鎌倉駅のすぐ左側に、鶴岡八幡宮へ向かう小町通りがあります。通りの両側には小さなおみせがいっぱい。ここをぶらぶら歩くだけで楽しいです。最初は江の島へ行く予定でしたが、ここで時間を消費してしまい、予定をがらりと変更。いつものことです。すると、右の「生しらす」が目に飛び込んできました。
2012年05月31日
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花弁が8枚を風車、6枚を鉄線というようですが、いずれもクレマチスでくくれます。よく見ると7枚の花もありますしね。花がきれいなのに対して、茎の外観から鉄線ですが、なんとも味気ない名前です。でもクレマチスという名前もクレマが「つる」の意味だということで、語源は似ていますね。実はこのきれいな花弁は花弁ではなくて「がく」です。花にはよくある落ちですね。今年もたくさん咲いてくれました。
2012年05月30日
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桜詣でに北の丸公園から靖国神社へ。その中の展示館で見たゼロ戦です。バランスのよい美しい姿です。でもパワーがそれほどないエンジンで、航続距離や空中戦の性能を重視したために、徹底的な軽量化をせざるを得ず、そのために防弾、防火上の防護に乏しく、すぐ燃えてしまうことからライターとも言われたそうです。最前線の人間を大事にしない国が戦争に勝てる道理はありませんね。
2012年05月30日
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白鳥さん、首を伸ばして材料集め。せっせと巣作りたのしいな。巣の中のぞけば卵が3つ。大きい大事な卵が3つ。歩道に間近の光景でした。
2012年05月30日
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水戸の千波湖に浮かぶ3羽。黒鳥の家族です。3月末ごろの水戸の偕楽園に、梅を見に行ったときに立ち寄りました。世間では「とき」のひなの話題がささやかれていますが、この黒鳥の家族もわが子を守ってささやかな幸せと時を過ごしています。
2012年05月30日
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我が家のさくらんぼ。貴重なさくらんぼ。早く赤くなれ、さくらんぼ。
2012年05月30日
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ずいぶん久しぶりに、いっぱい花を咲かせてくれました。株分けして、植え替えして、葉ばかりの幾歳月。ホントお久しぶりです。花数も20個以上で満開♪
2012年05月29日
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倒幕の一大勢力となった長州藩の拠点。 徳川家康が「将来の憂えとなるのは、長州の毛利家であり、薩摩の島津家であると予言したそうです。」だからこそ外様にしたのでしょうが、その予言は約3世紀後に的中しました。その長州の当時のひとつの中心がここ萩市です。歴史に鈍感な私でも、その重みを感じました。歴史保存地区は小京都を思わせる白壁が続いています。萩焼を並べる小さなお店が印象的でした。小雨が緑を鮮やかにして、美しい街並みでした。どこか時間が止まったかのような錯覚に陥りました。高杉晋作も明治維新の立役者でした。土佐の坂本竜馬と並び、有名ですね。維新の前年に若くして病に倒れました。多くの一粒の麦達が、明治維新を創造したんだといまさらながらに感じた小旅行でした。なお個人的に思うのは、長州はうりざね顔、つまり渡来系の血縁が濃い集団であり、一方、土佐や薩摩は縄文系で、かなり血縁では長州と違いがあります。両者の中央の権力に対する反感は共通しますが、その中身は、やや異質だった気がします。縄文系は情念で動くタイプ、渡来系(弥生系)は意思で動くタイプだというと、そんな単純ではないといわれるかもしれませんが。私は多分出身からすると縄文系の血がやや濃いのでしょう。踏み絵を試されると踏めないタイプです。偉くなれないわけですよね。話が違う方向にずれたところで、そろそろおしまい。
2012年05月19日
