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山は右側からアイガー、シュレックホルン、ベッターホルン。いずれも富士山より高く、3900mから4000級の山々が連なっています。夏でも頂上付近には厚い万年雪が残り、山腹周辺はにうっすら雲がたなびいています。展望台近くには数人のハイカーがいて、いよいよハイキングのはじまりです。他のペアと写真を取り合ったり、終点のグロッセシャイデックの位置を聞いたりしながら、ゆっくりとマイペースで進みます。他の人たちはみな私達よりペースが速い。次第に前後に誰もいなくなり、私達だけが高山の斜面を絶景に囲まれながら歩んでいきます。とにかくマイペースを守ることが大事です。途中、頁岩(粘板岩)の巨大な露頭や小川、カウベルを鳴らす牛達を横目に細い道を進んでいきます。最盛期は過ぎましたが、そばにはきれいな花も咲いています。最初のうちは予想通り下り坂だったのですが、次第にのぼりが出てきて、道に迷ったのかと心配しました。でも終点方向がわかるので、大丈夫。上りはやはりきつく、登山並みに意識してゆっくりペースを維持。持ってきたアーモンドを食べながら進みます。アーモンドのビタミンEは血行を良くするので効果があるはずです。なかば気休めでもありますが、その気にさせるのも大事です。何度か牛さん達に出合いました。一緒に写真も撮りました。スイス~っていう絵になります^^。2時過ぎに出発して2時間で到着とおもっていたのですが、なかなか着きません。来るときにもらったマーカーペンの所をみると、4時25分ごろの出発に間に合わないと1時間待ちになるので、最後はかなり無理したペースで進みました。がんばって、がんばって、3分前に無事グロッセシャイデック=「大きな峠」に到着!約2時間半の夢のようなハイキングが終わりました。
2012年09月30日
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フィルスト展望台乗り場へ行き、そこで切符を購入です。ここでもスイスパスで50%割引!帰りのバスの時間を聞いたらマーカーペンで記入した時刻表を渡して説明してくれました。乗り場に行くと次々にきており、2人きりで乗ることができました。ここから時間約25分で一気に1200m標高を上げていきます。なかには具合の悪くなる方もいるとか。多少空気が薄くなる感覚がありましたがそれほど問題はありませんでした。サンモリッツで馴化できたのかもしれません。途中駅が2か所あり、その都度降車できるようにドアが開くのです。締めないと開いたまま。ちょっとあぶなかしいですね。下をみるとハイカーが歩いています。屋根の上を進みます。結構高いですね。ちょっと虫がむずむず。かなりのぼってきました。奥に見えるのがアイガーです。頁岩か粘板岩の薄いペラペラな岩が目に入ってきました。これは泥岩が海の底で堆積して、地底で圧縮されてできました。地の底から浮かび上がってきた露頭です。山の上にあるのが単純に不思議です。写真を撮りながらあっという間に終点のフィルスト展望台に到着。標高2167mは今回の一番高い地点です。五年前に2200以上で具合が悪くなったので、それ以下ということで、ここにしました。おりると、絶景が目の前にあります。ゴンドラの後ろにある乗り場はフィルストフライヤーという絶叫乗り物です。ロープにつるされて下の乗り場まで一気に下ります。私はまっぴらごめんですが。それではこれから、五年前に体調不調によりできなかったハイキングをアイガーグレッチャーからクライネシャイデックではなくて、フィルストからグロッセシャイデックで始めます。シャイデックって峠、クライネは小さな、グロッセは大きなという意味。グレッチャーは氷河です。日本語では何の変哲もない名前ですね。
2012年09月30日
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インターラーケンに着いたのはいいのですが、ホテルの場所が地図を見てもよくわからず。駅からやや離れているので、スーツケースもあるしで、タクシーで向かうことにしました。相棒はもったいないの連発。私はこれからグリンデルワルトに行ってハイキングをするので、時間の方がよほどもったいないとあせっています。ホテルはやや郊外の中にあって、なかなか素敵なホテル。スーツケースを先にあずかってほしい旨話すと、パキスタン人のようなフロントが、部屋の準備もすんでいるからチェックインして問題ないよとのご返事。さっそく入って、ハイキングに行く準備をしてホテルを出て、今度はスーツケースがないので歩いて駅へ向かいます。12:02発に乗ってグリンデルワルドへ。乗る車両によって別方向に途中で別れるので要注意です。これが列車内のミニテーブルに書かれた地図です。いったん右にのぼり、左に折れてさらにのぼります。途中、大きなU字谷の底にある村の風景に魅了されます。ハイジやクララがでてきそうですね。見えてきたのはベッターホルンの絶壁!ついに来ました、感激の再会です。車窓景色も次第に険しさを増して12:37に到着。なつかしのグリンデルワルドです。駅からぶらぶら左方面に歩いて行くと素敵なカフェが見えてきます。降りてきたら立ち寄りたいです。目の前にアイガー北壁がせまってくるようで、うれしくなります。ところが写真一枚も撮っていませんでした。5年前の写真を見つけましたので、ここに1枚載せてみます。この写真の白い雪をかぶった山がアイガーです。よくこんなところにのぼりますね。私なら5mでギブアップです。5年前に行った右側、アイガー、メンヒ、ユングフラウ方面はやや雲がかかっていましたが、今回行く予定の左側方面、つまりベッターホルン側はよくみえます。来る前は週間天気予報では雨。雨だったらあきらめてベルンにでも行こうかと考えていました。時刻表もネットで調べていました。駅の近くで写真三昧のあと、左側にのぼっていくと、その道のさらに左側にフィルスト展望台行きのゴンドラ乗り場が見えてきました。当初の予定ではここからポストバスでグロッセシャイデックまでのぼり、そこからハイキングでフィルスト展望台までやや上り坂のハイキング、展望台からゴンドラで降りてくる予定でした。ところがサンモリッツでの経験からはのぼりがとてもきついことがわかったので、逆順に急遽変更です。何事も柔軟さが大事です(^^)。この前方の左側にゴンドラ乗り場があります。右側にはアイガーがせまっています。乗り場の正面にあった絵の左下がグリンデルワルド、そこから右上斜めにのぼり、途中で左斜めに折れて行きます。一気に1100mほどのぼります。
2012年09月30日
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9:08ルツェルン発、ルツェルン湖沿いに走り、次第に標高を上げながらマイリンゲンにつき、その後標高を下げながら、ブリエンツ湖を経て、インターラーケンに至ります。インターラーケン・オストについたのが11時ごろでした。オスト=東です。これが列車内部です。写真にある列車のミニテーブルの地図には、ルツエルンから上がって、マイリンゲンで折れ曲がり下って、ブリエンツ湖を左に見ながらインターラーケンに着くルートが描かれています。ちょっと脱線ですが、マイリンゲンは シャーロック・ホームズ シリーズを書いた アーサー・コナン・ドイルが 滞在して作品を書いたことで有名です。『シャーロック・ホームズ』は 街の名誉市民なんだとか。美しいルツェルン湖が見えます。さらに典型的なスイスの風景がつづきます。この緑の芝生のような場所は牧草地帯で、既にきれいに刈った後ですね。日本の昔でいう里山的な場所でしょうか。つまりスイスのこの風景は人と自然の共同作業が生み出したものです。まだまだ登ります。よく見るとここも牧草を刈った跡がわかりますよね。下ってブリエンツ湖です。観光船もみえます。このブリエンツ湖とトゥーン湖の間にインターラーケンがあります。インター=間、ラーケン=湖です。ようやく到着です。「ようこそユングフラウ地方へ!」大きな看板が出迎えてくれました。湖の間の真上、Jの字の真下が名峰ユングフラウです。それから左に、メンヒ、アイガー、シュレックホルン、ベッターホルンが並んでいます。これから行くところは、アイガーのふもと、グリンデルワルト村。ヨーデルが聞こえてきそうです。
