今ここが幸せ!
2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
2019
2018
2017
2016
2015
2014
2013
2012
2011
2010
2009
2008
2007
2006
2005
1月
2月
3月
4月
5月
6月
7月
8月
9月
10月
11月
12月
全1件 (1件中 1-1件目)
1
選んで正解!なかなか良い映画でした。(^^)全米でクリント・イーストウッド作品中(主演作、監督作すべてで)最大のヒット作となった映画だそうです。(公式サイトより) 前半、クスッと笑えるシーンもちりばめられていて飽きることなく最後まで観ることができます。 心を閉ざした元軍人のウォルト(クリント・イーストウッド)が彼のレトロな車「グラン・トリノ」を盗もうとした隣人でアジア系移民(モン族)の少年タオ(ビー・ヴァン)らとの交流で変っていく姿を描いたイーストウッド監督・主演の秀作です。 特に、クライマックスでは、見ていた多くの人が涙したようです。もちろん、私も涙をこぼしていました。そしてその後に続くエンディングと歌が素晴らしかった。 エンディングでクリント・イーストウッドとおそらくタオ役のビー・ヴァンの歌うエンディング曲『グラン・トリノ』が、映画を観ていた人の心とマッチしていて、すごく良いんです。 ほとんどの人がこのエンディングで映画の余韻に浸っていました。 エンディングまで緻密に考え抜かれているという感じです。(他の何人もの方のブログでもこのエンディングは、好評ですね) さて、良い映画というのは、一般的な視点から見てということです。ヒカリズム的に見ると興味深い映画でした。 ここからは、ネタばれになるかもしれません。(映画を深く観たいに人にお薦めのサイト→まどぎわ通信)(アメリカの人種差別のことがちょっとわかるサイト→ハーレム・ジャーナル)(映画の前提などがわかるサイト→王道) 映画は、彼の妻の葬式か始まります。亡くなった妻が神父に託したお願いは「ウォルトに懺悔をさせること」ずっと拒否していたウォルトでしたが、後に懺悔します。しかし、その中には戦争で人を殺したことは含まれていませんでした。これは、ヒカリズム的に見ると、その罪を認めたくない心理からくるものだと思われます。しかし、最期に身を持って償ったとき、彼はその一番受け容れがたい事実を受け容れたといえます。 朝鮮戦争の帰還兵ウォルト・コワルスキーは、自分の正しさを握り締めて、周りで起こる自分の正しさから外れた出来事すべてに苦虫をつぶしたような顔で怒りの唸り声をあげています。 そのため、周囲のほとんどの人は、そんなウォルトにあきれ、避けていき、ひとりで孤独に暮らしています。 アメリカでは差別の対象に属しているであろうモン族のチンピラの少年達が隣人のタオを仲間に入れようとテストとしてウォルトの愛車グラン・トリノを盗ませようとしますが、ウォルトに見つかり失敗します。 車を盗もうとしたタオを、ウォルトは意図せずに、自然の流れからチンピラから守ることになってしまいます。 それまで、白人 対 差別されるアジア系移民という関係で憎み合っていたモン族の人たちから、感謝され、ウォルトが断っても断っても連日の贈り物を受けるようになります。 タオの姉のスーの強い勧めで、モン族の人たちとコミュニケーションを取るようになっていきます。 ウォルトはおどおどと腰抜け風のタオのことを、姉のスーに尋ねます。「彼は頭がちょっと弱いのか?」「いいえ、彼は頭がいいのよ、でも、したいことが見つからなくて無気力になっているの」というようなことを言います。 ヒカリズム的にここはとても面白い。 差別の対象になる人たちが、学歴もなくアメリカでちゃんとした職を手にすることは難しい。大学に入りたくても、そのお金がない。そんなジレンマの中、世の中を敵と見て、チンピラからギャングになっていく人間もいる。良心を持ってその選択はしないとしても、別の選択が見つからない。そのために生きがいを失って生きる気力さえ失っていく。 ウォルトは、モン族のパーティーで、他の若者がかわいい娘をナンパしようとしているのに、タオが何も行動を起こさないことに憤慨し、けしかけます。 実は、これって行動療法かもしれない。 車を盗もうとした償いとして、タオ一家はタオをウォルトの下で働かせようとします。ウォルトは断りますが、押し切られ働くことになります。ウォルトは、その期間をタオを一人前の男にするために下準備として利用します。 そして、知り合いを通してタオに仕事を世話します。 こうして、タオ一家+ウォルト(正義)VS マシンガンを手にし、殺しもいとわないモン族のチンピラ(悪)という構図で話は進みます。 その後もタオを仲間に引き込もうとするチンピラをウォルトは暴力で押さえ込もうとします。 その結果、タオ一家は、大きな報復を受けることになります。 朝鮮戦争で暴力と報復の暴力の連鎖を体験していたウォルトは、これからずっとタオ一家を守るためには、チンピラたちをのさばらしておくことができないと決心します。 タオもチンピラたちと刺し違える覚悟でウォルトの家にやってきます。 しかし、ウォルトが取った行動は、タオが考えていたものとは違うものでした。これが一般的な視点からは、最高の決断、美談ということになるのでしょう。 悪は成敗するというのが、アメリカ的な正しさなのでしょうが、クリント・イーストウッドは、ウォルトの最期の決断でそこに一石を投じます。 本当にこの決断しか無かったのでしょうか?解決したように見える暴力と報復の連鎖ですが、敵対した心のままチンピラたちが出所したらどうなるのでしょうか? ヒカリズ的には、もっと踏み込んだ選択が見えてきます。 ここをヒカリズム的に見ると、タオ一家+ウォルト(正義)VS モン族のチンピラ(悪)とは、一概には言えないのです。 ウォルトが偏屈になっていったのは、ウォルトの正義の押し付けに嫌気が差した周りの人たちから受け容れられなかったことも原因としてあるはずです。だからこそ、断っても断っても自分を受け容れてくれるモン族の人たちと少しずつ心を開いて変っていったはずです。アメリカという国で差別され、受け容れられないマイノリティーの若者がチンピラになっていった心理というものは、偏屈になっていったウォルトと同じものなのです。 つまり、クリント・イーストウッドも気づいていないでしょうが、別の選択がすでに映画の中で監督自身が描いていたのです。 凍った自分の心をとかし、タオに生きがいを与えた「受け容れる」という行為です。人は、嫌いだと思って接してくる人に嫌悪の感情を抱いてしまいがちです。好意をもって接してくる人には好意をもちがちです。 相手がどういう気持ちであろうと、相手をまず受け容れる気持ちで接していくことが、嫌悪の連鎖を断ち切る唯一の方法です。 それこそが愛(無条件の愛)なのです。それは難しい選択です。結果が出ないかもしれない。でも、それ以外の選択では、暴力と報復の連鎖を断ち切ることはできないのです。※モン族(中国ではミャオ族とも呼ばれ、日本でもこちらの名前で知られていることが多い。英語ではHmongまたはMongと表記する。同じくモン族と呼ばれ、Monと表記されるミャンマーの民族とは別)ラオスのモン族についてミャオ族の呼び名について書かれたサイト ■今回のブログはいかがでした?(^-^) 『まあ、いいんじゃない(^^)』と思われたら、 ランキングボタン↓を押してね(^^)♪
May 7, 2009
コメント(0)