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関門橋は本州の下関と九州の門司とを結ぶ吊橋。日本で最初に作られた巨大な橋です。見ると対岸の門司までは結構近いんですよね。この上を若いころ、友人の車に同乗してわたりました。橋の上から見た小さい船の往来する様子がいまだに脳裏に残っています。それから矢の如しで、10年以上前、仕事でここに来ました。そしてさらに矢の如し、変わらずつないでいる頼もしい橋ですね。10年前に来たときには壇ノ浦の青い淵が怖ろしい印象でしたが、今はなにか工事をしているようで、その青い淵を見ることは出来ませんでした。いずれにせよ、ここが、かの平家一門の終焉の地になっているわけです。そのほかの人たちは、落ち武者として、平家落人部落で人目を避けて生き延びたということでしょうか。栃木にも九州にも四国にもありますよね。赤間神宮です。幼くして壇ノ浦に身を投じてなくなった安徳天皇を祭神とし、境内には安徳天皇陵、平家一門の墓、宝物殿、かの怖い話で有名な耳なし芳一堂などがありました。怖いので写真はパスです。代わりといっては何ですが、きれいな女性が着物姿でぞろぞろ歩いていて、報道陣もいて、何かの行事のようでした。ここは、関門橋の下にある自転車、バイク、人間のための海底トンネルです。今回はここまでですが、10年前にはここを歩いて門司まで渡りました。
2012年05月19日
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「見えぬものでもあるんだよ。」「みんな違ってみんないい。」仙崎湾では「青海島クルーズ」と、「金子みすず記念館」のどちらか一方がオプション。ほとんどの人たちが前者でしたが、私たちは後者。ここも訪ねたかったところです。金子みすずの童謡詩を知ったのはもうかなり昔の事。書店で何気なく手にとって読むと、やさしい言葉でつづられていますが、中身は深い意味をもっているようで、思わず惹きつけられてしまいました。当時買って読んだ本には、平成6年8月と書かれてました。彼女の詩の特徴は、視点が自由自在で、対象になりきった表現ができることでしょうか。それ以前に、とてもやさしい心の持ち主であることです。やさしさが伝わってきます。いまや多くの彼女の詩は古典にさえなっていますね。この写真の左側、車の手前がそうです。その向かいの空き地は駐車場になっています。駐車場に、この大きな絵があります。実物を見ると、荒くて字がよく読めないのですが、デジカメ撮影すると、字も何とか読めるようになります。皆さんここで記念写真を撮っています。この詩「星とたんぽぽ」の中に「見えぬものでもあるんだよ。」があります。これって、サンテグチュペリのかの有名な「星の王子様」にでてくる、有名な、この本の主題を示す言葉、「大切なものは目に見えない」これとおなじですね。中に入ると、むかしのままの部屋があります。この「赤い鳥」は、彼女がよく投稿した雑誌です。彼女は幸少なく、26歳で自殺したのですが、彼女の詩によって生きる希望をもらった人たちは相当多いのではないでしょうか。これも「一粒の麦」ですね。この写真も記念館の中にある背丈ほどの壁です。実はこの写真はすべて小さな人間の肖像写真を並べたものです。人間はみんな違っていて、違った人間達が作るから、いろんな社会が出来る。そういうことなのでしょうね。もとのデジカメデータは画素が300万程度あるので、拡大するとなんとなくわかります。(この写真は掲載するために圧縮されているので無理ですが)この写真、何と彼女が死ぬ一日前の写真なんですね。祈りの言葉です。「すずと小鳥とそれから私、みんな違ってみんないい。」
2012年05月19日
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鍾乳洞は自分にとってのパワースポット。子供のころ北海道の当麻鍾乳洞に入り、鍾乳洞の神秘にふれました。それからしばらく縁がなかったのですが、10年ほど前に福島県のあぶくま洞に入りました。沖縄本島では玉泉洞に入りました。石垣島でも入りました。(名前を失念)中国では桂林の地下にある巨大な鍾乳洞に入りました。そして今回の秋芳洞です。今回の旅行では一番楽しみにしていました。というのも、ここは記念切手の図柄にもなっている巨大な柱があるからです。子供心にその切手を見て、どういうところなんだろうなあと胸をわくわくさせた記憶がよみがえってきました。下りコースでした。この逆もあるようですが、登りは膝にやさしくないので助かりました。最初はこんな坂道を下ります。いよいよ鍾乳洞に入ります。これは「つるし柿」のような姿でしょうか。途中のふくらみが柿ということのようです。これが記念切手にあった黄金柱「こがねばしら」です。