2012年09月30日
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朝目が覚めると素晴らしい晴天です!朝食後さっそくホテルを出て、約20分の短い間ですが、駅の周りをウオーキングしました。駅の方向に、かの有名なピラトス山がうかびあがっていました。美しくも怪しい雰囲気です。あの、イエスキリストの十字架処刑にかかわったローマ総督ポンテウス・ピラトス、この名前が元になっているそうです。こちらは昨日船から最後に見た橋です。つまりこの右側にルツエルン湖がひろがっています。スイス国旗が美しいですね。この山が名峰ピラトスです。ちょっと異様にも見えるほど威厳を感じませんか。迫力がありますね。こちらは朝霧にかすむホーフ教会です。カレンダーの写真みたいです。カペル橋です。ここもあそこもカレンダー写真の中にいるかのようです。美しき古都ルツェルンを後にして、これからヨーロッパの屋根ベルナーオーバーラント地方の玄関口インターラーケンに向かいます。
2012年09月30日
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ライオン像から戻ってきて、ルツェルン湖にくると、観光船が止まっていたので、スイスパスが使えるかと聞いたところ、「ここは民間経営だからスイスパスは無効、向かいの岸から乗る船は公営で有効だよ」と教えてくれました。急いで駅の近くの対岸に行き、後5分で出発のタイミングで乗船。スイスパスでタダになります。ルツェルン湖は大きくて、その中を何箇所か立ち寄りながら進みます。このあたりはかつて氷河で埋め尽くされていたようです。このルツェルン湖もそうです。先ほど歩いて行ったホ-フ教会が船の上から見えます。湖の遠くには山がかすんで見えます。ルツェルンの近くにはピラトス山とリギ山というちょっと大きな山があります。登山列車やゴンドラなど登る手段があるのですが、時間がかかるのでちょっと私たちには無理。今日はちょっとかすんで見えないのが残念です。船の上では目の前に子ども連れの家族がいて、子供は男性が世話をしていたのが印象的でした。旧市街やカペル橋がこの橋の向こうにあります。そろそろ終点ですね。2時間のクル-ズが終わりだす6時手前で、なんと雨が降り出してきました。本降りです。その雨も一旦6時ごろやんだので、再度カペル橋のところへ行き、旧市街を散策、カフェでカプチーノをいただきました。ヨーロッパの古い街並みって本当に素敵です。ドイツなどは戦争で破壊された街並みを大金をかけて元通りに復元しています。その理由がわかりますね。でもここスイスは中立を保ったおかげで壊されずに済みました。これぞ国の宝物です。それに比べて日本の雑然とした街並みが恥ずかしいです。この市役所と書かれてある建物の屋外の川沿いにある席で腰を下ろしていただく。(大きいカップ!)いい雰囲気です。その後駅へ行って例のファストバゲ-ジサ-ビスに預けたスーツケースをうけとろうとしたのですが、場所がわからず時間がたってしまいました。6時以降に受け取れると聞いていたのですが、7時ちょっとすぎに窓口にたどり着いた時には、なんとすでに閉まっていたのです。これにはびっくり。あわてて隣のチケット売り場に行って「明日は早朝出発だからなんとかしてくれ」とたのんだら、窓口担当がすぐに対応してくれて、隣の受け取り場で渡してくれて事なきを得ました。本当に危ないところでした。これがフランスなら99%明日までだめだったでしょう。スイスでよかったです。対応が日本と似ています。その後ホテルにチェックイン。また雨が降ってきたので、近くで夕食がとれる場所を聞いたら、手っとり早いところではイタリアンレストランがここにあると教えてくれた。あと、駅の裏側にもあるがとても高いとも。そういう高価なレストランでなくても十分スイスは高いので、イタメシで十分という結論に。雨がいつまでもやまないので、雨の中出掛けたが、教えてもらった場所の近くに来てももよくわからない。地図を見ていると、どうしましたか?と声をかけられた。事情を説明すると、「それならあそこです」と、指をさして親切に教えてもらった。ここでもスイス人はとにかく旅行者に対して親切。こういう親切は日本人ではほとんどありません。キリスト教の教えなんでしょう。スパゲッテイとリゾットを単品でいただきました。あらかじめ量をきいておいたのですが、予想よりかなり多いのでびっくり。がんばって食べて、おなかがいっぱいになりました。別腹もビールでいっぱいになりました。写真は夜のホテルです。
2012年09月30日
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カペル橋を散策した後、対岸に並ぶ旧市街の建物です。絵になっています。途中でジェラートを食べながら、二つの大きな塔が目印の大きな教会に行きました。街を歩く人たちの大半は観光客のようです。ホーフ教会といって、市民の信仰の中心地だそうです。外の喧騒とうって変わって教会の中は静かです。それから左に折れて程なく「嘆きのライオン」像に到着しました。ここはスイスに行ったらかならず見るようにとも言われている超有名なモニュメントです。その前にちょっとスイス傭兵の歴史をネット資料でお勉強。ーーーーーーーーーーー14世紀にスイス原初同盟がハプスブルク家を破り独立を果たすと、スイス歩兵の精強さがヨーロッパで認められるようになり、国土の大半が山地で農作物があまりとれずめぼしい産業が無かったスイスにおいて、傭兵稼業は重要な産業となった。そして1470年代におこったブルゴーニュ戦争ではスイス傭兵は主力として活躍しシャルル突進公を破ったことから、その評価は決定的になった。その後、スイスは北イタリアにおいて独自の覇権を目指すが、1515年にマリニャーノの戦いでフランスに敗れると、拡張政策を放棄し傭兵輸出に専念するようになった。スイス傭兵は州政府単位で雇用主と契約にあたることに特徴がある。1874年にスイス憲法が改正され傭兵の輸出を禁じるようになり、1927年には自国民の外国軍への参加を禁止したため、スイスの傭兵輸出産業は完全に終了することになったが、中世からの伝統をもつバチカン市国のスイス衛兵のみは、「ローマ法王のための警察任務」との解釈により、唯一の例外として認められている。ーーーーーーースイスが500年もの長きにわたって強国に囲まれて中立を守った理由は、この傭兵にあるようです。スイスを壊すと、この優秀な傭兵が手に入らなくなるからです。さらにこのライオン像のお勉強。ーーーーーーーーーーーーーーーフランス革命真っ只中の1792年8月、テュイルリー宮殿を防衛していたスイス傭兵約900名が殺到した民衆にその大部分が虐殺された事件の慰霊碑として設置されたのがこの「嘆きのライオン像」。