高さは10m以上はあります。私たちもここで記念撮影。感動しました。これは百枚皿。トルコの「パムッカレ」や中国の「九寨溝」と同じ原理でできています。自然の造形にはいつも驚かされますね。地底の川です。写りこんだ景色がまた絶景です。光っているのは出口です。中には一時間弱いたかな?見どころもいろいろあって閉所恐怖は大丈夫でした。出口は地下川の滝になっています。そのために昔は「滝穴」といわれていたとか。昭和天皇がもっと良い名前にしてほしいといったとか。秋吉台だから秋吉洞なのかなと思っていたら、秋芳洞で、「しゅうほうどう」かとおもっていたら「あきよしどう」。なんだか紛らわしいですよね。
2012年05月19日
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皆さん、金環日食はみましたか?私は朝7時33分から38分までの間に見事な金環日食を見ました。うす曇で大丈夫かなと心配していましたが、なんのその、お見事でした。-----------------------------話題はかわってカルスト地形といえば秋吉台。はるか2億年のかなたに作られたサンゴ礁の分厚い層が、いつか地上に姿を現し、風雨に溶かされ、この奇妙な大地を形成したようです。手前の緑色をしたへこんでいる地形はドリーネといわれ、ここに降雨が集まり地下にしみていきます。地下には空洞があり、川が流れていますが、地上にはみあたりません。まさに殺伐とした風景が広がっています。まるで石灰岩が羊の群れのようにも見えてきますね。前にトルコに行ったときに、同じような風景が、もっと広大で延々と続いていたような気がします。近くに寄ると、石灰岩が林立しているのがわかります。このもっと巨大な姿が中国の石林ですね。桂林は、岩の姿というよりは、この丘のもっと起伏に富んだ、もっと浸食がすすんだ状態と言えばよいでしょうか。ドリ-ネがうんと低くなって、その間が高い山になって残っている感じです。とにかく奇景絶景の連続で、また行ってみたいです。もうすこしマクロに見ますと、巨大海洋とこういう石灰岩があることが、地球が生命の星である大きな特徴ともいわれます。他の太陽系の金星や火星の大気のほとんどが二酸化炭素であることを考えると、当然地球の初期もそうであったわけですが、それらは海水に吸収され、さらにこの石灰岩に化けたわけです。地球の大気の歴史を目の前にしているわけですね。さて、ここでソフトクリームを食べてから、いよいよ秋芳洞に潜入です。
2012年05月19日
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とうとう山口県萩市にやってきました。萩津和野といいますが、津和野は島根県です。萩は港がある町です。この静かな町は旅行雑誌で萩津和野として有名。でも、江戸幕府から明治維新への革命を生み出した日本史上、特別な町でもありました。その代表的な場所が、ここ吉田松陰の松下村塾ですね。松陰は明治維新の事実上の精神的理論者とされる有名人。過激な行動に問題もありましたが、その明晰な頭脳と行動力で、多くの有望な若者を倒幕の騎士さらには維新の指導者に育てるきっかけを作りました。でも安政5年(1858年)、幕府が勅許なく日米修好通商条約を結ぶと松陰は激しくこれを非難して、老中の暗殺を企てたことで、長州藩は警戒して再び松陰を投獄しました。翌年幕府の安政の大獄により松陰は江戸に送致され、松陰は老中暗殺計画を自供して自らの思想を語り、同年、江戸伝馬町の獄において斬首刑に処されました。享年30(29歳没)の短い人生でした。松陰はそれまでも自らの死生観を開示しており、それには人生は人生は長さで勝ちが決まるものではないと書かれてあります。彼はここに有効な死に場所を見出したということなのでしょう。わざわざ死刑にしてくれと言わんがばかりの供述だったそうですから。そして彼の意図は成就しました。彼の周辺にいた麦が目をふき、花咲き、明治維新という身を結んだのです。 キリスト教でいう「一粒の麦」がまさに成立したのです。松の木の下の小さな寺子屋、ここから日本をくつがえした思想が行動が芽生えたのですからすごいことです。松陰はここから世界を見ていました。今の日本の政治を見て、彼なら何を助言するでしょうか。国民不在の党利党略に終始する政治状況に、江戸幕府末期よりもひどいというのではないでしょうか。
2012年05月09日