15世紀以降スイス傭兵はその優秀さから高い評価を得て、フランスやヴァティカンの傭兵として「輸出」されていました(現在でもヴァティカン市国の警備にあたっているのはスイス傭兵)。約2000万年前の砂岩に彫られた彫刻のライオンは、脇腹に槍が刺さり今にも息絶えてしまいそうな表情を浮かべて身を横たえています。背中に折れた矢が刺さったライオンはスイス人傭兵を表し、ライオンがかばっている盾はルイ16世とその家族を指しています。ーーーーーーーーーーーーーー他国の雇い主のために命をかけた傭兵、そのおかげで今のスイスの平和があるという事実をこの像は如実に示しています。厳粛な気持ちにならざるを得ないですね。日本の一部の政治家の国防不要論みたいな幻想とは全く違う重たい現実がここには刻まれています。それを見る人々の心にも刻まれるようです。スイスは国民皆兵制度です。国民投票で直接決定されています。日本のように他国に防衛の一部を肩代わりしてもらっているような変な国家ではありません。 中韓露が日本の領土干渉を強める昨今、日本はどう準備すべきか、今一度冷静に考えるべき時ではないでしょうか。シリアとトルコが今局地戦を行っていますが、これは中露と欧米との代理戦争に発展する可能性があります。それが中東へ拡大する可能性もあります。すると、極東のこの領土紛争へ飛び火して、第三次世界大戦に発展してしまう可能性も全くあり得ない話ではありません。国防ってそういうことを想定内にして何を準備するかということだと思います。ライオン像の砂岩が斜めになっているのは、堆積してから、アフリカプレートとユーラシアプレート同士の衝突で傾斜したためとのことです。実にスイスアルプスを切り取ったかのような岩壁ですね。
2012年09月30日
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朝食にはまたまたミューズリーが出てきて、蜂蜜もおいしくランチもゲットできました。朝8時にホテルをチェックアウト、車で送迎していただき、駅に到着後またスーツケースをファストバゲージであずけました。来たときの道をクールまで戻るのですが、ここまでもベルニナ線であり、それほど高い山はありませんが、絶景がつづきます。隣のボックスに座っていたスイス人(ベルン在住)が話しかけてきました。トンネルにさしかかると、「トンネルの中でループアップしてるんだ」とか、「このトンネルを出るとすぐ写真を撮ったらよい、有名な橋が見えるよ」とかおしえてくれます。私と同じくらいたどたどしい英語です。でも伝えようとすれば伝わるものです。そう、来たときにも見たランドバッサー橋ですね。老婦人と一緒に窓の隙間から夢中で写真を撮りました。といっても実際にシャッターを推したのは相棒ですが。この橋はラントヴァッサー峡谷にかかっており、長さは136メートル、高さは65メートル。1901年から1903年にかけて建設されたということです。橋の材料は石灰岩だそうです。すごいですね。次に彼は大きなバッグを開けて中から一眼レフカメラを取り出して中身を見せてくれました。中には趣味で撮った村の家の窓とか、瓦とか、地味な写真が多かったのですが、芸術的な写真でした。山間部の村に立ち寄り、写真をとっては写真サイトに投稿するのが趣味のようです。FOTOCOMUNITYのネットを見てくれと名刺をくれました。帰国後そのサイトをみたら、さまざまな写真があふれていました。その代わりに私たちの写真を見てもらいました。どこでもばんざいしたりピースしたりしている芸術的ではない写真を見て、大笑いしていました。私たちはクールで乗り換え、そこからさらにタルヴィル経由でルツェルンまで、風光明美な列車の旅がつづきます。車窓から見える牧草地帯、山々、教会と村、湖、スイスの絶景が並んでいました。2階月列車の2階なので眺めがよいです。氷河湖の隣はかなり高い絶壁です。家の大きさと比較するとわかります。スイスでは割とよくみられる風景です。13時30分ごろスイスの古都ルツェルンに到着。駅の近くに川を斜めに横切る古い木造のカペル橋があります。花で飾られて大変美しい美しい橋として有名です。ここを背景に、ここの中で何枚も写真を撮影しました。中には外人女性と日本人男性のカップルや、台湾学生にも撮っていただきました。この台湾学生には後でまた会いました。日本に憧れをもっているそうで、日本語が堪能でした。実は前記のカップルにも後で会うことになるのです。鉛筆の先のような物体は貯水塔だそうです。花はドイツやスイスの家の窓に見かける花です。蚊よけにもなっているはずです。この橋の天井には、このような絵がたくさんあります。歴史を語る何百年も前の絵です。ネットの解説を添付します。ーーーーーーーーーーーーースイス中央部、中世の面影を残すルツェルン(Luzern)を流れるロイス川に架かる、ヨーロッパ最古の木造橋。ルツェルンのシンボル的存在である。架橋の年代は1333年と1367年の2説がある。長さ200mの屋根付きの橋で、橋に隣接して、八角形でレンガ造りの、高さ43mの水の塔(Wasserturm)がある。この塔は、かつて監獄や拷問部屋として使用されていたといわれるが、現在は大砲協会(artillery association)のギルドホールとなっている。1993年に右岸側の橋の大半が火事で焼失したが、翌1994年に復元・再建された。ーーーーーーーー絵の中には裏が黒こげになっているものもありました。
2012年09月30日
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サンモリッツは一年での晴天率が300日以上ともいわれる天候のよい場所だそうです。確かに最高によい天候に恵まれました。モルテラッチ氷河見物の後に乗った列車で、サンモリッツの一つ手前、ポントレジーナで下車して、ここから再びハイキングをすることに急遽予定変更。昨日まったく予定がこなせなかったので、その取り返しのつもりです。1時間30分ほどという資料があったので、途中の小さな湖を経由して歩いてサンモリッツに戻ることにしました。ところがいざ出発してみると、ルートがよくわからず。地図と実際の道がくいちがっているような。ちょうど同じ方向を歩いてきた体格の良い女性が通りかかったので、聞いて確認して進みました。でもその方はとても進むのが速くてついて行けず、あっと今に見えなくなりました。このコース、予想に反してのぼりが多く、再び息が切れてきてかなりきついのです。しかも景色の見えない森の中さ迷いハイキング。途中で引き返そうかと思うほどでしたが、なんとか我慢しながら森の中を1時間以上上ったところでようやく下りに入り、少し経つと目指す湖が見えてきました。レイダシュターツ(シュターツ湖)です。小さな沼のような湖ですが、山の裾野にカラ松のような林が添えられて、その姿が鏡のような水面に映りこんで美しい。秋には黄色く色づいてもっとすばらしい景色になるのでしょう。そこを左にみながらさらに歩くこと1時間弱でホテルのあるサンモリッツ湖になんとかたどり着きました。なんだか写真を見ると、どちらも湖の周りの景色は似てますね。サンモリッツ湖はそこそこ大きいので、見えてからがまだあります。ホテルにもどるまでは全行程約2.5時間。予定をはるかにオーバーしてしまいました。夕暮れのサンモリッツ湖も背景が写りこんで高原のような雰囲気が印象的でした。こちらはホテル街が見える方向です。夕食は昨日の隣のレストランでいただく。昨夜は外でジャズコンサ-トをしていた場所です。昨日は魚だったので今日は肉料理、ポークとサーロインをいただく。飲み物は私がビール、相棒がワイン。肉に添えられたポテトチップが多くて閉口。結局ポテトは大半を残しました。悪玉コレステロールが多いので普段から油はさけています。トマト、モッツァレラ、バジルソースの定番サラダは美味でした。ホテルに戻ると、昨日お世話になったスタッフがいたので、体調が戻ったこと、旅程など話して、お礼を伝えましたら、とても喜んでくれました。ありがたや~。ついでに明朝のスーツケースの運搬について聞いたら、人間+スーツケースごと朝駅まで車で運んでくれるとのこと。ありがたや~^^。明日はサンモリッツを後にして、古都ルツェルンへ向かいます。