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宮島から緑おおき山間部をバスはひた走ります。連休時期の緑は本当に柔らかくて生き生きとしていて、目に優しいです。バスの道に沿っては流れる高津川、淵は青緑色が美しく、日本一の清流と言われたこともあるとか。そうこうしているうちに、バスが田舎の町で停車。ここが、かの有名な「津和野町」だそうです。あまりにもイメージと違っていて、拍子抜け。近くの土産物屋の店員さんが、有名な面白ガイドさんだそうで、眉毛まで金色に染めたインパクトのある風貌。話術たくみに説明いただきましたが、見たのは、町役場、太った鯉、森鴎外の生家、そして鷺舞の像でした。最後は、説明してやたのだから買っていけ~という土産物店へまっしぐら。年配の皆さんはせっせと買っていました。もちろん私たちは試食だけ。蛇足ですが、森鴎外は夏目漱石と並び軍医にして文豪ともてはやされました。確かに並はずれた才能豊かな人だったのでしょうが、個人的には例の「脚気」の対策ミスで、多くの兵隊を苦しめた張本人という罪に目をつぶることはできないです。漱石の方がずっと人間的で、悩み苦しみを背負って生きた、尊敬できる人物だとおもっています。鴎外はどうでもよいのですが、とにかく、今は何もないような田舎町、それが津和野でした。見渡しても私たち以外には観光客はほとんど歩いていませんでした。
2012年05月08日
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春なのに安芸の宮島。古くいギャグですみません。宮島口からフェリーで渡ります。ほんの短い船旅です。右手にみえるのが写真の宮島の風景。中央に縦に見える地肌を目として、その左側に額が、右側に鼻と口とあごが見えますか。結構有名な風景のようです。この瀬戸内海ってたった一万年前にできたといわれますが、あと一万年後はどうなっているんでしょうね。迎えてくれたのは、大きなしゃもじと人慣れした鹿達。この鹿達、まるで置物ですよね。厳島神社のあたりは干潮でちょっと風情に欠けていました。でも赤い柱はいかにもです。さらに先日の暴風雨で、かの有名な鳥居に一部損傷が発生。この連休に修復しています。足場などが風情を一層損ねています。なにも連休に合わせてしなくてもとは皆さんの声でした。さらに「清盛神社」に行きました。前回はこんなところがあるとは知りませんでした。NHKお放送のおかげかもしれません、ただし大したことないです。最後に鹿と一緒に写真をと思っていたら、むこうから近づいてきて撮影OK。と思っていたら、なんと鹿は私のポケットから宮島のチケットを口にくわえてもぐもぐ食べはじめました。紙が好きだとは聞いていましたが、ちょっとびっくり。昼は定番のアナゴ飯をいただき、おみやげにも定番の「もみじまんじゅう」を相棒が購入。お店によって賞味期限がちがうので、2週間程度もつものをさがしました。包装の差らしいです。
2012年05月08日
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夜は広島名物のお好み焼きを頂くことに。ビルの6階にはお好み焼き屋さんが何軒も軒を並べていました。昭和40年代の設定だそうで、昭和色いっぱいでした。お客さんも観光客がほとんどのようで、どこも満員でしたが、もたもたすると遅れると思い、なんとか空き席を見つけてすわりました。案の定、遅い方々は集合時間に遅れた人もいました。左側が「焼き牡蠣」がのっかったもの。右側はたしか普通のタイプ。ビールを片手に、なかなかおいしかったです。とくに焼き牡蠣が良かったですね。広島風はお店の方が全部やってくれる方式で、キャベツやそばがこれでもかというくらいにのっかっていますが、出来上がると程よい大きさになっています。もっと大きくても良いのにと、値段の割にはちょっとものたりなかったかな。追加注文で補いました。お好み焼きって、おたふくソースで味の基本は決まるから、どこでも味に大差はないような気がします。違うかな?ホテルは港近くの高層ビルで、朝食は21階でした。広島湾が一望できました。牡蠣の養殖いかだも見えます。手前の小さな船はこれでもクルーズ船だそうです。瀬戸内海は波がおだやかなので、マリンスポーツも盛んなようです。これから私たちは「宮島」へ向かいます。
2012年05月08日
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同じく広島平和記念公園にある記念碑「原爆の子の像」です。ここから中に入ります。両側に折り鶴がたくさん入っています。虹色の折り鶴が美しいです。平和への祈りがこもっていますね。折り鶴をのせた実在の佐々木貞子さんの像です。下にも折り鶴がつるされています。悲しい一粒の麦「原爆白血病」の物語です。以下ネットからの引用です。ーーーーー佐々木禎子さん(当時12歳)は、2歳のときに被爆しましたが外傷もなく、その後元気に成長しました。しかし、9年後の小学校6年生の秋(昭和29年・1954年)に突然、病のきざしが現れ、翌年2月に白血病と診断され広島赤十字病院に入院しました。回復を願って包み紙などで鶴を折り続けましたが、8か月の闘病生活の後、昭和30年(1955年)10月25日に亡くなりました。禎子さんの死をきっかけに、原爆で亡くなった子どもたちの霊を慰め平和を築くための像をつくろうという運動が始まり、全国からの募金で平和記念公園内に「原爆の子の像」が完成しました。その後この話は世界に広がり、今も「原爆の子の像」には日本国内をはじめ世界各国から折り鶴が捧げられ、その数は年間約1千万羽、重さにして約10トンにものぼります。ーーーーー 千羽折ったら治るかもしれないと、一生懸命に折りつづけ、千羽を越えたら今度はもう千羽と言って折り続けたそうです。・・・・・・・・・・この折り鶴に2003年関西学院大学の学生が火をつけ、14万もの折り鶴が失われました。ひとりではなく命と平和を祈念して折り鶴を寄贈する人々もいれば、それを燃やす人たちもいるわけです。人間の心は様々ですね。それまでにも幾度か放火事件が起きています。なぜ?そういうことができるのでしょうか、何がそうさせるのでしょうか?悲しいです。それを防ぐためにこのような透明な容器に陳列されるようになったそうです。
2012年05月08日
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当初の予定には入っていない、原爆ドームなどの下車観光をしますとのこと。おそらくフライトや高速渋滞などの時間調整分空きができたのでしょう。予定通りだと思います。原爆ドームは以前たしかほぼ10年前に、仕事で某重工さんを訪れた時に、その次の日から夏季休暇だったので、せっかく来たからと、私だけ残り、翌日宮島と原爆ドームなどを見学したのでした。それ以来となります。セイコーが建てたものです。骨格のグニャリと曲がった塔の姿が原爆の威力を彷彿とさせています。しかし、その見かけよりも怖いのはやはり放射線障害ではないでしょうか。・・・・・・・・・・・・・・・ウィキより引用します。ーーーーーーー原爆ドームは原子爆弾の惨禍を示すシンボルとして知られるようになったが、1960年代に入ると、年を追って風化が進み、危険であるという意見が起こった。一部の市民からは「見るたびに原爆投下時の惨事を思い出すので、取り壊してほしい」という根強い意見があり、存廃の議論が活発になった。広島市当局は当初、「保存には経済的に負担が掛かる」「貴重な財源は、さしあたっての復興支援や都市基盤整備に重点的にあてるべきである」などの理由で原爆ドーム保存には消極的で、一時は取り壊される可能性が高まっていたが、流れを変えたのは1人の女子高校生、楮山(かじやま)ヒロ子の日記である。彼女は1歳のときに被爆し、15年後の1960年、「あの痛々しい産業奨励館だけが、いつまでも、おそるべき原爆のことを後世に訴えかけてくれるだろうか」等と書き遺し、被爆による放射線障害が原因とみられる急性白血病のため16歳で亡くなった。この日記を読み感銘を受けた平和運動家の河本一郎が中心となって保存を求める運動が始まり、1966年に広島市議会は永久保存することを決議する[5]。ーーーーーその後、世界遺産にも登録されました。日本が後世に残すべき重要な「歴史の証言者」、「負の世界遺産」ですね。「安らかに眠ってください。過ちは繰り返しませぬから」こう碑文には書かれています。その先に遠く原爆ドームが見えています。燃えている火はずっと燃えっぱなしということでした。ちょっともったいないかな。1300年も消えていないんだとか。(本当かな?)・・・・・・・・・・・・・・・しかし、2011年3月、日本自らの原子力発電所事故で、広範囲の被曝事故が起きてしまいました。福島第一原発から放出されたセシウム137総量は6月時点で、広島原爆の約168個分といいますから、とんでもない事故であったことが分かります。その大半は海上に拡散したようですが、それでも原爆30個以上が私たちの頭上に降下したのではないでしょうか。日本近海が「死の海」にならぬことを願います。
2012年05月08日