2012年09月29日
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大きな湖を横目に見ながら、さらに進むと、あの有名なループが見えてきます。ループで標高を稼ぐ山岳鉄道独特のもので、ランドバッサー橋とともにこの路線の名物となっています。実はトンネルの中にもル-プがあるのです。日本では急勾配の場合スイッチバックをよく採用しますが、それでは列車を止めてしまうからこのル-プ方式になったのでしょうか。昼近くにイタリア国境の町テイラーノに無事到着。ランチは今日もホテルで調達した手作りサンドイッチ。テイラーノは標高が400程度なので、暑さもかなりです。駅近くのお店でジェラートをほおばり、写真撮影後、一緒に乗ってきた日本人女性に別れを告げて、12:50ごろの普通列車で戻りました。この町は小さい町で、レストランもさほどおいしくないという情報があり、なによりモルテラッチ駅で途中下車してハイキングするのが本日の一番の目的だからです。時間はたっぷりとはありません。帰りの列車は窓が開くので良い写真がたくさんとれました。近くの座席では大きな犬を連れたイタリア人家族が普段着でわいわい騒いでいましたが、標高が上がると次第におとなしくなりました。ちょっと高度慣れには時間がかかるのかもです。帰りの写真をいくつか載せます。帰りのほうが普通列車なので窓が開いてガラスの映り込みがない、よい写真が取れます。所要時間は急行も普通も同じなのです。まずはル-プ橋です。ループの中にはいると、左旋回しながら登ります。振り返って後ろを見ています。これもおよそ百年前の建造物なんですね。湖です。ポスキアーボ谷を上ります。帰りののぼりは相当きつくて、こんな列車にすごいパワーがあると驚くほどです。日本ではこんな急勾配は乗ったことがありませんし、そういう路線自体がないと思います。雪が降るとスリップしそうです。振り返ると、湖がはるか下に見えます。ここを氷河が多い尽くしていた時代があるのですね。さらに標高を上げていきます。行きと同じ氷河がみえてきました。そろそろ2000m近くになってきました。アルプグリュム駅では皆さんビールやワインを飲んでいました。うらやましい限りです。ここも氷河が2筋見えますね。だいぶ後退しているようですが。自分の目の前に展開されている風景に不思議な気持ちになります。こんな高所でも牛さんが放牧されているんですね。そういえばユングフラウでもそうでした。これがモルテラッチ氷河です。ベルニナ・アルプス最大の氷河です。サンモリッツの少し前にあるモルテラッチ駅で下車して、そこからモルテラッチ氷河までハイキングのハイキングです。行きはのぼりのため、すぐに息が上がってしまいます。標高2000m越えをゆっくり歩いていく。相棒は平地とほとんど変わりないとのこと、うらやましい。周りの高山植物や木々、アルプスの岩石、山々氷河源流の白く濁った渓流を眺めながらのハイキングは最高です。大きな岩の上に横たわっての日光浴カップルもいます。列車に乗っていたイタリア家族もいます。この道をずっと歩いてあがっていきます。今日は暖かくて絶好のハイキング日和。ハイカ-の服装は平地と変わらず。私たちはブルゾンや長袖シャツなど防寒対策をしてきましたが、それらをみんな捨ててきたい気持ちになりました。日ごろの心がけのおかげと勝手に解釈です。この氷河の先端は過去にはもっと手前まできていたのですが、温暖化の結果なのでしょうか、次第に後退しています。1990年にはここまでとか、標識も立っています。地球の変化を感じますね。温暖化のおかげでなかなか終点にたどり着きません。途中、蛇紋岩や変成岩や花崗岩の岩をたくさん見ました。きれいな高山植物も見ました。はみなさん健脚で、私たちがどんどん遅れてしまいます。大きな岩の上に寝転んでいるカップルもいます。1時間以上かかってようやく氷河の先端が見える所へたどり着きました。電動車いすの男性と健常者の女性のカップルに出会い、写真を撮っていただきました。とっても仲むつまじそうなお二人、おふたりだけの時間が流れているようでした。それにしても電動車椅子でどうやってここまで来れたのでしょう。道にはごろごろ石があり、1箇所水が道路を横断して流れているのに。ここが氷河の先端が見える位置です。もっと近寄りたかったのですが時間もないのでここで終了。青い氷河の色がよくわかりますね。黒い部分も中は光が通れば青いのです。このベルニナアルプスでは一番大きな氷河だそうです。むかしツェルマットでゴルナグラ-トから氷河(万年雪?)の上をスキー滑走したことを思い出しました。雪をスキーの板で削ると、青く見えました。あのころは3000M以上でも何も問題ありませんでした。振り返って見ると、こういう景色でした。ここもみごとなU字谷ですね。氷河期にはここも氷河が多い尽くしていたのでしょう。行きはずっとのぼりだったので、意識的にユックリ歩きましたが、帰りはくだりなので楽チンです。全然高所だと感じません。イタリア人の家族が前に歩いています。帰りの電車がないと困るので急いで戻りました。でも駅にきたらちょっと前に列車がでたばかりなので30分ほど待つことに。光に透けて緑が映える針葉樹林の森を眺めて、目と体を休めました。山の上のほうを見ると、岩自体が緑色をしている領域があります。緑色岩が出ているのでしょうか。そうです。2億年前にはテ-チス海だった場所が、今自分の前にアルプスに姿を変えてそびえています。この地球の営みの雄大さに比較すれば、人間個人の営みのどんなにちっぽけなことかと、そういう気にもなりますね。
2012年09月29日
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昨夜は5時間ほど睡眠がとれて体調もほぼ回復。朝、気温なんと2℃。早速持参のハイキング用ブルゾンを羽織り、ホテル周辺で散歩しながら写真撮影。旅行中初めて日本人と会話。イタリア側から上ってきたそうです。ホテルに戻って朝食、昨日もでてきたミューズリーがまた出ています。コーンフレークのようなシリアルなのですが、これにヨーグルト、ブルーベリーソース、蜂蜜、フルーツなどなどミックスしていただくと、オリジナルミューズリーとなります。これがなかなかいけます。旅行中、ほとんどのホテルの朝食に出てきました。さらにホテルスタッフの女性の服装がスイスっぽいので、並んで写真撮影。体調が戻ると現金なものです。駅に行くと、サンモリッツ湖が美しい姿で出迎えてくれました。氷河特急がホームにはいっていたので写真撮影。これははるかツェルマットまでいく列車なので、私たちの乗る列車ではありません。そういえばこの列車だったかな~?事故起こしたのは。私たちの乗る列車はこちらです。機関車の側面に絵が描かれている橋はランドバッサ-橋だと思います。