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今回の旅行前日(日曜日)に、急遽救急指定の整形外科に行き、右ひざの関節にたまった水抜きを敢行。その2日前に旅行服装整理のために無理に正座したときに鈍い痛みがあったのですが、これを我慢して翌日(連休初日)、庭の雑草むしりに励んだせいかもしれません。なんせこれ以外には理由がわかりません。2年前のちょうど同じ連休に同じ右ひざを痛めて、無理無理青森まで日本三大桜紀行にいったのですが、ひざの具合は一向に思わしくなく、戻ってから救急で整形外科をやっている病院になきつき、水を抜いてもらったのでした。これが初めての水抜き体験でした。痛いとか聞いていたのですが、とくに痛くはありませんでした。父が同じように膝の関節が腫れて、水を抜いたという話を幼いころに聞いていたので、年齢不相応の関節水は遺伝なのかなと思っていました。それから早2年、心配していたくせにもならず、スッカリ忘れていたのです。天災は忘れたころにやってきますね。という前ふりで、尾道です。「文学の小道」という坂道を歩くという、ひざに悪い旅です。バスの駐車場から名刹「千光寺」に行くには、二つのル-トがあり、どちらにしますかと添乗員が言います。私はもちろん短いほうです。でもそれは少数派でした。その少数派の中でも最後っ屁で二人でユックリ歩いていきました。右手には尾道の町、工場が見えてきます。短い分急な坂道で、ころんだら下まで落ちそうな勾配、右足をかばうと結構疲れます。道のわきには石に句が彫られていて、なかなかの風情がありますね。地元の方の力作とか。お寺からの眺めもよくて、一息。「ひざ笑顔 尾道坂道 回り道」^^。千光寺の観音堂では、お祈りする丸い玉のついた紐を、こつこつ言わせながら引くのが面白くて写真を撮りながら遊んでいたら、歩みののろさを忘れてしまい、遅くなってしまいました。添乗員からも見放され、途中から回り道が迷い道になってしまい、集合場所がよくわからなくなりました。相棒が登り坂を先に行きすぎてしまい、私も、あれっそっちだったかな?と、首をかしげながらもがんばってついて行ってしまい、登らなくてよい山の頂上まで登ってしまいました。頂上のお店の方に聞いたら、「来た道下って右」だと。おかげで集合時間に2分遅れるは、大事なひざに鞭打って走る羽目になるは、ということで、最初からバスに遅刻。「苦笑い 尾道坂道 迷い道」でした。先が思いやられます。つい下を向いて歩いていたら、尾道のマンホ-ル発見。なかなか素敵です。
2012年05月08日
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ものでまず倉敷の美観地区を見る。といっても、雨の中そそくさと大原美術館を目指していく。で、大原美術館で時間がなくなり、大急ぎで集合場所へ。最近フリ-なれしているので、パックの忙しさがわずらわしい。のんびりフリ-がいいなあ。美観地区はそれほど大きくはないです。左側には瓦や壁が緑がかった建物があります。天皇家ゆかりの建物だそうでです。この右側はかの有名な大原美術館です。今回入りました。その大原美術館、一見の価値がありますね。洋画の有名どころがずらっと並んでいます。どの作品も存在感があります。写真撮影不可なので、リンクを張りますから、それをごらんください。http://www.ohara.or.jp/201001/jp/C/C3a22.html
2012年05月08日
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岡山空港に降り立ちました。これから連休の旅行です。なかなか安い旅行先が確保できず、この岡山からあちこち寄り道して、山口宇部までになりました。・・・・・以前、仕事でのことです。羽田から岡山に出張となり、ここ岡山空港に降り立つ予定でした。ところがいざ高度を下げる段になり、空港周辺が豪雨ですとのアナウンスがありました。3回着陸を試みましたが、タッチアンドゴ-のような怪しい飛び方で都度やり直し、結局3時間も乗った挙句、燃料がなくなりそうになって大阪の伊丹空港に着陸とという顛末でした。そんな忌まわしい記憶が雨の降る窓を見たら、ふっとよみがえってきました。今回はそのリベンジかもしれません。・・・・・私たちが乗ったシップはMD90という老朽機で、むかしのB737とほぼ同じタイプ。今の飛行機の水平尾翼部分にエンジンが2基ついていて、その上部に水平尾翼があるタイプです。そのために主翼部分がすっきりしていて、空力的には理想に近いと思うのですが、最近このタイプはほとんど見ないですね。