クールからくるときに通りましたよね。それとも、これからいくイタリアのテイラ-ノ近くにあるル-プ橋かな?どちらも有名な橋です。そう、これから乗る路線は、レーテイッシュ鉄道ベルニナ線で、路線自体が何と世界遺産になっているんですね。日本の小海線や大糸線もよいと思いますが、世界遺産にはなっていないし、なれるとは思えないですよね。でも、この路線は、なるほど世界遺産だと思ってしまいます。100年以上前に出来たんです。良くぞ作ったといいたいです。始発はクール発と途中のサンモリッツ発があります。私たちはサンモリッツ始発に乗ります。サンモリッツから次第に標高を上げて行き、森林限界を超え、ピッツ・ベルニナと呼ばれるこのあたりの最高峰(それを含めた一体をベルニナアルプスと呼びます)の脇がベルニナ峠、ここをすぎると、今度は標高を下げて行き、過去の氷河の流れ=ボスキアーボ谷に沿って下がって行き、終点テイラ-ノまでの3時間弱の旅です。帰りはこの逆に戻ります。駅で写真撮影に興じてうろうろしていたら、日本人女性から写真撮影をたもまれました。どうやら同じ列車に乗るようです。しかも奇遇なことに、その方と私達の指定席が同じボックス。ちょうどよいので、互いに写真を取り合うことになりました。聞くと1か月予定でヨーロッパ各地を一人旅しているとのこと。年齢は40過ぎでしょうか。次はスペインにいくのだとか。この列車のチケットも今朝かったのだとか。たいしたものです。というか自由すぎて驚いてしまいます。列車は9時過ぎに3#ホームを出発。次第に標高をあげて、森林限界を超え、さらに上っていきます。まずレイネイル(黒い湖)、これっておそらくロマンシュ語ではないかな。次にラーゴビアンコ(白い湖)が見えてきます。こちらはイタリア語ですよね。氷河の削った岩の種類が違うせいでしょうか。白いほうは石灰岩のような気がします。このあたりは標高が2253mがピーク。目の前にある山は富士山と大差ないかもしれません。呼吸は大丈夫かと気になりますが、座っているだけなので特に問題ないようです。氷河も目前に見えて迫力満点の異様な風景が続きます。ここも山の上から氷河が過去には大量に流れ下っていたのでしょう。駅のアルプグリュムでは観光客がテーブルに座ってビールを飲んでいるのが実に絵になっています。アルプグリュムってドイツ語っぽいですね。とにかくややこしいです。その後標高を下げて、過去の氷河の谷に沿って下ります。美しいボスキアーボ谷です。良くぞこんな路線を100年前に作れたもの。さすがは世界遺産。周辺の人々にとっては100年前からこの路線が生命線です。スイス国鉄のルーツを見たような気がします。同時にスイス民族の底力を感じずにはいられません。ユングフラウ鉄道もアイガ-の中をくりぬいて出来た超驚異的な路線ですが、ここだって驚異です。列車内販売のおじさんがこのあたりのマスコットを売りに来てました。私はちゃっかり写真をとりましたが、おじさんの値段提示に「ナイン ダンケ^^」かなり標高が下がってきました。U字谷の渓谷がわかりますよね。呼吸も楽です。この先にイタリア国境の町があります。もう言葉はイタリア語、町の名前もイタリア風です。スイスに多い細長い湖です、緑色が大変きれいです。もうすぐル-プ橋、そして終点ティラ-ノです。この先にはイタリアのルガ-ノとかミラ-ノとか、あります。そういう位置関係になります。ループ橋の写真は帰りに載せますね。(行きは窓がパノラマなおはよいのですが開かないので映りこみが見づらいため)
2012年09月27日
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クール近くになって車窓から高い山が見えてきました。標高ほどには耳が遠くなったりはしなかったのですが、クールでの乗換あたりからやや不調になってきました。深呼吸をするとやや楽になります。やはり標高が高くなってきたためのようです。時差ボケと睡眠不足も原因でしょうか。不安がよぎっているうちになんとかサンモリッツに到着しました。スーツケースなどをころがして登れるようにゆるいスロープがあるのですが、スーツケースなしでも息が切れます。心臓のときめきがおさまりません。ちょっといっぱいいっぱいになってきました。「ときめきのサンモリッツで、ときめきがおさまらず。」なんてしゃれにもなりません。しばらく休憩です。ファストバゲ-ジを利用してよかったです。ーーーーーーーーーーーーーーーー実はスイスに決まってから、いやな記憶がふっとよみがえってきました。5年前にユングフラウに行ったときに、標高2200m以上の登山電車にのっている途中で突然息苦しくなって、自分の体が自分でないような、足がうまく動かなくなってしまったのです。当時は過呼吸なのかなとおもったりもしたのですが、どうもそうでもありません。こりゃスイスでないほうがよかったかな~と、後悔しましたが、いまさら後に引けません。まあ今回は2200mはちょっと超えるだけだからと言い聞かせました。旅行会社の方に相談したら、それほど心配する標高ではないですよとのご返事。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーそういうわけで念のため、確認手段として、指につけて動脈血中の酸素飽和度を測定するパルスオキシメ-タをもっていきました。普通の人はこの数値が安静時で96-98だそうです。私の場合にはこれが94-96でやや低いのです。夜はもっと下がり93-95です。飛行機のなかでは機内の気圧が標高2000m前後に調整されますので、測定結果では91まで下がりました。ちょっと下がりすぎです。でもそれほど息苦しいわけではありません。そういえば前回は行きの飛行機の中でも3時間ほどかなり息苦しかったのを覚えています。この数値の評価には個人差があるそうですが、一般的には肺炎で息が苦しい状態で90を割ると酸素吸入したほうがよいといわれます。連れの数値は普通の人並み。やはり私は弱いようです。サンモリッツに行く列車の中では89まで下がりました。心拍数は上昇しています。肺機能にやや問題があるのかもしれません。これが5年前の登山列車で具合が悪くなった原因なのかも。禁煙して7年ほどになりますが、長年喫煙した罰なのでしょうか。ホテル街は駅からさらに上の方にあります。幸いエスカレータが途中までありますので利用しました。そこから先はゆっくり歩いてようやくホテルに。ホテルについてからもまだ不調のままなので、チェックインの時にフロントスタッフに説明すると、「標高が高いのでそういう方は時々いらっしゃいます。すこし部屋で休憩されて、それでも不調であれば、近くに病院がありますのでご案内できます」とのことでした。本来なら近くの美術館やハイキングを楽しむ予定でしたが、それらはやめにして2時間近くベッドで横になっていました。心拍数はやや落ち着いてきましたが、SPO2はまだ90-91でした。そこでせっかく入った海外旅行保険の緊急連絡先に電話して、病院受診を連絡しました。ホテルスタッフにも連絡したら、すぐに病院に連れて行ってくれました。歩いてすぐ裏の場所で助かりました。スイスの医療機関はドイツなどと同じように安心です。連れと一緒に行き、問診、聴診、血液検査、パルオキ、心電図検査など受けました。電極を付ける部位がバキュームでつける方式がユニークでした。血液検査の注射後の養生も、日本とは違う独特の方法でした。ここのパルオキは私のものより小型でした。SPO2=92でした。少し数値が上がってきたようです。診断結果は、特に心肺に特段の異常があるわけではなさそうなので、標高+昨日の時差ボケ+睡眠不足が原因でしょう。心配するとなおさらということもあるので気にしないようにとも言われました。処方は、睡眠導入剤2錠いただきました。今夜熟睡してほしい、量的に心配なら半分に折って服用もできる。何か具合が悪くなったら、明日もあさっても私はここにいるので、遠慮なく再訪してくれとのことでした。こういわれると、なんだか安心してきます。保険屋対応の領収書をもらって出ました。5万円以内なら診断書は不要ということでした。費用は2万円ちょっとです。健康保険でなくて全額負担だとしても日本よりちょっと高いような。まあこれも経験ですね。海外で病院に行ったのはこれが2回目。(帰国後申請して、すでに振り込まれています)ホテルに戻ってきたら、次第に体が順応してきたようで、楽になってきました。そこで夕方ホテルの下にあるサンモリッツ湖のほとりをすこし散歩しました。とてもきれいな湖です。やっぱり上り坂は平地よりずっときつく感じるのですが、これは仕方がなさそうです。(相棒は平地とかわらないと言っていたので、やはり私の体質のようです)夕食はレストランで本日のお勧めをいただきました。ウサギの肉と魚とどちらがよいかと聞くので、魚をいただきました。てっきりコースかと思っていたら、サラダは勝手に取って、あとは飲み物という感じでした。でもとてもおいしくて、十分満腹になりました。アルコールは私だけ本日は念のため遠慮してカプチ-ノ。相棒はワインでご機嫌でした。値段はコース料理と大差ありません。やっぱり高いです。隣を横目でのぞくと、チーズフォンデュを二人で食べてました。これってチーズを溶かしたなべに、パンのかけらをつけて食べるだけなので、個人的には食べる気が起きません。そもそもチーズが好きではないのでなおさらです。見るとパンのかけらが器にてんこ盛りになってました。一人分はできないとのこと。相棒は食べたそうなことを来る前から言ってましたが、これなら要らないねと相棒も納得してました。オイルフォンデュの方がまだましです。結局睡眠導入剤は苦手なので服用しませんでしたが、この日はおかげさまで5時間寝られました。なお、ここのホテルのスタッフは大変親切で、スーツケースを私たちのかわりに駅までとりに行って、食事が終わって部屋に戻ったら、部屋にスーツケースが入っていました。スタッフが親切なホテルで本当によかったです。
2012年09月21日
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時差ボケのため初日はもともと寝られません、睡眠時間は1時間ほどです。朝起きると、不調です。でも朝食ではたくさんのフルーツがいただけました。フルーツは体調回復にはとても良い食材です。ついでにサンドイッチランチもゲット。なんせ物価の高いスイスです。チェックアウトしてスーツケースをころがし、見えるところにあるトラム乗り場に向かいました。ここでも何番に乗ったらよいかも分からず、乗り場の方に聞きました。するとややこしいことに、2#で1駅で降りて、3#に乗り換えるということでした。降りて待っているときにまた聞くと、3#なら向かいの場所で待つのだとのこと。乗ってから6つめ駅=バンホフプラッツでおりるのだとか。なるほどバンホフ=駅、プラッツ=広場です。このトラムもスイスパスで無料がうれしい。なんだかただ乗りしているようです。難点は乗り降りする場所の真ん中に支柱があって、スーツケースが運びにくいということ。あとは中が思ったより狭いことですね。車窓には有名そうな教会や古い街並みがつづく。旧市街のようです。スイスは戦争で爆撃によって破壊されていないから、古い街並みが良く保存されていて、まるで中世に来たような気分にさせられます。と言ってるうちにチューリッヒ中央駅の駅前広場に無事到着。ちょうど昨夜タクシーに乗った場所の近くです。チューリッヒ中央駅からスイスの東南方向にある別荘地高原グラウビュンデン州の中心地サンモリッツへ列車で向かう。冬季オリンピックが2回も開催された有名な高級避暑地です。出発前にスーツケースを送るサービス(ファストバゲージサービス)を依頼しました。朝9時前に預けると、当日の18時過ぎに受け取れる便利なサービスです。大きなスーツケースはじゃまなので、好都合。この場所が分からず、あいかわらず聞き聞きたどり着きました。何度も聞き聞きなので、だんだん度胸だけはついてくるものです。費用は2名で44フラン。一つ約2000¥。確かにちょっと高いのですが、標高が上がると重い荷物を持って移動がきつくなるので採用しました。去年の経験としてスーツケースを2ケ持って階段を昇降するのはかなりきついものです。スーツケースがなくなると楽ちん。発車時刻まで時間があるので、時計台の前で写真をとってもらったり、有料トイレ(2フラン)に行ったり。有料といってもかなり高いですよね、連れはぶりぶり言ってました。さて乗り場もわかり、9:37音もなく出発。穂^無にはAとBと表示されています。Aは1等車です。私たちは当然Bの2等車、席が2+1か2+2かの違いです。2等で全然問題ありません。途中までは平坦な道でしたが、クール近くになって次第に山の中へ。山の上にさらに高い山が見えて、さすがスイスの車窓。クールはスイスのルーツみたいな町で標高が1900m以上。乗り換えのころなんだか体調が不調気味になってきました。ここで、朝食で作ってもらったサンドイッチでランチ。当初は食堂車でランチの予定が動く気になれず。そういえば、もうすぐかの有名なランドバッサー橋は見えてくるはず。そうです、クールから既にアルブラ線、ベルニナ急行の絶景路線に入っています。最後の写真がランドバッサー橋です。高さ65m、開通後100年以上たっているんです。
2012年09月21日
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その後、チュ-リッヒ中央駅まで行く鉄道を探して、鉄道の表示を見つけてプラットフォ-ムに降りました。よく見ると行き先がウィンタ-ツ-ル行き(つまり逆方向)になっていたので、引き返して向かいのプラットフォ-ムへ。そのままのると、あっという間に1時間以上のロスになります。このあたりは事前に調べておいたので気がつきました。なお、ヨーロッパは大体そうですが、スイス国鉄にも改札がありません。勝手にプラットフォームに入り、勝手に出てしまえます。中で改札が検札に来ますので、そこで切符がないとまずいことになりますが、来ないこともあります。改札がないので簡単といえば簡単です。私たちは、スイスパスという「スイス国内ならどこでも鉄道はフリーパス」を持っているのでそれを車掌さんに言われたときに見せればよいわけです。電車は大きくてきれいです。3つのアルファベットが3組見えます。順序はわすれましたが、スイス国鉄の意味の頭文字でドイツ語、フランス語、イタリア語で書かれています。ここはドイツ語圏なので、車掌さんはドイツ語で聞いてきます。アナウンスもそうです。でもヨーロッパ人でない観光客だと見ると英語で話しかけてきます。スイスの国鉄は日本と同じくぴったり定刻に運行されています。どこでもそうでした。ドイツ人と同じ血が流れているんだなあと思います。だからでしょう、町もトイレもとってもきれいです。ただし、問題なのは、何もアナウンスがないままス-ッと発車してしまうこと。(これはヨ-ロッパ中どこでもそうみたいですが)乗ってからも念のため乗客に、チューリッヒ中央駅に行くかどうかたずねると、「この表示板を見ると、次にどこに止まるか、後何駅で着くかなどがわかる」などと、ものすごく親切に教えてくれました。