同種のB737が事故が多発したので、嫌われたのかもしれません。・・・・・その窓の外には最新鋭のB787がみえます。雨だれに霞んでいますが、まぎれもなくB787ドリ-ムライナ-です。当初ボ-イング社は遷音速の高速旅客機を開発しようとしていましたが、軽量化による中型長距離飛行機に途中で舵を切ったようです。そのおかげで東レのカ-ボンファイバ-が胴体部に多量に使われることになりました。だから人もたくさん乗せられるので、ずんぐり太ってますよね。窓も大きいらしいです。エコジェットが幸運の天使でしたが、今回はB787がその代わりをになってくれるかな?・・・・・
2012年05月06日
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最終日のランチはラプラプシテイのマートで。さすがにチキンはパスで、無難なイタメシに。ピザ・フィリピーノとパスタ。ピザはまあまあおいしいのですが、このパスタがやたらと甘いのです。聞くと、フィリピンの人たちは、トマトケチャップの代わりにバナナケチャップをつかうのだとか。これがバナナケチャップ。なるほど甘いわけです。精算で出したお札を見ると、あのアキノさんではありませんか。ベニグノ・アキノさん、通称ニノイ・アキノさんです。昔のニュース画面をふっと思い出しました。・・・・マルコス政権に対抗したベニグノ・アキノ氏が身の危険を顧みず、母国に到着し、飛行機から降り出したとたん、銃声が聞こえて、彼は暗殺されました。そのおかげで、民衆を苦しめ、財を独り占めしていたマルコス政権に対する反旗の火が燃え上がり、最後には妻のコラソン・アキノ大統領が実現しました。マルコス前大統領とイメルダ夫人達はハワイに亡命しました。ここに栄華を誇ったマルコス王朝は潰えたのです。・・・・・・一粒の麦、そのままの物語ですね。いつの時代にも、誰かが尊い犠牲になって、初めて歴史が動くのだと思います。今の日本にとって、一粒の麦はだれなのでしょうか。
2012年05月04日
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シュノーケリングの翌日午前中はのんびり散策。素敵なホテルのビーチにも立ち寄り。ようやく青空も少し顔を出してくれました。ここはアイランドピクニックの島のように魚がたくさんいます。餌のお菓子をばらまくと、すぐにこのようにたくさんの魚が寄ってきます。水中撮影ではありません、波の上から見えるのです。このビーチにはたくさん魚がいると書かれています。危ない魚もいますね。びっくり、帽子をかぶって泳ぐ方も。韓国の女性のようです。美白に人一倍熱心な韓国ならではでしょうか。ちょっとやりすぎのような。そういえば大韓航空の客室乗務員もかなり真っ白です。こちらはビーチでのんびりおひるね。ひねもすのたりのたりかな~^^。やっぱりこれが何より最高ですね。海岸に蚊なんかいないのに、なんでダサイ長パンで靴下といわれそうですが、そこまで行く間があぶなくて、デング熱には困ったものです^^;;;。
2012年05月03日
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アイランドピクニックの時間はあっという間です。写真を並べてたどってみました。フィンは重くてあまり役には立ちません。でも写真に撮ると不思議にサマになっています。カナヅチには不似合いですけど写真ではわかりません^^。長い桟橋を歩きます。ずっと同じくらいの水深です。なかなか絵になっていますよね。水の中はトロピカルパラダイス。大きな熱帯魚水槽です。外でランチを頂きました。無人島もランチの時間には混雑します。猫もいました。無人島でも無猫島ではないのかな?中身はやっぱりチキン、そしてカニ、後はなにか忘れました。缶ビールはやっぱりサンミゲル。味は書くほどでもありませんが、空腹は最高の調味料ですね。優雅にダイナミックにパラセイリングを楽しむ若者たち。絵になりますね~。相棒は今度はこれをやりたいといいます。私は見てるだけで十分なのですが^;;;。最後に島を離れ、またアウトリガーの船に乗り込みます。狭い板を綱渡りのように使います。ちょっと怖い一瞬です。雨にも降られた帰りの船。若者は舳先は若者の優先席でした。天候がちょっと残念でしたが、それなりに楽しいひと時をすごせました。
2012年05月03日
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