座席にスーツケースとバッグをおいて、さらにもう一つのバッグをおろして座りました。席が空いているので相棒は通路を挟んだ向かいです。教えてもらった到着駅表示板をみながら、疲れたのでちょっとボケっとしてしまいました。ふと気がつくと、降りる駅のようです。あわてて相棒に降りるよと話してスーツケースを持って降りました。すると、中の乗客が私の顔を見て何かあわててしゃべっています。何だろうと見ると、どうやら私がバッグを忘れたとのこと。あわてて車内に戻ったら、バッグを持ってきてくれました。あやうく着いた早々バッグを列車内にわすれるところ、ギリギリセーフでした。時差ボケで頭が働かない時が危険ですよね。それにしてもスイス人って旅行者に親切です。行く先々で経験しました。ということでチューリッヒ中央駅にようやく無事到着。改札がないので、なんだかただ乗りしたみたいな気分です。でもホテルまではあるいてはいけません。タクシー乗り場がどこかもわからないので、駅のガードマンのような姿の人に聞くと、俺についてこいとのこと。エスカレータで2階上がってようやく外に出て、タクシー乗り場がわかりました。もう9時過ぎていますが、まだそとは明るいです。みるとタクシードライバーがうようよ、みんな黒人です。ちょっと嫌だけれどしかたなくその最前に停車している車に行って乗りました。ドライバーは象牙海岸出身の人で、フランス語、ドイツ語、英語が話せるとのこと。10年くらい前からスイスに来ているということです。言葉ができるって強いですね。ここチューリッヒはドイツ語圏、象牙海岸はフランス語なんですね。英語は世界共通語というか、観光客対応なんでしょう。その次にきたのが、「スーツケースの運搬料は5フランだって知ってるるかい?」でした。ネットのどこかで2フラン請求されるという記事を思い出しましたが、こいつは5フランかあ。ちょっと高いなあ。まあ勝ち目はなさそうだし、仕方ないなあとそれをプラスして払いました。お釣りもでたらめ、足りないと言うと少し追加してきました。まあメーター基準だから、多くぼられるのではないので妥協が肝心ですね。とはいってもたった3.5kmで25フランは高いです。1フラン約90¥。ようやくホテルに無事到着。フロントでバウチャーを出して、説明を聞くと、ダブルベッドの部屋しかないとのこと。こっちはツインで予約しているのですが、場合によってはダブルの事もあるとか書かれてあり、なんとかならないかと交渉しましたが、無いの一点張り。しかたなくあきらめました。他にはフィットネスルーム使い放題のカードももらいましたが、ここはただ寝るだけ、朝食食べたらすぐに駅に向かうだけです。ダブルベッドのおかげで時差ボケもあって1時間ほどしか眠れず。でも翌朝から早速サンモリッツまで長旅が待ってます。その前にタクシーは高いので、トラムで駅に行きます。ちゃんと行けるかなあ???なんせ、旅行でのトラブルの中で乗り物は大きな比率です。添乗員やガイドさんなしの旅行はこの点がまず疲れます。添乗員さんのありがたみを本当に感じますね。パックツアーだと全然気にしないで済む交通機関のために、一日で何人に聞きまくったことでしょう。ーーーーーーーーーーーーーーー話は変わりますが、今の中国、韓国はひどいですね。韓国は今年ソウルにいきましたが、当分行こうと思いません。中国も何回かいきましたが、もともとあまり好きではありません。ニュースを見てると身の危険すら感じます。過去の歴史をぶりかえすなら、どの国だって他国を排除、支配した結果なのに、過去を主張して現在と未来を壊すのは愚かな考えだと思います。親日的な国が良いです。たとえば、アメリカ、カナダ、マレーシア、タイ、インドネシア、台湾、ドイツなどです。まだまだあります。スイスもそうですね。駆け足でチュ-リッヒ。
2012年09月17日
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成田からオーストリア航空でウイーン空港へ、12時間ほどの空の旅。機内に入るとびっくり!CAは上から下まで真っ赤なコスチュ-ム。シートベルトも赤。それらを目立たせるためにシートやブランケットは緑。強力な補色配色で目がちかちかです。でもシ-トベルトやCAが目立つように工夫された、それなりに合理的な色合いなんですね。機内食を入れる器が三角なのにも驚きました。ちょっと気をてらっているのでしょうか。とにかくユニークな航空機会社です。ヨ-ロッパ人って、そういうところがありますよね。人まねが嫌いで、ユニ-クというのがほめ言葉です。私はそういうヨ-ロッパ人を尊敬しています。乗り心地は、ゆれがそれほどなくて、機内の気温もそれほど寒くなく、エコノミ-にしては快適でした。ビジネスクラスやファ-ストクラスには旅行で乗ったことはありません。もったいなくて乗れません。その¥があれば次回の旅行費用にまわします。基本的に私たちはけちけち旅行です。そういえばウイーン空港はこの6月に開港したばかりの新品空港。乗り換えが簡単というフレコミ。ちょっと疑っていましたが、確かに簡単でした。降りて、入って、入国審査を済ませて、上下に移動で済んでしまいます。水平にいろいろ移動する空港では、無事に乗り換え登場口に着くまで不安なのですが、ここはそんなことは全く無かったです。むかし、フランクフルト空港で、乗り換え場所を間違えて、あやうく最終便に乗り損ねそうになったことがあり、いまだにその不安を引きずっています。おもいだしましたが、7年前かな、中央ヨーロッパへ行ったとき、格安旅行だったので、チャイナエアライン、台北経由で約20時間でようやくウイーン空港に朝たどりつきました。眠い目をこすってチェコにバスで向かった記憶です。その時以来、南周りはどんなに安くてもさけています。その時のウイーン空港とは違う新品空港なのです。といっても全然覚えていませんけれど。なんせ前回は添乗員付きなので、ボケっとしていてもバスにのれましたから。次にはスイスのチュ-リッヒへ向かう飛行機に乗りました。この区間、国際線ではありますが、スイスもようやくシェンゲン協定に加盟しましたので、ウイ-ンからチュ-リッヒはほとんど国内線並みの扱いです。だからチュ-リッヒ空港では入国審査はなかった気がします。バゲ-ジクレ-ムで受け取ってそのままおしまいという感じ。ということで、ようやくスイスに来たぞっていうことですね。でもまだホテルにはたどり着いていません。おなかもすいてきました。その後、外はまだ明るくてもすでに夜なので、腹ごしらえをと思いうろうろしていると、COOPが目に付いたので入って物色。スイスはコンビニがなくて、そのかわりにCOOPです。お弁当のようなものがあったので、店員に電子レンジがないかと聞くとないとのご返事。結局駅の案内の人に聞いて、パスタとピザのフードコートで適当にスパゲッテイとピザを注文して、腹ごしらえしました。味はというと、日本の方がおいしいですね。でもってやはり¥は高いです。日本の物価が世界一高いと思っていたのですが、スイスの方が高いです。これから鉄道(Sバーン)でチューリッヒ中央駅に向かいます。長い一日はまだ終わりません。
2012年09月17日
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今年の夏季旅行は急遽スイスに決定。小さな旅行社のツア-企画に申し込みました。その結果は、お盆の時期なので、スイス航空直行便のはずがもう満席。オーストリア航空になるとのこと。で、¥早速アップ(^^;;;ウイーン空港経由乗り継ぎでチューリッヒに向かいます。帰りはジュネーブからウイーン経由で成田戻りです。フライトチケット、途中の絶景区間の特急列車の指定券、国内鉄道などのフリ-パス、ホテルバウチャ-が送られてきて、あとは勝手に行ってきてくださいという簡単なものです。スイス国内は鉄道移動。添乗員とか、現地ガイドとかは一切ないので、ほとんど個人旅行です。去年の夏の南仏も似たようなものでしたが、あのときにはオプショナルツアーで埋めておいたので、なんとかなりました。これまでまったく知らなかったのですが、スイスって日本より物価が高いのです。だからオプショナルツアーも手が出ませんでした。だからパックツアーのような密度の高い内容にはできません。いちいち時間も場所も気にしなければなりません。でも、その分自由でもあります。この自由って結構大事です。たとえばランチをするにも、パックツア-の場合、あらかじめ決められたお店で決められた料理を決められたテ-ブルでいただくことになります。そしてまわりも日本人ということになります。この最後が結構重要です。周りが外国人だから、海外旅行の雰囲気がでるのに、周りが日本人ではその気分が出ません。この点、個人旅行では、周りが日本人ということはほとんどありません。外国語が飛び交っています。まさに海外旅行真っ最中の気分です。でも、メニュ-を見てもなんだかさっぱりわからず、聞いても言葉がわからずとか、さまざまな不自由はつきものです。一長一短ですね。最近は個人旅行重視の傾向に段々なってきています。まだまだ言葉が不完全でハプニングが起こりますが、それもご愛嬌だと思っています。今回も多くの方々に助けられて何とか無事行ってきました。旅先の情けは本当にありがたいものです。スイス人、ものすごく親切です。感動しました。ルートはこんな感じ。初日チューリッヒ泊の翌日は冬季オリンピック開催地のサンモリッツに移動。ここで連泊。翌日絶景列車にのります。翌日古都ルツェルンに行き一泊。翌日インターラーケンに移動して、アルプス絶景ハイキング後一泊。翌日モントルー、ジュネーブへ向かい、ジュネーブで連泊観光。マッターホルンのふもとツェルマットにも行きたかったのですが、旅程がタイトになるので、ジュネーブ連泊にしました。結構自由にもとの旅程を変更できます。当初はジュネ-ブ1泊で帰国でした。スイスは言語がややこしい。前半はドイツ語圏、町の名前もドイツ語っぽいです。サンモリッツからイタリアの国境の町に行くのですが、そのあたりはイタリア語圏です。サンモリッツは分類上ロマンシュ語のようですが、現実はドイツ語のようです。モントルー、ジュネーブ周辺はフランス語圏です。当然フランス語っぽい町の名前ですし、家並みも南仏風。面白いくらいにちがっています。そうはいってもこちらは片言英語しかできませんので、全てそれでなんとかやるしかありません。これが結構面倒でもありますが、楽しくもあります。ありがたいことにほとんどのスイス人は英語も出来ます。私よりずっとよく出来ます。天候も心配です。ハイキング時期が長期予報では雨なので、雨天時はベルンに切り替えようかとか、色々悩みました。天候によって、気温も大きく変動します。おかげで無駄な服を山ほど持っていくことになりました。まあそんなものです。もうひとつ一番心配なのが高山病もどき。5年前にもスイスにはちょっぴり行っています。その時にはユングフラウ登山鉄道の途中から体調絶不調となりました。いま思うと、やはりあれは高山病の一種だったようです。それが今回も多少標高の高いところで宿泊もするので一番悩ましい点です。普通の方なら問題ない標高なのでしょうが、なにぶん前科がありますので。果たしてその結果は???
2012年09月01日
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地方には地方独特のマンホールのふたがあり、時々気がつくと写真を撮っています。なかには旅情を感じるものも多いです。ということで、ここ函館のマンホールのフタを載せておきます。特にカラ-の絵柄が秀逸ですね。どれもすこしづつちがっています。
2012年09月01日
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函館には函館山に向かってたくさんの坂道があります。上から見ると、なかなか風情がありますね。坂の両脇の家々もどことなく西洋風が多くて、異国情緒があります。異国に旅立ちたくなる、そんな誘惑の風が吹いています。坂の道に面して立っている異国の館、「ロシア正教会」、「旧イギリス領事館」、「旧函館区公会堂」など、立ち寄りました。どれも歴史の光を帯びていて、函館の魅力ですね。写真が暗いのですが、載せてみました。一番有名な「八幡坂」です。写真スポットです。私たちもパックツアーの方々にたのんで撮ってもらいました。暗くなってきた正教会です。旧函館区公会堂です。旧イギリス領事館です。
2012年09月01日
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食べないわけには行かないですね。むかし、実家に帰るのに、飛行機ではなく連絡船にのっていった時代のこと、函館で道草して食べたら、すごくおいしかった記憶が舌に残っています。今回、函館駅の近くに、ネットでさがして印刷してきたお店が、いくら探しても見当たらず、地元の方に聞いても見当たらず。しかたなしに、十字街の近く、赤レンガの近く、最近出来たような大きな回転寿司屋さんがあり、行列を見て、並んで待って入りました。奥では早速マグロの解体もやっていて、すごい活気です。出てくるもの、みなおいしそうです。普段家の近くの有名回転寿司とは比較になりません。もちろん値段も回転寿司レベルじゃなかったですが。おなかいっぱい食べました。ここでいただいてから、家に戻ってまだ回転寿司にいっていません。行く気が起きません。そのくらいおいしかったです。この蟹さんもおいしかったですよ。
2012年09月01日
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刺繍花=レースフラワーですね。大沼周辺に咲いていました。この花、ちょっと標高の高い場所や北の国ならよく見かける花。とても簡単な造形規則にしたがっているようで、パソコンで描けるような気がします。シンプル イズ ビユ-テイフル!これとそっくりですが、もっと丸まった咲き方をする花が毒芹(どくぜり)。かなり危険なようです。この花で連想するのが「トラピスチヌ修道院」。帰りの空港での時間があったので、バス+徒歩で移動しました。坂の上にあり、バッグをころがしての移動は大汗でした。外からみるだけでしたが、荘厳な気持ちになりました。ネットからの引用です。ーーーー1898年(明治31年)フランスのトラピスチヌ修道院から派遣された8名の修道女によって設立された。一度修道女となれば、壁内、囲い中のみの生活となり俗世から完全に隔離された世界に住む。壁の外に出るのは、選挙などに限られる。一生を神に捧げ、厳格な戒律に従い、共同生活に入る。祈り、読書、そして農作業などの労働が生活の中心となる。会話は必要最低限に限られ沈黙が義務づけられている。朝3時30分起床。夜7時45分就床。現在女子修道院62名ーーーー既に命を捨てた、神にささげたからこそできるのでしょう。五体投地とも通じる厳しい信仰世界が垣間見えます。私には絶対にできません。
2012年09月01日
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